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(大般涅槃品第二十六)
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最後の弟子、須跋陀羅に法を説く
大般涅槃品第二十六 |
大般涅槃(だいはつねはん)品第二十六 |
最後の弟子須跋陀羅を教え導き、弟子に最後の法を説き涅槃に入る。 |
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爾時有梵志 名須跋陀羅 賢コ悉備足 淨戒護眾生 少稟於邪見 修外道出家 欲來見世尊 告語阿難陀 我聞如來道 厥義深難測 世間無上覺 第一調御師 今欲般涅槃 難復可再遇 難見見者難 猶如鏡中月 我今欲奉見 無上善導師 為求免眾苦 度生死彼岸 佛日欲潛光 願令我暫見 阿難情悲感 兼謂為譏論 或欣世尊滅 不宜令佛見 |
その時梵志有り、名を須跋陀羅(しゅばつだら)という、 賢徳は悉く備足し、浄戒もて衆生を護れり。 少(わか)くして邪見を稟(う)け、外道を修めて出家せるも、 来たりて世尊に見(まみ)えんと欲し、告げて阿難陀に語らく、 『われ如来の道を聞きけるに、その義深うして測り難し。 世間の無上覚、第一の調御師は、 今般涅槃せんと欲して、また再び遇うべきこと難し。 見え難きに見ゆるは難きこと、なお鏡中の月の如くなるも、 われ今、無上の善導師に見え奉りて、 為に衆苦を免るるを求め、生死の彼岸に度(わた)らんと欲す。 仏日光を潜めんと欲するに、願わくはわれをして暫く見えしめよ。』 阿難情(こころ)に悲感し、兼ねて謂(おも)いて譏論と為し、 或いは世尊滅したもうを欣ぶや、仏をして見えしむるは宜しからず。 |
その時、 梵志(ぼんし、婆羅門の出家)の須跋陀羅(しゅばつだら)が来た。 須跋陀羅は、 賢明であらゆる学問に通じ、持戒して衆生を傷つけず清浄であるが、 若くして邪見を受け、出家してからは外道の法を修めていた。 そして、 世尊に会いたいと、阿難にこう求めた、―― 『わたしは、 仏の道を聞いたことがあるが、 その義は余りにも深くて測りがたい。 無上の智慧を覚った、 世間第一の調御師(ちょうごし、調教師)は、 今、涅槃に入ろうとされている、 もう、再び会うことは無いだろう。 会いがたき方に、 会うのは、鏡中の月に会うよりも難しいものであるが、 わたしは、今、 無上の善き導師に会って、多くの苦を免れ、 生死の彼岸に度(わた)りたい。 仏は、今 日が没するように、光を潜めようとされている。 どうか、 暫くの間でも、会えないだろうか?』 阿難は、 悲しみに心が塞がり、人の真心が分からない、―― 『これは、 論をいどんで、打ち負かそうというのか? 或いは、 世尊が滅度されるのを、手を打って笑おうというのか? 仏に、 会わせては成るまい。』
注:梵志(ぼんし):純潔を護る者。婆羅門の出家修行者。 注:須跋陀羅(しゅばつだら):最後の仏弟子、鳩夷(くい、拘尸那竭羅)城の郊外の林に住む五通の婆羅門、この時百二十歳。 注:賢徳(けんとく):賢明の徳。 注:浄戒(じょうかい):清浄の戒。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒。 注:無上覚(むじょうかく):無上の悟りを得た者。 注:調御師(ちょうごし):調教して御する師。 注:般涅槃(はつねはん):欠けた所のない涅槃。涅槃。 注:涅槃(ねはん):消滅、解消、究極的解放の意。 注:善導師(ぜんどうし):善処に導く師。 注:衆苦(しゅく):多くの苦。 注:生死(しょうじ):無限に生死を繰り返して、地獄、餓鬼、畜生、人間、天上を渡り歩くこと。 注:仏日(ぶつにち):仏を日に喩えて、日の光が愚癡の闇を破ることを示す。 注:情(こころ):まごころ。 注:悲感(ひかん):かなしみ。 注:譏論(きろん):相手の欠点を見つけて論議する。 |
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佛知彼希望 堪為正法器 而告阿難言 聽彼外道前 我為度人生 汝勿作留難 須跋陀羅聞 心生大歡喜 樂法情轉深 加敬至佛前 應時隨順言 軟語而問訊 和顏合掌請 今欲有所問 世有知法者 如我比甚眾 唯聞佛所得 解脫異要道 願為我略說 沾潤虛渴懷 不為論議故 亦無勝負心 |
仏彼の希望と、正法の器たるに堪うるを知り、 阿難に告げて言わく、『彼の外道、聴(ゆる)して前(すす)ましめよ! われは人を度せんが為に生ぜり、汝留難を作すこと勿かれ!』 須跋陀羅聞きて、心に大歓喜を生じ、 法を楽(ねが)うの情転(うた)た深まり、敬いを加えて仏前に至り、 時に応じ言(ごん)に随順し、軟語して問訊し、 和願にて合掌して請わく、『今欲すらくは問う所有り。 世に法を知る者有り、わが比(たぐい)の如きも甚だ衆(おお)し、 ただ仏の得し所の、解脱のみ要道を異にすと聞けり。 願わくはわが為に略して説き、虚渇の懐(おもい)を沾潤せよ。 論議の為ならざるが故に、また勝負の心無し。』 |
仏は、 彼の希望と、彼が正法を受けるに堪える器であることを知り、 阿難にこう告げた、―― 『その外道に、進ませよ! わたしは、人を彼岸に度すために生まれてきた! お前も、邪魔してはならない!』 須跋陀羅は、 それを聞いて、大いに喜んだ。 いよいよ、 法が聞けると、 恭しく仏の前に進み出て、言葉をかける。 相手の言葉に合せて優しく、近況を訊ね合い、 やがて、 顔を和ませ、合掌してこう請うた、―― 『早速だが、 これを問いたい。 世間には 法を知る者が多く、 わたしぐらいの者も甚だ多い。 ただ、 仏の得られた解脱のみは、 要旨が、それ等と異ると聞く。 どうか、 わたしの為に、略して説き、 空虚に渇いた、わたしの想いを潤してほしい。 決して、 論議しようとするのでも、 勝負するのでもない。』
注:希望(けもう):希望。 注:正法(しょうぼう):仏法。 注:留難(るなん):邪魔。 注:応時(おうじ):即時。 注:言(ごん):ことば。 注:随順(ずいじゅん):逆らわずにしがたう。 注:軟語(なんご):柔らかく語る。 注:問訊(もんじん):機嫌をうかがう挨拶。 注:和顔(わげん):和やかな顔。 注:解脱(げだつ):生死からの脱出し、苦縛を解く。 注:要道(ようどう):解脱に至る主要な道路。 注:虚渇(こかつ):渇いて満たされないこと。 注:沾潤(てんにん):うるおすこと。 |
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佛為彼梵志 略說八正道 聞即虛心受 猶迷得正路 覺知先所學 非為究竟道 即得未曾聞 捨離於邪徑 兼背癡闇障 思惟先所習 瞋恚癡冥俱 長養不善業 愛恚癡等行 能起諸善業 多聞慧精進 亦由有愛生 恚癡若斷者 則離於諸業 諸業既已除 是名業解脫 |
仏彼の梵志の為に、略して八正道を説くに、 聞いて即ち虚心に受け、なお迷うて正路を得るがごとし。 先に学べる所の、究竟の道たるには非ざるを覚知して、 即ち未だかつて聞かざるを得て、邪経を捨離す。 兼ねて癡闇の障(さわり)に背き、先に習える所を思惟すらく、 『瞋恚と癡冥とは倶(とも)に、不善業を長養するも、 愛と恚と癡と等しく行ぜば、よく諸の善業を起す、 多聞と慧と精進も、また愛有るに由りて生ずればなり。 恚と癡ともし断ずれば、則ち諸の業を離れ、 諸の業のすでに除(のぞ)こる、これを業の解脱と名づく。 |
仏は、 梵志の為に、略して八正道を説く、―― 『解脱とは、 八つの正しい道からなる。 一は正見(しょうけん)、正しい道理を知る。 二は正思惟(しょうしゆい)、正しい道理を考える。 三は正語(しょうご)、正しい道理を口にする。 四は正業(しょうごう)、正しい道理によって行う。 五は正命(しょうみょう)、正しい道理によって命を保つ。 六は正精進(しょうしょうじん)、正しい道を怠らずに進む。 七は正念(しょうねん)、正しい道を常に心にかける。 八は正定(しょうじょう)、心を定めて正しい道をゆく。』 梵志は、 聞いて、虚心に受け入れた、 道に迷った人が、正しい道を見つけたかのように。 先に学んだ事は皆、正しい道ではなかったのだ、 初めて聞いた事により、邪見の経典をば悉く捨て去る。 愚癡の闇が晴れるにつれ、 先に習った事はどうであったか考えてみた、―― 『即ち、―― 『瞋恚(しんに、怒り)と 愚癡(ぐち、真理に無智)とは、ともに不善業を育て養うが、 愛著と瞋恚と愚癡とを、 等しく行えば、諸の善業を起す。 多聞(たもん、多知識)や、 智慧や、 精進(しょうじん、努力)等の 善業は、また愛著が無ければ生まれないのだから。 瞋恚と愚癡とを、断じたならば、 諸の善悪の業を離れることができ、 この諸の業を離れることを、業の解脱という。』
注:八正道(はっしょうどう):涅槃に趣く正しい道。身口意の三業を正すこと。即ち(1)正見:正しい道理を知る。(2)正思惟:正しい道理を考える。(3)正語:正しい道理を口にする。(4)正業:正しい道理によって行動する。(5)正命:正しい道理によって生活する。(6)正精進:正道を進んで怠らない。(7)正念:正道を常に心にかける。(8)正定:正しい禅定によって心を定める。 注:虚心(こしん):心を空にして受けとめる。 注:覚知(かくち):目が覚めたように知る。 注:究竟(くきょう):究め尽くした道。涅槃。 注:捨離(しゃり):捨てて離れ去る。 注:癡闇(ちあん):愚かさの闇。邪見。 注:思惟(しゆい):深く考えて求める。 注:瞋恚(しんに):怒り。嫉妬等。心を荒立たせること。 注:癡冥(ちみょう):愚かさの闇。邪見。 注:長養(ちょうよう):育て養う。 注:不善業(ふぜんごう):殺生、偸盗、邪婬、妄語、両舌、悪口、綺語、貪欲、瞋恚、邪見。 注:善業(ぜんごう):不善業の逆。 注:多聞(たもん):多く聞くこと。知識。 注:慧(え):智慧。 注:精進(しょうじん):努力。努力して怠らないこと。 注:愛(あい):愛著。 注:業(ごう):善悪の行い。生死を引き起こす因縁。 |
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諸業解脫者 不與義相應 世間說一切 悉皆有自性 有愛瞋恚癡 而有自性者 此則應常存 云何而解脫 正使恚癡滅 有愛還復生 如水自性冷 緣火故成熱 熱息歸於冷 以自性常故 當知有愛性 聞慧進不 不摶瀦s減 云何是解脫 |
『諸の業の解脱は、義と相応せず、 世間には「一切は、悉く自性有り」と説く、 愛と瞋恚と癡と有りて、自性有らば、 これ則ちまさに常に存るべし、云何が解脱せん。 正(たと)い恚と癡とを滅せしむるも、愛有らば還ってまた生ずべし。 水の自性は冷たく、火に縁ずるが故に熱く成るが如きも、 熱息(や)めば冷たきに帰す、自性の常なるを以っての故なり。 まさに知るべし、「愛有るの性は、聞と慧と進と増さず」、 増さずして減らざるに、云何がこれを解脱せん。 |
『しかし、 この業の解脱は、道理に合わない。 世間では、 『一切に、悉く『自性(じしょう、我)』が有る』と説くが、 『愛著』と『瞋恚』と『愚癡』とが有り、 その上、『自性』までが有れば、 これは、 『常に存る』ということに外ならず、 何うして、『解脱』であるといえよう? たとえ、 『瞋恚』と『愚癡』とを滅しても、 『愛著』が残っていれば、また再び生じよう。 例えば、 水の自性は『冷』であり、火に縁じて『熱』と成るが、 火が止んで『熱』が無くなれば、また『冷』に帰るというような事も、 『自性』が、 常であって、変らないことを示している。 当然、 『愛著が有る』という『自性』からは、多聞も智慧も精進も増すことはない。 『自性』は、 増えも減りもしないのに、何故これを『解脱』といえるのだろう?
注:義(ぎ):道理。 注:相応(そうおう):密接に関係して同時に存在する。かなう。 注:自性(じしょう):自らの本性。性は変化しない本質的な部分。 注:聞(もん)、慧(え)、進(しん):多聞、智慧、精進。(前節参照)。 |
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先謂彼生死 本從性中生 今觀於彼義 無得解脫者 性者則常住 云何有究竟 譬如燃明燈 何能令無光 佛道真實義 緣愛生世間 愛滅則寂靜 因滅故果亡 |
『先には謂わく、「彼の生死は、本より性の中より生ず」と、 今は彼の義に於いて観ずらく、「解脱を得る者無し」と。 性とは則ち常に住(とどま)る、云何が究竟の有らん、 譬えば燃えて明るき灯の、何んがよく光を無くさしむ。 仏道は真実の義なり、愛に縁じて世間に生じ、 愛滅すれば則ち寂静たり、因滅するが故に果亡(うしな)う。 |
『先には、 『生死というものは、『自性』の中から生じる』と思っていたが、 今は、 そこからは、『解脱』を得られないと観た。 『自性』とは、 常に、変化しないことをいう、 何うして、そこに『究竟(くきょう、解脱)』が有ろうか? 譬えば、 明るく、燃えている灯から、 何うして、光を無くさせようか? 仏の道こそが、 真実の道であった。 『愛著』に縁って、世間に生まれ、 『愛著』を滅すれば、寂静(じゃくじょう、煩悩を離れる)と成る。 即ち、 『因』が滅すれば、『果』も滅するのである。
注:寂静(じゃくじょう):煩悩を離れて苦が絶えること。 |
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本謂我異身 不見無作者 今聞佛正教 世間無有我 諸法因緣生 無有自在故 因緣生故苦 因緣滅亦然 觀世因緣生 則滅於斷見 緣離世間滅 則離於常見 悉捨本所見 深見佛正法 |
『本謂えり、「われ身を異にするも、作者(さしゃ)無きを見ず」と、 今聞けり、「仏の正教には、世間に我の有ること無し」と。 諸法は因縁にて生ず、自ら在ることの有ること無きが故なり、 因縁の生ずるが故に苦なり、因縁の滅するもまた然り。 世は因縁にて生ずと観れば、則ち断見(だんけん)を滅し、 縁離るれば世間滅すとして、則ち常見(じょうけん)を離る。』と、 悉く本見し所を捨てて、深く仏の正法を見る。 |
『本は、 『何処に於いて、 何のような身に生まれても、 我(が、手脚を自在に動かすもの)は必ず有る』と、思っていたが、 今は、 仏の正しい教、 『世間には『我』などが有るはずはない』を聞いた、―― 『即ち、 『諸法(しょほう、万物)』とは、 『因縁』により生じるものであり、 『自ら在る』ことは有るはずがない。 『因縁』により生じるが故に、 思いどおりにならず、『苦』を感じるのであり、 『因縁』が滅するときにも、同じように、 思いどおりにならず、『苦』を感じるのである。 『世間は因縁によって生じる』と観察して、 断見(だんけん、過現未が断絶するとする邪見)を離れ、 『因縁を離れたとき世間は滅する』と観察して、 常見(じょうけん、霊魂は不滅であり過現未に通じるとする邪見)を離れる。』と、 このように、 本の邪見を悉く捨てて、 仏の正法を深く見た。
注:作者(さしゃ):手脚を用いて衆事を作す者。我。神我。 注:我(が):己の身に一つ有る主宰者にして、常住する。 注:断見(だんけん):因果応報の道理を否定する見解。 注:常見(じょうけん):我(霊魂)は常住して五道をめぐるとする見解。 |
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宿命種善因 聞法能即悟 已得善寂滅 清涼無盡處 心開信撩A 仰瞻如來臥 不忍觀如來 捨世般涅槃 及佛未究竟 我當先滅度 合掌禮聖顏 一面正基坐 捨壽入涅槃 如雨滅小火 佛告諸比丘 我最後弟子 而今已涅槃 汝等當供養 |
宿命は善因を種え、法を聞きてよく即ち悟り、 すでに善く寂滅を得れば、清涼にして尽くる処無し。 心開きて信増広するに、如来の臥せたるを仰ぎ瞻(み)て、 如来の世を捨てて、般涅槃するを観るに忍びず。 『仏未だ究竟したまわざるに及びて、われまさに先に滅度すべし』 合掌し聖顔に礼して、一面の正基に坐し、 寿を捨てて涅槃に入るに、雨の小火を滅するが如し。 仏諸の比丘に告ぐらく、『わが最も後の弟子なれど、 今すでに涅槃せり。汝等まさに供養すべし。』 |
須跋陀羅は、 前世に種えた善因によって、法を聞いてすぐ悟ることができ、 善く寂滅を得おわると、清涼の尽きざる処に趣いた。 心が開いて信が増し、仏の臥せる姿を仰ぎ見るに、 仏が世を捨てて涅槃に入るのは、観るに忍びないと感じた。 『仏より先に、滅度することにしよう』と、 合掌して、仏の顔に礼をし、 退いてその座に坐ると、命を捨てて涅槃に入った、 雨によって、小さな火が消えるように。 仏は、 比丘たちにこう教えた、―― 『わたしの、 最後の弟子が今、涅槃に入った。 お前たちは、供養せよ!』
注:宿命(しゅくみょう):前世の命。 注:善因(ぜんいん):善に因縁する種。 注:寂滅(じゃくめつ):涅槃。 注:信(しん):信ずる心。信心。 注:増広(ぞうこう):増大。 注:滅度(めつど):寂滅に渡る。涅槃に入ること。 注:聖顔(しょうげん):仏の顔。聖は世間に最上、最高の意。 注:正基(しょうき):正に仏に相応しい堅固なる座席。 |
最後の説法:持戒清浄の故に諸の善法がある
佛以初夜過 月明眾星朗 閑林靜無聲 而興大悲心 遺誡諸弟子 吾般涅槃後 汝等當恭敬 波羅提木叉 即是汝大師 巨夜之明燈 貧人之大寶 當所教誡者 汝等當隨順 如事我無異 |
仏初夜を過ぎて、月明るく衆星朗らかに、 閑林静かにして声無きを以って、大悲心を興して、 諸の弟子に遺戒すらく、『わが般涅槃の後、 汝等まさに波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を恭敬すべし。 即ちこれ汝が大師にして、巨夜の明灯、 貧人の大宝なり。まさに教誡する所の者なり。 汝等まさに随順して、われに事(つか)うるが如く、 異(たが)うことの無かるべし。 |
仏は、 初夜(しょや、深夜10時)を過ぎて、月や星が明るく輝き、 林の中も寝静まって、声が聞こえなくなった頃、 大悲心を起して、弟子たちに、 最後の教を説いた、―― 『わたしの 涅槃の後、 お前たちは、 波羅提木叉(はらだいもくしゃ、戒本)を、 わたしだと思って、恭敬せよ! これが、今後、 お前たちの、大師であり、 長い夜を過ごす、明灯であり、 貧しい人の、大宝であり、 お前たちを教え誡める、唯一の者である。 お前たちは、 これに、従って逆らわず、 わたしに、仕えるようにせよ!
注:初夜(しょや):夜の初めの三分の一。日暮れより深夜10時ころまで。 注:衆星(しゅしょう):多くの星。 注:閑林(げんりん):静かな林。 注:大悲(だいひ):悲は人の苦を抜こうとする心。 注:遺誡(ゆいかい):最後のいましめ。俗人の遺言に当る。 注:波羅提木叉(はらだいもくしゃ):戒本。比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒について因縁及び細則を除いて戒の本文のみを集めたもの。半月ごとに、僧の全員が集まった中に於いて読み上げられる。 注:恭敬(くぎょう):恭しく接する。 注:大師(だいし):最大の師。仏の代り。 注:巨夜(こや):非常に長い夜。無明の世間にたとえる。 注:明灯(みょうとう):明るい灯。 注:貧人(ひんにん):貧乏人。 注:大宝(だいほう):大きな宝。 注:教誡(きょうかい):教えて誡める。 注:随順(ずいじゅん):従って逆らわないこと。 |
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當淨身口行 離諸治生業 田宅畜眾生 積財及五穀 一切當遠離 如避大火坑 墾土截草木 醫療治諸病 仰觀於曆數 步推吉凶象 占相於利害 此悉不應為 節身隨時食 不受使行術 不合和湯藥 遠離諸諂曲 順法資生具 應當知量受 受則不積聚 是則略說戒 |
『まさに身口の行を浄め、諸の治生の業を離るべし。 田宅に衆生を畜え、財及び五穀を積む、 一切はまさに遠離して、大火坑を避くるが如くすべし。 土を墾して草木を截り、医療して諸の病を治し、 暦数を仰観して、吉凶の象(かたち)を歩推し、 利害を占相す、これ悉くまさに為すべからず。 身を節して時に随うて食い、使を受くるも術を行わず、 湯薬を合和せず、諸の諂曲を遠離すべし。 法に順ずる資生の具は、まさに量を知りて受くべく、 受くれば則ち積聚せず、これ則ち略して戒を説けり。 |
『即ち、 身と口との行いを慎め! 命を保つための、諸の業を離れよ! 田宅に家族、親族、奴婢、家畜を畜えたり、 財及び五穀を積んではならない! 一切を遠ざけて、大火坑を避けるようにせよ! 土を墾して、草木を截ってはならない! 医療を施して、諸の病を治してはならない! 天文を読み、暦数を数えて、 吉凶や利害を占ってはならない! 身を節し、 時に随って午前中に食え! 使いを受けても、 医術を行ったり、薬を作ったりしてはならない! 諂って、己を曲げるな! 飲食、衣服、臥具、湯薬等の、命を保つ物は、 法に随った物であっても、 適量を知って受けよ! 受けた物を積むな! 今は、 略して、戒を説いた。
注:身口行(しんくぎょう):手脚の行いと口に語られること。 注:治生業(じしょうごう):生活の糧とする行い。 注:火坑(かきょう):石炭の燃える坑。 注:暦数(りゃくすう):天文を観察して占う。 注:歩推(ぶすい):推歩、推し量る。 注:占相(せんそう):占う。 注:使(し):つかい、使者。 注:湯薬(とうやく):くすり。 注:合和(ごうわ):調合。 注:諂曲(てんごく):己を曲げてへつらう。 注:資生(ししょう)の具(ぐ):生活に必要なもの。飲食、衣服、臥具、湯薬。 注:積聚(しゃくじゅう):積んで集める。 |
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為眾戒之根 亦為解脫本 依此法能生 一切諸正受 一切真實智 緣斯得究竟 是故當執持 勿令其斷壞 淨戒不斷故 則有諸善法 無則無諸善 以戒建立故 |
『衆戒の根たりて、また解脱の本たり、 この法に依りてよく、一切の諸の正受を生ず。 一切の真実の智は、これに縁りて究竟を得、 この故にまさに執持して、それをして断壊せしむる勿かれ。 浄戒の断ぜざるが故に、則ち諸の善法有り、 無くんば則ち諸の善無し、戒を以って建立するが故なり。 |
『今の略して説いた戒は、 衆戒(しゅかい、比丘の二百五十戒)の根であり、 解脱の本である。 この法に依れば、 あらゆる事物を、正しく受け入れられる、 一切の真実の智慧は、これに縁って極め尽くされる。 この故に、 堅く保持して、断絶させてはならない! 清浄な戒が、 断絶しなければ、諸の善法(ぜんぽう、善い事物)が生じ、 断絶すれば、善法が生じることはない。 あらゆる、 善法は、戒によって生じるのである。
注:衆戒(しゅかい):多くの戒。比丘の二百五十戒と比丘尼の五百戒。 注:正受(しょうじゅ):乱邪なる思考を離れて、心に受納する。 注:執持(しゅうじ):保持。 注:断壊(だんね):断絶と破壊。 注:善法(ぜんぽう):善い事。 注:建立(こんりゅう):うち立てる。法門を設けることと像塔を築くこと。 |
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已住清淨戒 善攝諸情根 猶如善牧牛 不令其縱暴 不攝諸根馬 縱逸於六境 現世致殃禍 將墜於惡道 譬如不調馬 令人墮坑陷 是故明智者 不應縱諸根 諸根甚凶惡 為人之重怨 眾生愛諸根 還為彼傷害 |
『すでに清浄戒に住して、善く諸の情根を摂し、 なお善く牛を牧(か)うが如く、それをして従暴ならしめざれ。 諸根の馬を摂せずして、縦(ほしいまま)に六境に逸(はな)たば、 現世には殃禍を致し、将(ひき)いて悪道に堕ちん。 譬えば馬を調えずんば、人をして坑陥に堕ちしむるが如し、 この故に明智の者は、まさに諸根を縦にすべからず。 諸根は甚だ凶悪にして、人の重き怨(うらみ)たり、 衆生は諸根を愛して、還って彼が為に傷害せらる。 |
『持戒して、 清浄であれば、 善く諸根(眼耳鼻舌身意)を制することができる、 善く牛を追うようにして、自由に暴れさせてはならない! 諸根の馬を自由に暴れさせて、六境(色声香味触法)の庭に放ってはならない! 現世には禍を呼び、未来には率いて悪道に堕ちるだろう! 譬えば、 善く調教されない馬が、人を穴のくぼみに振り堕とすように。 この故に、 賢い人は、諸根を自由に暴れさせないのだ。 諸根は、 甚だ凶悪であり、人にとって敵となることがある。 人が、 諸根を愛して言うがままになるならば、 還ってその為に傷つけられ殺されるだろう。
注:情根(じょうこん):情は心の本質的、根本的な部分。 注:従暴(じゅうぼう):ほしいままに暴れる。 注:諸根(しょこん):眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根。感覚と知識の根本的機能。 注:六境(ろっきょう):色境、声境、香境、味境、触境、法境。 注:殃禍(おうか):罪禍。わざわい。天罰。 注:悪道(あくどう):地獄、餓鬼、畜生の三悪道。 注:坑陥(きょうげん):あな。 注:明智(みょうち):明るい智慧。 注:傷害(しょうがい):傷つけて殺す。 |
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深怨盛毒蛇 暴虎及猛火 世間之甚惡 慧者所不畏 唯畏輕躁心 將人入惡道 以彼樂小恬 不觀深險故 狂象失利鉤 猿猴得樹林 輕躁心如是 慧者當攝持 放心令自在 終不得寂滅 是故當制心 速之安靜處 |
『深き怨、盛んなる毒蛇、暴虎及び猛火、 世間の甚だしき悪も、慧者の畏れざる所なれど、 ただ軽躁の心の、人を将いて悪道に入らしむるを畏るるのみ、 彼の楽を以って小し怗(やすらか)なるは、 深き険を観ざるが故なり。 狂象の利鉤を失い、猿猴の樹林を得たる、 軽躁心はかくの如し、慧者はまさに摂持すべし。 心を放ちて自ら在らしめば、終に寂滅を得ず、 この故にまさに心を制して、速かに安静の処に之(ゆ)くべし。 |
『深く怨む敵、盛んな毒蛇、暴れる虎、猛る火、 このような物は、 世間には、甚だ憎まれるが、 賢い人にとっては、畏れるほどのものではない。 ただ、 軽躁(きょうそう、軽々しく落ち着かない)の心が、 人を悪道に引き入れるのを、畏れるのである。 騒ぎ回って、 楽しいと思いこむのは、 深い危険を観ないからである。 軽躁心とは、 鉤を離れた象が自在に暴れまわり、 猿が樹木に上ったようなものである。 この故に、 智慧有る者は、心を善く捕まえて放逸にしてはならない。 心を放って、 自由にさせれば、終に寂滅の境地を得られない。 この故に、 まさに心を制して、速かに安心寂静の処にゆけ!
注:毒蛇(どくだ):毒蛇。 注:暴虎(ぼうこ):暴れる虎。 注:猛火(みょうか):猛烈に燃えさかる火。 注:軽躁(きょうそう):そわそわと落ち着きがないこと。 注:険(けん):危険。 注:狂象(ごうぞう):手に負えない象。 注:利鉤(りく):利い手かぎ。 注:猿猴(えんこう):猿。 注:安静(あんじょう):安らいで静か。 |
最後の説法:飯食、睡眠、瞋恚、憍慢、諂曲を遠ざけ、忍辱、慚愧せよ
飯食知節量 當如服藥法 勿因於飯食 而生貪恚心 飯食止飢渴 如膏朽敗車 譬如蜂採花 不壞其色香 比丘行乞食 勿傷彼信心 若人開心施 當推彼所堪 不籌量牛力 重載令其傷 |
『飯食は量を節するを知りて、まさに服薬の法の如くすべし、 飯食に因(よ)りて、貪恚の心を生ずる勿かれ、 飯食の飢渇を止むるは、朽敗せる車に膏(こう)するが如し。 譬えば蜂の花を採りて、その色香を壊(え)せざるが如く、 比丘は乞食を行じて、彼の信心を傷つくること勿かれ。 もし人心を開いて施さば、まさに彼の堪うる所を推(はか)るべし、 牛の力を籌量せず、重く載すればそれをして傷つけしめん。 |
『飯を食うのは、 量を少なくして、 薬を服(の)むようにせよ! 飯を食うとき、 貪欲と瞋恚の心を生ずるな! 飯を食うとは、 飢や渇きを止めるためであり、 朽ちて疲れた車に油を差すようなものである。 譬えば、 蜂が花の蜜を採るとき、 花の色香を損なわないように、 比丘も、 乞食を行ずるとき、 施主の信心を傷つけてはならない! もし、 人が、心を開いて施そうとするときには、 彼の、堪えうる量を推し量れ! もし、 牛の力を推し量らずに、重荷を載せたならば、 必ず、その牛を傷つけるだろう。
注:飯食(ぼんじき):飯を食うこと。 注:節(せつ):節約。 注:貪恚(とんに):貪欲と瞋恚。 注:飢渇(きかつ):うえとかわき。 注:朽敗(くはい):朽ちてくさる。 注:膏(こう):あぶらを差す。 注:籌量(ちゅうりょう):測り計える。 |
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朝中晡三時 次第修正業 初後二夜分 亦莫著睡眠 中夜端心臥 係念在明相 勿終夜睡眠 令身命空過 時火常燒身 云何長睡眠 煩惱眾怨家 乘虛而隨害 心惛於睡寐 死至孰能覺 毒蛇藏於宅 善咒能令出 K虺居其心 明覺善咒除 無術而長眠 是則無慚人 慚愧為嚴服 慚為制象鉤 慚愧令心定 無慚喪善根 慚愧世稱賢 無慚禽獸倫 |
『朝と中(ひる)と晡(ゆうべ)の三時に、次第に正業を修め、 初と後の二夜分にも、また睡眠に著すること莫かれ。 中夜には心を端(ただ)して臥せ、念を係けて明相に在(お)き、 終夜に睡眠して、身命をして空しく過ぐさしむること勿かれ。 時の火は常に身を焼く、云何が長く睡眠せん、 煩悩は衆(もろもろ)の怨家なり、虚に乗じて随って害す。 心睡寐に惛(くら)くんば、死至るも孰(だれ)かよく覚らん、 毒蛇の宅に蔵(かく)るるは、善咒にてよく出でしめ、 黒虺(こくき)その心に居らば、明覚の善咒もて除く。 術無くして長く眠るは、これ則ち慚(はじ)の無き人なり、 慚愧を厳服と為して、慚を象を制する鉤(かぎ)と為せ。 慚愧は心をして定まらしめ、慚無きは善根を喪(うしな)う、 慚愧は世の称うる賢にして、慚無きは禽獣の倫(ともがら)なり。 |
『朝(夜明けから10時)、昼(10時から午後2時)、夕(午後2時から日暮れ)の、 三時は、次々と作すべき事を作し、 初夜(しょや、日暮れから10時)と、後夜(ごや、午前2時から日の出まで)との、 二時にも、眠り込まず、 中夜(ちゅうや、午後10時から午前2時)は、 心を、端(ただ)して睡れ! 終夜に、 眠り込んで、 身と命とを、空しく過ごさてはならない。 時は、 火のように、常に身を焼くというのに、 何うして、眠ってなどいられようか! 煩悩は、 多くの敵が、そうであるように、 心の隙に乗じて、身と心とを損なう。 心が、睡り込んでいれば、 死が、来たときに、 何うして、覚ることができよう! 毒蛇が、 家に蔵(かく)れたときには、 咒(まじない)をかけて追い出し、 黒い虺(まむし)が、 心に住みついたときには、 明るく心を覚まして除かねばならない。 長く眠り込んで、 作す術も無いというのは、 恥を知らない人である。 恥を知るとは、 厳かな礼服を着ることであり、 象を制する鉤のようなものである。 恥を知れば、 心が定まり、 恥が無ければ、 善根(ぜんこん、善法を生じる根本の心)も失う。 恥を知る者は、 世間がその賢さを称え、 恥が無ければ、 鳥や獣と同じである。
注:正業(しょうごう):仏道を修めること。読経や禅定などのこと。作すべき事。 注:中夜(ちゅうや):真夜中10時から2時まで。 注:後夜(ごや):夜2時から夜明けまで。 注:明相(みょうそう):夜明けにすべき事。 注:身命(しんみょう):身体と命。命は寿、身心を相続させ体温と意識を保つもの。 注:怨家(おんけ):仇敵。 注:睡寐(すいみ):睡眠。 注:善咒(ぜんじゅ):善い呪文。 注:黒虺(こくき):黒いまむし。 注:明覚(みょうがく):明了と覚醒。 注:術(じゅつ):てだて。方法。 注:慚愧(ざんき):人や自分に恥じること。 注:無慚(むざん):恥知らず。 注:厳服(ごんふく):礼服。 注:善根(ぜんこん):身口意三業の善。善い事を生じる根本。 注:禽獣(きんじゅう):鳥と獣。 注:倫(ともがら):類を同じくする仲間。 |
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若人以利刀 節節解其身 不應懷恚恨 口不加惡言 惡念而惡言 自傷不害彼 節身修苦行 無過忍辱勝 唯有行忍辱 難伏堅固力 是故勿懷恨 惡言以加人 瞋恚壞正法 亦壞端正色 喪失美名稱 瞋火自燒心 瞋為功コ怨 愛コ勿懷恨 在家多諸惱 瞋恚故非怪 出家而懷瞋 是則與理乖 猶如冷水中 而有盛火燃 |
『もし人利刀を以って、節々にその身を解くとも、 まさに恚恨を懐きて、口に悪言を加うべからず、 悪念してしかも悪言せば、自らを傷つけて彼を害せざらん。 身を節して苦行を修めんも、忍辱に過ぎて勝るもの無く、 ただ忍辱を行じてのみ、難伏堅固の力有り。 この故に恨みを懐いて、悪言を以って人に加うべからず、 瞋恚は正法を壊(やぶ)り、また端正の色を壊る。 美と名称とを喪失し、瞋の火は自らの心を焼く、 瞋を功徳の怨(あだ)と為す、徳を愛して恨を懐く勿かれ。 在家に多き諸の悩は、瞋恚の故なり怪しきに非ず、 出家して瞋を懐くは、これ則ち理(ことわり)に乖(そむ)く、 なお冷水の中に、盛んなる火の燃ゆるが如し。 |
『たとえ、 人が利い刀で、お前の身体をばらばらにしても、 決して、 怒りと恨みを懐いて、悪口を言ってはならない! 心に悪事を懐いて口に出せば、 自らを傷つけても、 相手を損なわない。 節制して苦行しても、 忍辱(にんにく、堪え忍ぶこと)に勝る修行は無い。 ただ、 忍辱のみが、堅固で屈伏しがたい力なのだ。 この故に、 怒りと恨みを懐いて、 人に悪口を言ってはならない! 怒りは、 仏法を、蔑(さげす)ませて、 僧の、端正な姿を損ない、 美しい、名称までも失わせる。 怒りは、 自らの、心を焼く火であり、 積むべき、功徳の敵である。 功徳を、 積むことを愛して、 怒りと恨みは忘れよ! 在家は、 多くの、悩を抱えているが、 怒りと恨みの故なのだから、 不思議ではない。 出家して、 なお、怒りを懐くのは、 冷水の中で、 なお、燃える火のように、 道理に、背くものである。
注:恚恨(いこん):怒りと恨み。瞋恚。 注:悪念(あくねん):心の中の悪しきおもい。 注:悪言(あくごん):悪しきことば。 注:忍辱(にんにく):堪え忍ぶ。 注:難伏(なんぷく):屈伏しがたい。 注:瞋恚(しんに):いかり。 注:端正(たんじょう):端正。 |
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憍慢心若生 當自手摩頂 剃髮服染衣 手持乞食器 邊生裁自活 何為生憍慢 俗人衣色族 憍慢亦為過 何況出家人 志求解脫道 而生憍慢心 此則大不可 |
『憍慢の心もし生ぜば、まさに自ら手にて頂を摩づべし、 髪を剃って染衣を服(つ)け、手に乞食の器を持ち、 生を辺にして裁(わずか)に自ら活くる、何すれぞ憍慢を生ぜん。 俗人は衣に族(うから)を色どり、憍慢せばまた過(とが)と為す、 何をか況や出家人の、志して解脱道を求むるに、 憍慢の心を生ずるをや、これ則ち大いにすべからず。 |
『慢心が、 心に生じたならば、 手で自らの頭を摩でよ! 僧とは、 髪を剃り、 身に染衣(せんね、汚れた色に染めた衣)を着け、 手に乞食の器を持って、 これで、 やっと、命を保って活きてゆく者である。 何うして、慢心などしていられようか! 俗人は、 種族ごとに、異なる色の衣を着けながら、 なお、慢心には過(とが)が有るとする。 まして、 出家人は、解脱の道を求めている。 何うして、慢心などしていられよう! 大いに、してはならないのである。
注:憍慢(きょうまん):おごること。これで十分であるとおごり高ぶること。 注:染衣(せんね):褐色の衣。 |
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曲直性相違 不俱猶霜炎 出家脩直道 諂曲非所應 諂偽幻虛詐 唯法不欺誑 |
『曲と直との性は相い違い、倶にせざることなお霜と炎のごとし、 出家は脩直の道なり、諂曲は応ずる所に非ず、 諂って偽り幻虚にて詐(いつわ)る、ただ法の欺誑せざるのみ。 |
『曲がった者と、 真直ぐな者とは、 本性が異なり、霜と炎のように、 一緒にはいられない。 出家は、 長く真直ぐな道であり、 諂って自らを曲げることに、応じてはならない! 諂えば、人をいつわり、 幻や嘘を言えば、人をあざむくが、 ただ、 法のみが、人をたばからない。 法のみが、応ずべきものである!
注:曲直(こくじき):曲がったことと真直ぐなこと。正と邪。 注:脩直(しゅじき):脩く真直ぐ。 注:応ずる:答えること。ふさわしいこと。いっしょにいること。なかよくすること。 注:幻虚(げんこ):まぼろしとうそ。実の無いこと。 注:欺誑(ごおう):だます。 注:この段は、僧は法のみを友として、人と交わってはならないと教える。離車辞別品第二十四『自らの洲に住り、法の洲に住れ!』(離車辞別品第二十四参照)と同意のことである。 |
最後の説法:少欲知足、精進、正念、正定、智慧、不放逸
多求則為苦 少欲則安隱 為安應少欲 況求真解脫 慳吝畏多求 恐損其財寶 好施者亦畏 愧財不供足 是故當小欲 施彼無畏心 由此少欲心 則得解脫道 |
『多く求むるは則ち苦たり、少し欲するは則ち安穏たり、 安きを為さんにはまさに欲を少なうすべし、 況や真の解脱を求めんをや。 慳吝は多く求むるものを畏れ、その財宝を損ずることを恐る、 施を好む者もまた畏れて、財の供して足らざるを愧づ。 この故にまさに小欲たりて、彼に無畏の心を施すべし、 この少欲の心に由りて、則ち解脱道を得ん。 |
『多く求めれば、それは苦となるが、 少し欲すれば、安穏である。 安穏でありたければ、 少し欲するのがよく、 まして、 真の解脱を求めようとするなら、 なおさらである。 物を惜しむ人は、 多くを求める者を畏れ、 財宝が減るのを恐れる。 好んで施す者も、 また、畏れる、 財が足らずに、十分に、 供養できないのを、恥じるのだ。 この故に、 僧は、欲を少なくして、 施主に、畏れない心を施せ! この 少欲の心をとおして、 解脱の道は得られる!
注:慳吝(けんりん):物惜しみする。 注:無畏(むい):畏れずに堂々たること。 注:少欲(しょうよく):五欲(色声香味触)の欲望が少い。 |
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若欲求解脫 亦應習知足 知足常歡喜 歡喜即是法 資生具雖陋 知足故常安 不知足之人 雖得生天樂 以不知足故 苦火常燒心 富而不知足 是亦為貧苦 雖貧而知足 是則第一富 其不知足者 五欲境彌廣 猶更求無厭 長夜馳騁苦 汲汲懷憂慮 反為知足哀 |
『もし解脱を求めんと欲せば、またまさに足るを知るを習うべし、 足るを知れば常に歓喜あり、歓喜あらば即ちこれ法なり。 資生の具は陋なりといえども、足るを知るが故に常に安んず、 足るを知らざる人は、天に生じて楽を得るといえども、 足るを知らざるを以っての故に、苦の火に常に心を焼かる。 富みて足るを知らざるは、これまた貧の苦と為す、 貧しといえども足るを知るは、これ則ち第一の富なり。 それ足るを知らざるとは、五欲の境のいや広く、 なおさらに求めて厭くことなく、長夜に馳騁(ぢちょう)して苦しみ、 汲汲として憂慮を懐き、反って足るを知るものに哀れまる。 |
『もし、 解脱を求めるならば、『足るを知る』ことを習え! 足るを知れば、 常に、歓喜が有り、 歓喜こそが、仏の法なのだ。 生きるに必要な物(飲食、衣服、臥具、湯薬)は、 たとえ、粗末でも、 足るを知る心は、常に安らかである。 足るを知らない人は、 たとえ、天に生まれて楽を得ても、 苦の火に、常に心を焼かれている。 富んでいても、 足るを知らなければ、 貧の苦と同じである。 貧しくとも、 足るを知る、これが、 第一の富である! そもそも、 『足るを知らない』とは、 見る物、聞く物が、果てしなく広がり、 次から次に求めて、なお飽きないことである。 世間を、 ばたばた、走り回る苦しみの中で、 休みなく、憂いて思い計るのである。 これでは、逆に、 足るを知る者に、哀れまれよう。
注:歓喜(かんぎ):法を聞いて身も心も喜ぶこと。 注:陋(ろう):粗末なこと。いやし。 注:五欲の境:色声香味触の五境。五欲。 注:長夜(ちょうや):なかなか明けない夜。苦の世間。 注:馳騁(ぢちょう):走り回る。 注:汲汲(きゅうきゅう):休まず努める。いそがしく。 注:憂慮(うりょ):憂いて慮る。心配。心労。 |
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不多受眷屬 其心常安隱 安隱寂靜故 人天悉奉事 是故當捨離 親疏二眷屬 如曠澤孤樹 眾鳥多集栖 多畜眾亦然 長夜受眾苦 多眾多纏累 如老象溺泥 |
『多く眷属を受けずんば、その心は常に安穏にして、 安穏と寂静なるが故に、人天悉く奉事せん。 この故にまさに親疎の、二眷属を捨離すべし、 曠沢の孤樹の、衆鳥多く集まりて栖(す)むが如き、 多く衆を畜うもまた然り、長夜に衆苦を受けん、 多くの衆の多く纏累するは、老いたる象の泥に溺るるが如し。 |
『家族と親族とが、 少ければ、心は常に安穏であり、 心が、 常に安穏であれば、人や天が、皆奉仕してくれる。 この故に、 近縁も遠縁も、親族は悉く捨てよ! 譬えば、 広い荒れ野の、一本の樹に多くの鳥が集まって巣を作るように、 多くの、 家族、親族、奴婢、奴僕、家畜等を養えば、 世間の、 あらゆる、苦しみを受ける! 多くの、 家族に纏いつかれるとは、 譬えば、 老いた象が、 泥の中で、もがき苦しむようだ。
注:眷属(けんぞく):親族。みうち。 注:奉事(ぶじ):つかえる。奉仕。 注:親疎(しんそ):近親と遠縁。 注:曠沢(こうたく):広い荒れ野と沼や沢。 注:衆鳥(しゅちょう):多くの鳥。 注:衆(しゅ):多くの人。多くのもの。 注:纏累(てんるい):まつわる。 |
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若人勤精進 無利而不獲 是故當晝夜 精勤不懈怠 山谷微流水 常流故決石 鑽火不精進 徒勞而不獲 是故當精進 如壯夫鑽火 |
『もし人懃めて精進すれば、利として獲ざる無し、 この故にまさに昼夜に、精勤して懈怠せざれ。 山谷に微に流るる水は、常に流るるが故に石を決(えぐ)る、 火を鑽(き)るに精進ならざれば、徒(いたづら)に労して獲ず、 この故にまさに精進して、壮夫の火を鑽るが如くすべし。 |
『もし人が、 精進(努めて怠らないこと)すれば、 何のような、 利益でも獲られるだろう。 この故に、 昼となく夜となく、精進して怠るな! 谷川の、 わずかに流れる水でさえ、 常に流れていれば、石に穴をあける。 錐揉みして、 火を得ようとしても、精進しなければ、 無駄に疲れるだけで、火は得られない。 この故に、 立派な、男が錐揉みして、 火を起すように、精進せよ!
注:精進(しょうじん):努めて怠らざること。 注:精勤(しょうごん):精進。 注:懈怠(けたい):なまけて怠ること。 注:山谷(せんこく):山と谷。 注:壮夫(そうふ):壮年の男。 |
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善友雖為良 不及於正念 正念存於心 眾惡悉不入 是故修行者 常當念其身 於身若失念 一切善則忘 譬如勇猛將 被ナ御強敵 正念為重鎧 能制六境賊 |
『善友は良たりといえども、正念に及ばず、 正念心に存らば、衆悪は悉く入らず。 この故に修行する者は、常にまさにその身を念ずべし、 身に於いてもし失念せば、一切の善は則ち忘る。 譬えば勇猛なる将の、ナ(よろい)を被りて強き敵を御するが如く、 正念を重き鎧と為さば、よく六境の賊を制せん。 |
『善良な友といえども、 正念(仏道を常に心にかける)には及ばない。 正念には、 悪念の入るすきがないからである。 この故に、 仏道を修行する者は、 常に、その身を心にかけよ! 身を、 常に、心にかけていなければ、 五欲のために、一切の善を忘れる。 譬えば、 勇猛な将が、鎧を被て強敵を防ぐように、 正念の重い鎧で、 六境(色声香味触法、見る物、聞く物)の賊を制せよ!
注:善友(ぜんう):法に違わぬ善良の友。 注:良(ろう):善良。 注:正念(しょうねん):仏道を常に心にかけること。 注:失念(しつねん):仏道が心から失せること。 注:勇猛(ゆみょう):勇敢。 注:六境(ろっきょう):色声香味触法。五欲と法境(思考の対境)。 |
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正定撿覺心 觀世間生滅 是故修行者 當習三摩提 三昧已寂靜 能滅一切苦 |
『正定は心を撿覚(けんかく)して、世間の生滅を観る、 この故に修行の者は、まさに三摩提(さんまだい)を習うべし。 三昧(さんまい)してすでに寂静たれば、よく一切の苦を滅す。 |
『正定(しょうじょう)とは、 心を乱さず定めて、常に心を取り締まり、 世間の、無常と生滅を観ることである。 この故に、 仏道の修行者は、 三昧(さんまい、仏道の中で心を定めること)を習うのであるが、 三昧の中では、 寂静となり、一切の苦が消滅する。
注:正定(しょうじょう):心を散乱させず仏道に精進すること。 注:撿覚(けんかく):検閲と覚醒。取り調べて覚めさせる。 注:三摩提(さんまだい):正定。 注:三昧(さんまい):三摩提と同じ。正定。 注:寂静(じゃくじょう):煩悩が滅するのを寂といい、苦患が絶えるのを静という。 |
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智慧能照明 遠離於攝受 等觀內思惟 隨順趣正法 在家及出家 斯應由此路 生老死大海 智慧為輕舟 無明大闇冥 智慧為明燈 諸纏結垢病 智慧為良藥 煩惱棘刺林 智慧為利斧 癡愛駃水流 智慧為橋梁 是故當勤習 聞思修生慧 成就三種慧 雖盲慧眼通 無慧心虛偽 是則非出家 是故當覺知 離諸虛偽法 逮得微妙樂 寂靜安隱處 |
『智慧はよく照明して、摂受を遠離し、 等観は内に思惟し、随順すれば正法に趣く、 在家及び出家は、これまさにこの路に由るべし。 生老死の大海には、智慧を軽舟と為し、 無明の大闇冥には、智慧を明灯と為し、 諸の纏結の垢病には、智慧を良薬と為し、 煩悩の蕀刺の林には、智慧を利斧と為し、 癡愛の駃(はや)き水流には、智慧を橋梁と為す、 この故にまさに勤習し、聞き思い修めて慧を生ずべし、 三種の慧を成就すれば、盲といえども慧眼通ず。 慧無くんば心虚偽たり、これ則ち出家に非ず、 この故にまさに覚知して、諸の虚偽の法を離れ、 微妙の楽と、寂静にして安穏なる処を逮得すべし。 |
『智慧は、 『一切は皆無常なり』と、真実を明るく照して、 感受する苦楽を遠く離れ、 等観は、 『我は無く、彼も無い』と、心の内を考察して、 随順(逆らわずに従う)すれば、正法に趣く。 在家も出家も、 この智慧と等観の道を行け! 生老死の大海には、智慧の軽舟に乗り、 無明の大暗闇には、智慧の明灯で照らし、 諸の纏結(てんけつ、纏い付くもの)の病には、智慧を良薬として除き、 煩悩の棘の林には、智慧を利斧として断ちきり、 癡愛(ちあい、愚癡と愛著)の速い水流には、智慧の橋をかけて渡る。 この故に、 努めて習い、 法を聞いて智慧を生じ、 道理を思って智慧を生じ、 修行して智慧を生じよ! この 三種の智慧を成就すれば、 眼が無くとも、智慧の眼が通じる。 もし、 智慧が無く、 心に虚偽があれば、 それは、 出家ではない。 この故に、 真実を覚って知り、 諸の虚偽を離れ、 微妙な楽と、寂静にして安穏の処を追い求めよ!
注:智慧(ちえ):『われ』と『わがもの』とを遠離する智慧。 注:摂受(しょうじゅ):受(じゅ)。外境に接して苦楽の感覚を受納すること。 注:等観(とうかん):一切を等しく観ること。彼我、彼此の区別を観ないこと。 注:思惟(しゆい):思量し分別すること。深く考えること。 注:随順(ずいじゅん):心が逆らわずに随うこと。 注:軽舟(きょうしゅう):船足の軽い船。 注:無明(むみょう):生得の愚かさ。 注:闇冥(あんみょう):暗闇。 注:明灯(みょうとう):明るい灯。 注:纏結(てんけつ):人に纏い付いて苦に結びつけるもの。纏も結も煩悩の異名。 注:良薬(ろうやく):良い薬。 注:煩悩(ぼんのう):人を煩わせ悩ますもの。 注:蕀刺(きょくし):とげ。 注:利斧(りふ):するどい斧。 注:癡愛(ちあい):正法を知らない愚かさと五欲に愛著すること。愚癡と貪欲。 注:水流(すいる):水の流れ。川。 注:橋梁(きょうりょう):橋。 注:勤習(ごんじゅう):努力して繰り返し習う。 注:三種慧(さんしゅえ):三慧。 (1)聞慧(もんえ):経の教を聞いて生じる智慧。 (2)思慧(しえ):道理を思惟して生じる智慧。 (3)修慧(しゅえ):前二慧に縁ぜられ禅定等を修めて生じる智慧と、その智慧による断惑証理の働き。 注:慧眼(えげん):諸法(万物)は皆空であるとの真理を照らし見る智慧の眼。 注:虚偽(こぎ):嘘といつわり。 注:覚知(かくち):睡りから目が覚めたように、はっきりと知ること。 注:微妙(みみょう):微にして見えがたいが素晴らしい。 注:逮得(たいとく):追求していたものを得る。 |
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遵崇不放逸 放逸為善怨 若人不放逸 得生帝釋處 縱心放逸者 則墮阿修羅 安慰慈悲業 所應我已畢 汝等當精勤 善自修其業 山林空閑處 搨キ寂靜心 當自勤勸勉 勿令後悔恨 猶如世良醫 應病說方藥 抱病而不服 是非良醫過 |
『遵崇して放逸ならざれ、放逸は善の怨(うらみ)と為す、 もし人にして放逸ならずんば、帝釈の処に生ずるを得、 心を縦(ほしいまま)にして放逸なれば、則ち阿修羅に堕ち、 安慰する慈悲の業は、応ずる所を我はすでにおわれり。 汝等まさに精勤して、善く自らその業を修め、 山林の空閑処において、寂静の心を増長すべし。 まさに自ら勤(つと)めて勧勉し、後に悔恨せしむること勿かれ、 なお世の良医の如く、病に応じて方薬を説くべし、 病を抱えて服まざるは、これ良医の過(とが)に非ず。 |
『戒を守って、 心を、放逸にさせるな! 放逸は、善の敵である。 人は、 放逸でなければ、帝釈天の処に生まれるが、 放逸であれば、阿修羅の処に堕ちる。 慈悲心を起して、 人を安慰してきたが、 わたしの役目はすでに終った。 お前たちは、 精進して怠らず、 善く自ら、その慈悲の業を修めよ! 山林の空閑処(くうげんじょ、静かな処)で、寂静の心を養い、 自ら勉め励んで、後に悔恨を残すな! まさに、 良医が、病に応じた処方と薬を施すように、 時と人に応じて、法を説け! しかし、 病を抱えながら、薬を服まないのは、 良医の、過ではない。
注:遵崇(じゅんすう):終わりまで従い守ること。 注:帝釈(たいしゃく):仏教の守護神。 注:阿修羅(あしゅら):仏教の法敵。 注:安慰(あんに):安心させて慰める。 注:精勤(しょうごん):休まず勤めて怠らない。 注:山林(せんりん):山の中の林。 注:空閑処(くうげんじょ):人里離れた静かな処。 注:増長(ぞうちょう):増々長じさせる。 注:勧勉(かんめん):勉めはげます。 注:悔恨(けこん):悔やんで自らを恨むこと。 注:方薬(ほうやく):処方と薬。 |
最後の遺誡と涅槃
我已說真實 顯示平等路 聞而不奉用 此非說者咎 於四真諦義 有所不了者 汝今悉應問 勿復隱所懷 世尊哀愍教 眾會默然住 |
『われすでに真実を説き、平等の路を顕示せり、 聞きて奉用せざるは、これ説く者の咎(とが)に非ず。 四真諦の義に於いて、了(りょう)せざる所有らば、 汝今悉く問いに応ぜん、また懐う所を隠すこと勿かれ。』 世尊は哀愍して教え、衆会は黙然として住る。 |
『わたしは、すでに 真実を説き、 平等の道を明らかに示した。 これを、 聞きながら、用いないのは、 説く者の過ではない。 四つの真実について、 一は苦諦(くたい)、世間に、生死するは苦である。 二は集諦(じったい)、貪瞋癡の煩悩と善悪の、諸業が苦を集める。 三は滅諦(めったい)、涅槃滅惑の、業が苦を離れる。 四は道諦(どうたい)、涅槃に至る、道は八正道である。 これについて、 意味が明了でない者は、今すぐにそれを問え! 心に思うことを、もう隠していてはならない!』 世尊は、 哀れみの心で、こう教えたが、 ここに集まった者たちは、 皆、黙ったままでいて、 誰も、動こうとしない。
注:平等(びょうどう):一切に偏らない。彼此、我彼の差別がないこと。空。 注:顕示(けんじ):明らかに示す。 注:四真諦(ししんたい):四諦。 (1)苦諦(くたい):世間に生死するは苦である。 (2)集諦(じったい):貪瞋癡の煩悩、善悪の諸業が苦を集起する。 (3)滅諦(めったい):涅槃滅惑の業が苦を離れる。 (4)道諦(どうたい):涅槃に至る道は、八正道である。 注:了(りょう):明了。 注:哀愍(あいみん):哀れむ。 注:衆会(しゅえ):会に集まった人。 |
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時阿那律陀 觀察諸大眾 默然無所疑 合掌而白佛 月溫日光冷 風靜地性動 如是四種惑 世間悉已無 苦集滅道諦 真實未曾違 如世尊所說 眾會悉無疑 唯世尊涅槃 一切悉悲感 不於世尊說 起不究竟想 正使新出家 情未深解者 聞今慇懃教 疑惑悉已除 已度生死海 無欲無所求 今皆生悲戀 歎佛滅何速 |
時に阿那律陀(あなりつだ)、諸の大衆を観察するに、 黙然として疑う所の無ければ、合掌して仏に白さく、 『月の温かく日光の冷たく、風の静かにして地の性は動なる、 かくの如き四種の惑(まどい)は、世間に悉くすでに無し。 苦と集と滅と道諦は、真実にして未だかつて違わず、 世尊と説きたまいし所の如きは、衆会悉く疑無く、 ただ世尊の涅槃したまわんに、一切は悉く悲感するのみにして、 世尊の説に於いて、究竟せざるの想を起すにはあらず。 正(たと)い新なる出家の、情(こころ)未だ深く解けざる者をして、 今の慇懃なる教を聞かしむれば、疑惑は悉くすでに除こらん。 すでに生死の海を度(わた)れる、無欲にして求むる所無きも、 今は皆悲恋を生じて、仏の滅したもうの何に速きかを歎ず。』 |
その時、 阿那律陀(あなりつだ、弟子中の天眼第一)は、 ここに集まった者たちが、皆黙ったままなので、 誰にも、疑が無いと判断して合掌して仏に申した、―― 『月の光が温かかったり、 日の光が冷たかったり、 風の性が静であったり、 地の性が動であったり、 このような事に、 惑わされる者が、 世間には、すでにいないように、 苦諦、集諦、滅諦、道諦という、 決して、間違いようの無い、 仏の、説かれた真実に、 ここに集まった者たちは、 誰一人として、疑を懐いておりません。 ただ、 世尊が涅槃に入られるのを、悲しんではおりますが、 世尊の説を極め尽せないと、思っているのではありません。 たとえ、 新に出家して、心が未だ解けていない者であっても、 今の丁寧な教を聞かせれば、疑惑はたちどころに解消しましょうが、 すでに、 生死の海を度りおえた者も、 欲も無く求める物も無い者も、 皆、『仏の涅槃が何うしてこれほど速いのか』と、 今、悲しんで恋うておるのです。』
注:阿那律陀(あなりつだ):仏の十大弟子の中の天眼第一。 注:大衆(だいしゅ):会に集まった多くの人。 注:観察(かんざつ):観察。 注:悲感(ひかん):悲哀して感動する。 注:究竟(くきょう):究め尽くす。 注:慇懃(おんごん):念入りな。丁寧。 注:悲恋(ひれん):悲しんで恋う。 |
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佛以阿那律 種種憂悲說 復以慈愍心 安慰而告言 正使經劫住 終歸當別離 異體而和合 理自不常俱 自他利已畢 空住何所為 天人應度者 悉已得解脫 |
仏は阿那律の種種に憂悲して説くを以って、 また慈愍の心を以って、安慰して告げて言わく、 『正(たと)い劫を経て住らしむれど、終に帰してまさに別離すべし。 体を異にして和合せるも、理は自ずから常に倶ならず、 自他を利するはすでにおわれるに、空しく住りて何んせんや、 天人のまさに度すべきは、悉くすでに解脱を得たり。 |
仏は、 阿那律が、種種に憂い悲しんで説くのを聞き、 また哀れみの心を起こし、慰めて言った、―― 『たとえ、 世界が何度も生滅を繰り返すほど、生きていたとしても、 別れの時は、必ず来る! 身を異にしながら、 皆で、和やかに心を合わせてきたが、 道理では、とうてい一緒にはいられないのだ! わたしは、 自他ともに利益して、その役目を終えている。 これ以上、空しく過ごして何をせよと言うのか! 天も人も、 生死の大海を度すべき者は、すでに度して、 皆悉く、苦の束縛を解かれている。 |
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汝等諸弟子 展轉維正法 知有必磨滅 勿復生憂悲 當自勤方便 到不別離處 我已燃智燈 照除世闇冥 世皆不牢固 汝等當隨喜 如親遭重病 療治脫苦患 已捨於苦器 逆生死海流 永離眾苦患 是亦應隨喜 |
『汝等諸の弟子よ、展転として正法を維(つな)げ! 必ず磨滅することの有るを知りて、また憂悲を生ずる勿かれ! まさに自ら勤めて方便し、別離せざる処に到れ! われはすでに智の灯を燃やし、照して世の闇冥を除けり、 世は皆牢固ならず、汝等まさに随喜すべし。 親の重き病に遭うに、療治して苦患を脱るるが如し! すでに苦の器を捨てて、生死の海を流に逆らい、 永く衆の苦患を離る、これまたまさに随喜すべし。 |
『お前たち、多くの弟子たちよ! 次々と、絶やすことなく正法を継げ! 肉体は、 必ず、磨滅するものであると知りながら、 憂えて、悲しみを生じてはならない! 自ら、 努力して、考えつくし、 別離の、無い処に趣け! わたしは、 すでに、智慧の灯を燃やして、世間の闇を明るく照らしたが、 世間は、変えられないほど牢固なものではなかった。 お前たちも、いっしょに喜べ! 譬えば、 重い病に侵されていた親が、療治して病の苦しみを逃れたように、 わたしは、 苦の器である、この肉体を捨て去り、 生死の海の、流れに逆らって、 永久に、苦の病から離れようとしているのだ。 お前たちも、いっしょに喜べ!
注:展転(てんでん):次々と。 注:牢固(ろうこ):堅牢。堅固。要塞の堅牢なるが如し。 注:随喜(ずいき):他人の幸福を喜ぶ。 注:療治(りょうぢ):治療。 注:苦患(くげん):苦の病。 |
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汝等善自護 勿生於放逸 有者悉歸滅 我今入涅槃 言語從是斷 此則最後教 入初禪三昧 次第九正受 逆次第正受 還入於初禪 復從初禪起 入於第四禪 出定心無寄 便入於涅槃 |
『汝等善く自ら護り、放逸を生ずる勿かれ! 有る者は悉く滅に帰す、われ今涅槃に入らん。』 言語これより断ゆ。これ則ち最後の教なり。 初禅三昧に入りて、次第に九正受にいたり、 逆に次第して正受より、還って初禅に入る。 また初禅より起ちて、第四禅に入り、 定を出でて心寄するもの無し、便ち涅槃に入れり。 |
『お前たちは、 善く自らを護り、放逸であってはならない! 存在するものは、 悉く、滅しなくてはならない! わたしは、 今、涅槃に入ろう。』 言葉は、 これを以って絶え、 これが最後の教となった。 仏は、 覚観喜楽の有る初禅三昧に入り、やがて、 受と想の絶えた第九正受に入り、逆に、 第九正受より、初禅に還り、また、 初禅を出て、覚観喜楽のすべてを滅した第四禅に入り、 やがて、この定を出ると、心を何処にも寄せず涅槃に入った。
注:言語(ごんご):ことば。 注:初禅(しょぜん):九次第定(四禅、四無色定、滅尽定)の第一。欲望の断えた心のさま。 注:第四禅(だいしぜん):九次第定の第四。色想と覚観喜楽を断やした心のさま。 注:九正受(くしょうじゅ):滅尽定。色受想行識の中の受と想を断やし、一切に感受しない心の状態。 |
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以佛涅槃故 大地普震動 空中普雨火 無薪而自焰 又復從地起 八方俱熾燃 乃至諸天宮 熾燃亦如是 雷霆動天地 霹靂震山川 猶天阿修羅 擊鼓戰鬥聲 狂風四激起 山崩雨灰塵 日月無光暉 清流悉沸涌 堅固林萎悴 華葉非時零 |
仏の涅槃を以っての故に、大地は普く震動し、 空中は普く火を雨ふらし、薪無きも自ら焔あり。 またまた地より起こりて、八方倶に熾燃たりて、 乃ち諸天の宮に至りて、熾燃たるもまたかくの如し。 雷霆は天地を動かし、霹靂は山と川とを震わす、 なお天と阿修羅と、鼓を撃ち戦闘の声のごとし。 狂風は四もに激しく起こり、山は崩れて灰塵を雨ふらし、 日月は光暉を無くし、清流は悉く沸涌し、 堅固なる林は萎悴し、華葉は時に非ざるに零(お)つ。 |
仏の涅槃に応じて、 大地は、世界の隅々まで震動した。 空からは、火の雨がふる。 地上では、薪が無くても自ずから焔があがり、 その焔は、またたくまに八方に燃え広がった。 焔は、やがて天に到達して、 一切の、宮殿を明るく燃やしつくす。 雷と稲妻は、天地を動かし山と川とを震わして、 まるで、帝釈天と阿修羅の戦闘で、 鼓を打ち鳴らし、鬨の声が挙がるようだ。 狂った風は、四方から起こり、 山は崩れて、灰や塵が雨のように降りそそぐ。 日月は、光を隠し、 清流も、悉く沸き返る。 堅固な林は、萎れて見る影もなく、 花も葉も、時でないのに零れ落ちる。
注:熾燃(しねん):盛んに燃える。 注:雷霆(らいぢょう):稲妻。いなびかり。 注:霹靂(ひゃくりゃく):激しい雷鳴。 注:灰塵(けじん):灰とほこり。 注:光暉(こうき):光とかがやき。 注:清流(しょうる):清流。 注:沸涌(ふつゆう):沸き返る。 注:萎悴(いすい):しぼんでしおれたさま。 注:華葉(けよう):華と葉。 |
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飛龍乘K雲 垂五首淚流 四王及眷屬 含悲興供養 淨居天來下 虛空中列侍 觀察無常變 無憂亦無喜 歎世違天師 眼滅一何速 八部諸天神 遍滿虛空中 散華以供養 慼慼心不歡 唯有魔王喜 奏樂以自娛 閻浮提失榮 猶山頹巔崩 大象素牙折 牛王雙角摧 虛空無日月 蓮花遭嚴霜 如來般涅槃 世間悴亦然 |
飛龍は黒雲に乗り、五首を垂らして涙を流し、 四王及び眷属は、悲しみを含んで供養を興す。 淨居天来下して、虚空の中に列侍し、 無常の変を観察するに、憂い無く喜びも無きも、 『世は天師に違い、眼の滅することの一に何んが速き』と歎く。 八部の諸の天神は、虚空中に遍く満ちて、 華を散らし以って供養するも、慼慼として心歓ばず、 ただ魔王の喜びて、奏楽し以って自ら娯むこと有るのみ。 閻浮提は栄(はえ)を失い、なお山頽(くず)れて巓(みね)崩れ、 大象の素(しろ)き牙折れ、牛王の双つの角摧(くだ)け、 虚空には日月無く、蓮花は厳しき霜に遭うがごとく、 如来の般涅槃に、世間の悴(やつ)るるもまた然り。 |
また、 飛龍は、黒雲に乗り五つの首をうなだれて涙を流し、 四天王と、その眷属たちは悲しみを含んだ顔で供養している。 淨居天(色界の第四禅天、何も感じない神々)たちが、 下り降りて、空中に列を作って居並ぶ、 無常による、変事を観ても、 憂いもせず、悲しむことも無い。 ただ、 『世間は、天と人との師を失ってしまった。 智慧の眼の滅することの、ただ何に速いことか!』と嘆じるのみ。 八部の天神たちは、 虚空の中に、満ちあふれ、 花を散らして、供養しているが、 悲しみに顔を曇らし、心は憂いに沈む。 魔王のみが、 喜んで、音楽を奏でて自ら娯しんだ。 世界は、 輝く光を失った。 まるで、 高い山の、峰峰が崩れたように、 大きな象の、白い牙が折れたように、 牛の王の、二本の角が砕けたように、 空に、日月が無くなったように、 蓮花が、厳しい霜にあったように。 仏が、 涅槃に入ると、 世間もまた、このように憔悴した。
注:淨居天(じょうごてん):色界の第四禅天。 注:列侍(れつじ):居並んではべる。 注:天師(てんし):天に教える師。 注:八部(はちぶ):人の形を取らない八部の天。 注:慼慼(しゃくしゃく):悲しみと憂いに沈むさま。 注:奏楽(そうがく):音楽を奏でる。 注:閻浮提(えんぶだい):この世界の名。 注:牛王(ごおう):大きな牛。 |
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