(離車辞別品第二十四)

 

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阿難に法を説いて慰める

離車辭別品第二十四

離車辞別(りしゃじべつ)品第二十四

阿難に法を説いて慰め、離車たちに別れの法を説く

 尊者阿難陀  見地普天動

 心驚身毛豎  問佛何因緣

 佛告阿難陀  我住三月壽

 餘命行悉捨  是故地大動

尊者阿難陀(あなんだ)、地と普天とを見、

心驚き身の毛竪(よだ)ちて、仏に問わく、『何なる因縁ぞや。』

仏阿難陀に告ぐらく、『われ三月寿を住めんも、

 余命の行は悉く捨てぬ。この故に地は大いに動くなり。』

尊者阿難(あなん)は、

   地が動き、天が燃えるのを見た。

   驚いて身の毛を竪(よだ)たせ、

   仏に問うた、――

  『いったい何が起こったのでしょうか?』

仏は阿難に教えた、――

  『わたしは、

      三月の後、残る命を捨てようと思う。

      その為に、この地は動いているのだ。』

 

  :尊者(そんじゃ):長老。

  :阿難陀(あなんだ):阿難(あなん)、本仏の従兄弟であったが後に弟子となり、仏の従者に取り立てられた。十大弟子の中の多聞第一。

  :普天(ふてん):広く行き渡った天。天。

  :行(ぎょう):働き。

 阿難聞佛教  悲感淚交流

 猶如大力象  搖彼栴檀樹

 擾動理迫迮  香汁淚流下

 親重大師尊  恩深未離欲

 惟此四事故  悲苦不自勝

 今我聞世尊  涅槃決定教

 舉體悉萎消  迷方失常音

 所聞法悉忘  荒悸亡天地

阿難は仏の教を聞き、悲しみ感じて涙こもごも流る、

なおし大力の象の、彼の栴檀樹を揺るがすが如く、

擾動するも理は迫迮し、香汁の涙流れ下る、

『親しみ重んずる大師の尊き、恩深くとも未だ欲を離れず、

 ただこの四事の故に、悲苦は自ら勝(た)えず。

 今われ世尊より、涅槃は決定すと教を聞き、

 体を挙げて悉く萎消し、方に迷うて常音を失い、

 聞く所の法は悉く忘れ、荒悸して天地を亡う。

阿難は、

   仏の教を聞いて悲しんだ。

   大恩を思っては感動し、喪失を思っては涙を流す。

   大力の象が、その栴檀の樹を揺るがすように、

   心は乱れ動き、また動かせぬ道理に心を締め付けられる。

   汗も涙も一時に流れ下った、――

  『わたしは、

      仏を、親戚の長として重んじ、

      大師として、尊び仰ぎ見てきた。

   それなのに、

      深い恩を被ったまま、

      未だ欲を離れていない。

   この四つの事を思えば、

      悲しみが生じて、その苦しみには、

      とても堪えられない。

   わたしは、

      今、世尊より、涅槃が決定したと教を聞いた。

   わたしの、

      身体は、しぼんで消え去りそうだ。

      心は、行方に迷い、

      声も、失い、

      仏より聞いた法も、悉く忘れてしまった。

      動悸して目が回り、天と地がひっくり反る。

 

  :擾動(にょうどう):乱れ動く。

  :迫迮(ひゃくしゃく):迫る。

  :親重(しんじゅう):親しみ重んずる。

  :大師(だいし):せんせい。師匠。

  :尊(そん):尊いこと。尊い方。

  :四事(しじ):親戚として親しむ、大師として尊ぶ、恩を深く感ずる、未だ欲を離れないの四事。

  :悲苦(ひく):悲しみの苦。

  :決定(けつじょう):決定。

  :萎消(いしょう):しおれて無くなる。

  :迷方(めいほう):行方に迷う。

  :常音(じょうおん):日頃のことば。声。

  :荒悸(こうき):乱れてわななく。

 怪哉救世主  滅度一可駛

 遭寒水垂死  遇火忽復滅

 於煩惱曠野  迷亂失其方

 忽遇善導師  未度忽復失

 如人涉長漠  熱渴久乏水

 忽遇清涼池  奔趣悉枯竭

 紺睫瞪睛目  明鑒於三世

 智慧照幽冥  昏冥一何速

 猶如旱地苗  雲興仰希雨

 暴風雲速滅  望絕守空田

 無智大闇冥  群生悉迷方

 如來燃慧燈  忽滅莫由出

『怪しきかな救世の主、滅度の一に駛(はや)かるべきや、

 寒水に遭えば死に垂(なんなん)とし、火に遇えば忽ちまた滅ぶ。

 煩悩の曠野に於いて、迷い乱れてその方を失えるに、

 忽ち善き導師に遇うて、未だ度せざるに忽ちまた失う。

 人の長き漠(すなはら)を渉るに、熱と渇きに久しうして水乏しく、

 忽ち清涼の池に遇うて、奔り趣くも悉く枯渇せるが如し。

 紺の睫に瞪睛の目は、明るく三世を鑑みて、

 智慧は幽冥を照せるも、昏冥の一に何ぞ速かなるや。

 なお旱地の苗の、雲興りて雨を仰希するに、

 暴風に雲速かに滅し、望絶えて空しき田を守るが如し。

 無智の大闇冥に、群生悉く方に迷えるに、

 如来は慧の灯を燃やすも、忽ち滅して出づるに由莫(な)し。』

  『分からない!

      世を救う主は、涅槃に入るのが、

      何故これほど、早くなくてはならないのか?

   はたして、

      冷たい水に落ちれば死にそうになり、

      火に焼かれれば消え去る、

      そのような人だったのだろうか?

   わたしは、

      煩悩の曠野にさまよい歩き、

      迷い乱れて行方を失っていた時、

   たまたま、

      この善い導師に遇うことができた。

   それも、

      未だ彼岸に渡らないうちに、

      また失ってしまわなくてはならない。

   人が、

      広い砂漠を歩いていて、

      熱と咽の渇きがあるのに、

      もう永い間、水を飲んでいない。

   その時、

      たまたま清く涼しい池に出会った。

      走り寄って見れば何としたことか、

      池はすっかり枯れてしまっているではないか。

   仏に遇うとは、

      このような事なのだろうか?

   仏は、

      紺青の睫と明るく澄んだ瞳で、明るく三世を見とおし、

      智慧の明かりで薄暗い世間を照らすというのに、

   世間が、

      暗がりに戻る事の、何と速いことだろうか?

   まるで、

      日照りに乾いた地の苗が、

         雲が起こったので雨を待っていると、

         暴風が吹いて雲を散らしてしまい、

         望も絶えて空しく田を守っているようだ。

   無智の大きな暗闇に、

      衆生が、悉く行方を迷っている時、

      仏は、智慧の灯を燃やしたが、

      その火が、突然消えてしまった。

      何うして脱け出せばよいのだろう?』

 

  :滅度(めつど):涅槃に入ること。

  :寒水(かんすい):冷たい水。冷たい川。

  :曠野(こうや):広い荒れ野。

  :漠(ばく):砂漠。

  :清涼(しょうりょう):清く澄んで涼しい。

  :瞪睛(じょうしょう):ぱっちりした瞳。

  :幽冥(ゆうみょう):薄暗がり。

  :昏冥(こんみょう):暗がり。

  :旱地(かんち):日照りで乾燥した地。

  :仰希(ごうき):仰いで願う。

  :闇冥(あんみょう):暗がり。

  :群生(ぐんしょう):群がって生じるもの。衆生。

 佛聞阿難說  酸訴情悲切

 軟語安慰言  為說真實法

 若人知自性  不應處憂悲

 一切諸有為  悉皆磨滅法

 我已為汝說  合會性別離

 恩愛理不常  當捨悲戀心

 有為流動法  生滅不自在

 欲令長存者  終無有是處

仏は阿難の説く、酸(いた)みて訴うる情の悲切なるを聞き、

軟語もて安慰して言わく、『為に真実の法を説かん。

 もし人自らの性を知らば、まさに憂悲に処するべからず、

 一切諸の有為なるは、悉く皆磨滅の法なり。

 われはすでに汝が為に説けり、『合会の性は別離なり』と、

 恩愛は理として常ならず、まさに悲恋の心を捨つべし。

 有為は流動の法なり、生滅は自在ならず、

 長く存らしめんと欲せども、終にこの処(ことわり)の有ること無し。

仏は、

   阿難が悲しんで訴える哀切の思いを聞き、

   優しく慰めて言った、――

  『お前の為に、真実の法を説こう、――

     人は、

         自らの本性を知っていれば、

         そのように悲しむ者はいない。

      一切の、

         因縁によって生じた物(有為法)は、

         皆、磨滅するのである。

      わたしは、

         すでにお前の為に説いた、

         『会うということは、別れることなのだ。』と。

      恩愛(おんない、親愛の情)は、

         常ではなく、移り変る。

         これが、道理なのだ。

      悲しんで、

         恋しく思う心を捨てよ!

      因縁によって生じた物は、

         流れ動いて、生滅すら自在ではない。

         永く世間にあって欲しくとも、

         それは叶わぬ道理なのだ。

 

  :悲切(ひせつ):ひどく悲しい、哀切。

  :軟語(なんご):優しいことば。

  :安慰(あんい):安んじて慰める。

  :憂悲(うひ):憂いと悲しみ。

  :有為(うい):因縁により生ずる事物。

  :法(ほう):事物。

  :合会(ごうえ):会うこと。

  :恩愛(おんない):親しき者の間に生じる愛情。

  :悲恋(ひれん):親しき者を失って、悲しみしたうこと。

  :流動(るどう):流れ動く。

 有為若常存  無有遷變者

 此則為解脫  於何而更求

 汝及餘眾生  今於我何求

 汝等所應得  我以為說竟

 何用我此身  妙法身長存

 我住我寂靜  所要唯在此

 然我於眾生  未曾有所惓

 當修厭離想  善住於自洲

『有為にしてもし常に存らば、遷変する者の有ること無く、

 これ則ち解脱と為す、何に於いてか更に求めん。

 汝及び余の衆生も、今われに於いて何をか求む、

 汝等がまさに得べき所は、われ以って為に説き竟(おわ)れり。

 何んがわがこの身を用いんや、妙法の身は長く存りて、

 われはわが寂静に住る。要する所はただここに在るのみ。

 然れどもわれは衆生に於いて、未だかつて惓む所有らず、

 まさに厭離の想を修め、善く自らの洲(しま)に住るべし。

  『   因縁によって生じた物が、

         もし常に存在しているならば、

         移り変る物など有るはずがない。

         これを知る事が、解脱なのだ。

      この他に、

         更に求めて何になろう。

      お前も、その他の衆生も、

         今わたしに更に何を求める?

      お前たちが、

         得なくてならない法は、

         すでに、わたしによって説かれた。

      何処に、

         この身を用いようというのか?

      素晴らしい法が、

         すでに有るではないか?

      その法の身は、

         永く世間にあって失われることはない。

      わたしが、

         涅槃に入ってしまっても、

      必要な物は、

         ただここに在るのだ。

      しかし、

         わたしは、衆生に法を説いて飽きたことは一度もない。

   更に、もう一度説こう、――

     『身を厭うて、善く自らの洲(しま、川の中州)に住(とどま)れ!

         

 

  :遷変(せんぺん):移り変わる。

  :寂静(じゃくじょう):煩悩を離れ苦患を絶やすこと、涅槃。

  :厭離(えんり):生死する仮の身心を厭い離れること。

 當知自洲者  專精勤方便

 獨靜脩閑居  不從於他信

 當知法洲者  決定明慧燈

 能滅除癡闇  觀察四境界

 逮得於勝法  離我離我所

『まさに知るべし自らの洲とは、専ら精勤し方便して、

 独り静かに閑居を修め、他の信に従わざるなり。

 まさに知るべし法の洲とは、決定せる明慧の灯の、

 よく癡の闇を滅除して、四境界を観察することなり。

 勝法を逮得して、我を離れ我所を離れよ!

     『自らの洲に住るとは、

         勤めて怠ることなく工夫して、

         独り静かな所に住んで人と係わらず、

         他人の信ずるものに従わないことである。

      また法の洲がある、

         堅く信じて疑わない智慧の灯が、

         愚かさの闇を除きさり、

         四つの事柄を観察することである。

      勝れた法を取得して、

         『我在り』と『これは我が物である』との妄信を離れよ!

 

  :精勤(しょうごん):専ら勤めること。

  :方便(ほうべん):手だてを工夫すること。

  :閑居(げんご):独居。他人と係わらないこと。

  :決定(けつじょう):堅く信じて疑わないこと。

  :明慧(みょうえ):明るい智慧。

  :癡闇(ちあん):愚かさの闇。

  :四境界(しきょうがい):身念処、受念処、心念処、法念処の四念処。

  :逮得(たいとく):追い求めて得ること。

  :我(が)我所(がしょ):自身と自分の物。霊魂と自らの身心。『我在り』と『我が物有り』。

  :諦観(たいかん):明白に観察すること。

  注:『自らを洲としてそれに依り、法を洲としてそれに依れ!』(雑阿含経巻第24第六三八経)

 骨竿皮肉塗  血澆以筋纏

 諦觀悉不淨  云何樂此身

 諸受從緣生  猶如水上泡

 生滅無常苦  遠離於樂想

 心識生住滅  新新不暫停

 思惟於寂滅  常想永已乖

『骨の竿に皮肉を塗り、血澆(めぐ)りて筋を以って纏うと、

 諦観すれば悉く不浄なり、云何がこの身を楽しまん。

 諸受は縁により生じて、なお水の上の泡の如く、

 生滅無常は苦であり、楽想を遠離せよ!

 心識の生住滅は、新に新にして暫くも停らず、

 寂滅に於いて思惟すると、常想とは永くすでに乖(そむ)けり。

     『四つの事柄を観察するとは、

      (一、身念処)

         身とは、

             骨に皮と肉を塗り、血が流れて筋を纏ったものに過ぎず、

             不浄である。』と看破せよ!

         そうすれば、

            身を楽しんでなどいられないのだから。

      (二、受念処)

         受ける所の苦楽等の感覚は、

            縁によって生じ、

            水の上の泡のようなものである。

         生滅し無常のものは、

            苦である。その故に、

            楽であるという思いを遠ざけよ!

      (三、心念処)

         心の働きは、

            生じ住り滅して常に新しく、暫くの間も停らない。

         心の動きを止め、

            涅槃に入って、深く考えることと、

            心が常であって、変らないということとは、

            まったく別物である。

 

  :諸受(しょじゅ):楽想、苦想等の感覚。

  :心識(しんしき):心の動き。

  :生住滅(しょうじゅうめつ):事物が生じ、住り、滅すること。

  :寂滅(じゃくめつ):一切の心識を滅する。涅槃。

  :常想(じょうそう):一切は変らないと思う妄見。人の霊魂は常に存在すると思うこと。

 眾行因緣起  聚散不常俱

 愚癡生我想  慧者無我所

 於此四境界  思惟正觀察

 此則一乘道  眾苦悉皆滅

 若能住於此  真實正觀者

 佛身之存亡  此法常無盡

『衆行は因縁により起こり、聚散して常に倶ならず、

 愚癡は我想を生じ、慧者に我所無し。

 この四境界に於いて、思惟し正しく観察せよ!

 これ則ち一乗の道なり、衆苦は悉く皆滅せん。

 もしよくここに住すれば、真実の正観者なり、

 仏身の存亡にも、この法は常に尽くること無けん。』

     『(四、法念処)

         多くの身心の行為は、

           皆、因縁によって起こる。

         多くのものが、

           或いは集まり、或いはばらばらになるのであって、

           常に、いっしょであるのではない。

         愚かな者は、

           『われ在り』と思っているが、

         智慧のある者は、

           『これは我が物である』とは思わないのである。

      これが、

         四つの事柄である、これを善く考え正しく観察せよ!

      これは、

         涅槃に至る、ただ一つの乗り物であり、ただ一つの道である。

      これに、

         乗ってこの道を行けば、多くの苦は皆悉く滅するだろう。

      もし、

         常に、これを観察して怠らなければ、

         それは、真実の正しい観察者である。

      仏の身は、

         存亡するが、

      この法は、

         常に在って、尽きることがない。』

 

  :衆行(しゅぎょう):善悪の行い。一切の因縁によって起こる事物。有為。

  :聚散(じゅさん):集まることと散ずること。

  :愚癡(ぐち):道理を知らない愚かさ。

  :我想(がそう):自らの身心が存在すると思う妄見。

  :一乗(いちじょう):四頭の馬をつけた車一台。くるま。

  :衆苦(しゅく):多くの苦。

  :正観(しょうかん):正しく観察する。

 

 

 

 

諸の離車に最後の法を説き、離車は悲しみにくれる

 佛說此妙法  安慰阿難時

 諸離車聞之  惶怖咸來集

 悉捨俗威儀  驅馳至佛所

 禮畢一面坐  欲問不能宣

 佛已知其心  逆為方便說

 我今觀察汝  心有異常想

 放捨俗緣務  唯念法為情

 汝今欲從我  所聞所知者

 於我存亡際  慎莫生憂悲

仏この妙法を説きて、阿難を安慰せる時、

諸の離車もこれを聞き、惶怖して咸(みな)来集せり。

悉く俗の威儀を捨て、駆馳して仏の所に至り、

礼しおわりて一面に坐し、問わんと欲して宣ぶること能わず。

仏すでにその心を知り、逆に為に方便して説かく、

『われ今汝を観察するに、心に異常の想有り。

 俗縁の務めを放捨して、ただ法を念じて情(まこと)と為せ!

 汝今われに従うて、聞く所知る所を欲せば、

 わが存亡の際に於いて、慎んで憂悲を生ずる莫かれ!

仏が、

   この妙法を説いて、阿難を慰めていた時、

諸の離車たちも、

   仏が涅槃に入ると聞き、

   皆、怖れおののいて、仏の所に集まってきた。

   悉く、俗世間の飾りを捨て、馬に鞭打って仏の所にきた。

   礼をして壁の一面に退いて坐り、

   仏に訊ねようとするが、胸が迫って声にならない。

仏は、

   離車たちの、心を知っているが、

   逆に、この状況にちなんでこう説いた、――

  『わたしの観る所、

      あなた方は、普段と心の在りようが異っている。

   世俗の縁による、

      務めを放棄し、ただ法を聞くことのみに心を用いよ!

   あなた方は、

      今わたしより、法を聞いてそれを知ろうと思うなら、

      わたしの命の間際に於いて、騒がしく憂いたり悲しんだりしてはならない!

 

  :惶怖(おうふ):おそれおののく。

  :来集(らいしゅう):来て集まる。

  :威儀(いぎ):威厳を保つ飾り。

  :駆馳(くち):馬を速く走らせる。

  :放捨(ほうしゃ):放り捨てる。

 無常有為性  躁動變易法

 不堅非利益  無有久住相

 古昔諸仙王  婆私吒仙等

 曼陀轉輪王  其比亦眾多

 如是諸先勝  力如自在天

 悉已久磨滅  無一存於今

 日月天帝釋  其數亦甚眾

 悉皆歸磨滅  無有長存者

『無常なる有為の性とは、躁動し変易する法なり、

 堅からずして利益するに非ず、久住の相の有ること無し。

 古昔(いにしえ)の諸の仙王、婆私咤(ばした)仙等、

 曼陀(まんだ)転輪王と、その比(たぐい)もまた衆多なり。

 かくの如き諸の先勝、力は自在天の如くなれど、

 悉くすでに久しく磨滅して、一として今に存るもの無し。

 日月天帝釈(てんたいしゃく)、その数もまた甚だ衆(おお)く、

 悉く皆磨滅に帰して、長く存る者の有ること無し。

  『身とは、

      無常であり、因縁によって生ずる物に他ならず、

      騒がしく動きまわって、移り変る物であり、

      堅固でもなく、利益するものでもなく、

      永久に、世に存るような所は何処にも無い。

   昔の、

      仙人の、婆私咤仙(ばしたせん)たちや、

      曼陀転輪王(まんだてんりんのう)たち、

      勝れた者のたぐいは、甚だ多く、

      その勝れた者たちの力は、自在天のようであったが、

      悉く磨滅してすでに久しく、一人として今に残る者は無い。

   日月や、

      帝釈天など、その数も甚だ多いのであるが、

      皆、悉く磨滅しなくてはならず、永く世にある者などいるはずが無い。

 

  :躁動(そうどう):騒がしく動きまわる。

  :変易(へんやく):変化する。

  :利益(りやく):ためになること。

  :久住(くじゅう):永久に変らない。

  :古昔(こしゃく):いにしえ。

  :婆私咤(ばした):仙人の名。

  :曼陀(まんだ):転輪王の名。

  :転輪王(てんりんのう):四大洲の王。

  :衆多(しゅた):多い。

  :先勝(せんしょう):先の勝れた者。

  :自在天(じざいてん):三千大千世界の主。

  :天帝釈(てんたいしゃく):須弥山の頂上に在る三十三天の主。帝釈天。

 過去世諸佛  數如恒邊沙

 智慧照世間  悉皆如燈滅

 未來世諸佛  將滅亦復然

 我今豈獨異  當入於涅槃

『過去世の諸仏の、数は恒辺の沙(すな)の如く、

 智慧は世間を照すとも、悉く皆灯の滅するが如し。

 未来世の諸仏の、まさに滅せんとするもまたまた然り、

 われ今あに独り異らんや、まさに涅槃に入るべし。

  『過去世の仏たちも、

      その数は恒河(ごうが、ガンジス河)の辺の沙ほどもいて、

      その智慧の灯は、世間を明るく照していたが、

      皆悉く、灯のように滅してしまった。

   未来世の仏たちが、

      滅することも、まったく同じなのである。

   わたしだけは、

      これ等と異っていられるのだろうか?

      当然、涅槃に入らなくてはならないのである。

 

  :恒辺(ごうへん):恒河(ごうが、ガンジス河)の辺。

 彼有應度者  今宜進前行

 毘舍離快樂  汝等且自安

 世間無依怙  三界不足歡

 當止憂悲苦  而生離欲心

 決斷長別已  而遊於北方

 靡靡涉長路  如日傍西山

『彼にもまさに度すべき者有り、今は宜しく前に進みて行くべし、

 毘舎離(びしゃり)は快楽なり、汝等しばらく自ら安んぜよ。

 世間には依怙無く、三界は歓ぶに足らず、

 まさに憂悲の苦を止めて、欲を離るる心を生ずべし。』

長き別れを決断しおわりて、北方に遊ぶ、

靡靡として長路を渉ること、日の西山に傍(ちかづ)くが如し。

  『さて、

      行く手にも法を説くべき者が待っている。

   今は、

      前に進んで行く時にふさわしい。

   毘舎離(びしゃり)は、

      快く楽しい。

   あなた方は、

      自ら、心を安んじられるのがよかろう。

   世間は、

      頼むべき者でなく、

   三界は、また

      歓ぶに足りない。』

仏は、

   訣別の永い別れを告げおえて、北の方に路をたどる。

   長い路をゆっくりと歩きながら、日が西の山の上にゆっくり近づくように。

 

  :彼(かしこ):あそこ。

  :毘舎離(びしゃり):鞞舎離(びしゃり)と同じ。

  :快楽(けらく):快く楽しい。

  :依怙(えこ):頼りとなるもの。

  :三界(さんがい):欲界、色界、無色界。世間。

  :決断(けつだん):きっぱりと決める。

  :靡靡(みみ):ゆっくり行くさま。

 爾時諸離車  悲吟逐路隨

 仰天而哀歎  嗚呼何怪哉

 形如真金山  眾相具莊嚴

 不久將崩壞  無常何無慈

 生死久虛渴  如來智慧母

 而今頓放捨  無救苦奈何

その時、諸の離車は、悲吟し路を逐うて随い、

天を仰ぎて哀歎すらく、『ああ、何に怪しきかな。

 形は真金山の如く、衆相具えて荘厳せるに、

 久しからずしてまさに崩壊せんとす、無常何ぞ慈の無きかな。

 生死に久しく虚渇せる、如来は智慧の母なるに、

 今は頓に放捨す、救うものの無き苦を奈何(いかん)せん。

その時、

   離車たちは、

      悲しみにうめきながら、路をたどって進み、

      天を仰いでこう歎いた、――

     『ああ、何と思いがけないことだろう!

      仏は、

         純金の山のような肉体に、三十二相を残らず具えている。

      それなのに、近く、

         その山が、崩れ落ちてしまうとは!

         無常であるとは、こうも無慈悲なことなのか!

      衆生は、

         生死の海にさまよって、永らく渇望していた仏なのに、

         あの智慧の母は、今またとつぜん見捨てようとしている!

         苦を救う者は誰もいない、いったい何うすればよいのだろう!

 

  :悲吟(ひごん):悲しんでうめく。悲しんで歌う。

  :哀歎(あいたん):悲しんで言う。

  :真金山(しんこんせん):純金の山。

  :衆相(しゅそう):仏の具える三十二相。

  :崩壊(ほうえ):崩れ壊れる。

  :虚渇(こかつ):水を飲んでも治まらない咽の渇き。

 眾生久闇冥  假明慧以行

 如何智慧日  忽然而潛光

 無智為迅流  漂浪諸眾生

 如何法橋梁  一旦忽然摧

 慈悲大醫王  無上智良藥

 療治眾生苦  如何忽遠逝

『衆生は久しく闇冥にあり、明慧を仮り以って行かんとするに、

 如何んが智慧の日の、忽然として光を潜むる。

 無智は迅流と為りて、諸の衆生を漂浪す、

 如何が法の橋梁、一旦忽然として摧く。

 慈悲の大医王、無上智の良薬もて、

 衆生の苦を療治せるに、如何が忽ち遠く逝ける。

     『衆生は、

         真っ暗な中に永くいて、やっと智慧の明かりを仮りて行こうとするのに、

         智慧の日は、なぜとつぜん光を隠してしまうのだろう!

      衆生は、

         無智の川の速い流れの中に漂っている。

         やっと法の橋がかかったと思えば、たちまち砕けてしまった!

      仏の慈悲は、

         医者の王であるかのように、無上の智慧の良薬で、

         衆生の苦を治療しようとしていたのに、

         なぜとつぜん遠くに行ってしまうのか!

 

  :忽然(こつねん):たちまち、不意に。突然。

  :迅流(じんる):速い流れ。

  :漂浪(ひょうろう):漂わせる。

  :一旦(いったん):短い時間のたとえ。一朝。

  :良薬(ろうやく):良薬。

 慈悲妙天幢  智慧以莊嚴

 金剛心絞絡  世間觀無厭

 祠祀嚴勝幢  云何一旦崩

 眾生何薄福  輪迴生盡流

 解脫門忽閉  長苦無出期

 如來善安慰  割情而長辭

 制心忍悲戀  如萎迦尼花

 徘徊而遲遲  悵怏隨路行

 如人喪其親  葬畢長訣還

『慈悲の妙天幢は、智慧を以って荘厳し、

 金剛心に絞絡し、世間は観るに厭くこと無し。

 祠祀に厳(かざ)れる勝幢は、云何が一旦にして崩るる、

 衆生は何んが福の薄き、輪廻に生じて尽く流る。

 解脱の門は忽ち閉じ、長苦にも出づる期(ご)無し、

 如来は善く安慰すれど、割情して長く辞す。』

心を制し悲恋を忍び、萎るる迦尼花(かにけ)の如く、

徘徊し遅々として、悵怏し路に随うて行くこと、

人のその親を喪いて、葬りおわり長く訣(わか)れて還るが如し。

     『仏は、

         慈悲の美しい天の幢(どう、旗)に、

         智慧の飾りを飾りつけ

         金剛(最も堅固な物質)の心に纏いつかせる。

      世間は、

         それを観て飽きる事が無かった。

      その、

         神の宮に飾られた美しい幢は、

         なぜとつぜん崩れてしまったのか?

      衆生とは、

         何と福の薄いものだろう、

         輪廻の河の中に生まれて流されるがままであるとは!

         輪廻を脱れようとしても、その門はとつぜん閉じてしまった、

         長い苦しみを脱れる時は、はたして来るのだろうか!』

離車たちは、

   心を制して悲しみに堪えた、萎れた迦尼(かに)の花のように。

   徘徊して遅々として進まず、怨を飲んで路をたどる、

   人が親を喪って遺骸を葬り、長い別れをして家に還るように。

 

  :妙天幢(みょうてんどう):天を装飾する美しい旗。

  :金剛心(こんごうしん):変易し後退することの無い不変不壊の心。

  :絞絡(きょうらく):からみつく。

  :祠祀(しし):神社。

  :勝幢(しょうどう):美しい旗。

  :期(ご):時。

  :割情(かつじょう):愛する心を断ち切る。割愛。残念。

  :迦尼花(かにけ):心をかき立てる恋の花。魔女が仏を誘惑した時に持っていた花という。

  :徘徊(はいかい):さまよう。

  :悵怏(ちょうおう):うらみに思う。

 

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