(父子相見品第十九)

 

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父子相い見える

父子相見品第十九

父子相見(ぶしそうけん)品第十九

父浄飯王に相い見えて化導する。

 佛於摩竭國  化種種異道

 悉從一味法  如日映眾星

 出彼五山城  與千弟子俱

 前後眷屬從  往詣尼金山

 近伽維羅衛  而生報恩心

 當修法供養  以奉於父王

仏は摩竭(まかつ)国に於いて、種種の異道を化(け)し、

悉く一味の法に従うこと、日の衆星に映(かがや)くが如し。

彼の五山城を出でて、千の弟子と倶(とも)に、

前後に眷属従い、往きて尼金山(にこんせん)に詣(いた)る。

伽維羅衛(かいらえ)に近づくに、報恩の心生ぜり、

『まさに法の供養を修めて、以って父王に奉るべし。』

仏は、

   摩竭(まかつ)国の王舎城で、

   さまざまな異教を奉じる外道たちを導いた。

外道たちは、

   甘露のような法の日に照らされて、

   すっかりかすんでしまった。

仏は、

   周囲を五山に囲まれた、

   堅強の都、王舎城を出て、

   生れ故郷の伽維羅衛(かいらえ)をめざす、

   前後に

      千の弟子と多くの従者とを従えて。

   朝日に耀く、

      尼金山(にこんせん、ヒマラヤ)の峰峰が見えてくると、

      報恩の心が生じた。

  『父王には、法の供養を奉ることにしよう!』

 

  :摩竭国(まかつこく):摩伽陀国(まかだこく)、瓶沙(びんしゃ)王の治める国、王都は王舎城。

  :異道(いどう):外道。

  :化(け):化導。導いて悪から善に変化する。

  :一味の法:如来の教法は譬えば甘味の如し。教法の理趣は唯一無二なるが故に一味という。

  :五山城(ごせんじょう):王舎城、周囲を五山に囲まれ外敵に堅固なるをいう。

  :眷属(けんぞく):精舎に奉仕する俗人。

  :尼金山(にこんせん):ヒマラヤの何れかの峰。詳細は不明。

  :伽維羅衛(かいらえ):『生品第一』では迦毘羅衛(かびらえ)。父王の治める国。

  :供養(くよう):仏法僧に香華灯明飲食衣服資材等の物を捧げること。

 王師及大臣  先遣伺候人

 常尋從左右  瞻察其進止

 知佛欲還國  驅馳而先白

 太子遠遊學  願滿今來還

 王聞大歡喜  嚴駕即出迎

 舉國諸士庶  悉皆從王行

 漸近遙見佛  光相倍昔容

 處於大眾中  猶如梵天王

王師、及び大臣は、先に伺候人を遣わし、

常に尋ねて左右に従い、その進止を瞻察せしむ。

仏の国に還らんと欲するを知りて、駆馳し先じて白(もう)さく、

『太子、遠く遊学したまえるに、願満じて今来たりて還りたもう。』

王聞いて大いに歓喜し、駕を厳(かざ)らしめて即ち出で迎えんとし、

国の諸の士庶を挙げて、悉く皆王に従いて行けり。

漸く近づいて遥かに仏を見るに、光相は昔の容(かたち)に倍して、

大衆の中に処(あ)り、なお梵天王の如し。

王師および大臣は、

   先に人を遣わして、

   仏の行動を逐一左右から偵察させていた。

偵察人は、

   仏が故国に帰ろうとするのを察知し、

   先んじて国に還ると、こう申した、――

  『太子は、

      遠国にての遊学より、

      今、満願なされて帰って来られます。』

王は、

   これを聞くと、

   乗り物を命じて飾り付けさせ、

   喜んで出迎えようとした。

国を挙げて、

   役人や庶民が、悉く王に従う。

ようやく、

   近づいてきた。

   遥か遠くに仏が見える。

身からでる光は、

   昔に倍して耀き、

   大勢に取囲まれたようすは、

   まるで梵天王のようだ。

 

  :王師(おうし):宮廷の導師。

  :伺候人(しこうにん):偵察する人。

  :瞻察(せんさつ):遠くから偵察する。

  :進止(しんし):行動。

  :駆馳(くち):馬や馬車を速く走らせる。

  :駕(が):天子の乗り物。

  :士庶(ししょ):士は身分の低い役人、庶は庶民。

  :光相(こうそう):光かがやくようす。

 下車而徐進  恐為法留難

 瞻顏內欣踊  口莫知所言

 顧貪居俗累  子超然登仙

 雖子居道尊  未知稱何名

 自惟久思渴  今日無由宣

 子今默然坐  安隱不改容

 久別無感情  令我心獨悲

 如人久虛渴  路逢清冷泉

 奔馳而欲飲  臨泉忽枯渴

車を下りて徐(おもむろ)に進み、法に留難せられんことを恐れて、

顔を瞻(み)るに内に欣び踊りて、口に言う所を知ること莫し。

『顧みれば俗累に居るを貪れるに、子は超然として仙に登れり、

 子は道に居りて尊しといえども、未だ知らず何なる名をば称せん。

 自ら惟(おも)い久しく思うて渇すれど、今日宣ぶるに由(よし)無く、

 子は今黙然として坐し、安穏にして容(かたち)を改めず。

 久しく別れて感情無からんや、わが心をして独り悲しましむ。

 人の久しく虚渇せんに、路にて清冷の泉に逢い、

 奔馳して飲まんと欲するに、泉に臨んで忽ち枯渇するが如し。

王は、

   車を下りると、

   自ら、ゆっくり進んだ。

  『王が太子を迎えるのに、

      自ら、歩いて進むのは不自然ではないだろうか?

      ここで、じっと待った方がよいだろうか?』

しかし、

   そんな場合ではなかった、

   子の顔を見るだけで、歓びが満ちあふれ、

   心が躍り上がって、口に言葉が出てこない。

  『自らを顧みれば、俗事に煩わされて欲を貪っているのに、

   子のようすは何うだ!超然としていて、

   まるで、天に上った仙人のようではないか!

   いったい、この子を何と呼べばよいのだろう?

   何うやら道を得たようで、尊く見えるが。

   何を言えばよいのだろう?せめて一言なりと、

   ああ、何も考えられない!舌が上あごにくっついたようだ。

   子は黙然として坐っている!この落ち着いたようすは何うだ!

   長らく留守にして、親子が久しぶりに、

   対面したというのに、形を改めようともしない!

   久しく別れていたあいだに、感情が無くなってしまったのか!

   わたしだけを、こんなに悲しませて!

   まるで久しく咽の渇いた人が、路に清冷な泉に逢い、

   駆け寄って飲もうとすれば、たちまち泉が枯れてしまったようではないか!

 

  :留難(るなん):邪魔。

  :俗累(ぞくるい):俗事の煩わしさ。

  :虚渇(こかつ):からからに渇く。

  :奔馳(ほんち):奔走。

  :枯渇(こかつ):涸れ尽きる。

 今我見其子  猶是本光顏

 心疏氣高絕  都無蔭流心

 抑情虛望斷  如渴對枯泉

 未見繁想馳  對目則無歡

 如人念離親  忽見畫形像

 應王四天下  猶若曼陀王

『今われその子を見るに、なおこれ本の光顔なり、

 心疎んじて気は高絶し、都(すべ)て蔭流の心無し。

 情を抑えん、虚しき望断ぜり、渇いて枯泉に対するが如し、

 未だ見ざるには繁き想い馳せ、対目すれば則ち歓び無し。

 人の離れたる親を念ずるに、忽ち画ける形像を見るが如きは、

 まさに四天下に王たるべし、なお曼陀(まんだ)王の若くに。

  『今よくわが子を見てみれば、光かがやく顔は昔のままだが、

   心は遠く離れてしまった!何処にも安らぎが見いだせない。

   情を抑えなくてはならない!無駄な望に託すのはよそう。

   咽が渇いていても、枯れた泉に対するようにしよう!

   未だ見ないうちは、いろいろな思いを馳せめぐらしていたが、

   いざ対面してみると、まったく喜びが無い。

   人は親から離れたときには、親の似姿を画いてまでも、

   見たいと思うものではないのか?

   そのような人ならば四天下に王たることができよう!

   あの伝説の曼陀(まんだ)王のように。

 

  :光顔(こうげん):光かがやく顔。

  :高絶(こうぜつ):高く離れる。

  :蔭流(おんる):木陰と小川。恩恵。

  :疏(そ):疎。

  :曼陀王(まんだおう):伝説上の王。

 汝今行乞食  斯道何足榮

 安靜如須彌  光相如日明

 庠行牛王步  無畏師子吼

 不受四天封  乞求而養身

『汝は今行きて乞食す、この道は何んが栄とするに足らんや。

 安静なること須弥(しゅみ)の若く、光相は日明の如し、

 庠行して牛王のごとく歩み、畏れ無き師子のごとくに吼ゆれど、

 四天に封を受けずして、乞い求めて身を養う。』

王は、ようやく口にだした、――

  『お前は

      今歩きながら食(じき)を乞うているようだが、

   いったいその道に、

      何のような栄誉が有るというのだ!

   お前は、

      須弥山のように、静かに安らぎ、

      日のように、光かがやいて見え、

      牛王のように、おとなしく歩き、

      師子が吼えるように、畏れが無いように見えるが、

      天下に領土を持とうともせず、

      食を乞い求めて身を養っておるではないか!』

 

  :安静(あんじょう):安らいで静か。

  :須弥(しゅみ):須弥山。世界の中心に在り、四天王天など下級の天が有る。

  :庠行(しょうぎょう):おとなしく歩く。庠(しょう)は学校。学校に存るとき子供はおとなしい。

  :牛王(ごおう):牛の王。特に大きな牛。

  :不受四天封:四天下に封(領土)を受けず。

 佛知父王心  猶存於子想

 為開其心故  并哀一切眾

 神足昇虛空  兩手捧日月

 遊行於空中  種種作異變

 或分身無量  還復合為一

 或入水如地  或入地如水

 石壁不礙身  左右出水火

 父王大歡喜  父子情悉除

仏は父王の心に、なお子想の存するを知り、

その心を開かんが為の故に、并びに一切の衆を哀れんで、

神足にて虚空に昇り、両手に日月を捧げて、

空中を遊行し、種種に異変を作せり。

或は身を無量に分ち、還ってまた合わせて一と為し、

或は水に入ること地の如く、或は地に入ること水の如く、

石の壁も身を礙(さまた)げず、左右に水火を出すに、

父王は大いに歓喜して、父子の情は悉く除こる。

仏は、

   父王の心を知った、――

  『まだ、わたしを子だと思っているのか!』

   父王の心を開くために、并びに、

   一切の衆生の心を開くために、

      神通力を顕さなくてはならない!

   或は、虚空に昇って、日月を両手に捧げてみせ、

   或は、空中を遊び歩きながら、種種に変身してみせ、

   或は、身を無量の分身に分けてみせ、

   或は、また一つに合わせてみせ、

   或は、水に入っても地のように沈まず、

   或は、地の上に立って水のように沈んでみせ、

   或は、石の壁をするりと通り抜け、

   或は、左右に水や火を出してみせた。

父王は、

   大いに歓喜した。

   ついに、

      父子の情は、悉く除かれたのである。

 

  :子想(しそう):わが子だという想い。

  :神足(じんそく):神通力。

  :異変(いへん):天変地異。

 空中蓮花座  而為王說法

 知王心慈念  為子摎J悲

 纏綿愛念子  宜應速除滅

 息愛靜其心  受我子養法

 人子所未奉  今以奉父王

 父未從子得  今從子得之

 人王之奇特  天王亦希有

 勝妙甘露道  今以奉大王

空中の蓮花座にて、王の為に説法すらく、

『王が心を知るに慈念は、子の為に憂悲を増し、

 纏綿として子を愛念す、宜しくまさに速かに除滅すべし。

 愛を息(や)めてその心を静め、わが子養の法を受けよ!

 人の子の未だ奉らざる所、今以って父王に奉らん。

 父の未だ子従り得ざるを、今子に従りてこれを得よ!

 人王の奇特なることは、天王もまた希有なり、

 勝妙なる甘露の道を、今以って大王に奉げん。

仏は、

   空中に浮かぶ蓮花の台(うてな)に坐り、

   王の為に説法した、――

  『王よ、あなたの心を見てみると、

   慈しみの思いは、子のために、

   憂えと悲しみに変じて、ますます増長している!

   子を愛し思うて纏綿とする心を、できれば速かに除かれよ!

   愛することを止めて、心を静まらせよ!

   わたしより、子養(しよう、民を子のように慈しみ養う)の法を受けたまえ!

   人の子が未だかつて奉ったことのないものを、今父王に奉る。

   世の父の未だかつて子より得たことのないものを、今子より受けたまえ!

   人間の王に希有なるもの、天上の王にさえ希有なるものを、

   勝れて妙なる甘露の法を、今こそ大王に奉げる。

 

  :纏綿(てんめん):まつわる。まといつく。

  :子養(しよう):子のように民を慈しみ養う。

 

 

 

 

説法の内容と王の覚り

 自業業受生  業依業果報

 當知業因果  勤習度世業

 諦觀於世間  唯業為良朋

 親戚及與身  深愛相戀慕

 命終神獨往  唯業良朋隨

『自らが業とは業によりて生を受け、業に依りて業の果報あり、

 まさに業の因果を知りて、勤めて習い世業を度(わた)るべし。

 世間を諦観するに、ただ業のみを良き朋と為す。

 親戚と及び身とは、深く愛して相い恋慕すれど、

 命終るに神は独り往きて、ただ業の良き朋のみが随わん。 

  『自ら業を作れば、業によって生を受け、業によって業の果報を受ける。

   今、業の因果を知り、勤め習うて世間の業を度(わた)れ!

   世間を明らかに観察すれば、ただ業のみが良き友である。

   父母兄弟どころか、わが身さえ、

   たとえ深く愛し、たがいに恋慕していたとしても、

   命が終ると、魂はひとり往かなければならない、

   ただ、自ら作った業のみを良き友として。

 

  :世業を度る(せごうをわたる):世俗に暮しながら彼岸に度る。業は行為とその蓄積。

  :勤習(ごんじゅう):勤勉と習慣。うまずたゆまず。

  :諦観(たいかん):はっきりと観察する。

  :親戚(しんしゃく):父母と兄弟姉妹、または親類。

  :恋慕(れんぼ):恋い慕う。

  :神(じん):神我(じんが)、魂。

 輪迴於五趣  三業三種生

 愛欲為其因  種種類差別

 今當竭其力  淨治身口業

 晝夜勤修習  息亂心寂然

 唯此為己利  離此悉非我

 當知三界有  猶若海濤波

 難樂難習近  當修第四業

 生死五道輪  猶眾星旋轉

 諸天亦遷變  人中豈得常

『五趣に於いて輪廻し、三業にて三種に生ずるは、

 愛欲をその因と為し、種種の類の差別あり。

 今まさにその力を竭(つく)して、身口の業を浄治すべく、

 昼夜に勤めて修習し、乱心を息(やす)むれば寂然たり、

 ただこれ己利(こり)たるのみなれば、ここを離れて悉く我に非ざれ!

 まさに三界に有るは、なお海の濤波の如しと知るべし、

 楽しみ難く習近し難ければ、まさに第四の業を修むべし。

 五道に生死する輪は、なお衆星の旋転の如く、

 諸天もまた遷変すれば、人中の豈(あに)常なるを得んや。

  『五趣(ごしゅ、天上、人間、畜生、餓鬼、地獄)を輪廻する中に、

      三業(さんごう、身業、口業、意業)によって、

      三悪趣(さんあくしゅ、地獄、餓鬼、畜生)に生ずるが、

   愛欲こそが、

      その因であり、

      そこにも種種の種類が生じる。

   今は、まさに、

      力のかぎり、身口の業を浄めよ!

      昼夜に勤めて習い、心の乱れを止めて寂静に入れ!

   しかし、

      これは己が利を計るのみである!

      この境地を離れて、悉く我を捨てなくてはならない!

   まさに、

      三界(さんがい、欲界、色界、無色界)に存るとは、

      大海の波濤にもまれるようなものであり、

   これは、

      楽しみ難く、近づき難いものである。

      三業を超越して、第四の涅槃の業を修めよ!

   生死は、

      五道に輪廻して、

   星星が旋回するように、

      諸天もまた輪廻するのである。

      人中に有って、何うしてそれを脱れられよう。

 

  :五趣(ごしゅ):天上、人間、畜生、餓鬼、地獄。

  :三業(さんごう):身業、口業、意業。

  :浄治(じょうち):浄らかに治める。

  :修習(しゅうじゅう):習慣的に修める。

  :寂然(じゃくねん):心が静まること。

  :己利(こり):自己の利益のみをはかる声聞人の心。

  :三界(さんがい):欲界、色界、無色界。俗世間。

  :濤波(とうは):大波。

  :習近(しゅうごん):親しく近づく。

  :第四業:三業を寂滅する涅槃の業。

  :旋転(せんてん):旋回。

  :遷変(せんぺん):うつりかわり。

 涅槃為最安  禪寂樂中勝

 人王五欲樂  危險多恐怖

 猶毒蛇同居  何有須臾歡

 明人見世間  如盛火圍遶

 恐怖無暫安  求離生老死

 無盡寂靜處  慧者之所居

 不須利器仗  象馬以兵車

 調伏貪恚癡  天下敵無勝

 知苦斷苦因  證滅修方便

 正覺四真諦  惡趣恐怖除

『涅槃を最も安しと為し、禅は寂楽中に勝れたり、

 人王の五欲の楽は、危険にして恐怖多し、

 なお毒蛇と同居するがごときに、何んが須臾(しゅゆ)の歓有らん。

 明人は世間を、盛んなる火の囲遶するが如しと見て、

 恐怖し暫くも安んずること無く、生老死を離れんと求む。

 尽くること無き寂静の処は、慧者の居る所なり、

 利器と杖と、象馬と兵車とを須(もち)いずして、

 貪恚癡を調伏すれば、天下の敵の勝るもの無し。

 苦を知りて苦の因を断ち、滅を証して方便を修めよ!

 正に四真諦を覚らば、悪趣の恐怖は除こらん。』

  『涅槃こそが、最も安楽な境地であり、

   禅定は、寂静の楽の中でも勝れている。

   人王の、五欲の楽しみは、危険であり多くの恐怖が有る。

   ちょうど、毒蛇と同居するようなものなのに、

   何うして、それを暫くのあいだにせよ歓むことができよう!

   智慧の有る人は、

      世間は猛火に囲まれたようだと見て、

      恐怖でしばらくのあいだも安まらず、

      生老死を離れようとする。

   尽きざる寂静の処とは、

      智慧有る者の住居であり、

   兵器、象馬、兵車を用いずとも、

   貪欲、瞋恚、愚癡を調伏すれば、

      天下の敵でこれに勝てるものは無い。

   世間は苦であると知れ!(苦諦)

   苦の因は断たなければならないと知れ!(集諦)

   因を滅すれば涅槃に入ることができると知れ!(滅諦)

   涅槃に至る道を修めよ!(道諦)

   正しく、

      四つの真諦(しんたい、真実の覚り)を覚れば、

      悪趣(あくしゅ、地獄、餓鬼、畜生)に生まれる恐怖は除かれる。』と。

 

  :禅(ぜん):梵語、悪を棄てる、または思惟して修めると訳す。

  :寂楽(じゃくらく):寂静の楽。

  :恐怖(くふ):恐怖。

  :同居(どうご):同居。

  :須臾(しゅゆ):漢語、暫時と同じ。仏教では一昼夜の三十分の一。

  :利器(りき):利い刃物。

  :象馬(ぞうめ):象と馬。

  :兵車(ひょうしゃ):兵隊と軍車。

  :調伏(ちょうぶく):調教して制伏する。

  :貪恚癡(とんいち):貪欲、瞋恚、愚癡。

  :滅を証す:寂滅、涅槃したことをはっきりと知る。

  :方便を修める:涅槃に至る道を修める。謂わゆる八正道がこれである。

  :四真諦(ししんたい):苦諦、集諦(じったい)、滅諦、道諦。四聖諦。

  :悪趣(あくしゅ):地獄、餓鬼、畜生。三悪趣。

 先現妙神通  令王心歡喜

 信樂情已深  堪為正法器

 合掌而讚嘆  奇哉誓果成

 奇哉大苦離  奇哉饒益我

 雖先摎J悲  緣悲故獲利

 奇哉我今日  生子果報成

先には妙なる神通を現して、王の心をして歓喜せしむるに、

信楽の情はすでに深く、正法の器たるに堪えたり。

合掌して讃歎すらく、『奇なるかな、誓の果の成れる!

 奇なるかな、大苦を離れたる!奇なるかな、われを饒益せる!

 先に憂悲を増すといえども、悲に縁ずるが故に利を獲(え)たり!

 奇なるかな、わが今日、子を生める果報の成ぜる!

仏は、

   先に妙なる神通を現して、王の心を歓喜させ、

   今また、このように法を説いた。

王は、

   心が歓喜したことにより、

   聞いた法を信じ楽しもうとする心が深まった、

   正法を盛る器として堪えられたのである。

   合掌して、こう讃歎する、――

  『すばらしい!あなたの誓はすでに成就したのだ!

   すばらしい!あなたはすでに大苦を離れられた!

   すばらしい!豊かな利益をわたしに与えられた!

   先には、

      憂いと悲しみとを増していたのに、

   今は、

      仏の哀れみに出会って豊かな利を得ている!

   すばらしい!

      今日こそ、子を生んだ果報が成就した!

 

  :信楽(しんぎょう):聞いた法を信じ楽しむ。心から愛する。

  :饒益(にょうやく):豊かな利益を与える。

  :憂悲(うひ):憂いと悲しみ。

  :悲に縁ずる:仏の大悲に縁ずる。

 宜捨勝妙樂  宜精勤習苦

 宜離親族榮  宜割恩愛情

 古昔諸仙王  唐苦而無功

 清涼安隱處  汝今悉已獲

 自安而安彼  大悲濟眾生

 昔本住世間  為轉輪王者

 無自在神通  令我心開解

 亦無此妙法  使我今日歡

『『宜しく勝妙の楽を捨つべし。宜しく精勤して苦を習うべし。

  宜しく親族の栄を離るべし。宜しく恩愛の情を割くべし。』と、

 古昔の諸の仙王は、いたづらに苦しんで功無きに、

 清涼なる安穏の処を、汝は今悉くすでに獲たり。

 自らを安んじて彼を安んじ、大悲もて衆生を済えり。

 昔、本の世間に住して、転輪王たらば、

 自在の神通もて、わが心をして開け解かしむること無く、

 またこの妙法もて、われをして今日歓ばしむること無からん。

  『昔、諸の仙人の王たちも、

     『勝れて妙なる楽を捨てよ!

      勤め習うて苦を修めよ!

      親族の栄誉を離れよ!

      親子の情を断ちきれ!』と勧めたが、

   いたずらに、

      苦しむばかりで、何の功も無かった。

   あなたは、

      今、清涼にして安穏なる処を、悉く獲得された!

      自らを安んじ、他人を安んじ、

      大悲で、常に衆生を覆っている!

   昔の本の、

      世間に住まっていたならば、

   たとえ、

      転輪王にはなれたとしても、

      今の、自在なる神通によって、

      わたしの、心を開け解かせることも無く、

   また、

      この妙法で、わたしを今日のように歓ばせることも無かったであろう。

 設為轉輪王  生死緒不絕

 今已絕生死  輪迴大苦滅

 能為眾生類  廣說甘露法

 如此妙神通  智慧甚深廣

 永滅生死苦  為天人之上

 雖居聖王位  終不獲斯利

 如是讚歎已  法愛搴ア敬

 居王父尊位  謙卑稽首禮

『たとい転輪王たらんも、生死の緒(を)は絶えず、

 今はすでに生死絶え、輪廻の大苦も滅せり。

 よく衆生の類の為に、広く甘露の法を説く、

 かくの如き妙なる神通は、智慧甚だ深く広し。

 永く生死の苦を滅して、天人の上と為りたるは、

 聖王の位に居るといえども、終(つい)にこの利を獲ざらん。』

かくの如く讃歎しおわりて、法愛に恭敬を増し、

王、父の尊き位に居れど、謙卑して稽首して礼せり。

  『たとえ転輪王であっても、生死の糸は絶えることが無いだろうに、

   今はすでに生死の糸が絶え、輪廻の大苦も滅して、

   よく衆生のために、広く甘露の法を説いている。

   このようなすばらしい神通は、智慧も甚だ深く広いことだろう。

   永久に生死の苦を滅して、天人の上に立つ人になられた。

   たとえ、

      転輪王の位にあろうと、

      このような利を得ることは決してないであろう。』

王は、

   このように讃歎しおわると、

   法を愛する心が恭敬心を増して、

   王と父という尊い位にありながら、

   謙遜し卑下して、頭を地につけて礼した。

 

  :転輪王(てんりんのう):世界を統べる王。

  :生死の緒:生死のつながり。

  :聖王(しょうおう):転輪王。

  :法愛(ほうあい):法を愛する。

  :恭敬(くぎょう):敬いを表わす。

  :謙卑(けんぴ):謙遜と卑下。

  :稽首礼(けいしゅらい):頭を地につけて礼する。

 國中諸人民  睹佛神通力

 聞說深妙法  兼見王敬重

 合掌頭面禮  悉生奇特想

 厭患居俗累  咸生出家心

国中の諸の人民も、仏の神通力を睹(み)て、

深き妙法を説くを聞き、兼ねて王の敬いの重きをも見るに、

合掌して頭面にて礼し、悉く奇特の想いを生じ、

俗累に居るを厭患して、みな出家の心を生ぜり。

国中の諸の人民は、

   仏の神通力を目の辺りにして、深く妙なる説法を聞き、

   また、王が敬い重んじるのを見て、

自らも、

   合掌して、頭を地につけて礼し、

   悉く、すばらしいものを見たという思いを生じて、

   俗事の煩わしさと同居するのを厭い、

   皆、出家の心を起した。

 

  :頭面礼(づめんらい):頭を相手の足につける礼。

  :奇特(きどく):世にも珍しく特別な事。

  :厭患(えんげん):厭いわずらう。

  :俗累(ぞくるい):俗事の煩わしさ。

 

 

 

 

多くの釈迦の親族は出家し、国民はそれを憂える

 釋種諸王子  心悟道果成

 悉厭世榮樂  捨親愛出家

 阿難陀難陀  金毘阿那律

 難圖跋難陀  及軍荼陀那

 如是等上首  及餘釋種子

 悉從於佛教  受法為弟子

釈種の諸の王子も、心悟りて道果成じ、

悉く世の栄楽を厭い、親愛を捨てて出家せり。

阿難陀(あなんだ)難陀(なんだ)、金毘(こんび)阿那律(あなりつ)、

難図跋難陀(なんとばつなんだ)、及び軍荼陀那(ぐんだだな)、

かくの如き等の上首と、及び余の釈種の子ら、

悉く仏の教に従い、法を受けて弟子となれり。

釈迦の一族の諸の王子たちは、

   心に覚りを得て、涅槃に至ろうと思った。

   悉く世の栄楽を厭い、

   妻子を捨てて出家した。

   阿難陀(あなんだ、釈迦の従兄弟にして侍者。多聞第一)がいる、

   難陀(なんだ、釈迦の異母弟。美男の難陀。調伏第一)がいる、

   金毘羅(こんびら、知星宿第一)がいる、

   阿那律(あなりつ、釈迦の従兄弟。天眼第一)がいる、

   難図(なんと)と跋難陀(ばつなんだ)の兄弟がいる、

   また軍荼陀那(ぐんだだな)もいる。

このような

   人たちを上首として、

   その他の一族の者たちも、

      悉く、仏の教に従い、

      仏の法を受けて、弟子となった。

 

  :釈種(しゃくしゅ):釈迦の一族。

  :道果(どうか):道とは菩提、果とは涅槃。修行の果報。

  :栄楽(ようらく):栄楽。

  :親愛(しんあい):妻子。

  :阿難陀(あなんだ):釈迦の従兄弟にして侍者。弟子の中の多聞第一。

  :難陀(なんだ):釈迦の弟、大変な美男であったが道を得た。釈迦の継母の実子。

  :金毘(こんび):劫賓那(こうひんな)。弟子の中の知星宿第一。

  :阿那律(あなりつ):釈迦の従兄弟。天眼第一。

  :難図(なんと)と跋難陀(ばつなんだ):難陀(なんだ)と跋難陀。釈尊の入滅を喜んだ悪人。

  :軍荼陀那(ぐんだだな):不明。

 匡國大臣子  優陀夷為首

 與諸王子俱  隨次而出家

 又阿低梨子  名曰優波離

 見彼諸王子  大臣子出家

 心感情開解  亦受出家法

国を匡(ただ)す大臣の子の、優陀夷(うだい)を首と為し、

諸の王子と倶に、次に随うて出家せり。

また阿低梨(あていり)の子、名を優波離(うはり)と曰うもの、

彼の諸の王子、大臣の子の出家せるを見て、

心情を感じて開け解け、また出家の法を受けぬ。

国政を執る大臣の子たちも、

   優陀夷(うだい)を上首として、

   諸の王子たちと共に、次々と出家した。

また、

   阿低梨(あていり)の子の、優波離(うはり)という人も、

      諸の王子や、大臣の子たちが出家するのを見て、

   自らも、

      感ずるところが在り、

      出家の法を受けた。

 

  :優陀夷(うだい):弟子中の放逸な六人、謂わゆる六群比丘の一。

  :阿低梨(あていり):不明。

  :優波離(うはり):悉達太子(しったたいし、釈迦の幼名)の執事人。弟子中の持律第一。

 父王見其子  神力諸功コ

 自亦入清流  甘露正法門

 捨王位國土  禪一甘露飯

 閑居修靜默  處宮習王仙

父王はその子の神力と諸の功徳を見るに、

自らもまた清流の、甘露なる正法の門に入れり。

王位と国土とを捨てて、一甘露飯に禅(か)え、

閑居して静黙を修め、宮に処(お)りて王仙を習う。

父王は、

   その子の神力と諸の功徳とを見て、

自らも、

   清い流れに入り、甘露のような正法の門に入った。

   王位と国土を捨てて、甘露の一法に代え、

   静かに暮して沈黙の中に過ごし、

   宮殿の中にありながら、王仙のようにしていた。

 

  :清流(しょうる):清い流。

  :甘露飯(かんろぼん):甘露のような飯。仏法を譬える。

  :閑居(げんこ):閑静に過ごす。

  :静黙(じょうもく):沈黙。

  :王仙(おうせん):仙は行者。王にして行者。

 如來悉隨攝  本族知識已

 道中顏和ス  親戚歡喜隨

 時至應乞食  入迦維羅衛

 城中諸士女  驚喜舉聲唱

 悉達阿羅陀  學道成而歸

 內外轉相告  巨細馳出看

 門戶窗牖中  比肩而側目

 見佛身相好  光明甚暉曜

 外著袈裟衣  身光內徹照

 猶如日圓輪  內外相映發

如来は悉く随うて、本の族の知識を摂しおわれば、

道の中なる顔は和悦し、親戚は歓喜して随えり。

時至りて、まさに乞食すべく、伽維羅衛に入るに、

城中の諸の士女は、驚喜して声を挙げて唱うらく、

『悉達阿羅陀(しったあらだ)、学道成りて帰りたもう。』

内外に転た相い告げ、巨細馳せ出でて看る。

門戸、窓牕(そうゆう)中に、肩を比(なら)べて側目し、

仏の身相の好もしきを見るに、光明は甚だ暉曜せり。

外に袈裟の衣を著(つ)くれど、身光は内より徹照して、

なお日の円輪の、内外に相い映発するが如し。

如来は、

   悉く、次々と本の一族の知人たちを摂(おさ)めとった。

   法の道に存る者は、顔を和ませて悦び、

   親族の者は、歓喜して随った。

食(じき)を乞う時がきた、――

   伽維羅衛の城に入ろう。

城中の、

   諸の男女は、驚喜し声を挙げて、こう唱えた、――

  『悉達阿羅陀(しったあらだ)太子が、道を学んでお帰りになった。』

   各家の内外に、この報せは次々伝わり、

   大人も子供も走り出て、一目見ようとした。

   門戸や窓の中に肩をならべ、

   慎みぶかく帳にかくれて見た、――

仏は、

   身の容子も好もしく、光明を発して耀き、

   身の光は袈裟(けさ、染色)の衣を内から徹して照らす。

ちょうど、

   日輪が内からも外からも照らして映すように。

 

  :知識(しちき):知人。

  :和悦(わえつ):和み悦ぶ。

  :悉達阿羅陀(しったあらだ):釈尊の幼名。

  :巨細(こさい):大小すべて。

  :内外(ないげ):家の内外。

  :窓牖(そうゆう):窓。

  :側目(しきもく):恐れて眼をそむける。

  :身相(しんそう):身のようす。

  :暉曜(きよう):明るく耀く。

  :袈裟(けさ):法服。

  :徹照(てっしょう):光が衣服を通して耀く。

  :映発(ようほつ):光彩が照り映える。

 觀者心悲喜  合掌涕淚流

 見佛庠序步  歛形攝諸根

 妙身顯法儀  敬惜摧゚歎

 剃髮毀形好  身被染色衣

 堂堂儀雅容  束身視地行

 應戴羽寶蓋  手攬飛龍轡

 如何冒游塵  執缽而行乞

観る者の心は悲喜し、合掌して涕涙流れ、

仏の庠序として歩むを見るに、形を斂(おさ)め諸根を摂(おさ)めて、

妙身に法儀を顕せど、敬い惜みて悲歎を増せり。

『髪を剃り形の好もしきを毀(こぼ)ち、身には染色の衣を被(つ)く。

 堂堂たる儀、雅なる容(かたち)、束身し地を視て行く、

 まさに羽と宝の蓋を戴いて、手に飛龍の轡を攬(と)るべきに、

 如何が游塵を冒して、鉢を執り、行きて乞いたもう。

観る者は、

   心に悲しみと喜びが交互にあらわれ、

   合掌しながら涙を流した。

仏は、

   慎ましく歩いている。

   衣服を見目よく整え、

   瞼をふせて歩いている。

   身は、法にかなった作法が美しい。

皆は、

   これを観るにつけ、

   敬いながらも惜んで悲歎を増した、――

  『髪を剃って美しい身体に傷をつけ、身には染衣(せんね)を纏っている。

   堂堂としていながら雅な容子で、身を慎みまっすぐ地を視て歩いている。

   ほんとなら、

      孔雀の羽と宝石で飾った天蓋の下を歩み、

      手には飛龍の轡を執っているはずなのに。

   何故、

      ほこりにまみれて、

      鉢を手に執り、

      食を乞うて歩いていられるのだろう?

 

  :涕涙(たいるい):なみだ。

  :庠序(しょうじょ):行儀のよい。つつましく。

  :諸根を摂(おさ)める:目や耳を制すること。目がきょろきょろしない。

  :法儀(ほうぎ):行儀作法。

  :染色(せんしき):染色。

  :束身(そくしん):行いを引き締めて慎む。

  :羽宝蓋(うほうがい):羽と宝石でかざった天蓋。

  :游塵(ゆじん):浮かぶ塵。

 藝足伏怨敵  貌足婇女歡

 華服冠天冠  黎民咸首陽

 如何屈茂容  拘心制其形

 捨妙欲光服  素身著染衣

 見何相何求  與世五欲怨

 捨賢妻愛子  樂獨而孤遊

『芸は怨敵を伏するに足り、貌(かお)は婇女の歓ぶに足る、

 華服に天冠を冠らば、黎民咸(ことごと)く首陽するに、

 如何が茂容を屈して、拘心してその形を制し、

 妙欲と光服とを捨てて、素身に染衣を著くる。

 何の相を見て何を求めて、世の五欲の怨と与(とも)に、

 賢妻と愛子とを捨て、独りを楽しみ孤り遊べる。

  『武芸は十分敵を倒すのに足り、容貌は宮中の女官を歓ばせるに足るのに。

   美々しい服をつけて天子の冠をかむれば、庶民は皆首を太陽の方に向けるのに。

   何故、壮年の

      美貌をうつむけて、かたくなに形と行いとを慎むのだろう?

   何故、すばらしい

      欲の歓楽と、光沢のある服とを捨てて、

      粗末な染衣を身につけているのだろう?

   何を見て、何を求めているのだろう?世間の欲望を捨てるとともに、

   何故、賢妻と愛子までも捨てて、孤独を楽しみ、ひとり遊んでいるのだろう?

      

 

  :怨敵(おんちゃく):敵。

  :婇女(さいにょ):宮中の女官。

  :華服(けふく):美しい衣服。

  :天冠(てんがん):天子の冠。

  :黎民(りみん):庶民。

  :首陽(しゅよう):首を陽に向ける。

  :茂容(もよう):盛んなる容貌。

  :拘心(くしん):こだわる。

  :妙欲(みょうよく):美しい色欲。美女。

  :光服(こうふく):光り輝く衣服。

  :素身(そしん):裸身。

  :染衣(せんね):染色した衣。

 難哉彼賢妃  長夜抱憂思

 而今聞出家  性命猶能全

 不審淨飯王  竟見此子不

 見其妙相身  毀形而出家

 怨家猶痛惜  父見豈能安

 愛子羅[*]羅 

 泣涕常悲戀

 見無撫慰心  用學此道為

『難きかな、彼の賢妃、長夜に憂思を抱きて、

 今出家を聞くに、性命なおよく全うせり。

 不審(いぶか)し浄飯王、竟(つい)にこの子を見るや不や、

 その妙相の身を見て、形を毀ちて出家せり。

 怨家すらなお痛惜すべきを、父見て豈よく安んずるや。

 愛子羅睺羅(らごら)は、泣涕して常に悲恋す、

 見るも撫慰の心無く、用ってこの道を学ぶと為(せ)んや。

  『できないことだ!あの賢妃が、長い夜のあいだ憂いに耐えて、

   今、夫が出家したと聞いても、まだ命を保っていられるとは!

   いぶかしいことだ!浄飯王は、ほんとうにこの子を見たのだろうか?

   あの美しかった身が、今無惨に傷つけられて出家してしまったのを見たのだろうか?

   敵の家でさえ心が痛んで惜むだろうに、父がこれを見て何うして安んじていられるのだろう?

   愛子羅睺羅(らごら)は涙を流してすすり泣き、常に悲しみ恋しがっているというのに、

   見ても慰めようとしない!これが道を学ぶということなのだろうか?

 

  :賢妃(けんぴ):賢明なる妃。

  :長夜(ちょうや):長い夜。

  :憂思(うし):憂いの思い。

  :性命(しょうみょう):生命。

  :怨家(おんけ):敵の家。

  :痛惜(つうしゃく):心を痛めて惜む。

  :羅睺羅(らごら):釈迦の実子にして弟子。弟子中の密行第一。

  :泣涕(きゅうたい):涙を流してすすり泣く。

  :悲恋(ひれん):恋うて悲しむ。

  :撫慰(ぶい):慰める。

 諸明相法者  咸言太子生

 具足大人相  應享食四海

 觀今之所為  斯則皆虛談

 如是比眾多  紛紜而亂說

 如來心無著  無欣亦無慼

 慈悲愍眾生  欲令脫貧苦

 搨キ彼善根  并為當來世

 顯其少欲跡  兼除俗塵謗

 入貧里乞食  精麤任所得

 巨細不擇門  滿缽歸山林

『諸の相法に明るき者、咸く言わく、『太子は生まれながらに、

  大人の相を具足し、まさに食を四海に享(う)くべし。』と。

 今為さるる所を観よ、これは則ち皆虚談なり。』

かくの如く、衆多を比(なら)べ、紛紜して乱れ説くも、

如来の心は著する無く、欣ぶこと無くまた慼(うれ)うること無し。

慈悲もて衆生を愍(あわれ)み、貧苦を脱れしめんと欲し、

彼の善根を増長せしめて、并びに当来の世の為に、

その少欲の跡を顕し、兼ねて俗塵の謗りを除かんとす。

貧里に入りて乞食し、精麁は得る所に任せ、

巨細は門を択ばず、鉢を満たして山林に帰る。

  『諸の偉い相師たちは、悉くこう言った、――

     『太子は、

         生まれながらに、大人(だいにん)の相を具足しています。

         全世界より食(じき)を受けることになりましょう。』と。

   今のこのありさまを見てみよ!これは皆嘘の話しであったのか?』

このように、

   多くの説が乱れ飛んだが、

如来の心は、

   何物にも著しない。

   歓ぶことも無く、憂えることも無い。

慈悲の心で、

   衆生を哀れみ、

   貧苦を脱れさせようと思い、

   衆生の善根を増長させようと思い、

   ならびに、未来の世のために、

   その少欲の足跡を顕わして俗人の謗りを除こうとし、

   貧しい里に入っても食を乞い、

   得た食の精妙も粗末も得るに任せ、

   高貴と庶民とは門を択ばず、

   食を乞い鉢を満たして山林に帰る。

 

  :相法(そうほう):人相を占う法。

  :大人相(だいにんそう):仏または転輪王の相。四十八相。

  :四海(しかい):天下。全世界。

  :虚談(こだん):うその話。

  :衆多(しゅた):多くの。

  :紛紜(ふんうん):紛れ乱れる。

  :俗塵の謗り:俗人の謗り。

  :貧里(ひんり):まずしい里。

  :精麁(しょうそ):精妙と粗末。手の込んだ料理と粗末な料理。

 

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