(化給孤独品第十八)

 

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長者給孤独に正法を説いて邪説を破る

化給孤獨品第十八

化給孤独(けぎっこどく)品第十八

長者給孤独(ぎっこどく)を教化する。

 

  :給孤独(ぎっこどく):孤独者に食を給するの意。梵名須達多(すだった)、舎衛城の人。

 時有大長者  名曰給孤獨

 巨富財無量  廣施濟貧乏

 遠從於北方  憍薩羅國來

 止一知識舍  主人名首羅

 聞佛興於世  近住於竹園

 承名重其コ  即夜詣彼林

時に大長者有り、名を給孤独と曰う、

巨富にして財無量なれど、広く施して貧乏を済う、

遠く北方の、憍薩羅(ごうさら)国より来たりて、

一知識の舎(いえ)に止まれり、主人の名を首羅(しゅら)という。

仏世に興りて、近く竹林に住まると聞き、

名を承けてその徳を重んじ、即ち夜に彼の林に詣(いた)る。

その時、

   大長者がいた。

彼は、

   人々に、

     孤独者に食を給する者、給孤独(ぎっこどく)と呼ばれている。

   持てる巨額の財産を、

   無量に広く、

     貧乏人に施していたからだ。

たまたま、

   北方の憍薩羅(ごうさら)国より、この摩竭陀(まがだ)国に来ていて、

   王舎城の首羅(しゅら)という人の家を宿にしていた。

王舎城には

   『仏が世に出られた。近くの竹園(ちくおん)に住んでいられる。』という噂が流れている。

それを、

   聞いた給孤独は、

     仏という名を聞いて、さぞ立派な人だろうと想像し、

     夜に入って涼しくなると、その林に来てみた。

 

  :知識(ちしき):知人。

  :憍薩羅(ごうさら):国名。舎衛城(しゃえいじょう)を王都とする。

  :首羅(しゅら):給孤独の知人。

  :竹林(ちくりん):精舎名。王舎城に在り、瓶沙王により奉献される。

 如來已知彼  根熟淨信生

 隨宜稱其實  而為說法言

 汝已樂正法  淨信心虛渴

 能減於睡眠  而來敬禮我

 今日當為汝  具設初賓儀

如来はすでに彼を知らく、『根熟して浄信生ぜり。』、

宜しきに随いてその実を称(たた)え、為に法を説いて言わく、

『汝すでに正法を楽(ねが)いて、浄信は心に虚渇せり。

 よく睡眠を減じて、来たりてわれを敬礼す、

 今日まさに汝が為に、具(つぶさ)に初賓の儀を設くべし。

如来は、

   彼を見て、

  『この人は、すでに

      教を受ける能力が熟し、

      浄らかな信ずる心が生じている。』と知り、

   その人にふさわしく、その心を誉めたたえ、

   この人の為に法を説いて、こう言った、――

  『あなたは、

      正法を願いもとめて、心で渇望している。

      睡眠を減らしまでして、ここに来て、

      わたしに礼するのも、そのためだ。

   わたしは、

      今日あなたのために、

      初めての説法をすることにしよう。』、――

 

  :根(こん):正法を聞く根本的な能力。

  :浄信(じょうしん):浄く信ずる心。疑わない心。

  :随宜(ずいぎ):道理に適う。うまく。

  :正法(しょうぼう):正しい法。仏法。

  :虚渇(こかつ):虚しく渇く。

  :敬礼(きょうらい):敬って礼する。

  :初賓の儀(しょひんのぎ):初対面の儀式。

 汝宿殖コ本  堅固淨其望

 聞佛名歡喜  堪為正法器

 虛懷廣行惠  周給於貧窮

 名コ普流聞  果成由宿因

 今當行法施  至心精誠施

 時施寂靜施  兼受持淨戒

『汝が宿(むかし)殖えし徳本は、堅固にその望を浄め、

 仏の名を聞いて歓喜するは、正法の器たるに堪う、

 虚しく懐(おも)うて広く恵を行じ、周く貧窮に給して、

 名徳普く流聞せる、果の成ぜるは宿因に由る。

 今まさに法施を行じて、至心に精誠に施し、

 時に施し寂静して施し、兼ねて浄戒をば受持すべし。』

  『あなたが、

      昔、過去の世に種えた、徳の本が、

      今、果を結んで堅固になり、あなたの望を浄めた。

   仏の、

      名を聞いて歓喜したのは、

      正法の器として堪えられる証拠である。

   あなたは、

      心を虚しうして広く施し、

   あまねく、

      貧窮の人に食物を施して、

      その徳の名声は、

      あまねく、

         世間に聞こえている。

   このような、

      果は、過去世の因が成ったものである。

   これからは、

      法を施し、真心をささげて施せ!

      時にしたがって施し、無欲になって施せ!

   兼ねて、

      浄戒(じょうかい、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒)を

      受けて持(たも)て!』

 

  :宿殖(しゅくじき):過去世に殖える。

  :徳本(とくほん):来世に徳を得る本。

  :正法の器(しょうぼうのうつわ):正法を水に譬え、それを受ける器。

  :虚懐(こえ):虚心坦懐。私心の無いこと。

  :貧窮(びんぐ):貧困の窮み。

  :流聞(るもん):流布して聞こえる。

  :宿因(しゅくいん):宿世(過去世)に殖えた因。

  :法施(ほうせ):法の施し。説法。

  :至心(ししん):真心より。

  :精誠(しょうじょう):純粋な真心。精心誠意。

  :寂静(じゃくじょう):煩悩を離れるを寂といい、苦患を絶やすを静という。無欲、安穏の境地。

  :受持(じゅじ):受け奉って保持する。

  :浄戒(じょうかい):身心を浄める戒。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒。

 戒為莊嚴具  能轉於惡趣

 令人上昇天  報以天五樂

 諸求為大苦  愛欲集諸過

 當脩遠離惡  離欲寂靜樂

 知老病死苦  世間之大患

 正觀察世間  離生老病死

『戒は荘厳の具なり、よく悪趣に於いて転じ、

 人をして天に上昇せしめ、報ゆるに天の五楽を以ってす。

 諸求は大苦なり、愛欲は諸の過(とが)を集む、

 まさに悪を遠離し、欲を離れて寂静の楽を修むべし。

 老病死の苦は、世間の大患なりと知り、

 正しく世間を観察して、生老病死を離るべし。』

  『戒は、

      人を飾る宝石である。

      三悪趣(さんあくしゅ、地獄、餓鬼、畜生)に向っている者を、

      転じて天に上らせ、天の五欲(色声香味触)の楽しみで報いる。

   諸欲は、

      大苦であり、

   愛欲には、

      諸の過失が集まる。

   まさに、

      悪である欲を離れて、

      寂静の楽を修めよ!

   老病死の苦は、

      世間の大患であると知り、

   正しく、

      世間を観察して、

      生老病死を離れよ!』

 

  :荘厳の具(しょうごんのぐ):装飾品。

  :悪趣(あくしゅ):地獄、餓鬼、畜生の三悪道。

  :天の五楽(てんのごらく):天に於ける色声香味触の楽。五欲の楽。

  :諸求(しょぐ):諸欲。五欲。色声香味触。

  :遠離(おんり):遠ざける。

  :世間(せけん):俗世間。

  :大患(だいげん):大病。大きな災難。

 既見於人間  有老病死苦

 生天亦復然  無有常存者

 無常則是苦  苦則無有我

 無常苦非我  何有我我所

 知苦即是苦  集者則為集

 苦滅即寂靜  道即安隱處

 群生流動性  當知是苦本

 厭末塞其源  不願有非有

『既に人間に於いては、老病死の苦有りと見る、

 天に生ずるもまたまた然り、常に存する者の有ること無く、

 無常なれば則ちこれ苦なり、苦なれば則ち我の有ること無し、

 無常の苦は我に非ず、何(いか)んが我我所有らん。

 苦とは即ちこれ苦なりと知り、集とは則ち集むと為し、

 苦の滅するは即ち寂静なり、道とは即ち安穏の処なり、

 群生は流動の性なり、まさにこれを苦の本と知り、

 末を厭うてその源を塞ぎ、有(う)と非有とを願わざるべし。』

  『あなたは、すでに、

      人間について、老病死の苦が有ることを見た。

   しかし、

      天に生じても、同じである。

      常に、存する者など有るはずがない。

   無常であるから、苦であり、

   苦であるから、我(が、自我の原因である根本的要素)などは無い。

   無常であり、

   苦であり、

   無我であるならば、

      何処に、身や心が有りえようか?

   苦諦(くたい)とは、

     『これは、苦である。』と知ることである。

   集諦(じったい)とは、

     『苦を集めるものがある。』と知ることである。

   滅諦(めったい)とは、

     『苦を集めるものを滅すれば寂静がおとずれる。』と知ることである。

   道諦(どうたい)とは、

     『苦を滅する道は安穏の処である。』と知ることである。

  『衆生とは、流動する性であり、

   その流動する性が、苦の本である。』と知ったならば、

   次は、

      行く末を厭うて、その源を絶て!

  『天に生れたい。』とか、

  『地獄には生まれたくない。』とか願ってはならない!』

 

  :無常(むじょう):常に動いて変化しつづける。

  :我(が):自我の本体。自我の主宰。

  :我所(がしょ):我の所有する身心。妄信された身心。

  :苦とは:世間に生ずるは苦である。四聖諦中の苦諦。

  :集とは:五欲に執著して苦を集める。四聖諦中の集諦。

  :苦滅とは:五欲への執著を離れて苦を滅する。四聖諦中の滅諦。

  :道とは、五欲への執著を離れる正しい道。四聖諦中の道諦。

  :群生(ぐんしょう):群れて生きるもの。衆生。

  :流動(るどう):物が変移することを川の流れに譬える。

  :性(しょう):物の本性。改変しない部分。

  :有(う):存在。

  :非有(ひう):非存在。

 生老死盛火  世間普熾然

 見生死動搖  當習於無想

 三摩提究竟  甘露寂靜處

 空無我我所  世間悉如幻

 當觀於此身  諸大眾行聚

 長者聞說法  即得於初果

 生死海消滅  唯有一滴餘

『生老死の盛んなる火、世間に普く熾然すれば、

 生死を見て動揺せん、まさに無想を習うべし、

 三摩提(さんまだい)の究竟は、甘露寂静の処にして、

 空にして我我所無き、世間は悉く幻の如し。

 まさにこの身に於いて、諸の大衆と行衆とを観ずべし。』

長者は説法を聞いて、即ち初果を得たり、

生死の海は消滅し、ただ一滴の余有るのみ。

  『生老死は、山火事のように、

      世間で、盛んに燃えている。

   生死を恐れて動揺するならば、

      まさに無想を習うのがよい。

   三昧(さんまい、心を統一して散乱させない境地)を極めれば、

      甘露なる寂静の境地がある。

   この三昧中に、

      世間は空、無我、無我所であり、

      世間は幻のようであると、観察せよ!

      この身を形づくる、

         大衆(だいじゅ、地大、水大、火大、風大の物質の四要素)と、

         行衆(ぎょうじゅ、受衆、想衆、行衆、識衆の心の四要素)とを観察せよ!』

長者は、

   この説法を聞いて、初果(しょか、聖者になる最初の位)を得た。

   生死の海は消滅し、ただ一滴ばかりの煩悩を残すのみである。

 

  :熾然(しねん):火が盛んに燃える。

  :無想(むそう):何も思い煩わないこと。

  :三摩提(さんまだい):三昧(さんまい)、心念を一処に止めて散乱させないこと。

  :究竟(くきょう):至極。

  :大衆(だいじゅ):物質の四要素とその性。地大=堅、水大=湿、火大=暖、風大=動。

  :行衆(ぎょうじゅ):心の働き。色受想行識中の行、五蘊中より色受想識を除いた残りの分。しかしここでは五蘊中の色蘊を除いた残りをいう。

  :初果(しょか):聖者の流れに入る最初の位。須陀洹(しゅだおん)。

 空閑修離欲  第一有無身

 不如今俗人  見諦真解脫

 不離諸苦行  種種異見網

 雖至第一有  不見真實義

 邪想著天福  有愛縛轉深

 長者聞說法  陰蓋煥然開

 逮得於正見  諸邪見永除

 猶如秋歯浴@ 飄散於重雲

『空閑にて欲を離るるを修め、第一有(だいいちう)の無身たるも、

 今俗人にして、諦を見て真に解脱せるには如(し)かず。

 諸の苦行と、種種の異見の網を離れずんば、

 第一有に至るといえども、真実の義を見ず、

 邪想は天の福に著して、愛縛の転(うた)た深まること有り。』

長者は説法を聞いて、陰(おん)の蓋(ふた)煥然として開き、

正見を逮得して、諸の邪見は永く除(のぞ)こり、

なお秋の歯浴iらいふう)の、重き雲を飄散するが如し。

仏は、さらに説いた、――

  『静かな処で修行して欲を離れ、

      無色界に生まれたとしても、

   今、あなたが俗人のままに、

      四諦(したい、苦諦、集諦、滅諦、道諦)を見て得た、

      真の解脱には及ばない。

   諸の苦行を離れ、

   種種の邪見の網を脱れなければ、

      たとえ無色界に生まれても、

      真実の義は見えてこない。

   邪な望を懐いて、

      天の福を得ようとするならば、

      愛執に縛られて、さらに深みにはまるだろう。』

長者は、

   この説法を聞いて、

   真実を覆っていた蓋が明るくぱっと開き、真実が見えてきた。

   邪見が起ることはもうないだろう。

ちょうど、

   激しい秋の風に吹かれて、重い雲がちぎれ去ってしまうように。

 

  :空閑(くうげん):静かな処。

  :第一有(だいいちう):有は色無色界中の定及び依身。無色界の最頂天。外道の執著する処。

  :無身(むしん):無色界では肉身が無く、意識のみが有る。

  :諦(たい):先に出た四聖諦(ししょうたい)。

  :解脱(げだつ):煩悩の結縛を解いて脱れる。生死を離れる。

  :異見(いけん):邪見。邪義を説く見解。

  :邪想(じゃそう):邪なる想念。

  :愛縛(あいばく):愛による結縛。煩悩の異名。

  :陰(おん):陰(かげ)さして真実を隠すもの。色受想行識の五陰。人の身心。

  :煥然(かんねん):あかあかと耀く。

  :逮得(たいとく):追い求めて得る。

  :歯浴iらいふう):台風のように激しい風。

  :飄散(ひょうさん):風が吹き散らす。

 不計自在因  亦非邪因生

 亦復非無因  而生於世間

 若自在天生  無長幼先後

 亦無五道輪  生者不應滅

 亦不應災患  為惡亦非過

 淨與不淨業  斯由自在天

『自在の因を計せず、また邪因にて生ずるにも非ず、

 またまた因無くして、されど世間に生ずるにも非ず。

 もし自在天生ぜんには、長幼も先後も無からん、

 また五道の輪も無く、生まれたる者はまさに滅すべからず、

 またまさに災患せず、悪を為せどもまた過(とが)に非ずして、

 浄と不浄との業は、これ自在天に由るべし。』

さらに、――

  『福徳も災難も、

      自在天のしわざだと思いまどうな!

   邪なる者には、

      何も起せないのだから。

   しかし、

      因が無いと思ってはならない!

      世間に起る事は、すべてに因が有る。

   もし、

      自在天によって、人が世間に生まれるならば、

   当然、

      自在とはすべてを一時に為すのであるから、

      長幼も先後も無いはずである。

   また、

      五道(天上、人間、畜生、餓鬼、地獄)に輪廻することも無く、

      生まれた者が、滅することもない。

   また、

      災難に遭うことも無く、

      悪を為しても過(とが)となるはずもない。

   何故ならば、

      浄も不浄も一切の業は、皆自在天に由るからである。』

 

  :自在(じざい):大自在天(だいじざいてん)、色界の頂天に住み、世界の主。

  :五道の輪(ごどうのりん):地獄、餓鬼、畜生、人間、天上の五道を輪廻すること。

 若自在天生  世間不應疑

 如子從父生  孰不識其尊

 人遭窮苦時  不應反怨天

 悉應宗自在  不應奉餘神

 自在是作者  不應名自在

 以其是作故  彼則應常作

 常作則自勞  何名為自在

『もし自在天生ぜんには、世間はまさに疑うべからず、

 子の父より生ずるが如きに、孰(だれ)かその尊を識らざらん。

 人の窮苦に遭える時、まさに反って天を怨むべからず、

 悉くまさに自在を宗(あが)むべく、まさに余神を奉ずべからず、

 自在はこれ作者ならば、まさに自在と名づくべからず、

 それこの作すを以っての故なり、彼は則ちまさに常に作すべし、

 常に作さば則ち自ら労す、何んが名づけて自在と為さん。』

  『もし、

      自在天が人を生ずるならば、

      世間は、誰もそれを疑わない。

   ちょうど、

      父が子を生む時、

      誰を尊ぶべきかを知らない者がないように。

   また、

      人が極苦に遭ったところで、天を怨む者も無く、

   皆、

      自在天を崇めて、その他の神を奉じない。

   もし、

      自在天が、何かを行うならば、

      自在とは呼ばれまい。

   何故ならば、

      彼は、行うからである。

      常に行って、自ら労する者の、

      何処に、自在が有るというのか?』

 

  :窮苦(ぐうく):苦の窮み。

 若無心而作  如嬰兒所為

 若有心而作  有心非自在

 苦樂由眾生  則非自在作

 自在生苦樂  彼應有愛憎

 已有愛憎故  不應稱自在

 若復自在作  眾生應默然

 任彼自在力  何用修善為

 正復修善惡  不應有業報

『もし心無くて作さば、嬰児の為す所の如く、

 もし心有りて作さば、心有るは自在に非ず。

 苦楽は衆生に由れば、則ち自在の作すに非ず、

 自在、苦楽を生ぜば、彼はまさに愛憎有るべし、

 すでに愛憎有るが故に、まさに自在と称すべからず。

 もしまた自在作さば、衆生はまさに黙然として、

 彼の自在力に任すべし、修善を用いて何んせん、

 正にまた善悪を修むれど、まさに業報の有るべからず。』

  『もし、

     自在天が、

        無心に作すというならば、まるで嬰児のようではないか?

     もし、

        心得て作すならば、心得なくてならない者の何処に自在があるのか?

   苦楽とは、

      衆生自らの因に由るのであり、

      自在天の作すことではない!

   自在天が、

      衆生に苦楽を与えるならば、

      そこには愛憎が有るはずである。

   そこに、

      愛憎が有るならば、何うしてそれが自在であろうか?

   もし、

      自在天が作すならば、

         衆生は黙っているほかはない!

      すべて、

         彼に任せてしまえばよいのに、

   何故、

      善を修める必要があるのか?

   まさに、

      善を修めようと悪を為そうと、

      業報などは有るはずがないではないか?』

 

  :嬰児(ように):幼児。

  :修善(しゅぜん):善を行う。

 自在若業生  一切則共業

 若是共業者  皆應稱自在

 自在若無因  一切亦應無

 若因餘自在  自在應無窮

 是故諸眾生  悉無有作者

 當知自在義  於此論則壞

 一切義相違  無說則有過

『自在、もし業を生ぜば、一切は則ち業を共にせん、

 もしこれ業を共にせば、皆まさに自在と称すべし。

 自在、もし因無くば、一切もまたまさに無かるべし、

 もし余の自在に因せば、自在もまさに無窮なるべし。

 この故に諸の衆生は、悉く作者の有ること無し、

 まさに知るべし、自在の義、この論に於いて則ち壊(やぶ)れぬと。

 一切の義の相違せること、説く無くんば則ち過有らん。』

  『自在天が、

      業(ごう、善悪の行為の蓄積、次の世に業報を生じる)を生じるならば、

   一切の衆生は、

      同じ業の報いを受けるはずであり、

   もし、共に

      同じ業の報いを受けるならば、

      皆が、自在天であると称するはずである。

   自在天が、

      禍福の因でなければ、一切の天もまた因では無い。

   もし、

      別の自在天が因であるとするならば、自在天は無数に有る。

   この故に、

      諸の衆生の禍福は、悉く誰もそれを作さない!

   これで、

      知ることができよう、『自在天は関係ない。』と。

   一切の自在天の義は、このように間違っている。

   このように説かなければ、そこには過失が有る。』

 

  :無窮(むぐう):窮まり無し。

 若復自性生  其過亦如是

 諸明因論者  未曾如是說

 無所依無因  而能有所作

 彼彼皆由因  猶如依種子

 是故知一切  則非自性生

 一切諸所作  非唯一因生

 而說一自性  是故則非因

『もしまた自性生ずとせば、その過もまたかくの如し。

 諸の明因の論者、未だかつてかくの如く説かず、

 『依る所無く因無きに、よく作す所有る』とは。

 彼と彼と皆因に由ればなり、なお種子に依るが如し。

 この故に知らく、『一切は、則ち自性の生に非ず。』と、

 一切の諸の作す所は、唯一の因の生に非ざれば、

 一自性を説くも、この故に則ち因に非ざるなり。』

  『もし、

      自性(じしょう、人の物質的原理)が人を生ずるというならば、

   これも、

      また過失である。

   学者であれば、

      誰も、『作す者も無く因も無いのに、作された事が有る。』とは説かない。

   どれもこれも、

      一切すべては、皆、因に由る、

   ちょうど、

      一切の作物が、皆種子に依って生じるように。

   この故に、

     『一切は、自性が生ずるものではない。』と知らなくてはならない。

   一切の、

      諸の作された事は、

      唯一の、因に由って生ずるものではない!

   この故に、

     『一自性が生じる。』と説くのは間違いであり、

      この自性は因では無いのである。』

 

  :自性(じしょう):数論学派は、人の精神的原理を我といい、物質的原理を自性という。

  :明因の論者(みょういんのろんじゃ):論理を説く者。

  :所依(しょえ):依って生ずる所、生みの親。

 若言彼自性  周滿一切處

 若周滿一切  亦無能所作

 既無能所作  是則非為因

 若遍一切處  一切有作者

 是則一切時  常應有所作

 若言常作者  無待時生物

 是故應當知  非自性為因

『もしは言わく、『彼の自性、周く一切の処に満つ、

 もしくは周く一切に満つれど、またよく作す所無し。』と。

 既によく作す所無し、これ則ち因たるに非ず。

 もし一切の処に遍くんば、一切(の所)に作す者有らん、

 これ則ち一切の時に、常にまさに作す所有るべし。

 もし、『常に作す。』と言わば、時を待ちて物を生ずること無からん。

 この故にまさに知るべし、自性は因たるに非ずと。』

  『もしは、こう言うかもしれない、――

     『自性というものは、周く一切の処に満ちている。

      もしくは、一切の処に満ちているが、何も作さない。』と。

   もし、

      何も作さなければ、これは何の因にもなりえない。

   もし、

      一切の処に満ちて、一切の処に作す者が有れば、

   これは、

      一切の時に、常に作された物が有るはずである。

   もし、

     『常に作す。』と言うならば、

   これは、

     時を待って物を生じるのではない。

   この故に、

    『自性は因とはなりえない。』と知れよう。』

 又說彼自性  離一切求那

 一切所作事  亦應離求那

 一切諸世間  悉見有求那

 是故知自性  亦復非為因

 若說彼自性  異於求那者

 以常為因故  其性不應異

 眾生求那異  故自性非因

『また説かく、『彼の自性は、一切の求那(ぐな)を離る。』と。

 一切の作す所の事も、またまさに求那を離るるべきも、

 一切の諸の世間は、悉く求那有りと見る。

 この故に知らく、『自性も、またまた因たるに非ず。』

 もしは説かく、『彼の自性は、求那と異なる。』と。

 常に因と為すを以っての故に、その性はまさに異なるべからず、

 衆生と求那とは異なりて、故に自性は因に非ず。』

  『また、ある者はこう説く、――

     『自性は、一切の性質(色声香味触、苦楽、功徳、罪障等)を持たない。』と。

   そうではない!それどころか、

      一切の作された事も、また性質を持っていないのである。

   しかし、

      一切の諸の世間は、そうは思わず、悉く、性質が有ると思っている。

   この故に、

     『自性も、また因とは為りえない。』と知るべきである。

   あるいは、

     『自性は、性質とは異なる。』と言うものもいるが、

   常に、

      自性が、性質の因ならば、

      その性は、異らないはずである。

   衆生は、

      性質とは異なるのであるから、

   やはり、

      自性は衆生の因とは為りえない。』

 

  注:求那(ぐな):勝論派六句義第二の徳、即ち性質、色声香味触、苦楽、功徳、罪障等。

 自性若常者  事亦不應壞

 以自性為因  因果理應同

 世間見壞故  當知別有因

 若彼自性因  不應求解脫

 以有自性故  應任彼生滅

 假令得解脫  自性還生縛

 若自性不見  為見法因者

 此亦非為因  因果理殊故

 世間諸見事  因果悉俱見

『自性もし常ならば、事もまたまさに壊(こぼ)つべからず、

 自性を以って因と為さば、因果は理としてまさに同じかるべし。

 世間は壊たるるが故に、まさに知るべし、『別に因有り。』と。

 もし彼の自性因たらば、まさに解脱を求むべからず、

 自性有るを以っての故に、まさに彼に生滅を任すべし、

 仮令(たとい)解脱を得ても、自性はまた縛を生ぜん。

 もし自性を見ざるも、法の因を見ると為さば、

 これもまた因たるに非ず、因果は理として殊なるが故なり。

 世間は諸の事を見るに、因果を悉く倶に見るなり。』

  『自性が、

      もし常であれば、

      その作す事もまた常のはずである。

   これでは、

      自性を因であるとしても、

      因と果とが道理として同じである。

   世間とは、

      壊れるものであって常ではない。

   やはり、

     『別に因が有る。』と知るべきである。

   もし、

      自性が衆生の因であるならば、解脱を求めても何になろうか?

      自性が有るのであるから、自性に任せなくてはならず、

   たとえ、

      解脱を得たとしても、自性によってまた縛られることだろう。

   もし、

      自性を見なくても、事物の因を見るのであれば、

      これも、また因ではありえない。

      因と果とは道理として異なるからである。

   しかし、

      世間で事を見るときは、

      因と果とを、悉くいっしょに見ている。』

 

  注:多くの因が働いて多くの果を生じる。

 若自性無心  不應有心因

 如見煙知火  因果類相求

 非彼因不見  而生於見事

 猶金造器服  始終不離金

 自性是事因  始終豈得殊

『もし自性に心無くんば、まさに心の因有るべからず、

 煙を見て火を知るが如く、因果は類して相い求む。

 彼の因見えざるに、事を見るを生ずるに非ず、

 なお金にて器服を造れるに、始終金を離れざるが如し。

 自性これ事の因ならば、始終あに殊なるを得んや。』

  『もし、

      自性に心が無ければ、

      心の因とはなりえない。

   ちょうど、

      煙を見れば火が有ると知れるように、

      因と果とは同類として求めあうからである。

   もし、

      それに因が見えないのに、事が見えるとするならば、

      それは有りえない。

   ちょうど、

      金で器や服を造るとき、始終金を離れることがないように、

      自性が事の因であれば、始終異なることが有りえようか。』

 

  注:果には必ず因が有る。

 若使時作者  不應求解脫

 以彼時常故  應任彼時節

 世間無有邊  時節亦復然

 是故脩行者  不應方便求

 陀羅驃求那  世間一異論

 雖有種種說  當知非一因

『もし時をして作す者ならしめば、まさに解脱を求むべからず、

 彼の時の常なるを以っての故に、まさに彼の時節に任すべし。

 世間は辺有ること無く、時節もまたまた然り、

 この故に修行者は、まさに方便して求むべからず。

 陀羅驃(だらひょう)と求那(ぐな)と、世間は一異を論じ、

 種種の説有りといえども、まさに知るべし、『一因に非ず。』と。』

  『もし、

      時が作すとするならば、

      解脱などは求められまい。

   その

      時とは常であるから、

      その時に任せなくてはならない。

   しかし、

      世間に辺際が無いように、

      時にも辺際が無い。

   この故に、

      修行者は、

         手だてを尽してまで、

         時を求めても何にもならない。

   また、

      実質と性質と、世間では一か異(い、二以上)かを論じている。

   しかし、

      世間に、何のような説が有ろうと、

   これだけは、

      知っていなくてはならない、

     『一因ではない。』のだと。』

 

  :陀羅驃(だらひょう):勝論派六句義第一の実。集合して物質を形成するもの、地水火風空意等。

 若說我作者  應隨欲而生

 而今不隨欲  云何說我作

 不欲而更得  欲者反更違

 苦樂不自在  云何言我作

 若使我作者  應無惡趣業

 種種業果生  故知非我作

 言我隨時作  時應唯作善

 善惡隨緣生  故知非我作

『もし『我作す。』と説かば、まさに欲に随うて生ずべきも、

 今『欲には随わず。』と、云何が『我作す。』と説けるや、

 欲せずして更に得ば、欲すれば反って更に違わん。

 苦楽は自在ならざるを、云何が『我作す。』と言える。

 もし我をして作さしむれば、まさに悪趣の業無かるべきも、

 種種の業に果生ず、故に知らく、『我作すに非ず。』と。

 『我時に随うて作す。』と言わば、時まさにただ善を作すべきも、

 善悪は縁に随うて生ず、故に知らく、『我作すに非ず。』と。』

  『もし、

     『我が作す。』と説くならば、

      欲して生ずることになる。

   しかし、

      今、『欲してではない。』と言う。

   では、

      何故、『我が作す。』と説いたのか?

   もし、

      欲しないのに、得るならば、

      欲しても、反ってそれに逆らうということか?

   このように、

      苦楽が、自在でないものを、

   何故、

     『我が作す。』と言うのか?

   もし、

     『我に作させる。』と言うならば、

      悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に生まれる業など有りえない。

   しかし、

      種種の業に果が生じている。

   この故に、

     『我が作すのではない。』と知れよう。

   もし、

     『我は時が来ることによって作す。』と言えば、

      時はただ善のみを作せばよいではないか?

   善悪は、

      縁によって生じ、

   この故に、

     『我が作すのではない。』と知ることができる。

 

  :我(が):数論派の神我(じんが)、自己の精神的本体。自性を観察するのみ。

  :欲(よく):数論派では神我に属さず自性に属す。

 若使無因作  不應修方便

 一切自然定  修因何所為

 世間種種業  而獲種種果

 是故知一切  非為無因作

 有心及無心  悉從因緣起

 世間一切法  非無因生者

『もし無因をして作さしめば、まさに方便を修むべからず、

 一切は自然に定まれるに、因を修めて何ん為(せ)んや。

 世間には種種の業ありて、種種の果を獲(う)。

 この故に知らく、『一切は、無因にて作すに非ず。』と。

 有心及び無心は、悉く因縁従り起れば、

 世間の一切の法は、無因にて生ずる者に非ず。』

  『もし、

     『因が無くて作す。』と言うならば、

      方便(ほうべん、修行等の手段)を修めて何になろうか?

   一切は、

      自然に定まっているのである、

      因を修めて何になろう。

   世間は、

      種種の業によって、

      種種の果を得るものである。

   この故に、

     『一切は、因が無くて作すことはない。』と知るべきである。

      心が有るも、心が無いも、

      悉く、因縁によって起る。

   世間の、

      一切の事物は、因が無くて生じるものではない。』と。

 

 

 

 

長者は精舎を寄進せんと願い、仏は布施を称える

 長者心開解  通達勝妙義

 一相實智生  決定了真諦

 敬禮世尊足  合掌而

 居在舍婆提  土地豐安樂

 波斯匿大王  師子元族胄

 福コ名稱流  遠近所宗敬

 欲造立精舍  唯願哀愍受

 知佛心平等  所居不求安

 愍彼眾生故  不違我所請

長者が心は開き解け、勝妙の義に通達せり。

一相なる実智生じて、決定して真諦を了(さと)れば、

世尊の足に敬礼し、合掌して啓(もう)し請わく、

『居は舎婆提(しゃばだい)に在れば、土地豊かにして安楽なり、

 波斯匿(はしのく)大王は、師子元族の胄(ちすじ)にて、

 福徳の名は称え流れて、遠近に宗敬さる。

 精舎を造立せんと欲すれば、ただ願わくは哀愍して受けられよ。

 『仏心は平等にして、居る所に安んずることを求めず』と知れども、

 彼の衆生を愍(あわれ)むが故に、わが請う所に違いたもうな。』

長者は、

   心が開けて、疑が解けた。

   勝れて妙なる道理に通達したのである。

   世尊の足に敬礼し、合掌してこう請うた、――

  『わたくしは、

      住居が舎衛城にございます。

   そこは、

      豊かで安楽な国土が広がり、

      波斯匿(はしのく)大王は、

         師子を先祖に持たれる勝れた血筋であり、

         福徳の名声は広く流布して、

         遠くの者も、近くの者も、皆尊び敬っております。

   そこに、

      精舎を建立したいと思いますが、

      どうか哀れみをもって、お受けください。

   仏心は、

      平等であり、

      居所に安穏を求めることはないと知っておりますが、

   そこの、

      衆生に哀れみをもって、

      わたくしの請いを却けられませんように。』

 

  :真諦(しんたい):真実の覚り。

  :敬礼(きょうらい):敬って礼する。

  :居(こ):すまい。居所。

  :舎婆提(しゃばだい):舎衛城の梵名。憍薩羅国の王都。

  :波斯匿(はしのく):憍薩羅国の王。

  :師子元族(ししがんぞく):師子(ライオン)を元祖とする一族。

  :胄(ちゅう):後継者。

  :遠近(おんごん):遠くの者と近くの者。

  :宗敬(しゅうきょう):あがめ敬う。

  :精舎(しょうじゃ):寺院。

  :造立(ぞうりゅう):建立。

  :哀愍(あいみん):哀れむ。

 佛知長者心  大施發於今

 無染無所著  善護眾生心

 汝已見真諦  素心好行施

 錢財非常寶  宜應速施為

 如藏庫被燒  已出者為珍

 明人知無常  出財廣行惠

 慳貪者守惜  恐盡不受用

 亦不畏無常  徒失摎J悔

仏、長者の心を知らく、『大施今に於いて発(ひら)きぬ。

 染無く著せらるる無く、善く衆生を護る心なり。』

『汝すでに真諦を見たるに、素心にて好(よ)く施を行ず。

 銭財は常の宝に非ず、宜しくまさに速かに施すべし。

 蔵庫の焼かるれど、すでに出さば珍と為すが如く、

 明人は無常を知れば、財を出して広く恵を行う。

 慳貪の者は守り惜んで、尽くるを恐れ用うるを受けず、

 また無常を恐れざるは、徒(いたづら)に失うて憂悔を増す。』

仏は、

   長者の心を知った、――

  『今の説法が、このように花開いたのか!

   この心は、

      欲に染まらず、

      何物にも執著せず、

      善く、衆生を護る心である。』

そして、

   こう称えた、――

  『あなたは、

      すでに、真諦(しんたい、人の身心が空であるとする真実)を知り、

      真心で、好んで施しをしている。

   銭財は、

      常でもなく宝でもなく、

      速かに施されるべきである。

   蔵から、

      火が出たときには、

      中の物を速かに出して、

        宝として通用させなくてはならない。

   賢い人が、

      無常を知ったならば、

      財を出して広く施すが、

   慳貪の人は、

      守り惜んで、尽きることを恐れ、

      用いることを、受けつけようとしない。

   また、

      無常を畏れもせず、

      ただ財を失って、憂えを増やす。』

 

  :大施(だいせ):大きな施し。ここでは仏の法施をいう。

  :染(せん):煩悩に染まる心。

  :所著(しょじゃく):執著の対象物。

  :善く衆生を護る心:衆生は五道を輪廻するもの、善く護るとは悪趣に堕ちしめないことをいう。

  :素心(そしん):飾らない心、潔白な心。

  :明人(みょうにん):道理に明るい人。

  :受用(じゅよう):受けて用いる。

  :慳貪(けんどん):惜んで貪る。

  :憂悔(うけ):憂えてくよくよする。

 應時應器施  如健夫臨敵

 能施而能戰  是則勇慧士

 施者眾所愛  善稱廣流聞

 良善樂為友  命終心常歡

 無悔亦無怖  不生餓鬼趣

 此則為花報  其果難思議

 輪迴六趣中  良伴無過施

 若生天人中  為眾所奉事

 生於畜生道  施報隨受樂

 智慧脩寂定  無依無有數

 雖獲甘露道  猶資施以成

『時に応じ器に応じて施せ、健夫の敵に臨むが如く、

 よく施しよく戦うは、これ則ち勇慧の士なり。

 施は衆の愛する所なれば、善く称えて広く流聞す、

 良善の楽をば友と為せ、命終らば心常に歓び、

 悔無くまた怖無く、餓鬼趣に生ぜず。

 これ則ち花報と為し、その果は思議し難し、

 六趣の中(うち)に輪廻するに、良く過無き施を伴とせば、

 もしは天人中に生じて、衆に奉事せられ、

 畜生道に生じては、施の報ずるに随いて楽を受けん。

 智慧にて寂定を修め、依無く数(すう)有ること無く、

 甘露の道を獲といえども、なお資(たす)け施し以って成ずべし。』

  『時に応じて施し、器に応じて施せ!

   勇敢なる戦士が、敵に臨むようにせよ!

   よく施す者も、よく戦う者も、これは勇敢と智慧の人である。

   施す人は人々に愛され、善い名は称えられて広く流布する。

   善良なる、楽しみを友とせよ!

   そうすれば、

      命の終りには、心が常に歓び、

      悔むこと無く、怖れること無く、

      餓鬼趣に、生まれることもない。

   これは、報の花であり、

   この花の果は、考えられないほど素晴らしい。

   六趣の中を輪廻して、過(とが)の無い施しを良き友となせ!

   もし、

      天人中に生まれれば、人々に事(つか)えまつられ、

      畜生道に生まれれば、施しは報いて楽を受けることになる。

   智慧をみがいて、妄心妄想を離れよ!

   頼る者は無く、自らの身心も無い!

   甘露の道を得ても、なお助け施して成しとげよ!』

 

  :健夫(ごんぶ):勇敢な戦士。

  :勇慧(ゆえ):勇気の智慧。

  :花報(けほう):嬉しい報。

  :六趣(ろくしゅ):天人、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄。六道。

  :奉事(ぶじ):奉仕と従事。

  :寂定(じゃくじょう):妄心妄想を離れること。

  :依(え):依止(えし)、拠り所、身心。

  :数(すう):心数法(しんじゅほう)、数々の心の働き。

  :成(じょう):仏と成る。成し遂げる。

 緣彼惠施故  脩八大人念

 隨念歡喜心  決定三摩提

 三昧搨q慧  能正觀生滅

 正觀生滅已  次第得解脫

 捨財惠施者  蠲除於貪著

 慈悲恭敬與  兼除嫉恚慢

 明見惠施果  無施癡見除

 諸結煩惱滅  斯由於惠施

 當知惠施者  則為解脫因

 猶如人種栽  為蔭花果故

 布施亦如是  報樂大涅槃

『彼の恵施に縁ずるが故に、八大人念を修めよ、

 念に随う歓喜心は、三摩提(さんまだい)を決定せん。

 三昧(さんまい)は智慧を増し、よく生滅を正観す、

 生滅を正観しおわりて、次第して解脱を得よ。

 財を捨てて恵施すれば、貪著を蠲除(けんじょ)す、

 慈悲は恭敬と与(とも)に、兼ねて嫉、恚、慢を除かん。

 明らかに恵施の果を見れば、施無きの癡は除かれん、

 諸の結の煩悩滅するは、これ恵施に由る。

 まさに知るべし、『恵施とは、則ち解脱の因たり。』と、

 なお人栽(なえぎ)を種うるは、蔭、花、果の為の故なるが如し。

 布施もまたかくの如し、楽を報いて大涅槃たらん。』

  『このように、

      恵み施すためには、

      仏と同じように八念(無欲、知足、遠離、精勤、正念、定意、智慧、不戯)を修めよ!

   八念は、

      心を歓喜させて、

      三昧(さんまい、一心になること)を決定する。

   三昧は、

      智慧を増進させて、

      生滅を正しく観察させる。

   生滅を正しく観察すれば、やがて解脱を得る。

   財を捨てて恵み施せば、貪欲と執著とを除去し、

   慈悲は恭敬を伴って、兼ねて、嫉妬、瞋恚、高慢を除く。

   明らかに、

      恵み施すことの果を見よ!

   そうすれば、

      施しの無い愚かさが除かれる。

   諸の、

      生死に結びつける煩悩が滅するのは、

   これは、

      恵み施すことに由るのである。

   このように、

     『恵み施すことは、解脱の因である。』と知れ!

   ちょうど、

      人が栽(なえぎ)を種えて、木陰、花、果実を楽しむように、

   また、

      布施をして、報いの大涅槃を楽しめ!』

 

  :恵施(えせ):恵み施す。

  :八大人念(はちだいにんねん):無欲、知足、遠離、精勤、正念、定意、智慧、不戯(『中阿含経巻第18八念経』参照)。大人は仏のこと。

  :三摩提(さんまだい):三昧、心念を一処に止めて散乱させないこと。

  :三昧(さんまい):三摩提。

  :正観(しょうかん):真実を正しく観察する。

  :蠲除(けんじょ):除去。

  :恭敬(くぎょう):恭しく敬う。

  :嫉(しつ):ねたみ、嫉妬。

  :恚(い):いかり、瞋恚。

  :慢(まん):おごり、慢心。

  :癡(ち):おろか、愚癡。

  :結(けつ):人を生死に結びつけるもの、煩悩の異名。

 不堅固財施  獲報堅固果

 施食唯得力  施衣得好色

 若建立精舍  眾果具足成

 或施求五欲  或貪求大財

 或為名聞施  有求生天樂

 或為免貧苦  唯汝無想施

 施中之最上  無利而不獲

 汝心有所弘  宜令速成就

 癡愛心來遊  清淨眼開還

『堅固ならざる財施も、報いて堅固なる果を獲(え)ん、

 食を施せばただ力を得、衣を施せば好き色を得、

 もし精舎を建立すれば、衆果具足して成ず。

 或は施して五欲を求め、或は貪りて大財を求め、

 或は名聞の為に施し、天に生るる楽を求むる有り、

 或は貧苦を免れんが為なり。ただ汝は無想にて施せ、

 施中の最上は、利無くして獲ざるものなり。

 汝が心には弘むる所有り、宜しく速やかに成就せしむべし、

 癡愛、心に来たりて遊びなば、清浄なる眼を開いて還せ。』

  『堅固ならざる財を施して、報いの堅固なる果を得よ!

   食事を施せば、ただ力を得るのみであるが、

   衣を施せば、好もしい物が得られ、

   精舎を建立すれば、多くの果が完全に成就する。

   ある者は、施して五欲の楽しみを求め、

   ある者は、貪って大財を求め、

   ある者は、名聞のために施し、

   ある者は、天に生れて楽を得ようと求め、

   ある者は、施して貧苦を免れようとするが、

   あなたは、

      無想で施せ!

   施しの中の最上は、

      利が無く、得るものも無い。

   あなたは、

      心中に弘めなくてはならない教が有る。

      それを、速かに成就させよ!

   愚癡と愛著とが、

      心に来て遊ぶときは、

      清浄なる眼を開いて追い返せ!』

 

  :好色(こうしき):好もしい物。

  :精舎(しょうじゃ):寺院。

  :五欲(ごよく):色声香味触、欲望を起すもの。

  :癡愛(ちあい):愚癡と愛著。

 

 

 

 

長者は精舎の地を、祇陀太子は樹林を供養する

 長者受佛教  惠心轉摶セ

 請優波低舍  賢友而同歸

 還彼憍薩羅  周行擇良墟

 見太子祇園  林流極清閑

 往詣太子所  請求買其田

 太子甚寶惜  元無出賣心

 設布黃金滿  猶尚地不遷

長者は仏の教を受け、恵心転(うたた)明るみを増せり、

優波低舎(うはていしゃ)を請い、賢友として同じて帰り、

彼の憍薩羅(ごうさら)に還り、周行して良墟を択ばんとす。

太子が祇園(ぎおん)は、林流極めて清閑なり、

往きて太子が所に詣で、請い求めてその田を買わんとせり。

太子甚だ宝のごとく惜み、元より売心を出すこと無く、

『たとい黄金を敷きて満てらんとも、なおなお地は遷らざらん。』

長者は、

   仏の教を受けて、慈恵の心がだんだん明るみを増した。

   舎利弗を請うて伴って帰り、

   憍薩羅国に還りつくと、精舎に適した場所を探し求めた。

祇陀(ぎだ)太子の田園が、

   林と流れとが有って、極めて閑静である。

長者は、

   太子の所に往き、請い求めて買おうとした。

太子は、

   宝のように売り惜しみ、

   まったく売る心を見せずに、こう言った、――

  『たとえ、

      黄金を土地一杯に敷きつめても、

      あの土地を売ることはないであろう。』

 

  :恵心(えしん):慈恵の心。

  :優波低舎(うはていしゃ):舎利弗の別名。(大弟子出家品第十七参照)

  :賢友(けんう):法の師。善知識。

  :良墟(ろうこ):墟(こ、おか)は四方が高く中央がくぼんだ大きな丘。

  :太子:祇陀(ぎだ)、波斯匿(はしのく)王の太子。

  :祇園(ぎおん):梵語、祇桓(ぎおん)、祇(ぎ)は祇陀、桓(おん)は林。祇陀の林園をいう。

  :売心(めしん):売ろうとする心。

 長者心歡喜  即遍布黃金

 祇言我不與  汝云何布金

 長者言不與  何言滿黃金

 二人共諍訟  延及斷事官

 眾皆歎奇特  祇亦知其誠

 廣問其因緣  辭言立精舍

 供養於如來  并及比丘僧

長者心に歓喜して、即ち遍く黄金を布けり。

祇の言わく、『われは与えざるに、汝は云何が金を布ける。』

長者言わく、『与えずんば、何んが『黄金を満てよ。』と言える。』

二人は共に諍訟し、延(ひ)いて断事官にまで及べり。

衆の皆奇特を歎ずるに、祇もまたその誠を知り、

広くその因縁を問い、辞して言わく、『精舎を立てて、

 如来ならびに及び比丘僧に供養せよ。』

長者は、

   心で大いに喜び、

   すぐに黄金を敷きつめた。

祇陀が言う、――

  『売らないと言っているのに、なぜ金を敷きつめた?』

長者は言った、――

  『売る気がないならば、なぜ『黄金を敷きつめよ。』と言ったのか?』

二人は、

   言い争って、とうとう裁判所の判断を仰ぐまでに至った。

人々は、

   皆、これを素晴らしい事だとして誉め讃えた。

祇陀も、

   長者の誠の心を知った。

   つまびらかにその因縁を問い、

   辞しながら、こう言った、――

  『精舎を立てて、如来および比丘僧に供養せよ!』

 太子聞佛名  其心即開悟

 唯取其半金  求和同建立

 汝地我樹林  共以供養佛

 長者地祇林  以付舍利弗

 經始立精舍  晝夜勤速成

 高顯勝莊嚴  猶四天王宮

 隨法順道宜  稱如來所應

 世間未曾有  撈舍衛城

 如來現神蔭  眾聖集安居

 無侍者哀降  有侍資道宜

 長者乘斯福  壽盡上昇天

 子孫繼其業  歷世種福田

太子は仏の名を聞けるに、その心は即ち開け悟れり。

ただその半金をのみを取り、和同して建立せんと求む、

『汝は地をわれは樹林を、共に以って仏を供養せん。』

長者が地と祇が林と、以って舎利弗に付し、

経始(きょうし)して精舎を立つるに、昼夜勤めて速かに成れり。

高く顕われ勝れたる荘厳は、なお四天王の宮のごとく、

法に随い道の宜しきに順(したが)い、如来の所応に称(かな)えり。

世間に未だかつて有らざるが、増々舎衛城に暉(かがや)き、

如来は神蔭を現して、衆聖は安居(あんご)に集まる。

(天は)侍無くんば哀れんで降り、侍有らば道の宜しきを資(たす)く。

長者はその福に乗じて、寿尽くれば天に上昇し、

子孫はその業(わざ)を継いで、世を歴(へ)て福田に種(う)えたり。

太子は、

   仏の名を聞いて、その心が開け悟ったのである。

   約束の半金を受け取ると、共同で精舎を建立しようと求めた、――

  『お前は地を、おれは樹林を、仏に供養することにしよう!』

長者は地を供養し、

祇陀は林を供養して、

   共に舎利弗に付した。

精舎は、

   測量の始めより、昼夜に勤めたので速かに完成した。

   高くそびえ立って、美しく荘厳された、まるで、四天王の宮殿のように。

   仏の教にも適い僧の修行にも適した、まったく如来に相応しいものであった。

   世間に未だかつて無かったものが、舎衛城に耀きを増した。

やがて、

   如来は、素晴らしい教を説いて人々を覆い、

   多くの聖なる弟子たちは、安居(あんご、雨季の居住)に集まるだろう。

   仏に、

      侍者が無ければ、天は哀れみ降って侍者となり、

      侍者が有れば、天はその修行が成就するように助けるだろう。

長者は、

   この施しの福に乗じて、寿が尽きれば天に上り、

   子孫は繁栄してその業を継ぎ、世を継いで福田に種子を植えるだろう。

 

  :和同(わどう):いっしょに。共同。

  :経始(きょうし):建物を建てる初めの測量。糸を張ることにより始める。

  :所応(しょおう):応じて出現するもの。

  :神蔭(じんおん):恩恵。

  :衆聖(しゅしょう):大勢の高弟。

  :安居(あんご):僧侶は雨季には遊行せず、地域ごとの精舎に住居する、そのこと。

  :侍(じ):侍者。

  :福田(ふくでん):福を種える田。布施の対象。

 

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