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(化給孤独品第十八)
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長者給孤独に正法を説いて邪説を破る
化給孤獨品第十八 |
化給孤独(けぎっこどく)品第十八 |
長者給孤独(ぎっこどく)を教化する。
注:給孤独(ぎっこどく):孤独者に食を給するの意。梵名須達多(すだった)、舎衛城の人。 |
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時有大長者 名曰給孤獨 巨富財無量 廣施濟貧乏 遠從於北方 憍薩羅國來 止一知識舍 主人名首羅 聞佛興於世 近住於竹園 承名重其コ 即夜詣彼林 |
時に大長者有り、名を給孤独と曰う、 巨富にして財無量なれど、広く施して貧乏を済う、 遠く北方の、憍薩羅(ごうさら)国より来たりて、 一知識の舎(いえ)に止まれり、主人の名を首羅(しゅら)という。 仏世に興りて、近く竹林に住まると聞き、 名を承けてその徳を重んじ、即ち夜に彼の林に詣(いた)る。 |
その時、 大長者がいた。 彼は、 人々に、 孤独者に食を給する者、給孤独(ぎっこどく)と呼ばれている。 持てる巨額の財産を、 無量に広く、 貧乏人に施していたからだ。 たまたま、 北方の憍薩羅(ごうさら)国より、この摩竭陀(まがだ)国に来ていて、 王舎城の首羅(しゅら)という人の家を宿にしていた。 王舎城には 『仏が世に出られた。近くの竹園(ちくおん)に住んでいられる。』という噂が流れている。 それを、 聞いた給孤独は、 仏という名を聞いて、さぞ立派な人だろうと想像し、 夜に入って涼しくなると、その林に来てみた。
注:知識(ちしき):知人。 注:憍薩羅(ごうさら):国名。舎衛城(しゃえいじょう)を王都とする。 注:首羅(しゅら):給孤独の知人。 注:竹林(ちくりん):精舎名。王舎城に在り、瓶沙王により奉献される。 |
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如來已知彼 根熟淨信生 隨宜稱其實 而為說法言 汝已樂正法 淨信心虛渴 能減於睡眠 而來敬禮我 今日當為汝 具設初賓儀 |
如来はすでに彼を知らく、『根熟して浄信生ぜり。』、 宜しきに随いてその実を称(たた)え、為に法を説いて言わく、 『汝すでに正法を楽(ねが)いて、浄信は心に虚渇せり。 よく睡眠を減じて、来たりてわれを敬礼す、 今日まさに汝が為に、具(つぶさ)に初賓の儀を設くべし。 |
如来は、 彼を見て、 『この人は、すでに 教を受ける能力が熟し、 浄らかな信ずる心が生じている。』と知り、 その人にふさわしく、その心を誉めたたえ、 この人の為に法を説いて、こう言った、―― 『あなたは、 正法を願いもとめて、心で渇望している。 睡眠を減らしまでして、ここに来て、 わたしに礼するのも、そのためだ。 わたしは、 今日あなたのために、 初めての説法をすることにしよう。』、――
注:根(こん):正法を聞く根本的な能力。 注:浄信(じょうしん):浄く信ずる心。疑わない心。 注:随宜(ずいぎ):道理に適う。うまく。 注:正法(しょうぼう):正しい法。仏法。 注:虚渇(こかつ):虚しく渇く。 注:敬礼(きょうらい):敬って礼する。 注:初賓の儀(しょひんのぎ):初対面の儀式。 |
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汝宿殖コ本 堅固淨其望 聞佛名歡喜 堪為正法器 虛懷廣行惠 周給於貧窮 名コ普流聞 果成由宿因 今當行法施 至心精誠施 時施寂靜施 兼受持淨戒 |
『汝が宿(むかし)殖えし徳本は、堅固にその望を浄め、 仏の名を聞いて歓喜するは、正法の器たるに堪う、 虚しく懐(おも)うて広く恵を行じ、周く貧窮に給して、 名徳普く流聞せる、果の成ぜるは宿因に由る。 今まさに法施を行じて、至心に精誠に施し、 時に施し寂静して施し、兼ねて浄戒をば受持すべし。』 |
『あなたが、 昔、過去の世に種えた、徳の本が、 今、果を結んで堅固になり、あなたの望を浄めた。 仏の、 名を聞いて歓喜したのは、 正法の器として堪えられる証拠である。 あなたは、 心を虚しうして広く施し、 あまねく、 貧窮の人に食物を施して、 その徳の名声は、 あまねく、 世間に聞こえている。 このような、 果は、過去世の因が成ったものである。 これからは、 法を施し、真心をささげて施せ! 時にしたがって施し、無欲になって施せ! 兼ねて、 浄戒(じょうかい、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒)を 受けて持(たも)て!』
注:宿殖(しゅくじき):過去世に殖える。 注:徳本(とくほん):来世に徳を得る本。 注:正法の器(しょうぼうのうつわ):正法を水に譬え、それを受ける器。 注:虚懐(こえ):虚心坦懐。私心の無いこと。 注:貧窮(びんぐ):貧困の窮み。 注:流聞(るもん):流布して聞こえる。 注:宿因(しゅくいん):宿世(過去世)に殖えた因。 注:法施(ほうせ):法の施し。説法。 注:至心(ししん):真心より。 注:精誠(しょうじょう):純粋な真心。精心誠意。 注:寂静(じゃくじょう):煩悩を離れるを寂といい、苦患を絶やすを静という。無欲、安穏の境地。 注:受持(じゅじ):受け奉って保持する。 注:浄戒(じょうかい):身心を浄める戒。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五戒。 |
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戒為莊嚴具 能轉於惡趣 令人上昇天 報以天五樂 諸求為大苦 愛欲集諸過 當脩遠離惡 離欲寂靜樂 知老病死苦 世間之大患 正觀察世間 離生老病死 |
『戒は荘厳の具なり、よく悪趣に於いて転じ、 人をして天に上昇せしめ、報ゆるに天の五楽を以ってす。 諸求は大苦なり、愛欲は諸の過(とが)を集む、 まさに悪を遠離し、欲を離れて寂静の楽を修むべし。 老病死の苦は、世間の大患なりと知り、 正しく世間を観察して、生老病死を離るべし。』 |
『戒は、 人を飾る宝石である。 三悪趣(さんあくしゅ、地獄、餓鬼、畜生)に向っている者を、 転じて天に上らせ、天の五欲(色声香味触)の楽しみで報いる。 諸欲は、 大苦であり、 愛欲には、 諸の過失が集まる。 まさに、 悪である欲を離れて、 寂静の楽を修めよ! 老病死の苦は、 世間の大患であると知り、 正しく、 世間を観察して、 生老病死を離れよ!』
注:荘厳の具(しょうごんのぐ):装飾品。 注:悪趣(あくしゅ):地獄、餓鬼、畜生の三悪道。 注:天の五楽(てんのごらく):天に於ける色声香味触の楽。五欲の楽。 注:諸求(しょぐ):諸欲。五欲。色声香味触。 注:遠離(おんり):遠ざける。 注:世間(せけん):俗世間。 注:大患(だいげん):大病。大きな災難。 |
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既見於人間 有老病死苦 生天亦復然 無有常存者 無常則是苦 苦則無有我 無常苦非我 何有我我所 知苦即是苦 集者則為集 苦滅即寂靜 道即安隱處 群生流動性 當知是苦本 厭末塞其源 不願有非有 |
『既に人間に於いては、老病死の苦有りと見る、 天に生ずるもまたまた然り、常に存する者の有ること無く、 無常なれば則ちこれ苦なり、苦なれば則ち我の有ること無し、 無常の苦は我に非ず、何(いか)んが我我所有らん。 苦とは即ちこれ苦なりと知り、集とは則ち集むと為し、 苦の滅するは即ち寂静なり、道とは即ち安穏の処なり、 群生は流動の性なり、まさにこれを苦の本と知り、 末を厭うてその源を塞ぎ、有(う)と非有とを願わざるべし。』 |
『あなたは、すでに、 人間について、老病死の苦が有ることを見た。 しかし、 天に生じても、同じである。 常に、存する者など有るはずがない。 無常であるから、苦であり、 苦であるから、我(が、自我の原因である根本的要素)などは無い。 無常であり、 苦であり、 無我であるならば、 何処に、身や心が有りえようか? 苦諦(くたい)とは、 『これは、苦である。』と知ることである。 集諦(じったい)とは、 『苦を集めるものがある。』と知ることである。 滅諦(めったい)とは、 『苦を集めるものを滅すれば寂静がおとずれる。』と知ることである。 道諦(どうたい)とは、 『苦を滅する道は安穏の処である。』と知ることである。 『衆生とは、流動する性であり、 その流動する性が、苦の本である。』と知ったならば、 次は、 行く末を厭うて、その源を絶て! 『天に生れたい。』とか、 『地獄には生まれたくない。』とか願ってはならない!』
注:無常(むじょう):常に動いて変化しつづける。 注:我(が):自我の本体。自我の主宰。 注:我所(がしょ):我の所有する身心。妄信された身心。 注:苦とは:世間に生ずるは苦である。四聖諦中の苦諦。 注:集とは:五欲に執著して苦を集める。四聖諦中の集諦。 注:苦滅とは:五欲への執著を離れて苦を滅する。四聖諦中の滅諦。 注:道とは、五欲への執著を離れる正しい道。四聖諦中の道諦。 注:群生(ぐんしょう):群れて生きるもの。衆生。 注:流動(るどう):物が変移することを川の流れに譬える。 注:性(しょう):物の本性。改変しない部分。 注:有(う):存在。 注:非有(ひう):非存在。 |
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生老死盛火 世間普熾然 見生死動搖 當習於無想 三摩提究竟 甘露寂靜處 空無我我所 世間悉如幻 當觀於此身 諸大眾行聚 長者聞說法 即得於初果 生死海消滅 唯有一滴餘 |
『生老死の盛んなる火、世間に普く熾然すれば、 生死を見て動揺せん、まさに無想を習うべし、 三摩提(さんまだい)の究竟は、甘露寂静の処にして、 空にして我我所無き、世間は悉く幻の如し。 まさにこの身に於いて、諸の大衆と行衆とを観ずべし。』 長者は説法を聞いて、即ち初果を得たり、 生死の海は消滅し、ただ一滴の余有るのみ。 |
『生老死は、山火事のように、 世間で、盛んに燃えている。 生死を恐れて動揺するならば、 まさに無想を習うのがよい。 三昧(さんまい、心を統一して散乱させない境地)を極めれば、 甘露なる寂静の境地がある。 この三昧中に、 世間は空、無我、無我所であり、 世間は幻のようであると、観察せよ! この身を形づくる、 大衆(だいじゅ、地大、水大、火大、風大の物質の四要素)と、 行衆(ぎょうじゅ、受衆、想衆、行衆、識衆の心の四要素)とを観察せよ!』 長者は、 この説法を聞いて、初果(しょか、聖者になる最初の位)を得た。 生死の海は消滅し、ただ一滴ばかりの煩悩を残すのみである。
注:熾然(しねん):火が盛んに燃える。 注:無想(むそう):何も思い煩わないこと。 注:三摩提(さんまだい):三昧(さんまい)、心念を一処に止めて散乱させないこと。 注:究竟(くきょう):至極。 注:大衆(だいじゅ):物質の四要素とその性。地大=堅、水大=湿、火大=暖、風大=動。 注:行衆(ぎょうじゅ):心の働き。色受想行識中の行、五蘊中より色受想識を除いた残りの分。しかしここでは五蘊中の色蘊を除いた残りをいう。 注:初果(しょか):聖者の流れに入る最初の位。須陀洹(しゅだおん)。 |
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空閑修離欲 第一有無身 不如今俗人 見諦真解脫 不離諸苦行 種種異見網 雖至第一有 不見真實義 邪想著天福 有愛縛轉深 長者聞說法 陰蓋煥然開 逮得於正見 諸邪見永除 猶如秋歯浴@ 飄散於重雲 |
『空閑にて欲を離るるを修め、第一有(だいいちう)の無身たるも、 今俗人にして、諦を見て真に解脱せるには如(し)かず。 諸の苦行と、種種の異見の網を離れずんば、 第一有に至るといえども、真実の義を見ず、 邪想は天の福に著して、愛縛の転(うた)た深まること有り。』 長者は説法を聞いて、陰(おん)の蓋(ふた)煥然として開き、 正見を逮得して、諸の邪見は永く除(のぞ)こり、 なお秋の歯浴iらいふう)の、重き雲を飄散するが如し。 |
仏は、さらに説いた、―― 『静かな処で修行して欲を離れ、 無色界に生まれたとしても、 今、あなたが俗人のままに、 四諦(したい、苦諦、集諦、滅諦、道諦)を見て得た、 真の解脱には及ばない。 諸の苦行を離れ、 種種の邪見の網を脱れなければ、 たとえ無色界に生まれても、 真実の義は見えてこない。 邪な望を懐いて、 天の福を得ようとするならば、 愛執に縛られて、さらに深みにはまるだろう。』 長者は、 この説法を聞いて、 真実を覆っていた蓋が明るくぱっと開き、真実が見えてきた。 邪見が起ることはもうないだろう。 ちょうど、 激しい秋の風に吹かれて、重い雲がちぎれ去ってしまうように。
注:空閑(くうげん):静かな処。 注:第一有(だいいちう):有は色無色界中の定及び依身。無色界の最頂天。外道の執著する処。 注:無身(むしん):無色界では肉身が無く、意識のみが有る。 注:諦(たい):先に出た四聖諦(ししょうたい)。 注:解脱(げだつ):煩悩の結縛を解いて脱れる。生死を離れる。 注:異見(いけん):邪見。邪義を説く見解。 注:邪想(じゃそう):邪なる想念。 注:愛縛(あいばく):愛による結縛。煩悩の異名。 注:陰(おん):陰(かげ)さして真実を隠すもの。色受想行識の五陰。人の身心。 注:煥然(かんねん):あかあかと耀く。 注:逮得(たいとく):追い求めて得る。 注:歯浴iらいふう):台風のように激しい風。 注:飄散(ひょうさん):風が吹き散らす。 |
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不計自在因 亦非邪因生 亦復非無因 而生於世間 若自在天生 無長幼先後 亦無五道輪 生者不應滅 亦不應災患 為惡亦非過 淨與不淨業 斯由自在天 |
『自在の因を計せず、また邪因にて生ずるにも非ず、 またまた因無くして、されど世間に生ずるにも非ず。 もし自在天生ぜんには、長幼も先後も無からん、 また五道の輪も無く、生まれたる者はまさに滅すべからず、 またまさに災患せず、悪を為せどもまた過(とが)に非ずして、 浄と不浄との業は、これ自在天に由るべし。』 |
さらに、―― 『福徳も災難も、 自在天のしわざだと思いまどうな! 邪なる者には、 何も起せないのだから。 しかし、 因が無いと思ってはならない! 世間に起る事は、すべてに因が有る。 もし、 自在天によって、人が世間に生まれるならば、 当然、 自在とはすべてを一時に為すのであるから、 長幼も先後も無いはずである。 また、 五道(天上、人間、畜生、餓鬼、地獄)に輪廻することも無く、 生まれた者が、滅することもない。 また、 災難に遭うことも無く、 悪を為しても過(とが)となるはずもない。 何故ならば、 浄も不浄も一切の業は、皆自在天に由るからである。』
注:自在(じざい):大自在天(だいじざいてん)、色界の頂天に住み、世界の主。 注:五道の輪(ごどうのりん):地獄、餓鬼、畜生、人間、天上の五道を輪廻すること。 |
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若自在天生 世間不應疑 如子從父生 孰不識其尊 人遭窮苦時 不應反怨天 悉應宗自在 不應奉餘神 自在是作者 不應名自在 以其是作故 彼則應常作 常作則自勞 何名為自在 |
『もし自在天生ぜんには、世間はまさに疑うべからず、 子の父より生ずるが如きに、孰(だれ)かその尊を識らざらん。 人の窮苦に遭える時、まさに反って天を怨むべからず、 悉くまさに自在を宗(あが)むべく、まさに余神を奉ずべからず、 自在はこれ作者ならば、まさに自在と名づくべからず、 それこの作すを以っての故なり、彼は則ちまさに常に作すべし、 常に作さば則ち自ら労す、何んが名づけて自在と為さん。』 |
『もし、 自在天が人を生ずるならば、 世間は、誰もそれを疑わない。 ちょうど、 父が子を生む時、 誰を尊ぶべきかを知らない者がないように。 また、 人が極苦に遭ったところで、天を怨む者も無く、 皆、 自在天を崇めて、その他の神を奉じない。 もし、 自在天が、何かを行うならば、 自在とは呼ばれまい。 何故ならば、 彼は、行うからである。 常に行って、自ら労する者の、 何処に、自在が有るというのか?』
注:窮苦(ぐうく):苦の窮み。 |
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若無心而作 如嬰兒所為 若有心而作 有心非自在 苦樂由眾生 則非自在作 自在生苦樂 彼應有愛憎 已有愛憎故 不應稱自在 若復自在作 眾生應默然 任彼自在力 何用修善為 正復修善惡 不應有業報 |
『もし心無くて作さば、嬰児の為す所の如く、 もし心有りて作さば、心有るは自在に非ず。 苦楽は衆生に由れば、則ち自在の作すに非ず、 自在、苦楽を生ぜば、彼はまさに愛憎有るべし、 すでに愛憎有るが故に、まさに自在と称すべからず。 もしまた自在作さば、衆生はまさに黙然として、 彼の自在力に任すべし、修善を用いて何んせん、 正にまた善悪を修むれど、まさに業報の有るべからず。』 |
『もし、 自在天が、 無心に作すというならば、まるで嬰児のようではないか? もし、 心得て作すならば、心得なくてならない者の何処に自在があるのか? 苦楽とは、 衆生自らの因に由るのであり、 自在天の作すことではない! 自在天が、 衆生に苦楽を与えるならば、 そこには愛憎が有るはずである。 そこに、 愛憎が有るならば、何うしてそれが自在であろうか? もし、 自在天が作すならば、 衆生は黙っているほかはない! すべて、 彼に任せてしまえばよいのに、 何故、 善を修める必要があるのか? まさに、 善を修めようと悪を為そうと、 業報などは有るはずがないではないか?』
注:嬰児(ように):幼児。 注:修善(しゅぜん):善を行う。 |
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自在若業生 一切則共業 若是共業者 皆應稱自在 自在若無因 一切亦應無 若因餘自在 自在應無窮 是故諸眾生 悉無有作者 當知自在義 於此論則壞 一切義相違 無說則有過 |
『自在、もし業を生ぜば、一切は則ち業を共にせん、 もしこれ業を共にせば、皆まさに自在と称すべし。 自在、もし因無くば、一切もまたまさに無かるべし、 もし余の自在に因せば、自在もまさに無窮なるべし。 この故に諸の衆生は、悉く作者の有ること無し、 まさに知るべし、自在の義、この論に於いて則ち壊(やぶ)れぬと。 一切の義の相違せること、説く無くんば則ち過有らん。』 |
『自在天が、 業(ごう、善悪の行為の蓄積、次の世に業報を生じる)を生じるならば、 一切の衆生は、 同じ業の報いを受けるはずであり、 もし、共に 同じ業の報いを受けるならば、 皆が、自在天であると称するはずである。 自在天が、 禍福の因でなければ、一切の天もまた因では無い。 もし、 別の自在天が因であるとするならば、自在天は無数に有る。 この故に、 諸の衆生の禍福は、悉く誰もそれを作さない! これで、 知ることができよう、『自在天は関係ない。』と。 一切の自在天の義は、このように間違っている。 このように説かなければ、そこには過失が有る。』
注:無窮(むぐう):窮まり無し。 |
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若復自性生 其過亦如是 諸明因論者 未曾如是說 無所依無因 而能有所作 彼彼皆由因 猶如依種子 是故知一切 則非自性生 一切諸所作 非唯一因生 而說一自性 是故則非因 |
『もしまた自性生ずとせば、その過もまたかくの如し。 諸の明因の論者、未だかつてかくの如く説かず、 『依る所無く因無きに、よく作す所有る』とは。 彼と彼と皆因に由ればなり、なお種子に依るが如し。 この故に知らく、『一切は、則ち自性の生に非ず。』と、 一切の諸の作す所は、唯一の因の生に非ざれば、 一自性を説くも、この故に則ち因に非ざるなり。』 |
『もし、 自性(じしょう、人の物質的原理)が人を生ずるというならば、 これも、 また過失である。 学者であれば、 誰も、『作す者も無く因も無いのに、作された事が有る。』とは説かない。 どれもこれも、 一切すべては、皆、因に由る、 ちょうど、 一切の作物が、皆種子に依って生じるように。 この故に、 『一切は、自性が生ずるものではない。』と知らなくてはならない。 一切の、 諸の作された事は、 唯一の、因に由って生ずるものではない! この故に、 『一自性が生じる。』と説くのは間違いであり、 この自性は因では無いのである。』
注:自性(じしょう):数論学派は、人の精神的原理を我といい、物質的原理を自性という。 注:明因の論者(みょういんのろんじゃ):論理を説く者。 注:所依(しょえ):依って生ずる所、生みの親。 |
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若言彼自性 周滿一切處 若周滿一切 亦無能所作 既無能所作 是則非為因 若遍一切處 一切有作者 是則一切時 常應有所作 若言常作者 無待時生物 是故應當知 非自性為因 |
『もしは言わく、『彼の自性、周く一切の処に満つ、 もしくは周く一切に満つれど、またよく作す所無し。』と。 既によく作す所無し、これ則ち因たるに非ず。 もし一切の処に遍くんば、一切(の所)に作す者有らん、 これ則ち一切の時に、常にまさに作す所有るべし。 もし、『常に作す。』と言わば、時を待ちて物を生ずること無からん。 この故にまさに知るべし、自性は因たるに非ずと。』 |
『もしは、こう言うかもしれない、―― 『自性というものは、周く一切の処に満ちている。 もしくは、一切の処に満ちているが、何も作さない。』と。 もし、 何も作さなければ、これは何の因にもなりえない。 もし、 一切の処に満ちて、一切の処に作す者が有れば、 これは、 一切の時に、常に作された物が有るはずである。 もし、 『常に作す。』と言うならば、 これは、 時を待って物を生じるのではない。 この故に、 『自性は因とはなりえない。』と知れよう。』 |
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又說彼自性 離一切求那 一切所作事 亦應離求那 一切諸世間 悉見有求那 是故知自性 亦復非為因 若說彼自性 異於求那者 以常為因故 其性不應異 眾生求那異 故自性非因 |
『また説かく、『彼の自性は、一切の求那(ぐな)を離る。』と。 一切の作す所の事も、またまさに求那を離るるべきも、 一切の諸の世間は、悉く求那有りと見る。 この故に知らく、『自性も、またまた因たるに非ず。』 もしは説かく、『彼の自性は、求那と異なる。』と。 常に因と為すを以っての故に、その性はまさに異なるべからず、 衆生と求那とは異なりて、故に自性は因に非ず。』 |
『また、ある者はこう説く、―― 『自性は、一切の性質(色声香味触、苦楽、功徳、罪障等)を持たない。』と。 そうではない!それどころか、 一切の作された事も、また性質を持っていないのである。 しかし、 一切の諸の世間は、そうは思わず、悉く、性質が有ると思っている。 この故に、 『自性も、また因とは為りえない。』と知るべきである。 あるいは、 『自性は、性質とは異なる。』と言うものもいるが、 常に、 自性が、性質の因ならば、 その性は、異らないはずである。 衆生は、 性質とは異なるのであるから、 やはり、 自性は衆生の因とは為りえない。』
注:求那(ぐな):勝論派六句義第二の徳、即ち性質、色声香味触、苦楽、功徳、罪障等。 |
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自性若常者 事亦不應壞 以自性為因 因果理應同 世間見壞故 當知別有因 若彼自性因 不應求解脫 以有自性故 應任彼生滅 假令得解脫 自性還生縛 若自性不見 為見法因者 此亦非為因 因果理殊故 世間諸見事 因果悉俱見 |
『自性もし常ならば、事もまたまさに壊(こぼ)つべからず、 自性を以って因と為さば、因果は理としてまさに同じかるべし。 世間は壊たるるが故に、まさに知るべし、『別に因有り。』と。 もし彼の自性因たらば、まさに解脱を求むべからず、 自性有るを以っての故に、まさに彼に生滅を任すべし、 仮令(たとい)解脱を得ても、自性はまた縛を生ぜん。 もし自性を見ざるも、法の因を見ると為さば、 これもまた因たるに非ず、因果は理として殊なるが故なり。 世間は諸の事を見るに、因果を悉く倶に見るなり。』 |
『自性が、 もし常であれば、 その作す事もまた常のはずである。 これでは、 自性を因であるとしても、 因と果とが道理として同じである。 世間とは、 壊れるものであって常ではない。 やはり、 『別に因が有る。』と知るべきである。 もし、 自性が衆生の因であるならば、解脱を求めても何になろうか? 自性が有るのであるから、自性に任せなくてはならず、 たとえ、 解脱を得たとしても、自性によってまた縛られることだろう。 もし、 自性を見なくても、事物の因を見るのであれば、 これも、また因ではありえない。 因と果とは道理として異なるからである。 しかし、 世間で事を見るときは、 因と果とを、悉くいっしょに見ている。』
注:多くの因が働いて多くの果を生じる。 |
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若自性無心 不應有心因 如見煙知火 因果類相求 非彼因不見 而生於見事 猶金造器服 始終不離金 自性是事因 始終豈得殊 |
『もし自性に心無くんば、まさに心の因有るべからず、 煙を見て火を知るが如く、因果は類して相い求む。 彼の因見えざるに、事を見るを生ずるに非ず、 なお金にて器服を造れるに、始終金を離れざるが如し。 自性これ事の因ならば、始終あに殊なるを得んや。』 |
『もし、 自性に心が無ければ、 心の因とはなりえない。 ちょうど、 煙を見れば火が有ると知れるように、 因と果とは同類として求めあうからである。 もし、 それに因が見えないのに、事が見えるとするならば、 それは有りえない。 ちょうど、 金で器や服を造るとき、始終金を離れることがないように、 自性が事の因であれば、始終異なることが有りえようか。』
注:果には必ず因が有る。 |
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若使時作者 不應求解脫 以彼時常故 應任彼時節 世間無有邊 時節亦復然 是故脩行者 不應方便求 陀羅驃求那 世間一異論 雖有種種說 當知非一因 |
『もし時をして作す者ならしめば、まさに解脱を求むべからず、 彼の時の常なるを以っての故に、まさに彼の時節に任すべし。 世間は辺有ること無く、時節もまたまた然り、 この故に修行者は、まさに方便して求むべからず。 陀羅驃(だらひょう)と求那(ぐな)と、世間は一異を論じ、 種種の説有りといえども、まさに知るべし、『一因に非ず。』と。』 |
『もし、 時が作すとするならば、 解脱などは求められまい。 その 時とは常であるから、 その時に任せなくてはならない。 しかし、 世間に辺際が無いように、 時にも辺際が無い。 この故に、 修行者は、 手だてを尽してまで、 時を求めても何にもならない。 また、 実質と性質と、世間では一か異(い、二以上)かを論じている。 しかし、 世間に、何のような説が有ろうと、 これだけは、 知っていなくてはならない、 『一因ではない。』のだと。』
注:陀羅驃(だらひょう):勝論派六句義第一の実。集合して物質を形成するもの、地水火風空意等。 |
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若說我作者 應隨欲而生 而今不隨欲 云何說我作 不欲而更得 欲者反更違 苦樂不自在 云何言我作 若使我作者 應無惡趣業 種種業果生 故知非我作 言我隨時作 時應唯作善 善惡隨緣生 故知非我作 |
『もし『我作す。』と説かば、まさに欲に随うて生ずべきも、 今『欲には随わず。』と、云何が『我作す。』と説けるや、 欲せずして更に得ば、欲すれば反って更に違わん。 苦楽は自在ならざるを、云何が『我作す。』と言える。 もし我をして作さしむれば、まさに悪趣の業無かるべきも、 種種の業に果生ず、故に知らく、『我作すに非ず。』と。 『我時に随うて作す。』と言わば、時まさにただ善を作すべきも、 善悪は縁に随うて生ず、故に知らく、『我作すに非ず。』と。』 |
『もし、 『我が作す。』と説くならば、 欲して生ずることになる。 しかし、 今、『欲してではない。』と言う。 では、 何故、『我が作す。』と説いたのか? もし、 欲しないのに、得るならば、 欲しても、反ってそれに逆らうということか? このように、 苦楽が、自在でないものを、 何故、 『我が作す。』と言うのか? もし、 『我に作させる。』と言うならば、 悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に生まれる業など有りえない。 しかし、 種種の業に果が生じている。 この故に、 『我が作すのではない。』と知れよう。 もし、 『我は時が来ることによって作す。』と言えば、 時はただ善のみを作せばよいではないか? 善悪は、 縁によって生じ、 この故に、 『我が作すのではない。』と知ることができる。
注:我(が):数論派の神我(じんが)、自己の精神的本体。自性を観察するのみ。 注:欲(よく):数論派では神我に属さず自性に属す。 |
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若使無因作 不應修方便 一切自然定 修因何所為 世間種種業 而獲種種果 是故知一切 非為無因作 有心及無心 悉從因緣起 世間一切法 非無因生者 |
『もし無因をして作さしめば、まさに方便を修むべからず、 一切は自然に定まれるに、因を修めて何ん為(せ)んや。 世間には種種の業ありて、種種の果を獲(う)。 この故に知らく、『一切は、無因にて作すに非ず。』と。 有心及び無心は、悉く因縁従り起れば、 世間の一切の法は、無因にて生ずる者に非ず。』 |
『もし、 『因が無くて作す。』と言うならば、 方便(ほうべん、修行等の手段)を修めて何になろうか? 一切は、 自然に定まっているのである、 因を修めて何になろう。 世間は、 種種の業によって、 種種の果を得るものである。 この故に、 『一切は、因が無くて作すことはない。』と知るべきである。 心が有るも、心が無いも、 悉く、因縁によって起る。 世間の、 一切の事物は、因が無くて生じるものではない。』と。 |
長者は精舎を寄進せんと願い、仏は布施を称える
長者心開解 通達勝妙義 一相實智生 決定了真諦 敬禮世尊足 合掌而啟請 居在舍婆提 土地豐安樂 波斯匿大王 師子元族胄 福コ名稱流 遠近所宗敬 欲造立精舍 唯願哀愍受 知佛心平等 所居不求安 愍彼眾生故 不違我所請 |
長者が心は開き解け、勝妙の義に通達せり。 一相なる実智生じて、決定して真諦を了(さと)れば、 世尊の足に敬礼し、合掌して啓(もう)し請わく、 『居は舎婆提(しゃばだい)に在れば、土地豊かにして安楽なり、 波斯匿(はしのく)大王は、師子元族の胄(ちすじ)にて、 福徳の名は称え流れて、遠近に宗敬さる。 精舎を造立せんと欲すれば、ただ願わくは哀愍して受けられよ。 『仏心は平等にして、居る所に安んずることを求めず』と知れども、 彼の衆生を愍(あわれ)むが故に、わが請う所に違いたもうな。』 |
長者は、 心が開けて、疑が解けた。 勝れて妙なる道理に通達したのである。 世尊の足に敬礼し、合掌してこう請うた、―― 『わたくしは、 住居が舎衛城にございます。 そこは、 豊かで安楽な国土が広がり、 波斯匿(はしのく)大王は、 師子を先祖に持たれる勝れた血筋であり、 福徳の名声は広く流布して、 遠くの者も、近くの者も、皆尊び敬っております。 そこに、 精舎を建立したいと思いますが、 どうか哀れみをもって、お受けください。 仏心は、 平等であり、 居所に安穏を求めることはないと知っておりますが、 そこの、 衆生に哀れみをもって、 わたくしの請いを却けられませんように。』
注:真諦(しんたい):真実の覚り。 注:敬礼(きょうらい):敬って礼する。 注:居(こ):すまい。居所。 注:舎婆提(しゃばだい):舎衛城の梵名。憍薩羅国の王都。 注:波斯匿(はしのく):憍薩羅国の王。 注:師子元族(ししがんぞく):師子(ライオン)を元祖とする一族。 注:胄(ちゅう):後継者。 注:遠近(おんごん):遠くの者と近くの者。 注:宗敬(しゅうきょう):あがめ敬う。 注:精舎(しょうじゃ):寺院。 注:造立(ぞうりゅう):建立。 注:哀愍(あいみん):哀れむ。 |
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佛知長者心 大施發於今 無染無所著 善護眾生心 汝已見真諦 素心好行施 錢財非常寶 宜應速施為 如藏庫被燒 已出者為珍 明人知無常 出財廣行惠 慳貪者守惜 恐盡不受用 亦不畏無常 徒失摎J悔 |
仏、長者の心を知らく、『大施今に於いて発(ひら)きぬ。 染無く著せらるる無く、善く衆生を護る心なり。』 『汝すでに真諦を見たるに、素心にて好(よ)く施を行ず。 銭財は常の宝に非ず、宜しくまさに速かに施すべし。 蔵庫の焼かるれど、すでに出さば珍と為すが如く、 明人は無常を知れば、財を出して広く恵を行う。 慳貪の者は守り惜んで、尽くるを恐れ用うるを受けず、 また無常を恐れざるは、徒(いたづら)に失うて憂悔を増す。』 |
仏は、 長者の心を知った、―― 『今の説法が、このように花開いたのか! この心は、 欲に染まらず、 何物にも執著せず、 善く、衆生を護る心である。』 そして、 こう称えた、―― 『あなたは、 すでに、真諦(しんたい、人の身心が空であるとする真実)を知り、 真心で、好んで施しをしている。 銭財は、 常でもなく宝でもなく、 速かに施されるべきである。 蔵から、 火が出たときには、 中の物を速かに出して、 宝として通用させなくてはならない。 賢い人が、 無常を知ったならば、 財を出して広く施すが、 慳貪の人は、 守り惜んで、尽きることを恐れ、 用いることを、受けつけようとしない。 また、 無常を畏れもせず、 ただ財を失って、憂えを増やす。』
注:大施(だいせ):大きな施し。ここでは仏の法施をいう。 注:染(せん):煩悩に染まる心。 注:所著(しょじゃく):執著の対象物。 注:善く衆生を護る心:衆生は五道を輪廻するもの、善く護るとは悪趣に堕ちしめないことをいう。 注:素心(そしん):飾らない心、潔白な心。 注:明人(みょうにん):道理に明るい人。 注:受用(じゅよう):受けて用いる。 注:慳貪(けんどん):惜んで貪る。 注:憂悔(うけ):憂えてくよくよする。 |
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應時應器施 如健夫臨敵 能施而能戰 是則勇慧士 施者眾所愛 善稱廣流聞 良善樂為友 命終心常歡 無悔亦無怖 不生餓鬼趣 此則為花報 其果難思議 輪迴六趣中 良伴無過施 若生天人中 為眾所奉事 生於畜生道 施報隨受樂 智慧脩寂定 無依無有數 雖獲甘露道 猶資施以成 |
『時に応じ器に応じて施せ、健夫の敵に臨むが如く、 よく施しよく戦うは、これ則ち勇慧の士なり。 施は衆の愛する所なれば、善く称えて広く流聞す、 良善の楽をば友と為せ、命終らば心常に歓び、 悔無くまた怖無く、餓鬼趣に生ぜず。 これ則ち花報と為し、その果は思議し難し、 六趣の中(うち)に輪廻するに、良く過無き施を伴とせば、 もしは天人中に生じて、衆に奉事せられ、 畜生道に生じては、施の報ずるに随いて楽を受けん。 智慧にて寂定を修め、依無く数(すう)有ること無く、 甘露の道を獲といえども、なお資(たす)け施し以って成ずべし。』 |
『時に応じて施し、器に応じて施せ! 勇敢なる戦士が、敵に臨むようにせよ! よく施す者も、よく戦う者も、これは勇敢と智慧の人である。 施す人は人々に愛され、善い名は称えられて広く流布する。 善良なる、楽しみを友とせよ! そうすれば、 命の終りには、心が常に歓び、 悔むこと無く、怖れること無く、 餓鬼趣に、生まれることもない。 これは、報の花であり、 この花の果は、考えられないほど素晴らしい。 六趣の中を輪廻して、過(とが)の無い施しを良き友となせ! もし、 天人中に生まれれば、人々に事(つか)えまつられ、 畜生道に生まれれば、施しは報いて楽を受けることになる。 智慧をみがいて、妄心妄想を離れよ! 頼る者は無く、自らの身心も無い! 甘露の道を得ても、なお助け施して成しとげよ!』
注:健夫(ごんぶ):勇敢な戦士。 注:勇慧(ゆえ):勇気の智慧。 注:花報(けほう):嬉しい報。 注:六趣(ろくしゅ):天人、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄。六道。 注:奉事(ぶじ):奉仕と従事。 注:寂定(じゃくじょう):妄心妄想を離れること。 注:依(え):依止(えし)、拠り所、身心。 注:数(すう):心数法(しんじゅほう)、数々の心の働き。 注:成(じょう):仏と成る。成し遂げる。 |
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緣彼惠施故 脩八大人念 隨念歡喜心 決定三摩提 三昧搨q慧 能正觀生滅 正觀生滅已 次第得解脫 捨財惠施者 蠲除於貪著 慈悲恭敬與 兼除嫉恚慢 明見惠施果 無施癡見除 諸結煩惱滅 斯由於惠施 當知惠施者 則為解脫因 猶如人種栽 為蔭花果故 布施亦如是 報樂大涅槃 |
『彼の恵施に縁ずるが故に、八大人念を修めよ、 念に随う歓喜心は、三摩提(さんまだい)を決定せん。 三昧(さんまい)は智慧を増し、よく生滅を正観す、 生滅を正観しおわりて、次第して解脱を得よ。 財を捨てて恵施すれば、貪著を蠲除(けんじょ)す、 慈悲は恭敬と与(とも)に、兼ねて嫉、恚、慢を除かん。 明らかに恵施の果を見れば、施無きの癡は除かれん、 諸の結の煩悩滅するは、これ恵施に由る。 まさに知るべし、『恵施とは、則ち解脱の因たり。』と、 なお人栽(なえぎ)を種うるは、蔭、花、果の為の故なるが如し。 布施もまたかくの如し、楽を報いて大涅槃たらん。』 |
『このように、 恵み施すためには、 仏と同じように八念(無欲、知足、遠離、精勤、正念、定意、智慧、不戯)を修めよ! 八念は、 心を歓喜させて、 三昧(さんまい、一心になること)を決定する。 三昧は、 智慧を増進させて、 生滅を正しく観察させる。 生滅を正しく観察すれば、やがて解脱を得る。 財を捨てて恵み施せば、貪欲と執著とを除去し、 慈悲は恭敬を伴って、兼ねて、嫉妬、瞋恚、高慢を除く。 明らかに、 恵み施すことの果を見よ! そうすれば、 施しの無い愚かさが除かれる。 諸の、 生死に結びつける煩悩が滅するのは、 これは、 恵み施すことに由るのである。 このように、 『恵み施すことは、解脱の因である。』と知れ! ちょうど、 人が栽(なえぎ)を種えて、木陰、花、果実を楽しむように、 また、 布施をして、報いの大涅槃を楽しめ!』
注:恵施(えせ):恵み施す。 注:八大人念(はちだいにんねん):無欲、知足、遠離、精勤、正念、定意、智慧、不戯(『中阿含経巻第18八念経』参照)。大人は仏のこと。 注:三摩提(さんまだい):三昧、心念を一処に止めて散乱させないこと。 注:三昧(さんまい):三摩提。 注:正観(しょうかん):真実を正しく観察する。 注:蠲除(けんじょ):除去。 注:恭敬(くぎょう):恭しく敬う。 注:嫉(しつ):ねたみ、嫉妬。 注:恚(い):いかり、瞋恚。 注:慢(まん):おごり、慢心。 注:癡(ち):おろか、愚癡。 注:結(けつ):人を生死に結びつけるもの、煩悩の異名。 |
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不堅固財施 獲報堅固果 施食唯得力 施衣得好色 若建立精舍 眾果具足成 或施求五欲 或貪求大財 或為名聞施 有求生天樂 或為免貧苦 唯汝無想施 施中之最上 無利而不獲 汝心有所弘 宜令速成就 癡愛心來遊 清淨眼開還 |
『堅固ならざる財施も、報いて堅固なる果を獲(え)ん、 食を施せばただ力を得、衣を施せば好き色を得、 もし精舎を建立すれば、衆果具足して成ず。 或は施して五欲を求め、或は貪りて大財を求め、 或は名聞の為に施し、天に生るる楽を求むる有り、 或は貧苦を免れんが為なり。ただ汝は無想にて施せ、 施中の最上は、利無くして獲ざるものなり。 汝が心には弘むる所有り、宜しく速やかに成就せしむべし、 癡愛、心に来たりて遊びなば、清浄なる眼を開いて還せ。』 |
『堅固ならざる財を施して、報いの堅固なる果を得よ! 食事を施せば、ただ力を得るのみであるが、 衣を施せば、好もしい物が得られ、 精舎を建立すれば、多くの果が完全に成就する。 ある者は、施して五欲の楽しみを求め、 ある者は、貪って大財を求め、 ある者は、名聞のために施し、 ある者は、天に生れて楽を得ようと求め、 ある者は、施して貧苦を免れようとするが、 あなたは、 無想で施せ! 施しの中の最上は、 利が無く、得るものも無い。 あなたは、 心中に弘めなくてはならない教が有る。 それを、速かに成就させよ! 愚癡と愛著とが、 心に来て遊ぶときは、 清浄なる眼を開いて追い返せ!』
注:好色(こうしき):好もしい物。 注:精舎(しょうじゃ):寺院。 注:五欲(ごよく):色声香味触、欲望を起すもの。 注:癡愛(ちあい):愚癡と愛著。 |
長者は精舎の地を、祇陀太子は樹林を供養する
長者受佛教 惠心轉摶セ 請優波低舍 賢友而同歸 還彼憍薩羅 周行擇良墟 見太子祇園 林流極清閑 往詣太子所 請求買其田 太子甚寶惜 元無出賣心 設布黃金滿 猶尚地不遷 |
長者は仏の教を受け、恵心転(うたた)明るみを増せり、 優波低舎(うはていしゃ)を請い、賢友として同じて帰り、 彼の憍薩羅(ごうさら)に還り、周行して良墟を択ばんとす。 太子が祇園(ぎおん)は、林流極めて清閑なり、 往きて太子が所に詣で、請い求めてその田を買わんとせり。 太子甚だ宝のごとく惜み、元より売心を出すこと無く、 『たとい黄金を敷きて満てらんとも、なおなお地は遷らざらん。』 |
長者は、 仏の教を受けて、慈恵の心がだんだん明るみを増した。 舎利弗を請うて伴って帰り、 憍薩羅国に還りつくと、精舎に適した場所を探し求めた。 祇陀(ぎだ)太子の田園が、 林と流れとが有って、極めて閑静である。 長者は、 太子の所に往き、請い求めて買おうとした。 太子は、 宝のように売り惜しみ、 まったく売る心を見せずに、こう言った、―― 『たとえ、 黄金を土地一杯に敷きつめても、 あの土地を売ることはないであろう。』
注:恵心(えしん):慈恵の心。 注:優波低舎(うはていしゃ):舎利弗の別名。(大弟子出家品第十七参照) 注:賢友(けんう):法の師。善知識。 注:良墟(ろうこ):墟(こ、おか)は四方が高く中央がくぼんだ大きな丘。 注:太子:祇陀(ぎだ)、波斯匿(はしのく)王の太子。 注:祇園(ぎおん):梵語、祇桓(ぎおん)、祇(ぎ)は祇陀、桓(おん)は林。祇陀の林園をいう。 注:売心(めしん):売ろうとする心。 |
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長者心歡喜 即遍布黃金 祇言我不與 汝云何布金 長者言不與 何言滿黃金 二人共諍訟 延及斷事官 眾皆歎奇特 祇亦知其誠 廣問其因緣 辭言立精舍 供養於如來 并及比丘僧 |
長者心に歓喜して、即ち遍く黄金を布けり。 祇の言わく、『われは与えざるに、汝は云何が金を布ける。』 長者言わく、『与えずんば、何んが『黄金を満てよ。』と言える。』 二人は共に諍訟し、延(ひ)いて断事官にまで及べり。 衆の皆奇特を歎ずるに、祇もまたその誠を知り、 広くその因縁を問い、辞して言わく、『精舎を立てて、 如来ならびに及び比丘僧に供養せよ。』 |
長者は、 心で大いに喜び、 すぐに黄金を敷きつめた。 祇陀が言う、―― 『売らないと言っているのに、なぜ金を敷きつめた?』 長者は言った、―― 『売る気がないならば、なぜ『黄金を敷きつめよ。』と言ったのか?』 二人は、 言い争って、とうとう裁判所の判断を仰ぐまでに至った。 人々は、 皆、これを素晴らしい事だとして誉め讃えた。 祇陀も、 長者の誠の心を知った。 つまびらかにその因縁を問い、 辞しながら、こう言った、―― 『精舎を立てて、如来および比丘僧に供養せよ!』 |
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太子聞佛名 其心即開悟 唯取其半金 求和同建立 汝地我樹林 共以供養佛 長者地祇林 以付舍利弗 經始立精舍 晝夜勤速成 高顯勝莊嚴 猶四天王宮 隨法順道宜 稱如來所應 世間未曾有 撈舍衛城 如來現神蔭 眾聖集安居 無侍者哀降 有侍資道宜 長者乘斯福 壽盡上昇天 子孫繼其業 歷世種福田 |
太子は仏の名を聞けるに、その心は即ち開け悟れり。 ただその半金をのみを取り、和同して建立せんと求む、 『汝は地をわれは樹林を、共に以って仏を供養せん。』 長者が地と祇が林と、以って舎利弗に付し、 経始(きょうし)して精舎を立つるに、昼夜勤めて速かに成れり。 高く顕われ勝れたる荘厳は、なお四天王の宮のごとく、 法に随い道の宜しきに順(したが)い、如来の所応に称(かな)えり。 世間に未だかつて有らざるが、増々舎衛城に暉(かがや)き、 如来は神蔭を現して、衆聖は安居(あんご)に集まる。 (天は)侍無くんば哀れんで降り、侍有らば道の宜しきを資(たす)く。 長者はその福に乗じて、寿尽くれば天に上昇し、 子孫はその業(わざ)を継いで、世を歴(へ)て福田に種(う)えたり。 |
太子は、 仏の名を聞いて、その心が開け悟ったのである。 約束の半金を受け取ると、共同で精舎を建立しようと求めた、―― 『お前は地を、おれは樹林を、仏に供養することにしよう!』 長者は地を供養し、 祇陀は林を供養して、 共に舎利弗に付した。 精舎は、 測量の始めより、昼夜に勤めたので速かに完成した。 高くそびえ立って、美しく荘厳された、まるで、四天王の宮殿のように。 仏の教にも適い僧の修行にも適した、まったく如来に相応しいものであった。 世間に未だかつて無かったものが、舎衛城に耀きを増した。 やがて、 如来は、素晴らしい教を説いて人々を覆い、 多くの聖なる弟子たちは、安居(あんご、雨季の居住)に集まるだろう。 仏に、 侍者が無ければ、天は哀れみ降って侍者となり、 侍者が有れば、天はその修行が成就するように助けるだろう。 長者は、 この施しの福に乗じて、寿が尽きれば天に上り、 子孫は繁栄してその業を継ぎ、世を継いで福田に種子を植えるだろう。
注:和同(わどう):いっしょに。共同。 注:経始(きょうし):建物を建てる初めの測量。糸を張ることにより始める。 注:所応(しょおう):応じて出現するもの。 注:神蔭(じんおん):恩恵。 注:衆聖(しゅしょう):大勢の高弟。 注:安居(あんご):僧侶は雨季には遊行せず、地域ごとの精舎に住居する、そのこと。 注:侍(じ):侍者。 注:福田(ふくでん):福を種える田。布施の対象。 |
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