(大弟子出家品第十七)

 

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舎利弗と大目連の出家

大弟子出家品第十七

大弟子出家(だいでししゅっけ)品第十七

舎利弗、大目連、大迦葉等を弟子にする。

 爾時瓶沙王  稽首請世尊

 遷住於竹林  哀受故默然

 王已見真諦  奉拜而還宮

 世尊與大眾  徙居安竹園

 為度眾生故  建立慧燈明

 以梵住天住  賢聖住而住

その時瓶沙王、稽首して世尊に請えらく、

『遷りて竹林に住まりたまえ。』と、哀受するが故に黙然たり。

王は真諦を見おわり、奉拝して宮に還り、

世尊は大衆と与(とも)に、徙居(しご)して竹園に安んじ、

衆生を度せんが為の故に、慧の灯明を建立し、

梵住天住、賢聖住を以って住せり。

その時、

   瓶沙王は、

      頭(こうべ)を垂れて、『居を竹林に移して住(とど)まられよ。』と請い、

   仏は、

      黙って、それを受ける。

   王は、

      すでに、真実を見た、

      仏を、礼拝して宮に還る。

   世尊は、

      弟子たちを連れ、

      竹林に居を移して安んじる。

   衆生を、

      導き救うための、

      智慧の灯明は今立てられた。

   仏と弟子たちは、

      この竹林の精舎にて、

      梵住(色界無色界の諸天の住法。慈、悲、喜、捨の四無量心に住する)し、

      天住(欲界の諸天の住法。布施、持戒、善心の三事に住する)し、

      聖住(仏、阿羅漢の住法。空、無相、無作の三三昧に住する)するのである。

   

  :瓶沙王(びんしゃおう):摩竭陀(まがだ)国王。王舎城の主。

  :稽首(けいしゅ):首を垂れて相手の足に着ける礼法。

  :竹林(ちくりん):王舎城近郊の精舎(しょうじゃ、寺院)。

  :哀受(あいじゅ):受ける。相手を見下す語。

  :黙然(もくねん):仏の作法で、招待を受ける時は沈黙する。

  :真諦(しんたい):真実。

  :奉拝(ぶはい):礼拝。

  :徙居(しご):転居。

  :竹園(ちくおん):竹林精舎。

  :建立(こんりゅう):初めて立てる。

  :梵住(ぼんじゅう):色界無色界の諸天の住法。慈、悲、喜、捨の四無量心に住する。

  :天住(てんじゅう):欲界の諸天の住法。布施、持戒、善心の三事に住する。

  :賢聖住(けんしょうじゅう):仏、阿羅漢の住法。空、無相、無作の三三昧に住する。

 時阿濕波誓  調心御諸根

 時至行乞食  入於王舍城

 容貌世挺特  威儀安序庠

 城中諸士女  見者莫不歡

 行者為住步  前迎後風馳

時に阿湿波誓(あしばせい)、心を調え諸根を御すと、

時の至るに乞食を行じて、王舎城に入る。

容貌は世に挺特(ちょうとく)し、威儀は安んじて序庠たりて、

城中の諸の士女、見れば歓ばざるもの莫く、

行者の住歩を為すに、前に迎えて後に風馳す。

ある時、

   阿湿波誓(あしばせい、五比丘の一)は、

      心を調え、諸根(眼耳鼻舌身意)を制し、

      時分どきに、乞食しながら王舎城に入った。

   彼の、

      容貌は、世を抜いて勝れ、

      振る舞いは沈着で、作法にかなう。

城中の

   諸の男女は、

      皆、彼を見て心を奪われた、

      彼の、

         行く先々で、前に回って見、

      また、

         風のように、後に回ってついて行く。

 

  :阿湿波誓(あしばせい):五比丘の一。『転法輪品第十五』参照。

  :容貌(ようみょう):すがた。みめ。

  :挺特(ちょうとく):ぬきんでる。

  :序庠(じょしょう):序も庠も学舎の意。行儀がよい。

  :士女(しにょ):男女。

  :住歩(じゅうぶ):立ち止まることと歩くこと。

  :風馳(ふうち):風のように走る。

 迦毘羅仙人  廣度諸弟子

 第一勝多聞  其名舍利弗

 見比丘庠序  閑雅靜諸根

 躕路而待至  舉手請問言

 年少靜儀容  我所未曾見

 得何勝妙法  為宗事何師

 師教何所說  願告決所疑

迦毘羅(かびら)仙人、広く諸の弟子を度せるに、

第一に勝れて多聞なれば、それに舎利弗と名づく。

比丘の庠序にして、閑雅に諸根を静むるを見て、

路に躕(たたず)み至るを待ち、手を挙げて問いを請うて言わく、

『年少なるに儀容を静む。わが未だかつて見ざる所なり。

 何なる勝妙の法を得て、何なる師に宗事を為す。

 師の教うるは何なる所説ぞ。願わくは告げて疑う所を決したまえ。』

迦毘羅(かびら)仙人の、

   大勢の弟子の中で、

   第一に勝れて多聞なる者、

   その名を、

      舎利弗(しゃりほつ)という。

舎利弗は、

   阿湿波誓比丘が、

      作法どおり、物静かに、

      乞食して来るのを見た。

   路傍にたたずんで、比丘を待ち、

   手を挙げてこう問う、――

  『ちょっと宜しいかな!

      年はまだ、お若いようだが、

      作法にかなった、静かな物腰!

   わたしは、

      感服しました。

   あなたは、

      何という、勝れた妙法を、

      何という、師に、

         お習いになりました?

   お師匠さまが、

      何と説かれたのか、

   宜しければ、

      教えてくださらんか?』

 

  :迦毘羅仙人(かびらせんにん):舎利弗の師。舎利弗は刪闍耶(さんじゃや)の弟子との異説あり。

  :舎利弗(しゃりほつ):舎利の子の意。舎利は鳥の名にして舎利弗の母の呼び名。智慧第一の仏弟子。

  :庠序(しょうじょ):行儀がよい。

  :閑雅(げんが):ものしずか。

  :儀容(ぎよう):すがたと振る舞い。

  :勝妙法(しょうみょうほう):勝れておくぶかい法。

  :宗事(しゅうじ):むねとして仕える。学問の師につかえる。

 比丘欣彼問  和顏遜辭答

 一切智具足  甘蔗勝族生

 天人中最尊  是則我大師

 我年既幼稚  學日又初淺

 豈能宣大師  甚深微妙義

 今當以淺智  略說師教法

 一切有法生  皆從因緣起

 生滅法悉滅  說道為方便

比丘は彼の問いを欣び、和顔遜辞して答うらく、

『一切智具足して、甘蔗の勝族に生じ、

 天人中の最尊なる、これ則ちわが大師なり。

 わが年既に幼稚にして、学ぶ日もまた初浅なれば、

 あによく大師の、甚だ深く微妙の義を宣べんや。

 今まさに浅智を以って、略して師の教法を説かん。

 一切の有法生ずるは、皆因縁に従いて起り、

 生滅の法は悉く滅すと、道を説いて方便と為す。』

比丘は、

   彼に問われて、欣びに顔をほころばせたが、

   謙遜しながら、こう答えた、――

  『一切智(一切を知る智慧)を身に備えた者、

   甘蔗の勝れた一族に生まれた者、

   天上、人間中で最尊の者、

   これが、

      わたしの大師です。

   わたくしは、

      年はもとより、幼稚であり、

      学んだ日も、また浅く、

      何のようにして、

         大師の、甚だ深く微妙の義を、

         宣べればよいのか分りかねますが、

   今、

      浅い智慧でも宜しければ、

      略して師匠の教を、

         お説きしましょう。

    一切の有法(うほう、事物の存在)が生じるのは、皆、因縁によって起る。

    生滅の法(事)を悉く滅するには道がある。

    その道を説いて、『これが涅槃に至る方法である。』と申されました。』

 

  :和顔(わげん):なごやかな顔。

  :遜辞(そんじ):謙遜した言葉遣い。

  :既に:もとより。‥‥である以上は。

  :幼稚(ようち):未熟。

  :初浅(しょせん):初めて日が浅い。

  :浅智(せんち):あさはかなる智慧。

  :有法(うほう):有るということ。存在。

  :生滅法(しょうめつほう):生滅するもの。

  :方便(ほうべん):解脱の方法。

  注:一切の事物は因縁によて存在が生じるが、その存在には自性(変化しない部分)が無く、自性が無い以上は、その生滅も無い。このような見解に安住するのを涅槃という。これは通常、『諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽』と説かれる。

 二生憂波提  隨聽心內融

 遠離諸塵垢  清淨法眼生

 先所脩決定  知因及無因

 一切無所作  皆由自在天

 令聞因緣法  無我智開明

二生(にしょう)憂波提(うばだい)、聴くに随うて心内融け、

諸の塵垢を遠離して、清浄の法眼生じ、

先に修めし所は決定して、因を知りて因無きに及べり。

一切は作す所無し。『皆自在天に由る。』としたれども、

因縁の法を聞かしむれば、無我の智開明す。

婆羅門の舎利弗は、

   聴いているうちに、

      心が融けて柔軟になった。

   諸の煩悩を遠く離れて、

      清浄な法眼(ほうげん、一切の法を知る智慧の眼)が開き、

         先に修めた法は、その欠点が明らさまになった。

     『世間の事物には因が有ることを知り、

         涅槃には因が無いことも知った。

      一切は、

         作す者も

         作される事も、無い!

      『一切は皆、自在天の作す事だ。』と思っていたが、

         因縁の法を聞かされて、智慧の眼が明るく開いた、――

         我(が、身心の主宰者)は無かったのだ!』

 

  :二生(にしょう):再生する者。婆羅門の異名。

  :憂波提(うばだい):詳しくは憂波提舎(うばだいしゃ)。提舎を継ぐ者の意。提舎は父の名。

  :遠離(おんり):遠く離れる。

  :塵垢(じんく):身心を汚すもの。煩悩の異名。

  :法眼(ほうげん):一切の法を知る眼。

  :自在天(じざいてん):色界の頂天。三千世界の主。自在天外道の主神。

  :開明(かいみょう):眼が明るく開ける。

  注:憂波提は憂波提舎(うばだいしゃ)、舎利弗の本名。

 摧諸煩惱  無能究竟除

 唯有如來教  永盡而無遺

 非攝受我所  而能離吾我

 明因日燈興  熟能令無光

 如斷蓮花莖  微絲猶連綿

 佛教除煩惱  猶斷石無餘

 敬禮比丘足  退辭而還家

 比丘乞食已  亦還歸竹園

微かなる諸の煩悩増して、よく究竟して除くこと無きに、

ただ如来の教のみ有りて、永く尽して遺(のこ)るもの無し。

我所を摂受するに非ざれば、よく吾我を離る、

明は日灯に因りて興るに、孰(だれ)かよく光をして無からしむ。

蓮花の茎を断ずれど、微糸のなお連綿たるが如きも、

仏の教の煩悩を除くは、なお石を断ずるに余無きが如し。

比丘の足に敬礼し、退いて辞して家に還り、

比丘も乞食しおわりて、また竹園に還帰す。

     『微かな、

         煩悩は日々に増して、究極的には除くことができなかった、

      ただ、

         如来の教であれば、永遠に尽して余すところが無い。

      我所(わがもの、わが身心が有るという妄念)を、

         受入れなければ、我を離れることができる。

      仏の智慧は、

         日のように明るく照らす、誰にこの光を消すことができよう。

      煩悩は、

         蓮花の茎を折り取った時に出る、細い糸のように連綿として続くが、

         仏の教で煩悩を除いたならば、石を断ち割ったように何も残らない。』

そして、

   舎利弗は、

      恭しく比丘の足に礼をし、挨拶を交して家に還り、

   比丘も、

      また乞食をおえて、竹園に還って行く。

 

  :究竟(くきょう):きわめる。結局。

  :摂受(しょうじゅ):信じて受入れる。

  :我所(がしょ):わがもの。わが身心。

  :吾我(ごが):我我所。われとわがもの。

  :微糸(みし):細い糸。

  :連綿(れんめん):ずるずると続く。

  :敬礼(きょうらい):敬って礼する。

  :還帰(げんき):本の所に帰る。

 舍利弗還家  貌色甚和雅

 善友大目連  同體聞才均

 遙見舍利弗  顏儀甚熙怡

 告言今見汝  而有異常容

 素性至沈隱  歡相見於今

 必得甘露法  此相非無因

 答言如來告  實獲未曾法

 即請而為說  聞則心開解

 諸塵垢亦除  隨生正法眼

 久殖妙因果  如觀掌中燈

 得佛不動信  俱行詣佛所

 與徒眾弟子  二百五十人

舎利弗家に還るに、貌色は甚だ和雅なり、

善友大目連(だいもくれん)、体、聞、才の均(ひと)しきも同じ、

遥かに舎利弗の、顔儀甚だ熙怡(きい)なるを見て、

告げて言わく、『今汝を見しに、常の容(かたち)と異なる有り、

 素性至って沈隠なるを、歓びの相を今に見る。

 必ず甘露の法を得たらん、この相は因無きに非ざるなり。』

答えて言わく、『如来告げて、実に未曽の法を獲(う)。』と。

即ち請えば為に説き、聞けば則ち心開け解く。

諸の塵垢もまた除こり、随って正法の眼を生ぜしは、

久しく殖えし妙因の果なり。掌中の灯を観るが如く、

仏に不動の信を得て、倶に行きて仏の所に詣(いた)り、

徒衆の弟子、二百五十人と与(とも)なり。

やがて、

   舎利弗は、

      家に還りついた、

      顔色はさえ、甚だ優雅でさえある。

善き友の、

   大目連(だいもくれん)は、

      舎利弗と同じように、

      体(たい、容子)と、

      聞(もん、聞いて得た知識)と、

      才(さい、生まれつきの才能)とが均等していた。

   彼は、

      遥かに

         舎利弗の、

            顔色と振る舞いとが、

            甚だ安らぎ楽しげなのを見て、

      こう言った、――

     『今、

         お前の容子を見てみると、

         いつもと大分違ってみえる。

      お前の、

         性は、至って沈著、冷静であるはずが、

         今は、歓びの相が現れている。

      きっと、

         甘露の法を得たのだろう。

      このような、

         相には、必ず原因が有るものなのだ。』

   舎利弗はこう答えた、――

     『如来の教に遇い、実に初めて聞くような法を得た。』

すぐさま、

   大目連はそれを説くように請い、

      舎利弗は大目連の為に、それを説いた。

      聞くそばから、

         心が、開け疑問が解ける。

         諸の煩悩の塵垢も洗い流され、

   やがて、

      正法の眼が生じた。

      過去世に殖えた妙因は、今世になってやっと果を結んだのだ、――

         掌中の灯を観るように、仏の教が理解できる。

         仏に対する、不動の信心が生じる。

二人は、

   倶に、仏の所を訪ねた。

   歩いて、従う弟子たち二百五十人と共に。

 

  :貌色(みょうしき):顔かたち。顔だち。

  :和雅(わげ):優雅。

  :善友(ぜんう):善い友。

  :大目連(だいもくれん):大目乾連(だいもっけんれん)、目連(もくれん)。仏弟子中の神通第一。

  :聞才(もんさい):聞いて得た知識と生まれつきの能力。

  :顔儀(げんぎ):顔だちとようす。

  :熙怡(きい):安らぎ楽しむ。

  :素性(そしょう):本の性格。

  :沈隠(ちんおん):沈着でおだやか。

  :未曽(みぞう):未曽有。

  :徒衆(としゅ):徒歩で供する人々。

 佛遙見二賢  而告諸眾言

 彼來者二人  吾上首弟子

 一智慧無雙  二神足第一

 以深淨梵音  即命汝善來

 此有清涼法  出家究竟道

 手執三掎杖  縈髮持澡瓶

 聞佛善來聲  即變成沙門

仏遥かに二賢を見て、諸の衆に告げて言わく、

『彼の来たる者二人は、わが上首の弟子たりて、

 一は智慧無双、二は神足第一なり。』と。

深く浄き梵音を以って、即ち命ずらく、『汝善くぞ来たる。

 ここには清涼の法有り、出家して道を究竟せよ。』と。

手には三掎杖を執り、縈髪(ようはつ)にて澡瓶を持てるも、

仏の『善く来たる。』の声を聞くに、即ち変じて沙門と成れり。

仏は、

   遥かに、二人の賢人か来るのを見て、

   諸の弟子たちに、こう教えた、――

  『あそこに来る、

      二人は、

         一は、智慧第一、

         二は、神足第一、

   わたしの、

      上首の弟子たちである。』

そして、

   深く浄らかな声で、こう命じた、――

  『お前たち、

      善く来た!

   ここには、

      清涼の法が有る。

      出家して道を極めよ。』

二人は、

   手に三掎杖(さんきじょう、三つ叉の杖)を持ち、

   長く縺れた髪を垂らして水瓶を持っていた。

仏の、

  『善く来た!』の声を聞き、

  すぐさま、

     姿を変えて、

     沙門(しゃもん、仏道の行者)と成った。

 

  :神足(じんそく):神のごとき行動力。

  :梵音(ぼんおん):浄らかな声。

  :三掎杖(さんきじょう):三叉の杖?

  :縈髪(ようはつ):長く縺れて絡まった髪。

  :澡瓶(そうびょう):水瓶。

  :沙門(しゃもん):仏道の出家者。

 二師及弟子  悉成比丘儀

 稽首世尊足  卻坐於一面

 隨順為說法  皆得羅漢道

二師および弟子は、悉く比丘の儀を成じ、

世尊の足に稽首し、却って一面に坐し、

随順するに為に法を説けば、皆羅漢道を得たり。

二人の師と弟子たちとは、

   悉く、儀式を経て比丘(びく、出家の弟子)と成り、

   世尊の足に頭を垂れて礼をし、壁の一面に坐して並ぶ。

世尊は、

   随順する者の為に、法を説き、

   皆は、羅漢道(らかんどう、小乗の教)を得た。

 

  :稽首(けいしゅ):頭を垂れて相手の足に着けて礼する。

  :随順(ずいじゅん):逆らわずに従う。

  :羅漢(らかん):阿羅漢(あらかん)、仏道(小乗)の聖者。羅漢道は小乗の教

 

 

 

 

大迦葉の出家

 爾時有二生  迦葉族明燈

 多聞身相具  財盈妻極賢

 厭捨而出家  志求解脫道

 路由多子塔  忽遇釋迦文

 光儀顯明耀  猶若祠天幢

 肅然舉身敬  稽首頂禮足

 尊為我大師  我是尊弟子

 久遠積癡冥  願為作燈明

その時、二生有りて、迦葉族の明灯なり。

多聞にして身相具え、財盈(み)ちて妻は極めて賢なれど、

厭い捨てて出家し、解脱の道を求めんと志せり。

路を多子塔に由り、忽(たちま)ち釈迦文(しゃかもん)に遇うに、

光儀顕らかに明るく耀き、なお天を祠る幢の若(ごと)し。

粛然として身を挙げて敬い、稽首して足に頂礼すらく、

『尊(そん)はわが大師たり、われはこれ尊が弟子なり。

 久しく遠きより癡冥を積めり。願わくは為に灯明と作りたまえ。』

その時、

   婆羅門の迦葉族の賢者がいた。

彼は、

   物知りであり、

   身の好相に欠点はなく、

   財産は満ちあふれ、

   妻は極めて賢かったが、

それらを、

   悉く、面倒に思って捨ててしまい、

   出家して、解脱の道を探し求めていた。

路の

   途中、立ち寄った古跡にて、

   たまたま、世尊に出遇った。

世尊は、

   身から放たれる光によって明るく耀き、

   天を祀る幢(どう)のようだ、――

迦葉は、

   恭しく全身に敬意をあらわし、

   頭を垂れて仏の足につけ、

   礼をしてこう言った、――

  『尊者!

      わが大師よ!

      われを弟子となしたまえ!

   久しく遠い、

      過去世より積もりに積もった愚かさの暗闇。

   どうか、

      灯明と作って、照らしたまえ!』

 

  :多聞(たもん):多く聞いて知識が多い。

  :多子塔(たしとう):子孫の多きを祈る塔。辟支仏の古跡という。

  :釈迦文(しゃかもん):釈迦牟尼(しゃかむに)、釈迦族の尊者。

  :光儀(こうぎ):光り輝く容子。

  :祠天幢(してんどう):天を祀る祠(ほこら)に立てる旗。幢は竿の先から下に垂れる筒型の旗。

  :粛然(しゅくねん):恐縮したさま。

  :癡冥(ちみょう):愚かさの暗闇。

 佛知彼二生  心樂崇解脫

 清淨軟和音  命之以善來

 聞命心融泰  形神疲勞息

 心栖勝解脫  寂靜離諸塵

仏彼の二生の、心に楽しんで解脱を崇むるを知り、

清浄軟和の音もて、これに命ずるに『善くぞ来たる。』を以ってす。

命を聞いて心融泰し、形と神との疲労息(や)みて、

心は勝解脱に栖(す)み、寂静して諸の塵を離る。

仏は、

   この婆羅門が、心から解脱を願い崇めているのを知り、

   清浄で柔和な声で命じた、――

  『善く来た!』

迦葉は、

   これを聞き、

      心が融けて安らいだ。

   肉体と精神の、

      疲労は消え去る。

   心は、

      勝れた解脱の境地に住まり、

      諸の煩悩を離れて苦しみは絶えた。

 

  :融泰(ゆうたい):のびやかにして安らか。

  :寂静(じゃくじょう):煩悩を離れて苦患が絶える。涅槃の異名。

 大悲隨所應  略為其解說

 領解諸深法  成四無礙辯

 大コ普流聞  故名大迦葉

 本見身我異  或見我即身

 有我及我所  斯見已永除

 唯見眾苦聚  離苦則無餘

 持戒修苦行  非因而見因

 平等見苦性  永無他聚心

大悲は所応に随い、略してそれが為に解説すれば、

諸の深き法を領解して、四無礙辯を成ぜり。

大いなる徳の普く流聞するが故に、大迦葉と名づけ、

本は身と我と異なると見、或は我は即ち身なりと見しが、

我および我所有りの、この見はすでに永く除こり、

ただ衆苦の聚のみを見るに、苦を離るれば則ち余無し。

戒を持して苦行を修め、因に非ざるに因を見しが、

平等に苦の性を見るに、永く他の聚心無し。

大悲は、

   求めに応じ、略して、

   彼の為に法を解説する。

迦葉は、

   諸の深い法を会得し、

   四無礙辯(しむげべん、法、義、辞、説法が自在)を得て、

   大いなる徳の名声は普く流布し、

その故に、

   大迦葉(だいかしょう)と呼ばれた。

彼は、

   本は、

      或は、身と我と異なる、

      或は、我と身とは同じであるというような見解であったが、

   そのような、

      我(が、身心の主宰者)と

      我所(がしょ、自己の身心)とが有るとする見解は、

         永久に除かれた。

   また、

      多くの苦が集まると見ていたが、

      苦を離れて何も無くなった。

   また、

      戒を持して苦行を修め、

         因でないものに因を見ていたが、

      平等に世間は苦の性であると見て、

         永久に、苦の他の心所(しんじょ、心の働き、受想等と煩悩)が無くなった。

 

  :大悲(だいひ):悲は苦を抜くこと。仏の異名。

  :所応(しょおう):求めに応じて。

  :解説(げせつ):解きほぐして説く。

  :領解(りょうげ):了解。会得。

  :四無礙辯(しむげべん):法を説くに当り次の四が自在である。

    (1)法無礙(ほうむげ):教法を詮ずる所の文句が自在。

    (2)義無礙(ぎむげ):教法の詮ずる所の義理を知ることが自在。

    (3)辞無礙(じむげ):諸地方の方言が自在。

    (4)楽説無礙(らくせつむげ):辯舌が自在。

  :大迦葉(だいかしょう):仏弟子中の頭陀行第一。

  :流聞(るもん):うわさ。

  :聚心(じゅしん):心所法。さまざまな心の動き。

 若有若見無  二見生猶豫

 平等見真諦  決定無復疑

 染著於財色  迷醉貪欲生

 無常不淨想  貪愛永已乖

 慈心平等念  怨親無異想

 哀愍於一切  則消瞋恚毒

もしは有(う)もしは無を見る、二見もて猶予を生ぜしが、

平等に真諦を見るに、決定してまた疑い無し。

財色に染著し、迷酔して貪欲生ぜしが、

無常と不浄想もて、貪愛は永くすでに乖(そむ)けり。

慈心もて平等に念じ、怨親に異想無く、

一切に哀愍すれば、則ち瞋恚の毒を消せり。

迦葉は、

   また、

      一切は、

         或は有である、或は無であるという、

         二見の間で疑い、決断できずにいたが、

      平等に真実を見るようになって、

         決定して、疑いが無くなった。

   また、

      財産と色欲に染まり執著し、

         迷酔して貪欲を生じていたが、

      無常想と不浄想とで、

         貪欲と愛欲とは永久に離れた。

   また、

      慈心にて、

         平等に、世間を思い、

         怨親を、差別せず、

      一切を、

         哀れんで、瞋恚の毒を消した。

 

  :猶予(ゆうよ):不決断。

  :染著(せんじゃく):愛欲の心。外境に染まり執著して離れない。

  :貪愛(とんあい):五欲の境に貪著し愛著して離れることができない。

  :慈心(じしん):慈とは楽を与えること。

  :怨親(おんしん):敵の親戚。

  :異想(いそう):別異の思い。

  :哀愍(あいみん):哀れみ。

  :瞋恚(しんに):怒り。

 依色諸有對  種種雜想生

 思惟壞色想  則斷色於愛

 雖生無色天  命亦要之盡

 愚於四正受  而生解脫想

 寂滅離諸想  無色貪永除

色と諸の有対に依り、種種の雑想生ぜしが、

思惟して色想を壊すれば、則ち色を愛に於いて断ぜり。

無色天に生ずといえども、命また要(かなら)ず尽くるに之(いた)る。

愚かにも四正受に於いて、解脱の想を生ぜしが、

寂滅して諸の想を離るれば、無色の貪も永く除これり。

迦葉は、

   また、

      事物によって心が拘束され、

         種種の雑想を生じていたが、

      深く考えて、

         事物に対する妄想を破壊したので、

         事物と愛執とを断絶することができた。

   また、

      無色天に生じても、命は必ず尽きることを思わず、

      愚かにも、

         無色天に生じることが、涅槃であり解脱であると妄想していたが、

      寂滅して、

         諸の想を離れることができ、無色天に対する執着が永久に除かれた。

 

  :有対(うたい):六識とそれに付随する心の働き。心が対境に拘束されること。

  :色想(しきそう):事物についての妄想。

  :無色天(むしきてん):無色界の四天。

  :四正受(ししょうじゅ):無色界の四天に於ける妄想の涅槃。

  :寂滅(じゃくめつ):涅槃。

 動亂心變逆  猶狂風鼓浪

 深入堅固定  寂止掉亂心

 觀法無我所  生滅不堅固

 不見軟中上  我慢心自忘

 熾然智慧燈  離諸癡冥闇

 見盡無盡法  無明悉無餘

動乱の心変じて逆らい、なお狂風の浪を鼓(う)つが如きなれど、

深く堅固なる定に入れば、掉乱心を寂止せり。

法として我所無きを観ずれば、生滅は堅固ならず、

軟中上を見ずして、我慢心は自ら忘れ、

熾然たる智慧の灯もて、諸の癡の冥闇を離れ、

尽と無尽の法を見るに、無明は悉く余すこと無し。

迦葉は、

   また、

      心が動き乱れ、

         狂風が浪を打つように、変じ逆らっていたが、

      深く、

         堅固な、禅定に入って、

         揺れ動く心も、静まり止まるようになった。

   また、

      法(ほう、事物)として、我所(がしょ、身心)が無いと観察し、

      生滅も、堅固なものでないと観察して、

      信心の、軟中上を見なくなったので、

         高慢心は自ら消滅した。

   また、

      盛んに智慧の灯が燃えて、

         諸の愚かさの暗闇が消えたので、

      尽(じん、因縁により生ずる事物、有為法)と、

      無尽(むじん、涅槃、無為法)とを見て、

         無明は悉く消滅した。

 

  :寂止(じゃくし):静止。

  :掉乱心(じょうらんしん):揺れ動く心。

  :軟中上(なんちゅうじょう):下中上。

  :我慢(がまん):高慢。有我に執著すること。

  :熾然(しねん):盛んに燃える。

  :尽無尽(じんむじん):有為法(ういほう、因縁により生ずる事物)と無為法(むいほう、涅槃)。

  :無明(むみょう):人間の根本煩悩。真理に無知な暗闇。

 思惟十功コ  十種煩惱滅

 甦息作已作  深感仰尊顏

 離三而得三  三弟子除三

 猶三星布列  三十三司弟

 列侍於三五  三侍佛亦然

十の功徳を思惟して、十種の煩悩滅し、

息を甦らせて作すべきを作しおえ、深く感じて尊顔を仰ぐ。

三を離れて三を得、三弟子は三を除きしに、

なお三星の三十三天に布列するがごとく、

三五に列侍して、三の仏に侍ることもまた然るなり。

迦葉は、

   また、

      十の功徳を深く考えて、十の煩悩を滅し、

      息を甦らせて、作すべきことを作しおわり、

      深く感じて、世尊の顔を仰ぎ見た。

このようにして、

   三人の弟子は、

      生、死、その中間の三を離れて、

      空、無相、無作の三三昧を得、

      貪欲、瞋恚、愚癡の三毒を除いた。

まるで、

   三星(さんしょう、オリオン座の三つ星)が、

      三十三天(欲界第二天、須弥山頂に在る)に居並ぶように、

      彼等(三弟子と五比丘)は、三と五とに並んで侍り、

   三弟子は、

      仏の側に侍ったのである。

 

  :十功徳(じっくどく):不明。多くの功徳?

  :十種煩悩(じっしゅぼんのう):不明。多くの煩悩?

  :離三而得三:死と生と中間とを離れて、空と無相と無作との三三昧を得る?

  :三弟子除三:舎利弗、大目連、大迦葉の三弟子は、貪瞋癡の三毒を除く。

  :三星(さんしょう):オリオン座の三つ星?

  :三十三天(さんじゅうさんてん):虚空。忉利天(とうりてん)は東西南北に各八天、中央に一天が有る。

  :列侍於三五:三弟子と五比丘。

  注:三十三司弟は他本に従り於三十三天に改める。

 

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