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(瓶沙王諸弟子品第十六)
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佛所行讚卷第四(亦云佛本行經) 馬鳴菩薩造 北涼天竺三藏曇無讖譯 |
仏の所行の讃 巻の第四(また仏の本行経ともいう) 馬鳴菩薩造り 北涼の天竺三蔵 曇無讖訳す |
釈迦一代の本行(ほんぎょう、仏の所行)を説く。 |
鳩尸城の長者子耶舎に法を説く
瓶沙王諸弟子品第十六 |
瓶沙王諸弟子(びんしゃおうしょでし)品第十六 |
瓶沙王および諸の弟子の出家を説く。 |
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時彼五比丘 阿濕波誓等 聞彼知法聲 慨然而自愧 合掌而加敬 仰瞻於尊顏 如來善方便 次令入正法 前後五比丘 得道調諸根 猶五星麗天 列侍於明月 |
時に彼の五比丘、阿湿波誓(あしばせい)等、 彼の法を知る声を聞いて、慨然として自ら愧じ、 合掌して敬を加え、尊顔を仰瞻するに、 如来善く方便して、次いで正法に入らしむ。 前後して五比丘は、道を得て諸根を調え、 なお五星の天に麗(うららか)に、明月に列侍するがごとし。 |
その時、 阿湿波誓(あしばせい)等の五比丘は、 仏の法を知る声を聞いて、感嘆し恥ずかしく思った。 合掌して、恭しく尊顔を仰ぎ見る。 仏は、 善方便(目的を果たす巧みな方法)で、 次々と正法に入らせた。 五比丘は、 前後して、 道を得て、諸根(眼耳鼻舌身意)が調った。 まるで、 五つの星が、 麗らかに、天に輝いて並び、 明月の、周囲に侍っているように。
注:五比丘(ごびく):仏の最初の説法を聞く五人。『転法輪品第十五』参照。 注:阿湿波誓(あしばせい):五比丘の一。 注:慨然(がいねん):感嘆するさま。 注:仰瞻(ごうせん):仰ぎ見る。 注:尊顔(そんげん):尊き人の顔。 注:善方便(ぜんほうべん):目的を果たすに相応しい方法。 注:列侍(れつじ):整列して侍る。 |
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時彼鳩尸城 長者子耶舍 夜睡忽覺悟 自見其眷屬 男女身裸臥 即生厭離心 念此煩惱本 誑惑於愚夫 嚴服佩瓔珞 出家詣山林 尋路而普唱 惱亂惱亂亂 如來夜經行 聞唱惱亂聲 即命汝善來 此有安隱處 涅槃極清涼 寂滅離諸惱 |
時に彼の鳩尸(くし)城の、長者子耶舎(やしゃ)は、 夜睡より忽(たちま)ち覚悟して、自らその眷属を見るに、 男女が身裸にて臥せり。即ち厭離心を生じて、 この煩悩の本の、愚夫を誑惑するを念い、 服を厳(よそお)いて瓔珞を佩(は)き、出家して山林に詣り、 路を尋ねて普く、『悩乱せり悩乱して乱れぬ。』と唱う。 如来夜の経行に、『悩乱せり』と唱うる声を聞き、 即ち命ずらく、『汝善くぞ来たる。ここに安穏の処有り。 涅槃は清涼を極む、寂滅して諸悩を離れよ。』と。 |
その頃、 鳩尸城(くしじょう)の長者子耶舎(やしゃ)は、 夜の睡りより、ふっと覚めて、 周囲を、見回した、 裸の男女が乱れ臥せっている。 にわかに、 世間を厭う心が生じ、 世間から離れたく思った、―― 『この煩悩の本が、愚夫を誑かして惑わせるのか!』 すばやく、 衣服を身に著け、瓔珞を首に巻くと、 家を出て、山林に入った。 路々、 こう唱えて歩いた、―― 『悩みに乱れる。ああ悩みに乱れる。』 その時、 如来は、 夜の経行(きょうぎょう、歩く禅)をしていたが、 この『悩みに乱れる。』と唱える声を聞き、 即座に、 こう命じた、―― 『よく、 ここへ来た! ここに、 安穏の処が有るぞ! 涅槃は、極めて清涼である! 寂滅して、諸の悩みを離れよ。』
注:鳩尸城(くしじょう):阿惟三菩提品第十四では迦尸城。 注:耶舎(やしゃ):名聞(みょうもん)と訳す。仏の成道後の最初の優婆塞(うばそく、俗人の信者)。 注:夜睡(やすい):夜の睡眠。 注:覚悟(かくご):目覚める。 注:眷属(けんぞく):みうち、親族。 注:厭離心(えんりしん):嫌悪して離れたいと思う心。 注:瓔珞(ようらく):宝石の首飾り。 注:悩乱(のうらん):悩み乱れる。 注:経行(きょうぎょう):一定の地を廻旋し往来して、坐禅時に眠り込むのを防ぐ。 注:安穏処(あんのんじょ):安らかにして穏やかなる処。 注:涅槃(ねはん):寂滅。安楽。 注:寂滅(じゃくめつ):寂静にして一切の相を離れる。涅槃。 |
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耶舍聞佛教 心中大歡喜 乘本厭離心 聖慧冷然開 如入清涼池 肅然至佛所 其身猶俗容 心已得漏盡 宿殖善根力 疾成羅漢果 淨智理潛明 聞法能即悟 猶若鮮素潤@ 易為染其色 彼已自覺知 所應作已作 顧身猶莊嚴 而生慚愧心 |
耶舎は仏の教を聞いて、心中大いに歓喜し、 本の厭離心に乗じて、聖慧冷然として開き、 清涼なる池に入りたるが如し。粛然として仏の所に至るに、 その身はなお俗容ごときも、心はすでに漏尽を得、 宿殖の善根力により、疾く羅漢果を得たり。 浄らかなる智理は明るさを潜むれど、法を聞けばよく即ち悟りて、 なお鮮素なる潤iきぬ)の如く、その色に染まり易し。 彼すでに自ら覚知して、まさに作すべき所すでに作せるに、 身になお荘厳あるを顧みて、慚愧心を生ぜり。 |
耶舎は、 仏の教を聞いて、心が大いに歓喜した。 本々の、 世間を厭い、離れたいとの思いは、 涼しい風となって吹き、 智慧の扉を、開かせた、 清涼な池にでも入ったかのように。 恐縮しながら、 仏の前に進みでる。 その身は、 俗人の形を取りながら、 その心は、 すでに煩悩が尽きていた。 前世よりの、 善根力により、かくも速かに、 羅漢果(らかんか、聖人の証し)を得たのである。 浄らかな、 智慧には、明るい道理が潜み、 法を聞けば、すぐさま悟ることができた。 まるで、 純白の絹地が、容易に色に染まるように。 彼は、 自ら、作すべきことは作しおえたと覚知した。 自身を、 顧みて、きらびやかな装飾に、 恥じらいの、心が生じる。
注:聖慧(しょうえ):聖人の智慧。 注:冷然(りょうねん):涼しいさま。 注:清涼(しょうりょう):さっぱりしてすがすがしい。 注:粛然(しゅくねん):恐縮したさま。 注:宿殖(しゅくじき):過去世に種えた。 注:羅漢果(らかんか):羅漢は阿羅漢(あらかん、聖者)の意。果は果報。 注:智理(ちり):智は能観の智慧、理は所観の道理。 注:鮮素(せんそ):純白。 注:覚知(かくち):覚醒して初めて知る。 注:荘厳(しょうごん):立派な飾り。 注:慚愧心(ざんきしん):自他に恥じ入る心。 |
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如來知彼念 而為說偈言 嚴飾以瓔珞 心調伏諸根 平等觀眾生 行法不計形 身被出家服 其心累未忘 處林貪世榮 是則為俗人 形雖表俗儀 心栖高勝境 在家同山林 則離於我所 縛解存於心 形豈有定相 佩ナ衣重袍 謂能制強敵 改形著染衣 為伏煩惱怨 即命比丘來 應聲俗容廢 具足出家儀 皆成於沙門 |
如来は彼の念(おもい)を知りて、為に偈(げ)を説いて言わく、 『厳飾するに瓔珞を以ってすれど、心に諸根を調伏して、 平等に衆生を観ぜば、行法は形を計らず。 身に出家の服を被(こうむ)れど、その心累を未だ忘れず、 林に処して世栄を貪る、これ則ち俗人と為す。 形に俗儀を表すといえども、心は高勝の境に栖(す)み、 家に在れど山林と同じくんば、則ち我所を離る。 縛解は心に在り、形にあに定相有らんや、 ナ(かぶと)を佩いて重袍を衣(き)るは、よく強敵を制するを謂い、 形を改めて染衣を著(つ)くるは、煩悩の怨を伏せんが為なり。 即ち『比丘来たれ』と命じしに、声に応(こた)えて俗容を廃し、 出家の儀を具足すれば、皆沙門と成らん。』と。 |
如来は、 彼の思いを知り、こう説いた、―― 『首に、瓔珞を巻いて身を飾っていても、 心に、諸根を調伏して、平等に衆生を観るならば、 行法(行い)は、その形ではない。 身に、出家の服を著けていても、 心の患いを、未だ忘れなければ、 これは俗人である。 山林に住していても、 世間の栄誉を貪れば、 これも俗人である。 形は、俗人のようでも、 心が、高勝の境に住するならば、 家に在っても、山林に在るのと同じく、 我所(がしょ、身心)を離れることができる。 繋縛と解脱とは、心に在る、 形に、何のような定相(涅槃の相)が有るというのか。 甲冑を著け、豪華な衣を著けるのは、強敵を制する為であり、 髪を剃り、染めた衣を著けるのは、煩悩という強敵を伏する為である。 それは、 『比丘よ来い。』と言われて俗人の形を捨て、 出家の儀式を具足すれば、 これは、 皆、沙門(しゃもん、出家の仏弟子)である。』
注:厳飾(ごんじき):荘厳。 注:偈(げ):偈頌(げじゅ)、韻文の文体の名。 注:諸根(しょこん):眼耳鼻舌身意の六根。 注:調伏(ちょうぶく):調えて屈伏させる。 注:行法(ぎょうほう):修行法。 注:心累(しんるい):憂いの患い。 注:世栄(せよう):世間の栄華。 注:俗儀(ぞくぎ):俗人のようす。 注:高勝(こうしょう):高潔にして勝れる。 注:我所(がしょ):身心を我が物と思うこと。 注:定相(じょうそう):常住不変の涅槃の相。 注:重袍(じゅうほう):重ねた上着。 注:染衣(せんね):俗人の好まない色で染めた衣。俗人は白衣を好む。 注:比丘(びく):仏道に出家して戒を受けた者。 注:俗容(ぞくよう):俗人の容儀、振る舞い。 注:具足(ぐそく):完全に満たす。 注:沙門(しゃもん):仏道の修行者。 |
鬱毘羅迦葉を教化する
先有俗遊朋 其數五十四 尋善友出家 隨次入正法 斯由宿善業 妙果成於今 淳灰洽已久 經水速鮮明 上行諸聲聞 六十阿羅漢 悉如羅漢法 隨順而教誡 汝今已濟度 生死河彼岸 所作已畢竟 堪受一切供 各應遊諸國 度諸未度者 |
先に俗の遊朋有りて、その数は五十四、 善友を尋ねて出家し、次に随うて正法に入る。 これ宿(もと)の善業に由り、妙果の今に成れるなり、 淳灰に洽(うるお)うこと已に久しくんば、水を経て速かに鮮明ならん。 上行の諸の声聞、六十の阿羅漢は、 悉く羅漢法の如きに、随順して教誡すらく、 『汝は今すでに、生死の河を彼の岸に済度せり、 作す所は已に畢竟し、一切の供(く)を受くるに堪うれば、 各々まさに諸国に遊んで、諸の未だ度(ど)せざる者を度すべし。 |
耶舎には、 先に俗人の遊び友達が五十四人いた。 彼等は、 善い友をおって、出家し、 次々と、正法に入った。 彼等の、 前世の善業が、今妙果を結ぶ。 彼等は、 純潔な灰に永く漬かっていたので、 水に晒された時、速かに鮮明に成ったのである。 仏は、 この修行に勝れた六十人の声聞(しょうもん、仏の直弟子)に、 阿羅漢(あらかん、小乗の聖者)の法を説いて、こう諭された、―― 『お前たちは、 今、すでに生死の河を渡って、涅槃の彼岸に至り、 作すべきことは、すでに極め尽された。 一切の供養を受けるに堪えるだろう。 各々、 諸国を歴遊して、 未だ渡っていない者たちを、渡らせよ。
注:遊朋(ゆうほう):遊び仲間。 注:善友(ぜんぬ):善い友。 注:正法(しょうぼう):正しい教法。 注:宿善業(しゅくぜんごう):前世に行った善い行い。 注:妙果(みょうか):すばらしい果報。 注:淳灰(じゅんけ):純潔な灰、灰はソーダ(石けん)。 注:上行(じょうぎょう):上の修行者。 注:声聞(しょうもん):仏の声を聞く者。小乗の行者。 注:阿羅漢(あらかん):小乗の聖者。 注:羅漢法(らかんほう):小乗の教法。 注:随順(ずいじゅん):従う。 注:教誡(きょうかい):教えさとす。 注:済度(さいど):川を渡る。導いて救う。 注:畢竟(ひっきょう):極める。 注:一切供(いっさいく):一切の供養。 |
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眾生苦熾然 久無救護者 汝等各獨遊 哀愍而攝受 吾今亦獨行 還彼伽闍山 彼有大仙人 王仙及梵仙 悉皆在於彼 舉世之所宗 迦葉苦行仙 國人悉奉事 受學者甚眾 我今往度之 |
衆生の苦は熾然たれど、久しく救護する者無し。 汝等各々独り遊んで、哀愍して摂受せよ。 吾は今また独り行きて、彼の伽闍山(かじゃせん)に還らん。 彼(かしこ)に大仙人、王仙および梵仙有り、 悉く皆彼に在りて、世を挙げての宗(たっと)ぶ所なり。 迦葉(かしょう)苦行仙は、国人悉く奉事し、 学を受くる者は甚だ衆(おお)し、われ今往きてこれを度せん。』 |
衆生は酷く苦しんでいるが、誰も救護する者はいない。 お前たちは、 各々、 独りで遊び、哀れんで救い取れ。 わたしも、 今また、独りで行き、 伽闍山(かじゃせん)に還ることにしよう。 伽闍山には、 大仙人、王仙、梵仙などが多くいて、 皆、世間に尊ばれている。 その中でも、 迦葉(かしょう)苦行仙は、 国を挙げて尊ばれ、 学ぼうとする者も甚だ多い。 わたしは、 今、往ってこの迦葉仙を導こう。』
注:衆生(しゅじょう):人々。あらゆる生き物。 注:熾然(しねん):火の燃えるように盛ん。 注:救護(くご):救い護る。 注:哀愍(あいみん):哀れむ。 注:摂受(しょうじゅ):納め取る。 注:伽闍山(かじゃせん):『阿羅藍鬱頭藍品第十二』に出る。仏成道の場所。 注:仙人(せんにん):苦行により不死を得た者。 注:王仙(おうせん):転輪王が出家して五通(神足、天眼、天耳、他心、宿命)を具えた者。 注:梵仙(ぼんせん):梵天の力を授かった仙人。 注:迦葉(かしょう):事火外道の迦葉三兄弟。 |
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時六十比丘 奉教廣宣法 各從其宿緣 隨意詣諸方 世尊獨遊步 往詣伽闍山 入空靜法林 詣迦葉仙人 彼有事火窟 惡龍之所居 山林極清曠 處處無不安 |
時に六十の比丘は、広く法を宣べよとの教を奉じて、 各々その宿縁に従い、意の随(まま)に諸方に詣(いた)れり。 世尊は独り遊歩し、往きて伽闍山に詣り、 空静の法林に入りて、迦葉仙人に詣れり。 彼(かしこ)に事火窟有り、悪龍の居る所なれど、 山林は清曠を極め、処処に安んぜざる無し。 |
その時、 六十人の比丘は、 『法を宣べて弘めよ。』との教を受けて、 各々、 その前世からの縁に従い、 意のままに諸方に散って行った。 世尊は、 独りすたすたと歩いて往き、 伽闍山に着くと、 仙人の住む広く静かな林に入って、 迦葉仙人を訪ねた。 そこには、 火の神を祀る洞窟があり、 悪龍が住んでいたが、 その、 山林は、極めて清く開けていて、 どこにも、不安を感じさせるものが無い。
注:宿縁(しゅくえん):前世の因縁。 注:世尊(せそん):仏の尊称。世の尊き者の意。 注:遊歩(ゆぶ):そぞろ歩く。 注:空静(くうじょう):広々として静か。 注:事火窟(じかくつ):事火外道の火を燃やして神を祀る洞窟。 注:清曠(しょうこう):清々しく広い。 |
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世尊為教化 告彼而請宿 迦葉白佛言 無有宿止處 唯有事火窟 善清淨可居 而有惡龍止 必能傷害人 佛言但見與 且一宿止住 迦葉種種難 世尊請不已 迦葉復白佛 心不欲相與 謂我有吝惜 且自隨所樂 佛即入火室 端坐正思惟 |
世尊は教化せんが為に、彼に告げて宿を請えり。 迦葉は仏に白(もう)して言さく、『宿り止まる所の有ること無し、 ただ事火窟の有るのみ。善く清浄にして居(とどま)るべきも、 悪龍の止まりたる有れば、必ずよく人を傷害せん。』 仏の言わく、『ただ与えられよ。まさに一宿止住せんとするのみ。』 迦葉種種に難ずるも、世尊請うて已(や)まざれば、 迦葉はまた仏に白さく、『心は相い与うることを欲せざるも、 われに吝惜有りと謂わん。且く自らの楽(ねが)う所に随え。』 仏は即ち火室に入り、端坐して正思惟せり。 |
世尊は、 教化するために、 迦葉に一夜の宿を請うた。 迦葉は、 仏にこう申した、―― 『宿ることはできません、 ただ、 火の神を祀る洞窟が有るのみです。 そこは、 宿るにふさわしく清らかですが、 悪龍が住み着いておりますので、 必ず、人を傷つけ殺してしまいましょう。』 仏はこう言った、―― 『かまいませんから、お貸し下さい。 ただ、一晩宿ればよいのですから。』 迦葉は、種種に難を挙げたが、 仏は、 かまわずに請いつづけた。 迦葉は、とうとう仏にこう言った、―― 『ほんとうは、お貸ししたくはないのだが、 それでは、わたしが物惜しみしたように思われます。 やむを得ません、お泊まりなさい。』 仏は、 すぐさま、洞窟に入り、 姿勢を正して坐り、 正しく考えた。
注:教化(きょうけ):教導して変化さす。 注:止住(しじゅう):とどまる。 注:吝惜(りんしゃく):物惜しみする。 注:端坐(たんざ):姿勢を正して坐る。 注:正思惟(しょうしゆい):正しく考える。 |
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時惡龍見佛 瞋恚縱毒火 舉室洞熾然 而不觸佛身 舍盡火自滅 世尊猶安坐 猶如劫火起 梵天宮洞然 梵王正基坐 不恐亦不畏 惡龍見世尊 光顏無異相 毒息善心生 稽首而歸依 |
時に悪龍仏を見て、瞋恚し毒火を縦(ほしいまま)にせり。 室洞を挙げて熾然たるも、仏の身には触れず、 舎(いえ)尽きて火自ら滅するに、世尊はなお安らかに坐して、 なお劫火起りて、梵天の宮洞然たらんに、 梵王の正基に坐して、恐れずまた畏れざるが如し。 悪龍世尊を見るに、光顔に異相無ければ、 毒は息(や)みて善心生じ、稽首して帰依す。 |
その時、 悪龍は、 仏の姿を見て、 怒ってほしいままに毒火を吹きかけた。 焔は、 洞窟中を燃え上がらせたが、 仏の身をかすめさえしない。 洞窟中の、 建具が燃え尽き、火が消えてしまっても、 仏は、安らかに坐っている。 まるで、 世界が、火に包まれて燃え尽きる時、 梵天の宮が、がらんとして何も残らなくても、 梵天王だけは、 その座所に坐したまま、 平然としているように。 悪龍は、 世尊の顔が、 光かがやき、 何事も現さないのを見て、 毒の火は消え、善心が生じた、 頭(こうべ)を垂れて、仏に帰依する。
注:劫火(ごうか):世界の終りに世界を燃やし尽くす火。 注:洞然(どうねん):何も無くなってがらんとしたさま。 注:正基(しょうき):梵天の座所。 注:光顔(こうげん):光に耀く顔。 注:異相(いそう):普段と異なること。 注:稽首(けいしゅ):頭を垂れて、相手の足に着ける礼法。 注:帰依(きえ):勝れた者に帰投依伏する。 |
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迦葉夜見火 歎嗚呼怪哉 如此道コ人 而為龍火燒 迦葉及眷屬 晨朝悉來看 佛已降惡龍 置在於缽中 彼知佛功コ 而生奇特想 憍慢久習故 猶言我道尊 佛以隨時宜 現種種神變 察其心所念 變化而應之 令彼心柔軟 堪為正法器 自知其道淺 不及於世尊 決定謙下心 隨順受正法 鬱毘羅迦葉 弟子五百人 隨師善調伏 次第受正法 |
迦葉夜になりて火を見、歎ずらく『ああ、怪しきかな。 かくの如き道徳の人も、龍の火に焼かるとは。』 迦葉および眷属は、晨朝に悉く来て看るに、 仏は悪龍を降しおわり、鉢の中に置きて在り。 彼は仏の功徳を知りて、奇特の想を生ぜしも、 憍慢に久しく習うが故に、なお『わが道尊し。』と言えり。 仏は以って時宜に随い、種種の神変を現して、 その心に念う所を察し、変化してこれに応じ、 彼が心を柔軟にせしめて、正法の器たるに堪えしむれば、 自らその道の浅くして、世尊に及ばざるを知り、 謙下心を決定し、随順して正法を受けたり。 鬱毘羅迦葉(うつびらかしょう)が弟子五百人は、 師に随うて善く調伏し、次第に正法を受く。 |
迦葉は、 真夜中に火を見て、こう嘆いた、―― 『ああ、残念なことよ! このように、 高徳の人までが、 龍の火に焼かれてしまうとは。』 迦葉とその弟子たちは、 夜明けに来て見てみると、 仏は、悪龍を降して、 すでに、鉢に入れていた。 迦葉は、 仏の功徳を知り、 奇特の思いを生じたが、 永い間の驕りは抜けず、 なお『わたしの道は尊い。』と言う。 仏は、 時宜に応じて種種の、神変を現し、 その心の、思いを察すると、 変化して、これに応じた。 迦葉の心は、 仏によって柔軟になった。 正法の器として堪えられるようになると、 自ら、 その道が浅く、 世尊に及ばないことを知り、 謙譲の心が生じて、 素直に正法を受けた。 鬱毘羅迦葉(うつびらかしょう)の弟子五百人は、 師につづいて、善く調伏(ちょうぶく、心を調える)し、 次々と、正法を受けた。
注:道徳人(どうとくにん):道法の力の高い人。 注:晨朝(じんちょう):夜明け。 注:功徳(くどく):善行する力。 注:奇特(きどく):奇妙独特。見たこともないほど素晴らしい。 注:憍慢(きょうまん):自ら高ぶりて物をおしのける心。 注:時宜(じぎ):ちょうど好い時。 注:神変(じんぺん):神通力で変化する。 注:謙下心(けんげしん):卑下し謙遜する心。 注:随順(ずいじゅん):逆らわずに随う。 注:鬱毘羅迦葉(うつびらかしょう):三迦葉の一。 注:調伏(ちょうぶく):身口意の三業を調えて諸の悪行を制す。 |
迦葉三兄弟に法を説く
迦葉并徒眾 悉受正化已 仙人資生物 并諸事火具 悉棄於水中 漂沒隨流遷 |
迦葉並びに徒衆は、悉く正化を受けおわるに、 仙人の資生物、並びに諸の事火の具を、 悉く水中に棄つれば、漂没し流れに随うて遷る。 |
鬱毘羅迦葉と弟子たちが、 悉く、正法を受けて化導されてしまうと、 仙人の、 生活の具や火の神を祀る道具は、 悉く、 水中に棄てられ、 浮き沈みしながら、流れ下る。
注:徒衆(としゅ):弟子衆。 注:正化(しょうけ):正法を以って衆生を化導する。 注:資生物(ししょうもつ):生活の道具。 注:事火具(じかぐ):火を礼拝する時に使用する道具。 注:漂没(ひょうもつ):浮き沈みする。 |
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那提伽闍等 二弟居下流 見被服諸物 隨流而亂下 謂其遭大變 憂怖不自安 二眾五百人 尋江而求兄 見兄已出家 諸弟子亦然 知得未曾法 而起奇特想 兄今已服道 我等亦當隨 |
那提(なだい)伽闍(かじゃ)等の二弟、下流に居(ご)せるに、 被服諸物の、流れに随うて乱れ下るを見て、 謂わく、『それ大変に遭わむ。』と、憂怖して自らを安んぜず。 二衆の五百人、江を尋ねて兄を求めしに、 兄は已に出家して、諸の弟子もまた然るを見、 未曽の法を得たるを知りて、奇特の想を起せり、 『兄今已に道に服せり。われ等もまたまさに随うべし。』と。 |
那提(なだい)と伽闍(かじゃ)の、二人の弟は、 川の下流に住んでいたが、 兄の 被服や諸物が、流れに乗って乱れ下るのを見て、 兄に 大変事が起きたのを知り、 憂い恐れて不安がった。 二人の弟子たち五百人は、 川にそって兄を捜し、 兄は、すでに出家して弟子たちも同じであった。 聞けば、未曽有の法を得たとのこと、 そこで、このような奇特の想いを起した、―― 『兄は、今すでに道を得た。 わたし達も、兄に続こう。』
注:那提迦葉(なだいかしょう)、伽闍迦葉(かじゃかしょう):皆、迦葉三兄弟。 注:憂怖(うふ):憂え畏れる。 注:未曽(みぞう):未曽有。 注:奇特想(きどくそう):奇妙独特の思い。 |
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彼兄弟三人 及弟子眷屬 世尊為說法 即以事火譬 愚癡K煙起 亂想鑽燧生 貪欲瞋恚火 焚燒於眾生 如是煩惱火 熾然不休息 彌淪於生死 苦火亦常然 能見二種火 熾然無依怗 云何有心人 而不生厭離 厭離除貪欲 貪盡得解脫 若已得解脫 解脫知見生 觀察生死流 而舉於梵行 一切作已作 更不受後有 |
彼の兄弟三人、および弟子と眷属は、 世尊為に法を説き、即ち事火を以って譬うらく、 『愚癡の黒煙起れば、乱想の鑽燧生じて 貪欲と瞋恚の火は、衆生を焚焼す。 かくの如き煩悩の火は、熾然たりて休息せず、 生死に弥淪する、苦火もまた常に然(も)ゆ。 よく二種の火を見るに、熾然たりて依怙無し、 云何が有心の人にして、厭離を生ぜざる。 厭離は貪欲を除き、貪尽くれば解脱を得、 もしすでに解脱を得れば、解脱知見生ず。 生死の流れを観察して、梵行を挙(かか)ぐれば、 一切の作(さ)を已に作して、更に後の有(う)を受けず。』 |
火の神を祀る、 彼等三兄弟と、その弟子たちの為に、 仏は、火に譬えて法を説いた、―― 『愚癡の黒煙が起ると、 乱想の鑽燧(さんすい、火を取る道具)は、 貪欲と瞋恚の火を生じて、 衆生を焼き尽くす。 このような、 煩悩の火は、盛んに燃えて休まず、 生死に沈む苦の火も、また常に燃える。 よく、 この二種の火を見てみれば、 盛んに燃えるばかりで頼りにならない。 心が有れば、 この二種の火を、 厭って離れるはずではないか? 厭い離れたならば、 貪欲を除くことができ、 貪欲が尽きてしまえば、 解脱を得る。 解脱を得てしまえば、 解脱心による知見が生じる。 生死の流れを観察し、 清浄の行を行えば、 一切の作すべきことは、すでに作されて、 もう、後世に生を受けることはない。』
注:愚癡(ぐち):真実を知らない愚かさ。 注:鑽燧(さんすい):木片に木の棒をきりもみして火を取る道具。 注:貪欲(とんよく):五欲(色声香味触)を貪る。 注:瞋恚(しんに):怒りといきどおり。 注:焚焼(ぼんしょう):焼く。 注:熾然(しねん):盛んに燃える。 注:弥淪(みりん):深く沈む。弥は深く広いの意。 注:依怙(えこ):頼りとなるもの。 注:有心人(うしんにん):心をもつ人。 注:厭離(えんり):嫌悪して離れる。 注:解脱(げだつ):煩悩の縛を解いて生死の流れを脱れる。 注:解脱知見(げだつちけん):已に解脱したことを知る。また解脱心による知見。 注:梵行(ぼんぎょう):浄い行い。婬欲を断ずること。 注:一切作(いっさいさ):一切の作すべきこと。 注:後有(ごう):後世の生。後世に生ずること。 |
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如是千比丘 聞世尊說法 諸漏永不起 一切心解脫 佛為迦葉等 千比丘說法 所作者已作 淨慧妙莊嚴 諸功コ眷屬 施戒淨諸根 大コ仙從道 苦行林失榮 如人捨戒コ 空身而徒生 |
かくの如き千比丘、世尊の説法を聞いて、 諸漏永く起らず、一切の心解脱せり。 仏は迦葉等、千比丘の為に法を説けるに、 作すべき所は已に作し、浄らかなる慧は妙に荘厳し、 諸の功徳の眷属、施と戒とは諸根を浄む。 大徳仙は道に従い、苦行林は栄を失う、 人の戒徳を捨て、空しき身にて徒(いたづ)に生くるが如し。 |
このように、 千人の比丘は、 世尊の説法を聞いて、 もはや諸漏(しょろ、煩悩)は尽き、 一切の心は解脱した。 仏が、 迦葉等の千人の比丘に、法を説き、 比丘たちは、 作すべきことは、すでに作し、 浄らかな智慧にて、身心を飾った。 諸の功徳の眷属、 布施と持戒とは、 諸根(眼耳鼻舌身意)を浄めた。 大徳仙(仏)は、 道に従って行き、 苦行の林は栄華を失う。 まるで、 持戒の徳を、捨てた人が、 空しき身で、無駄に生きるように。
注:比丘(びく):仏弟子。 注:諸漏(しょろ):一切の煩悩。 注:一切心(いっさいしん):貪欲心、瞋恚心、愚癡心等。 注:戒徳(かいとく):戒の力。 |
瓶沙王と眷属人民は仏の法を聴いて諸の塵垢を離れる
世尊大眷屬 進詣王舍城 憶念摩竭王 先所修要誓 世尊既至已 止住於杖林 瓶沙王聞之 與大眷屬俱 舉國士女從 往詣世尊所 遠見如來坐 降心伏諸根 除去諸俗容 下車而步進 猶如天帝釋 往詣梵天王 前頂禮佛足 敬問體和安 佛還慰勞畢 命令一面坐 |
世尊大眷属とともに、進みて王舎城に詣(いた)るに、 摩竭(まかつ)王の、先に修めし所の要誓を憶念せり。 世尊は既に至りおわりて、杖林(じょうりん)に止住せるに、 瓶沙王これを聞いて、大眷属と倶に、 国を挙げて士女を従え、往きて世尊の所に至れり。 遠く如来の坐せるを見しに、心を降して諸根を伏し、 諸の俗容を除去して、下車し歩み進むこと、 なお天帝釈の、往きて梵天王に詣づるが如し。 前(すす)みて仏の足を頂礼し、敬って体の和安を問えるに、 仏は還って慰労しおわり、命じて一面に坐せしむ。 |
世尊は、 大勢の弟子たちと、共に進んで王舎城に着いた。 先の瓶沙王(びんしゃおう)との、約束を憶えていたからである。 世尊は、 王舎城に着くと、 近郊の杖林(じょうりん)に住まいを定めた。 瓶沙王は、 これを聞き、 大勢のお供と、国中の男女を従えて、 世尊の所に訪れた。 遠くに、 如来が坐っている。 心の過を降し、諸根を制して。 瓶沙王は、 身から多すぎる飾りをはぎとり、 車を下りると歩いて進んだ。 まるで、 天帝釈が、梵天王を訪ねるように。 瓶沙王は、 仏の前に進みでると、 仏の足に頭を着けて礼拝し、 恭しく道中の安穏と身の安楽を問い、 仏は、 また王の来詣を慰労し、 一面に坐るよう命じた。
注:摩竭王(まかつおう):摩竭陀国(まがだこく)の王。瓶沙(びんしゃ)王。 注:要誓(ようぜい):約束。 注:憶念(おくねん):思いだして、心に留める。 注:杖林(じょうりん):王舎城郊外の林の名。 注:止住(しじゅう):住居とする。 注:俗容(ぞくよう):俗の儀容。 注:除去(じょこ):除き去る。 注:頂礼(ちょうらい):相手の足に頭をつけて礼する。 注:和安(わあん):和順にして安穏。 注:一面に坐す:仏を囲む四面の中の一面に人と並んで坐る。 |
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時王心默念 釋迦大威力 勝コ迦葉等 今皆為弟子 佛知眾心念 而問於迦葉 汝見何福利 而棄事火法 迦葉聞佛命 驚起大眾前 胡跪而合掌 高聲白佛言 修福事火神 果報悉輪迥 生死煩惱掾@ 是故我棄捨 |
時に王の心に黙して念ずらく、『釈迦の大威力は、 徳に勝れし迦葉等も、今は皆弟子と為せり。』 仏は衆(あまた)の心の念いを知りて、迦葉に問わく、 『汝何なる福利を見て、事火法を捨てしや。』 迦葉は仏の命を聞いて、驚いて大衆の前に起ち、 胡跪し合掌して、高声に仏に白して言さく、 『福を修めて火神に事(つか)うるも、果報は悉く輪廻して、 生死と煩悩と増さん。この故にわれは棄捨せり。』 |
その時、 王は、心でこう思った、―― 『釈迦は、 いったい、何のような大威力を用いて、 迦葉等の徳に勝れる者たちを、 今は皆、弟子にしてしまったのだろうか?』 仏は、 皆の心を知り、 迦葉にこう問うた、―― 『お前は、 何のような福徳の利益を見て、 火の神の祀りを捨てたのか?』 迦葉は、 仏の命を聞いて驚いて起ちあがった。 大衆の前で片膝ついて合掌し、 声高に仏にこう答えた、―― 『来世の福を願って、火の神に祈っておりましたが、 果報は悉く、輪廻の中にあって生死を脱れられず、 煩悩は増すばかり。この故に捨てました。』
注:胡跪(こき):片膝を地につけて跪く。 |
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精勤奉事火 為求五欲境 愛欲摶ウ窮 是故我棄捨 事火修咒術 離解脫受生 受生為苦本 故捨更求安 我本謂苦行 祠祀設大會 為最第一勝 而更違正道 是故今棄捨 更求勝寂滅 離生老病死 無盡清涼處 以知此義故 放捨事火法 |
精勤して火に奉事するは、五欲の境を求むると為し、 愛欲の増さんことは窮まり無し。この故にわれは棄捨せり。 火に事えて呪術を修むるは、解脱を離れて生を受けん、 生を受くるを苦の本と為す。故に捨てて更に安きを求む。 われは本苦行を謂い、祠(ほこら)を祀りて大会を設け、 最も第一に勝ると為して、更に正道に違えたり。 この故に今棄捨して、更に勝れたる寂滅を求め、 生老病死を離れて、尽くること無き清涼に処す。 この義を知るを以っての故に、事火法を放捨せり。』 |
『懸命に火の神に仕えても、それは ただ、五欲の境(色声香味触)を求めてのこと。 愛欲の増加が止まりません。その故に捨てました。 火の神に祈って唱える呪文は、ますます、解脱を遠ざけて生を受けることになります。 生を受ければ、これは苦の本。この故に更なる安らぎを求めたのです。 わたくしは、本、苦行を説き、祠(ほこら)を祀って大会を設け、 それを最も第一に勝れるとしてきましたが、正道に違えておりました。 この故に今それを捨てて、更に勝れた寂滅を求めるのです。 生老病死を離れた世界は、尽きることのない清涼処です。 この義(意味)を知って、火の神を祀るのを捨てました。』
注:寂滅(じゃくめつ):涅槃の訳語。寂静にして一切の相を離れること。 |
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世尊聞迦葉 說自知見事 欲令諸世間 普生淨信故 而告迦葉言 汝大士善來 分別種種法 而從於勝道 今於大眾前 顯汝勝功コ 如巨富長者 開現於寶藏 令貧苦眾生 搗エ厭離心 善哉奉尊教 即於大眾前 斂身入正受 飄然昇虛空 經行住坐臥 或舉身洞然 左右出水火 不燒亦不濡 從身出雲雨 雷電動天地 |
世尊は迦葉の自ら知見せし事を説くを聞いて、 諸の世間に、普く浄信を生ぜしめんと欲するが故に、 迦葉に告げて言わく、『汝大士よ、善くぞ来たる。 種種の法を分別して勝れたる道に従い、 今大衆の前に於いて、汝が勝れたる功徳を顕せ。 巨富の長者の、宝蔵を開現せしが如く、 貧苦の衆生をして、その厭離心を増さしめよ。』 『善きかな。尊き教を奉ぜん。』と、即ち大衆の前に於いて、 身を斂(おさ)めて正受に入り、飄然として虚空に昇り、 経行し住し坐臥して、或は身を挙げて洞然たり。 左右に水火を出せども、焼けずしてまた濡れず、 身より雲雨を出せば、雷電は天地を動かす。 |
世尊は、 迦葉が自ら知見した事を説くのを聞いて、 『諸の世間にも、普く浄い信心を生じさせたいものだ。』と思い、 迦葉にこう告げた、―― 『勝れたる者よ、よくぞ来た! お前は、 種種の道法より選び取って、最も勝れた道についた。 今、 この大勢の前で、お前の勝れた功徳を顕せ! あたかも、 巨万の富をかかえる長者が、宝の蔵を開放するように、 貧に苦しむ衆生に、その厭い離れる心を増さしめよ。』 迦葉は、 『善いかな、尊き教のままに。』と、 すぐさま、 大勢の前で、身体の動きを止めて禅定に入り、 風に舞うように、 空中に浮かぶと、そこで行住坐臥をして見せ、 或は、 身体を空に同じて見せた。 或は、 左右に水や火を出して見せ、 しかも、身体は焼けも濡れもしないのを見せた。 或は、 身から雲を出して雨を降らせ、 雷電を起して天地を動かすのを見せた。
注:浄信(じょうしん):浄らかな信心。 注:大士(だいじ):勝れたる人。 注:斂身(れんしん):身をおさめる。身の奔放をおさめること。身動きしないこと。 注:正受(しょうじゅ):禅定、三昧(さんまい)。 注:飄然(ひょうねん):つむじ風の舞うさま。 注:洞然(どうねん):空洞なるさま。 |
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舉世悉瞻仰 縱目觀無厭 異口而同音 稱歎未曾有 然後攝神通 敬禮世尊足 佛為我大師 我為尊弟子 奉教聞斯行 所作已畢竟 舉世普見彼 迦葉為弟子 決定知世尊 真實一切智 |
世を挙げて悉く瞻仰し、目を縦(ほしいまま)に観て厭くこと無く、 異口同音に、未曽有を称歎せり。 然る後、神通を摂(おさ)めて、世尊の足に敬礼すらく、 『仏はわが大師たりて、われは尊(そん)が弟子たり。 教を奉じてこの行を聞き、作す所は已に畢竟せり。』 世を挙げて普く彼を見しに、迦葉は弟子たれば、 決定して世尊は、真実の一切智なるを知る。 |
世間は、 皆悉く、仰ぎ見た。 いくら見ても飽きることがない。 異口同音に、『これは未曽有の事である。』と称歎した。 迦葉は、 神通力を摂(おさ)めると、 世尊の足に敬礼してこう言った、―― 『世尊は、 わたくしの、大師であり、 わたくしは、世尊の弟子でございます。 教のままに、 この行あるを聞き、 作すべき事は、すでに極め尽くしました。』 世間は、 皆悉く、これを見て、 ついに、知った、―― 『この迦葉が、弟子である。 世尊こそは、定めし真実の一切智(仏)であろう。』と。
注:瞻仰(せんごう):見上げる。 注:敬礼(きょうらい):敬って礼する。 注:畢竟(ひっきょう):極める。 注:一切智(いっさいち):一切を知る仏の智慧。また仏。 |
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佛知諸會眾 堪為受法器 而告瓶沙王 汝今善諦聽 心意及諸根 斯皆生滅法 了知生滅過 是則平等觀 如是平等觀 是則為知身 知身生滅法 無取亦無受 如身諸根覺 無我無我所 純一苦積聚 苦生而苦滅 已知諸身相 無我無我所 是則之第一 無盡清涼處 |
仏は諸の会衆の、法を受くる器たるに堪うるを知りて、 瓶沙王に告ぐらく、『汝今善く諦(あき)らかに聴け。 心意および諸根は、これ皆生滅の法にして、 生滅の過(とが)を了知すれば、これ則ち平等の観なり。 かくの如き平等の観は、これ則ち身を知ると為し、 身の生滅法たるを知れば、取無くしてまた受無し。 身と諸根と覚との如きには、我無く我所無く、 純一なる苦積聚し、苦生じて苦滅す。 已に諸の身相を知れば、我無く我所無く、 これは則ち第一の、尽くることの無き清涼処なり。 |
仏は、 諸のその場の者が、 悉く、法を受ける器たるに堪えるこをを知り、 瓶沙王に、こう告げた、―― 『お前は、今、 善心を起し、 聞き漏らすことなく、明らかに聴け! 人の身心である、 心意(五蘊中の受想行識蘊)および諸根(五蘊中の色蘊)は、 これは皆、生滅する法(もの)である。 明らかに、 生滅の過(とが)を知るならば、 これを、平等に観察するという。 このように、 平等に観察したならば、 これを、身を知るという。 もし、 身が、生滅する法であると知ったならば、 執著する煩悩も無く、 感受する心の動きも無い。 例えば、 身体、 諸根(眼耳鼻舌身)、 知覚などには、 我(自己意識の中核)も無く、 我所(自己の所有たる身心)も無い。 ただ、 純(もっぱ)ら、苦の積聚(しゃくじゅう、集まり)である。 人では無い! 苦が生じて、苦が滅するのである。 すでに、 このように、 『諸の身相には、 我は無く、 我所も無い。』と知ったならば、 それこそが、 第一の、尽きることのない清涼処である。』
注:心意(しんに):意識、六根中の意根、五蘊中の受想行識蘊。 注:平等(びょうどう):自他の無差別。 注:取(しゅ):対する所の境界に取著すること。愛の異名。煩悩の総名。 注:受(じゅ):触れる所の境を領納する心の働き。 注:純一(じゅんいつ):混じりけの無い。 注:積聚(しゃくじゅう):積み集まる。 注:我(が):自己意識の中核、霊魂のようなもの。アートマン。 注:我所(がしょ):我が物。自己の物と認識する身心。 |
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我見等煩惱 繫縛諸世間 既見無我所 諸縛悉解脫 不實見所縛 見實則解脫 世間攝受戒 則為邪攝受 若彼有我者 或常或無常 生死二邊見 其過最尤甚 |
我見等の煩悩は、諸の世間に繋縛せるも、 既に我所無きを見れば、諸の縛は悉く解脱せん。 不実なる見に縛せらるるも、実の見は則ち解脱す、 世間の戒を摂受するは、則ち邪なる摂受と為す。 もし彼に我有らば、或は常或は無常にして、 生死を二辺に見んも、その過は最尤(もっとも)甚だし。 |
『我見(我有りとする煩悩)等の煩悩は、 諸の世間に縛りつけるものであるが、 すでに、 我所が無いことを見たのであるから、 諸の縛りつける煩悩は、 悉く、解きほどいて脱れたはずである。 不実なる見解で縛りつけられ、実の見解にて解き放つ。 世間は、 戒を守っているが、 邪な見解で、 戒を守っている。 もし、 我が、有ると信じるならば、 我が、常(常住不変)であとうと、無常であろうと、 生死を、その常と無常との二辺に見るのであるから、 その、 過は、最も甚だしいのである。』
注:我見(がけん):我有りとする煩悩。 注:繋縛(けばく):世間に縛りつけるもの、煩悩。 注:世間(せけん):三界五道。 注:摂受(しょうじゅ):摂取。摂受戒とは戒を受けてそれを守ること。 |
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若使無常者 修行則無果 亦不受後身 無功而解脫 若使有常者 無死生中間 則應同虛空 無生亦無滅 若使有我者 則應一切同 一切皆有我 無業果自成 若有我作者 不應苦修行 彼有自在主 何須造作為 |
もし無常ならしめば、修行すれど則ち果無く、 また後の身を受けずして、功無くて解脱せん。 もし有常ならしめば、死と生と中間と無く、 則ちまさに虚空にと同じく、生無くまた滅も無かるべし。 もし有我ならしめば、則ちまさに一切は同じく、 一切は皆有我にして、業の果の自ら成ずること無かるべし。 もし我の作者有らば、まさに苦しんで修行すべからず、 彼に自在主有らば、何を為さんとして造作するを須(ま)つ。 |
『もし、 無常であるとするならば、 修行しても、その果報は無く、 また、 後世に身を受けないのであるから、 功が無くても解脱することになる。 もし、 常であるとするならば、 死、生、その中間は無い。 即ち、 虚空と同じように、 生も無く、滅も無いのである。 もし、ウパニシャッド哲学で言うように、 我(世界に偏在する唯一の我)が有るとするならば、 一切は、同一のはずである。 一切は、 皆、我が有るのであるが、 業の果報は、いったい誰の処に成るのであろうか? もし、数論学派が言うように、 我に、作者(さしゃ、我の本体)が有るとするならば、 いったい、誰が苦しんで修行などするだろうか? 我に、自主性が有るのであれば、 修行して、いったいそれが何になろうか?』
注:有常(うじょう):無常に対する語。常。 注:有我(うが):無我に対する語。我。 注:我作者(がさしゃ):我を作す者。数論学派に於ける我の本体。神我、プルシャという。 注:自在主(じざいしゅ):他から因縁されず存在する者。自主性。 注:造作(ぞうさ):作る。行為。 注:ここでは二種の我が説かれている。一は、ウパニシャッド哲学で説く所の、宇宙の根本原理であるブラフマンと同一のアートマン。二は数論学派で説く所の個人的精神原理であるプルシャ、即ち霊魂と考えられるもの。前者は世界に唯一であるが、後者は無数に有る。 |
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若我則有常 理不容變異 見有苦樂相 云何言有常 知生則解脫 遠離諸塵垢 一切悉有常 何用解脫為 無我不唯言 理實無實性 不見我作事 云何說我作 |
もし我は則ち有常なれば、理は変異を容(ゆる)さざるに、 苦楽の相を見て、云何が有常なりと言う。 知生ずれば則ち解脱して、諸の塵垢を遠離せんに、 一切悉く有常なれば、何を為さんとて解脱を用うる。 無我とはただ言うのみならず、理は実に実の性無し、 我の作す事を見ずして、云何が我の作すを説く。 |
『もし、 我が、常であるとするならば、 道理として、変異するはずがない。 人に、 苦楽の相が有るのを見ていながら、 何故、常であると言えるのか? 知ることができれば、 解き放たれて、諸の煩悩から遠ざかることができるのに、 一切が、 悉く、常であるとするならば、 解き放たれて、何うしようとするのか? ただ、 わたしが、『我は無い。』と言うのみではない、 道理として実に、 我には、実の性が無いのである。 いったい、 我の作す事も見ないで、 何故、 『我が作す』と説くのか?』
注:塵垢(じんく):煩悩の異名。 注:遠離(おんり):遠く離れる。 |
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我既無所作 亦無作我者 無此二事故 真實無有我 無作者知者 無主而常遷 生死日夜流 汝今聽我說 六根六境界 因緣六識生 三事會生觸 心念業隨轉 陽珠遇乾草 緣日火隨生 諸根境界識 士夫生亦然 芽因種子生 種非即是芽 不即亦不異 眾生生亦然 |
我は既に作す所無く、また我を作す者も無し、 この二事の無きが故に、真実に我の有ること無し。 作者と知者無く、無主にして常に遷(うつ)りて、 生死は日夜に流る。汝、今わが説を聴け。 六根と六境界とは、因縁して六識生ず、 三事会して触を生じ、心と念と業と随って転ず。 陽珠、乾草に遇わば、日に縁りて火随うて生ず、 諸根と境界と識とにより、士夫生ずるもまた然り。 芽は種子に因りて生ずるも、種は即ちこれ芽に非ず、 即せずまた異ならず、衆生と生もまた然り。』 |
『すでに、 『我には働きが無い』と分った、 また、 『我を作る者も無い』と分った。 この 二事が無いが故に、真実に我は無いのである。 我には、 作る者も無く、 知る者も無く、 主も無く、 常に、 遷りつづけている。 生死は、 日夜に流れつづけるのである。 お前は、 今、聞き漏らすことなく、明らかに聴け! わたしは、 今、こう説こう、―― 『六根(眼耳鼻舌身意)は、 六境(色声香味触法)に因縁して、 六識(眼識、耳識等)が生じる。 この三事が、 会して触(そく、六根が六境に接触)が生じ、 心、念、業と転じて行くのである。 例えば、 陽珠(ようじゅ、レンズ)は、乾草に遇い、 日が縁じて、火が生じるように、 諸根、諸境、諸識からも、 立派な男子が生じるのである。 例えば、 芽は、種子から生じるが、 種子が、芽ではないように、 衆生と生とは、 同じでもなく、 異なるでもない。』と。』
注:陽珠(ようじゅ):明るい珠。レンズ。 注:士夫(しふ):男子。 |
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世尊說真實 平等第一義 瓶沙王歡喜 離垢法眼生 王眷屬人民 百千諸鬼神 聞說甘露法 亦隨離諸塵 |
世尊、真実にして平等の第一義たるを説き、 瓶沙王歓喜して、垢を離れて法眼生ぜしに、 王の眷属人民、百千の諸の鬼神も、 甘露の法を説けるを聞いて、また随うて諸の塵を離れたり。 |
世尊は、 真実の『平等の第一義』を説いた。 瓶沙王は、 歓喜して煩悩の垢を離れ、 法眼(ほうげん、衆生済度の菩薩の眼)を生じた。 王の眷属と人民と、百千の諸の鬼神たちも、 甘露の法が説かれるのを聞き、 また次々と、 諸の煩悩の塵を離れた。
注:第一義(だいいちぎ):真理。 注:法眼(ほうげん):菩薩が衆生を度すために一切の法門を照見する智慧。 |
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