(瓶沙王諸弟子品第十六)

 

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佛所行讚卷第四(亦云佛本行經)

 馬鳴菩薩造

 北涼天竺三藏曇無讖譯

仏の所行の讃 巻の第四(また仏の本行経ともいう)

  馬鳴菩薩造り

  北涼の天竺三蔵 曇無讖訳す

   釈迦一代の本行(ほんぎょう、仏の所行)を説く。

 

 

鳩尸城の長者子耶舎に法を説く

瓶沙王諸弟子品第十六

瓶沙王諸弟子(びんしゃおうしょでし)品第十六

  瓶沙王および諸の弟子の出家を説く。

 時彼五比丘  阿濕波誓等

 聞彼知法聲  慨然而自愧

 合掌而加敬  仰瞻於尊顏

 如來善方便  次令入正法

 前後五比丘  得道調諸根

 猶五星麗天  列侍於明月

時に彼の五比丘、阿湿波誓(あしばせい)等、

彼の法を知る声を聞いて、慨然として自ら愧じ、

合掌して敬を加え、尊顔を仰瞻するに、

如来善く方便して、次いで正法に入らしむ。

前後して五比丘は、道を得て諸根を調え、

なお五星の天に麗(うららか)に、明月に列侍するがごとし。

その時、

   阿湿波誓(あしばせい)等の五比丘は、

      仏の法を知る声を聞いて、感嘆し恥ずかしく思った。

      合掌して、恭しく尊顔を仰ぎ見る。

   仏は、

      善方便(目的を果たす巧みな方法)で、

      次々と正法に入らせた。

   五比丘は、

      前後して、

         道を得て、諸根(眼耳鼻舌身意)が調った。

   まるで、

      五つの星が、

         麗らかに、天に輝いて並び、

         明月の、周囲に侍っているように。

 

  :五比丘(ごびく):仏の最初の説法を聞く五人。『転法輪品第十五』参照。

  :阿湿波誓(あしばせい):五比丘の一。

  :慨然(がいねん):感嘆するさま。

  :仰瞻(ごうせん):仰ぎ見る。

  :尊顔(そんげん):尊き人の顔。

  :善方便(ぜんほうべん):目的を果たすに相応しい方法。

  :列侍(れつじ):整列して侍る。

 時彼鳩尸城  長者子耶舍

 夜睡忽覺悟  自見其眷屬

 男女身裸臥  即生厭離心

 念此煩惱本  誑惑於愚夫

 嚴服佩瓔珞  出家詣山林

 尋路而普唱  惱亂惱亂亂

 如來夜經行  聞唱惱亂聲

 即命汝善來  此有安隱處

 涅槃極清涼  寂滅離諸惱

時に彼の鳩尸(くし)城の、長者子耶舎(やしゃ)は、

夜睡より忽(たちま)ち覚悟して、自らその眷属を見るに、

男女が身裸にて臥せり。即ち厭離心を生じて、

この煩悩の本の、愚夫を誑惑するを念い、

服を厳(よそお)いて瓔珞を佩(は)き、出家して山林に詣り、

路を尋ねて普く、『悩乱せり悩乱して乱れぬ。』と唱う。

如来夜の経行に、『悩乱せり』と唱うる声を聞き、

即ち命ずらく、『汝善くぞ来たる。ここに安穏の処有り。

 涅槃は清涼を極む、寂滅して諸悩を離れよ。』と。

その頃、

   鳩尸城(くしじょう)の長者子耶舎(やしゃ)は、

      夜の睡りより、ふっと覚めて、

      周囲を、見回した、

      裸の男女が乱れ臥せっている。

   にわかに、

      世間を厭う心が生じ、

      世間から離れたく思った、――

     『この煩悩の本が、愚夫を誑かして惑わせるのか!』

   すばやく、

      衣服を身に著け、瓔珞を首に巻くと、

      家を出て、山林に入った。

   路々、

      こう唱えて歩いた、――

     『悩みに乱れる。ああ悩みに乱れる。』

その時、

   如来は、

      夜の経行(きょうぎょう、歩く禅)をしていたが、

      この『悩みに乱れる。』と唱える声を聞き、

   即座に、

      こう命じた、――

     『よく、

         ここへ来た!

      ここに、

         安穏の処が有るぞ!

         涅槃は、極めて清涼である!

         寂滅して、諸の悩みを離れよ。』

 

  :鳩尸城(くしじょう):阿惟三菩提品第十四では迦尸城。

  :耶舎(やしゃ):名聞(みょうもん)と訳す。仏の成道後の最初の優婆塞(うばそく、俗人の信者)。

  :夜睡(やすい):夜の睡眠。

  :覚悟(かくご):目覚める。

  :眷属(けんぞく):みうち、親族。

  :厭離心(えんりしん):嫌悪して離れたいと思う心。

  :瓔珞(ようらく):宝石の首飾り。

  :悩乱(のうらん):悩み乱れる。

  :経行(きょうぎょう):一定の地を廻旋し往来して、坐禅時に眠り込むのを防ぐ。

  :安穏処(あんのんじょ):安らかにして穏やかなる処。

  :涅槃(ねはん):寂滅。安楽。

  :寂滅(じゃくめつ):寂静にして一切の相を離れる。涅槃。

 耶舍聞佛教  心中大歡喜

 乘本厭離心  聖慧冷然開

 如入清涼池  肅然至佛所

 其身猶俗容  心已得漏盡

 宿殖善根力  疾成羅漢果

 淨智理潛明  聞法能即悟

 猶若鮮素潤@ 易為染其色

 彼已自覺知  所應作已作

 顧身猶莊嚴  而生慚愧心

耶舎は仏の教を聞いて、心中大いに歓喜し、

本の厭離心に乗じて、聖慧冷然として開き、

清涼なる池に入りたるが如し。粛然として仏の所に至るに、

その身はなお俗容ごときも、心はすでに漏尽を得、

宿殖の善根力により、疾く羅漢果を得たり。

浄らかなる智理は明るさを潜むれど、法を聞けばよく即ち悟りて、

なお鮮素なる潤iきぬ)の如く、その色に染まり易し。

彼すでに自ら覚知して、まさに作すべき所すでに作せるに、

身になお荘厳あるを顧みて、慚愧心を生ぜり。

耶舎は、

   仏の教を聞いて、心が大いに歓喜した。

   本々の、

      世間を厭い、離れたいとの思いは、

   涼しい風となって吹き、

      智慧の扉を、開かせた、

      清涼な池にでも入ったかのように。

   恐縮しながら、

      仏の前に進みでる。

   その身は、

      俗人の形を取りながら、

   その心は、

      すでに煩悩が尽きていた。

前世よりの、

   善根力により、かくも速かに、

      羅漢果(らかんか、聖人の証し)を得たのである。

   浄らかな、

      智慧には、明るい道理が潜み、

      法を聞けば、すぐさま悟ることができた。

   まるで、

      純白の絹地が、容易に色に染まるように。

彼は、

   自ら、作すべきことは作しおえたと覚知した。

   自身を、

      顧みて、きらびやかな装飾に、

      恥じらいの、心が生じる。

 

  :聖慧(しょうえ):聖人の智慧。

  :冷然(りょうねん):涼しいさま。

  :清涼(しょうりょう):さっぱりしてすがすがしい。

  :粛然(しゅくねん):恐縮したさま。

  :宿殖(しゅくじき):過去世に種えた。

  :羅漢果(らかんか):羅漢は阿羅漢(あらかん、聖者)の意。果は果報。

  :智理(ちり):智は能観の智慧、理は所観の道理。

  :鮮素(せんそ):純白。

  :覚知(かくち):覚醒して初めて知る。

  :荘厳(しょうごん):立派な飾り。

  :慚愧心(ざんきしん):自他に恥じ入る心。

 如來知彼念  而為說偈言

 嚴飾以瓔珞  心調伏諸根

 平等觀眾生  行法不計形

 身被出家服  其心累未忘

 處林貪世榮  是則為俗人

 形雖表俗儀  心栖高勝境

 在家同山林  則離於我所

 縛解存於心  形豈有定相

 佩ナ衣重袍  謂能制強敵

 改形著染衣  為伏煩惱怨

 即命比丘來  應聲俗容廢

 具足出家儀  皆成於沙門

如来は彼の念(おもい)を知りて、為に偈(げ)を説いて言わく、

『厳飾するに瓔珞を以ってすれど、心に諸根を調伏して、

 平等に衆生を観ぜば、行法は形を計らず。

 身に出家の服を被(こうむ)れど、その心累を未だ忘れず、

 林に処して世栄を貪る、これ則ち俗人と為す。

 形に俗儀を表すといえども、心は高勝の境に栖(す)み、

 家に在れど山林と同じくんば、則ち我所を離る。

 縛解は心に在り、形にあに定相有らんや、

 ナ(かぶと)を佩いて重袍を衣(き)るは、よく強敵を制するを謂い、

 形を改めて染衣を著(つ)くるは、煩悩の怨を伏せんが為なり。

 即ち『比丘来たれ』と命じしに、声に応(こた)えて俗容を廃し、

 出家の儀を具足すれば、皆沙門と成らん。』と。

如来は、

   彼の思いを知り、こう説いた、――

  『首に、瓔珞を巻いて身を飾っていても、

   心に、諸根を調伏して、平等に衆生を観るならば、

      行法(行い)は、その形ではない。

   身に、出家の服を著けていても、

   心の患いを、未だ忘れなければ、

      これは俗人である。

   山林に住していても、

   世間の栄誉を貪れば、

      これも俗人である。

   形は、俗人のようでも、

   心が、高勝の境に住するならば、

   家に在っても、山林に在るのと同じく、

      我所(がしょ、身心)を離れることができる。

   繋縛と解脱とは、心に在る、

   形に、何のような定相(涅槃の相)が有るというのか。

   甲冑を著け、豪華な衣を著けるのは、強敵を制する為であり、

   髪を剃り、染めた衣を著けるのは、煩悩という強敵を伏する為である。

   それは、

      『比丘よ来い。』と言われて俗人の形を捨て、

      出家の儀式を具足すれば、

   これは、

      皆、沙門(しゃもん、出家の仏弟子)である。』

 

  :厳飾(ごんじき):荘厳。

  :偈(げ):偈頌(げじゅ)、韻文の文体の名。

  :諸根(しょこん):眼耳鼻舌身意の六根。

  :調伏(ちょうぶく):調えて屈伏させる。

  :行法(ぎょうほう):修行法。

  :心累(しんるい):憂いの患い。

  :世栄(せよう):世間の栄華。

  :俗儀(ぞくぎ):俗人のようす。

  :高勝(こうしょう):高潔にして勝れる。

  :我所(がしょ):身心を我が物と思うこと。

  :定相(じょうそう):常住不変の涅槃の相。

  :重袍(じゅうほう):重ねた上着。

  :染衣(せんね):俗人の好まない色で染めた衣。俗人は白衣を好む。

  :比丘(びく):仏道に出家して戒を受けた者。

  :俗容(ぞくよう):俗人の容儀、振る舞い。

  :具足(ぐそく):完全に満たす。

  :沙門(しゃもん):仏道の修行者。

 

 

 

 

鬱毘羅迦葉を教化する

 先有俗遊朋  其數五十四

 尋善友出家  隨次入正法

 斯由宿善業  妙果成於今

 淳灰洽已久  經水速鮮明

 上行諸聲聞  六十阿羅漢

 悉如羅漢法  隨順而教誡

 汝今已濟度  生死河彼岸

 所作已畢竟  堪受一切供

 各應遊諸國  度諸未度者

先に俗の遊朋有りて、その数は五十四、

善友を尋ねて出家し、次に随うて正法に入る。

これ宿(もと)の善業に由り、妙果の今に成れるなり、

淳灰に洽(うるお)うこと已に久しくんば、水を経て速かに鮮明ならん。

上行の諸の声聞、六十の阿羅漢は、

悉く羅漢法の如きに、随順して教誡すらく、

『汝は今すでに、生死の河を彼の岸に済度せり、

 作す所は已に畢竟し、一切の供(く)を受くるに堪うれば、

 各々まさに諸国に遊んで、諸の未だ度(ど)せざる者を度すべし。

耶舎には、

   先に俗人の遊び友達が五十四人いた。

彼等は、

   善い友をおって、出家し、

   次々と、正法に入った。

彼等の、

   前世の善業が、今妙果を結ぶ。

彼等は、

   純潔な灰に永く漬かっていたので、

   水に晒された時、速かに鮮明に成ったのである。

仏は、

   この修行に勝れた六十人の声聞(しょうもん、仏の直弟子)に、

   阿羅漢(あらかん、小乗の聖者)の法を説いて、こう諭された、――

  『お前たちは、

      今、すでに生死の河を渡って、涅槃の彼岸に至り、

      作すべきことは、すでに極め尽された。

      一切の供養を受けるに堪えるだろう。

   各々、

      諸国を歴遊して、

      未だ渡っていない者たちを、渡らせよ。

 

  :遊朋(ゆうほう):遊び仲間。

  :善友(ぜんぬ):善い友。

  :正法(しょうぼう):正しい教法。

  :宿善業(しゅくぜんごう):前世に行った善い行い。

  :妙果(みょうか):すばらしい果報。

  :淳灰(じゅんけ):純潔な灰、灰はソーダ(石けん)。

  :上行(じょうぎょう):上の修行者。

  :声聞(しょうもん):仏の声を聞く者。小乗の行者。

  :阿羅漢(あらかん):小乗の聖者。

  :羅漢法(らかんほう):小乗の教法。

  :随順(ずいじゅん):従う。

  :教誡(きょうかい):教えさとす。

  :済度(さいど):川を渡る。導いて救う。

  :畢竟(ひっきょう):極める。

  :一切供(いっさいく):一切の供養。

 眾生苦熾然  久無救護者

 汝等各獨遊  哀愍而攝受

 吾今亦獨行  還彼伽闍山

 彼有大仙人  王仙及梵仙

 悉皆在於彼  舉世之所宗

 迦葉苦行仙  國人悉奉事

 受學者甚眾  我今往度之

 衆生の苦は熾然たれど、久しく救護する者無し。

 汝等各々独り遊んで、哀愍して摂受せよ。

 吾は今また独り行きて、彼の伽闍山(かじゃせん)に還らん。

 彼(かしこ)に大仙人、王仙および梵仙有り、

 悉く皆彼に在りて、世を挙げての宗(たっと)ぶ所なり。

 迦葉(かしょう)苦行仙は、国人悉く奉事し、

 学を受くる者は甚だ衆(おお)し、われ今往きてこれを度せん。』

   衆生は酷く苦しんでいるが、誰も救護する者はいない。

   お前たちは、

      各々、

        独りで遊び、哀れんで救い取れ。

   わたしも、

      今また、独りで行き、

      伽闍山(かじゃせん)に還ることにしよう。

   伽闍山には、

      大仙人、王仙、梵仙などが多くいて、

      皆、世間に尊ばれている。

   その中でも、

      迦葉(かしょう)苦行仙は、

         国を挙げて尊ばれ、

         学ぼうとする者も甚だ多い。

   わたしは、

      今、往ってこの迦葉仙を導こう。』

 

  :衆生(しゅじょう):人々。あらゆる生き物。

  :熾然(しねん):火の燃えるように盛ん。

  :救護(くご):救い護る。

  :哀愍(あいみん):哀れむ。

  :摂受(しょうじゅ):納め取る。

  :伽闍山(かじゃせん):『阿羅藍鬱頭藍品第十二』に出る。仏成道の場所。

  :仙人(せんにん):苦行により不死を得た者。

  :王仙(おうせん):転輪王が出家して五通(神足、天眼、天耳、他心、宿命)を具えた者。

  :梵仙(ぼんせん):梵天の力を授かった仙人。

  :迦葉(かしょう):事火外道の迦葉三兄弟。

 時六十比丘  奉教廣宣法

 各從其宿緣  隨意詣諸方

 世尊獨遊步  往詣伽闍山

 入空靜法林  詣迦葉仙人

 彼有事火窟  惡龍之所居

 山林極清曠  處處無不安

時に六十の比丘は、広く法を宣べよとの教を奉じて、

各々その宿縁に従い、意の随(まま)に諸方に詣(いた)れり。

世尊は独り遊歩し、往きて伽闍山に詣り、

空静の法林に入りて、迦葉仙人に詣れり。

彼(かしこ)に事火窟有り、悪龍の居る所なれど、

山林は清曠を極め、処処に安んぜざる無し。

その時、

   六十人の比丘は、

      『法を宣べて弘めよ。』との教を受けて、

   各々、

      その前世からの縁に従い、

      意のままに諸方に散って行った。

   世尊は、

      独りすたすたと歩いて往き、

      伽闍山に着くと、

      仙人の住む広く静かな林に入って、

      迦葉仙人を訪ねた。

   そこには、

      火の神を祀る洞窟があり、

      悪龍が住んでいたが、

   その、

      山林は、極めて清く開けていて、

      どこにも、不安を感じさせるものが無い。

 

  :宿縁(しゅくえん):前世の因縁。

  :世尊(せそん):仏の尊称。世の尊き者の意。

  :遊歩(ゆぶ):そぞろ歩く。

  :空静(くうじょう):広々として静か。

  :事火窟(じかくつ):事火外道の火を燃やして神を祀る洞窟。

  :清曠(しょうこう):清々しく広い。

 世尊為教化  告彼而請宿

 迦葉白佛言  無有宿止處

 唯有事火窟  善清淨可居

 而有惡龍止  必能傷害人

 佛言但見與  且一宿止住

 迦葉種種難  世尊請不已

 迦葉復白佛  心不欲相與

 謂我有吝惜  且自隨所樂

 佛即入火室  端坐正思惟

世尊は教化せんが為に、彼に告げて宿を請えり。

迦葉は仏に白(もう)して言さく、『宿り止まる所の有ること無し、

 ただ事火窟の有るのみ。善く清浄にして居(とどま)るべきも、

 悪龍の止まりたる有れば、必ずよく人を傷害せん。』

仏の言わく、『ただ与えられよ。まさに一宿止住せんとするのみ。』

迦葉種種に難ずるも、世尊請うて已(や)まざれば、

迦葉はまた仏に白さく、『心は相い与うることを欲せざるも、

 われに吝惜有りと謂わん。且く自らの楽(ねが)う所に随え。』

仏は即ち火室に入り、端坐して正思惟せり。

世尊は、

   教化するために、

   迦葉に一夜の宿を請うた。

迦葉は、

   仏にこう申した、――

  『宿ることはできません、

   ただ、

      火の神を祀る洞窟が有るのみです。

   そこは、

      宿るにふさわしく清らかですが、

      悪龍が住み着いておりますので、

      必ず、人を傷つけ殺してしまいましょう。』

仏はこう言った、――

  『かまいませんから、お貸し下さい。

   ただ、一晩宿ればよいのですから。』

迦葉は、種種に難を挙げたが、

仏は、

   かまわずに請いつづけた。

迦葉は、とうとう仏にこう言った、――

  『ほんとうは、お貸ししたくはないのだが、

   それでは、わたしが物惜しみしたように思われます。

   やむを得ません、お泊まりなさい。』

仏は、

   すぐさま、洞窟に入り、

   姿勢を正して坐り、

   正しく考えた。

 

  :教化(きょうけ):教導して変化さす。

  :止住(しじゅう):とどまる。

  :吝惜(りんしゃく):物惜しみする。

  :端坐(たんざ):姿勢を正して坐る。

  :正思惟(しょうしゆい):正しく考える。

 時惡龍見佛  瞋恚縱毒火

 舉室洞熾然  而不觸佛身

 舍盡火自滅  世尊猶安坐

 猶如劫火起  梵天宮洞然

 梵王正基坐  不恐亦不畏

 惡龍見世尊  光顏無異相

 毒息善心生  稽首而歸依

時に悪龍仏を見て、瞋恚し毒火を縦(ほしいまま)にせり。

室洞を挙げて熾然たるも、仏の身には触れず、

舎(いえ)尽きて火自ら滅するに、世尊はなお安らかに坐して、

なお劫火起りて、梵天の宮洞然たらんに、

梵王の正基に坐して、恐れずまた畏れざるが如し。

悪龍世尊を見るに、光顔に異相無ければ、

毒は息(や)みて善心生じ、稽首して帰依す。

その時、

   悪龍は、

      仏の姿を見て、

      怒ってほしいままに毒火を吹きかけた。

   焔は、

      洞窟中を燃え上がらせたが、

      仏の身をかすめさえしない。

   洞窟中の、

      建具が燃え尽き、火が消えてしまっても、

      仏は、安らかに坐っている。

   まるで、

      世界が、火に包まれて燃え尽きる時、

      梵天の宮が、がらんとして何も残らなくても、

      梵天王だけは、

         その座所に坐したまま、

         平然としているように。

   悪龍は、

      世尊の顔が、

         光かがやき、

         何事も現さないのを見て、

      毒の火は消え、善心が生じた、

      頭(こうべ)を垂れて、仏に帰依する。

 

  :劫火(ごうか):世界の終りに世界を燃やし尽くす火。

  :洞然(どうねん):何も無くなってがらんとしたさま。

  :正基(しょうき):梵天の座所。

  :光顔(こうげん):光に耀く顔。

  :異相(いそう):普段と異なること。

  :稽首(けいしゅ):頭を垂れて、相手の足に着ける礼法。

  :帰依(きえ):勝れた者に帰投依伏する。

 迦葉夜見火  歎嗚呼怪哉

 如此道コ人  而為龍火燒

 迦葉及眷屬  晨朝悉來看

 佛已降惡龍  置在於缽中

 彼知佛功コ  而生奇特想

 憍慢久習故  猶言我道尊

 佛以隨時宜  現種種神變

 察其心所念  變化而應之

 令彼心柔軟  堪為正法器

 自知其道淺  不及於世尊

 決定謙下心  隨順受正法

 鬱毘羅迦葉  弟子五百人

 隨師善調伏  次第受正法

迦葉夜になりて火を見、歎ずらく『ああ、怪しきかな。

 かくの如き道徳の人も、龍の火に焼かるとは。』

迦葉および眷属は、晨朝に悉く来て看るに、

仏は悪龍を降しおわり、鉢の中に置きて在り。

彼は仏の功徳を知りて、奇特の想を生ぜしも、

憍慢に久しく習うが故に、なお『わが道尊し。』と言えり。

仏は以って時宜に随い、種種の神変を現して、

その心に念う所を察し、変化してこれに応じ、

彼が心を柔軟にせしめて、正法の器たるに堪えしむれば、

自らその道の浅くして、世尊に及ばざるを知り、

謙下心を決定し、随順して正法を受けたり。

鬱毘羅迦葉(うつびらかしょう)が弟子五百人は、

師に随うて善く調伏し、次第に正法を受く。

迦葉は、

   真夜中に火を見て、こう嘆いた、――

  『ああ、残念なことよ!

   このように、

      高徳の人までが、

      龍の火に焼かれてしまうとは。』

迦葉とその弟子たちは、

   夜明けに来て見てみると、

   仏は、悪龍を降して、

   すでに、鉢に入れていた。

迦葉は、

   仏の功徳を知り、

   奇特の思いを生じたが、

   永い間の驕りは抜けず、

   なお『わたしの道は尊い。』と言う。

仏は、

   時宜に応じて種種の、神変を現し、

   その心の、思いを察すると、

   変化して、これに応じた。

迦葉の心は、

   仏によって柔軟になった。

   正法の器として堪えられるようになると、

   自ら、

      その道が浅く、

      世尊に及ばないことを知り、

   謙譲の心が生じて、

   素直に正法を受けた。

鬱毘羅迦葉(うつびらかしょう)の弟子五百人は、

   師につづいて、善く調伏(ちょうぶく、心を調える)し、

   次々と、正法を受けた。

 

  :道徳人(どうとくにん):道法の力の高い人。

  :晨朝(じんちょう):夜明け。

  :功徳(くどく):善行する力。

  :奇特(きどく):奇妙独特。見たこともないほど素晴らしい。

  :憍慢(きょうまん):自ら高ぶりて物をおしのける心。

  :時宜(じぎ):ちょうど好い時。

  :神変(じんぺん):神通力で変化する。

  :謙下心(けんげしん):卑下し謙遜する心。

  :随順(ずいじゅん):逆らわずに随う。

  :鬱毘羅迦葉(うつびらかしょう):三迦葉の一。

  :調伏(ちょうぶく):身口意の三業を調えて諸の悪行を制す。

 

 

 

 

迦葉三兄弟に法を説く

 迦葉并徒眾  悉受正化已

 仙人資生物  并諸事火具

 悉棄於水中  漂沒隨流遷

迦葉並びに徒衆は、悉く正化を受けおわるに、

仙人の資生物、並びに諸の事火の具を、

悉く水中に棄つれば、漂没し流れに随うて遷る。

鬱毘羅迦葉と弟子たちが、

   悉く、正法を受けて化導されてしまうと、

仙人の、

   生活の具や火の神を祀る道具は、

   悉く、

      水中に棄てられ、

      浮き沈みしながら、流れ下る。

 

  :徒衆(としゅ):弟子衆。

  :正化(しょうけ):正法を以って衆生を化導する。

  :資生物(ししょうもつ):生活の道具。

  :事火具(じかぐ):火を礼拝する時に使用する道具。

  :漂没(ひょうもつ):浮き沈みする。

 那提伽闍等  二弟居下流

 見被服諸物  隨流而亂下

 謂其遭大變  憂怖不自安

 二眾五百人  尋江而求兄

 見兄已出家  諸弟子亦然

 知得未曾法  而起奇特想

 兄今已服道  我等亦當隨

那提(なだい)伽闍(かじゃ)等の二弟、下流に居(ご)せるに、

被服諸物の、流れに随うて乱れ下るを見て、

謂わく、『それ大変に遭わむ。』と、憂怖して自らを安んぜず。

二衆の五百人、江を尋ねて兄を求めしに、

兄は已に出家して、諸の弟子もまた然るを見、

未曽の法を得たるを知りて、奇特の想を起せり、

『兄今已に道に服せり。われ等もまたまさに随うべし。』と。

那提(なだい)と伽闍(かじゃ)の、二人の弟は、

   川の下流に住んでいたが、

   兄の

      被服や諸物が、流れに乗って乱れ下るのを見て、

   兄に

      大変事が起きたのを知り、

      憂い恐れて不安がった。

二人の弟子たち五百人は、

   川にそって兄を捜し、

   兄は、すでに出家して弟子たちも同じであった。

   聞けば、未曽有の法を得たとのこと、

   そこで、このような奇特の想いを起した、――

  『兄は、今すでに道を得た。

   わたし達も、兄に続こう。』

 

  :那提迦葉(なだいかしょう)、伽闍迦葉(かじゃかしょう):皆、迦葉三兄弟。

  :憂怖(うふ):憂え畏れる。

  :未曽(みぞう):未曽有。

  :奇特想(きどくそう):奇妙独特の思い。

 彼兄弟三人  及弟子眷屬

 世尊為說法  即以事火譬

 愚癡K煙起  亂想鑽燧生

 貪欲瞋恚火  焚燒於眾生

 如是煩惱火  熾然不休息

 彌淪於生死  苦火亦常然

 能見二種火  熾然無依怗

 云何有心人  而不生厭離

 厭離除貪欲  貪盡得解脫

 若已得解脫  解脫知見生

 觀察生死流  而舉於梵行

 一切作已作  更不受後有

彼の兄弟三人、および弟子と眷属は、

世尊為に法を説き、即ち事火を以って譬うらく、

『愚癡の黒煙起れば、乱想の鑽燧生じて

 貪欲と瞋恚の火は、衆生を焚焼す。

 かくの如き煩悩の火は、熾然たりて休息せず、

 生死に弥淪する、苦火もまた常に然(も)ゆ。

 よく二種の火を見るに、熾然たりて依怙無し、

 云何が有心の人にして、厭離を生ぜざる。

 厭離は貪欲を除き、貪尽くれば解脱を得、

 もしすでに解脱を得れば、解脱知見生ず。

 生死の流れを観察して、梵行を挙(かか)ぐれば、

 一切の作(さ)を已に作して、更に後の有(う)を受けず。』

火の神を祀る、

   彼等三兄弟と、その弟子たちの為に、

   仏は、火に譬えて法を説いた、――

  『愚癡の黒煙が起ると、

   乱想の鑽燧(さんすい、火を取る道具)は、

   貪欲と瞋恚の火を生じて、

      衆生を焼き尽くす。

   このような、

      煩悩の火は、盛んに燃えて休まず、

      生死に沈む苦の火も、また常に燃える。

   よく、

      この二種の火を見てみれば、

      盛んに燃えるばかりで頼りにならない。

   心が有れば、

      この二種の火を、

      厭って離れるはずではないか?

   厭い離れたならば、

      貪欲を除くことができ、

   貪欲が尽きてしまえば、

      解脱を得る。

   解脱を得てしまえば、

      解脱心による知見が生じる。

   生死の流れを観察し、

   清浄の行を行えば、

      一切の作すべきことは、すでに作されて、

      もう、後世に生を受けることはない。』

 

  :愚癡(ぐち):真実を知らない愚かさ。

  :鑽燧(さんすい):木片に木の棒をきりもみして火を取る道具。

  :貪欲(とんよく):五欲(色声香味触)を貪る。

  :瞋恚(しんに):怒りといきどおり。

  :焚焼(ぼんしょう):焼く。

  :熾然(しねん):盛んに燃える。

  :弥淪(みりん):深く沈む。弥は深く広いの意。

  :依怙(えこ):頼りとなるもの。

  :有心人(うしんにん):心をもつ人。

  :厭離(えんり):嫌悪して離れる。

  :解脱(げだつ):煩悩の縛を解いて生死の流れを脱れる。

  :解脱知見(げだつちけん):已に解脱したことを知る。また解脱心による知見。

  :梵行(ぼんぎょう):浄い行い。婬欲を断ずること。

  :一切作(いっさいさ):一切の作すべきこと。

  :後有(ごう):後世の生。後世に生ずること。

 如是千比丘  聞世尊說法

 諸漏永不起  一切心解脫

 佛為迦葉等  千比丘說法

 所作者已作  淨慧妙莊嚴

 諸功コ眷屬  施戒淨諸根

 大コ仙從道  苦行林失榮

 如人捨戒コ  空身而徒生

かくの如き千比丘、世尊の説法を聞いて、

諸漏永く起らず、一切の心解脱せり。

仏は迦葉等、千比丘の為に法を説けるに、

作すべき所は已に作し、浄らかなる慧は妙に荘厳し、

諸の功徳の眷属、施と戒とは諸根を浄む。

大徳仙は道に従い、苦行林は栄を失う、

人の戒徳を捨て、空しき身にて徒(いたづ)に生くるが如し。

このように、

   千人の比丘は、

      世尊の説法を聞いて、

      もはや諸漏(しょろ、煩悩)は尽き、

      一切の心は解脱した。

仏が、

   迦葉等の千人の比丘に、法を説き、

比丘たちは、

   作すべきことは、すでに作し、

   浄らかな智慧にて、身心を飾った。

諸の功徳の眷属、

   布施と持戒とは、

   諸根(眼耳鼻舌身意)を浄めた。

大徳仙(仏)は、

   道に従って行き、

   苦行の林は栄華を失う。

まるで、

   持戒の徳を、捨てた人が、

   空しき身で、無駄に生きるように。

 

  :比丘(びく):仏弟子。

  :諸漏(しょろ):一切の煩悩。

  :一切心(いっさいしん):貪欲心、瞋恚心、愚癡心等。

  :戒徳(かいとく):戒の力。

 

 

 

 

瓶沙王と眷属人民は仏の法を聴いて諸の塵垢を離れる

 世尊大眷屬  進詣王舍城

 憶念摩竭王  先所修要誓

 世尊既至已  止住於杖林

 瓶沙王聞之  與大眷屬俱

 舉國士女從  往詣世尊所

 遠見如來坐  降心伏諸根

 除去諸俗容  下車而步進

 猶如天帝釋  往詣梵天王

 前頂禮佛足  敬問體和安

 佛還慰勞畢  命令一面坐

世尊大眷属とともに、進みて王舎城に詣(いた)るに、

摩竭(まかつ)王の、先に修めし所の要誓を憶念せり。

世尊は既に至りおわりて、杖林(じょうりん)に止住せるに、

瓶沙王これを聞いて、大眷属と倶に、

国を挙げて士女を従え、往きて世尊の所に至れり。

遠く如来の坐せるを見しに、心を降して諸根を伏し、

諸の俗容を除去して、下車し歩み進むこと、

なお天帝釈の、往きて梵天王に詣づるが如し。

前(すす)みて仏の足を頂礼し、敬って体の和安を問えるに、

仏は還って慰労しおわり、命じて一面に坐せしむ。

世尊は、

   大勢の弟子たちと、共に進んで王舎城に着いた。

   先の瓶沙王(びんしゃおう)との、約束を憶えていたからである。

世尊は、

   王舎城に着くと、

   近郊の杖林(じょうりん)に住まいを定めた。

瓶沙王は、

   これを聞き、

   大勢のお供と、国中の男女を従えて、

   世尊の所に訪れた。

遠くに、

   如来が坐っている。

   心の過を降し、諸根を制して。

瓶沙王は、

   身から多すぎる飾りをはぎとり、

   車を下りると歩いて進んだ。

まるで、

   天帝釈が、梵天王を訪ねるように。

瓶沙王は、

   仏の前に進みでると、

   仏の足に頭を着けて礼拝し、

   恭しく道中の安穏と身の安楽を問い、

仏は、

   また王の来詣を慰労し、

   一面に坐るよう命じた。

 

  :摩竭王(まかつおう):摩竭陀国(まがだこく)の王。瓶沙(びんしゃ)王。

  :要誓(ようぜい):約束。

  :憶念(おくねん):思いだして、心に留める。

  :杖林(じょうりん):王舎城郊外の林の名。

  :止住(しじゅう):住居とする。

  :俗容(ぞくよう):俗の儀容。

  :除去(じょこ):除き去る。

  :頂礼(ちょうらい):相手の足に頭をつけて礼する。

  :和安(わあん):和順にして安穏。

  :一面に坐す:仏を囲む四面の中の一面に人と並んで坐る。

 時王心默念  釋迦大威力

 勝コ迦葉等  今皆為弟子

 佛知眾心念  而問於迦葉

 汝見何福利  而棄事火法

 迦葉聞佛命  驚起大眾前

 胡跪而合掌  高聲白佛言

 修福事火神  果報悉輪迥

 生死煩惱掾@ 是故我棄捨

時に王の心に黙して念ずらく、『釈迦の大威力は、

 徳に勝れし迦葉等も、今は皆弟子と為せり。』

仏は衆(あまた)の心の念いを知りて、迦葉に問わく、

『汝何なる福利を見て、事火法を捨てしや。』

迦葉は仏の命を聞いて、驚いて大衆の前に起ち、

胡跪し合掌して、高声に仏に白して言さく、

『福を修めて火神に事(つか)うるも、果報は悉く輪廻して、

 生死と煩悩と増さん。この故にわれは棄捨せり。』

その時、

   王は、心でこう思った、――

     『釈迦は、

         いったい、何のような大威力を用いて、

         迦葉等の徳に勝れる者たちを、

         今は皆、弟子にしてしまったのだろうか?』

   仏は、

      皆の心を知り、

      迦葉にこう問うた、――

     『お前は、

        何のような福徳の利益を見て、

        火の神の祀りを捨てたのか?』

   迦葉は、

      仏の命を聞いて驚いて起ちあがった。

      大衆の前で片膝ついて合掌し、

      声高に仏にこう答えた、――

     『来世の福を願って、火の神に祈っておりましたが、

      果報は悉く、輪廻の中にあって生死を脱れられず、

      煩悩は増すばかり。この故に捨てました。』

 

  :胡跪(こき):片膝を地につけて跪く。

 精勤奉事火  為求五欲境

 愛欲摶ウ窮  是故我棄捨

 事火修咒術  離解脫受生

 受生為苦本  故捨更求安

 我本謂苦行  祠祀設大會

 為最第一勝  而更違正道

 是故今棄捨  更求勝寂滅

 離生老病死  無盡清涼處

 以知此義故  放捨事火法

精勤して火に奉事するは、五欲の境を求むると為し、

愛欲の増さんことは窮まり無し。この故にわれは棄捨せり。

火に事えて呪術を修むるは、解脱を離れて生を受けん、

生を受くるを苦の本と為す。故に捨てて更に安きを求む。

われは本苦行を謂い、祠(ほこら)を祀りて大会を設け、

最も第一に勝ると為して、更に正道に違えたり。

この故に今棄捨して、更に勝れたる寂滅を求め、

生老病死を離れて、尽くること無き清涼に処す。

この義を知るを以っての故に、事火法を放捨せり。』

     『懸命に火の神に仕えても、それは

      ただ、五欲の境(色声香味触)を求めてのこと。

      愛欲の増加が止まりません。その故に捨てました。

      火の神に祈って唱える呪文は、ますます、解脱を遠ざけて生を受けることになります。

      生を受ければ、これは苦の本。この故に更なる安らぎを求めたのです。

      わたくしは、本、苦行を説き、祠(ほこら)を祀って大会を設け、

      それを最も第一に勝れるとしてきましたが、正道に違えておりました。

      この故に今それを捨てて、更に勝れた寂滅を求めるのです。

      生老病死を離れた世界は、尽きることのない清涼処です。

      この義(意味)を知って、火の神を祀るのを捨てました。』

 

  :寂滅(じゃくめつ):涅槃の訳語。寂静にして一切の相を離れること。

 世尊聞迦葉  說自知見事

 欲令諸世間  普生淨信故

 而告迦葉言  汝大士善來

 分別種種法  而從於勝道

 今於大眾前  顯汝勝功コ

 如巨富長者  開現於寶藏

 令貧苦眾生  搗エ厭離心

 善哉奉尊教  即於大眾前

 斂身入正受  飄然昇虛空

 經行住坐臥  或舉身洞然

 左右出水火  不燒亦不濡

 從身出雲雨  雷電動天地

世尊は迦葉の自ら知見せし事を説くを聞いて、

諸の世間に、普く浄信を生ぜしめんと欲するが故に、

迦葉に告げて言わく、『汝大士よ、善くぞ来たる。

 種種の法を分別して勝れたる道に従い、

 今大衆の前に於いて、汝が勝れたる功徳を顕せ。

 巨富の長者の、宝蔵を開現せしが如く、

 貧苦の衆生をして、その厭離心を増さしめよ。』

『善きかな。尊き教を奉ぜん。』と、即ち大衆の前に於いて、

身を斂(おさ)めて正受に入り、飄然として虚空に昇り、

経行し住し坐臥して、或は身を挙げて洞然たり。

左右に水火を出せども、焼けずしてまた濡れず、

身より雲雨を出せば、雷電は天地を動かす。

世尊は、

   迦葉が自ら知見した事を説くのを聞いて、

  『諸の世間にも、普く浄い信心を生じさせたいものだ。』と思い、

   迦葉にこう告げた、――

  『勝れたる者よ、よくぞ来た!

   お前は、

      種種の道法より選び取って、最も勝れた道についた。

   今、

      この大勢の前で、お前の勝れた功徳を顕せ!

   あたかも、

      巨万の富をかかえる長者が、宝の蔵を開放するように、

      貧に苦しむ衆生に、その厭い離れる心を増さしめよ。』

迦葉は、

  『善いかな、尊き教のままに。』と、

   すぐさま、

      大勢の前で、身体の動きを止めて禅定に入り、

   風に舞うように、

      空中に浮かぶと、そこで行住坐臥をして見せ、

   或は、

      身体を空に同じて見せた。

   或は、

      左右に水や火を出して見せ、

      しかも、身体は焼けも濡れもしないのを見せた。

   或は、

      身から雲を出して雨を降らせ、

      雷電を起して天地を動かすのを見せた。

 

  :浄信(じょうしん):浄らかな信心。

  :大士(だいじ):勝れたる人。

  :斂身(れんしん):身をおさめる。身の奔放をおさめること。身動きしないこと。

  :正受(しょうじゅ):禅定、三昧(さんまい)。

  :飄然(ひょうねん):つむじ風の舞うさま。

  :洞然(どうねん):空洞なるさま。

 舉世悉瞻仰  縱目觀無厭

 異口而同音  稱歎未曾有

 然後攝神通  敬禮世尊足

 佛為我大師  我為尊弟子

 奉教聞斯行  所作已畢竟

 舉世普見彼  迦葉為弟子

 決定知世尊  真實一切智

世を挙げて悉く瞻仰し、目を縦(ほしいまま)に観て厭くこと無く、

異口同音に、未曽有を称歎せり。

然る後、神通を摂(おさ)めて、世尊の足に敬礼すらく、

『仏はわが大師たりて、われは尊(そん)が弟子たり。

 教を奉じてこの行を聞き、作す所は已に畢竟せり。』

世を挙げて普く彼を見しに、迦葉は弟子たれば、

決定して世尊は、真実の一切智なるを知る。

世間は、

   皆悉く、仰ぎ見た。

   いくら見ても飽きることがない。

   異口同音に、『これは未曽有の事である。』と称歎した。

迦葉は、

   神通力を摂(おさ)めると、

   世尊の足に敬礼してこう言った、――

  『世尊は、

      わたくしの、大師であり、

      わたくしは、世尊の弟子でございます。

   教のままに、

      この行あるを聞き、

      作すべき事は、すでに極め尽くしました。』

世間は、

   皆悉く、これを見て、

   ついに、知った、――

  『この迦葉が、弟子である。

   世尊こそは、定めし真実の一切智(仏)であろう。』と。

 

  :瞻仰(せんごう):見上げる。

  :敬礼(きょうらい):敬って礼する。

  :畢竟(ひっきょう):極める。

  :一切智(いっさいち):一切を知る仏の智慧。また仏。

 佛知諸會眾  堪為受法器

 而告瓶沙王  汝今善諦聽

 心意及諸根  斯皆生滅法

 了知生滅過  是則平等觀

 如是平等觀  是則為知身

 知身生滅法  無取亦無受

 如身諸根覺  無我無我所

 純一苦積聚  苦生而苦滅

 已知諸身相  無我無我所

 是則之第一  無盡清涼處

仏は諸の会衆の、法を受くる器たるに堪うるを知りて、

瓶沙王に告ぐらく、『汝今善く諦(あき)らかに聴け。

 心意および諸根は、これ皆生滅の法にして、

 生滅の過(とが)を了知すれば、これ則ち平等の観なり。

 かくの如き平等の観は、これ則ち身を知ると為し、

 身の生滅法たるを知れば、取無くしてまた受無し。

 身と諸根と覚との如きには、我無く我所無く、

 純一なる苦積聚し、苦生じて苦滅す。

 已に諸の身相を知れば、我無く我所無く、

 これは則ち第一の、尽くることの無き清涼処なり。

仏は、

   諸のその場の者が、

      悉く、法を受ける器たるに堪えるこをを知り、

   瓶沙王に、こう告げた、――

  『お前は、今、

      善心を起し、

      聞き漏らすことなく、明らかに聴け!

   人の身心である、

      心意(五蘊中の受想行識蘊)および諸根(五蘊中の色蘊)は、

      これは皆、生滅する法(もの)である。

   明らかに、

      生滅の過(とが)を知るならば、

      これを、平等に観察するという。

   このように、

      平等に観察したならば、

      これを、身を知るという。

   もし、

      身が、生滅する法であると知ったならば、

         執著する煩悩も無く、

         感受する心の動きも無い。

   例えば、

      身体、

      諸根(眼耳鼻舌身)、

      知覚などには、

         我(自己意識の中核)も無く、

         我所(自己の所有たる身心)も無い。

   ただ、

      純(もっぱ)ら、苦の積聚(しゃくじゅう、集まり)である。

   人では無い!

      苦が生じて、苦が滅するのである。

   すでに、

      このように、

        『諸の身相には、

            我は無く、

            我所も無い。』と知ったならば、

   それこそが、

      第一の、尽きることのない清涼処である。』

 

  :心意(しんに):意識、六根中の意根、五蘊中の受想行識蘊。

  :平等(びょうどう):自他の無差別。

  :取(しゅ):対する所の境界に取著すること。愛の異名。煩悩の総名。

  :受(じゅ):触れる所の境を領納する心の働き。

  :純一(じゅんいつ):混じりけの無い。

  :積聚(しゃくじゅう):積み集まる。

  :我(が):自己意識の中核、霊魂のようなもの。アートマン。

  :我所(がしょ):我が物。自己の物と認識する身心。

 我見等煩惱  繫縛諸世間

 既見無我所  諸縛悉解脫

 不實見所縛  見實則解脫

 世間攝受戒  則為邪攝受

 若彼有我者  或常或無常

 生死二邊見  其過最尤甚

 我見等の煩悩は、諸の世間に繋縛せるも、

 既に我所無きを見れば、諸の縛は悉く解脱せん。

 不実なる見に縛せらるるも、実の見は則ち解脱す、

 世間の戒を摂受するは、則ち邪なる摂受と為す。

 もし彼に我有らば、或は常或は無常にして、

 生死を二辺に見んも、その過は最尤(もっとも)甚だし。

  『我見(我有りとする煩悩)等の煩悩は、

      諸の世間に縛りつけるものであるが、

   すでに、

      我所が無いことを見たのであるから、

         諸の縛りつける煩悩は、

         悉く、解きほどいて脱れたはずである。

      不実なる見解で縛りつけられ、実の見解にて解き放つ。

   世間は、

      戒を守っているが、

   邪な見解で、

      戒を守っている。

   もし、

      我が、有ると信じるならば、

      我が、常(常住不変)であとうと、無常であろうと、

      生死を、その常と無常との二辺に見るのであるから、

   その、

      過は、最も甚だしいのである。』

 

  :我見(がけん):我有りとする煩悩。

  :繋縛(けばく):世間に縛りつけるもの、煩悩。

  :世間(せけん):三界五道。

  :摂受(しょうじゅ):摂取。摂受戒とは戒を受けてそれを守ること。

 若使無常者  修行則無果

 亦不受後身  無功而解脫

 若使有常者  無死生中間

 則應同虛空  無生亦無滅

 若使有我者  則應一切同

 一切皆有我  無業果自成

 若有我作者  不應苦修行

 彼有自在主  何須造作為

 もし無常ならしめば、修行すれど則ち果無く、

 また後の身を受けずして、功無くて解脱せん。

 もし有常ならしめば、死と生と中間と無く、

 則ちまさに虚空にと同じく、生無くまた滅も無かるべし。

 もし有我ならしめば、則ちまさに一切は同じく、

 一切は皆有我にして、業の果の自ら成ずること無かるべし。

 もし我の作者有らば、まさに苦しんで修行すべからず、

 彼に自在主有らば、何を為さんとして造作するを須(ま)つ。

  『もし、

      無常であるとするならば、

         修行しても、その果報は無く、

   また、

      後世に身を受けないのであるから、

         功が無くても解脱することになる。

   もし、

      常であるとするならば、

         死、生、その中間は無い。

   即ち、

      虚空と同じように、

      生も無く、滅も無いのである。

   もし、ウパニシャッド哲学で言うように、

      我(世界に偏在する唯一の我)が有るとするならば、

         一切は、同一のはずである。

      一切は、

         皆、我が有るのであるが、

         業の果報は、いったい誰の処に成るのであろうか?

   もし、数論学派が言うように、

      我に、作者(さしゃ、我の本体)が有るとするならば、

         いったい、誰が苦しんで修行などするだろうか?

      我に、自主性が有るのであれば、

         修行して、いったいそれが何になろうか?』

 

  :有常(うじょう):無常に対する語。常。

  :有我(うが):無我に対する語。我。

  :我作者(がさしゃ):我を作す者。数論学派に於ける我の本体。神我、プルシャという。

  :自在主(じざいしゅ):他から因縁されず存在する者。自主性。

  :造作(ぞうさ):作る。行為。

  注:ここでは二種の我が説かれている。一は、ウパニシャッド哲学で説く所の、宇宙の根本原理であるブラフマンと同一のアートマン。二は数論学派で説く所の個人的精神原理であるプルシャ、即ち霊魂と考えられるもの。前者は世界に唯一であるが、後者は無数に有る。

 若我則有常  理不容變異

 見有苦樂相  云何言有常

 知生則解脫  遠離諸塵垢

 一切悉有常  何用解脫為

 無我不唯言  理實無實性

 不見我作事  云何說我作

 もし我は則ち有常なれば、理は変異を容(ゆる)さざるに、

 苦楽の相を見て、云何が有常なりと言う。

 知生ずれば則ち解脱して、諸の塵垢を遠離せんに、

 一切悉く有常なれば、何を為さんとて解脱を用うる。

 無我とはただ言うのみならず、理は実に実の性無し、

 我の作す事を見ずして、云何が我の作すを説く。

  『もし、

      我が、常であるとするならば、

      道理として、変異するはずがない。

   人に、

      苦楽の相が有るのを見ていながら、

      何故、常であると言えるのか?

   知ることができれば、

      解き放たれて、諸の煩悩から遠ざかることができるのに、

   一切が、

      悉く、常であるとするならば、

      解き放たれて、何うしようとするのか?

   ただ、

      わたしが、『我は無い。』と言うのみではない、

   道理として実に、

      我には、実の性が無いのである。

   いったい、

      我の作す事も見ないで、

   何故、

     『我が作す』と説くのか?』

 

  :塵垢(じんく):煩悩の異名。

  :遠離(おんり):遠く離れる。

 我既無所作  亦無作我者

 無此二事故  真實無有我

 無作者知者  無主而常遷

 生死日夜流  汝今聽我說

 六根六境界  因緣六識生

 三事會生觸  心念業隨轉

 陽珠遇乾草  緣日火隨生

 諸根境界識  士夫生亦然

 芽因種子生  種非即是芽

 不即亦不異  眾生生亦然

 我は既に作す所無く、また我を作す者も無し、

 この二事の無きが故に、真実に我の有ること無し。

 作者と知者無く、無主にして常に遷(うつ)りて、

 生死は日夜に流る。汝、今わが説を聴け。

 六根と六境界とは、因縁して六識生ず、

 三事会して触を生じ、心と念と業と随って転ず。

 陽珠、乾草に遇わば、日に縁りて火随うて生ず、

 諸根と境界と識とにより、士夫生ずるもまた然り。

 芽は種子に因りて生ずるも、種は即ちこれ芽に非ず、

 即せずまた異ならず、衆生と生もまた然り。』

  『すでに、

      『我には働きが無い』と分った、

   また、

      『我を作る者も無い』と分った。

   この

      二事が無いが故に、真実に我は無いのである。

   我には、

      作る者も無く、

      知る者も無く、

      主も無く、

   常に、

      遷りつづけている。

   生死は、

      日夜に流れつづけるのである。

   お前は、

      今、聞き漏らすことなく、明らかに聴け!

   わたしは、

      今、こう説こう、――

     『六根(眼耳鼻舌身意)は、

         六境(色声香味触法)に因縁して、

         六識(眼識、耳識等)が生じる。

      この三事が、

         会して触(そく、六根が六境に接触)が生じ、

         心、念、業と転じて行くのである。

      例えば、

         陽珠(ようじゅ、レンズ)は、乾草に遇い、

         日が縁じて、火が生じるように、

      諸根、諸境、諸識からも、

         立派な男子が生じるのである。

      例えば、

         芽は、種子から生じるが、

         種子が、芽ではないように、

      衆生と生とは、

         同じでもなく、

         異なるでもない。』と。』

      

 

  :陽珠(ようじゅ):明るい珠。レンズ。

  :士夫(しふ):男子。

 世尊說真實  平等第一義

 瓶沙王歡喜  離垢法眼生

 王眷屬人民  百千諸鬼神

 聞說甘露法  亦隨離諸塵

世尊、真実にして平等の第一義たるを説き、

瓶沙王歓喜して、垢を離れて法眼生ぜしに、

王の眷属人民、百千の諸の鬼神も、

甘露の法を説けるを聞いて、また随うて諸の塵を離れたり。

世尊は、

   真実の『平等の第一義』を説いた。

瓶沙王は、

   歓喜して煩悩の垢を離れ、

   法眼(ほうげん、衆生済度の菩薩の眼)を生じた。

王の眷属と人民と、百千の諸の鬼神たちも、

   甘露の法が説かれるのを聞き、

また次々と、

   諸の煩悩の塵を離れた。

 

  :第一義(だいいちぎ):真理。

  :法眼(ほうげん):菩薩が衆生を度すために一切の法門を照見する智慧。

 

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