仏 |
所 |
行 |
讃 |
(転法輪品第十五)
<home>
波羅奈への途中、梵志憂波迦に遭う
轉法輪品第十五 |
転法輪(てんぽうりん)品第十五 |
仏は五比丘のために初めて法輪を転じる。
注:転法輪(てんぽうりん):法を説くこと。車輪の転じるさまに譬える。 |
|
如來善寂靜 光明顯照曜 嚴儀獨遊步 猶若大眾隨 道逢一梵志 其名憂波迦 執持比丘儀 恭立於路傍 欣遇未曾有 合掌而啟問 群生皆染著 而有無著容 世間心動搖 而獨靜諸根 光顏如滿月 似味甘露津 容貌大人相 慧力自在王 所作必已辦 為宗稟何師 |
如来の善く寂静なる、光明顕らかに照曜し、 厳儀は独り遊歩するに、なお大衆随うが若し。 道に一梵志に逢う、その名を憂波迦(うばか)という、 比丘の儀を執持し、恭しく路傍に立つ。 未曽有に遇えるを欣び、合掌して啓(もう)して問わく、 『群生は皆染著するに、しかも著無きの容(かたち)有り、 世間は心動揺するに、しかも独り諸根を静む。 光顔は満月の如く、甘露津を味わうに似たり、 容貌は大人の相にして、慧力は自在王のごとし。 作す所は必ずすでに辨じたり、宗稟と為すは何なる師ぞ。』 |
如来(にょらい、仏)は、 一切の悩みと苦しみとを離れて、光明を耀かし、 辺りを明るく照らしながら、ひとり厳かにゆったりと歩く。 まるで、大勢の供が従っているかのように。 道の途中で、 ひとりの梵志(ぼんし、婆羅門の修行者)に出会った。 その梵志は、 名を憂波迦(うばか)といい、 比丘(びく、出家修行者)の儀礼をたもって、 恭しく路傍に立っていた。 そして、 未曽有の人に出会ったことを悦んで、 合掌してこう問うた、―― 『人々は、 皆、欲望に染まり、物に執著するが、 あなたには、 執著が無いように見える。 世間の人は、 皆、心が動揺しているが、 あなただけは、 諸根が静まっている。 あなたの、 顔の光は満月のようで、甘露水を味わうかのようだ。 容貌には大人(聖人、仏)の相があり、 智慧の力は自在天王のようだ。 もうすっかり、 修行が済み、目的を達せられたように見えるが、 何という師について、 何を習われた?』
注:如来(にょらい):仏。 注:寂静(じゃくじょう):煩悩を離れるを寂といい、苦患の絶えるを静という。涅槃。 注:照曜(しょうよう):照らし耀く。 注:厳儀(ごんぎ):厳かな振る舞い。 注:比丘(びく):出家修行者。乞食行者。乞士。 注:遊歩(ゆぶ):そぞろ歩き。ゆったりと歩く。 注:梵志(ぼんし):婆羅門の修行者。 注:執持(しゅうじ):手に持つ。 注:群生(ぐんしょう):衆生。群がって生ずる者の義。 注:染著(せんじゃく):愛欲。外物に侵染され執著する義。 注:甘露津(かんろしん):甘露水。 注:大人(だいにん):仏。 注:自在王(じざいおう):大自在天の王。 注:宗稟(しゅうひん):教義を授ける師。 |
|
答言我無師 無宗無所勝 自悟甚深法 得人所不得 人之所應覺 舉世無覺者 我今悉自覺 是故名正覺 |
答えて言わく、『われには師無し、宗無く勝る所も無し。 自ら甚だ深き法を悟り、人の得ざる所を得たり。 人のまさに覚るべき所にして、世を挙げて覚る者の無きを、 われは今悉く自ら覚れり。この故に正覚と名づけたり。 |
答えてこう言う、―― 『わたしには、 師は無い。 教義の開祖も無く、 わたしより勝れた者も無い。 わたしは、 自ら甚だ深い法を悟り、 人の得たことのない法を得た。 人が、 当然、 覚らなくてはならず、 しかも、 世界中で、 誰ひとり覚ったことのない法を、 わたしは、 今悉く、自ら覚った。 この故に、 わたしは、正覚である。
注:宗(しゅう):教義の流派。教義の開祖。 注:所勝(しょしょう):自分より勝れた者。 注:正覚(しょうがく):正しい覚り。仏。 |
|
煩惱如怨家 伏以智慧劍 是故世所稱 名之為最勝 當詣波羅奈 擊甘露法鼓 無慢不存名 亦不求利樂 唯為宣正法 拔濟苦眾生 以昔發弘誓 度諸未度者 誓果成於今 當遂其本願 當財自供已 不稱名義士 兼利於天下 乃名大丈夫 臨危不濟溺 豈云勇健士 疾病不救療 何名為良醫 見迷不示路 孰云善導師 |
煩悩は怨家の如し、伏するに智慧の剣を以ってし、 この故に世に称えらる、これを名づけて最勝と為す、 まさに波羅奈(はらな)に詣(いた)り、甘露の法鼓を撃つべし。 慢無ければ名に存せず、また利楽をも求めず、 ただ為に正法を宣べて、苦の衆生を抜済せん。 昔発(おこ)せし弘誓を以って、諸の未だ度せざる者を度すの、 誓いの果は今成ぜんとす、まさにその本願を遂(と)ぐべし。 富財を自ら己に供するは、名義の士と称えず、 兼ねて天下を利するは、乃ち大丈夫と名づく。 危に臨みて溺るるを済わざる、あに勇健の士と云わんや、 病に疾みて救療せざる、何んが名づけて良医と為さんや、 迷を見て路を示さず、孰(だれ)か善き導師と云わんや。 |
煩悩は、 敵の家である、 今、 智慧の剣で征服した。 この故に、 わたしは、最勝であると世に称(たた)えられる。 これから、 波羅奈(はらな)に趣き、 甘露の法鼓(ほうく、法の太鼓)を撃つことにしよう。 わたしには、 慢心は無い。 名誉は心に無く、 利も楽も求めない。 ただ、 正法を高らかに唱いあげて、 苦の衆生を救い導こう。 昔、 『諸の未だ導かれない者をすべて導く』という広大な誓を起した。 今、 その誓の成果が遂げられようとしている。 富んだ財産を、 自己にのみ給すれば、名誉も道理も得られない。 自己に兼ねて、天下をも利するのが大丈夫である。 崖に臨んで、 溺れる者を救わなければ、何うして勇敢な人であると言えようか? 病んだ人を、 治療しなければ、何うして良い医者だと言えようか? 道に迷ったのを見て、 正しい路を示さなければ、何うして善い案内人だと言えようか?
注:煩悩(ぼんのう):人を煩わせ悩ますもの。 注:怨家(おんけ):敵の家。 注:波羅奈(はらな):仙人の住む森の名。今のベナレス。 注:法鼓(ほうく):法を太鼓に譬える。 注:抜済(ばつさい):苦を抜いて救う。 注:弘誓(ぐぜい):広大な誓い。 注:本願(ほんがん):宿願。過去世に立てた誓願。 注:名義(みょうぎ):名誉と道理。 注:大丈夫(だいじょうぶ):立派な男。 注:勇健(ゆごん):勇敢と壮健。 注:救療(くりょう):治療。 注:導師(どうし):案内人。 注:当財は富財に改める。 注:供已は供己に改める。 |
|
如燈照幽冥 無心而自明 如來然慧燈 無諸求欲情 鑽燧必得火 穴中風自然 穿地必得水 此皆理自然 一切諸牟尼 成道必伽耶 亦同迦尸國 而轉正法輪 梵志憂波迦 嗚呼嘆奇特 隨心先所期 從路各分乖 計念未曾有 步步顧踟躕 |
灯の幽冥を照らして、心無きに自ら明るきが如く、 如来は慧灯を然(もや)して、諸の欲を求むる情(こころ)無し。 鑽燧は必ず火を得、空中の風は自ら然り、 地を穿てば必ず水を得、これは皆理として自然なり。 一切の諸の牟尼(むに)の、道を成すは必ず伽耶(がや)なり、 また同じく迦尸(かし)国にて、正法の輪を転ぜん。』 梵志憂波迦は、嗚呼(おこ)と奇特を嘆じ、 心の先に期す所に随いて、路に従い各々分れ乖(そむ)き、 念いを計り未曽有となして、歩歩顧みて踟躕(ちちゅう)せり。 |
灯が、 暗がりを照らすとき、 無心であるのに、 自ら明るいように、 如来は、 智慧の灯を燃やして、 諸の欲情は無い。 例えば、 火を着ける道具は、必ず火を得る。 空中には、風が自然に吹く。 地に穴を掘れば、必ず水を得る。 これらが、 皆、自然の道理であるように、 一切の 諸の聖者たちが、 皆、道を成すのは、必ず伽耶(がや)であった。 わたしも、 また同じように、 迦尸(かし)国に於いて、 正法の輪を転じよう。』 梵志憂波迦は、 『ああ!』と感嘆の声を挙げると、 先に、 心に決めていた場所をめざして、仏と別れ、 未曽有の事を、 心に想いかえしながら、 後ろ髪を引かれる思いで先に進んだ。
注:幽冥(ゆうみょう):暗くてはっきりしない。 注:慧灯(えとう):智慧を灯に譬える。 注:鑽燧(さんすい):火を得る道具。 注:牟尼(むに):聖者の尊称。 注:伽耶(がや):仏成道の処。『阿羅藍鬱頭藍品第十二』の伽闍山と同じ。 注:迦尸国(かしこく):波羅奈を含む国。 注:踟躕(ちちゅう):たちもとおる。ぐずぐずして進まない。 注:穴中は空中に改める。 |
五比丘に初めて法輪を転ずる
如來漸前行 至於迦尸城 其地勝莊嚴 如天帝釋宮 恒河波羅奈 二水雙流間 林木花果茂 禽獸同群遊 閑寂無喧俗 古仙人所居 |
如来は漸く前(すす)み行きて、迦尸城に至れり。 その地の勝れし荘厳は、天帝釈の宮の如し。 恒河(ごうが)と波羅奈(はらな)と、二水双流の間、 林の木には花果茂り、禽獣同じく群れて遊ぶ、 閑寂にして喧俗無き、古(いにしえ)より仙人の居る所なり。 |
如来は、 一歩また一歩、 着実に前に進んで、迦尸城に行き着いた。 それは、 美しい城郭であり、 帝釈天の宮のようであった。 近くの二本の河、 恒河(ごうが、ガンジズ河)と、 波羅奈(はらな、波羅奈の森を流れる河)との、 二本の流れに挟まれて豊かな林があった。 その林は、 樹に花と果(くだもの)が茂り、 禽獣は仲良く群れて遊び、 のどかに都市の喧噪を離れた、 古くからの、 仙人の住居する場所である。
注:荘厳(しょうごん):厳かに飾り付けられたようす。 注:天帝釈(てんたいしゃく):帝釈天。 注:恒河(ごうが):ガンジズ河。 注:波羅奈(はらな):波羅奈を流れる河。 注:二水(にすい):二本の川。 注:閑寂(けんじゃく):静寂。 注:喧俗(けんぞく):喧噪と俗悪。 |
|
如來光照耀 倍搗エ鮮明 憍鄰如族子 次十力迦葉 三名婆澀波 四阿濕波誓 五名跋陀羅 習苦樂山林 遠見如來至 集坐共議言 瞿曇染世樂 放捨諸苦行 今復還至此 慎勿起奉迎 亦莫禮問訊 供給其所須 已壞本誓故 不應受供養 凡人見來賓 應修先後宜 且為設床座 任彼之所安 作此要言已 各各正基坐 |
如来の光は照耀し、倍増(ますます)それをして鮮明ならしむ。 憍隣如(きょうりんにょ)族子、次は十力迦葉(かしょう)、 三を婆渋波(ばしば)と名づけ、四を阿湿波誓(あしばせい)、 五を跋陀羅(ばつだら)と名づけ、苦を習いて山林を楽しむ。 遠く如来の至れるを見、集まり坐して共に議して言わく、 『瞿曇(くどん、釈迦の姓)は世の楽に染まり、諸の苦行を放捨し、 今また還りてここに至れり。慎んで起ちて奉迎すること勿れ。 また礼して問訊し、その須(もと)むる所を供給すること莫かれ。 すでに本誓を壊せし故に、まさに供養を受くべからず。 凡そ人は来賓を見て、まさに先後の宜しきを修すべし。 且く為に床座を設け、彼の安んずる所に任さん。』 この要言を作しおわりて、各各正基に坐す。 |
如来の光は、 ますます照らし耀き、その辺りを鮮明にした。 五人の比丘(びく、出家修行者)、 一を、憍隣如(きょうりんにょ)族の子といい、 二を、十力迦葉(じゅうりきかしょう)といい、 三を、婆渋波(ばしば)といい、 四を、阿湿波誓(あしばせい)といい、 五を、跋陀羅(ばつだら)という者たちが、 山林で、苦行を修めて楽しんでいた。 彼等は、 如来が来るのを遠くに見て、集まり、 坐って、このように相談した、―― 『瞿曇(くどん、如来の姓)は、 世俗の楽に染まり苦行を捨てて去った。 今また、 ここに還ってきても、 ていねいに、 起って迎えないように、 また、 礼儀正しく挨拶したり、 必要な物を供給しないように。 すでに、 本の誓を破ったからには、 供養を受ける資格は無い。 およそ、 人が、 来賓を見たならば、 最初と最後が肝心である。 しばらくの間、 彼のために、床座を設けて、 そこに、休んでもらうことにしよう。』 このように、 取り決めると、各各本の座に就いた。
注:憍隣如族子(きょうりんにょぞくし):憍隣如族の子。阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ)ともいう。 注:阿湿波誓(あしばせい):馬勝(めしょう)、阿説示(あせつじ)ともいう。 注:十力迦葉(じゅうりきかしょう)、婆渋波(ばしば)、跋陀羅(ばつだら)は異説が多く不明。 注:瞿曇(くどん):釈迦の姓。目下の者については姓をよぶ。 注:問訊(もんじん):挨拶として安否を訊ね問う。 注:要言(ようごん):誓言。約束する。 注:正基(しょうき):本の場所。 |
|
如來漸次至 不覺違要言 有請讓其坐 有為攝衣缽 有為洗摩足 有請問所須 如是等種種 尊敬師奉事 唯不捨其族 猶稱瞿曇名 世尊告彼言 莫稱我本性 於阿羅呵所 而生[蓺/衣]慢言 於敬不敬者 我心悉平等 汝等心不恭 當自招其罪 佛能度世間 是故稱為佛 於一切眾生 等心如子想 而稱本名字 如得慢父罪 |
如来漸次に至るに、覚えずして要言に違い、 有るは請うてその坐を譲り、有るは為に衣鉢を摂(と)り、 有るは為に足を洗い摩で、有るは請うて須むる所を問う。 かくの如き等種種に、師を尊敬して奉事すれど、 ただその族を捨てずして、なお瞿曇と名を称せり。 世尊は彼に告げて言わく、『わが本の姓を称すること莫かれ。 阿羅呵(あらか、聖者)の所に於いて、褻慢を生じて言えど、 敬と不敬とに於いて、わが心は悉く平等なり。 汝等、心に恭しからざれば、まさに自らその罪を招かん。 仏はよく世間を度すに、この故に称して仏と為し、 一切の衆生に於いて、等心なること子を想うが如くなるに、 本の名字を称するは、父を慢(あなど)る罪を得んが如し。』 |
如来は、 一歩一歩着実な足どりで、そこに着いた。 比丘たちは、 それと覚らないまま、約束を違えた。 ある者は、請うてその座を譲り、 ある者は、如来の衣鉢(えはつ)を預かり、 ある者は、如来の足を洗って摩り、 ある者は、請うて必要な物を問うた。 このように、 種種に師を尊敬して仕えたが、 ただ、 自らの族姓(婆羅門族)の誇を捨てず、 如来を瞿曇と姓(瞿曇姓は王族の姓であり婆羅門の下位にある)で呼んだ。 如来は、 彼等にこう教えた、―― 『わたしの本の姓を呼んではならない。 聖者に対して、 慢心を生じて何を言おうと、 敬おうが敬うまいが、 わたしは、 心が、まったく平等である。 しかし、 お前たちは、 心に、敬うことが無ければ、 自ら、その罪を招くことになろう。 仏は、 世間を救い導くものであり、 この故に、 仏といわれて称えられるのである。 仏は、 一切の衆生を、 等しい心で、 子のように想っている。 その仏を、 本の名前で呼べば、 必ず、父を慢る罪を得るだろう。』
注:衣鉢(えはつ):比丘の持ち物。大中小の三枚の衣と施しを受ける鉢。 注:奉事(ぶじ):丁寧に仕える。 注:阿羅呵(あらか):悟りを開いた聖者。仏の十号の一。 注:褻慢(せつまん):なれてあなどる。 |
|
佛以大悲心 哀愍而告彼 彼率愚騃心 不信正真覺 言先修苦行 猶尚無所得 今恣身口樂 何因得成佛 如是等疑惑 不信得佛道 究竟真實義 一切智具足 |
仏、大悲心を以って、哀愍して彼に告げけるに、 彼は愚騃(ぐがい)心を率いて、正真の覚を信ぜずして、 言わく、『先に苦行を修してすら、なお得し所の無きを、 今恣(ほしいまま)に身口楽しみ、何なる因にてか仏と成るを得ん。 かくの如き等の疑惑は、仏の道を得て、 真実の義を究竟し、一切智を具足せることを信ぜず。』 |
仏は、 大悲心を起して、哀れみ、 彼等に教えたが、 彼等は、 愚かにも、真の正覚を信じずに、 こう言った、―― 『先には、 苦行を修めていながら、何も得られず、 今は、 身口で楽しみながら、何うして仏に成ることができたのか? このような 疑惑があるので、 『あなたが、 仏の道を得て、 真実の義を極め尽し、 一切智を具足した。』とは信じられないのです。』
注:愚騃(ぐがい):おろか。 注:身口(しんく):身と口と。 注:究竟(くきょう):極める。 注:一切智(いっさいち):一切を知る智慧。 注:具足(ぐそく):完全に身にそなえる。 |
|
如來即為彼 略說其要道 愚夫習苦行 樂行ス諸根 見彼二差別 斯則為大過 非是正真道 以違解脫故 疲身修苦行 其心猶馳亂 尚不生世智 況能超諸根 如以水燃燈 終無破闇期 疲身修慧燈 不能壞愚癡 |
如来は即ち彼の為に、略してその要道を説かく、 『愚夫は苦行を習い、行を楽しんで諸根を悦ばしむ。 彼の二の差別を見るに、これ則ち大いに過つと為す。 これ正真の道に非ず、解脱に違うを以っての故なり。 身を疲れしめ苦行を修すれど、その心はなお馳乱す。 なお世智すら生ぜざるを、況やよく諸根を超えんをや。 水を以って灯を燃やすが如きは、終に闇を破るの期無し。 身を疲れしめ慧灯を修するは、愚癡を壊すこと能わず。 |
如来は、そこで、 彼等のために、略してその主旨を説いた、―― 『愚夫は、 苦行に苦しみ、 楽行を楽しんで、 諸根(眼耳鼻舌身意の六根)を悦ばす。 これを見るに、 苦と楽との差別はあるが、 二つながらに大きな過(あやまち)である。 これは、 正真の道ではない、何故ならば解脱に背くからである。 身を疲れさせて苦行を修めれば、その心は走り乱れる。 世俗の智慧すら生じられないものが、何うして諸根を超越できよう。 水の中で灯を燃やそうとしても、とうてい闇を破ることは望めないように、 身を疲れさせて智慧の灯をともそうとしても、愚かさの闇は破れないのである。 |
|
朽木而求火 徒勞而弗獲 鑽鐩人方便 即得火為用 求道非苦身 而得甘露法 著欲為非義 愚癡障慧明 尚不了經論 況得離欲道 如人得重病 食不隨病食 無知之重病 著欲豈能除 |
朽木に火を求むるは、徒労にして獲(え)ず。 鑽燧と人の方便にて、即ち火を得て用と為す。 道を求むるは身を苦しめて、甘露の法を得るに非ず。 欲に著するを義に非ずと為せど、愚癡は慧明を障(さ)う。 なお経論すら了せざるに、況や欲を離るる道を得んをや。 人の重き病を得しに、病に随わざる食を食するが如し。 無知の重病、欲に著するを、あによく除かんや。 |
朽木に、 火を付けようとして、 いたづらに努力をしても、 火は得られない、 火を着ける道具と、 人の努力があって、 火が得られて用を為すのである。 道を求めるに、 いたづらに身を苦しめれば、 甘露の法を得られるものでもない。 欲(色声香味触法の六境)に、 執著するのは道理ではないと知っていても、 愚かさの闇が、 智慧の明かりを遮っていては、 経論を理解することさえできず、 ましてや、 欲を離れる道などが得られるはずがない。 人が、 重い病にかかれば、 食い物も病に適した物を食わなければならない。 無知とは、 それ自体が、重い病である、 その上に、 何うして、欲に執著する病を除くことができようか? |
|
放火於曠野 乾草摶メ風 火盛孰能滅 貪愛火亦然 我已離二邊 心存於中道 眾苦畢竟息 安靜離諸過 正見踰日光 平等覺觀佛 正語為舍宅 遊戲正業林 正命為豐姿 方便正修塗 正念為城郭 正定為床座 八道坦平正 免脫生死苦 |
火を曠野に放てば、乾草は猛風を増さん。 火盛なれば孰(だれ)かよく滅せん、貪愛の火もまた然り。 われはすでに二辺を離れ、心を中道に存せり。 衆苦畢竟して息(や)み、安静にして諸の過を離る。 正見は日光を踰(こ)え、平等に仏を覚観す。 正語を舎宅と為し、正業の林に遊戯す。 正命を豊姿(ぶし)と為し、方便して正修塗(しょうしゅづ)す。 正念を城郭と為し、正定を床座と為す。 八道は坦平にして正しく、免れて生死の苦を脱れしむ。 |
曠野に、 火を放てば、 乾草は風を呼びこみ、 火はますます盛んになる。 火が、 盛んであれば、 誰に消すことができよう。 貪愛の火も、 また同じである。 わたしは、 すでに、 苦行と楽行との二辺を離れ、 心は中道にある。 つまるところ、 多くの苦は自然に消え、 心は 安静になり、 諸の過も離れたのである。 即ち、 正見(正しい見解)は、日光の明朗さに勝り、 平等の覚観(覚知と観察)にて、仏の道を考え、 正語(正しい言葉遣い)の家に住み、 正業(正しい身の行い)の林に遊び、 正命(正しい身過ぎ)にて豊かな身体を作り、 正修塗(しょうしゅづ、正しい努力)で方便(人を助ける)し、 正念(正しい憶念)の城郭で心を守り、 正定(正しい禅定)の床座に坐る。 この、 八正道こそ、 平坦で真直な、 生死の苦を脱れる道である。
注:二辺(にへん):二つの極端。 注:中道(ちゅうどう):両極端の中間。 注:正見(しょうけん):八正道の第一分、正しい見解。 注:平等覚観(びょうどうかくかん):八正道の第二分、正しい思考。正思惟ともいう。 注:正語(しょうご):八正道の第三分、正しい言葉づかい。 注:正業(しょうごう):八正道の第四分、正しい身の行い。 注:正命(しょうみょう):八正道の第五分、正しい活命の方法。乞食によって命をたもつ。 注:正修塗(しょうしゅづ):八正道の第六分、正しい努力。修塗は道を修める。正精進ともいう。 注:正念(しょうねん):八正道の第七分、正しい憶念。正しい事のみ考える。 注:正定(しょうじょう):八正道の第八分、正しい禅定。 注:畢竟(ひっきょう):ついに。結局。 注:坦平(たんぴょう):平坦。 注:八道(はちどう):涅槃に至る正しい道。八正道ともいう。 |
|
從此塗出者 所作已究竟 不墮於此彼 二世苦數中 三界純苦聚 唯此道能滅 本所未曾聞 正法清淨眼 等見解脫道 唯我今始超 |
この塗(みち)に従うて出づれば、作す所はすでに究竟す。 此と彼と、二世の苦数の中に堕せず。 三界は純(もっぱ)ら苦聚なり、ただこの道のみよく滅す。 本未だかつて聞かざる所の、正法の清浄眼にて、 等しく解脱の道を見る。ただわれのみ今始めて超えたり。 |
この道に従って、 苦の境界を脱け出せば、 作すべき事はすでに極まり、 『此(これ)と彼(あれ)とを差別し、 今世と来世とが有る』とする、 苦の境界に堕ちることがない。 三界(欲界、色界、無色界)は、 ただ苦のみの世界であり、 ただ、 この道でのみ、 苦を滅することができる。 元来、 人の聞いたことも無いような、 清浄な正しい法眼で、 等見(此彼、彼我などを等しく見る)してのみ この解脱の道は見えるのであるが、 ただ、 わたしのみが、 今始めてこの困難を超えたのである。
注:塗(づ):道と同じ。 注:苦数(くすう):多くの苦。 注:苦聚(くじゅ):苦の集まり。 注:清浄眼(しょうじょうげん):清浄な偏らない眼。 |
|
生老病死苦 愛離怨憎會 所求事不果 及餘種種苦 離欲未離欲 有身及無身 離淨功コ者 略說斯皆苦 猶如盛火息 雖微不捨熱 寂靜微細我 大苦性猶存 貪等諸煩惱 及種種業過 是則為苦因 捨離則苦滅 猶如諸種子 離於地水等 眾緣不和合 芽葉則不生 |
生老病死の苦、愛離(あいり)怨憎会(おんぞうえ)、 求むる所の事の果たせざる、及び余の種種の苦あり。 離欲と未だ離欲せざると、身有るものおよび身の無きもの、 浄き功徳を離るれば、略して説くにこれは皆苦なり。 なお盛んなる火の息みて、微かなりといえども熱を捨てざるが如し。 寂静にして微細なる我にも、大苦の性はなお存す。 貪等の諸の煩悩は、種種の業の過に及べば、 これ則ち苦の因と為し、捨離すれば則ち苦滅す。 なお諸の種子の、地水等を離れて、 衆縁和合せざれば、芽葉の則ち生ぜざるが如し。 |
世間には、 生老病死の苦があり、 愛するものに別離する苦があり、 怨み憎むものに会う苦があり、 求める事が果たせない苦があり、 その他にも、 種種さまざまな苦がある。 苦行を修めて天に生れても、 欲を離れた色界無色界、 欲を離れない欲界、 身の有る欲界色界、 身の無い無色界、 この何処であれ、 もし、 浄い功徳(くどく、衆生済度の徳)を離れたならば、 その訳は略すが、これは皆苦である。 ちょうど、 盛んであった火が消えたとき、 たとえ微かでも熱が残っているように、 寂静であるとはいえ、 微細な我が残っていれば、 大苦の性は、まだ有るのである。 貪欲等の、 諸の煩悩は因縁して、 種種の業(身口意の行い)の過となる。 これが、 則ち、苦の因である。 この 貪欲等を捨て去れば、 苦も滅する。 ちょうど、 諸の種子が、 地や水を離れるなどして、 多くの因縁が和合しなければ、 芽も葉も生じないように。
注:愛離(あいり):愛別離苦(あいべつりく)、愛する者と別離する苦。 注:怨憎会(おんぞうえ):怨憎会苦(おんぞうえく):憎む者と会う苦。 注:所求事不果(しょぐじふか):事物を求めて果たせない苦。 注:離欲(りよく):欲望を離れる。 注:微細我(みさいが):二世三世にわたる霊魂のようなもの。 |
|
有有性相續 從天至惡趣 輪迴而不息 斯由貪欲生 軟中上差降 種種業為因 若滅於貪等 則無有相續 種種業盡者 差別苦長息 此有則彼有 此滅則彼滅 |
有る性の相続すること有りて、天より悪趣に至るまで、 輪廻して息まず、これは貪欲由り生ずるなり。 軟中上に差(たが)いて降るは、種種の業を因と為す、 もし貪等を滅すれば、則ち相続有ること無し。 種種の業尽きなば、差別の苦も長く息む。 此有らば則ち彼有り、此滅すれば則ち彼滅す。 |
ある性が、 今世から来世に相続して、 天から悪趣(地獄、餓鬼、畜生)に至るまで、 休み無く輪廻するとは、 これは、 貪欲によって生じる。 悪趣の苛酷さが、 軟中上と分けられるのも、 種種の業が因となるからである、 もし、 貪等を滅するならば、 性の相続も有るはずがない。 もし、 種種の業が尽きたならば、 差別された悪趣の苦も長く滅する。 まさに、 此が有るから彼が有り、 此が無ければ彼も無い。
注:軟中上:苛酷の等級。 注:相続(そうぞく):世々に引き継ぐ。 注:差別(さべつ):平等の逆の義。 注:初中辺:時空の最初、中間、辺際。 |
|
無生老病死 無地水火風 亦無初中邊 亦非欺誑法 賢聖之所住 無盡之寂滅 所說八正道 是方便非餘 世間所不見 彼彼長迷惑 我知苦斷集 證滅修正道 觀此四真諦 遂成等正覺 |
生老病死無く、地水火風無く、 また初中辺も無けれど、また欺誑の法に非ず。 賢聖の住する所は、無尽の寂滅なり、 説く所の八正道、これは方便にして余に非ず。 世間は見ざる所、彼は彼(かしこ)に長く迷惑し、 われは苦を知りて集(原因)を断じ、滅を証して正道を修む。 この四真諦を観て、遂に等正覚を成ぜり。 |
また、 生老病死も無く、 地水火風も無く、 また、 初中辺も無い、 それでも、 この法は、 欺誑(ごおう、虚偽)ではないのだ。 賢聖(けんじょう、聖人)とは、 このような、 無尽の寂滅に住するのである。 今説いた、 八正道は、 賢聖に至るただ一つの方便(手だて)であり、 その他は無い。 八正道は、 世間のかつて見ないものであり、 その故に、 世間は苦の世界に長く迷うのである。 わたしは、 このように、 苦を知り(苦諦)、 苦の集まるを断じ(集諦)、 苦の滅するを証し(滅諦)、 苦を滅する正しい道を修めた(道諦)、 この 四真諦(四聖諦)を観察して、 遂に正覚(しょうがく、仏)と等しい者に成ったのである。
注:欺誑(ごおう):いつわり。 注:賢聖(けんじょう):聖人、仏。 注:寂滅(じゃくめつ):涅槃。仏の境地。 注:知苦:四聖諦の第一、苦諦。世間は苦である。 注:断集:四聖諦の第二、集諦。苦を集める原因を断つ。煩悩を断つ。 注:証滅:四聖諦の第三、滅諦。煩悩を断てば寂滅の境地に至る。 注:修正道:四聖諦の第四、道諦。涅槃に至るは八正道による。 注:四真諦:四聖諦。 注:等正覚:正覚。仏の境地。 |
|
謂我已知苦 已斷有漏因 已滅盡作證 已修八正道 已知四真諦 清淨法眼成 於此四真諦 未生平等眼 不名得解脫 不言作已作 亦不言一切 真實知覺成 已知真諦故 自知得解脫 自知作已作 自知等正覺 |
謂わく、われすでに苦を知り、すでに有漏の因を断じ、 すでに滅尽して証を作し、すでに八正道を修め、 すでに四真諦を知れば、清浄なる法眼成ず。 この四真諦に於いて、未だ平等の眼を生ぜずんば、 解脱を得ると名づけず、作すべきをすでに作すと言わず、 また、一切の真実の知覚成ぜりと言わず。 すでに真諦を知りたるが故に、自ら解脱を得たるを知り、 自ら作すべきはすでに作せりと知り、自ら等正覚たるを知るなり。』 |
もう一度言おう、 わたしは、 すでに、苦を知った、 すでに、煩悩の因を断じた、 すでに、煩悩の滅尽を証した、 すでに、八正道を修めた。 この、 四真諦を知りおわった時、 清浄な法眼が生じたのである。 もし、 この四真諦を知りおわっても、 未だ平等の法眼を生じないならば、 それは、 「解脱を得た」とは言えず、 「作すべきを作しおわった」とも言えず、 「一切の真実を知覚した」とも言えない。 すでに、 四真諦を知るが故に、 自ら解脱を得たと知り、 自ら作すべきを作しおわったと知り、 自ら正覚に等しいと知るのである。』
注:有漏(うろ):煩悩。 注:滅尽(めつじん):寂滅。 注:作証(さしょう):確信。 注:法眼(ほうげん):一切の事物を等しく見る眼。また一切の法門を見る眼。 |
憍隣如は悟り、地神は讃歎する
說是真實時 憍憐族姓子 八萬諸天眾 究竟真實義 遠離諸塵垢 清淨法眼成 天人師知彼 所作事已作 歡喜師子吼 問憍憐如來 憍憐即白佛 已知大師法 以彼知法故 名阿若憍憐 於佛弟子中 最先第一悟 |
この真実を説く時、憍憐(きょうりん)族姓子と、 八万の諸の天衆、真実の義を究竟し、 諸の塵垢を遠離し、清浄なる法眼成ぜり。 天人師は彼の、作す所の事をすでに作せるを知り、 歓喜し師子吼して、問わく、『憍憐如(きょうりんにょ)来たれるや。』 憍憐即ち仏に白(もう)さく、『すでに大師の法を知れり。』と。 彼法を知るを以っての故に、阿若憍憐(あにゃきょうりん)と名づけ、 仏弟子中に於いて、最も先、第一に悟れり。 |
仏は、 このように、 真実の義を説いた。 その時、 憍隣如族子は、 八万の諸の天衆と共に、 真実の義を極め尽した。 諸の煩悩の塵と垢を離れ、 清浄の法眼を得たのである。 仏は、 彼の、「作すべき事を作しおわった」ことを知り、 歓喜し師子吼して、こう問うた、―― 『憍隣如、ついて来たか?』 憍隣如は、 直ちに、こう答えた、―― 『大師の法はすべて知りました。』 この 『法をすべて知りました。』、この答えにより、 彼は、『阿若憍隣如(あにゃきょうりんにょ)』と呼ばれるようになった。 彼は、 最初に悟った仏弟子である。
注:憍憐(きょうりん):憍隣如と同じ。 注:族姓子(ぞくしょうし):族子と同じ。 注:塵垢(じんく):煩悩の異名。心を汚すものの意。 注:遠離(おんり):遠ざける。 注:天人師(てんにんし):天人を教える師。如来十号の一。 注:師子吼(ししく):仏の声の威厳を師子の吼える声に譬える。 注:大師(だいし):先生。 注:阿若(あにゃ):すでに知る。この故に、阿若憍隣如を了本際(りょうほんざい)とも呼ぶ。 |
|
彼知正法聲 聞於諸地神 咸共舉聲唱 善哉見深法 如來於今日 轉未曾所轉 普為諸天人 廣開甘露門 淨戒為眾輻 調伏寂定齊 堅固智為輞 慚愧楔其間 正念以為轂 成真實法輪 正真出三界 不退從邪師 |
彼は知れり、正法の声は諸の地神に聞こえ、 咸(みな)共に声を挙げて唱うるを、『善きかな、深き法を見たり。 如来は今日、未だかつて転ぜざる所を転じて、 普く諸の天人の為に、広く甘露の門を開きぬ。 浄らかなる戒を衆輻と為して、調伏と寂定とを斉(ととの)え、 堅固なる智を輞(おおわ)と為して、慚愧その間に楔(くさび)し、 正念を以って轂(こしき)と為し、真実の法輪と成しぬ。 正真に三界を出でて、退いて邪師に従わず。』 |
阿若憍隣如は、 清浄な法眼を開いて、これを知った、―― 『正法の声は、諸の地神にも聞こえ、 地神たちは、声をそろえてこう唱えている、―― 『善いことだ、 深い法に出会うことができた。 如来は、 今日、 未だかつて転じられた事の無い 法輪を転じられた。 普く、 諸の天人たちの為に、 広く甘露の門を開かれた。 浄らかな戒は、 車輪の輻(や)である。 衆生に悪を行わせず、 心を妄想から離れさせる。 堅固な智慧は、 車輪の外輪である。 一切をまとめ、堅固にする。 慚愧(ざんき、自ら悪に恥じ入る)は、 隙間に打ち込む楔(くさび)である。 これによれば揺るぎない。 正念は、 車輪の轂(こしき、中心)である。 すべての輻はここに集まる。 この、 浄戒、智慧、慚愧、正念で真実の法輪ができた。 この、 法輪に乗じて、まさに三界を脱れ出よう。 もう、 邪な師に従うことも無い。』
注:地神(じじん):地下の神。堅牢という名の女神。 注:衆輻(しゅふく):車輪の輻(や)。 注:調伏(ちょうぶく):身口意三業を調え、諸の悪行を制伏する。 注:寂定(じゃくじょう):妄心妄想を離れる。 注:輞(おおわ):車輪の外輪。 注:慚愧(ざんき):自ら悪行を恥じる。 注:正念(しょうねん):正しい目的。念は常に心に留めおくの意。 注:轂(こしき):車輪の輻の集まり、車軸を通す部分。 |
|
如是地神唱 虛空神傳稱 諸天轉讚嘆 乃至徹梵天 三界諸天神 始聞大仙說 展轉驚相告 普聞佛興世 廣為群生類 轉寂靜法輪 風霽雲霧除 空中雨天華 諸天奏天樂 嘉歎未曾有
佛所行讚卷第三 |
かくの如く地神唱うるに、虚空神伝え称うれば、 諸の天も転(うたた)讃歎し、乃ち梵天に徹(とど)くに至れり。 三界の諸の天神、始めて大仙の説くを聞き、 展転して驚き相い告ぐれば、普く聞こゆ、『仏、世に興りて、 広く群生の類の為に、寂静の法輪を転ぜり。』と。 風は雲霧を霽(はら)いて除き、空中より天華を雨ふらす。 諸天は天楽を奏し、未曽有を嘉歎す。
仏所行讃 巻の第三 |
このように、 地神たちが唱えると、 虚空の神々も、それに唱和した。 諸の天たちが、 讃歎するにつけ、 やがて、 それは梵天にまで届いた。 三界の、 諸の天神たちは、 始めて仏の説を聞き、 口々に驚きをこめて教えあい、 やがて何処でも、このように聞こえるようになった、―― 『ついに、 仏が、 世に出られた。 広く群生の類の為に、 寂静の法輪を転じていられる。』 風は、 雲と霧とを吹き払い、 空中からは、 天華の雨が降りそそいだ。 諸天は、 天楽を奏して、 未曽有のできごとを喜び称えている。』
注:虚空神(こくうじん):空の神。 注:梵天(ぼんてん):色界の初禅天。 注:嘉歎(かたん):めでたさを喜び称える。 仏所行讃巻第三 |
著者に無断で複製を禁ず。
Copyright(c)2009 AllRightsReserved