(阿惟三菩提品第十四)

 

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菩薩は菩提樹の下で禅定に入り、五道を観察した

阿惟三菩提品第十四

阿惟三菩提(あゆいさんぼだい)品第十四

菩薩は正覚を成じ、梵天は法輪を転ぜんことを勧請する。

 

  :阿惟(あゆい):成就。

  :三菩提(さんぼだい):正覚。

 菩薩降魔已  志固心安隱

 求盡第一義  入於深妙禪

 自在諸三昧  次第現在前

菩薩は魔を降しおわりて、志固く心安穏たり、

第一義を尽くさんと求めて、深妙の禅に入り、

自ら諸の三昧に在りて、次第に前に現在す。

菩薩は、

   魔を降しおわると、

   志が固まり、

   心が安穏になった。

そして、

   第一義(絶対の真理)を極め尽すために、

   深く妙なる禅定に入った。

菩薩は、

   自ら諸の三昧(観察する対境との一体化)に入り、

その境界は、

   次々と、菩薩の前に現れた。

 

  :第一義(だいいちぎ):真実。諸法一相の義。一切は空であり一相である。自他此我の別なく平等。

  :三昧(さんまい):第一義を体感すること。所観の法を正受すること。自己と対境との一致。

  注:自在諸三昧、次第現在前:地獄を観察すれば地獄の衆生になること、天人畜生餓鬼も同じ。

 初夜入正受  憶念過去生

 從某處某名  而來生於此

 如是百千萬  死生悉了知

 受生死無量  一切眾生類

 悉曾為親屬  而起大悲心

 大悲心念已  又觀彼眾生

 輪迴六趣中  生死無窮極

 虛偽無堅固  如芭蕉夢幻

初夜に正受に入り、過去の生を憶念すらく、

『某処、某名より、ここに来たりて生ず』と、

かくの如く百千万の、死生を悉く了知す。

『生死を受くること無量、一切衆生の類は、

 悉くかつて親属たり』と、しかして大悲心を起す。

大悲、心に念じおわりて、また彼の衆生を観ずるに、

『六趣の中に輪廻して、生死は窮極無く、

 虚偽にして堅固なるものの無きこと、芭蕉夢幻の如し。』

菩薩は、

   夜の初めに、

      過去の生を、正しく有るがままに観察して思いだした、――

        『某処から某という名の者が、来てここに生まれた。』と。

   このようにして、

      百千万の、自ら過去の死生を悉く明らかに知った、――

        『無量に生死を受けていた、‥‥

         一切の衆生の類とは、

            皆、悉くかつては親属であった。』と。

   そして、

      大悲心を起して、

      更に、衆生を観察した、――

        『衆生は、

            六趣(ろくしゅ、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上)の中を、

            際限なく、生死しながら輪廻している。

         そして、

            見かけだけの虚偽のものであり、

            堅固なものなど何も無い。

         まるで、

            芭蕉の樹か、夢幻のように。』

 

  :初夜(しょや):夜を三分して第一、以後第二を中夜、第三を後夜という。

  :正受(しょうじゅ):明鏡の如く無心に物を写し現す。

  :憶念(おくねん):思いだす。

  :了知(りょうち):明瞭に知る。

  :大悲(だいひ):衆生の苦しみを抜くこと。また衆生に楽を与えるを大慈という。

  :六趣(ろくしゅ):世間。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上。六道ともいう。

  :輪廻(りんね):ぐるぐる廻る。

  :窮極(ぐうごく):窮まり尽きること。

  :虚偽(こぎ):うそいつわり。

  :芭蕉(ばしょう):芭蕉の樹は泡を含み、堅固な部分は少しもない。

 即於中夜時  逮得淨天眼

 見一切眾生  如觀鏡中像

 眾生生生死  貴賤與貧富

 清淨不淨業  隨受苦樂報

 觀察惡業者  當生惡趣中

 修習善業者  生於人天中

即ち中夜の時に於いて、浄き天眼を逮得し、

一切の衆生を見ること、鏡中の像を観るが如し。

『衆生は生死に生まれて、貴賎と貧富とあり、

 清浄と不浄との業に随うて、苦楽の報を受く。

 悪業の者を観察するに、まさに悪趣の中に生ずべく、

 善業を修習する者は、人天の中に生ず。

   やがて、

      中夜になると、

      浄らかな天眼を得た。

   そして、

      一切の衆生を、

      鏡中の像を見るように観察した、――

        『衆生は、

            生死の世界に生れて、貴賎と貧富の差別があり、

            清浄と不浄との業(行い)に従って、苦楽の報を受ける。

            悪業の者を観察すれば、必ず悪趣の中に堕ちており、

            善業の者を観察すれば、必ず人天の中に生まれている。

 

  :天眼(てんげん):時空を通して見る眼。

  :悪趣(あくしゅ):地獄、餓鬼、畜生を三悪趣という。悪道。

  :修習(しゅうじゅう):習慣にして行う。

 若生地獄者  受無量種苦

 吞飲於洋銅  鐵槍貫其體

 投之沸鑊湯  驅入盛火聚

 長牙群犬食  利嘴鳥啄腦

 畏火赴叢林  劍葉截其體

 利刀解其身  或利斧斫剉

 受斯極苦毒  業行不令死

 樂修不淨業  極苦受其報

 味著須臾頃  苦報甚久長

 戲笑種禍因  號泣而受罪

 もし地獄に生ずれば、無量種の苦を受く。

 洋銅を呑飲し、鉄槍はその体を貫き、

 これを沸きたる鑊(かま)の湯に投じ、駆けて盛んなる火聚に入る、

 長牙の群犬食らい、利き嘴の鳥は脳を啄(ついば)む。

 火を畏れて叢林に赴けば、剣の葉はその体を截(き)り、

 利き刀はその身を解き、或は利き斧は斫(き)り剉(きざ)み、

 この極苦の毒を受くれども、業行は死なしめず。

 楽しんで不浄の業を修むれば、極めて苦しんでその報を受く、

 須臾の頃に味著して、苦の報は甚だ久長なり、

 戯笑して禍因を種え、号泣して罪を受く。

         もし、

            地獄に生まれたならば、無量の種類の苦を受けることになる。

               溶けた銅を飲まされ

               鉄の槍に体を貫かれ、

               沸いた釜の湯に投げ込まれ、

               追いかけられて火の燃え上がる中に入れば、

                  長い牙の犬が群がって体を食い、

                  利い嘴の鳥が脳をついばみ、

               火を逃れて竹藪に入れば、

                  剣のような葉が体を切りつけ、

               利い刀は身を解きほぐし、

               利い斧は身を切り刻む。

            この

               極苦の死毒を受けながら、

               過去の行業は死ぬことを許さない。

            これも、

               楽しんで不浄の行いをし、極めて苦しんで、その報を受ける。

               味に執著するのはしばらくの間であるのに、苦の報は非常に長い。

               戯れ笑いながら天罰のたねを植え、大声で泣きわめいて罪を受ける。

 

  :洋銅(ようどう):溶けた銅。

  :鉄槍(てつそう):鉄の柄の槍。

  :呑飲(どんいん):鉄丸を呑みこみ、洋銅を飲む。

  :鑊(かく):人を煮るかま。

  :火聚(かじゅ):大きなたき火。

  :叢林(そうりん):やぶとはやし。

  :不浄業(ふじょうごう):不善の行い。

  :味著(みじゃく):食味に執著する。

  :須臾頃(しゅゆきょう):しばらくの間。

  :久長(くちょう):非常に長い間。

  :戯笑(ぎしょう):たわむれて笑う。

  :禍因(かいん):わざわいの種。

  :号泣(ごうきゅう):叫び泣く。

 惡業諸眾生  若見自報者

 氣脈則應斷  恐怖崩血死

 造諸畜生業  業種種各異

 死墮畜生道  種種各異身

 或為皮肉死  毛角骨尾羽

 更互相殘殺  親戚還相噉

 負重而抱軛  鞭策鉤錐刺

 傷體膿血流  飢渴莫能解

 展轉相殘殺  無有自在力

 虛空水陸中  逃死亦無處

 悪業の諸の衆生、もし自らの報を見ば、

 気脈は則ちまさに断ずべく、恐怖して崩れ血ぬれて死せん。

 諸の畜生の業を造れば、業種種にして各々異にし、

 死して畜生道に堕すも、種種各々身を異にす。

 或は皮肉の為に死するあり、毛、角、骨、尾、羽のためもあり、

 更に互いに相い残殺するあり、親戚も還って相い噉(くら)うあり。

 重きを負いて軛(くびき)を抱き、鞭策と鉤錐の刺(し)あり、

 体を傷つけ膿血流れ、飢渇してよく解くこと莫し。

 展転して相い残殺し、自在の力の有ること無く、

 虚空水陸の中に、死を逃れんにもまた処として無し。

            もし、

               悪業の諸の衆生が、自らの報を見たならば、

                  息は絶えて脈は止まり、

                  恐怖に崩れおち、

                  血にまみれて死んでしまうだろう。

            もし、

               諸の畜生道に堕ちる業を造る者は、

                  業は種種に各々異なるので、

                     畜生道に堕ちて種種異なる身を受ける。

                  或は、

                     皮、肉の為に死に、

                     毛、角、骨、尾羽の為に死ぬ。

                  或は、

                     相互に残殺しあい、

                     親戚どうしで食らいあう。

                  或は、

                     軛(くびき)に繋がれて重い荷を背負い、

                     鞭や棒で打たれ、鉤や錐で刺され、

                     体は傷ついて膿や血を流し、

                     飢えて渇き、

                     決して解かれることがない。

               このように、

                  次から次から、互いに残殺しあって、

                  何に生まれるのか、

                     自ら決める力は無く、

                     虚空、水中、陸上のどこにでも生まれて、

                     死を逃れる方法もまた無い。

 

  :気脈(きみゃく):呼吸と血脈。

  :残殺(ざんさつ):残酷に殺す。

  :鞭策(べんさく):革と竹のむち。

  :鉤錐(くすい):かぎときり、象を調教する道具。

  :展転(てんでん):次々と転がる。

 慳貪搶緕メ  生於餓鬼趣

 巨身如大山  咽孔猶針鼻

 飢渴火毒然  還自燒其身

 求者慳不與  或遮人惠施

 生彼餓鬼中  求食不能得

 不淨人所棄  欲食而變失

 若人聞慳貪  苦報如是者

 割肉以施人  如彼尸毘王

 慳貪増上なれば、餓鬼趣に生ず、

 巨身は大山の如く、咽孔はなお針鼻のごとく、

 飢渇の火は毒となりて然え、還って自らその身を焼く。

 求むれど惜みて与えず、或は人の恵施せんとするを遮れば、

 彼の餓鬼の中に生じて、食を求むれど得ること能わず、

 不浄なる人の棄てし所を、食わんと欲すれど変じて失す。

 もし人、慳貪の苦報はかくの如しと聞かば、

 肉を割き以って人に施すこと、彼の尸毘王の如くならん。

            もし、

               惜み貪ることが甚だしければ、

               餓鬼道に生まれなくてはならない。

                  山のような巨身でありながら、咽の孔は針のように細く、

                  飢えと渇きとは火と燃えて、自らの身を焼く。

            この人は、

               或は、求められても惜んで与えず、

               或は、人が恵み施そうとするのを遮ったので、

            このように、

               餓鬼道に生まれて、食うことができない。

               人の棄てた不浄な物でさえ、食おうとすれば消えて失う。

            もし、

               人が、惜み貪る苦報がこれほどだと聞けば、

               彼の尸毘(しび)王のように、

                  自らの肉を割いてさえ、

                  人に分け与えるだろうに。

 

 

  :慳貪(けんどん):惜んで貪る。

  :針鼻(しんび):針の孔。

  :飢渇(きかつ):うえとかわき。

  :恵施(えせ):めぐみほどこす、金品を与える。

  :尸毘(しび):釈迦の前世、鷹に襲われた鳩を救うため、自ら全身の肉を鷹に与えた王。

 或生人道中  身處於行廁

 動轉極大苦  出胎生恐怖

 軟身觸外物  猶如刀劍截

 任彼宿業分  無時不有死

 勤苦而求生  得生長受苦

 或は人道中に生ずれば、身を行廁に処し、

 動転すれば大苦を極め、胎を出づるに恐怖を生ず。

 軟らかき身は外物に触れて、なお刀剣に截らるるが如く、

 彼の宿業の分に任うるにも、時として死の有らざる無く、

 勤苦して生を求め、生を得て長く苦を受く。

            もし、

               人道の中に生まれたならば、

                  身は、まるで歩く廁(かわや)である。

                  胎を出る時は動いて転がり、極めて大きな苦があり、

                  胎を出たならば、恐怖を生じる。

                  軟らかい身は外の物に触れて、刀剣に切られたように痛む。

                  皆、宿業の分に応じて、死は何時のことか分らない。

                  苦労して長生きしようとしても、長生きすればそれだけ苦も多い。

 

  :行廁(ぎょうし):歩くかわや。身の不浄をかわやに譬える。

  :動転(どうてん):動き乱れる。

  :宿業(しゅくごう):前世の行業。

  :勤苦(ごんく):苦労。

 乘福生天者  渴愛常燒身

 福盡命終時  衰死五相至

 猶如樹華萎  枯悴失光澤

 眷屬存亡分  悲苦莫能留

 宮殿廓然空  玉女悉遠離

 坐臥塵土中  悲泣相戀慕

 生者哀墮落  死者戀生悲

 福に乗じて天に生るれば、渇愛に常に身を焼き、

 福尽きて命の終る時、衰死の五相に至ること、

 なお樹(たちき)の華萎れて、枯悴し光沢を失うが如し。

 眷属は存亡に分れ、悲苦すれどよく留むるもの莫く、

 宮殿は廓然として空しく、玉女は悉く遠離す。

 塵土の中に坐臥して、悲泣して相い恋慕し、

 生者は哀しみて堕落し、死者は生を恋うて悲しむ。

            もし、

               福があって天に生れたならば、欲望が常に身を焼き、

               福が尽きて命が終る時には、

                  衰弱と死を表す五相が現れる、

                  ちょうど、樹上の花が萎れて枯れ光沢を失ったかのように。

               そして、

                  眷属たちとは、

                     別れねばならず、

                     ひどく悲しむ者もいるが、

                     誰も留めることはできず、

                     ついに、

                        宮殿は空になり、広々して虚しい。

                  美しい女たちは、

                     悉く、遠く離れてしまい、

                     塵土の中に、

                        坐ったり臥ったりして、

                        悲しみ嘆いて恋慕する。

               やがて、

                  生者は、哀しんで天から堕落し、

                  死者は、生者を恋うて悲しむ。

 

  :渇愛(かつあい):渇いたように執著する。欲望。

  :衰死五相(すいしごそう):欲界等の有相の天衆は命の終りに五相を現す。

      (1)衣服が垢に穢れる。

      (2)頭上の華が萎れる。

      (3)身体が臭く穢れる。

      (4)腋の下に汗が流れる。

      (5)本座を楽しまない。

  :枯悴(こすい):かれおとろえる。

  :眷属(けんぞく):家族、家来。

  :廓然(かくねん):広々として虚しい。

  :堕落(だらく):くずれおちる。

 精勤修苦行  貪求生天樂

 既有如此苦  鄙哉何可貪

 大方便所得  不免別離苦

 嗚呼諸天人  脩短無差別

 積劫修苦行  永離於愛欲

 謂決定長存  而今悉墮落

 精勤して苦行を修め、天に生ずる楽を貪り求むれど、

 すでにかくの如き苦有り、鄙(いや)しいかな何をか貪るべき。

 大方便して得し所も、別離の苦を免れず、

 ああ諸の天人は、脩短の差別無く、

 劫を積んで苦行を修し、永く愛欲を離れ、

 『決定して長く存せん』と謂えるも、今悉く堕落せり。 

            このように、

               努力して苦行を修め、

                  天に生じて楽を貪ろうとしても、

                  このような苦が有るというのに、

               賎しい者たちは、

                  何を貪ろうとしているのだろう?

            大いに

               苦労して得た天でさえ、

               別離の苦を免れるものではない。

            ああ、

               諸の天人は、

                  寿命が長かろうと、短かろうと、

                  無限の時間苦行していようと、いまいと、

                  永久に愛欲を離れていようと、いまいと、

                  『決して死なない。』と言っていた者までもが、

               今、

                  悉く、堕落してしまったではないか。

 

  :精勤(しょうごん):休まず勤める。

  :方便(ほうべん):手だてを尽す。

  :脩短(しゅたん):長短。

  :積劫(しゃくこう):時空を超えた無限の時間。

 地獄受眾苦  畜生相殘殺

 餓鬼飢渴逼  人間疲渴愛

 雖云諸天樂  別離最大苦

 迷惑生世間  無一蘇息處

 嗚呼生死海  輪轉無窮已

 眾生沒長流  漂泊無所依

 如是淨天眼  觀察於五道

 虛偽不堅固  如芭蕉泡沫

 地獄にて衆苦を受け、畜生にて相い残殺し、

 餓鬼にて飢渇逼(せま)り、人間にて渇愛に疲る。

 『諸天は楽にして、別離は最大の苦なり』と云うといえども、

 迷惑して世間に生ぜば、一として蘇息の処無し。

 ああ生死の海は、輪転して窮まり尽くること無く、

 衆生は長流に没して、漂泊し依る所無し。』

かくの如く浄き天眼にて、五道を観察するに、

虚偽にして堅固ならざること、芭蕉泡沫の如きなり。

            もし、

               地獄に堕ちれば衆苦を受け、

               畜生に生まれたならば残殺しあい、

               餓鬼に堕ちれば飢えと渇きに逼られ、

               人間に生まれたならば欲望に疲れる。

            『諸天は楽であり、別離が最大の苦である。』と言うものもいるが、

               迷い惑って、

                  世間に生まれるのであるから、

                  少しでも息つける処が有ろうか。

            ああ、

               生死の海は、輪転して窮まり尽きることが無く、

               衆生は長い流れに没して、漂泊して頼る物さえない。』

菩薩は、

   このように、

      浄らかな天眼で五道を観察された、――

      『衆生は虚偽のものであり、堅固でもなく、

       まるで芭蕉か泡沫のようである。』と。

 

  :蘇息(そそく):苦をのがれて一息つく。

 

 

 

 

菩薩は正しく考えて正しく覚った

 即彼第三夜  入於深正受

 觀察諸世間  輪轉苦自性

 數數生老死  其數無有量

 貪欲癡闇障  莫知所由出

 正念內思惟  生死何從起

 決定知老死  必由生所致

 如人有身故  則有身痛隨

 又觀生何因  見從諸有業

 天眼觀有業  非自在天生

 非自性非我  亦復非無因

即ち彼の第三夜、深き正受に入り、

諸の世間を観察すらく、『苦を輪転するは自性にして、

 数数の生老死、その数に量の有ること無く、

 貪欲、癡闇の障(さわり)も、由りて出づる所を知ること莫し。』

正念し内に思惟すらく、『生死は何に従りてか起る。

 決定して知るらくは、老死は、必ず生に由りて致す所なり。

 人に身の有るが故に、則ち身の痛みの随うこと有るが如し。

 また生は何にか因(よ)ると観ぜしには、諸の有業に従うと見る。

 天眼にて観ずらく、『有業は、自在天生ずるに非ず。

 自性に非ず、我に非ず、またまた無因にも非ず。』と。』

そして、

   菩提樹の下での第三夜、

   深く正しく諸の世間を観察した、――

  『世間とは、

      苦の世界を輪転することは、自性である。

      生老死の輪転は、数量に限りが無い。

      貪欲と癡闇(愚かさの暗闇)との障(さわり)が有っても、

         何を頼りに抜出せばよいか、

         誰も知らない。』

そして、

   正しく心に納め、こう考えた、――

  『生死とは、

      何によって起るのだろうか?

   答えは分った、――

      老死は、必ず生によって招きよせられるのだ!

      人に身が有るから、身に痛みを感じるようなものだ。

   では、

      生は何によって招きよせられるのか?

   それは、

      有業(うごう、生存)によって招きよせられる。

   天眼で観てみれば、――

      有業は、

         自在天の仕業でなく、

         衆生の自性でもなく、

         衆生の我(が、不滅の霊魂)でもなく、

      また、

         因(原因)が無いのでもない。』

 

  :正受(しょうじゅ):三昧、三を正といい、昧を受という。禅定の異名。心を定めて邪乱を離れるを正、無念無想にて法を納めて心に在るを受という。明鏡が無心に物を現すようなことである。

  :老死(ろうし):十二因縁の第十二。

  :生(しょう):十二因縁の第十一。

  :有業(うごう):十二因縁の第十。有(う)。有るという業、生存するという行い。

 如破竹初節  餘節則無難

 既見生死因  漸次見真實

 有業從取生  猶如火得薪

 取以愛為因  如小火焚山

 知愛從受生  覺苦樂求安

 飢渴求飲食  受生愛亦然

 諸受觸為因  三等苦樂生

 鑽燧加人功  則得火為用

 觸從六入生  盲無明覺故

 六入名色起  如芽長莖葉

 名色由識生  如種芽葉生

 識還從名色  展轉更無餘

 緣識生名色  緣名色生識

 猶人船俱進  水陸更相運

 如識生名色  名色生諸根

 諸根生於觸  觸復生於受

 受生於愛欲  愛欲生於取

 取生於業有  有則生於生

 生生於老死  輪迴周無窮

 眾生因緣起  正覺悉覺知

竹の初の節を破れば、余の節は則ち難無きが如く、

既に生死の因を見れば、漸次に真実を見る。

『有業は取(しゅ)従り生じ、なお火の薪を得しが如し。

 取は愛(あい)を以って因と為す、小火の山を焚(た)くが如し。

 愛は受(じゅ)従り生ずと知る。苦楽を覚るは安きを求め、

 飢渇せば飲食を求む。受の愛を生ずるもまた然り。

 諸受は触(そく)を因と為し、三は等しく苦楽生ず、

 鑽燧に人功を加うれば、則ち火を得て用を為すがごとし。

 触は六入(ろくにゅう)従り生ず、盲に明覚無きが故なり。

 六入は名色(みょうしき)起す、芽長じて茎葉になるが如し。

 名色は識に由りて生ず、芽を種えて葉生ずるが如し。

 識はまた名色に従い、展転して更に余無し。

 識に縁(よ)り名色を生じ、名色に縁り識を生ず、

 なお人と船と倶に進み、水陸更に相い運ぶが如し。

 識の名色を生ずるが如く、名色は諸根を生ず。

 諸根は触を生じ、触また受を生ず。

 受は愛欲を生じ、愛欲は取を生ず。

 取は業有を生じ、有は則ち生を生ず。

 生は老死を生じ、輪廻は周(めぐ)りて窮まり無く、

 衆生の因縁起る。』と、正覚にて悉く覚知せり。

竹の初めの節を破れば、残りは難なく破れるように、

生死の因を、

   次々と見て、遂に真実に至った、――

  『すなわち、

      有業は取(しゅ、執著)より生じる、火が薪を得たように。

      取は愛(あい、貪り)より生じる、小さな火が山を焼くように。

      愛は受(じゅ、感受)より生じる、

         苦楽を知る者が、安らぎを求め、

         飢えて渇く者が、飲み物と食い物を求めるように。

      受は触(そく、見聞等の行為)より生じる。

      この三(取、愛、受)は、

         等しく皆苦楽を生じる。

         火打ち石と火打ち金とに、

            人力が加われば、火を得て用いることができるように。

      触は六入(ろくにゅう、眼耳鼻舌身意の六根)より生じる、

         眼が無ければ明らかに覚知できないからである。

      六入は名色(みょうしき、色受想行識の五蘊)より生じる、

         芽が長じると茎や葉となるように。

      名色は識(しき、認識作用)より生じる、

         芽を種えれば葉が生じるように。

   また、

      識から名色に還って、次々と余す所を無くすればよいのだ!

   すなわち、

      識によって名色を生じ、名色によって識を生じる。

   ちょうど、

      人と船とは倶に進んで、

         陸上では人が船を運び、

         水上では船が人を運ぶように、

      識は、名色を生じ、

      名色は、諸根を生じ、

      諸根は、触を生じ、

      触は、受を生じ、

      受は、愛欲を生じ、

      愛欲は、取を生じ、

      取は、有業を生じ、

      有業は、生を生じ、

      生は、老死を生じ、

   このように、

      輪転して周回は際限が無い。

   衆生の、

      起る因縁とは、これであったのか!』

このように、

   正覚(しょうがく、仏の実智)にて、悉く覚知した。

 

  :取(しゅ):十二因縁の第九。対する所の境界に取著すること。愛の異名。煩悩の総名。

  :愛(あい):十二因縁の第八。物を貪ること。染著。

  :受(じゅ):十二因縁の第七。触れる所の境を領納する心の働き。

  :触(そく):十二因縁の第六。五根が五境に接触すること。

  :鑽燧(さんすい):きりもみして火を得る道具。

  :人功(にんく):人の力。人の働き。

  :六入(ろくにゅう):十二因縁の第五。眼耳鼻舌身意の六根。

  :明覚(みょうがく):眼の感覚。

  :名色(みょうしき):十二因縁の第四。五陰の総名。受想行識の四を名といい、色陰を色という。

  :識(しき):十二因縁の第三。認識すること。識別。

  :正覚(しょうがく):仏の実智。

 決定正覺已  生盡老死滅

 有滅則生滅  取滅則有滅

 愛滅則取滅  受滅則愛滅

 觸滅則受滅  六入滅觸滅

 一切入滅盡  由於名色滅

 識滅名色滅  行滅則識滅

 癡滅則行滅  大仙正覺成

 如是正覺成  佛則興世間

 正見等八道  坦然平直路

 畢竟無我所  如薪盡火滅

 所作者已作  得先正覺道

正覚を決定しおわれば、生は尽きて老死も滅せり。

有滅すれば則ち生滅し、取滅すれば則ち有滅す。

愛滅すれば則ち取滅し、受滅すれば則ち愛滅す。

触滅すれば則ち受滅し、六入滅すれば触滅す。

一切の入滅し尽すは、名色滅するに由る。

識滅し名色滅し、行(ぎょう)滅すれば則ち識滅す。

癡(ち)滅すれば則ち行滅す。大仙の正覚成ず。

かくの如く正覚成じて、仏は則ち世間に興れり。

『正見等の八道は、坦然たる平直の路なり。

 畢竟すれば我所無く、薪尽きて火滅するが如し。』と、

作す所はすでに作し、先の正覚の道を得たり。

正覚を決定すれば、

   生が尽きて老死も滅した。

   有が滅すれば、生が滅する。

   取が滅すれば、有が滅する。

   愛が滅すれば、取が滅する。

   受が滅すれば、愛が滅する。

   触が滅すれば、受が滅する。

   六入が滅すれば、触が滅する。

   六入を滅するのは、名色を滅すればよい。

   識が滅すれば、名色が滅する。

   行(ぎょう、身口意の業、身と心の動き)が滅すれば、識が滅する。

   癡(ち、愚かさ)が滅すれば、行が滅する。

ついに、

   大仙は正覚を成じた。

このように、

   正覚を成じて、仏は世間に興出したのである。

  『正見等の八正道こそが、

      平坦で真直ぐな大路である。

   つまるところ、

      我所(がしょ、利己心)が無ければよいのだ!

      薪が尽きれば火が滅するように。』

ついに、

   作すべきことは作しおわった!

   過去の仏と同じ正覚の道を得たのである。

 

  :行(ぎょう):十二因縁の第二。身口意の造作、動き。

  :癡(ち):十二因縁の第一。無明。根源的愚かさ。無我、無生老死を知らないこと。

  :正見(しょうけん):正しい見かた。八正道の一。

  :八道(はしどう):八の正しい道。

     (1)正見:苦集滅道の四諦の理を認めること。八正道の基本。

     (2)正思:既に四諦の理を認め、なお考えて智慧を増長させること。

     (3)正語:正しい智慧で口業を修め、理ならざる言葉を吐かないこと。

     (4)正業:正しい智慧で身業を修め、清浄ならざる行為をしないこと。

     (5)正命:身口意の三業を修め、正法に順じて生活すること。

     (6)正精進:正しい智慧でもって、涅槃の道を精進すること。

     (7)正念:正しい智慧でもって、常に正道を心にかけること。

     (8)正定:正しい智慧でもって、心を統一すること。

  :坦然(たんねん):でこぼこしない、平らなさま。

  :平直(ひょうじき):平らでまっすぐ。

  :畢竟(ひっきょう):つまるところ。結局。

  :我所(がしょ):我が所有。我が身、我が心。また利己心。

 

 

 

 

仏は、法を説くため菩提林を離れる

 究竟第一義  入大仙人室

 闇謝明相生  動靜悉寂默

 逮得無盡法  一切智明朗

 大仙コ淳厚  地為普震動

 宇宙悉清明  天龍神雲集

 空中奏天樂  以供養於法

 微風清涼起  無雲雨香雨

 妙華非時敷  甘果違節熟

 摩訶曼陀羅  種種天寶花

 從空而亂下  供養牟尼尊

第一義を究竟して、大仙人の室に入り、

闇は謝して明相生じ、動静悉く寂黙す。

無尽の法を逮得し、一切智は明朗にして、

大仙の徳淳厚たれば、地は為に普く震動す。

宇宙悉く清明にして、天と龍神雲集し、

空中に天の楽を奏し、以って法に供養す。

微風の清涼なる起りて、雲無きに香雨を雨ふらし、

妙華は時に非ざるに敷き、甘果は節を違えて熟す。

摩訶曼荼羅(まかまんだら)、種種の天の宝花は、

空より乱れ下りて、牟尼尊を供養せり。

菩薩は、

   ついに、

      第一義(真実)を極めつくして、

      仏と同列にならんだ。

   ついに、

      真実を覆いかくした闇が去り、明るみが生じた。

      動作も静止も、悉く寂黙(じゃくもく、煩悩を離れ五根を滅する)した。

      尽きることの無い法を得て、一切智が明朗になった。

大仙の、

   徳(衆生を救い導く力)が厚いので、

      地は震動して喜びを表し、宇宙は悉く清明になった。

      諸天龍神は雲の湧くように集まり、空中に天の音楽を奏でて法を供養した。

      清涼な微風が起り、雲が無いのに香の雨が降った。

      美しい花は時ならずして降り敷き、甘い果実も季節を違えて熟した。

      摩訶曼陀羅(まかまんだら、天の妙花)と種種の天の宝の花は、

         空より乱れ下って、牟尼尊を供養した。

 

  :第一義(だいいちぎ):真実。真如。平等。

  :究竟(くきょう):きわめる。

  :大仙人室(だいせんにんしつ):聖者の位。

  :寂黙(じゃくもく):煩悩を離れるを寂、五根を滅するを黙という。涅槃。

  :逮得(たいとく):追求して獲得する。

  :無尽法(むじんほう):無限の功徳ある法。

  :一切智(いっさいち):一切を知る智慧。

  :淳厚(じゅんこう):真心が厚い。

  :雲集(うんじゅう):雲のように集まる。

  :摩訶曼陀羅(まかまんだら):天の花の名。摩訶は大の意。

 異類諸眾生  各慈心相向

 恐怖悉消除  無諸恚慢心

 一切諸世間  皆同漏盡人

 諸天樂解脫  惡道暫安寧

 煩惱暫休息  智月漸摶セ

 甘蔗族仙人  諸有生天者

 見佛出興世  歡喜充滿身

 即於天宮殿  雨花以供養

 諸天神鬼龍  同聲嘆佛コ

 世人見供養  及聞讚嘆聲

 一切皆隨喜  踊躍不自勝

 唯有魔天王  心生大憂苦

異類の諸の衆生、各々慈心に相い向い、

恐怖は悉く消除して、諸の恚慢の心無く、

一切の諸の世間は、皆漏尽の人と同じうし、

諸天は解脱を楽しんで、悪道は暫く安寧たり、

煩悩は暫く休息して、智月は漸(ようや)く明かりを増す。

甘蔗族の仙人、諸有(もろもろ)の天に生じたる者、

仏出でて世に興れるを見、歓喜身に充満し、

即ち天の宮殿に於いて、花を雨ふらし以って供養せり。

諸の天神、鬼、龍は、声を同じうして仏の徳を嘆じ、

世人は供養を見、讃嘆の声を聞くに及びて、

一切は皆随喜し、踊躍して自ら勝(た)えず、

ただ魔天王の心に大憂苦を生ずること有るのみ。

      異類(鬼神畜生等)は、

         各々慈心を懐いて向いあい、

         恐怖は、悉く消え去り、

         怒りも驕りも、心に無くなった。

      一切の諸の世間は、

         皆悉く、漏尽(ろじん、煩悩の無い聖者)の人と同じになった。

      諸天は、

         愛欲から解脱することを楽しみ、

      悪道(地獄、餓鬼、畜生)は、

         にわかに安らかになった。

      煩悩は、

         にわかに静まり、

      智慧の月は、

         だんだん明るみを増した。

      甘蔗族の仙人も、

      諸の天に生れた者たちも、

         仏が世に出興したのを見て、

         歓喜が身体中に充満し、

         天の宮殿に於いて、

            花の雨を降らして供養した。

      諸の天神鬼神龍神たちも、

         声をそろえて仏の徳を嘆じた。

      世間の人は、

         これ等の、

            供養を見、

            嘆声を聞いて、

         皆、

            随喜(ずいき、他人の善を喜ぶ)し、

            踊り廻って、何かしないではいられなかった。

      ただ、

         魔天の王だけは、

            心に大憂苦を生じていた。

 

  :異類(いるい):衆生で人の形状を取らないもの。龍神鬼神畜生等。

  :恚慢(いまん):怒りとおごり。

  :漏尽(ろじん):無漏の聖者。煩悩の尽きた人。

  :安寧(あんねい):やすらか。

  :甘蔗族(かんしょぞく):釈迦族の尊称。

  :随喜(ずいき):見聞きした事を喜ぶ。

  :踊躍(ゆやく):躍り上がって喜ぶ。

  :憂苦(うく):憂えの苦しみ。

 佛於彼七日  禪思心清淨

 觀察菩提樹  瞪視目不瞬

 我依於此處  得遂宿心願

 安住無我法  佛眼觀眾生

 發上哀愍心  欲令得清淨

 貪恚癡邪見  飄流沒其心

 解脫甚深妙  何由能得宣

 捨離勤方便  安住於默然

 顧惟本誓願  復生說法心

 觀察諸眾生  煩惱孰摧

仏は彼(かしこ)に於いて七日、禅思して心清浄に、

菩提樹を観察し、瞪視して目瞬かず。

『われこの処に依りて、遂に宿心の願を得、

 無我の法に安住せるも、仏眼にて衆生を観れば、

 哀愍の心発ち上り、清浄を得しめんと欲す。

 貪恚癡と邪見とに、飄流してその心を没せるに、

 解脱は甚だ深く妙なれば、何に由りてかよく宣ぶることを得ん。

 方便に勤むるを捨離して、黙然たるに安住せんか、

 顧みて本の誓願を惟(おも)えば、また説法の心生ぜるも、

 諸の衆生を観察するに、煩悩孰(だれ)か増微せんや。』

仏は、

   彼の菩提樹の下で七日間、清浄な心で静かに考え、

   眼を見開いたまま瞬きもせず、菩提樹を観察しつづけた、――

  『わたしは、

      この菩提樹の下で、ついに宿願を得た。

      無我の法に安住しているが、

      仏眼(ぶつげん、慈悲の眼)で衆生を観れば、

      哀れみの心が湧き上がり、

         清浄な世界を得させたいと思う。

   衆生は、

      貪りと怒りと愚かさと邪見との中に、

      漂い流れてその心を没している。

   それからの、

      解脱は、甚だ深く微妙なことであるが、

      何を頼りに、教えればよいか?

   むしろ、

      手だてを尽さず、見捨てるべきか?

      黙然として、何もしないがよいか?

   顧みて、

      わたしの宿世の誓願を思えば、

      また、法を説きたいという心が湧き上がってくる。

   しかし、

      諸の衆生を観察して、

      煩悩が衰退する者など、誰かいただろうか?』

 

  :禅思(ぜんし):静かに思う。

  :瞪視(じょうし):目をみはって見つめる。

  :増微(ぞうび):増上と衰微。

 梵天知其念  法應請而轉

 普放梵光明  為度苦眾生

 來見牟尼尊  說法大人相

 妙義悉顯現  安住實智中

 離於留難過  無諸虛偽心

 恭敬心歡喜  合掌勸請言

 世間何福慶  遭遇大世尊

 一切眾生類  塵穢滓雜心

 或有重煩惱  或煩惱輕微

 世尊已免度  生死大苦海

 願當濟度彼  沈溺諸眾生

 如世間義士  得利與物同

 世尊得法利  唯應濟眾生

 凡人多自利  彼我兼利難

 唯願垂慈悲  為世難中難

 如是勸請已  奉辭還梵天

梵天、それを知りて念ずらく、『法はまさに請うて転ずべし。』と、

普く梵光明を放ちて、苦の衆生を度せんが為に、

来たりて牟尼尊を見れば、説法の大人相に、

妙義は悉く顕現し、実智の中に安住し、

留難の過を離れて、諸の虚偽の心無し。

恭敬心にて歓喜し、合掌し勧請して言わく、

『世間の何んが福慶なる、大世尊に遭遇せるとは。

 一切の衆生の類は、塵穢の滓(かす)を心に雑(まじ)え、

 或は重き煩悩有り、或は煩悩軽微なるあれど、

 世尊はすでに免れて、生死の大苦海を度(わた)りたまうれば、

 願わくはまさに彼の沈溺せる諸の衆生を済度したもうべし。

 世間の義士の、利を得れば物を与えるが如きに同じく、

 世尊は法利を得たまえば、ただまさに衆生を済(すく)いたもうべし。

 凡人は自利多く、彼我兼ねて利すること難し、

 ただ願わくは慈悲を垂れ、世の難中の難を為したまえ。』

かくの如く勧請しおわり、辞を奉げて梵天に還れり。

梵天は、

   仏の考えを知って、

   『法はどうしても転じてもらわなくてはならない。』と思い、

   浄らかな光明を放ちながら、

   苦の衆生を救うために来て、

   仏を見た、――

      明らかに、

         法を説くにふさわしい大人の相があり、

         その相の中に最高の真実が悉く現れている。

      仏は、

         実の智慧の中に安住し、

         法の障碍となるものはすでに無く、

         諸の虚偽(我想、常想、楽想、浄想)の心も無い。

梵天は、

   敬いの心が湧きおこり、

   歓喜の心が湧きあがった。

   合掌し、勧めて請うた、――

  『世間は、

      何ほどか幸運でしょう!

      大世尊に遭遇できるとは。

   一切の衆生の類は、

      塵土と滓穢(しわい、汚れ)とが、

         心の中に雑然としておりますので、

      或は、煩悩の重い者がおり、

      或は、煩悩の軽微な者がおります。

   世尊は、

      すでに免れて、

         生死の大苦海を渡られました。

   どうか、

      彼の大苦海に浮き沈みしながら溺れている、

      諸の衆生を救って渡らせてください。

      世間の義士が、

         利を得れば物を与えるように。

   世尊は、

      法の利をすでに得られたのですから、

      これからは衆生を救わなくてはなりません。

   凡人は、

      自ら利することが多くても、

      自他を兼ねて利することは難しいものです。

   どうか、

      世間に慈悲を垂れて、

      世の難中の難をはたしてください。』

このように、

   梵天は、

      勧めて請いおわると、

      謝辞を奉げて梵天に還った。

 

  :梵天(ぼんてん):色界の初禅天。この天は欲界の婬欲を離れ寂静清浄なるが故に梵天という。

  :梵光明(ぼんこうみょう):清浄なる光明。梵は清浄の意。

  :妙義(みょうぎ):素晴らしい道理。第一義。

  :顕現(けんげん):明らかに現れる。

  :実智(じっち):真実の智慧。

  :留難過(るなんか):法の障碍となる過失。

  :恭敬心(くぎょうしん):恭しく敬う心。

  :勧請(かんじょう):勧めて請う。

  :福慶(ふくぎょう):めでたい。

  :世尊(せそん):世の尊き者、仏の尊称。

 佛以梵天請  心ス嘉其誠

 長養大悲心  搗エ說法情

 念當行乞食  四王咸奉缽

 如來為法故  受四合成一

 時有商人行  善友天神告

 大仙牟尼尊  在彼山林中

 世間良福田  汝應往供養

 聞命大歡喜  奉施於初飯

仏は梵天の請うを以って、心悦びその誠を嘉して、

大悲心を長養し、その説法に情(まこと)を増して、

『まさに行きて乞食すべし。』と念ぜしに、四王はみな鉢を奉げ、

如来は法の為の故に四を受け、合して一と成せり。

時に有る商人の行きたるに、善友(ぜんぬ)天神の告ぐらく、

『大仙牟尼尊、彼の山林の中に在りて、

 世間の良き福田たり。汝まさに往きて供養すべし。』

命を聞いて大いに歓喜し、奉って初の飯を施す。

仏は、

   梵天の請いを聞いて悦び、

   梵天の誠(まごころ)を喜び、

   大悲心を起して、法を説くことを誓った、――

  『さあ、歩いて乞食しよう。』

四天王たちは、

   皆、乞食に用いる鉢を奉げた。

仏は、

   四つの鉢を受けると、合せて一つの鉢に変えた。

その時、

   ひとりの商人が歩いていた。

   善友(ぜんぬ)天神は、彼にこう教えた、――

     『大仙牟尼尊が、

         あの山林の中におられる。

      大変良い、

         世間の福田(ふくでん、福を種える田)であるから、

         はやく往って供養しなさい。』

   その商人は、

      この命令を聞くと、

      大いに歓喜して、

         仏に初めての飯を施した。

 

  :四王(しおう):四天王天の四王。

  :長養(ちょうよう):そだてやしなう。

  :福田(ふくでん):福を種える田。施しを受ける人。出家。

 食已顧思惟  誰應先聞法

 唯有阿羅藍  鬱頭羅摩子

 彼堪受正法  而今已命終

 次有五比丘  應聞初說法

 欲說寂滅法  如日光除冥

 行詣波羅奈  古仙人住處

 牛王目平視  安庠師子步

 為度眾生故  往詣迦尸城

 步步獸王顧  顧瞻菩提林

食しおわりて顧みて思惟すらく、『誰かまさに先に法を聞くべき。

 ただ阿羅藍(あららん)と、鬱頭羅摩子(うづらまし)と有るのみ。

 彼なれば正法を受くるに堪えんも、今はすでに命終れり。

 次ぎに五比丘有り、まさに初の説法を聞くべし。』と、

寂滅の法を説かんと欲して、日光の冥を除くが如く、

行きて波羅奈(はらな)の、古き仙人住処に詣(いた)らんと、

牛王の目にて平らに視、安庠に師子の歩みをし、

衆生を度せんが為の故に、往きて迦尸城に詣り、

歩歩に獣王は顧み、顧みて菩提林を瞻(み)る。

仏は、

   施された飯を食いおわると、

   過去を振り返って考えた、――

  『誰が、まっ先に法を聞くのがふさわしいか?

   ただ、

      阿羅藍(あららん、数論派の仙人)と

      鬱頭羅摩子(うづらまし、有名な仙人)とならば、

   この

      正法を聞くに堪えることができようが、

   今は、

      すでに命が終っている。

   その次は、

      五比丘がいたが、

      彼等に、

         初めての法を説いて聞かせよう。』

仏は、

   寂滅(じゃくめつ、煩悩と一切の相とを離れる)の法を説こうとした。

   まるで、日光が暗闇を除くかのように。

  『波羅奈(はらな、森の地名)の古い仙人の住処に行くことにしよう。』と、

   牛の王のような大きな慈悲に溢れた目で、偏らず平らに見つめて、

   師子王のようにゆったりと歩みながら、衆生を救い導くために、

   迦尸城(かしじょう、波羅奈を含む国の名)に往った。

一歩一歩、

   獣の王が住み慣れた森を懐かしむように、

   菩提を得た彼の林を顧みながら。

 

  :阿羅藍(あららん):阿羅藍鬱頭藍品第十二の阿羅藍と同じ。数論派の仙人。

  :鬱頭羅摩子(うづらまし):阿羅藍鬱頭藍品第十二の鬱頭藍と同じ。羅摩子は羅摩の子の意。

  :五比丘(ごびく):阿羅藍鬱頭藍品第十二の五比丘。菩薩が苦行を離れた時、菩薩を見捨てた。

  :寂滅(じゃくめつ):煩悩を離れ、一切の相を離れる。

  :波羅奈(はらな):現在のベナレス。

  :牛王(ごおう):牛の王。大きな牛。目が大きい。

  :安庠(あんじょう):安心しきる。

  :迦尸城(かしじょう):波羅奈の在った国。

  :菩提(ぼだい):覚者の道。仏道。

 

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