(瓶沙王詣太子品第十)

 

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佛所行讚卷第三(亦云佛本行經)

 馬鳴菩薩造

 北涼天竺三藏曇無讖譯

仏の所行の讃 巻の第三(また仏の本行経ともいう)

  馬鳴菩薩造り

  北涼の天竺三蔵 曇無讖訳す

   釈迦一代の本行(ほんぎょう、仏の所行)を説く。

 

 

 

 

瓶沙王、太子のもとに赴き、帰城を勧める

瓶沙王詣太子品第十

瓶沙王詣太子品(びんしゃおうげいたいしぼん)第十

 瓶沙王は、太子のもとに赴いて帰城を勧める。

 

  :瓶沙王(びんしゃおう):頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)、摩竭陀国(まがだこく)の王。王舎城に住し、仏教の大庇護者であったが、後に太子阿闍世(あじゃせ)に弑(しい)せられ王位を奪われる。

 太子辭王師  及正法大臣

 冒浪濟恒河  路由靈鷲巖

 藏根於五山  特秀峙中亭

 林木花果茂  流泉溫涼分

 入彼五山城  寂靜猶昇天

太子は王師および正法大臣を辞し、

浪を冒して恒河(ごうが)を済り、路を霊鷲(りょうじゅ)の巌にとる。

根を五山に蔵し、特に秀でて峙つ中に亭(とどま)れば、

林の木に花果茂り、流るる泉は温涼を分つ。

彼の五山城に入るに、寂静なることなお天に昇れるがごとし。

太子は、

   王師および大臣と別れてから、

      浪を冒(おか)して恒河(ごうが、ガンジズ河)を渡り、

      路を霊鷲山(りょうじゅせん)の岩山にとった。

霊鷲山は、

   山の根が王舎城をとり囲む五山に連なり、

   その中でも特に秀でて屹立している。

太子は、

   その山の

      頂に留まることにした。

林には、

    木に花と果実が茂り、

    冷泉と温泉が湧いている。

太子は、

   山を下りて、

      五山に囲まれた王城に入った。

   城内の、

      喧噪も気にならない。

   気持ちは、

      静まって、

      天に昇ったかのようだ。

 

  :冒(おか)す。

  :済(わた)る。

  :巌(いわお)。

  :蔵(かく)す。

  :峙(そばだ)つ。

  :恒河(ごうが):ガンジズ河。

  :亭(とどま)る。

  :霊鷲(りょうじゅ):霊鷲山(りょうじゅせん)、耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、王舎城近くの山。

  :五山(ごせん):王舎城を取囲む五つの山。

  :五山城(ごせんじょう):王舎城。

 國人見太子  容コ深且明

 少年身光澤  無比丈夫形

 悉起奇特想  如見自在幢

 行為止足  隨後者速馳

 先進悉迴顧  瞻目視無厭

 四體諸相好  隨見目不移

 恭敬來奉迎  合掌禮問訊

 咸皆大歡喜  隨宜而供養

国人太子を見るに、容徳(ようとく)は深くかつ明らかなり、

少年の身に光沢あり、無比の丈夫の形なれば、

悉く奇特の想を起し、自在幢(じざいどう)を見るが如し。

横に行くものは為に足を止め、後に随う者は速かに馳せ、

先に進むものは悉く迴りて顧み、瞻目して視るに厭くこと無し。

四体と諸の相好は、随い見るに目移らず、

恭敬し来たりて奉迎し、合掌して礼し問訊し、

咸く皆大いに歓喜し、宜しきに随いて供養せり。

城内の人々は、

   太子を見た、――

      容貌を見れば徳の有るのが分る、

         奥深いが、しかし明らかに現れているのだ。

      少年のように、

         身には光沢があり、

      それでいて、

         比べようもなく、立派な成人である。

城内の人々は、

   悉く、

      ずば抜けた人を見たと思った、

   自在天が、

      旗を持って現れたかのように、

   横を行く人は、

      足を止めて立ち止まり、

   後に随う人は、

      走って前に出ようとし、

   先を歩く人は、

      振り返って後を視る。

   皆、

      仰ぎ見て、飽きることがない。

太子の、

   四体と、

   諸の好ましい様子は、

      その一つに見入ると、

      他に目を移すことができない。

人々は、

   皆、

      恭しく出迎えて、

      合掌し、ねぎらって問い訊ね、

   皆、

      大いに歓喜して、

      供養の物を捧げた。

 

  :悉(ことごと)く。

  :咸(ことごと)く。

  :国人(こくにん):人民。

  :容徳(ようとく):容貌の徳。

  :丈夫の形:立派な男の姿。

  :奇特(きどく)の想い:珍しいものを見たという想い。

  :自在幢(じざいどう):自在天の幢(はた)。

  :瞻目(せんもく):見上げる。

  :相好(そうごう):好もしい容貌と様子。

  :恭敬(くぎょう):恭しく敬う。

  :奉迎(ぶぎょう):恭しく迎える。

  :問訊(もんじん):遠来の客をねぎらって問い訊ねる。

  :供養(くよう):飲食物を捧げる。

 瞻仰尊勝顏  俯愧種種形

 政素輕躁儀  寂默加肅敬

 結恨心永解  慈和情頓

 士女公私業  一時悉休廢

 敬形宗其コ  隨觀盡忘歸

 眉間白毫相  脩廣紺青目

 舉體金光曜  清淨網縵手

 雖為出家形  有應聖王相

 王舍城士女  長幼悉不安

 此人尚出家  我等何俗歡

尊勝の顔を瞻仰し、俯いて種種の形を愧(は)じ、

素(いま)の軽躁の儀を政(ただ)し、寂黙して粛敬を加うるに、

結恨の心は永く解け、慈和の情は頓(にわか)に増せり。

士女は公私の業を、一時に悉く休廃し、

形を敬いその徳を宗(たっと)び、観るに随い尽く帰るを忘る。

眉間なる白毫相、脩広なる紺青の目、

体を挙げて金光曜(かがや)き、清浄なる縵網の手、

出家の形を為すといえども、聖王に応(かな)う相有り。

王舎城の士女、長幼悉く安からず、

『この人すらなお出家せり、われ等何なる俗をか歓ばん』と。

人々は、

   尊くも勝れた顔を、仰ぎ見ると、

   俯いて、

      自らの容貌を恥じらった。

   普段の、

      軽々しく騒がしい様子もどこへやら、

      今は静かに黙って敬っている。

   ここに、

      恨みを結んだ心はすでに永遠に解け、

      慈愛と柔和の心がにわかに増した。

   男女ともに、

      公私の仕事の手を止め、

      肉体を敬い、徳を崇め、

      見守って、

         帰りを忘れた。

その肉体とは、

   眉間の白い毛は、巻いてうず高く、

   長く大きな眼には、紺青の色をたたえ、

   身体中からは、金色の光を放ち、

   清浄な手には、指の間に網があり、

   頭を剃って出家の形をしているが、

      聖なる王の様子がある。

王舎城の男女は、

   長幼皆、心が穏やかではいられなかった、――

  『このような人でさえ、出家して法を求めていられる。

   わたしなどが、

      俗の楽しみにふけっていて良いものだろうか?』と。

 

  :尊勝(そんしょう):尊く勝れた。

  :瞻仰(せんぎょう):仰ぎ見る。

  :素:普段。

  :軽躁(きょうそう):軽々しく騒がしい。

  :政:正す。

  :寂黙(じゃくもく):静かに黙る。

  :粛敬(しゅくきょう):敬って静粛にする。

  :結恨(けっこん):恨みを心に結ぶ。

  :永解(ようげ):永久に解ける。

  :慈和(じわ):慈愛と和解。

  :士女(しにょ):男女。

  :休廃(くはい):休止。

  :白毫相(びゃくごうそう):眉間にうず高く巻く一本の長く白い毛。仏の三十二相の一。

  :脩広(しゅうこう):長く広い。脩高紺青の目は三十二相の一。

  :金光(こんこう):身体から放たれる金光は三十二相の一。

  :縵網(まんもう):指の間にある網は三十二相の一。

  :聖王(しょうおう):伝説的な世界の王。

 爾時瓶沙王  處於高觀上

 見彼諸士女  惶惶異常儀

 敕召一外人  備問何因緣

 恭跪王樓下  具白所見聞

 昔聞釋氏種  殊特殊勝子

 神慧超世表  應王領八方

 今出家在此  眾人悉奉迎

その時瓶沙王、高観上に処して、

彼の諸の士女を見るに、惶惶として異常の儀あり、

勅して一外人を召し、備に問わく、『何の因縁なるか』と。

恭しく王の楼(たかどの)の下に跪き、具に見聞する所を白さく、

『昔聞く、釈子の種なる、殊特殊勝の子ありと。

 神慧は世表を超え、まさに王として八方を領すべきに、

 今出家してここに在れば、衆人悉く奉迎す。』と。

その時、

   瓶沙王は、

      高殿の上から観ていた、――

      城中の男女が、

         普段とは異なり、

         うろうろと落ち着かない。

      外の護衛を一人召すと、

         詳しく外の様子を問いただした、――

        『何が起っているのか?』と。

   外の護衛は、

      高殿の下に恭しく跪くと、

      王に、見聞した所を詳しくもうしあげた、――

     『昔このように聞きました、――

         釈子の種に、世にも勝れた子が生まれ、

         神のような智慧は、世間をはるかに超えていたと。

      王となって、

         八方を領すべきところを、

      今は、

         出家してここに居り、

      衆人は、

         悉く、これを敬い迎えているのです。』と。

 

  :高観(こうかん):高い楼閣。

  :惶惶(おうおう):うろうろして落ち着かない。

  :外人(げにん):王宮の庭に控える人。

  :備(つぶさ)に:詳しく。

  :具(つぶさ)に:詳しく。

  :白(もう)さく:こう申しあげた。

  :殊特(しゅどく):特別。

  :殊勝(しゅしょう):特別勝れる。

  :神慧(じんね):超人的な智慧。

  :世表(せひょう):世の模範。

  :衆人(しゅにん):人々。

 王聞心驚喜  形留神已馳

 敕使者速還  伺候進趣宜

 奉教密隨從  瞻察所施為

 澄靜端目視  庠步顯真儀

 入里行乞食  為諸乞士光

 歛形心不亂  好惡靡不安

 精麤隨所得  持缽歸閑林

 食訖漱清流  樂靜安白山

 青林別高崖  丹華殖其間

 孔雀等眾鳥  翻飛而亂鳴

 法服助鮮明  如日照扶桑

 使見安住彼  次第具上聞

王聞いて心に驚喜し、形留まるも神はすでに馳す、

使者に勅して速かに還らしめ、進趣の宜しきを伺候せしむれば、

教を奉じて密かに随従し、施為する所を瞻察すらく、

『澄静なる端目にて視、庠歩して真儀を顕し、

 里に入りて乞食を行じ、諸の乞士の光と為る。

 形を斂(おさ)めて心乱さず、好悪に安んぜざる靡(な)く、

 精麁は得る所に随い、鉢を持ちて閑林に帰る。

 食し訖らば清流に漱ぎ、静を楽しみて白山に安んず、

 青林は高崖を別ち、丹(あか)き華をその間に殖(う)え、

 孔雀等の衆鳥は、飜飛して乱れ鳴きたり。

 法服は鮮明を助け、日の扶桑を照らすが如し。』と。

使(し)は彼(かしこ)に安住するを見て、次第に具に上聞せり。

王は、

   聞いて、驚き喜んだ、

   肉体はここに留まっているが、

   心は、

      すでに走り出て、迎えようとしている。

   使者に、

      命じて、すぐに還らせ、

      行動の一一を探らせた。

使者は、

   密かに太子の後に随い、

   その行いを伺った、――

   『澄んで静かな美しい目で視、ゆったり歩んで勝れた人の立ち居振る舞い、

    里に下りて乞食を行ずるときは、多くの乞食人の手本になり、

    身なりは整い心は乱れず、施しの好悪にも心を動かさず、

    贅沢でも粗末でも得たままに、鉢を静かな林に持ち帰り、

    食いおわれば清流で口を漱ぎ、静かなることを楽しんで白山のふもとに安んじている。

    青い林には高い崖が切り立ち、赤い花が咲き乱れ、

    孔雀などの鳥たちが、飛び交って鳴き乱れている。

    法服を透かして鮮やかに明るい肌が見え、日が高い神木を照らすようだ。』

使者は、

   霊鷲山に安住する様子を見たままに、

   王に、一一順をおってもうし上げた。

 

  :進趣(しんしゅ):行動。

  :伺候(しこう):密かに探る。

  :随従(ずいじゅう):後をついて行く。

  :施為(せい):行為。

  :瞻察(せんさつ):密かに観察する。

  :澄静(ちょうじょう):澄んで静か。

  :端目(たんもく):端麗なる目。

  :庠歩(しょうぶ):ゆったりと安心して歩く。

  :真儀(しんぎ):自然な振る舞い。

  :乞士(こつし):乞食行をする修行者。

  :形を斂(おさ)む:態度を引き締める。

  :好悪(こうお):好きな食物と嫌いな食物。

  :精麁(しょうそ):贅沢な食物と粗末な食物。

  :鮮明(せんみょう):鮮やかに明るい、身の光のこと。

  :扶桑(ふそう):東海の架空の島に生える高木。

  :上聞(じょうもん):上に申しあげる。

 王聞心馳敬  即敕嚴駕行

 天冠佩花服  師子王遊步

 簡擇諸宿重  安靜審諦士

 導從百千眾  雲騰昇白山

 見菩薩嚴儀  寂靜諸情根

 端坐山巖室  如月麗青天

 妙色淨端嚴  猶若法化身

 虔心肅然發  恭步漸親近

 猶如天帝釋  詣摩醯首羅

 歛容執禮儀  敬問彼和安

王聞いて心に馳敬し、即ち勅して駕を厳(いまし)めて行く、

天冠に花服を佩(お)び、師子王は遊歩す。

諸の宿重を簡択せる、安静なる審諦の士の、

導従する百千衆は、雲の白山に騰昇するがごとし。

菩薩の厳儀を見るに、諸の情根を寂静して、

山巌の室に端坐すること、月の青天に麗しきが如く、

妙色は浄く端厳たりて、なお法の化身の若し。

虔心は粛然として発(おこ)り、恭しく歩んで漸く親近するは、

なお天帝釈の、摩醯首羅(まけいしゅら)に詣(もう)づるが如し。

容(かたち)を斂(おさ)めて礼儀を執り、彼の和安を敬問す。

王は、

   聞いて、心の中に走って出迎えたいと思った。

   すぐに、

      乗り物を用意させ、

      天冠と花服とを身に着け、

      獅子の威厳を顕して進んだ。

   多くの重臣の中から選んだ、

      十万人の物静かで明智ある若者が、

      王の前後を導き従っている、

      まるで、群がる雲が白山に昇っているかのように。

菩薩は、

   厳かであるようにに見えた。

      諸の情根は静まりかえり、

      山の岩屋の室に身をただして坐っている、

      まるで、満月が青天に美しく耀くように。

      美しい肌の色は浄く端正であり、厳かであった、

      まるで、法の化身でもあるかのように。

王は、

   謹み敬う心が静かに起り、

   恭しく歩いてようやく近づいた、

   まるで、

      帝釈天が自在天を訪問するかのように、

      身繕いをして礼儀ただしく、

      敬いをもってその身の安否を訊ねる。

 

  :馳敬(ちきょう):走り出て敬い迎える。

  :駕(が):天子の乗り物。

  :天冠(てんかん):天子の冠。

  :花服(かふく):天子の服。

  :師子王(ししおう):厳めしさを獅子の王に喩える。

  :遊歩(ゆぶ):ゆっくり歩く。

  :宿重(しゅくじゅう):旧来の重臣。

  :簡択(けんじゃく):選ぶ。

  :安静(あんじょう):物静か。

  :審諦(しんたい):明賢。

  :導従(どうじゅう):王の前後に導き従う。

  :百千衆(ひゃくせんしゅ):十万人。

  :騰昇(とうしょう):のぼる。

  :厳儀(ごんぎ):威厳ある様子。

  :寂静(じゃくじょう):静かな。

  :情根(じょうこん):眼耳等の感覚。

  :山巌(せんがん):いわや。

  :妙色(みょうしき):美しい顔容。

  :端厳(たんごん):端正にして威厳ある。

  :虔心(けんしん):謹み敬う心。

  :粛然(しゅくねん):静かに慎んで。

  :親近(しんごん):そばに近づく。

  :天帝釈(てんたいしゃく):帝釈天。

  :摩醯首羅(まけいしゅら):自在天。

  :敬問和安(きょうもんわあん):ご機嫌をうかがう。

 菩薩詳而動  隨順反相酬

 時王勞問畢  端坐清淨石

 瞪矚瞻神儀  顏和情交ス

 伏聞名高族  盛コ相承襲

 欽情久蘊積  今欲決所疑

 日光之元宗  祚隆已萬世

 令コ紹遺嗣  弘廣萃於今

 賢明年幼少  何故而出家

菩薩は詳(あきらか)に動じ、随順して反って相い酬(むく)ゆ。

時に王労(いたわ)りて問い畢り、清浄なる石に端坐し、

瞪矚して神儀を瞻(み)るに、顔は和み情交を悦ぶ。

『伏して聞けるに名高族は、盛徳を相い承襲すと。

 欽情久しく蘊積せり、今疑う所を決せんと欲す、

 日光の元宗、祚(くらい)隆(さかん)なること已に万世、

 徳をして遺嗣に紹(つ)がしめ、弘広(ひろ)く今に萃(あつま)る。

 賢明なれど年幼少にして、何の故にか出家せる。

菩薩は、

   優雅な身振りをして、

   礼儀正しく、挨拶を返した。

王は、

   労(ねぎら)いのことばをかけ終わると、

   清浄な石の上に身をただして坐り、

   神のように優雅な身振りをじっと見つめ、

   顔を和ませ情交を悦んで、こう言った、――

  『聞くところによれば、

      名高き一族は高徳を子孫に引き継ぐものであるとか。

   おれの心には、

      長い間に疑問が蓄積している。

   今、

      その疑を晴らしたい、――

         日光を、祖先としていらい、

         万世、天の恩恵に浴し、

         徳を、

            代々子孫に引き継いで、

            集めに集めて今や莫大である。

         おまえは、

            賢明ではあろうが、

            年はまだ幼少、

      何故、

         出家をしたのか?

 

  :詳而動:しとやかに動く。

  :随順(ずいじゅん):約束事に随う。

  :瞪矚(ちょうそく):じっと見つめる。

  :神儀(じんぎ):神のような様子。

  :情交(じょうこう):親しい交わり。

  :名高族(みょうこうぞく):高名な一族。

  :盛徳(じょうとく):盛んな徳。

  :承襲(じょうしゅう):受け継ぐ。

  :欽情(ごんじょう):天子の思い。ここでは瓶沙王の疑問。

  :蘊積(うんじゃく):蓄積。

  :元宗(がんしゅう):一族の本家。

 超世聖王子  乞食不存榮

 妙體應塗香  何故服袈裟

 手宜握天下  反以受薄餐

 若不代父王  受禪享其土

 吾今分半國  庶望少留情

 既免逼親嫌  時過隨所從

 當體我誠言  貪コ為良鄰

 超世の聖王子、乞食して栄に存らず。

 妙体はまさに香を塗るべきに、何の故にか袈裟を服(つ)け、

 手には宜しく天下を握るべきに、反って以って薄き餐(じき)を受くる。

 もし父王に代わりて、禅を受けその土を享(う)けずんば、

 われ今半国を分たん、庶望(こいねが)わくは少しく情を留めよ。

 既に親謙を免逼せば、時過ぎて従う所に随わん、

 まさにわが誠言を体すべし、徳を貪りて良き隣と為せ。

   世にも勝れた、

      聖王子は、

         乞食を行じて栄華を楽しまず、

         美しい身体に香を塗るべきを、

      何故、

         袈裟(けさ、粗末な法服)を身に着けているのか?

      手には、

         天下を握るのがふさわしいのに、

      何故、

         粗末な食い物を乞うている?

   もし、

      父王が、国を譲ってくれぬというならば、

   おれは、

      お前に、国の半分を分け与えよう!

   どうか、

      考えてみてはくれぬか?

   親しいものに、近づき、

   嫌いなものには、近づかない。

   このようにして、

      やがて時とともに、

      落着くところに落着こう。

   このような、

      おれの誠実なことばを、

      聞いてはくれぬか?

   今は、

      恩恵を貪って、

      おれの良き隣人となってくれ!

 

  :超世(ちょうせい):世間を超越した。

  :袈裟(けさ):法服。

  :受禅(じゅぜん):位を引き継ぐ。

  :免逼(めんひつ):ゆるすと逼ると。

  :親謙(しんけん):親しいと嫌いと。

  :誠言(じょうごん):真心からのことば。

 或恃名勝族  才コ容貌兼

 不欲降高節  屈下受人恩

 當給勇健士  器仗隨軍資

 自力廣收羅  天下孰不推

 明人知時取  法財五欲

 若不獲三利  終始徒勞勤

 崇法捨財色  財為一分人

 富財捨法欲  此則保財資

 貧窶而忘法  五欲孰能歡

 是故三事俱  コ流而道宣

 法財五欲備  名世大丈夫

 或は名勝族の、才徳と容貌を兼ねたるに恃め。

 高節を降して、屈下して人の恩を受くるを欲せずんば、

 まさに勇健の士と器仗と随軍の資を給すべし、

 自力にて広く収羅せば、天下に孰(だれ)か推さざらん。

 明人、時を知りて取れば、法と財と五欲増すべし、

 もし三利を獲ざれば、終始徒労に勤めん、

 法を崇め財色を捨つれば、財は一分の人為らん、

 財に富みて法と欲とを捨つれば、これ則ち財資を保たん、

 貧窶して法を忘るれば、五欲を孰かよく歓ばん。

 この故に三事倶なれば、徳流れて道宣ぶ、

 法と財と五欲備うれば、世の大丈夫と名づくるなり。

   もし、

      それでよければ、

         名高き一族である、

         才能と容貌とを兼ねた、

         お前自身の力にたのめ!

      高節を、

         屈してまで、

         人の恩を受けることはない!

   その時には、

      おれはお前に、

         勇敢な戦士と、

         武器と資金とを提供しよう。

   自力で、

      天下を治めてみてはどうか?

   誰が、

      お前に反対できようか?

   賢い人は、

      取る時を知っているので、

      法(修法)も財(財産)も欲(色欲)も増える。

   もし、

      三つの利益を、ともに得られなければ、

      努力しても一生が徒労になるだろう。

   もし、

      法を崇めて、財と欲とを捨てるなら、

      財に関していえば、一分の人でしかない。

   もし、

      財を富ませても、法と欲とを捨てるなら、

      これは、財産を保つというのみである。

   もし、

      貧窮して、法を忘れるならば、

      誰が、欲を楽しめようか?

   この故に、

      三事が、ともに具われば、

      天の恩恵は流れ来たって、

      道は自然に開かれよう。

   法と財と欲を兼ね備えて、

      初めて世間に大丈夫(立派な男)と言われるのだ。

 

  :屈下(くつげ):膝を屈する。

  :勇健(ゆごん):勇敢。

  :器仗(きじょう):武器。

  :収羅(しゅうら):征服。

  :貧窶(びんる):貧窮。

 無令圓相身  徒勞而無功

 曼陀轉輪王  王領四天下

 帝釋分半坐  力不能王天

 今汝傭長臂  足攬人天境

 我不恃王力  而欲強相留

 見汝改形好  愛著出家衣

 既以敬其コ  矜苦惜其人

 今見行乞求  我願奉其土

 円相の身をして、徒労と無功と無からしめよ。

 曼陀(まんだ)転輪王は、王領を四天下とし、

 帝釈も半坐を分てど、力は天の王たること能わざりき、

 今汝が傭長の臂と、足とにて人天の境を攬(と)れ。

 われは王力を恃まざれど、強いて相い留めんと欲するは、

 汝が形の好きを改め、出家の衣に愛著するを見ればなり。

 既にその徳を敬えるを以って、矜苦してその人を惜む、

 今行乞して求むるを見るに、わが願わくはその土を奉らん。

   大きくてたくましい両肩は、

      何のために有る?

      弓を挽くためではないのか?

      無駄にして、功績が無くてもよいのか?

   曼陀転輪王(まんだてんりんのう、伝説上の聖王)は、

      王として四天下(してんげ、須弥山を囲む四つの世界)を領していたし、

      帝釈天が自らの床几でいっしょに並んで坐るほどであったが、

      力で天の王となることはできなかった。

   今お前は、

      長く真っ直ぐな腕と足で、

      人間世界を天上に接するきわまで領せよ!

   おれは、

      お前に、

         王として命じようとは思わないが、

         強いて留めようとしているのは、

      お前が、

         好もしい様子を改めて、

         出家の衣に愛著しているからである。

   おれは、

      お前を見て、

      その徳を敬い、

      その人となりを惜む。

   おれは、

      今、お前が乞食を行じているのを見た。

      ただ願う、どうかおれの国を受け取ってくれ!

 

  :円相(えんそう):肩円満相(けんえんまんそう)、両肩がたくましい。仏の三十二相の一。

  :曼陀転輪王(まんだてんりんのう):伝説上の王。

  :四天下(してんげ):須弥山の東西南北に存する四つの大洲、この世界(閻浮提)は南の大洲である。

  :傭長(ようちょう):真直ぐで長い。

  :矜苦(きょうく):惜んで苦しむ。

  :行乞(ぎょうこつ):乞食を行う。

 少壯受五欲  中年習用財

 年耆諸根熟  是乃順法時

 壯年守法財  必為欲所壞

 老則氣虛微  隨順求寂默

 耆年愧財欲  行法舉世宗

 壯年心輕躁  馳騁五欲境

 疇侶契纏綿  情交相感深

 少壮にて五欲を受け、中年には習って財を用い、

 年耆(お)いて諸根熟せば、これ乃ち順法の時なり。

 壮年に法と財とを守らば、必ず欲に壊せられん、

 老ゆれば則ち気虚にして微かなり、随順して寂黙を求む。

 耆年にて財と欲とを愧(は)じ、法を行ずるは世を挙げて宗たり、

 壮年は心軽躁し、五欲の境に馳騁し、

 疇侶の契りは纏綿とし、情交は相い感じて深し。

   人は、

      壮年の時は、欲に随い、

      中年の時は、財を用いることに慣れ、

      老年になれば、

         人間として熟すので、

         いよいよ法を求める時である。

   壮年の時に、

      法と財とを守るようでは、

      必ず、欲に敗れる。

   老年の時こそが、

      気力が微かになるので、

      静かな生活がふさわしい。

   老人が、

      財と欲とを求めることは、世間に恥ずかしく、

      法を修行することこそが、世間に敬われる。

   壮年は、

      心が軽々しくて落ち着かず、

      欲を求めて走り回り、

      伴侶との契りは心にまつわり、

      情交には深いものがある。

 

  :耆年(ぎねん):老人。

  :軽躁(きょうそう):軽々しく騒がしい。

  :馳騁(ちちょう):走り回る。

  :疇侶(ちゅうりょ):伴侶。

  :纏綿(てんめん):心に深くまつわりつく。

 年宿寡綢繆  順法者所宗

 五欲悉休廢  搨キ樂法心

 具崇王者法  大會奉天神

 當乘神龍背  受樂上昇天

 先勝諸聖王  嚴身寶瓔珞

 祠祀設大會  終歸受天福

 如是瓶沙王  種種方便說

 太子志堅固  不動如須彌

 年宿(ふ)れば綢繆寡(すくな)く、順法の者は宗(たっと)ばる、

 五欲は悉く休廃して、楽法の心を増長す。

 具に王者の法を崇め、大会には天神を奉じ、

 まさに神龍の背に乗って、楽を受け天に上昇(のぼ)るべし。

 先勝の諸の聖王は、身に宝の瓔珞を厳(かざ)り、

 祠祀して大会を設け、終に天の福を受くるに帰せり。』

かくの如く瓶沙王、種種に方便して説けるも、

太子が志は堅固にして、動かざること須弥の如きなり。

   年寄りは、

      束縛が少なく、

      法を修行する者は敬われ、

      欲を感じることもなく、

      法を楽しむ心のみが増長する。

   お前は、

      王者として法を崇めよ!

      大会(だいえ、大祭事)を設けて天神に奉れ!

   やがて、

      龍神の背に乗って天上に昇り楽しむことができよう。

   先の、

      勝れた聖王たちは、

         瓔珞で身を飾り、

         大会を設けて天神を祀(まつ)り、

      やがて、

         天に生れる福を受けているのだ。』と。

このように、

   瓶沙王は、

      種種の方便を説いたが、

   太子の、

      志は堅固であり、動くことはなかった、

      まるで、須弥山のように。

 

  :綢繆(ちゅうびゅう):束縛。

  :楽法(ぎょうほう):法を願い楽しむ。

  :王者の法:天神に犠牲を捧げること。

  :祠祀(しし):神を祀る。

 

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