(推求太子品第九)

 

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王師と大臣は太子を探し求める

推求太子品第九

推求太子(すいぐたいし)品第九

宮廷僧と大臣とは太子を探し求める。

 王正以憂悲  感切師大臣

 如鞭策良馬  馳駛若迅流

 身疲不辭勞  逕詣苦行林

 捨俗五儀飾  善攝諸情根

 入梵志精廬  敬禮彼諸仙

王は憂悲を以って師と大臣とに感じ切(せま)れば、

良馬を鞭策するが如くして、馳駛(ちし)して迅流(じんる)の若く、

身疲るるも労を辞せずして、逕(ただち)に苦行林に詣(いた)り、

俗なる五儀の飾りを捨てて、善く諸の情根を摂(おさ)め、

梵志の精廬(しょうろ)に入りて、敬って彼の諸仙に礼す。

王は、

   憂いと悲しみとで、

   王師と大臣とを切に感じさせた。

王師と大臣とは、

   良馬が鞭で打たれたように、すぐさま城を飛び出し、

   川の流れが止まらないように、ひたすら馬を走らせた。

   身が疲れるのもいとわず、まっすぐ苦行林に着くと、

   俗人の五つの飾り、瓔珞(ようらく、首飾り)、両の腕環、両の足環を捨て、

   慎ましくよそおって梵志の庵に入り、

   恭しくそこの仙人たちに礼をした。

 

  :情根(じょうこん):眼耳鼻舌身の五根、五根はよく情識を生ずる故に五情という。

  :精廬(しょうろ):仙人の住む庵。

 諸仙請就座  說法安慰之

 即白仙人言  意有所諮問

 淨稱淨飲王  甘蔗名勝胄

 我等為師臣  法教典要事

 王如天帝釋  子如闍延多

 為度老病死  出家或投此

 我等為彼來  惟尊應當知

 答言有此人  長臂大人相

 擇我等所行  隨順生死法

 往詣阿羅藍  以求勝解脫

諸仙は請うて座に就かしめ、法を説いてこれを安慰(あんに)するに、

即ち仙人に白(もう)して言(もう)さく、『意に諮問する所有り、

浄く浄飯王と称するは、甘蔗の勝れたる胄(ちすじ)と名づくるなり。

われ等は師と臣と為りて、法と経典とを要事とし、

王は天帝釈の如く、子は闍延多(じゃえんた、帝釈の子)の如し。

老病死を度せんが為に、出家して或はここに投ぜり。

われ等は彼の為に来たり、惟(この)尊きをばまさに知るべし。』

答えて言わく、『この人有り、長き臂なる大人の相あり、

われ等が行ずる所は生死に随順する法なりと択び、

往きて阿羅藍(あららん)に詣で、以って勝れたる解脱を求む。』

仙人たちは、

   座に就くようにすすめ、

   めでたいことばで二人を喜ばせた。

二人は、仙人たちにこう言った、――

  『お訊ねしたいことがあります。

   浄く浄飯王(じょうぼんおう)と名を世間に称えられる、甘蔗の苗裔に、

   わたくし共は師と臣として、法律と経典とをもって事(つか)えております。

   帝釈天のような王の闍延多(じゃえんた、帝釈の子)のような子が、

      老病死を度(わた)り超えようとして出家されましたが、

      或はここに身を投じられたのではないかと思われます。

   わたくし共は、

      この尊い方の為にここに来たとお知りおきください。』

答えて言う、――

  『その人は、

      ここに居られました。

      腕が長くて大人(だいにん、仏)の相があります。

      わたくし共の法は『生死を乗り越えられない法』であると申されて、ここをお捨てになり、

      阿羅藍(あららん)の所に行かれて、更に勝れた解脱を求めておられます。』

 

  :胄(ちゅう、ちすじ)と冑(ちゅう、かぶと)とは別字。

  :天帝釈(てんたいしゃく):帝釈天、欲界六天中の第二、忉利天(とうりてん)の主。

  :闍延多(じゃえんた):帝釈天の子。

  :生死に随順する:生死を乗り越えられない。

  :阿羅藍(あららん):仙人。

 

 

 

 

王師が太子に王の勅を伝える

 既得定實已  遵崇王速命

 不敢計疲勞  尋路而馳進

 見太子處林  悉捨俗儀飾

 真體猶光耀  如日出烏雲

 國奉天神師  執正法大臣

 捨除俗威儀  下乘而步進

 猶王婆摩疊  仙人婆私吒

 往詣山林中  見王子羅摩

 各隨其本儀  恭敬禮問訊

 猶如儵迦羅  及與央耆羅

 盡心加恭敬  奉事天帝釋

既に定実を得おわりて、王の速命を遵崇(じゅんすう)し、

敢て疲労を計らず、路を尋ねて馳せ進み、

太子の林に処せるを見るに、悉く俗儀の飾りを捨つるも、

真の体はなお光り耀き、日の烏雲(ううん)を出づるが如し。

国の天神を奉ずる師と、正法を執る大臣とは、

俗の威儀を捨て除き、下乗して歩みて進めること、

なお王の婆摩畳(ばまじょう)と仙人の婆私咤(ばした)と、

往きて山林中に詣(いた)り、王子羅摩(らま)を見しが如し。

各々、その本儀に随い、恭敬し礼して問訊(もんじん)せること、

なお儵迦羅(しゅくから)と、および央耆羅(おうぎら)と、

心を尽して恭敬を加え、天帝釈に奉事するが如し。

太子の行方が得られたので、

二人は、

   王の速かなる命令に従って、

   疲労のことも考えず、

   路を尋ねて邁進し、

   やがて、

      林の中に太子を見ることができた。

太子は、

   飾りを何も身に着けていなかったが、

   体が光耀き、日が黒雲から出たようであった。

国で、

   天神を奉じる王師と、

   法律をつかさどる大臣とは、

      俗の飾りを捨てて馬を下りて進む。

まるで、

   神話の中で、

      大臣婆摩畳(ばまじょう)と、

      国師婆私咤(ばした)とが、

         山林の中で探し求めていた羅摩(らま)王子を見つけたかのように。

二人は、

   国でするように、

   恭しく礼をして問い訊ねた、――

     『ご機嫌うるわしうございますか?

      お身体の方はいかがでございましょう?

      ご病気なされていたのではございませんか?

      衣食住にご不自由はございませんか?

      おつらいことはございませんか?』と。

まるで、

   神話の中で、

      聖人の儵迦羅(しゅくから)と央耆羅(おうぎら)とが、

      帝釈天に事えるかのように。

 

  :定実(じょうじつ):確かな事実。

  :遵崇(じゅんすう):あがめてしたがう。

  :烏雲(ううん):黒い雲。

  :婆摩畳(ばまじょう):神話、十車王の大臣。

  :婆私咤(ばした):十車王の国師。

  :羅摩(らま):十車王の王子。『分舎利品第二十八』の注参照

  :問訊(もんじん):問い訊ねて挨拶する。

  :儵迦羅(しゅくから)、央耆羅(おうぎら):神話上の聖人。

 王子亦隨敬  王師及大臣

 如帝釋安慰  儵迦央耆羅

 即命彼二人  坐於王子前

 如富那婆藪  兩星侍月傍

王子もまた随って、王師および大臣を敬うこと、

帝釈の、儵迦と央耆羅とを安慰するが如く、

即ち彼の二人に命じて、王子の前に坐せしむること、

富那婆数(ふなばす)の両星の月の傍らに侍るが如し。

王子も、

   また王師と大臣とに礼を返した。

   帝釈天が儵迦羅と央耆羅を安心させたように。

そして、

   二人に命じて、前に坐らせる。

   双子座の両星が月の傍らに侍るかのように。

 

  :富那婆数(ふなばす):星座の双子座。

 王師及大臣  請於王子

 如毘利波低  語彼闍延多

 父王念太子  如利刺貫心

 荒迷發狂亂  臥於塵土中

 日夜摧゚思  流淚常如雨

 敕我有所命  唯願留心聽

 知汝樂法情  決定無所疑

 非時入林藪  悲戀嬈我心

 汝若念法者  應當哀愍我

王師および大臣の、啓(もう)して王子に請うこと、

毘利波低(びりはてい)の、彼の闍延多(じゃえんた)に語るが如し。

『父王は太子を念うこと、利刺(りし)にて心を貫くが如し。

 荒迷し狂乱を発(おこ)して、塵土の中に臥し、

 日夜に悲しみ思いを増して、涙を流すこと常に雨の如し。

 われに勅して命ずる所有り、ただ願わくは心を留めて聴きたまえ。

 『汝が法を楽しむの情を知り、決定して疑う所無けれど、

  非時に林藪(りんそう)に入りたるに、悲恋わが心を嬈(なやま)せり。

  汝もし法を念わば、まさにわれを哀愍(あいみん)すべし。

王師と大臣とは、

   智慧と雄弁の神毘利波低(びりはてい)が闍延多に語りかけるかのように、

   王子に帰還を請うた、――

  『父王は、

      太子をお思いになり、

      利い刺で心臓を貫かれたかのように、

         お苦しみでございます。

      迷い乱れて荒れ狂い、

      塵土の中に臥せって日夜に悲しみをつのらせ、

      涙を雨のように流してわたくし共にこう命ぜられました、

      どうか一心にお聞きください、――

     『お前が生死を渡り超える法を探し求めていることは、

      わたしもよく知っていて、そこに疑は無い。

      しかし林や藪に入るには、

      それにふさわしい時がある。

      悲しみはわたしの心をかき乱し、

      恋いこがれているのがお前には分らないのか。

      もしお前が道理にかなう法を求めているのならば、

      わたしを哀れむのがその法であるぞ。

 

  :毘利波低(びりはてい):木星、智慧と雄弁の神。

  :闍延多(じゃえんた):帝釈天の子。

 望ェ遠遊情  以慰我懸心

 勿令憂悲水  崩壞我心岸

 如雲水草山  風日火雹災

 憂悲為四患  飄乾燒壞心

 且還食土邑  時至更遊仙

 不顧於親戚  父母亦棄捐

 此豈名慈悲  覆護一切耶

  望寛(ぼうかん)遠遊(おんゆ)の情は、以ってわが懸心を慰む、

  憂悲の水をして、わが心の岸を崩壊せしむること勿れ。

  雲水草山に風日火雹の災のあるが如く、

  憂悲は四患と為り、心を飄し、乾かし、焼き、壊(やぶ)る、

  且(しばら)く還りて土邑(どゆう)に食し、時至らば更に仙に遊べ。

  親戚を顧みず、父母もまた棄捐(きえん)する、

  これあに慈悲にて、一切を覆護(ふご)すると名づくるや。

      広く世界を見るために、

      遠くに行きたいというのであれば、

         わたしの心は慰められる。

      憂いと悲しみの水で、

         わたしの心の岸を崩壊させてくれるな。

      憂いと悲しみとは、

         わたしの心を、

            雲を追いやる風のように、漂わせ、

            水を干す日のように、乾かし、

            草を枯らす雹のように、打ち砕き、

            山を崩す地震のように、崩壊させる。

      しばらく、

         故郷の都に帰ってこい。

      そのうち、

         時がくれば仙人の暮しにもどればよいではないか。

      親戚を顧みず、

      父母さえも捨て去るのであれば、

      これを、

         どうして慈悲で一切を覆い護ると言えるのか?

 法不必山林  在家亦脩閑

 覺悟勤方便  是則名出家

 剃髮服染衣  自放山藪間

 此則懷畏怖  何足名學仙

 願得一抱汝  以水雨其頂

 冠汝以天冠  置於傘蓋下

 矚目一觀汝  然後我出家

  法は必ずしも山林にあらず、在家にてもまた脩(なが)き閑あり、

  覚悟して勤めて方便する、これ則ち出家と名づく。

  髪を剃り染衣を服して、自らを山藪(せんそう)の間に放つ、

  これ則ち畏怖を懐かん、何んが仙を学ぶと名づくるに足らんや。

  願わくは一たび汝を抱くことを得て、水を以ってその頂に雨ふらし、

  汝に冠するに天冠を以ってし、傘蓋(さんがい)の下に置き、

  矚目(しょくもく)して一たび汝を観、然る後にわれが出家せん。

      求める法は、

         必ずしも山林にあるのではないぞ。

         家に在っても長い閑(ひま)があるではないか。

      出家とは、

         覚悟(かくご、道理を悟る)と、

         勤求(ごんぐ、善法を求める)と、

         方便(ほうべん、善業を行う)とをいう。

      髪を剃って染衣(せんね、法服)を身に着け、

         自らを山や藪に放つ。

      これは、

         畏れを懐いているのだ。

      どうして

         仙人の術を学ぶと言えようか?

      どうか、

         もう一度、お前を抱かせてくれ。

         お前の頭に、

            水を注いで

            天子の冠をかぶせ、

         お前を、

            傘蓋(かさ)の下の位に就けたならば、

         位を紹(つ)いだお前の姿を、

            一たび、しっかりと目に焼き付けて、

         そして、

            その後に、おれが替って出家しよう。

 頭留摩先王 

 阿[/]闍阿涉

 跋闍羅婆休  毘跋羅安提

 毘提訶闍那  那羅濕波羅

 如是等諸王  悉皆著天冠

 瓔珞以嚴容  手足貫珠環

 婇女眾娛樂  不違解脫因

 汝今可還家  崇習於二事

 心修搶纐@  為地搶緕

 垂淚約敕我  令宣如是言

  頭留摩(づるま)先王、阿[/]闍阿渉(あぬじゃあしょう)、

  跋闍羅婆休(ばじゃらばく)、毘跋羅安提(びばらあんだい)、

  毘提訶闍那(びだいかじゃな)、那羅湿波羅(ならしはら)、

  かくの如き等の諸王も、悉く皆天冠を著け、

  瓔珞を以って厳容(ごんよう)し、手足を珠の環に貫き、

  婇女衆と娯楽したれど、解脱の因を違わざりき。

  汝は今家に還り、崇めて二事を習うべし、

  心に増上の法を修め、地にては増上の主為(た)れ。』と、

 涙を垂らしてわれに約勅(やくちょく)し、かくの如き言を宣べしむ。

         神話の中の、

            頭楼摩(づるま)や阿[/]闍阿渉(あぬじゃあしょう)、

            跋闍羅婆休(ばじゃらばく)や毘跋羅安提(びばらあんだい)、

            毘提訶闍那(びだいかじゃな)や那羅湿波羅(ならしはら)等の王たちも、

         皆悉く、

            天子の冠を着け、

            首にかけた瓔珞(ようらく、垂れ飾り)で身を飾り、

            手足を珠の環で貫いて、

            女官たちと娯楽していたが、

         誰一人、

            解脱の因縁を損なったりはしなかった。

         お前は、

            今家に還って、

            二事を修行するのがよかろう。

            心では、勝れた法を修め、

            地上にては、勝れた王と為るのだ。』と、

   父王は、

      涙を垂らしてこのようにおおされ、

      このように宣べられました。

 

  :頭留摩(づるま)、阿[/]闍阿渉(あぬじゃあしょう)、跋闍羅婆休(ばじゃらばく)、毘跋羅安提(びばらあんだい)、毘提訶闍那(びだいかじゃな)、那羅湿波羅(ならしはら):神話上の人物?

  :約勅(やくちょく):簡潔な命令。

 既有此敕旨  汝應奉教還

 父王因汝故  沒溺憂悲海

 無救無所依  無由自開釋

 汝當為船師  渡著安隱處

 毘林摩王子  二羅彌跋祗

 聞父敕恭命  汝今亦應然

 すでにこの勅旨有れば、汝はまさに教えを奉じて還るべし。

 父王は汝に因るが故に、憂悲の海に没溺(もつでき)して、

 救い無く依る所無く、自ら開釈(かいしゃく)するに由無し。

 汝はまさに船師と為りて、安穏の処に渡し著(お)くべし。

 毘林摩(びりんま)王子と、二羅彌跋祗(らみばてい)も、

 父の勅を聞き命を恭しうせり、汝も今はまたまさに然るべし。

   このようなご命令でございますので、

      ぜひ命ぜられたままにお還りください。

   父王は、

      あなたのせいで、

      憂いと悲しみの海に溺れ、

      救う者も頼る者も無く、

      自らの力で、

         心を晴らすことがおできになりません。

   あなたは、

      船頭となって、

      父王を、

         安穏な処に、

         お連れもうさなくてはなりません。

   神話の中で、

      毘林摩(びりんま)王子と二人の羅摩王子がしたように、

   あなたも、

      父王の命令を、

      恭しくお聞き入れください。

 

  :開釈(かいしゃく):解放。

  :毘林摩(びりんま):神話上の人物。

  :二羅彌跋祗(らみばてい):二人の羅摩、神話上の人物。

 慈母鞠養恩  盡壽報罔極

 如牛失其犢  悲呼忘眠食

 汝今應速還  以救我生命

 孤鳥離群哀  龍象獨遊苦

 憑依者失蔭  當思為救護

 一子孩幼孤  遭苦莫知告

 勉彼煢煢苦  如人救月蝕

 舉國諸士女  別離苦熾然

 歎息煙衝天  熏慧眼令闇

 唯求見汝水  滅火目開明

 慈母の鞠養(きくよう)の恩は、寿を尽して報ずるに極まり罔(な)く、

 牛のその犢(こうし)を失えるに、悲しく呼びて眠食を忘るるが如く、

 『汝は今まさに速かに還りて、以ってわが生命を救うべし。』とあり。

 孤鳥群れを離れば悲しみ、龍象も独り遊ばば苦しむ、

 憑依(ひょうえ)の者の蔭を失うをば、まさに救護為らんと思うべし。

 一子の孩幼にして孤なる、苦に遭えど告ぐることを知る莫し、

 彼の煢煢(けいけい)の苦を免ずるは、人の月蝕を救えるが如し。

 国を挙げて諸の士女は、別離の苦熾然(しねん)にして

 歎息の煙は天を衝(つ)き、慧眼を薫じて闇ならしむるに、

 ただ汝が水の火を滅して、目を開明せしめられんと求むのみ。』

   継母の養育の恩は、一生かけて報いても極めきれません、

   母牛は仔牛を失うと、悲しく呼び続けて眠ることも食うことも忘れます。

   父王は、『お前は今速かに還って、わたしの命を救ってくれ。』と仰せられました、

   鳥でさえ群を離れれば悲しみます、龍も象も独りで遊ぶことを恐れるのです。

   頼む夫の庇護を失った者は、救い護ってやろうと思わなくてはなりません。

   一人の幼い子供がただひとり、苦に遭っても人に教えることができません、

   彼のひとりぼっちの苦しみをお救いください、人が月を月蝕から救ったように。

   国を挙げて男も女も、別離の苦しみが燃えさかっています、

   ため息の煙は天を衝き、智慧の眼をいぶして闇の中にいるようです、

   ただあなたの水で火を消して、目を開けられるようにしてください。』

 

  :鞠養(きくよう):養育。

  :罔極(もうごく):無極。

  :憑依(ひょうえ):頼りにする。

  :孩幼(がいよう):幼児。

  :勉は免に改める。

  :煢煢(けいけい):孤独。

  :月蝕:仏の実子羅睺羅(らごら)は満月を食う悪魔と同じ名。

  :熾然(しねん):盛ん。

 

 

 

 

太子、宮に居りては解脱し難きことを説く

 菩薩聞父王  切教苦備至

 端坐正思惟  隨宜遜順答

 我亦知父王  慈念心過厚

 畏生老病死  故違罔極恩

 誰不重所生  以終別離故

 正使生相守  死至莫能留

 是故知所重  長辭而出家

菩薩は父王の切に『苦は備(つぶさ)に至れり』と教うるを聞き、

端坐し正思惟し、宜しきに随うて遜順(そんじゅん)して答うらく、

『われもまた父王の、慈念と心の過厚(かこう)なるを知るも、

 生老病死を畏れ、故に極まり罔(な)き恩にも違えり。

 誰か所生(しょしょう)を重んぜざる、終に別離するを以っての故に、

 正使(たとい)生きて相い守るとも、死至ればよく留むるもの莫く、

 この故に重んずる所を知り、長く辞して出家せるなり。

菩薩は、

   父王が、切に『苦がことごとくやって来た』と教えるのを聞き、

   姿勢を正して道理にそって考えた。

やがて、

   道理に逆らわず偉ぶらずに答えた、――

  『わたしも父王の慈しみが、

   極めて厚いことを知っている、

   生老病死の苦を畏れるが故に、

   極まりない恩にも違うのだ。

   誰が親を重んじないだろう?

   しかし別離は逃れられず、

   たとえ生きて守ったとしても、

   死ぬときには引き留めることはできない。

   この故に重んじなくてはならないことを知り、

   永の別れをして出家したのだ。

 

  :遜順(そんじゅん):従順。

  :過厚(かこう):極めて厚い。

  :所生(しょしょう):生みの親。

 聞父王憂悲  撩切我心

 但如夢暫會  倏忽歸無常

 汝當決定知  眾生性不同

 憂苦之所生  不必子與親

 所以生離苦  皆從癡惑生

 如人隨路行  中道暫相逢

 須臾各分析  乖理本自然

 合會暫成親  隨緣理自分

 深達親假合  不應生憂悲

 此世違親愛  他世更求親

 暫親復乖離  處處無非親

 常合而常散  散散何足哀

 父王の憂悲を聞き、増々恋うてわが心に切なれど、

 ただ夢に暫く会うが如く、倏忽(しゅくこつ)として無常に帰す。

 汝はまさに決定して知るべし、衆生の性は同じからずして、

 憂苦の生ずる所は、必ずしも子と親とのみならず。

 離苦(りく)を生ずる所以(ゆえ)は、皆癡惑(ちわく)より生じて、

 人の路に随うて行くに、中道にて暫く相い逢うが如し。

 須臾にして各々分析すれど、乖(そむ)くの理は本より自然なり。

 合会して暫く親(しん)と成れど、縁に随うの理は自ずから分る、

 深く親は仮に合うなりと達すれば、まさに憂悲を生ずべからず。

 この世にては親愛と違い、他世にては更に親を求む、

 暫く親となりてはまた乖離す、処処に親に非ざるは無し。

 常に合うて常に散る、散りて散ること何んが哀しむに足らんや。

   父王が憂い悲しんでいるのを聞けば、

   わたしも切に恋しい心が増してくる、

   しかし会ったとて何になろう?

   夢の中でしばらく会うかのように、

   たちまち無常に思い至らなくてはならない。

   これだけはどうしても知ってほしい、

   衆生の性は個々別にして同じではなく、

   憂いの苦しみが生ずるのは、

   必ずしも親子の間だけではない。

   別離の苦しみが生じるのは、

   皆愚かさと惑いとから生じる、

   人は皆行く路を別にしているが、

   たまたま道のなかばで出会うにすぎないのだ。

   しばらくすれば各々別離するが、

   別離がそもそも自然であり、

   互いに出会って親子となっても、

   縁が至れば、やがて分れるのが道理なのだ。

   親子というものの仮に出会うという、

   この道理に深く達すれば、

   どうして憂い悲しむことがあろう?

   この世にては親子が別離し、

   他の世にては新しい親子が生じる。

   しばらくの間親子でありやがて別離する、

   至るところで親子であり、親子でないものなぞなく、

   常に出会い常に別れる、

   散り散りになるに何の哀しむことがあろう?

 

  :倏忽(しゅくこつ):たちまち。

  :離苦(りく):別離の苦しみ。

  :癡惑(ちわく):道理を理解しない愚かさ。

  :須臾(しゅゆ):しばらく。

  :分析(ぶんしゃく):別離。

  :合会(ごうえ):であう。

  :乖離(かいり):別離。

 處胎漸漸變  分分死更生

 一切時有死  山林何非時

 侍時受五欲  求財時亦然

 一切時死故  除死法無時

 欲使我為王  慈愛法難違

 如病服非藥  是故我不堪

 高位愚癡處  放逸隨愛憎

 終身常畏怖  思慮形神疲

 胎に処すれば漸漸に変じ、分分に死して更に生ず、

 一切の時に死は有り、山林の何んが時に非ずや。

 時時に五欲を受くれば、財を求むる時もまた然り、

 一切の時に死するが故に、死を除くの法も時無し。

 われをして王為らしめんと欲する、慈愛の法には違い難きも、

 病に薬に非ざるを服するが如し、この故にわれは堪えず。

 高位は愚癡の処にして、放逸は愛憎に随うにより、

 終身常に畏怖し、思慮して形と神と疲るるなり。

   胎内に宿れば日に日に変化し、

   部分部分が死にながらどんどん新しく生じる、

   一切の時に死は有るのだから、

   山林に入るのは何時であれふさわしい。

   どの時にあっても五欲(色声香味触)を受け、

   財をきづこうとする時でさえ、

   一切の時に死はあるのだから、

   死を除く法を求めるのに、

   ふさわしくない時はない。

   わたしを王位につけたいとする、

   慈愛には逆らいがたいが、

   病に薬でないものを服するようで、

   これには堪えられない。

   高い位は愚か者の住む処であり、

   放逸なる五欲は愛憎をともなう、

   一生恐れながら暮すのは、

   思慮しつくして身も心も疲れる。

 

  :漸漸(ぜんぜん):しだいに。

  :分分(ぶんぶん):少しづつ。

  :侍時は時時に改める。

  :五欲(ごよく):色声香味触。

 順眾心違法  智者所不為

 七寶妙宮殿  於中盛火然

 天廚百味飯  於中有雜毒

 蓮華清涼池  於中多毒蟲

 位高為災宅  慧者所不居

 衆に順(したが)うて心を法に違えるは、智者の為さざる所、

 七宝の妙なる宮殿も、中に於いては盛んに火然(も)ゆ、

 天廚の百味の飯も、中に於いては雑毒有り、

 蓮華の清涼の池も、中に於いては毒虫多し、

 位高くんば災を宅と為す、慧者の居らざる所なり。

   人の意見に従いながら道理に背くのは、智者のしないことである。

   七宝の素晴らしい宮殿は、中で情欲の火が盛んに燃え、

   天子の厨房でつくる百味の飯は、中に毒が混ぜられ、

   蓮華の咲く清涼な池は、中に毒蛇がうじゃうじゃいる。

   位が高くともこのような災いの宅に、慧者は居ない。

 古昔先勝王  見居國多愆

 楚毒加眾生  厭患而出家

 故知王正苦  不如行法安

 寧處於山林  食草同禽獸

 不堪處深宮  K蛇同其穴

 古昔の先勝王は、居国に愆(あやまち)多きを見、

 楚毒(そどく)を衆生に加うるを、厭い患うて出家せり。

 故に知るらく『王の苦を正すは、行法の安んずるに如(し)かず。』と、

 むしろ山林に処して、草を食い禽獣と同じうせんも、

 深宮に処して、黒蛇とその穴を同じうするに堪えず。

   昔、先の勝れた王は、その国に多くの過ちがあるのを見、

   衆生に刑罰が加えられるのを、厭い患って出家したものである。

   このことからこれを知ることができる、

      『王が苦しみを正そうとするならば、道を修行して安らぐより勝れたものはない。』と。

   たとえ山林の中に住んで、禽獣と同じように草を食っていたとしても、

   宮殿の奥深く、黒い毒蛇と同じ穴に住むことには堪えられない。

 

  :楚毒(そどく):劇しい苦痛、厳しい刑罰。

 捨王位五欲  任苦遊山林

 此則為隨順  樂法漸摶セ

 今棄閑靜林  還家受五欲

 日夜苦法掾@ 此則非所應

 王位と五欲とを捨て、苦に任(た)えて山林に遊ぶ、

 これ則ち楽法に随順して、漸く明を増すと為す。

 今閑静なる林を棄て、家に還りて五欲を受くれば、

 日夜に苦法を増す、これ則ち応ずる所に非ず。

   王位と五欲とを捨て、苦しみに堪えて山林に遊ぶ、

   こうすれば、楽なことに従いながら、だんだん明かりが増してくる。

   今閑静な林を捨てて、家に還り五欲を受けたならば、

   日夜に苦しいことが増そう、これはとてもできないことである。

 

  :楽法、苦法:楽なこと、苦しいこと。

 名族大丈夫  樂法而出家

 永背名稱族  建大丈夫志

 毀形被法服  樂法遊山林

 今復棄法服  有違慚愧心

 天王尚不可  況歸人勝宅

 已吐貪恚癡  而復還服食

 如人反食吐  此苦安可堪

 如世舍被燒  方便馳走出

 須臾還復入  此豈為黠夫

 見生老死過  厭患而出家

 今當還復入  愚癡與彼同

 名族の大丈夫は、楽法にて出家し、

 永く名称ある族に背きて、大丈夫の志を建つ。

 形を毀(こぼ)ち法服を被て、法を楽しんで山林に遊ばん、

 今また法服を棄つれば、慚愧の心に違うこと有り。

 天王すらなお不可なるに、況や人の勝宅に帰るをや、

 すでに貪恚癡を吐けるを、また還って服食せんや、

 人の反って吐(へど)を食うが如き、この苦安(いづ)くんぞ堪うべき。

 世の舎(いえ)の焼かれたるに、方便して馳走して出づるが如きに、

 須臾にして還ってまた入るは、これあに黠夫(げっぷ)と為さんや。

 生老死の過を見て、厭い患うて出家せるに、

 今まさに還ってまた入るべくんば、愚癡と彼と同じなり。

   名誉ある一族の大丈夫は、

      楽を択んで出家して、

      一族の名称に背いたが、

      大丈夫の志を建てている。

   頭を剃って法服を身に着け、

   道を修行して山林に遊んでいるのに、

      今また法服を捨てたならば、

      恥知らずと言われてもしかたがない。

   天の王でさえ、

      できないものを、

   どうして、

      人が立派な家に還られようか?

   いったん

      戻した反吐を、

   どうして、

      もう一度食うことができようか?

   そんな、

      苦しみには、

   どうすれば、

      堪えられよう?

   世間で

      家が火事になり、

   いったん、

      外に出たものを、

   どうして、

      ふたたび戻られよう?

   それで、

      賢い人と言えるだろうか?

   ひとたび、

      生老病死の過を見て、

   せっかく、

      出家したものを、

   ふたたび、

      家に還るなら、

      愚か者とは言えまいか?

 

  :大丈夫(だいじょうぶ):立派な男。

  :黠夫(げっぷ):賢い人。

 處宮修解脫  則無有是處

 解脫寂靜生  王者如楚罰

 寂靜廢王威  王正解脫乖

 動靜猶水火  二理何得俱

 決定修解脫  亦不居王位

 若言居王位  兼修解脫者

 此則非決定  決定解亦然

 既非決定心  或出還復入

 我今已決定  斷親屬鉤餌

 正方便出家  云何還復入

 宮に処して解脱を修むとは、則ちこの処(ことわり)の有ること無し、

 解脱は寂静にて生じ、王とは楚罰(そばつ)の如し。

 寂静は王の威を廃(すた)る、王と正解脱とは乖けるなり、

 動と静とはなお水火のごとく、二理は何んが倶なることを得ん。

 決定して解脱を修むるものは、また王位に居らず、

 もし『王位に居りて、兼ねて解脱を修む』と言わば、

 これ則ち決定に非ず、解(脱)を決定することまた然り。

 既に決定の心に非ずんば、或は出ずるも還ってまた入らん、

 われは今すでに決定せり、親属の鉤と餌とを断ち、

 正方便して出家す、云何が還ってまた入らんや。』

   宮にいながら解脱を修めるとは、

   そんな道理はない、

   解脱は寂静の中に生じる、

   王位とは刑罰のようなものだ。

   寂静は王の権威を損ない、

   王と正解脱とは相い反する、

   動と静、水と火のように、

   二つは並び立たない。

   心を決めて解脱を修める者は、

   王位にあるはずがない、

   もし、『王位にあって、兼ねて解脱を修める』と言うならば、

   これは心が決まってなく、

   心を決めて解脱することも、またありえない。

   心が決まっていないのであれば、

   或は出家しても還ってまた家に入ることもあろう。

   わたしはもう心が決まっている、

   親子親戚の鉤も餌も断ちきった、

   正しい方便として出家したものを、

   どうして還ってまた家に入ることがあろうか?』

 

  :楚罰(そばつ):刑罰、鞭打ち。

  :決定(けつじょう):きっぱりと心を決める。

 

 

 

 

大臣が太子を諫める

 大臣內思惟  太子大丈夫

 深識コ隨順  所說有因緣

 而告太子言  如王子所說

 求法法應爾  但今非是時

 父王衰暮年  念子摎J悲

 雖曰樂解脫  反更為非法

 雖樂出無慧  不思深細理

 不見因求果  徒捨現法歡

大臣内に思惟すらく、『太子は大丈夫なり。

 深く識りて徳も随順し、説く所にも因縁有り。』

而して太子に告げて言わく、『王子が説く所の如き、

 法を求むるの法はまさに爾るべきも、ただ今はこの時に非ず。

 父王は衰暮(すいぼ)の年なれば、子を念うて憂悲を増す。

 解脱を楽(ねが)うと曰うといえども、反って更に非法と為らん。

 出づるを楽うといえども慧無くして、深く細理を思わず、

 因を見ずして果を求め、徒(いたずら)に現法の歓びを捨つるなり。

大臣は心の内でこう考えた、――

  『太子は、

      大丈夫である。

      深い知識があり、徳もそれに随っている。

      説く所にも理由が有る。』

そして、

   太子にこう教えた、――

  『王子の

      お説のとおり、

      法を求めるということはそのとおりですが、

   ただ、

      今はその時ではないともうしているのです。

   父王は、

      すでに老年をきわめ、

      気持ちも衰えていますので、

      子を思うごとに憂いと悲しみが増すのです。

   あなたは、

      解脱を楽しむと言われますが、

      それは、

         反って道理に背いております。

      出家を楽しむと言われましたが、

      それは、

         智慧が無く、

         深い洞察にも欠け、

         原因を無視して結果のみを求め、

         いたずらに、

            現世の歓びを捨てておるのです。

 有言有後世  又復有言無

 有無既不判  何為捨現樂

 若當有後世  應任其所得

 若言後世無  無即為解脫

 有言有後世  不說解脫因

 『後世有り』と言うもの有り、又また『無し』と言うもの有り、

 有りと無しと既に判ぜざるに、何んが為に現楽を捨つる。

 もしまさに後世有るべくんば、まさにその所得に任うべし、

 もし『後世無し』と言わば、即ち解脱と為すもの無く、

 『後世有り』と言うもの有れど、解脱の因は説かず。

   後世は

      『有る』と言う者も有り、

      『無い』と言う者も有ります。

   『有る』とも『無い』とも知れないものに、

      なぜ、

         現世の楽を捨てるのですか?

   もし、

      後世が有ると決まっておれば、

      後世の所得はだまって堪えなくてはなりません。

   もし、

      後世が無いと言うのであれば、

      解脱というものは無意味です。

   『後世は有る』と

      言う者も有りますが、

      解脱の因を説いた者は有りません。

 

  :後世の所得:衆生の種類(天、人、畜生等)とその環境(豊富、劣悪)。

 如地堅火暖  水濕風飄動

 後世亦復然  此則性自爾

 有說淨不淨  各從自性起

 言可方便移  此則愚癡說

 諸根行境界  自性皆決定

 愛念與不念  自性定亦然

 老病死等苦  誰方便使然

 謂水能滅火  火令水煎消

 自性搗噛モ  性和成眾生

 如人處胎中  手足諸體分

 神識自然成  誰有為之者

 蕀刺誰令利  此則性自然

 地の堅くして火の暖かき、水の湿りて風の飄動するが如きは、

 後世もまたまた然り、これ則ち性は自ずから爾るなり。

 『浄と不浄とは、各々自性により起る』と説くもの有れど、

 『方便して移すべし』と言わば、これ則ち愚癡の説なり。

 諸の根と行との境界は、自性にて皆決定し、

 愛念すると念ぜざるとの、自性の定まれるもまた然り。

 老病死等の苦も、誰か方便して然らしむるや、

 『水はよく火を滅し、火は水をして煎りて消さしむ』と謂うは、

 自性増せば相い壊し、性和して衆生と成る。

 人の胎中に処するが如きは、手足の諸の体分と、

 神と識と自然に成ず、誰かこれを為す者有らん、

 蕀刺(きょくし)は誰か利ならしむ、これ則ち性の自然なり。

   地は堅い、

   火は暖かい、

   水は湿る、

   風は漂い動く、

   このような事は、

      後世にても、

      同じはずです。

   これは、

      性というものが、

      そういうものだからです。

   『浄と不浄とは、各々自らの性により起る。』と説くものが有りますが、

      『浄と不浄とは、手段を講じて移し替えることができる。』と言えば、

      これは愚か者の説です。

   諸の、

      根(こん、眼耳鼻舌身意、男女、命、苦楽憂喜等の根本的能力)と、

      行(ぎょう、身口意の造作)との、

      境界(きょうがい、勢力の及ぶ範囲)は、

         自性によって決まっており、

      愛することも、

      愛しないことも、

         同じように、

         自性によって決まっております。

      老病死等の苦は、

         誰かが

         起しているのでしょうか?

         皆、自性によって決まっておるのです。

     『水は火を消すことができ、

      火は水を煎って消すことができる』と言いますが、

      自性というものは、

         力が増せば、相い壊しあい、

         力を合わせれば、衆生とも成るものなのです。

      人は、

         胎中にあるとき、

         手足などの体の部分と、

         魂や意識などは、

            自然に成るのであり、

            誰もそれを作ることはありません。

      刺(とげ)は、

         誰が利(するど)くしたのでしょう?

      これも、

         自性が自然にしていることなのです。

 及種種禽獸  無欲使爾者

 諸有生天者  自在天所為

 及餘造化者  無自力方便

 若有所由生  彼亦能令滅

 何須自方便  而求於解脫

 種種の禽獣に及ぶまで、爾らしめんと欲する者無く、

 諸の天に生ずることの有るは、自在天の為す所なり。

 余の造化の者に及びては、自力にて方便するもの無けれど、

 もし由って生ずる所有らば、彼はまたよく滅せしむ、

 何を須(も)ってか自ら方便して、解脱を求むるや。

   種種の、

      禽獣にいたるまで、

      そのようにしようとした者はありません。

   諸の天に、

      生れるということは、

         自在天(じざいてん、色界の頂天の主)が為すのであり、

         その他の神々に、そのような自力は有りません。

   もし、

      自在天の力で、生じるものならば、

      自在天の力は、滅することもできるのです。

   なぜ、

      自ら方便して、

      解脱を求める必要がありましょうか?

 有言我令生  亦復我令滅

 有言無由生  要方便而滅

 如人生育子  不負於祖宗

 學仙人遺典  奉天大祠祀

 此三無所負  則名為解脫

 古今之所傳  此三求解脫

 若以餘方便  徒勞而無實

 汝欲求解脫  唯習上方便

 父王憂悲息  解脫道得申

 『われは生ぜしむ、またまたわれは滅せしむ』と言うも有り、

 『由って生ずる無きも、方便を要(も)って滅す』と言うも有り。

 人の子を生みて育むが如きは、祖宗に負わず、

 仙人の遺典を学び、天を報じて大いに祠祀(しし)す、

 この三は負う所無し、則ち名づけて解脱と為す。

 古今の伝うる所には、この三にて解脱を求むと、

 もし余の方便を以ってせんは、徒労にして実無し。

 汝は解脱を求めんと欲せば、ただ上の方便を習うのみ、

 父王の憂悲は息み、解脱の道も申(の)ぶるを得。

  『わたしは生れさせもし、また滅(ほろ)ぼしもする』と言う神が有り、

  『わたしに由って生まれなくても、方便して滅ぼすことができる』と言う神も有ります。

   人が子を生んで育てるということは、

      先祖の力に負うものではありません。

   仙人の遺した経典を学ぶこと、

   天を奉じて祀りをすること、

   この三は、

      誰の力に負うこともありませんので、

   これを、

      解脱(げだつ、束縛されない)というのです。

   古今の伝える所では、

      この三によって、

         解脱を求めるとあります。

   もし、

      その他の方法で、

         解脱を求めても、

         苦労するばかりで、

         実を得ることはできません。

   あなたも、

      解脱を求めようとなさるならば、

      この三の方便をお習いください。

   そうすれば、

      父王の憂いと悲しみとは息み、

      解脱の道も開けることでしょう。

 捨家遊山林  還歸亦非過

 昔奄婆梨王  久處苦行林

 捨徒眾眷屬  還家居王位

 國王子羅摩  去國處山林

 聞國風俗離  還歸維正化

 娑樓婆國王  名曰頭樓摩

 父子遊山林  終亦俱還國

 婆私晝牟尼  及與安低疊

 山林修梵行  父亦歸本國

 如是等先勝  正法善名稱

 悉還王領國  如燈照世間

 是故捨山林  正法化非過

 家を捨てて山林に遊び、還(また)帰るもまた過に非ず、

 昔奄婆梨(あんばり)王は、久しく苦行林に処して、

 徒衆と眷属とを捨てて、家に還りて王位に居れり。

 国王の子の羅摩(らま)は、国を去りて山林に処せるを、

 国の風俗を聞いて離れ、還帰って正化(しょうけ)を維(つな)げり。

 娑楼婆(しゃるば)国王は、名づけて頭楼摩(づるま)と曰い、

 父子にて山林に遊びて、終にまた倶に国に還れり。

 婆私昼(ばしちゅう)牟尼と、および安低畳(あんていじょう)とは、

 山林にて梵行を修むるに、久しくしてまた本国に帰れり。

 かくの如き等先の勝れたるは、法を正して名称を善くし、

 悉く王の領国に還りて、灯の如く世間を照らせり。

 この故に山林を捨て、法を正して化するは過に非ざるなり。』

   いったん、

      家を捨てて山林に遊んだ者が、

   ふたたび、

      帰ったとしても、

         決して過ちとはもうせません。

   昔、

      奄婆梨(あんばり)王は、

         何年も、苦行林で修行していましたが、

         従僕たちも弟子たちも、皆捨てて家に還り、

         王位に就きました。

      羅摩王子は、

         国を去って山林に入りましたが、

         国の風俗を聞くと、そこを離れ、

         また帰って王位を紹ぎました。

      娑楼婆(しゃるば)国の頭楼摩(づるま)王は、

         父と子とで、

            山林に入って修行していましたが、

            しまいには、いっしょに国に還りました。

      婆私昼(ばしちゅう)牟尼(むに、聖人)と安低畳(あんていじょう)とは、

         山林で修行していましたが、

         やがてこれもまた本国に還りました。

   このように、

      先の勝れた聖人たちは、

         道を開いて、

         名称を世に伝えましたが、

      悉く、

         本国に還り、

         灯のように世間を照らしました。

   このことからも、

      山林を捨てて、

      正しい法で世を導くことは、

      決して過ちではないのです。

 

  :奄婆梨(あんばり):神話上の王。

  :羅摩(らま):神話上の人物。

  :正化(しょうけ):正しい統治。

  :頭楼摩(づるま):神話上の王?

  :婆私昼(ばしちゅう):神話上の仙人。

  :牟尼(むに):身口意三業を静止して道を学ぶ者の尊号。

  :安低畳(あんていじょう):神話上の仙人。婆私昼に王儀を受ける。

  :父を久に改める。

 

 

 

 

太子は見解を変えない

 太子聞大臣  愛語饒益說

 以常理不亂  無礙而庠序

 固志安隱說  而答於大臣

 有無等猶豫  二心疑惑

 而作有無說  我不決定取

 淨智修苦行  決定我自知

 世間猶豫論  展轉相傳習

 無有真實義  此則我不安

太子、大臣の愛語と饒益(にょうやく)の説を聞けど、

常の理を以って乱さず、無礙にして庠序(しょうじょ)たり。

志を固うし安穏に説いて、大臣に答うらく、

『有無は等しく猶予(ゆうよ)たり。二心にて疑惑を増しながら、

 有無の説を作すを、われは決定して取らざるなり。

 浄智にて苦行を修めしに、決定してわれは自らを知る、

 世間の猶予の論は、展転して相い伝え習うのみにて、

 真実の義の有ること無しと。これに則ちわれは安んぜず。

太子は、

   大臣の

      慈愛あふれる説を聞いたが、

   そのような

      常識的な道理では乱されなかった。

   自由に何にも妨げられず、

   心安らかに、

   志は固く、

   穏やかに説いてこう答えられた、――

  『有と無とは、

      等しく二つながら、

      決定した解決に至らず、

   二つの心は、

      疑惑を増すだけであり、

   有と無とを説くことは、

      わたしの、

      決してなさないことである。

   浄い智慧でもって、

      苦行を修めながら、

      決定的に、

         わたしは自らを知った。

   世間の、

      懐疑的な論議は、

      次々と伝え習わしたものにすぎず、

      真実の義は少しも有ることは無い。

   ここに、

      わたしの、

      安らぎは無いのである。

 

  :愛語(あいご):慈愛ある語。

  :饒益(にょうやく):思いやりに富む。

  :無礙(むげ):こだわりが無く自由。

  :庠序(しょうじょ):学校。学校の中の子供のように安心したようす。

  :猶予(ゆうよ):疑って解決しない。

  :展転(てんでん):次々と。

 明人別真偽  信豈由他生

 猶如生盲人  以盲人為導

 於夜大闇中  當復何所從

 於淨不淨法  世間生疑惑

 設不見真實  應行清淨道

 寧苦行淨法  非樂行不淨

 明人の真偽を別つに、信をあに他に由って生ぜん。

 なお生れながらの盲人の、盲人を以って導きと為すが如く、

 夜の大闇中に、まさにまた何の所にか従うべきや。

 浄不浄の法に於いて、世間は疑惑を生ずれど、

 もし真実を見ずんば、まさに清浄の道を行ずべく、

 むしろ苦しんで浄法を行ずるも、楽しんで不浄を行ずるに非ざれ。 

   明人(みょうにん、目あき)であれば、

      自ら真偽を別けて信じる、

      他に由って信を生じることがあろうか?

   世間とは、

      ちょうど、

         生まれながらの盲人が、

         盲人に先導されているようなものである。

      夜の真っ暗闇の中で、

         いったい、

            何に従って行こうとしているのだろうか?

   浄であるか、

   不浄であるかに、

      世間は、

         疑惑を生じているが、

   もし、

      真実が見えないのであれば、

      まさに、

         清浄な道を行くべきであろう。

   むしろ、

      苦しんで、

         浄い法を行う方が、

      楽しんで、

         不浄の法を行うより、よほどましである。

 

  :明人(みょうにん):目あき。

 觀彼相承說  無一決定相

 真言虛心受  永離諸過患

 語過虛偽說  智者所不言

 如說羅摩等  捨家修梵行

 終歸還本國  服習五欲者

 此等為陋行  智者所不依

 我今當為汝  略說其要義

 日月墜於地  須彌雪山轉

 我身終不易  退入於非處

 寧身投盛火  不以義不畢

 還歸於本國  入於五欲火

 表斯要誓已  除起而長辭

 彼の相い承くる説を観るに、一として決定の相無し。

 真を言いて虚心に受くれば、永く諸の過患(かげん)を離れんに、

 過を語り虚偽して、智者の言わざる所を説く。

 羅摩等の家を捨てて梵行を修めしに、

 終に本国に帰還して、五欲を服習(ふくじゅう)せりと説くが如きは、

 これ等を陋行(ろうぎょう)と為し、智者の依らざる所なり。

 われは今まさに汝が為に、略してその要義を説くべし、

 『日月は地に墜ち、須弥と雪山と転ずるとも、

  わが身は終に易(かわ)らず。退いて非処(ひしょ)に入らんよりは、

  むしろ身を盛んなる火に投ぜん。儀を以ってせずんば畢(つい)に、

  本国に還帰して、五欲の火に入らず。』と。

この要誓を表しおわりて、徐(おもむろ)に起ち長く辞したり。

   彼等の、

      承け伝えた説を観てみれば、

   一として、

      決定的な解決には至っていない。

   ただ、

      真実を言って、

      虚心に受ける。

   こうすれば、

      永く諸の過ちの患を離れることができる。

      過った虚偽の説を語ることは、

      智者の言わないことである。

  『羅摩等が、

      家を捨てて山林で修行していたのに、

      やがて本国に還って、

      五欲(ごよく、色声香味触)に屈服して、

      それが習慣となった。』と説かれているようであるが、

   これ等は、

      狭い見識による劣悪な行いであり、

      智者は、

         それに習おうとはしない。

   わたしは、

      今お前の為に、

      略してその要義を説こう、――

     『日月が地に墜ちようと、

      須弥山や雪山(せっせん、ヒマラヤ山)が転がろうと、

      わたしの、

         身は、決して変わらない。

      わたしは、

         修行を退いて、

         道理に背くことを行うよりは、

      むしろ、

         身を火の燃えさかる中に投じよう。

      道理に背いてまでも、

         また本国に還って、

         五欲の火に身を投じることは決してない。』

菩薩は、

   このように誓いおわると、

   おもむろに起ち上がり、

   長く別れの挨拶をした。

 

  :過患(かげん):罪とが。

  :服習(ふくじゅう):屈服して習慣とする。

  :陋行(ろうぎょう):狭い見識による行い。

  :非処(ひしょ):道理に合わないこと。

  :要誓(ようぜい):重要なちかい。

 太子辯鋒炎  猶如盛日光

 王師及大臣  言論莫能勝

 相謂計已盡  唯當辭退還

 深敬嘆太子  不敢強逼留

 敬奉王命故  不敢速疾還

 徘徊於中路  行邁顧遲遲

 選擇黠慧人  審諦機悟士

 隱身密伺候  然後捨而還

 

佛所行讚卷第二

太子が辯鋒の炎は、なお盛んなる日光の如し。

王師および大臣は、言論してよく勝うること莫く、

相い、『計すでに尽きぬ。ただまさに辞退して還るべし。』と謂い、

深く太子に敬嘆して、強いて逼りて留むることも敢てせず。

敬って王命を奉るが故に、速疾かに還ることも敢てせず、

中路を徘徊し、行邁(ぎょうまい)しては顧みて遅々たり。

黠慧(げつえ)の人を選択し、機悟(きご)の人を審諦(しんたい)して、

身を隠し密かに伺候(しこう)せしめ、然る後に捨てて還れり。

 

仏所行讃 巻の第二

太子の、

   辯舌の鋒(ほこ)の炎は、

   日の光よりも盛んであった。

王師と大臣とは、

   論議で打ち勝つこともなく、

  『万策尽きましたな。

   ただ挨拶でもして還りましょうか。』と言い合って、

   深く太子を敬って驚嘆した。

敢て、

   速かに還ることもなく、

   路の途中でうろうろと、

   行き悩んでは後を顧み、

   進みは遅々としていた。

やがて、

   お供の中から、

      賢い者を択び、

      機敏かどうか、

      利口かどうかを確かめると、

   太子を、

      密かに探らせるよう、

      てはずを調え、

   その後に、

      城に還ったのである。

 

  :行邁(ぎょうまい)前に進む。

  :黠慧(げつえ):利口。

  :機悟(きご):機敏にして利口。

  :審諦(しんたい):明らかにする。

  :伺候(しこう):うかがう。

 

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