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(推求太子品第九)
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王師と大臣は太子を探し求める
推求太子品第九 |
推求太子(すいぐたいし)品第九 |
宮廷僧と大臣とは太子を探し求める。 |
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王正以憂悲 感切師大臣 如鞭策良馬 馳駛若迅流 身疲不辭勞 逕詣苦行林 捨俗五儀飾 善攝諸情根 入梵志精廬 敬禮彼諸仙 |
王は憂悲を以って師と大臣とに感じ切(せま)れば、 良馬を鞭策するが如くして、馳駛(ちし)して迅流(じんる)の若く、 身疲るるも労を辞せずして、逕(ただち)に苦行林に詣(いた)り、 俗なる五儀の飾りを捨てて、善く諸の情根を摂(おさ)め、 梵志の精廬(しょうろ)に入りて、敬って彼の諸仙に礼す。 |
王は、 憂いと悲しみとで、 王師と大臣とを切に感じさせた。 王師と大臣とは、 良馬が鞭で打たれたように、すぐさま城を飛び出し、 川の流れが止まらないように、ひたすら馬を走らせた。 身が疲れるのもいとわず、まっすぐ苦行林に着くと、 俗人の五つの飾り、瓔珞(ようらく、首飾り)、両の腕環、両の足環を捨て、 慎ましくよそおって梵志の庵に入り、 恭しくそこの仙人たちに礼をした。
注:情根(じょうこん):眼耳鼻舌身の五根、五根はよく情識を生ずる故に五情という。 注:精廬(しょうろ):仙人の住む庵。 |
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諸仙請就座 說法安慰之 即白仙人言 意有所諮問 淨稱淨飲王 甘蔗名勝胄 我等為師臣 法教典要事 王如天帝釋 子如闍延多 為度老病死 出家或投此 我等為彼來 惟尊應當知 答言有此人 長臂大人相 擇我等所行 隨順生死法 往詣阿羅藍 以求勝解脫 |
諸仙は請うて座に就かしめ、法を説いてこれを安慰(あんに)するに、 即ち仙人に白(もう)して言(もう)さく、『意に諮問する所有り、 浄く浄飯王と称するは、甘蔗の勝れたる胄(ちすじ)と名づくるなり。 われ等は師と臣と為りて、法と経典とを要事とし、 王は天帝釈の如く、子は闍延多(じゃえんた、帝釈の子)の如し。 老病死を度せんが為に、出家して或はここに投ぜり。 われ等は彼の為に来たり、惟(この)尊きをばまさに知るべし。』 答えて言わく、『この人有り、長き臂なる大人の相あり、 われ等が行ずる所は生死に随順する法なりと択び、 往きて阿羅藍(あららん)に詣で、以って勝れたる解脱を求む。』 |
仙人たちは、 座に就くようにすすめ、 めでたいことばで二人を喜ばせた。 二人は、仙人たちにこう言った、―― 『お訊ねしたいことがあります。 浄く浄飯王(じょうぼんおう)と名を世間に称えられる、甘蔗の苗裔に、 わたくし共は師と臣として、法律と経典とをもって事(つか)えております。 帝釈天のような王の闍延多(じゃえんた、帝釈の子)のような子が、 老病死を度(わた)り超えようとして出家されましたが、 或はここに身を投じられたのではないかと思われます。 わたくし共は、 この尊い方の為にここに来たとお知りおきください。』 答えて言う、―― 『その人は、 ここに居られました。 腕が長くて大人(だいにん、仏)の相があります。 わたくし共の法は『生死を乗り越えられない法』であると申されて、ここをお捨てになり、 阿羅藍(あららん)の所に行かれて、更に勝れた解脱を求めておられます。』
注:胄(ちゅう、ちすじ)と冑(ちゅう、かぶと)とは別字。 注:天帝釈(てんたいしゃく):帝釈天、欲界六天中の第二、忉利天(とうりてん)の主。 注:闍延多(じゃえんた):帝釈天の子。 注:生死に随順する:生死を乗り越えられない。 注:阿羅藍(あららん):仙人。 |
王師が太子に王の勅を伝える
既得定實已 遵崇王速命 不敢計疲勞 尋路而馳進 見太子處林 悉捨俗儀飾 真體猶光耀 如日出烏雲 國奉天神師 執正法大臣 捨除俗威儀 下乘而步進 猶王婆摩疊 仙人婆私吒 往詣山林中 見王子羅摩 各隨其本儀 恭敬禮問訊 猶如儵迦羅 及與央耆羅 盡心加恭敬 奉事天帝釋 |
既に定実を得おわりて、王の速命を遵崇(じゅんすう)し、 敢て疲労を計らず、路を尋ねて馳せ進み、 太子の林に処せるを見るに、悉く俗儀の飾りを捨つるも、 真の体はなお光り耀き、日の烏雲(ううん)を出づるが如し。 国の天神を奉ずる師と、正法を執る大臣とは、 俗の威儀を捨て除き、下乗して歩みて進めること、 なお王の婆摩畳(ばまじょう)と仙人の婆私咤(ばした)と、 往きて山林中に詣(いた)り、王子羅摩(らま)を見しが如し。 各々、その本儀に随い、恭敬し礼して問訊(もんじん)せること、 なお儵迦羅(しゅくから)と、および央耆羅(おうぎら)と、 心を尽して恭敬を加え、天帝釈に奉事するが如し。 |
太子の行方が得られたので、 二人は、 王の速かなる命令に従って、 疲労のことも考えず、 路を尋ねて邁進し、 やがて、 林の中に太子を見ることができた。 太子は、 飾りを何も身に着けていなかったが、 体が光耀き、日が黒雲から出たようであった。 国で、 天神を奉じる王師と、 法律をつかさどる大臣とは、 俗の飾りを捨てて馬を下りて進む。 まるで、 神話の中で、 大臣婆摩畳(ばまじょう)と、 国師婆私咤(ばした)とが、 山林の中で探し求めていた羅摩(らま)王子を見つけたかのように。 二人は、 国でするように、 恭しく礼をして問い訊ねた、―― 『ご機嫌うるわしうございますか? お身体の方はいかがでございましょう? ご病気なされていたのではございませんか? 衣食住にご不自由はございませんか? おつらいことはございませんか?』と。 まるで、 神話の中で、 聖人の儵迦羅(しゅくから)と央耆羅(おうぎら)とが、 帝釈天に事えるかのように。
注:定実(じょうじつ):確かな事実。 注:遵崇(じゅんすう):あがめてしたがう。 注:烏雲(ううん):黒い雲。 注:婆摩畳(ばまじょう):神話、十車王の大臣。 注:婆私咤(ばした):十車王の国師。 注:羅摩(らま):十車王の王子。『分舎利品第二十八』の注参照 注:問訊(もんじん):問い訊ねて挨拶する。 注:儵迦羅(しゅくから)、央耆羅(おうぎら):神話上の聖人。 |
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王子亦隨敬 王師及大臣 如帝釋安慰 儵迦央耆羅 即命彼二人 坐於王子前 如富那婆藪 兩星侍月傍 |
王子もまた随って、王師および大臣を敬うこと、 帝釈の、儵迦と央耆羅とを安慰するが如く、 即ち彼の二人に命じて、王子の前に坐せしむること、 富那婆数(ふなばす)の両星の月の傍らに侍るが如し。 |
王子も、 また王師と大臣とに礼を返した。 帝釈天が儵迦羅と央耆羅を安心させたように。 そして、 二人に命じて、前に坐らせる。 双子座の両星が月の傍らに侍るかのように。
注:富那婆数(ふなばす):星座の双子座。 |
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王師及大臣 啟請於王子 如毘利波低 語彼闍延多 父王念太子 如利刺貫心 荒迷發狂亂 臥於塵土中 日夜摧゚思 流淚常如雨 敕我有所命 唯願留心聽 知汝樂法情 決定無所疑 非時入林藪 悲戀嬈我心 汝若念法者 應當哀愍我 |
王師および大臣の、啓(もう)して王子に請うこと、 毘利波低(びりはてい)の、彼の闍延多(じゃえんた)に語るが如し。 『父王は太子を念うこと、利刺(りし)にて心を貫くが如し。 荒迷し狂乱を発(おこ)して、塵土の中に臥し、 日夜に悲しみ思いを増して、涙を流すこと常に雨の如し。 われに勅して命ずる所有り、ただ願わくは心を留めて聴きたまえ。 『汝が法を楽しむの情を知り、決定して疑う所無けれど、 非時に林藪(りんそう)に入りたるに、悲恋わが心を嬈(なやま)せり。 汝もし法を念わば、まさにわれを哀愍(あいみん)すべし。 |
王師と大臣とは、 智慧と雄弁の神毘利波低(びりはてい)が闍延多に語りかけるかのように、 王子に帰還を請うた、―― 『父王は、 太子をお思いになり、 利い刺で心臓を貫かれたかのように、 お苦しみでございます。 迷い乱れて荒れ狂い、 塵土の中に臥せって日夜に悲しみをつのらせ、 涙を雨のように流してわたくし共にこう命ぜられました、 どうか一心にお聞きください、―― 『お前が生死を渡り超える法を探し求めていることは、 わたしもよく知っていて、そこに疑は無い。 しかし林や藪に入るには、 それにふさわしい時がある。 悲しみはわたしの心をかき乱し、 恋いこがれているのがお前には分らないのか。 もしお前が道理にかなう法を求めているのならば、 わたしを哀れむのがその法であるぞ。
注:毘利波低(びりはてい):木星、智慧と雄弁の神。 注:闍延多(じゃえんた):帝釈天の子。 |
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望ェ遠遊情 以慰我懸心 勿令憂悲水 崩壞我心岸 如雲水草山 風日火雹災 憂悲為四患 飄乾燒壞心 且還食土邑 時至更遊仙 不顧於親戚 父母亦棄捐 此豈名慈悲 覆護一切耶 |
望寛(ぼうかん)遠遊(おんゆ)の情は、以ってわが懸心を慰む、 憂悲の水をして、わが心の岸を崩壊せしむること勿れ。 雲水草山に風日火雹の災のあるが如く、 憂悲は四患と為り、心を飄し、乾かし、焼き、壊(やぶ)る、 且(しばら)く還りて土邑(どゆう)に食し、時至らば更に仙に遊べ。 親戚を顧みず、父母もまた棄捐(きえん)する、 これあに慈悲にて、一切を覆護(ふご)すると名づくるや。 |
広く世界を見るために、 遠くに行きたいというのであれば、 わたしの心は慰められる。 憂いと悲しみの水で、 わたしの心の岸を崩壊させてくれるな。 憂いと悲しみとは、 わたしの心を、 雲を追いやる風のように、漂わせ、 水を干す日のように、乾かし、 草を枯らす雹のように、打ち砕き、 山を崩す地震のように、崩壊させる。 しばらく、 故郷の都に帰ってこい。 そのうち、 時がくれば仙人の暮しにもどればよいではないか。 親戚を顧みず、 父母さえも捨て去るのであれば、 これを、 どうして慈悲で一切を覆い護ると言えるのか? |
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法不必山林 在家亦脩閑 覺悟勤方便 是則名出家 剃髮服染衣 自放山藪間 此則懷畏怖 何足名學仙 願得一抱汝 以水雨其頂 冠汝以天冠 置於傘蓋下 矚目一觀汝 然後我出家 |
法は必ずしも山林にあらず、在家にてもまた脩(なが)き閑あり、 覚悟して勤めて方便する、これ則ち出家と名づく。 髪を剃り染衣を服して、自らを山藪(せんそう)の間に放つ、 これ則ち畏怖を懐かん、何んが仙を学ぶと名づくるに足らんや。 願わくは一たび汝を抱くことを得て、水を以ってその頂に雨ふらし、 汝に冠するに天冠を以ってし、傘蓋(さんがい)の下に置き、 矚目(しょくもく)して一たび汝を観、然る後にわれが出家せん。 |
求める法は、 必ずしも山林にあるのではないぞ。 家に在っても長い閑(ひま)があるではないか。 出家とは、 覚悟(かくご、道理を悟る)と、 勤求(ごんぐ、善法を求める)と、 方便(ほうべん、善業を行う)とをいう。 髪を剃って染衣(せんね、法服)を身に着け、 自らを山や藪に放つ。 これは、 畏れを懐いているのだ。 どうして 仙人の術を学ぶと言えようか? どうか、 もう一度、お前を抱かせてくれ。 お前の頭に、 水を注いで 天子の冠をかぶせ、 お前を、 傘蓋(かさ)の下の位に就けたならば、 位を紹(つ)いだお前の姿を、 一たび、しっかりと目に焼き付けて、 そして、 その後に、おれが替って出家しよう。 |
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頭留摩先王 阿[少/兔]闍阿涉 跋闍羅婆休 毘跋羅安提 毘提訶闍那 那羅濕波羅 如是等諸王 悉皆著天冠 瓔珞以嚴容 手足貫珠環 婇女眾娛樂 不違解脫因 汝今可還家 崇習於二事 心修搶纐@ 為地搶緕 垂淚約敕我 令宣如是言 |
頭留摩(づるま)先王、阿[少/兔]闍阿渉(あぬじゃあしょう)、 跋闍羅婆休(ばじゃらばく)、毘跋羅安提(びばらあんだい)、 毘提訶闍那(びだいかじゃな)、那羅湿波羅(ならしはら)、 かくの如き等の諸王も、悉く皆天冠を著け、 瓔珞を以って厳容(ごんよう)し、手足を珠の環に貫き、 婇女衆と娯楽したれど、解脱の因を違わざりき。 汝は今家に還り、崇めて二事を習うべし、 心に増上の法を修め、地にては増上の主為(た)れ。』と、 涙を垂らしてわれに約勅(やくちょく)し、かくの如き言を宣べしむ。 |
神話の中の、 頭楼摩(づるま)や阿[少/兔]闍阿渉(あぬじゃあしょう)、 跋闍羅婆休(ばじゃらばく)や毘跋羅安提(びばらあんだい)、 毘提訶闍那(びだいかじゃな)や那羅湿波羅(ならしはら)等の王たちも、 皆悉く、 天子の冠を着け、 首にかけた瓔珞(ようらく、垂れ飾り)で身を飾り、 手足を珠の環で貫いて、 女官たちと娯楽していたが、 誰一人、 解脱の因縁を損なったりはしなかった。 お前は、 今家に還って、 二事を修行するのがよかろう。 心では、勝れた法を修め、 地上にては、勝れた王と為るのだ。』と、 父王は、 涙を垂らしてこのようにおおされ、 このように宣べられました。
注:頭留摩(づるま)、阿[少/兔]闍阿渉(あぬじゃあしょう)、跋闍羅婆休(ばじゃらばく)、毘跋羅安提(びばらあんだい)、毘提訶闍那(びだいかじゃな)、那羅湿波羅(ならしはら):神話上の人物? 注:約勅(やくちょく):簡潔な命令。 |
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既有此敕旨 汝應奉教還 父王因汝故 沒溺憂悲海 無救無所依 無由自開釋 汝當為船師 渡著安隱處 毘林摩王子 二羅彌跋祗 聞父敕恭命 汝今亦應然 |
すでにこの勅旨有れば、汝はまさに教えを奉じて還るべし。 父王は汝に因るが故に、憂悲の海に没溺(もつでき)して、 救い無く依る所無く、自ら開釈(かいしゃく)するに由無し。 汝はまさに船師と為りて、安穏の処に渡し著(お)くべし。 毘林摩(びりんま)王子と、二羅彌跋祗(らみばてい)も、 父の勅を聞き命を恭しうせり、汝も今はまたまさに然るべし。 |
このようなご命令でございますので、 ぜひ命ぜられたままにお還りください。 父王は、 あなたのせいで、 憂いと悲しみの海に溺れ、 救う者も頼る者も無く、 自らの力で、 心を晴らすことがおできになりません。 あなたは、 船頭となって、 父王を、 安穏な処に、 お連れもうさなくてはなりません。 神話の中で、 毘林摩(びりんま)王子と二人の羅摩王子がしたように、 あなたも、 父王の命令を、 恭しくお聞き入れください。
注:開釈(かいしゃく):解放。 注:毘林摩(びりんま):神話上の人物。 注:二羅彌跋祗(らみばてい):二人の羅摩、神話上の人物。 |
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慈母鞠養恩 盡壽報罔極 如牛失其犢 悲呼忘眠食 汝今應速還 以救我生命 孤鳥離群哀 龍象獨遊苦 憑依者失蔭 當思為救護 一子孩幼孤 遭苦莫知告 勉彼煢煢苦 如人救月蝕 舉國諸士女 別離苦熾然 歎息煙衝天 熏慧眼令闇 唯求見汝水 滅火目開明 |
慈母の鞠養(きくよう)の恩は、寿を尽して報ずるに極まり罔(な)く、 牛のその犢(こうし)を失えるに、悲しく呼びて眠食を忘るるが如く、 『汝は今まさに速かに還りて、以ってわが生命を救うべし。』とあり。 孤鳥群れを離れば悲しみ、龍象も独り遊ばば苦しむ、 憑依(ひょうえ)の者の蔭を失うをば、まさに救護為らんと思うべし。 一子の孩幼にして孤なる、苦に遭えど告ぐることを知る莫し、 彼の煢煢(けいけい)の苦を免ずるは、人の月蝕を救えるが如し。 国を挙げて諸の士女は、別離の苦熾然(しねん)にして 歎息の煙は天を衝(つ)き、慧眼を薫じて闇ならしむるに、 ただ汝が水の火を滅して、目を開明せしめられんと求むのみ。』 |
継母の養育の恩は、一生かけて報いても極めきれません、 母牛は仔牛を失うと、悲しく呼び続けて眠ることも食うことも忘れます。 父王は、『お前は今速かに還って、わたしの命を救ってくれ。』と仰せられました、 鳥でさえ群を離れれば悲しみます、龍も象も独りで遊ぶことを恐れるのです。 頼む夫の庇護を失った者は、救い護ってやろうと思わなくてはなりません。 一人の幼い子供がただひとり、苦に遭っても人に教えることができません、 彼のひとりぼっちの苦しみをお救いください、人が月を月蝕から救ったように。 国を挙げて男も女も、別離の苦しみが燃えさかっています、 ため息の煙は天を衝き、智慧の眼をいぶして闇の中にいるようです、 ただあなたの水で火を消して、目を開けられるようにしてください。』
注:鞠養(きくよう):養育。 注:罔極(もうごく):無極。 注:憑依(ひょうえ):頼りにする。 注:孩幼(がいよう):幼児。 注:勉は免に改める。 注:煢煢(けいけい):孤独。 注:月蝕:仏の実子羅睺羅(らごら)は満月を食う悪魔と同じ名。 注:熾然(しねん):盛ん。 |
太子、宮に居りては解脱し難きことを説く
菩薩聞父王 切教苦備至 端坐正思惟 隨宜遜順答 我亦知父王 慈念心過厚 畏生老病死 故違罔極恩 誰不重所生 以終別離故 正使生相守 死至莫能留 是故知所重 長辭而出家 |
菩薩は父王の切に『苦は備(つぶさ)に至れり』と教うるを聞き、 端坐し正思惟し、宜しきに随うて遜順(そんじゅん)して答うらく、 『われもまた父王の、慈念と心の過厚(かこう)なるを知るも、 生老病死を畏れ、故に極まり罔(な)き恩にも違えり。 誰か所生(しょしょう)を重んぜざる、終に別離するを以っての故に、 正使(たとい)生きて相い守るとも、死至ればよく留むるもの莫く、 この故に重んずる所を知り、長く辞して出家せるなり。 |
菩薩は、 父王が、切に『苦がことごとくやって来た』と教えるのを聞き、 姿勢を正して道理にそって考えた。 やがて、 道理に逆らわず偉ぶらずに答えた、―― 『わたしも父王の慈しみが、 極めて厚いことを知っている、 生老病死の苦を畏れるが故に、 極まりない恩にも違うのだ。 誰が親を重んじないだろう? しかし別離は逃れられず、 たとえ生きて守ったとしても、 死ぬときには引き留めることはできない。 この故に重んじなくてはならないことを知り、 永の別れをして出家したのだ。
注:遜順(そんじゅん):従順。 注:過厚(かこう):極めて厚い。 注:所生(しょしょう):生みの親。 |
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聞父王憂悲 撩切我心 但如夢暫會 倏忽歸無常 汝當決定知 眾生性不同 憂苦之所生 不必子與親 所以生離苦 皆從癡惑生 如人隨路行 中道暫相逢 須臾各分析 乖理本自然 合會暫成親 隨緣理自分 深達親假合 不應生憂悲 此世違親愛 他世更求親 暫親復乖離 處處無非親 常合而常散 散散何足哀 |
父王の憂悲を聞き、増々恋うてわが心に切なれど、 ただ夢に暫く会うが如く、倏忽(しゅくこつ)として無常に帰す。 汝はまさに決定して知るべし、衆生の性は同じからずして、 憂苦の生ずる所は、必ずしも子と親とのみならず。 離苦(りく)を生ずる所以(ゆえ)は、皆癡惑(ちわく)より生じて、 人の路に随うて行くに、中道にて暫く相い逢うが如し。 須臾にして各々分析すれど、乖(そむ)くの理は本より自然なり。 合会して暫く親(しん)と成れど、縁に随うの理は自ずから分る、 深く親は仮に合うなりと達すれば、まさに憂悲を生ずべからず。 この世にては親愛と違い、他世にては更に親を求む、 暫く親となりてはまた乖離す、処処に親に非ざるは無し。 常に合うて常に散る、散りて散ること何んが哀しむに足らんや。 |
父王が憂い悲しんでいるのを聞けば、 わたしも切に恋しい心が増してくる、 しかし会ったとて何になろう? 夢の中でしばらく会うかのように、 たちまち無常に思い至らなくてはならない。 これだけはどうしても知ってほしい、 衆生の性は個々別にして同じではなく、 憂いの苦しみが生ずるのは、 必ずしも親子の間だけではない。 別離の苦しみが生じるのは、 皆愚かさと惑いとから生じる、 人は皆行く路を別にしているが、 たまたま道のなかばで出会うにすぎないのだ。 しばらくすれば各々別離するが、 別離がそもそも自然であり、 互いに出会って親子となっても、 縁が至れば、やがて分れるのが道理なのだ。 親子というものの仮に出会うという、 この道理に深く達すれば、 どうして憂い悲しむことがあろう? この世にては親子が別離し、 他の世にては新しい親子が生じる。 しばらくの間親子でありやがて別離する、 至るところで親子であり、親子でないものなぞなく、 常に出会い常に別れる、 散り散りになるに何の哀しむことがあろう?
注:倏忽(しゅくこつ):たちまち。 注:離苦(りく):別離の苦しみ。 注:癡惑(ちわく):道理を理解しない愚かさ。 注:須臾(しゅゆ):しばらく。 注:分析(ぶんしゃく):別離。 注:合会(ごうえ):であう。 注:乖離(かいり):別離。 |
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處胎漸漸變 分分死更生 一切時有死 山林何非時 侍時受五欲 求財時亦然 一切時死故 除死法無時 欲使我為王 慈愛法難違 如病服非藥 是故我不堪 高位愚癡處 放逸隨愛憎 終身常畏怖 思慮形神疲 |
胎に処すれば漸漸に変じ、分分に死して更に生ず、 一切の時に死は有り、山林の何んが時に非ずや。 時時に五欲を受くれば、財を求むる時もまた然り、 一切の時に死するが故に、死を除くの法も時無し。 われをして王為らしめんと欲する、慈愛の法には違い難きも、 病に薬に非ざるを服するが如し、この故にわれは堪えず。 高位は愚癡の処にして、放逸は愛憎に随うにより、 終身常に畏怖し、思慮して形と神と疲るるなり。 |
胎内に宿れば日に日に変化し、 部分部分が死にながらどんどん新しく生じる、 一切の時に死は有るのだから、 山林に入るのは何時であれふさわしい。 どの時にあっても五欲(色声香味触)を受け、 財をきづこうとする時でさえ、 一切の時に死はあるのだから、 死を除く法を求めるのに、 ふさわしくない時はない。 わたしを王位につけたいとする、 慈愛には逆らいがたいが、 病に薬でないものを服するようで、 これには堪えられない。 高い位は愚か者の住む処であり、 放逸なる五欲は愛憎をともなう、 一生恐れながら暮すのは、 思慮しつくして身も心も疲れる。
注:漸漸(ぜんぜん):しだいに。 注:分分(ぶんぶん):少しづつ。 注:侍時は時時に改める。 注:五欲(ごよく):色声香味触。 |
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順眾心違法 智者所不為 七寶妙宮殿 於中盛火然 天廚百味飯 於中有雜毒 蓮華清涼池 於中多毒蟲 位高為災宅 慧者所不居 |
衆に順(したが)うて心を法に違えるは、智者の為さざる所、 七宝の妙なる宮殿も、中に於いては盛んに火然(も)ゆ、 天廚の百味の飯も、中に於いては雑毒有り、 蓮華の清涼の池も、中に於いては毒虫多し、 位高くんば災を宅と為す、慧者の居らざる所なり。 |
人の意見に従いながら道理に背くのは、智者のしないことである。 七宝の素晴らしい宮殿は、中で情欲の火が盛んに燃え、 天子の厨房でつくる百味の飯は、中に毒が混ぜられ、 蓮華の咲く清涼な池は、中に毒蛇がうじゃうじゃいる。 位が高くともこのような災いの宅に、慧者は居ない。 |
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古昔先勝王 見居國多愆 楚毒加眾生 厭患而出家 故知王正苦 不如行法安 寧處於山林 食草同禽獸 不堪處深宮 K蛇同其穴 |
古昔の先勝王は、居国に愆(あやまち)多きを見、 楚毒(そどく)を衆生に加うるを、厭い患うて出家せり。 故に知るらく『王の苦を正すは、行法の安んずるに如(し)かず。』と、 むしろ山林に処して、草を食い禽獣と同じうせんも、 深宮に処して、黒蛇とその穴を同じうするに堪えず。 |
昔、先の勝れた王は、その国に多くの過ちがあるのを見、 衆生に刑罰が加えられるのを、厭い患って出家したものである。 このことからこれを知ることができる、 『王が苦しみを正そうとするならば、道を修行して安らぐより勝れたものはない。』と。 たとえ山林の中に住んで、禽獣と同じように草を食っていたとしても、 宮殿の奥深く、黒い毒蛇と同じ穴に住むことには堪えられない。
注:楚毒(そどく):劇しい苦痛、厳しい刑罰。 |
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捨王位五欲 任苦遊山林 此則為隨順 樂法漸摶セ 今棄閑靜林 還家受五欲 日夜苦法掾@ 此則非所應 |
王位と五欲とを捨て、苦に任(た)えて山林に遊ぶ、 これ則ち楽法に随順して、漸く明を増すと為す。 今閑静なる林を棄て、家に還りて五欲を受くれば、 日夜に苦法を増す、これ則ち応ずる所に非ず。 |
王位と五欲とを捨て、苦しみに堪えて山林に遊ぶ、 こうすれば、楽なことに従いながら、だんだん明かりが増してくる。 今閑静な林を捨てて、家に還り五欲を受けたならば、 日夜に苦しいことが増そう、これはとてもできないことである。
注:楽法、苦法:楽なこと、苦しいこと。 |
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名族大丈夫 樂法而出家 永背名稱族 建大丈夫志 毀形被法服 樂法遊山林 今復棄法服 有違慚愧心 天王尚不可 況歸人勝宅 已吐貪恚癡 而復還服食 如人反食吐 此苦安可堪 如世舍被燒 方便馳走出 須臾還復入 此豈為黠夫 見生老死過 厭患而出家 今當還復入 愚癡與彼同 |
名族の大丈夫は、楽法にて出家し、 永く名称ある族に背きて、大丈夫の志を建つ。 形を毀(こぼ)ち法服を被て、法を楽しんで山林に遊ばん、 今また法服を棄つれば、慚愧の心に違うこと有り。 天王すらなお不可なるに、況や人の勝宅に帰るをや、 すでに貪恚癡を吐けるを、また還って服食せんや、 人の反って吐(へど)を食うが如き、この苦安(いづ)くんぞ堪うべき。 世の舎(いえ)の焼かれたるに、方便して馳走して出づるが如きに、 須臾にして還ってまた入るは、これあに黠夫(げっぷ)と為さんや。 生老死の過を見て、厭い患うて出家せるに、 今まさに還ってまた入るべくんば、愚癡と彼と同じなり。 |
名誉ある一族の大丈夫は、 楽を択んで出家して、 一族の名称に背いたが、 大丈夫の志を建てている。 頭を剃って法服を身に着け、 道を修行して山林に遊んでいるのに、 今また法服を捨てたならば、 恥知らずと言われてもしかたがない。 天の王でさえ、 できないものを、 どうして、 人が立派な家に還られようか? いったん 戻した反吐を、 どうして、 もう一度食うことができようか? そんな、 苦しみには、 どうすれば、 堪えられよう? 世間で 家が火事になり、 いったん、 外に出たものを、 どうして、 ふたたび戻られよう? それで、 賢い人と言えるだろうか? ひとたび、 生老病死の過を見て、 せっかく、 出家したものを、 ふたたび、 家に還るなら、 愚か者とは言えまいか?
注:大丈夫(だいじょうぶ):立派な男。 注:黠夫(げっぷ):賢い人。 |
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處宮修解脫 則無有是處 解脫寂靜生 王者如楚罰 寂靜廢王威 王正解脫乖 動靜猶水火 二理何得俱 決定修解脫 亦不居王位 若言居王位 兼修解脫者 此則非決定 決定解亦然 既非決定心 或出還復入 我今已決定 斷親屬鉤餌 正方便出家 云何還復入 |
宮に処して解脱を修むとは、則ちこの処(ことわり)の有ること無し、 解脱は寂静にて生じ、王とは楚罰(そばつ)の如し。 寂静は王の威を廃(すた)る、王と正解脱とは乖けるなり、 動と静とはなお水火のごとく、二理は何んが倶なることを得ん。 決定して解脱を修むるものは、また王位に居らず、 もし『王位に居りて、兼ねて解脱を修む』と言わば、 これ則ち決定に非ず、解(脱)を決定することまた然り。 既に決定の心に非ずんば、或は出ずるも還ってまた入らん、 われは今すでに決定せり、親属の鉤と餌とを断ち、 正方便して出家す、云何が還ってまた入らんや。』 |
宮にいながら解脱を修めるとは、 そんな道理はない、 解脱は寂静の中に生じる、 王位とは刑罰のようなものだ。 寂静は王の権威を損ない、 王と正解脱とは相い反する、 動と静、水と火のように、 二つは並び立たない。 心を決めて解脱を修める者は、 王位にあるはずがない、 もし、『王位にあって、兼ねて解脱を修める』と言うならば、 これは心が決まってなく、 心を決めて解脱することも、またありえない。 心が決まっていないのであれば、 或は出家しても還ってまた家に入ることもあろう。 わたしはもう心が決まっている、 親子親戚の鉤も餌も断ちきった、 正しい方便として出家したものを、 どうして還ってまた家に入ることがあろうか?』
注:楚罰(そばつ):刑罰、鞭打ち。 注:決定(けつじょう):きっぱりと心を決める。 |
大臣が太子を諫める
大臣內思惟 太子大丈夫 深識コ隨順 所說有因緣 而告太子言 如王子所說 求法法應爾 但今非是時 父王衰暮年 念子摎J悲 雖曰樂解脫 反更為非法 雖樂出無慧 不思深細理 不見因求果 徒捨現法歡 |
大臣内に思惟すらく、『太子は大丈夫なり。 深く識りて徳も随順し、説く所にも因縁有り。』 而して太子に告げて言わく、『王子が説く所の如き、 法を求むるの法はまさに爾るべきも、ただ今はこの時に非ず。 父王は衰暮(すいぼ)の年なれば、子を念うて憂悲を増す。 解脱を楽(ねが)うと曰うといえども、反って更に非法と為らん。 出づるを楽うといえども慧無くして、深く細理を思わず、 因を見ずして果を求め、徒(いたずら)に現法の歓びを捨つるなり。 |
大臣は心の内でこう考えた、―― 『太子は、 大丈夫である。 深い知識があり、徳もそれに随っている。 説く所にも理由が有る。』 そして、 太子にこう教えた、―― 『王子の お説のとおり、 法を求めるということはそのとおりですが、 ただ、 今はその時ではないともうしているのです。 父王は、 すでに老年をきわめ、 気持ちも衰えていますので、 子を思うごとに憂いと悲しみが増すのです。 あなたは、 解脱を楽しむと言われますが、 それは、 反って道理に背いております。 出家を楽しむと言われましたが、 それは、 智慧が無く、 深い洞察にも欠け、 原因を無視して結果のみを求め、 いたずらに、 現世の歓びを捨てておるのです。 |
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有言有後世 又復有言無 有無既不判 何為捨現樂 若當有後世 應任其所得 若言後世無 無即為解脫 有言有後世 不說解脫因 |
『後世有り』と言うもの有り、又また『無し』と言うもの有り、 有りと無しと既に判ぜざるに、何んが為に現楽を捨つる。 もしまさに後世有るべくんば、まさにその所得に任うべし、 もし『後世無し』と言わば、即ち解脱と為すもの無く、 『後世有り』と言うもの有れど、解脱の因は説かず。 |
後世は 『有る』と言う者も有り、 『無い』と言う者も有ります。 『有る』とも『無い』とも知れないものに、 なぜ、 現世の楽を捨てるのですか? もし、 後世が有ると決まっておれば、 後世の所得はだまって堪えなくてはなりません。 もし、 後世が無いと言うのであれば、 解脱というものは無意味です。 『後世は有る』と 言う者も有りますが、 解脱の因を説いた者は有りません。
注:後世の所得:衆生の種類(天、人、畜生等)とその環境(豊富、劣悪)。 |
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如地堅火暖 水濕風飄動 後世亦復然 此則性自爾 有說淨不淨 各從自性起 言可方便移 此則愚癡說 諸根行境界 自性皆決定 愛念與不念 自性定亦然 老病死等苦 誰方便使然 謂水能滅火 火令水煎消 自性搗噛モ 性和成眾生 如人處胎中 手足諸體分 神識自然成 誰有為之者 蕀刺誰令利 此則性自然 |
地の堅くして火の暖かき、水の湿りて風の飄動するが如きは、 後世もまたまた然り、これ則ち性は自ずから爾るなり。 『浄と不浄とは、各々自性により起る』と説くもの有れど、 『方便して移すべし』と言わば、これ則ち愚癡の説なり。 諸の根と行との境界は、自性にて皆決定し、 愛念すると念ぜざるとの、自性の定まれるもまた然り。 老病死等の苦も、誰か方便して然らしむるや、 『水はよく火を滅し、火は水をして煎りて消さしむ』と謂うは、 自性増せば相い壊し、性和して衆生と成る。 人の胎中に処するが如きは、手足の諸の体分と、 神と識と自然に成ず、誰かこれを為す者有らん、 蕀刺(きょくし)は誰か利ならしむ、これ則ち性の自然なり。 |
地は堅い、 火は暖かい、 水は湿る、 風は漂い動く、 このような事は、 後世にても、 同じはずです。 これは、 性というものが、 そういうものだからです。 『浄と不浄とは、各々自らの性により起る。』と説くものが有りますが、 『浄と不浄とは、手段を講じて移し替えることができる。』と言えば、 これは愚か者の説です。 諸の、 根(こん、眼耳鼻舌身意、男女、命、苦楽憂喜等の根本的能力)と、 行(ぎょう、身口意の造作)との、 境界(きょうがい、勢力の及ぶ範囲)は、 自性によって決まっており、 愛することも、 愛しないことも、 同じように、 自性によって決まっております。 老病死等の苦は、 誰かが 起しているのでしょうか? 皆、自性によって決まっておるのです。 『水は火を消すことができ、 火は水を煎って消すことができる』と言いますが、 自性というものは、 力が増せば、相い壊しあい、 力を合わせれば、衆生とも成るものなのです。 人は、 胎中にあるとき、 手足などの体の部分と、 魂や意識などは、 自然に成るのであり、 誰もそれを作ることはありません。 刺(とげ)は、 誰が利(するど)くしたのでしょう? これも、 自性が自然にしていることなのです。 |
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及種種禽獸 無欲使爾者 諸有生天者 自在天所為 及餘造化者 無自力方便 若有所由生 彼亦能令滅 何須自方便 而求於解脫 |
種種の禽獣に及ぶまで、爾らしめんと欲する者無く、 諸の天に生ずることの有るは、自在天の為す所なり。 余の造化の者に及びては、自力にて方便するもの無けれど、 もし由って生ずる所有らば、彼はまたよく滅せしむ、 何を須(も)ってか自ら方便して、解脱を求むるや。 |
種種の、 禽獣にいたるまで、 そのようにしようとした者はありません。 諸の天に、 生れるということは、 自在天(じざいてん、色界の頂天の主)が為すのであり、 その他の神々に、そのような自力は有りません。 もし、 自在天の力で、生じるものならば、 自在天の力は、滅することもできるのです。 なぜ、 自ら方便して、 解脱を求める必要がありましょうか? |
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有言我令生 亦復我令滅 有言無由生 要方便而滅 如人生育子 不負於祖宗 學仙人遺典 奉天大祠祀 此三無所負 則名為解脫 古今之所傳 此三求解脫 若以餘方便 徒勞而無實 汝欲求解脫 唯習上方便 父王憂悲息 解脫道得申 |
『われは生ぜしむ、またまたわれは滅せしむ』と言うも有り、 『由って生ずる無きも、方便を要(も)って滅す』と言うも有り。 人の子を生みて育むが如きは、祖宗に負わず、 仙人の遺典を学び、天を報じて大いに祠祀(しし)す、 この三は負う所無し、則ち名づけて解脱と為す。 古今の伝うる所には、この三にて解脱を求むと、 もし余の方便を以ってせんは、徒労にして実無し。 汝は解脱を求めんと欲せば、ただ上の方便を習うのみ、 父王の憂悲は息み、解脱の道も申(の)ぶるを得。 |
『わたしは生れさせもし、また滅(ほろ)ぼしもする』と言う神が有り、 『わたしに由って生まれなくても、方便して滅ぼすことができる』と言う神も有ります。 人が子を生んで育てるということは、 先祖の力に負うものではありません。 仙人の遺した経典を学ぶこと、 天を奉じて祀りをすること、 この三は、 誰の力に負うこともありませんので、 これを、 解脱(げだつ、束縛されない)というのです。 古今の伝える所では、 この三によって、 解脱を求めるとあります。 もし、 その他の方法で、 解脱を求めても、 苦労するばかりで、 実を得ることはできません。 あなたも、 解脱を求めようとなさるならば、 この三の方便をお習いください。 そうすれば、 父王の憂いと悲しみとは息み、 解脱の道も開けることでしょう。 |
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捨家遊山林 還歸亦非過 昔奄婆梨王 久處苦行林 捨徒眾眷屬 還家居王位 國王子羅摩 去國處山林 聞國風俗離 還歸維正化 娑樓婆國王 名曰頭樓摩 父子遊山林 終亦俱還國 婆私晝牟尼 及與安低疊 山林修梵行 父亦歸本國 如是等先勝 正法善名稱 悉還王領國 如燈照世間 是故捨山林 正法化非過 |
家を捨てて山林に遊び、還(また)帰るもまた過に非ず、 昔奄婆梨(あんばり)王は、久しく苦行林に処して、 徒衆と眷属とを捨てて、家に還りて王位に居れり。 国王の子の羅摩(らま)は、国を去りて山林に処せるを、 国の風俗を聞いて離れ、還帰って正化(しょうけ)を維(つな)げり。 娑楼婆(しゃるば)国王は、名づけて頭楼摩(づるま)と曰い、 父子にて山林に遊びて、終にまた倶に国に還れり。 婆私昼(ばしちゅう)牟尼と、および安低畳(あんていじょう)とは、 山林にて梵行を修むるに、久しくしてまた本国に帰れり。 かくの如き等先の勝れたるは、法を正して名称を善くし、 悉く王の領国に還りて、灯の如く世間を照らせり。 この故に山林を捨て、法を正して化するは過に非ざるなり。』 |
いったん、 家を捨てて山林に遊んだ者が、 ふたたび、 帰ったとしても、 決して過ちとはもうせません。 昔、 奄婆梨(あんばり)王は、 何年も、苦行林で修行していましたが、 従僕たちも弟子たちも、皆捨てて家に還り、 王位に就きました。 羅摩王子は、 国を去って山林に入りましたが、 国の風俗を聞くと、そこを離れ、 また帰って王位を紹ぎました。 娑楼婆(しゃるば)国の頭楼摩(づるま)王は、 父と子とで、 山林に入って修行していましたが、 しまいには、いっしょに国に還りました。 婆私昼(ばしちゅう)牟尼(むに、聖人)と安低畳(あんていじょう)とは、 山林で修行していましたが、 やがてこれもまた本国に還りました。 このように、 先の勝れた聖人たちは、 道を開いて、 名称を世に伝えましたが、 悉く、 本国に還り、 灯のように世間を照らしました。 このことからも、 山林を捨てて、 正しい法で世を導くことは、 決して過ちではないのです。
注:奄婆梨(あんばり):神話上の王。 注:羅摩(らま):神話上の人物。 注:正化(しょうけ):正しい統治。 注:頭楼摩(づるま):神話上の王? 注:婆私昼(ばしちゅう):神話上の仙人。 注:牟尼(むに):身口意三業を静止して道を学ぶ者の尊号。 注:安低畳(あんていじょう):神話上の仙人。婆私昼に王儀を受ける。 注:父を久に改める。 |
太子は見解を変えない
太子聞大臣 愛語饒益說 以常理不亂 無礙而庠序 固志安隱說 而答於大臣 有無等猶豫 二心疑惑 而作有無說 我不決定取 淨智修苦行 決定我自知 世間猶豫論 展轉相傳習 無有真實義 此則我不安 |
太子、大臣の愛語と饒益(にょうやく)の説を聞けど、 常の理を以って乱さず、無礙にして庠序(しょうじょ)たり。 志を固うし安穏に説いて、大臣に答うらく、 『有無は等しく猶予(ゆうよ)たり。二心にて疑惑を増しながら、 有無の説を作すを、われは決定して取らざるなり。 浄智にて苦行を修めしに、決定してわれは自らを知る、 世間の猶予の論は、展転して相い伝え習うのみにて、 真実の義の有ること無しと。これに則ちわれは安んぜず。 |
太子は、 大臣の 慈愛あふれる説を聞いたが、 そのような 常識的な道理では乱されなかった。 自由に何にも妨げられず、 心安らかに、 志は固く、 穏やかに説いてこう答えられた、―― 『有と無とは、 等しく二つながら、 決定した解決に至らず、 二つの心は、 疑惑を増すだけであり、 有と無とを説くことは、 わたしの、 決してなさないことである。 浄い智慧でもって、 苦行を修めながら、 決定的に、 わたしは自らを知った。 世間の、 懐疑的な論議は、 次々と伝え習わしたものにすぎず、 真実の義は少しも有ることは無い。 ここに、 わたしの、 安らぎは無いのである。
注:愛語(あいご):慈愛ある語。 注:饒益(にょうやく):思いやりに富む。 注:無礙(むげ):こだわりが無く自由。 注:庠序(しょうじょ):学校。学校の中の子供のように安心したようす。 注:猶予(ゆうよ):疑って解決しない。 注:展転(てんでん):次々と。 |
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明人別真偽 信豈由他生 猶如生盲人 以盲人為導 於夜大闇中 當復何所從 於淨不淨法 世間生疑惑 設不見真實 應行清淨道 寧苦行淨法 非樂行不淨 |
明人の真偽を別つに、信をあに他に由って生ぜん。 なお生れながらの盲人の、盲人を以って導きと為すが如く、 夜の大闇中に、まさにまた何の所にか従うべきや。 浄不浄の法に於いて、世間は疑惑を生ずれど、 もし真実を見ずんば、まさに清浄の道を行ずべく、 むしろ苦しんで浄法を行ずるも、楽しんで不浄を行ずるに非ざれ。 |
明人(みょうにん、目あき)であれば、 自ら真偽を別けて信じる、 他に由って信を生じることがあろうか? 世間とは、 ちょうど、 生まれながらの盲人が、 盲人に先導されているようなものである。 夜の真っ暗闇の中で、 いったい、 何に従って行こうとしているのだろうか? 浄であるか、 不浄であるかに、 世間は、 疑惑を生じているが、 もし、 真実が見えないのであれば、 まさに、 清浄な道を行くべきであろう。 むしろ、 苦しんで、 浄い法を行う方が、 楽しんで、 不浄の法を行うより、よほどましである。
注:明人(みょうにん):目あき。 |
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觀彼相承說 無一決定相 真言虛心受 永離諸過患 語過虛偽說 智者所不言 如說羅摩等 捨家修梵行 終歸還本國 服習五欲者 此等為陋行 智者所不依 我今當為汝 略說其要義 日月墜於地 須彌雪山轉 我身終不易 退入於非處 寧身投盛火 不以義不畢 還歸於本國 入於五欲火 表斯要誓已 除起而長辭 |
彼の相い承くる説を観るに、一として決定の相無し。 真を言いて虚心に受くれば、永く諸の過患(かげん)を離れんに、 過を語り虚偽して、智者の言わざる所を説く。 羅摩等の家を捨てて梵行を修めしに、 終に本国に帰還して、五欲を服習(ふくじゅう)せりと説くが如きは、 これ等を陋行(ろうぎょう)と為し、智者の依らざる所なり。 われは今まさに汝が為に、略してその要義を説くべし、 『日月は地に墜ち、須弥と雪山と転ずるとも、 わが身は終に易(かわ)らず。退いて非処(ひしょ)に入らんよりは、 むしろ身を盛んなる火に投ぜん。儀を以ってせずんば畢(つい)に、 本国に還帰して、五欲の火に入らず。』と。 この要誓を表しおわりて、徐(おもむろ)に起ち長く辞したり。 |
彼等の、 承け伝えた説を観てみれば、 一として、 決定的な解決には至っていない。 ただ、 真実を言って、 虚心に受ける。 こうすれば、 永く諸の過ちの患を離れることができる。 過った虚偽の説を語ることは、 智者の言わないことである。 『羅摩等が、 家を捨てて山林で修行していたのに、 やがて本国に還って、 五欲(ごよく、色声香味触)に屈服して、 それが習慣となった。』と説かれているようであるが、 これ等は、 狭い見識による劣悪な行いであり、 智者は、 それに習おうとはしない。 わたしは、 今お前の為に、 略してその要義を説こう、―― 『日月が地に墜ちようと、 須弥山や雪山(せっせん、ヒマラヤ山)が転がろうと、 わたしの、 身は、決して変わらない。 わたしは、 修行を退いて、 道理に背くことを行うよりは、 むしろ、 身を火の燃えさかる中に投じよう。 道理に背いてまでも、 また本国に還って、 五欲の火に身を投じることは決してない。』 菩薩は、 このように誓いおわると、 おもむろに起ち上がり、 長く別れの挨拶をした。
注:過患(かげん):罪とが。 注:服習(ふくじゅう):屈服して習慣とする。 注:陋行(ろうぎょう):狭い見識による行い。 注:非処(ひしょ):道理に合わないこと。 注:要誓(ようぜい):重要なちかい。 |
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太子辯鋒炎 猶如盛日光 王師及大臣 言論莫能勝 相謂計已盡 唯當辭退還 深敬嘆太子 不敢強逼留 敬奉王命故 不敢速疾還 徘徊於中路 行邁顧遲遲 選擇黠慧人 審諦機悟士 隱身密伺候 然後捨而還
佛所行讚卷第二 |
太子が辯鋒の炎は、なお盛んなる日光の如し。 王師および大臣は、言論してよく勝うること莫く、 相い、『計すでに尽きぬ。ただまさに辞退して還るべし。』と謂い、 深く太子に敬嘆して、強いて逼りて留むることも敢てせず。 敬って王命を奉るが故に、速疾かに還ることも敢てせず、 中路を徘徊し、行邁(ぎょうまい)しては顧みて遅々たり。 黠慧(げつえ)の人を選択し、機悟(きご)の人を審諦(しんたい)して、 身を隠し密かに伺候(しこう)せしめ、然る後に捨てて還れり。
仏所行讃 巻の第二 |
太子の、 辯舌の鋒(ほこ)の炎は、 日の光よりも盛んであった。 王師と大臣とは、 論議で打ち勝つこともなく、 『万策尽きましたな。 ただ挨拶でもして還りましょうか。』と言い合って、 深く太子を敬って驚嘆した。 敢て、 速かに還ることもなく、 路の途中でうろうろと、 行き悩んでは後を顧み、 進みは遅々としていた。 やがて、 お供の中から、 賢い者を択び、 機敏かどうか、 利口かどうかを確かめると、 太子を、 密かに探らせるよう、 てはずを調え、 その後に、 城に還ったのである。
注:行邁(ぎょうまい)前に進む。 注:黠慧(げつえ):利口。 注:機悟(きご):機敏にして利口。 注:審諦(しんたい):明らかにする。 注:伺候(しこう):うかがう。 |
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