仏

所

行

讃

處宮品第二

処宮品（しょぐうぼん）第二

王宮にて世事を楽しみ、妃耶輸陀羅（やしゅだら）は一子羅睺羅（らごら）を生む。

　時白淨王家　　以生聖子故

　親族名子弟　　群臣悉忠良

　象馬寶車輿　　國財七寶器

　日日轉�搶氈@　隨應而集生

　無量諸伏藏　　自然從地出

時に白浄（びゃくじょう、浄飯）王家、聖子を生ずるを以っての故に

親族、名子弟、群臣は悉く忠良なり。

象馬、宝の車輿、国財、七宝の器は

日日に転（うた）た増して勝れ、随い応じて集まり生じ

無量の諸伏蔵は自然に地より出づ。

その頃、

　　　浄飯王の家には、

　　　　　　聖なる子が生まれたことによって、

　　　　　　　　　親族、名家の子弟、群臣などは、

　　　　　　　　　　　　皆、悉く忠良になった。

　　　　　　　　　象、馬、宝の車、輿、国の財、七宝の器具なども、

　　　　　　　　　　　　日日に、どんどん勝れたものが増え、

　　　　　　　　　　　　必要に応じて、集まって生じた。

　　　　　　　　　無量の金銀財宝なども、

　　　　　　　　　　　　自然に、地中より出た。

　　注：白浄（びゃくじょう）王：浄飯王。

　　注：聖子（しょうし）：聖者となる子。

　　注：群臣（ぐんしん）：大勢の大臣。

　　注：忠良（ちゅうりょう）：まごころがあり善良。

　　注：伏蔵（ふくぞう）：地中に隠れた宝の蔵。

　　注：自然（じねん）：人為によらないこと。

　清淨雪山中　　兇狂群白象

　不呼自然至　　不御自調伏

　種種雜色馬　　形體極端嚴

　朱髦纖長尾　　超騰駿若飛

　又野之所生　　應時自然至

　純色調善牛　　肥壯形端正

　平步淳香乳　　應時悉雲集

清浄なる雪山中の兇狂なる群の白象は

呼ばざるに自然に至り、御せざるに自ら調伏す。

種種の雑色の馬は、形体極めて端厳、

朱の髦（たてがみ）に繊長の尾、超騰して駿（はや）きこと飛ぶが若し。

また、野の生ずる所も、時に応じて自然に至り、

純色にして調善の牛は、肥壮にして形端正、

平に歩んで淳香の乳あり、時に応じて悉く雲集す。

　　　　　　　　　清浄な雪山（せっせん、ヒマラヤ山）の中の、

　　　　　　　　　　　　凶暴な群をなす白象は、

　　　　　　　　　　　　　　　呼ばなくても、自然に近寄り、

　　　　　　　　　　　　　　　御さなくても、自らよく従い、

　　　　　　　　　種種の雑色（ざっしき、まだら）の馬は、

　　　　　　　　　　　　形体は、極めて端正で乱れたところがなく、

　　　　　　　　　　　　朱い髦（たてがみ）は、繊細で長く、

　　　　　　　　　　　　流れるように馳（はし）り、飛ぶように跳（こ）えた。

　　　　　　また、

　　　　　　　　　野のものは、

　　　　　　　　　　　　季節に応じて、自然に生じた。

　　　　　　　　　純色のおとなしく善い牛は、

　　　　　　　　　　　　よく肥えて勇ましく、

　　　　　　　　　　　　形は端正であり、

　　　　　　　　　　　　穏やかに歩んで、

　　　　　　　　　　　　清く香のよい乳をだし、

　　　　　　　　　　　　季節がくれば、

　　　　　　　　　　　　　　　悉く、雲のように集まった。

　　注：雪山（せっせん）：ヒマラヤ山脈。

　　注：兇狂（くごう）：凶暴。

　　注：白象（びゃくぞう）：白い象、象中の王。

　　注：調伏（ちょうぶく）：調和させて屈伏する。

　　注：雑色（ざっしき）：種種の色が交わる。

　　注：繊長（せんちょう）：細く長い。

　　注：超騰（ちょうとう）：高い所にのぼる。

　　注：純色（じゅんしき）：色がまじらない。ひといろ。

　　注：調善（ちょうぜん）：調和と善良。

　　注：肥壮（ひそう）：大きくて雄々しい。

　　注：端正（たんじょう）：端正。正しくて乱れがないこと。

　　注：平歩（ひょうぶ）：平らに歩む。歩くとき背が高下しないこと。

　　注：淳香（じゅんこう）：清く香る。

　　注：雲集（うんじゅう）：雲が湧きでるように集まること。

　怨憎者心平　　中平益淳厚

　素篤�攝e密　　亂逆悉消除

　微風隨時雨　　雷霆不震裂

　種殖不待時　　收實倍豐積

　五穀鮮香美　　輕軟易消化

怨憎する者は心平らかに、中平なるは益（ますま）す淳厚、

素より篤きは増々親密に、乱逆なるは悉く消除す。

微風は時に随うて雨ふらし、雷霆（らいてい）は震裂せず、

種殖（しゅじき）に時を待たず、実りを収むるは倍して豊積（ぶしゃく）し、

五穀は鮮香ありて美く、軽軟にして消化し易し。

　　　　　　また、

　　　　　　　　　怨み憎む者たちは、

　　　　　　　　　　　　心が穏やかになり、

　　　　　　　　　そうでない者たちは、

　　　　　　　　　　　　ますます温厚となり、

　　　　　　　　　もともと人情の厚い者たちは、

　　　　　　　　　　　　ますます親密になって、

　　　　　　　　　乱暴したり反逆したりする者も、

　　　　　　　　　　　　悉く、いなくなった。

　　　　　　また、

　　　　　　　　　微風は、必要な時に雨をもたらし、

　　　　　　　　　雷鳴が、轟くこともなく、

　　　　　　　　　気候は穏やかで、種をいつ蒔いてもよく実り、

　　　　　　　　　収穫は、倍して積まれ、

　　　　　　　　　五穀は、

　　　　　　　　　　　よく香って美（うま）く、

　　　　　　　　　　　軟らかくて消化しやすい。

　　注：怨憎（おんぞう）：怨んで憎む。

　　注：中平（ちゅうひょう）：心中が平らか。

　　注：淳厚（じゅんこう）：すなおで情が厚い。

　　注：親密（しんみつ）：非常に親しい。

　　注：乱逆（らんぎゃく）：乱れて逆らう。

　　注：消除（しょうじょ）：消滅。

　　注：微風（みふう）：そよ風。

　　注：雷霆（らいてい）：かみなりといなづま。

　　注：震裂（しんれつ）：大地をふるわせ雲をきりさく。

　　注：種殖（しゅじき）：種を植える。

　　注：豊積（ぶしゃく）：豊かに積み上げる。

　　注：鮮香（せんこう）：新鮮な香。

　　注：軽軟（きょうなん）：軽く軟らか。

　　注：消化（しょうけ）：消化。

　諸有懷孕者　　身安體和適

　除受四聖種　　諸餘世間人

　資生各自如　　無有他求想

　無慢無慳嫉　　亦無恚害心

　一切諸士女　　玄同劫諸人

諸の懐孕（えよう）有る者は、身は安く体は和適なり、

四聖種（ししょうしゅ）を受けたるを除きて、諸余の世間の人は、

資生（ししょう）は各自ずから如（いた）りて他に求むる想の有ること無く、

慢ずること無く慳嫉無く、また恚害心も無く、

一切の諸の士女の玄なることは劫初の人に同じなり。

　　　　　　また、

　　　　　　　　　子を懐（はら）んだ者たちは、

　　　　　　　　　　　　身が安らかになり、

　　　　　　　　　　　　手足は和らぎ快くなった。

　　　　　　　　　衣食に不満をもたない修行者を除けば、

　　　　　　　　　　　　他の世間の人は、

　　　　　　　　　　　　　　　生きるに必要な衣食住が、自然に備わり、

　　　　　　　　　　　　　　　他人に求めようとは想わない。

　　　　　　　　　他を侵す者もなく、

　　　　　　　　　惜む者もなく、

　　　　　　　　　嫉む者もなく、

　　　　　　　　　怒る者もなく、

　　　　　　　　　害する者もない。

　　　　　　　　　一切の諸の男女は、

　　　　　　　　　　　　悉く、

　　　　　　　　　　　　　　　天の徳があり、

　　　　　　　　　　　　　　　世界の始まりの人と同じであった。

　　注：懐孕（えよう）：懐妊。

　　注：和適（わじゃく）：調和して快適。

　　注：資生は生活のもとで、衣食住の具をいう。

　　注：諸余（しょよ）：その他の。

　　注：慳嫉（けんしつ）：慳貪と嫉妬。自らの物を惜んで他人の物を妒む。

　　注：恚害（いがい）：瞋恚と殺害。瞋りと殺生。

　　注：士女（しにょ）：男女。

　　注：劫諸（ごうしょ）：劫初（ごうしょ）に改める。　劫初は世界の始まり。

　　注：玄（げん）：奥深いこと。　また玄徳、すなわち天の徳があることをいう。

　　注：四聖種とは聖者の種姓をいう。　（１）衣服、（２）飲食、（３）臥具は得たるものだけで喜足し、（４）断悪修善を楽しむ者の意。

　天廟諸寺舍　　園林井泉池

　一切如天物　　應時自然生

　合境無飢餓　　刀兵疾疫息

天廟、諸の寺舎、園林、井泉、池、

一切は天の物の如く、時に応じて自然に生じ、

境を合すれば飢餓する無く、刀兵、疾疫も息む。

　　　　　　また、

　　　　　　　　　天を祠る廟、諸の寺舎、園林、井戸、泉、池などの、

　　　　　　　　　一切は、

　　　　　　　　　　　　天の物であるかのように、

　　　　　　　　　　　　必要な時には、自然に生じた。

　　　　　　　　　その故に、

　　　　　　　　　　　　境を合せて隣国までもが、

　　　　　　　　　　　　　　　飢餓がなくなり、

　　　　　　　　　　　　　　　戦乱も疫病も止んだ。

　　注：天廟（てんみょう）：神社。

　　注：寺舎（じしゃ）：寺院。

　　注：園林（おんりん）：畑と林。

　　注：刀兵（とうびょう）：武器と兵隊。

　　注：疾疫（しつやく）：病気。やまい。

　國中諸人民　　親族相愛敬

　法愛相娛樂　　不生染污欲

　以義求財物　　無有貪利心

　為法行惠施　　無求反報想

　脩習四梵行　　滅除恚害心

国中の諸の人民は、親族相い愛敬し、

法愛（ほうあい）して相い娯楽し、染汚の欲を生ぜず

義を以って財物を求めども、貪利の心の有ること無く、

法の為に恵施を行いて、反報を求むるの想無く、

四梵行を修習して、恚害心を滅除せり。

　　　　　　また、

　　　　　　　　　国中の諸の人民は、

　　　　　　　　　　　　親族であれば、互いに敬愛し、

　　　　　　　　　　　　正法を愛して、互いに楽しみ、

　　　　　　　　　　　　煩悩に汚染された、欲を生じず、

　　　　　　　　　　　　正しい方法で、財物を求め、

　　　　　　　　　　　　貪って自ら利する心がなく、

　　　　　　　　　　　　正法のためには、

　　　　　　　　　　　　　　　施しを行って、その報を求めようとは想わず、

　　　　　　　　　　　　　　　慈（人に楽を与えること）と、

　　　　　　　　　　　　　　　悲（人の苦を除くこと）と、

　　　　　　　　　　　　　　　喜（人の喜びを喜ぶこと）と、

　　　　　　　　　　　　　　　捨（自他の区別を捨てて施すこと）とを

　　　　　　　　　　　　　　　　　　習慣にして行い、

　　　　　　　　　　　　　　　怒って害する心をなくした。

　　注：人民（にんみん）：人民。

　　注：愛敬（あいきょう）：愛し敬う。

　　注：娯楽（ごらく）：たのしむ。

　　注：染汚（せんお）：心を汚すもの。色声香味触法の境界。見るもの聞くもの。

　　注：貪利（とんり）：利益をむさぼる。

　　注：恵施（えせ）：恵みて施す。布施。ほどこし。

　　注：反報（へんぽう）：おかえし。

　　注：四梵行とは、四つの清浄の行。　謂わゆる慈悲喜捨。

　　注：修習（しゅうじゅう）：習慣的に修行すること。

　　注：法愛（ほうあい）：正法を愛する、道理に従う。愛に二種有り、一は欲愛、凡夫の愛著をいう。　二は法愛、菩薩以上の愛で、善法を楽しみ愛することをいう。

　過去摩[少/兔]王　

　生日光太子

　舉國蒙吉祥　　眾惡一時息

　今王生太子　　其�ｺ亦復爾

　以備眾�ｺ義　　名悉達羅他

摩[少/兔]（まぬ）王、日光太子を生ぜしとき、

国を挙げて吉祥を蒙り、衆悪一時に息（や）みき。

今、王太子を生じぬれば、その徳もまた爾（しか）らん、

衆徳を備うる義を以って、悉達羅他（しったらた）と名づく。

　　　　　　摩［少／兔］（まぬ、人間の祖先）王が、

　　　　　　　　　日光太子を生んだときは、

　　　　　　　　　　　　国を挙げて、吉祥（よいしるし）を蒙り、

　　　　　　　　　　　　衆悪が、一時に止んだ。

　　　　　　今、

　　　　　　　　　浄飯王は、太子を生んだ、

　　　　　　　　　その徳も、同じである。

　　　　　　衆徳を備えるという意味で、

　　　　　　　　　太子を悉達羅他（しったらた）、『すべてが成就した』と名づけた。

　　注：摩［少/兔］（まぬ）：人間の祖。神話。

　　注：日光太子（にっこうたいし）：神話。

　　注：吉祥（きちじょう）：めでたいこと。

　　注：衆悪（しゅあく）：多くの悪。

　　注：衆徳（しゅとく）：多くの徳。徳は善いことをする力。

　　注：悉達羅他（しったらた）：シッダールタ、訳して一切義成就、釈迦の幼名。

　時摩耶夫人　　見其所生子

　端正如天童　　眾美悉備足

　過喜不自勝　　命終生天上

時に摩耶夫人、その生む所の子を見るに、

端正なること天の童の如く、衆美悉く備足すれば、

喜びの過ぐること自ら勝（た）えずして、命終りて天上に生ぜり。

その頃、

　　　摩耶夫人は、

　　　　　自ら生んだ子を見たところ、

　　　　　　　　天童のように端正であり、

　　　　　　　　多くの美点が、

　　　　　　　　　　悉く備わっていたので、

　　　　　喜びが過ぎて堪えきれず

　　　　　　　　命が終って、

　　　　　　　　天上に生れた。

　　注：備足（びそく）：満足に備わる。具備。

　大愛瞿曇彌　　見太子天童

　�ｺ貌世奇挺　　既生母命終

　愛育如其子　　子敬亦如母

大愛瞿曇弥（くどんみ）、太子の天の童のごときを見るに、

徳貌は世に奇挺（きじょう）なれど、既に生母の命の終りたれば、

その子の如く愛育し、子の敬えることもまた母の如し。

大愛瞿曇弥（だいあいくどんみ）が、

　　　天童のような太子を見たところ、

　　　徳のある容貌は、ひときわぬきんでていた。

　　　すでに、

　　　　　　生母の命は終っていたので、

　　　　　　　　　自らの子のように愛育し、

　　　　　　　　　子は、また母のように敬った。

　　注：天童（てんどう）：天の童子。

　　注：徳貌（とくみょう）：徳のある容貌。

　　注：奇挺（きじょう）：勝れてぬきんでる。

　　注：生母（しょうも）：生母。

　　注：大愛瞿曇弥（だいあいくどんみ）：摩訶波闍波提・瞿曇弥（まかはじゃはだい・くどんみ）、摩耶の妹であり、釈迦の継母であるが故に、また大愛道と呼ばれる。　釈迦の一族の姓は瞿曇（くどん）、女性の場合は瞿曇弥（くどんみ）という。

　猶日月火光　　從微照漸廣

　太子長日新　　�ｺ貌亦復爾

　無價栴檀香　　閻浮檀名寶

　護身神仙藥　　瓔珞莊嚴身

なお日、月、火の光の微かなるより、ようやく広く照らすが如く、

太子の長ずるも日に新たに、徳貌もまたまた爾なり。

無価（むげ）の栴檀香、閻浮檀（えんぶだん）の名宝と

護身の神仙薬とを瓔珞として身を荘厳す。

日や月の光が、

　　　初めはかすかに照らし、だんだん広く照らすように、

太子も、

　　　日に日に長じて新しく、

　　　徳のある容貌も、また同じように広く照らした。

高価な、

　　　栴檀香と純金と名宝と、

　　　身を護る神仙の薬とが、

　　　　　瓔珞（ようらく、胸飾り）となって、

　　　　　太子の身を飾った。

　　注：無価（むげ）：無限の価値。

　　注：栴檀（せんだん）：南印度に生ずる香木。

　　注：閻浮檀（えんぶだん）：閻浮檀金（えんぶだんこん）、最も純度の高い金の名。

　　注：名宝（みょうほう）：名高い宝。

　　注：瓔珞（ようらく）：頭や胸に飾る垂れ飾り。

　　注：荘厳（しょうごん）：厳かに飾り付ける。

　附庸諸鄰國　　聞王生太子

　奉獻諸珍異　　牛羊鹿馬車

　寶器莊嚴具　　助�ｽ太子心

附庸（ぶよう）せる諸の隣国は、王に太子の生ぜるを聞いて、

諸の珍異を奉献し、牛、羊、鹿、馬の車、

宝器、荘厳の具にて太子が心を助けて悦ばしむ。

従属する諸の隣国では、

　　　王に太子が生まれたと聞いて、

　　　　　　諸の珍宝を奉げてたてまつった。

牛、羊、鹿、馬の引く車、宝の装身具などが、

　　　太子の身を荘厳して、

　　　太子の心を悦ばせた。

　　注：附庸（ぶよう）：大国の周辺にある小国が従属すること。

　　注：珍異（ちんい）：めずらしいもの。

　　注：奉献（ぶこん）：たてまつる。

　雖有諸嚴飾　　嬰童玩好物

　太子性安重　　形少而心宿

　心栖高勝境　　不染於榮華

　修學諸術藝　　一聞超師匠

諸の厳飾、嬰童玩好の物有りといえども、

太子が性は安重にして、形少（わか）くとも心宿れり。

心は高勝の境に栖（す）んで、栄華に於いて染まず、

諸の術芸を修学して、一たび聞かば師匠に超えたり。

諸の荘厳の具で身を飾り、

幼童の愛玩する物にかこまれていたが、

　　　太子は、

　　　　　　性質が、穏やかで重々しく、

　　　　　　形は、年少であるが、

　　　　　　心は、すでに成人していた。

　　　太子の心は、

　　　　　　高く勝れた境界にあり、

　　　　　　栄華に染まることなく、

　　　　　　諸の学問武芸を学ぶときも、

　　　　　　　　　一たび、聞けば、

　　　　　　　　　もう、師匠を超えていた。

　　注：厳飾（ごんじき）：細工に手抜きのない飾り。厳は手抜きのないこと。

　　注：嬰童（ようどう）：みどりご。

　　注：玩好（がんこう）：愛玩。

　　注：安重（あんじゅう）：落ち着いて重々しい。

　　注：栄華（ようけ）：栄華。

　　注：修学（しゅがく）：まなぶ。

　父王見聰達　　深慮踰世表

　廣訪名豪族　　風教禮義門

　容姿端正女　　名耶輪陀羅

　應嫂太子妃　　誘導留其心

父王見れば聡達にして、深慮は世表を踰（こ）ゆ、

広く、名豪族の風教（ふうきょう）と礼儀の門を訪れ、

容姿の端正なる女、耶輸陀羅（やしゅだら）と名づくるを、

まさに太子の妃に娉（めと）るべく、誘導してその心を留む。

父王は、

　　　太子を見た、

　　　　　　聡明達者であり、

　　　　　　世の規範を超えている。

　　　広く、

　　　　　　名家豪族の教育と礼儀の行き届いた家を訪れて、

　　　太子に、

　　　　　　容姿が端正で名を耶輸陀羅（やしゅだら）という女を、

　　　　　　妃（きさき）としてめとらせた。

　　　太子の心を、

　　　　　　誘導して、その女に留めようとしたのである。

　　注：聡達（そうたつ）：聡明にして通達。かしこくして物事に通じる。

　　注：深慮（じんりょ）：深い思慮。深いかんがえ。

　　注：世表（せひょう）：世間の規範。

　　注：風教（ふうきょう）：家風による教化。

　　注：礼儀（らいぎ）：礼儀。

　　注：耶輸陀羅（やしゅだら）：拘利（くり）城主善覚長者の女。

　　注：嫂は他本により娉に改める。

　太子志高遠　　�ｺ盛貌清明

　猶梵天長子　　舍那鳩摩羅

太子が志は高遠、徳盛んにして貌の清明なること、

なお梵天の長子、舎那鳩摩羅（しゃなくまら）の如し。

太子は、

　　　志が高遠で、

　　　徳は盛んであり、

　　　容貌は清明であり、

　　　ちょうど、

　　　　　　梵天の長子の舎那鳩摩羅（しゃなくまら）のようであった。

　　注：高遠（こうおん）：志が高く勝れていること。

　　注：清明（しょうみょう）：清く明らか。

　　注：梵天（ぼんてん）：大梵天。色界初禅天の王。婬欲を離れたるによって梵という。

　　注：舎那鳩摩羅（しゃなくまら）：梵天の心より生まれた四子の随一。

　賢妃美容貌　　窈窕淑妙姿

　瑰艷若天后　　同處日夜歡

　為立清淨宮　　宏麗極莊嚴

　高峙在虛空　　迢遰若秋雲

　溫涼四時適　　隨時擇善居

賢妃は、美しき容貌と窈窕（ようちょう）にして淑妙なる姿、

瑰艶（かいえん）たること天后の若く、処を同じうして日夜歓（たの）しむ。

為に清浄なる宮を立つるに、宏麗にして荘厳を極め、

高く跱（そばだ）ちて虚空に在り、迢遰（じょうたい）して秋の雲の若く、

温涼の四時に適わんがため、時に随うて善居を択ぶ。

賢い妃は、

　　　容貌は美しく、

　　　姿はやさしくしとやかで、

　　　天の后（きさき）のようにあでやかである。

太子は、

　　　妃と同じ処にいて、

　　　日夜に歓（たの）しんだ。

二人の為に、

　　　清浄な宮が立てられた。

　　　宮は、

　　　　　　広く壮麗に荘厳を極め、

　　　　　　高く屹立して虚空に在り、

　　　　　　秋の雲のように天に浮かんでいる。

　　　　　　温涼が、四季に適うように、

　　　　　　時に応じて、より善い宮殿を択んで遷り住んだ。

　　注：賢妃（けんぴ）：賢い妃。

　　注：容貌（ようみょう）：かおかたち。

　　注：窈窕（ようちょう）：おくゆかしいこと。

　　注：淑妙（しゅくみょう）：しとやかでかぼそいこと。

　　注：瑰艶（かいえん）：目立ってはでやかなこと。

　　注：天后（てんぐ）：梵天の后。

　　注：宏麗（おうらい）：広く美しい。

　　注：迢遰（じょうたい）：たかいさま。

　　注：温涼（おんりょう）：温暖と清涼。

　　注：四時（しじ）：四季。

　　注：善居（ぜんご）：善い住居。

　妓女眾圍遶　　奏合天樂音

　勿鄰穢聲色　　令生厭世想

　如天犍撻婆　　自然寶宮殿

　樂女奏天音　　聲色耀心目

　菩薩處高宮　　音樂亦如是

妓女衆は囲遶（いにょう）して、天の楽音を奏（かな）で合わすれど、

穢き声と色とに隣して、厭世の想いを生ぜしむること勿（な）し。

天の�ﾉ撻婆（けんだつば）の、自然に宝の宮殿にて、

楽女は天音を奏でて、声の色は心の目に耀くが如く、

菩薩は高き宮に処して、音楽もまたかくの如し。

　　　音楽をする女たちは、

　　　　　　声を合わせて天の音楽を奏で、

　　　　　　穢い音楽や女体によって、厭世の想いを生じさせなかった。

　　　天では、

　　　　　　楽神が、自然の宝の宮殿の中で奏で、

　　　　　　楽女が、

　　　　　　　　　天の音を奏で、

　　　　　　　　　音楽の女体とは心の目に耀く。

　　　菩薩も、

　　　　　　天と同じように、高い宮にいて、

　　　　　　天と同じように、音楽をしていた。

　　注：妓女（ぎにょ）：歌舞のための女官。

　　注：囲遶（いにょう）：とりかこむ。

　　注：声色（しょうしき）：音楽と女色。

　　注：厭世（えんせ）：世間をいとう。

　　注：宮殿（くでん）：宮殿。

　　注：�ﾉ撻婆（けんだつば）：天の楽神。

　　注：楽女（がくにょ）：音楽をする女官。

　父王為太子　　靜居修純�ｺ

　仁慈正法化　　親賢遠惡友

　心不染恩愛　　於欲起毒想

父王は太子の為に、静居して純（もっぱ）ら徳を修め、

仁慈と正法にて化し、賢に親しみ悪友を遠ざく。

心は恩愛に染まざれど、毒想を起こさんと欲することに於いてなり。

父王は、

　　　太子の為になるように、

　　　　　　住居内を静かにして、ただ徳のみを修め、

　　　　　　仁慈をしいて、正法にて導き、

　　　　　　賢者に親しんで、悪友を遠ざけたので、

　　　心は、

　　　　　　恩愛に汚染されず、

　　　　　　欲望に於いても、

　　　　　　　　毒になる想いを起こさなかった。

　　注：父王（ぶおう）：父王。

　　注：静居（じょうこ）：静かにしていること。

　　注：仁慈（にんじ）：慈愛。

　　注：悪友（あくう）：悪友。

　　注：恩愛（おんない）：妻子父母にたいする愛情。

　　注：毒想（どくそう）：毒になるおもい。

　攝情撿諸根　　滅除輕躁意

　和顏善聽訟　　慈教厭眾心

　宣化諸外道　　斷諸謀逆術

　教學濟世方　　萬民得安樂

　如令我子安　　萬民亦如是

情を摂（おさ）め諸根を撿（しら）べて、軽躁の意を滅除し、

和顔して善く訟を聴き、慈にて教え衆心を厭い、

宣べて諸の外道を化し、諸の謀逆の術を断ち、

教えて済世の方を学ばしむれば、万民は安楽を得て、

我が子をして安らかならしむるが如く、万民もまたかくの如し。

　　　また、

　　　　　　情に流されることなく、

　　　　　　眼耳鼻舌身の五根を慎み、

　　　　　　意が軽々しく騒ぐのをおさえ、

　　　　　　和やかな顔で、善く訴えを聴き、

　　　　　　慈悲をもって教えさとし、

　　　　　　雑多な心が起こるのを避け、

　　　　　　諸の外道には、正法を宣布し、

　　　　　　諸の謀反と反逆の術を断ち、

　　　　　　庶民には

　　　　　　　　　暮らしに役立つ方法を教えて学ばせ、

　　　　　　　　　万民を安楽にした。

　　　　　　我が子を安楽にするように、

　　　　　　　　　万民を安楽にしたのである。

　　注：諸根（しょこん）：眼耳鼻舌身等の知見の根本的力。

　　注：軽躁（きょうそう）：かるがるしくさわがしい。

　　注：和顔（わげん）：温和な顔。

　　注：外道（げどう）：仏道の外の道。

　　注：謀逆（むぎゃく）：謀反反逆。

　　注：済世（さいせ）：世をわたる。

　　注：万民（まんみん）：万民。

　事火奉諸神　　叉手飲月光

　恒水沐浴身　　法水澡其心

　祈福非存己　　唯子及萬民

火に事（つか）えて諸の神を奉じ、叉手して月光を飲み、

恒に水に身を沐浴し、法の水にてその心を澡ぎ、

福を祈れど己に存するに非ずして、ただ子と万民に及ぼす。

　　　また、

　　　　　　諸の神を奉じて、火に事（つか）え、

　　　　　　指をあざえた手のひらに、月光を受けて飲み、

　　　恒に、

　　　　　　沐浴して、その身を水につけ、

　　　　　　正法の水で、その心を澡いで福を祈った。

　　　　　　自分の為ではなく、

　　　　　　ただ、子および万民の為に。

　　注：事火（じか）：火につかえる。火神アグニをまつること。

　　注：叉手（さしゅ）：十指をあざなうこと。

　　注：月光（がっこう）：月光。

　　注：沐浴（もくよく）：沐は髪を洗い、浴は身を洗うこと。

　愛言非無義　　義言非不愛

　愛言非不實　　實言非不愛

　以有慚愧故　　不能如實說

　於愛不愛事　　不依貪恚想

　志存於寂默　　平正止諍訟

　不以祠天會　　勝於斷事福

愛にて言うも義無きに非ず、義にて言うも愛せざるに非ず、

愛にて言うも実ならざるに非ず、実にて言うも愛せざるに非ず、

慚愧すること有るを以っての故に、如実に説くこと能わず。

愛と愛せざるとの事に於いて、貪恚の想に依らず、

志は寂黙に於いて存すれど、平正に諍訟を止め、

天を祠る会を以ってせずとも、断事の福に於いて勝れり。

　　　また、

　　　　　　愛のある言葉に道理が無いことはなく、道理を説く言葉に愛が無いことはない、

　　　　　　愛のある言葉に真実が無いことはなく、真実を説く言葉に愛が無いことはない、

　　　ただ、

　　　　　　恥じる心が有ったので、ありのままには話せなかった。

　　　また、

　　　　　　愛することも愛さないこともあったが、欲望や怒りのためではなく、

　　　　　　心では静かに黙っていたかったが、公平に諍いごとや訴えをさばいた。

　　　また、

　　　　　　天に伺いを立てることをしなかったが、事を決断して勝れた福を得た。

　　注：無義（むぎ）：意味がないこと。道理にはずれること。

　　注：慚愧（ざんき）：恥。自分にはじ他人にはじること。

　　注：如実（にょじつ）：実のごとく。真実にそって。

　　注：寂黙（じゃくもく）：静かに黙っている。

　　注：平正（ひょうしょう）：公平にして中正。

　　注：諍訟（じょうしょう）：諍論と訴訟。

　　注：会（え）：集会。

　　注：断事（だんじ）：事を決断する。

　見彼多求眾　　豐施過其望

　心無戰爭想　　以�ｺ降怨敵

　調一而護七　　離七防制五

　得三覺了三　　知二捨於二

彼（かしこ）に多く求むる衆を見れば、豊かに施してその望みに過ぎ、

心に戦争の想い無く、徳を以って怨敵を降し、

一を調えて七を護り、七を離れて五を防制し、

三を得て三を覚了し、二を知りて二を捨つ。

　　　また、

　　　　　　他国の多くを求める人々には、豊かに望み以上のものを施し、

　　　　　　戦争しようとは思わず、戦争によらずに徳によって敵を降した。

　　　　　　一（心？）を調えて、

　　　　　　　　　七（身口七業？殺生、偸盗、邪婬、悪口、妄語、両舌、綺語）を護り、

　　　　　　七（身口七業？）を離れて、

　　　　　　　　　五（五陰？色受想行識、人の身心）を防いで制し、

　　　　　　三（三三昧？空、無相、無願）を得て、

　　　　　　　　　三（三達？天眼、宿命、漏尽）を覚了し、

　　　　　　二（二諦？真諦、俗諦）を知って、

　　　　　　　　　二（二際？涅槃、生死）を捨てた。

　　注：一、七、五、三、二等、詳細は不明ながら、大乗的には上で問題ない。

　求情得其罪　　應死垂仁恕

　不加麤惡言　　軟語而教敕

　務施以財物　　指授資生路

情に求めてその罪を得、まさに死すべきにも仁恕を垂れ、

麁悪の言を加えず、軟語して教勅し、

務めて施すに財物を以ってし、資生の路を指授せり。

　　　また、

　　　　　　真心によって罪人の罪を量り、死にふさわしい者にも慈悲と寛容を垂れ、

　　　　　　暴言を吐かず、優しく語って教えさとし、

　　　　　　努めて財物を施し、生活の道を教えしめした。

　　注：仁恕（にんじょ）：慈愛と寛容。

　　注：麁悪（そあく）：粗暴凶悪。

　　注：軟語（なんご）：優しいことば。

　　注：教勅（きょうちょく）：教えさとす。

　　注：資生（ししょう）：生活をたすける。

　　注：指授（しじゅ）：指導して教授する。

　受學神仙道　　滅除怨恚心

　名�ｺ普流聞　　世間永消亡

　主匠修明�ｺ　　率土皆承習

　如人心安靜　　四體諸根從

神仙の道を受学して、怨恚の心を滅除し、

名と徳とは普く流聞して、世間は永く消亡す。

主匠、明徳を修すれば、率土（そつど）は皆承習（じょうしゅう）し、

人心安静なれば、四体諸根従うが如し。

　　　また、

　　　　　　王は、

　　　　　　　　　神仙の道を学んで怨みと怒りの心が無くなり、名声と徳とは普く世間に流れた。

　　　　　　世間は、

　　　　　　　　　　怨みと怒りとが、自然に消えて無くなった。

　　　主上が、

　　　　　　身を修めて

　　　　　　智慧と徳とが有れば、

　　　天下は、

　　　　　　隅々まで、皆それを承けて習う。

　　　例えば、

　　　　　　人の心が安らかで静かであれば、

　　　　　　四体と諸根とがよく従うように。

　　注：神仙（じんせん）：仙人。

　　注：怨恚（おんい）：うらみといかり。

　　注：流聞（るもん）：うわさが世間に流れる。

　　注：消亡（しょうもう）：消滅。

　　注：主匠（しゅしょう）：主上。

　　注：明徳（みょうとく）：明慧の徳。

　　注：率土（そつど）、率土の浜、天下の隅々までの意。

　　注：承習（じょうしゅう）：受けて習慣にする。

　　注：人心（にんしん）：人の心。

　　注：安静（あんじょう）：落ち着いて静まる。

　　注：四体（したい）：両手両足。

　時白淨太子　　賢妃耶輸陀

　年並漸長大　

　孕生羅[目*侯]羅

　白淨王自念　　太子已生子

　歷世相繼嗣　　正化無終極

　太子既生子　　愛子與我同

　不復慮出家　　但當力修善

　我今心大安　　無異生天樂

時に、白浄太子の賢妃耶輸陀は、

年並びにようやく長大し、羅睺羅（らごら）を孕み生ぜり。

白浄王の自ら念えらく、『太子、すでに子を生ぜり。

世を歴（へ）て相い嗣を継ぎ、正しく化して終極無からん。

太子、すでに子を生ぜり。　子を愛することも我と同じからん。

また出家を慮らず、ただまさに力（つと）めて善を修むべし。

我は今、心大いに安んじ、天に生るる楽と異なり無し。』と。

その頃、

　　　浄飯王の太子の賢妃耶輸陀羅は、

　　　　　　年とともに身体もようやく成長し、

　　　　　　身ごもって羅睺羅（らごら）を生んだ。

　　　浄飯王は、こう思った、――

　　　『太子に、

　　　　　　　子が生まれた。

　　　　代々、

　　　　　　　世を継ぎ、正しく国を導いて、

　　　　　　　それが終ることは、もう無くなった。

　　　　太子に、

　　　　　　　やっと、子が生まれた。

　　　　　　　子を愛することは、

　　　　　　　　　　わたしと同じであろう。

　　　　　　　もう、

　　　　　　　　　　出家することなどは考えず、

　　　　　　　　　　ただ、努めて善を修めればよいのだ。

　　　　わたしは、

　　　　　　　今、心が安らぎ、天に生まれたように楽しい。』と。

　　注：長大（ちょうだい）：成長。

　　注：羅睺羅（らごら）：釈迦の実子にして弟子。十大弟子中の密行第一。

　　注：終極（しゅごく）：終ってしまうこと。

　猶若劫初時　　仙王所住道

　愛行清淨業　　祠祀不害生

　熾然修勝業　　王勝梵行勝

　宗族財寶勝　　勇健伎藝勝

　明顯照世間　　如日千光耀

なお劫初の時の、仙王の住まる所の道の若く、

清浄の業を愛行して、祠祀（しし）によって生を害せず、

熾然（しねん）として勝業を修め、王勝れて梵行勝れ、

宗族の財宝勝れて、勇健と技芸勝れ、

明るく世間を顕照して日の千ばいの光の輝くが如し。

　　　浄飯王は、

　　　　　　世界の始まりの時、

　　　　　　仙人の王の行った道のように、

　　　　　　　　　清浄の業を愛し行い、

　　　　　　　　　神を祀る時にも殺生をせず、

　　　　　　　　　さかんに

　　　　　　　　　　　　勝れた行いを修めた。

　　　王は勝れていた。

　　　　　行いが勝れ、

　　　　　宗族も勝れ、

　　　　　財宝も勝れ、

　　　　　勇気も健康も勝れ、

　　　　　学問も武芸も勝れていた。

　　　　　明るく顕らかに、

　　　　　　　　世間を照らして、

　　　　　　　　日の千倍もひかり耀いていた。

　　注：劫初（ごうしょ）：世界の始まり。

　　注：祠祀（しし）：祭祀。

　　注：熾然（しねん）：さかんに火が燃える。さかんなさま。

　　注：勝業（しょうごう）：勝れた事業。

　　注：宗族（しゅうぞく）：一族。

　　注：勇健（ゆごん）：勇敢にして壮健。

　　注：顕照（けんしょう）：はっきりと照らし出す。

　所以為王者　　將為顯其子

　顯子為宗族　　榮族以名聞

　名高得生天　　生天為樂已

　已樂智慧�掾@　悟道弘正法

　先勝名聞所　　受行眾妙道

王者たる所以（ゆえん）は、まさにその子を顕すこと為るべし。

子を顕すは宗族の為なり。　族を栄えしむるは名聞を以ってす。

名高くば天に生ずることを得、天に生ずれば楽を為すのみ、

すでに楽なれば智慧増し、道を悟りて正法を弘む、

先ず名聞の所に勝（た）えて、衆の妙道を受行せん。

　　　王者といわれるそのわけは、

　　　　　　その子を世に顕すことにある。

　　　世に子を顕すのは、

　　　　　　宗族の為であり、

　　　宗族を栄えさせるのは、

　　　　　　名聞によってである。

　　　名が高ければ、

　　　　　　天に生まれることができ、

　　　天に生まれたならば、

　　　　　　ただ楽しみのみがある。

　　　そして楽しみおわれば、

　　　　　　智慧が増して道を悟り、

　　　　　　正法を弘めるようになる。

　　　先に、

　　　　　　名聞が立つように勝れよう。

　　　そうすれば、

　　　　　　多くの素晴らしい道を聞いて行うことができる。

　　注：名聞（みょうもん）の所：名聞のよって立つ場所。

　　注：受行（じゅぎょう）：教えを受けて行う。

　　注：妙道（みょうどう）：すばらしい道。すばらしい教え。

　唯願令太子　　愛子不捨家

　一切諸國王　　生子年尚小

　不令王國土　　慮其心放逸

　縱情著世樂　　不能紹王種

ただ願わくは太子をして、子を愛し家を捨てざらしめん。

一切の諸国の王は、子を生みて年なお小（わか）くんば、

王国の土に令（つ）げず、その心の放逸なるを慮りて、

情を縦（ほしいまま）にし世楽に著すれば、王種を紹ぐこと能わず。

　　　ただ願わくは、

　　　　　　太子が、

　　　　　　　　　子を愛して、

　　　　　　　　　家を捨てることがないように。

　　　一切の諸国の王は、

　　　　　　子を生んでも、

　　　　　　なお、

　　　　　　　　　年が若ければ、

　　　　　　　　　王位につくことはない。

　　　それは、

　　　　　　『その心が

　　　　　　　　　放逸で感情に流され、

　　　　　　　　　世俗の楽しみにふけって王位を継げないだろう。』と

　　　　　　心配するからである。

　　注：放逸（ほういつ）：放埒。気ままなること。

　　注：王種（おうしゅ）：刹帝利（せつていり）、印度四姓の第二、婆羅門に次ぐ王族の種。

　今王生太子　　隨心恣五欲

　唯願樂世榮　　不欲令學道

　過去菩薩王　　其道雖深固

　要習世榮樂　　生子繼宗嗣

　然後入山林　　修行寂默道

今、王に太子生まる。　心のままに五欲を恣（ほしいまま）にせんとも、

ただ願わくは楽しみて世に栄え、道を学ばしむるを欲せず。

過去の菩薩王も、その道は深く固しといえども、

要（かなら）ず世の栄を習い楽しんで、子を生み宗嗣を継いで、

然る後に山林に入り、寂黙の道を修行せるなり。

　　　今、

　　　　　　王に太子が生まれた。

　　　たとえ、

　　　　　　心のままに、

　　　　　　五欲（色声香味触）の楽しみにふけろうとも、

　　　ただ願わくは、

　　　　　　『太子は、

　　　　　　　　　　楽しんで世に栄えるように。

　　　　　　　天よ、どうか太子に

　　　　　　　　　　道を学ぼうとはさせないでくれ。』

　　　過去の菩薩王たちも、

　　　　　　その修行の道は深く固かったが、

　　　　　　かならず、

　　　　　　　　　世に栄え、楽しむことを習い、

　　　　　　　　　子を生み、世を継いで、

　　　　　　その後に、

　　　　　　　　　山林に入って、寂黙の道を修行したのである。

　　注：宗嗣（しゅうし）：宗家のあとつぎ。