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(上)
< 自 序 > 大般若理趣分(りしゅぶん)とも理趣分経ともいいますが、詳しくは大般若波羅蜜多経巻第五百七十八第十般若理趣分といいます。 大般若波羅蜜多経(大般若経)は600巻という巨大な巻数を誇るお経ですから、現代人にとっては、まず読んでしかも理解するということは、ほとんど無理といってもよいでしょう。このような理由で誰も読まないのですが、唯一この理趣分だけは例外で儀式的にはかなり頻繁に読まれているようです。 これは大般若経600巻の心髄を表わしている経だから読まれているということですが、しかし注釈書の類もそうそう見かけるということもありませんので、現代では理解することは相当に難しくなってしまいました。 我々が信奉する大乗仏教というものは、さまざまに姿を変えて発展してきましたが、その根底にあるのは平等という思想です。平等ということは他人もしくは他の生き物に対する強い共感から生ずる心で、自他または彼れ此れといった差別的認識を捨てるということなのです。仏教が外の宗教に対して真に優れているといい得るのは、この平等という思想によってです。 この平等について、あらゆる方面から解明することを通して、般若波羅蜜多を多面的に説明しようというのが、この大般若理趣分なのです。現代の仏教をもう一度見直すために、ご一緒に勉強してみようではありませんか。
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目 次
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はじめに
仏教は俗に八万四千の法門といわれるほどに入り口の多いものですが、ここでご一緒に勉強して頂きますのは、大般若経の般若理趣分という門です。この意味は読んで字の通り、大般若経の中で特に重要な言葉である般若波羅蜜多について、それを理解する道というように取って頂ければ良いようです。
般若波羅蜜多とは何かといいますと、これがなかなか一言で言い尽くせるようなものではありません。そのためにこの経典では、いくつかの側面から、間接的に説明しようとしています。しかしそれでもなお、般若波羅蜜多を理解することは簡単なものではありません。各々の般若経典のなかでは、般若波羅蜜多は言葉と道理とを超越していると言うだけで、直接的な説明は皆放棄しているのです。これは何でも論理的な整合性がなければ承知できないという人、或いは何でも近視眼的に視ようという人にとっては大変なことで、その意味はなかなか現れては来てくれません。一方、最初に目指す所を正しく設定して、それに向かって一路邁進していこうという者にとっては、少しも難しい所はありません。要するに何がいちばん大切かを思い出せということが般若波羅蜜多であるといっても、まあ当たらずといえども遠からずといった所だと思えば良いのです。
いくつかの仏教用語について説明します。もしまだ般若心経入門を読んでいらっしゃらない方は、先にそちらを読んでください。重要な概念が詳しく説明してあります。ここでは要点だけを確認するにとどめます。
1. |
仏、如来とは何か:理想的な世界の理念そのものをいいます。またそのような世界を造り終えた人をもいいます。 |
2. |
理想的な世界とは何か:一切の争いごとと、心配ごとがない世界をいいます。安楽世界、極楽世界のことです。 |
3. |
菩薩とは何か:他の生き物にたいする非常に強い共感により、自、他、彼れ、此れという差別的な感情を捨てて、全ての生き物を幸福にすることこそが、安楽世界の実現する唯一の方法だと悟り、ひたすらその実現に邁進する人をいいます。 |
4. |
平等とは何か:自、他、彼れ、此れという差別をしないことをいいます。また平等は空の別名でもあります。 |
5. |
六波羅蜜とは何か:平等にもとづく菩薩の行為の全てをいいます。六とは布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、静慮波羅蜜、般若波羅蜜のことです。布施と布施波羅蜜の違いはといいますと、布施波羅蜜は平等にもとづく所の布施というところが違います。布施をする人と、布施を受ける人とは同一物であると認識することです。言って見れば、右手の中にあるものを、左手に渡すように、そこには何のわだかまりもないことをいいます。全ての菩薩はこのように布施をしなければならないのです。また他の五波羅蜜は、多方からこの布施波羅蜜を支えています。 |
6. |
清浄とは何か:心が平等であることをいいます。私がとか、或いはこれは私の物という心を不浄であるといいます。 |
題 号
<目次>
大般若波羅蜜多經卷第五百七十八 三藏法師玄奘奉 詔譯 第十般若理趣分 |
大般若波羅蜜多經卷第五百七十八 三藏法師玄奘詔(みことのり)を奉じて訳す。 第十般若理趣分 |
大般若波羅蜜多經:総巻数600巻16会よりなる。時代の異なる16の般若経典を集成したもの。 般若理趣:般若波羅蜜多を理解するための道すじ。 |
序 分
<目次>
如是我聞。一時薄伽梵。妙善成就一切如來金剛住持平等性智種種希有殊勝功コ。已能善獲一切如來灌頂寶冠超過三界。已能善得一切如來遍金剛智大觀自在。已得圓滿一切如來決定諸法大妙智印。已善圓證一切如來畢竟空寂平等性印。於諸能作所作事業。皆得善巧成辦無餘。一切有情種種希願。隨其無罪皆能滿足。已善安住三世平等常無斷盡廣大遍照身語心性。猶若金剛等諸如來無動無壞 |
是の如く我聞けり。ある時、薄伽梵(ばぎゃぼん)妙に善く一切の如来の金剛住持と平等性智と種々希有の殊勝の功徳とを成就し、已(すで)に能善(よ)く一切の如来灌頂の宝冠を獲(え)て三界を超過し、已に能善く一切の如来の遍金剛智大観自在を得、已に善く一切の如来の諸法を決定したまえる大妙智印を円満することを得、已に善く一切の如来の畢竟空寂平等性印を円証して、諸の能作所作の事業において、みな善巧(ぜんぎょう)に成弁(じょうべん)して余なきことを得たまえり。 一切の有情、種々の希願を、その罪の無きに随いて、みな能く満足して、已に善く三世平等にして、常に断尽すること無く、広大遍照せる身語心性に安住すること猶し金剛のごとく、諸の如来に等しく無動無壊なり。 |
薄伽梵:バガヴァーン、世尊と訳す。 金剛住持:一切の菩薩の行願を満足して不退なること。 平等性智:彼我の平等を悟って、大慈悲を起こす智慧。 遍金剛智:大円鏡智、鏡に映すように、全てのものの実相を知る智慧。 大妙智印:妙観察智、一切の衆生を個別に観察して、その希願を知る智慧。 平等性智と大円鏡智と妙観察智は成所作智とあわせて、仏の四種の智慧(四智)という。ここで成所作智とは衆生の種々の希願にしたがって、方便を成ずる智慧。 三世平等:過去に差別の相なく、現在、未来にも無いことをいう。 |
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是薄伽梵。住欲界頂他化自在天王宮中。一切如來常所遊處。咸共稱美大寶藏殿。其殿無價末尼所成。種種珍奇間雜嚴飾。眾色交映放大光明。寶鐸金鈴處處懸列。微風吹動出和雅音。綺蓋諸ヲ花幢綵拂。寶珠瓔珞半滿月等。種種雜飾而用莊嚴。賢聖天仙之所愛樂 |
この薄伽梵、欲界頂の他化自在天王宮中に住(ましま)せり。一切の如来常に所遊の処にして、みなともに称美したまえる大宝蔵殿なり。 その殿、無価末尼(むげまに)の所成にして、種々の珍奇、間雑(けんざつ)して厳飾せり。もろもろの色交映(きょうよう)して、大光明を放つ。宝鐸(ほうじゃく)金鈴(こんりょう)処々に懸列し、微風吹き動かして和雅の音を出だす。綺蓋(きがい)諸ヲ(ぞうばん)花幢(けどう)綵拂(さいほつ)寶珠(ほうじゅ)瓔珞(ようらく)半滿月(はんまんがつ)等、種々に雑飾(ぞうじき)し用(もっ)て荘厳す。賢聖天仙に愛樂(あいぎょう)せらるる所なり。 |
無価末尼:末尼宝珠、この中より、あらゆる望みのものを出だす。 欲界頂の他化自在天王宮:欲界の最上位に位置する魔王の宮殿。 |
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與八十億大菩薩俱。一切皆具陀羅尼門三摩地門無礙妙辯。如是等類無量功コ。設經多劫讚不能盡。其名曰金剛手菩薩摩訶薩。觀自在菩薩摩訶薩。虛空藏菩薩摩訶薩。金剛拳菩薩摩訶薩。妙吉祥菩薩摩訶薩。大空藏菩薩摩訶薩。發心即轉法輪菩薩摩訶薩。摧伏一切魔怨菩薩摩訶薩。如是上首有八百萬大菩薩眾前後圍繞。宣說正法。初中後善文義巧妙純一圓滿清白梵行 |
(この薄伽梵)八十億の大菩薩と俱(とも)なり。一切皆、陀羅尼門(だらにもん)、三摩地門(さんまじもん)、無礙の妙辯を具せり。是の如き等の類の無量の功徳、たとい多劫を経て讚ずるとも尽くすこと能わず。 その名を金剛手(こんごうしゅ)菩薩摩訶薩、觀自在菩薩摩訶薩、虛空藏(こくうぞう)菩薩摩訶薩、金剛拳(こんごうけん)菩薩摩訶薩、妙吉祥(みょうきちじょう)菩薩摩訶薩、大空藏(だいくうぞう)菩薩摩訶薩、發心即轉法輪(ほっしんそくてんぽうりん)菩薩摩訶薩、摧伏一切魔怨(さいぶくいっさいまをん)菩薩摩訶薩という。是の如き上首は、八百万の大菩薩衆ありて、前後に囲繞せられ正法を宣説したもう。(それは)初めも中も後も善く、文義は巧妙にして、純一円満にして、清白梵行なり。
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陀羅尼門:総持と訳し、忘れないこと。 三摩地門:禅定、心を決定して、散乱しないこと。 無礙の妙辯:仏法を説いて、滞らないこと。 純一円満:正法をといて、過不足なし。 清白梵行:正法の清らかなることをいう。 |
第一菩薩句義の章
<目次>
爾時世尊為諸菩薩。說一切法甚深微妙般若理趣清淨法門。此門即是菩薩句義。云何名為菩薩句義 |
爾の時、世尊、諸の菩薩の為に一切の法、甚深微妙なる般若の理趣、清浄の法門を説きたもう。この門は、即ち是れ菩薩の句義なり。いかなるをか名づけて菩薩の句義となす。 |
菩薩:菩提(衆生(全ての生き物)を幸福にすることこそ究極の目的であると覚り)それを追求する人。 般若:菩薩の行動のよりどころである智慧、般若波羅蜜多。 菩薩句義:菩薩の言葉、菩薩はこのような言葉を吐露して、六波羅蜜(菩薩の行動と心の働き)を行う。 |
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謂極妙樂清淨句義是菩薩句義 |
謂(のたま)わく、極めて妙楽なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
どのような言葉を菩薩は言うかというと、 「極めて妙にして、楽しいのです」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
妙:真善美を極める。 清浄:罪のないこと、即ち無差別(彼と私とを別のものと考えないこと)、私心の無いこと。 |
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諸見永寂清淨句義是菩薩句義 |
諸見は永寂(ようじゃく)せりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「間違った考えはもう起きません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
諸見(しょけん):仏法にはずれた間違った考え。菩薩が自分の行動に疑問をもつことをいう。 |
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微妙適ス清淨句義是菩薩句義 |
微妙にして適ス(ちゃくえつ)なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「微妙でいて気持ちが良いものです」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
極妙樂が身心に苦しみが無いことをいうにたいし、微妙適スは身心が快いことをいう。 |
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渴愛永息清淨句義是菩薩句義 |
渇愛も永息(ようそく)せりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「渇愛がおこるということも、もうありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
渇愛:喉が渇いたように欲しくなること。 |
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胎藏超越清淨句義是菩薩句義 |
胎藏は超越すの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「胎蔵(たいぞう)は何よりも超越しています」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
胎蔵:如来蔵、心の中の仏をいい、誰にもあるが煩悩によって覆われているために、普段は働かない。 超越:もっとも勝れている。 |
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眾コ莊嚴清淨句義是菩薩句義 |
もろもろの徳、荘厳すの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「もろもろの徳が私を飾っています」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
衆徳荘厳:衆生(全ての生き物)に功徳をほどこして、それによって身を飾ること。 |
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意極猗適清淨句義是菩薩句義 |
意は極わめて猗適(いちゃく)なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「心の働きは柔軟です」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
猗適:心が柔軟で極めて素直なること。 |
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得大光明清淨句義是菩薩句義 |
大光明を得たりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「太陽の光のように、分け隔てをすることはありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
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身善安樂清淨句義是菩薩句義。語善安樂清淨句義是菩薩句義。意善安樂清淨句義是菩薩句義 |
身善にして安樂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 語善にして安樂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 意善にして安樂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「身業は善いことだけで苦しみがありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 以下、身語意の三業の清浄なることをあげて、心に苦しみの無いことをいう。 |
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色蘊空寂清淨句義是菩薩句義。受想行識蘊空寂清淨句義是菩薩句義。眼處空寂清淨句義是菩薩句義。耳鼻舌身意處空寂清淨句義是菩薩句義。色處空寂清淨句義是菩薩句義。聲香味觸法處空寂清淨句義是菩薩句義。眼界空寂清淨句義是菩薩句義。耳鼻舌身意界空寂清淨句義是菩薩句義。色界空寂清淨句義是菩薩句義。聲香味觸法界空寂清淨句義是菩薩句義。眼識界空寂清淨句義是菩薩句義。耳鼻舌身意識界空寂清淨句義是菩薩句義。眼觸空寂清淨句義是菩薩句義。耳鼻舌身意觸空寂清淨句義是菩薩句義。眼觸為緣所生諸受空寂清淨句義是菩薩句義。耳鼻舌身意觸為緣所生諸受空寂清淨句義是菩薩句義 |
色蘊は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 受想行識蘊は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 眼處は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 耳鼻舌身意處は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 色處は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 聲香味觸法處は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 眼界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 耳鼻舌身意界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 色界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 聲香味觸法界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 眼識界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 耳鼻舌身意識界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 眼觸は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 耳鼻舌身意觸は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 眼觸為縁所生諸受は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 耳鼻舌身意觸為縁所生諸受は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。
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「色蘊(感覚器官)はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「受想行識蘊(心の働き)はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 (以下略す。)
色蘊等:感覚器官とそれに対応する心の働き。 眼処等:十二処、眼耳鼻舌身意の六つの感覚器官とそれに対応する色聲香味触法という六つの対境、心と心の働き(心所)の拠りどころ。六根と六境。 眼界等:十八界、十二処とそれに対応する六つの心の働き。六根、六境、六識。 眼触等:六根が六境に遭遇して六識が生ずること。 眼触為縁所生諸受等:眼触等を縁として生まれる心の働き。 |
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地界空寂清淨句義是菩薩句義。水火風空識界空寂清淨句義是菩薩句義 |
地界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 火、風、空、識界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。
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「地界はありません」という清浄なことば、是れが菩薩の言葉なのです。 「火、風、空、識界はありません」という清浄なことば、是れが菩薩の言葉なのです。
地界等:あらゆる物を構成する六つの要素。六大。地水火風は物質の構成要素、空は空間、識は心の原因。 |
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苦聖諦空寂清淨句義是菩薩句義。集滅道聖諦空寂清淨句義是菩薩句義 |
苦聖諦は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 集、滅、道聖諦は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。
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「苦聖諦はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「集、滅、道聖諦はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
苦聖諦等:小乗における悟りの内容。四聖諦。 |
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因緣空寂清淨句義是菩薩句義。等無間緣所緣緣搶緣空寂清淨句義是菩薩句義 |
因縁は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 等無間縁、所縁縁、搶縁は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「因縁はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「等無間縁、所縁縁、搶縁はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
因縁、等無間縁、所縁縁、搶縁:因に働きかけて、結果を生ずる四種の縁。 |
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無明空寂清淨句義是菩薩句義。行識名色六處觸受愛取有生老死空寂清淨句義是菩薩句義 |
無明は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 行、識、名色、六處、觸、受、愛、取、有、生、老死は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「無明はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「行、識、名色、六處、觸、受、愛、取、有、生、老死はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 無明等:老死という苦しみを生ずる訳を、十二の段階にわけて説明する。十二縁起、十二因縁。 |
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布施波羅蜜多空寂清淨句義是菩薩句義。淨戒安忍精進靜慮般若波羅蜜多空寂清淨句義是菩薩句義 |
布施波羅蜜多は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 淨戒、安忍、精進、靜慮、般若波羅蜜多は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「布施波羅蜜多はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「淨戒、安忍、精進、靜慮、般若波羅蜜多はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
布施波羅蜜多等:菩薩の身心における行動を六種にわけていう。六波羅蜜。 |
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真如空寂清淨句義是菩薩句義。法界法性不虛妄性不變異性平等性離生性法定法住實際虛空界不思議界空寂清淨句義是菩薩句義 |
真如は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 法界の法性の不虛妄性、不變異性、平等性、離生性と法の定まり法の住する實際、虛空界、不思議界は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「真如はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「法界の法性の不虛妄性、不變異性、平等性、離生性と法の定まり法の住する實際、虛空界、不思議界はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
真如:一切のものの真実のすがた。あらゆる差別相をこえたもの。 法界の法性:真如の性質。 法の定まり法の住する實際、虛空界、不思議界:真如の存在する世界。 |
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四靜慮空寂清淨句義是菩薩句義。四無量四無色定空寂清淨句義是菩薩句義 |
四靜慮は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 四無量、四無色定は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「四靜慮はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「四無量、四無色定はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
四靜慮、四無量、四無色定:禅定(心の統一)の種類をいう。このうち四無量は慈(楽を与えること)、悲(苦を抜くこと)、喜(喜んですること)、捨(無差別のこと)の四つの無量心をいう。 |
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四念住空寂清淨句義是菩薩句義。四正斷四神足五根五力七等覺支八聖道支空寂清淨句義是菩薩句義 |
四念住は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 四正斷、四神足、五根、五力、七等覺支、八聖道支は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「四念住はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「四正斷、四神足、五根、五力、七等覺支、八聖道支はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
四念住等:三十七道品といい、覚りを得るための修行項目。 |
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空解脫門空寂清淨句義是菩薩句義。無相無願解脫門空寂清淨句義是菩薩句義。八解脫空寂清淨句義是菩薩句義。八勝處九次第定十遍處空寂清淨句義是菩薩句義 |
空解脱門は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 無相無願解脱門は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 八解脱は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 八勝處、九次第定、十遍處は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「空解脱門はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「無相無願解脱門はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「八解脱はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「八勝處、九次第定、十遍處はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
空解脱門等:空を観察することにより貪著心を捨去ること等。 |
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極喜地空寂清淨句義是菩薩句義。離垢地發光地焰慧地極難勝地現前地遠行地不動地善慧地法雲地空寂清淨句義是菩薩句義。淨觀地空寂清淨句義是菩薩句義。種性地第八地具見地薄地離欲地已辦地獨覺地菩薩地如來地空寂清淨句義是菩薩句義 |
極喜地は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 離垢地、發光地、焰慧地、極難勝地、現前地、遠行地、不動地、善慧地、法雲地は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 淨觀地は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 種性地、第八地、具見地、薄地、離欲地、已辦地、獨覺地、菩薩地、如來地は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「極喜地はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「離垢地、發光地、焰慧地、極難勝地、現前地、遠行地、不動地、善慧地、法雲地はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「淨觀地はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「種性地、第八地、具見地、薄地、離欲地、已辦地、獨覺地、菩薩地、如來地はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
極喜地等、淨觀地等:菩薩の修行の十の階位(十地)を二種あげる。 |
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一切陀羅尼門空寂清淨句義是菩薩句義。一切三摩地門空寂清淨句義是菩薩句義 |
一切の陀羅尼門は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 一切の三摩地門は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。
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「一切の陀羅尼門はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「一切の三摩地門はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
陀羅尼門:仏法を聞いて忘れないための方法。総持。 三摩地門:心を統一する方法。等持。 |
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五眼空寂清淨句義是菩薩句義。六神通空寂清淨句義是菩薩句義。如來十力空寂清淨句義是菩薩句義。四無所畏四無礙解大慈大悲大喜大捨十八佛不共法空寂清淨句義是菩薩句義。三十二相空寂清淨句義是菩薩句義。八十隨好空寂清淨句義是菩薩句義。無忘失法空寂清淨句義是菩薩句義。恒住捨性空寂清淨句義是菩薩句義。一切智空寂清淨句義。是菩薩句義。道相智一切相智空寂清淨句義是菩薩句義 |
五眼(ごげん)は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 六神通(ろくじんづう)は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 如來十力は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 四無所畏、四無礙解(しむげげ)、大慈、大悲、大喜、大捨、十八佛不共法(ふぐうほう)は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 三十二相は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 八十隨好(ずいごう)は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 無忘失(もうしつ)法は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 恒住(ごうじゅう)捨性は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 一切智は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 道相智一切相智は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「五眼はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「六神通はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「如來十力はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「四無所畏、四無礙解、大慈、大悲、大喜、大捨、十八佛不共法はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「三十二相はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「八十隨好はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「無忘失法はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「恒住捨性はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「一切智はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「道相智一切相智はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
五眼等:仏の徳をいう。 |
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一切菩薩摩訶薩行空寂清淨句義是菩薩句義 |
一切の菩薩摩訶薩の行は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「一切の菩薩摩訶薩の行はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
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諸佛無上正等菩提空寂清淨句義是菩薩句義 |
諸の佛の無上正等菩提は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「諸の佛の無上正等菩提はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
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一切異生法空寂清淨句義是菩薩句義 |
一切の異生(いしょう)法は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「一切の異生法はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
異生法:六道を輪廻する衆生ということ。 |
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一切預流一來不還阿羅漢獨覺菩薩如來法空寂清淨句義是菩薩句義 |
一切の預流(よる)、一來(いちらい)、不還(ふげん)、阿羅漢(あらかん)、獨覺(どっかく)、菩薩、如來法は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「一切の預流、一來、不還、阿羅漢、獨覺、菩薩、如來法はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
預流、一來、不還、阿羅漢:声聞(しょうもん、仏の説法を直接聞いて仏道を修行するもの)の修行の階梯。 獨覺:辟支佛(びゃくしぶつ)ともいい、独りで仏道を修行するもの。 法:ものの概念をいう。何々というものの意。 |
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一切善非善法空寂清淨句義是菩薩句義。一切有記無記法有漏無漏有為無為法世間出世間法空寂清淨句義是菩薩句義 |
一切の善非善法は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 一切の有記(うき)無記(むき)法、有漏(うろ)無漏(むろ)有為(うい)無為(むい)法、世間(せけん)出世間(しゅっせけん)法は空寂なりの清浄の句義は是れ菩薩の句義なり。 |
「一切の善非善法はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。 「一切の有記無記法、有漏無漏有為無為法、世間出世間法はありません」という清浄なことば、これが菩薩の言葉なのです。
善非善法等:対立する概念をあげる。 有記法:善悪が決定している行為のこと。無記法は善悪いづれとも決定していない行為。 有為法:因縁和合してつくられた現象的存在のこと。無為法は生滅変化を離れた絶対的存在。 有漏法:煩悩が完全には無くなっていないもののこと。無漏法は煩悩が完全に無いもの。 世間法:俗世間、煩悩につなぎとめられている、全ての現象をいう。 |
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所以者何。以一切法自性空故自性遠離。由遠離故自性寂靜。由寂靜故自性清淨。由清淨故甚深般若波羅蜜多最勝清淨。如是般若波羅蜜多。當知即是菩薩句義。諸菩薩眾皆應修學 |
所以(ゆえん)はいかに。一切の法は自性空なるを以っての故に、自性遠離なり。遠離なるによるが故に、自性寂静なり。寂静なるによるが故に、自性清浄なり。清浄なるによるが故に、甚深の般若波羅蜜多は最勝清浄なり。是の如き般若波羅蜜多は、まさに知るべし、即ち是れ菩薩の句義なり。諸の菩薩衆皆まさに修学すべし。 |
その訳はなぜかというと。一切のものの自性は空である、その故に自性は煩悩に妨げられない。煩悩に妨げられなければ、自性は心が波立たない。心が波立たなければ、自性は清浄である。清浄であるから、甚だ深き般若波羅蜜多は最も勝れて清浄である。このような般若波羅蜜多は、よく憶えておきなさい、すなわちこれらの菩薩の言葉なのです。諸の菩薩衆はみな修学しなければなりません。
自性空:人間の認識している自我は顛倒した虚妄のうえに成り立っているということ。 自性遠離:自性は空であるがゆえに、煩悩の起こす虚妄の幻影をすべて遠離するということ。 自性寂静:心が平静で波立たないこと。 自性清浄:自他の平等を認識し差別するということがなければ、そこに一切の罪は存在しないことをいう。 甚深の般若波羅蜜多:心の中にあって菩提を求めるときに生ずる障害をうちくだくための智慧。 菩提:全ての生き物の幸福を願い、その追求のなかに涅槃寂静の境地を決定すること。
清浄とは煩悩から生ずるところの罪が無いということである。自他は差別的存在であるとの認識から離れることにより、人間は清浄になることが出来る。そして般若波羅蜜多は人間の心の中の最も清浄なものである。 |
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佛說如是菩薩句義般若理趣清淨法已。告金剛手菩薩等言。若有得聞此一切法甚深微妙般若理趣清淨法門深信受者。乃至當坐妙菩提座。一切障蓋皆不能染。謂煩惱障業障報障。雖多積集而不能染。雖造種種極重惡業而易消滅不墮惡趣。若能受持日日讀誦精勤無間如理思惟。彼於此生定得一切法平等性金剛等持。於一切法皆得自在。恒受一切勝妙喜樂。當經十六大菩薩生。定得如來執金剛性。疾證無上正等菩提 |
仏、是の如きの菩薩の句義、般若の理趣、清浄の法を説きおわりて、金剛手菩薩等に告げて言(のたま)わく、「若しこの一切の法、甚深微妙の般若の理趣、清浄の法門を聞くことを得て、深く信受するもの有らば、乃至まさに妙菩提の座に坐すべし。一切の障蓋(しょうがい)皆染(せん)すること能わず。謂わく煩悩障、業障(ごっしょう)、報障、多く積集するといえども、しかも染すること能わず。種々の極重悪業を造るといえども、しかも生滅しやすくして悪趣に堕せず。若し能く受持して日日に読誦し、精勤無間に理のごとく思惟せば、彼れこの生において定んで一切の法平等性、金剛等持を得、一切の法において皆自在を得て、つねに一切勝妙の喜楽を受けん。まさに十六大菩薩の生をへて、定んで如来の執金剛の性を得、疾やかに無上正等菩提を証すべし。」 |
障蓋:煩悩障、業障、報障を三障といい、解脱の妨げをいう。煩悩障は煩悩による妨げ、業障は悪業をなすことによる妨げ、報障は地獄等の修行の余裕がないところに生まれることによる妨げをいう。 無上正等菩提を証す:仏の境地を味わう。 このように数多くの菩薩の言葉を以って般若波羅蜜多を説く。 |
第二平等性現等覚の章
<目次>
爾時世尊復依遍照如來之相。為諸菩薩宣說般若波羅蜜多一切如來寂靜法性甚深理趣現等覺門 |
爾の時世尊復た遍照如來の相に依りて、諸の菩薩の為に般若波羅蜜多、一切の如来の寂静法性、甚深の理趣、現等覺門を宣説したもう。 |
遍照如來の相によりて:これより世尊は種々に姿を変えて、法を説かれるのであるが、これは法に相応しい姿をとることによって、法の内容をより理解しやすいようにということである。これを善巧方便という。これを既知の仏菩薩に割り当てる人もいるが、それよりもその名前の意味する事の方が重要である。 現等覺門:一切の平等の性を知れば、等覚の門、現れて如来に至るということ。等覚とは如来のこと、無分別智を表わして、金剛平等性、義平等性、法平等性、一切法平等性に分ける。 |
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謂金剛平等性現等覺門。以大菩提堅實難壞如金剛故 |
謂わく、金剛なる平等性は等覚の門を現わすとは、大菩提の堅実にして壊し難きこと金剛の如きなるを以っての故に。 |
その内容はというと、平等を堅持すること金剛の如くならば、如来となるであろう。その訳は、仏の菩提は堅実にして壊れないことは金剛のようであるのだから。
大菩提:仏の菩提、全ての生き物の幸福を願い実現することにおいて不変であること。大菩提は金剛のごとき平等に支えられている。金剛は堅いものの象徴。 |
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義平等性現等覺門。以大菩提其義一故 |
義の平等性は等覚の門を現わすとは、大菩提のその義、一なるを以っての故に。 |
意味の差別をせず、平等にみるならば、如来となるであろう。その訳は、仏の菩提はその意味が一つしかないからである。
義の平等性:善非善法、有記無記法、有漏無漏法、有為無為法、世間出世間法など一切の意味を空であるとみること。大菩提のもつ意味は、だだ一つ、全ての生き物の幸福の実現である。それを目的とするかぎり、意味による差別はない。 |
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法平等性現等覺門。以大菩提自性淨故 |
法の平等性は等覚の門を現わすとは、大菩提の自性、浄なるを以っての故に。 |
仏法は数あれども総べて差別せず平等にみるならば、如来となるであろう。その訳は、仏の菩提は自性が浄らかだからである。
一切の法門はその目的を同じうする。 |
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一切法平等性現等覺門。以大菩提於一切法無分別故 |
一切法の平等性は等覚の門を現わすとは、大菩提の一切法に於いて、無分別なるを以っての故に。 |
一切のものを平等にみるならば、如来となるであろう。その訳は、大菩提は一切のものを分け隔てしないからである。
一切法:全てのもの。 |
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佛說如是寂靜法性般若理趣現等覺已。告金剛手菩薩等言。若有得聞如是四種般若理趣現等覺門。信解受持讀誦修習。乃至當坐妙菩提座。雖造一切極重惡業。而能超越一切惡趣。疾證無上正等菩提 |
仏、是の如きの寂静法性、般若の理趣が等覚の門を現わすことを説き終りて、金剛手菩薩等に告げて言わく、「若し是の如き四種の般若の理趣が等覚の門を現わすことを聞くことを得て、信解受持し、読誦修習するもの有らば、乃至まさに妙菩提の座に坐すべし。一切の極重悪業を造るといえども、しかも能く一切の悪趣を超越して、疾やかに無上正等菩提を証せん。」 |
寂静法性、般若の理趣が等覚の門を現わす:全てのものを差別せずに、平等にみることが仏になるためには必要である。 一切のものの平等性を悟ることが如来の門に入ることであると般若波羅蜜多を説く。 |
第三釈迦調伏の章
<目次>
爾時世尊復依調伏一切惡法釋迦牟尼如來之相。為諸菩薩宣說般若波羅蜜多攝受一切法平等性甚深理趣普勝法門 |
爾の時、世尊、復た調伏一切悪法釈迦牟尼如来の相に依りて、諸の菩薩の為に般若波羅蜜多、一切の法の平等性を摂受せる甚深の理趣、普勝の法門を宣説したもう。 |
調伏一切悪法:あらゆる悪法(諸法皆空等をしらない顛倒した考え)を摧伏すること。 一切の法の平等性を摂受せる甚深の理趣:一切のものの平等性を内に摂める甚深の理趣。 普勝の法門:普く衆悪に勝たざるはなき法門。 |
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謂貪欲性無戲論故瞋恚性亦無戲論。瞋恚性無戲論故愚癡性亦無戲論。愚癡性無戲論故猶預性亦無戲論。猶豫性無戲論故諸見性亦無戲論。諸見性無戲論故憍慢性亦無戲論。憍慢性無戲論故諸纏性亦無戲論。諸纏性無戲論故煩惱垢性亦無戲論。煩惱垢性無戲論故諸惡業性亦無戲論。諸惡業性無戲論故諸果報性亦無戲論。諸果報性無戲論故雜染法性亦無戲論。雜染法性無戲論故清淨法性亦無戲論。清淨法性無戲論故一切法性亦無戲論。一切法性無戲論故當知般若波羅蜜多亦無戲論 |
謂わく、 貪欲の性、無戯論なるが故に、瞋恚の性亦た無戯論なり。 瞋恚の性、無戯論なるが故に、愚痴の性亦た無戯論なり。 愚痴の性、無戯論なるが故に、猶予の性亦た無戯論なり。 猶予の性、無戯論なるが故に、諸見の性亦た無戯論なり。 諸見の性、無戯論なるが故に、憍慢の性亦た無戯論なり。 憍慢の性、無戯論なるが故に、諸纏の性亦た無戯論なり。 諸纏の性、無戯論なるが故に、煩悩垢の性亦た無戯論なり。 煩悩垢の性、無戯論なるが故に、諸悪業の性亦た無戯論なり。 諸悪業の性、無戯論なるが故に、諸果報の性亦た無戯論なり。 諸果報の性、無戯論なるが故に、雑染法の性亦た無戯論なり。 雑染法の性、無戯論なるが故に、清浄法の性亦た無戯論なり。 清浄法の性、無戯論なるが故に、一切法の性亦た無戯論なり。 一切法の性、無戯論なるが故に、まさに知るべし、 般若波羅蜜多亦た無戯論なり。 |
その内容はというと、 貪欲ということについて論ずることは無駄である。その故に、瞋恚について論ずることもまた無駄である。 瞋恚について論ずることが無駄であるならば、愚痴について論ずることもまた無駄である。 愚痴について論ずることが無駄であるならば、猶予について論ずることもまたむだである。 以下、諸見、憍慢、諸纏、煩悩垢、諸悪業、諸果報、雑染法、清浄法、一切法と続いて、 一切の法について論ずることが無駄であるならば、まさによく知らなくてはならない、 般若波羅蜜多もまた論ずることは無駄である。
猶予:ぐづついて仏法に帰依しないこと。 諸見:邪見のこと。 雑染法:種々の煩悩のこと。 清浄法:煩悩に染まらないこと。 一切法:一切の考え、思想。
ここで貪欲から般若波羅蜜多まで関連づけているのは、この順序に意味があるのではなく、このような概念というものは、互いに関連しあっていて、単独に捉えてその善悪を論じても意味がないことをいう。またものごとは互いに縁じあい、いかなる概念といえども単独には存在し得ないということでもある。 この章のテーマは般若波羅蜜多の無戯論性であることは、言うまでもない。 |
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佛說如是調伏眾惡般若理趣普勝法已。告金剛手菩薩等言。若有得聞如是般若波羅蜜多甚深理趣。信解受持讀誦修習。假使殺害三界所攝一切有情。而不由斯復墮於地獄傍生鬼界。以能調伏一切煩惱及隨煩惱惡業等故。常生善趣受勝妙樂。修諸菩薩摩訶薩行。疾證無上正等菩提 |
仏、是の如く衆悪を調伏する般若の理趣、普勝の法を説きおわりて、金剛手菩薩等に告げて言わく、「若し是の如きの般若波羅蜜多甚深の理趣を聞くことを得て、信解受持し、読誦修習するもの有らば、たとえ三界所摂の一切の有情を殺害すとも、しかもこれに由りて復た地獄傍生鬼界に堕せず、能く一切の煩悩および隨煩悩悪業等を調伏するを以っての故に、常に善趣に生じて、勝妙の楽をうけて、諸の菩薩摩訶薩の行を修して、疾やかに無上正等菩提を証せん。 |
有情:ほぼ衆生というに同じ、全ての生き物ということ。 傍生:畜生道のこと。 鬼界:餓鬼道のこと。 善趣:天上と人間界。 諸の菩薩摩訶薩の行:六波羅蜜のこと。 無上正等菩提を証す:仏の境地を味わうこと。 一切の平等性を悟れば、そこに戯論なしと般若波羅蜜多を説く。 |
第四一切法本性清浄の章
<目次>
爾時世尊復依性淨如來之相。為諸菩薩宣說般若波羅蜜多一切法平等性觀自在妙智印甚深理趣清淨法門 |
爾の時、世尊、復た性浄如来の相に依りて、諸の菩薩の為に般若波羅蜜多、一切の法平等の性、観自在妙智印甚深の理趣、清浄の法門を宣説したもう。 |
観自在妙智印:妙観察智、よく衆生を観察して自在に方便をなすこと。印はその性質が変化しないことをいう。 |
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謂一切貪欲本性清淨極照明故能令世間瞋恚清淨。一切瞋恚本性清淨極照明故能令世間愚癡清淨。一切愚癡本性清淨極照明故能令世間疑惑清淨 |
謂わく、一切の貪欲、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の瞋恚をして清浄ならしむ。一切の瞋恚、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の愚痴をして清浄ならしむ。一切の愚痴、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の疑惑をして清浄ならしむ。 |
その内容はというと、一切の貪欲は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な瞋恚をして清浄にすることが出来る。 一切の瞋恚は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な愚痴をして清浄にすることが出来る。 一切の愚痴は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な疑惑をして清浄にすることが出来る。
本性清浄:罪がないこと。 貪瞋癡の三毒は無明から直接起こる煩悩であるだけに、それを除滅することは困難至極であろう。しかしそれは本当に除滅しなくてはならないものだろうか。あるいは人間にとって必要なものではないのか。この疑惑に対する回答がこれである。 貪欲:大菩提の獲得はこれに依らなければならない。全ての生き物を幸福にする願いと行いは須らく貪欲でなければならない。 瞋恚:大慈悲を発動すると、時にこれが起こる。慈悲はつねに弱いものを助ける方向にむかう。それが時に強いものに対する怒りとなって現れる。 愚痴:愚痴とは一切のものの空性に対する無知である。しかし全ての生き物を空とみて、どうして幸福にすることが出来るだろう。愚痴が清浄であるとはこれである。 |
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一切疑惑本性清淨極照明故能令世間見趣清淨。一切見趣本性清淨極照明故能令世間憍慢清淨。一切憍慢本性清淨極照明故能令世間纏結清淨。一切纏結本性清淨極照明故能令世間垢穢清淨。一切垢穢本性清淨極照明故能令世間惡法清淨 |
一切の疑惑、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の見趣をして清浄ならしむ。一切の見趣、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の憍慢をして清浄ならしむ。一切の憍慢、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の纏結をして清浄ならしむ。一切の纏結、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の垢穢をして清浄ならしむ。一切の垢穢、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の悪法をして清浄ならしむ。 |
一切の疑惑は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な見趣をして清浄にすることが出来る。 一切の見趣は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な憍慢をして清浄にすることが出来る。 一切の憍慢は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な纏結をして清浄にすることが出来る。 一切の纏結は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な垢穢をして清浄にすることが出来る。 一切の垢穢は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な悪法をして清浄にすることが出来る。
一切の疑惑、見趣、憍慢、纏結、垢穢、悪法と小煩悩が続く。人間の煩悩は細かくみるとき百八つあるといわれているが、恐らくそれだけには限るまい。それらすべてが清浄なのである。 |
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一切惡法本性清淨極照明故能令世間生死清淨 |
一切の悪法、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の生死をして清浄ならしむ。 |
一切の悪法は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な生死をして清浄にすることが出来る。
一切の悪法とは殺害偸盗等をいう。大慈悲を発動するとき、殺害偸盗といえども犯さざるを得ないこともあろう。このような悪法もその本性は清浄であり、それを犯すこともある、しかしどのような場合であろうと、それが自分のためであるならば許されることはない。 |
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一切生死本性清淨極照明故能令世間諸法清淨 |
一切の生死、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の諸法をして清浄ならしむ。 |
一切の生死は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な諸法をして清浄にすることが出来る。
全ての生き物は生死を繰り返すのであるが、それは何かの罪によるものではない。生死の本性は清浄なのである。 |
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以一切法本性清淨極照明故能令世間有情清淨。 |
一切の法、本性清浄にして極めて照明なるを以っての故に、能く世間の有情をして清浄ならしむ。 |
一切の法(ものごと)は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な有情をして清浄にすることが出来る。
あらゆる物と事とは、その本性が清浄であることをいう。 |
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一切有情本性清淨極照明故能令世間一切智清淨 |
一切の有情、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の智をして清浄ならしむ。 |
一切の有情は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な智をして清浄にすることが出来る。
全ての生き物は人間をふくめて、その本性は清浄であることをいう。 |
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以一切智本性清淨極照明故能令世間甚深般若波羅蜜多最勝清淨 |
一切の智、本性清浄にして極めて照明なるが故に、能く世間の甚深の般若波羅蜜多をして最勝清浄ならしむ。 |
一切の智は、その本性は清浄であり極めて明るく照らすものであるが故に、世間的な甚深の般若波羅蜜多をして最も勝れて清浄にすることが出来る。
人間の知恵もその本性は清浄である。その知恵の中でも、特に勝れて清浄な知恵が甚深の般若波羅蜜多である。 |
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佛說如是平等智印般若理趣清淨法已。告金剛手菩薩等言。若有得聞如是般若波羅蜜多清淨理趣。信解受持讀誦修習。雖住一切貪瞋癡等客塵煩惱垢穢聚中。而猶蓮華不為一切客塵垢穢過失所染。常能修習菩薩勝行。疾證無上正等菩提 |
仏、是の如く平等智印、般若の理趣、清浄の法を説きおわりて、金剛手菩薩等に告げて言わく、「若し是の如き般若波羅蜜多清浄の理趣を聞くことを得て、信解受持し、読誦修習することあらば、一切の貪瞋癡等、客塵煩悩垢穢聚の中に住すといえども、しかも蓮華のごとく一切の過失のために染せられず、常に能く菩薩の勝行を修習して、疾やかに無上正等菩提を証せん。」 |
平等智印:全ての生き物の平等を知り、自他彼此の差別をしなければ、一切の煩悩を具足するといえども、それによって染せられることはない。 客塵煩悩垢穢聚:一切有情の本性清浄ならば、煩悩はさしづめ客のように外からきた塵のようなものであろう。たとえどのような世界に住まろうと、どのような煩悩があろうと、泥水に咲く蓮の花のように、汚されることはない。 一切は平等であり、その本性は清浄であると般若波羅蜜多を説く。 |
第五一切如来和合潅頂の章
<目次>
爾時世尊復依一切三界勝主如來之相。為諸菩薩宣說般若波羅蜜多一切如來和合灌頂甚深理趣智藏法門 |
爾の時、世尊、復た一切三界勝王如来の相に依りて、諸の菩薩の為に般若波羅蜜多、一切の如来の和合潅頂せる甚深の理趣、智蔵の法門を宣説したもう。 |
一切の如来の和合潅頂せる:一切の如来のそろって認めたということ。 |
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謂以世間灌頂位施。當得三界法王位果 |
謂わく、世間の潅頂の位を以って施さば、まさに三界の法王の位果を得べし。 |
その内容は、世間の王位を施すならば、かならず三界の法王の位を得るであろう。
以下、なになにを施せば、なになにを得るであろうと、因果応報の義をといて、布施に因る全ての生き物が幸福である世界の実現が明かされる。 |
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以出世間無上義施。當得一切希願滿足 |
出世間の無上の義を以って施さば、まさに一切の希願、満足すべし。 |
出世間の義を施せば、かならず一切の願いが適うであろう。
出世間の義:仏の正義、全ての生き物の幸福のこと。 |
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以出世間無上法施。於一切法當得自在 |
出世間の無上の法を以って施さば、まさに一切の法において自在を得べし。 |
出世間の法を以って施すならば、一切の物と事において自在となるであろう。
出世間の法:仏法のこと。 |
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若以世間財食等施。當得一切身語心樂 |
若し世間の財食等を以って施さば、まさに一切の身語心の楽を得べし。 |
もし世俗の財宝、食べ物等を施せば、かならず一切の身語心の楽を得るであろう。 |
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若以種種財法等施。能令布施波羅蜜多速得圓滿 |
若し種々の財法等を施さば、能く布施波羅蜜多をして速やかに円満を得しめん。 |
世俗の財宝、食べ物等に加えて法を施せば、布施波羅蜜多を自在に行ずることが出来るようになるであろう。 |
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受持種種清淨禁戒能令淨戒波羅蜜多速得圓滿 |
種々の清浄の禁戒を受持せば、能く浄戒波羅蜜多をして速やかに円満を得しめん。 |
五戒、二百五十戒等を護るならば、浄戒波羅蜜多を自在に行ずることが出来るようになるであろう。 |
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於一切事修學安忍能令安忍波羅蜜多速得圓滿 |
一切事において安忍を修学せば、能く安忍波羅蜜多をして速やかに円満を得しめん。 |
いかなる事も安んじて忍ぶことを修学すれば、安忍波羅蜜多を自在に行ずることが出来るようになるであろう。 |
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於一切時修習精進能令精進波羅蜜多速得圓滿 |
一切時において精進を修学せば、能く精進波羅蜜多をして速やかに円満を得しめん。 |
いかなる時も精進することを修習すれば、精進波羅蜜多を自在に行ずることが出来るようになるであろう。 |
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於一切境修行靜慮能令靜慮波羅蜜多速得圓滿 |
一切境において静慮を修行せば、能く静慮波羅蜜多をして速やかに円満を得しめん。 |
いかなる所においても心を統一することを修行すれば、静慮波羅蜜多を自在に行ずることが出来るようになるであろう。 |
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於一切法常修妙慧能令般若波羅蜜多速得圓滿 |
一切法において常に妙慧を修すれば、能く般若波羅蜜多をして速やかに円満を得しめん。 |
あらゆるものに対して常に知恵を働かすならば、般若波羅蜜多を完成することが出来るであろう。 |
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佛說如是灌頂法門般若理趣智藏法已。告金剛手菩薩等言。若有得聞如是灌頂甚深理趣智藏法門。信解受持讀誦修習。速能滿足諸菩薩行。疾證無上正等菩提 |
仏是の如く潅頂の法門、般若の理趣、智蔵の法を説きおわりて、金剛手菩薩等に告げて言わく、「若し是の如きの潅頂甚深理趣、智蔵の法門を聞くことを得て、信解受持し、読誦修習するもの有らば、速やかに能く諸の菩薩の行を満足して、疾やかに無上正等菩提を証せん。」 |
潅頂甚深理趣、智蔵の法門:布施におけるような、因果の理は一切の如来の心中に蔵された智慧である。 いわゆる世俗の布施、持戒、忍辱、精進、静慮、智慧を修行せよと般若波羅蜜多を説く。 |
第六一切如来智印の章
<目次>
爾時世尊復依一切如來智印持一切佛祕密法門如來之相。為諸菩薩宣說般若波羅蜜多一切如來住持智印甚深理趣金剛法門 |
爾の時、世尊、復た一切の如来智印、持一切仏秘密法門如来の相に依りて、諸の菩薩の為に般若波羅蜜多、一切の如来住持智印、甚深の理趣、金剛の法門を宣説したもう。 |
一切の如来住持智印:全ての如来のもつ智慧のこと。 |
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謂具攝受一切如來金剛身印當證一切如來法身 |
謂わく、具に一切の如来の金剛身印を摂受せば、まさに一切の如来の法身を証すべし。 |
一切の如来の金剛身印:全ての如来のもつ身業、印は受け渡して変わらぬ心髄のこと。 |
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若具攝受一切如來金剛語印於一切法當得自在 |
若し、具に一切の如来の金剛語印を摂受せば、一切の法においてまさに自在を得べし。 |
一切の如来の金剛語印:全ての如来のもつ語業。 |
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若具攝受一切如來金剛心印於一切定當得自在 |
若し、具に一切の如来の金剛心印を摂受せば、一切の定においてまさに自在を得べし。 |
一切の如来の金剛心印:全ての如来のもつ心業。 |
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若具攝受一切如來金剛智印能得最上妙身語心。猶若金剛無動無壞 |
若し、具に一切の如来の金剛智印を摂受せば、能く最上の妙なる身語心を得ること、なおし金剛の無動無壊なるがごとくならん。 |
一切の如来の金剛智印:全ての如来のもつ智慧。 |
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佛說如是如來智印般若理趣金剛法已。告金剛手菩薩等言。若有得聞如是智印甚深理趣金剛法門。信解受持讀誦修習。一切事業皆能成辦。常與一切勝事和合。所欲修行一切勝智。諸勝福業皆速圓滿。當獲最勝淨身語心。猶若金剛不可破壞。疾證無上正等菩提 |
仏、是の如く如来の智印、般若の理趣、金剛の法を説きおわりて、金剛手菩薩等に告げて言わく、「若し是の如きの智印、甚深の理趣、金剛の法門を聞くことを得て、信解受持し、読誦修習するもの有らば、一切の事業みな能く定辨せん。常に一切の勝事と和合して、修行せんと欲するところの一切の勝智、諸の勝福業、みな速やかにい円満して、まさに最勝の浄身語心を獲べく、なおし金剛の破壊すべからざるがごとく、疾やかに無上正等菩提を証せん。」 |
この章は般若波羅蜜多を行ずれば、仏と同等の身語心業を成ずることができることをいう。 いわゆる釈迦牟尼世尊の身語心業を手本にせよと般若波羅蜜多を説く。 |
第七無戯論輪字の章
<目次>
爾時世尊復依一切無戲論法如來之相。為諸菩薩宣說般若波羅蜜多甚深理趣輪字法門 |
爾の時、世尊、復た一切無戯論法如来の相に依りて、諸の菩薩の為に般若波羅蜜多、甚深の理趣、輪字の法門を宣説したもう。 |
輪字:車輪に多くの輻(や)あるがごとく、一切法(全てのもの)について各方面より詮ずる。 |
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謂一切法空無自性故 |
謂わく、一切の法は空なり、自性無きが故に。 |
一切法に自性なし。 |
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一切法無相離眾相故 |
一切の法は無相なり、もろもろの相を離れたるが故に。 |
一切法に決まった相(すがた)なし。 |
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一切法無願無所願故 |
一切の法は無願なり、所願無きが故に。 |
一切法に願う所なし。 |
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一切法遠離無所著故 |
一切の法は遠離なり、所著無きが故に。 |
一切法に著する所なし。 |
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一切法寂靜永寂滅故 |
一切の法は寂静なり、永く寂滅せるが故に。 |
一切法はすでに寂滅している。 |
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一切法無常性常無故 |
一切の法は無常なり、性の常なる無きが故に。 |
一切法の無常をいう。 |
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一切法無樂非可樂故 |
一切の法は無楽なり、楽しむべきに非ざるが故に。 |
一切法の無楽をいう。 |
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一切法無我不自在故 |
一切の法は無我なり、自在ならざるが故に。 |
一切法の無我をいう。 |
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一切法無淨離淨相故 |
一切の法は無浄なり、浄相を離れたるが故に。 |
一切法の無浄をいう。浄相は煩悩のないこと。 |
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一切法不可得推尋其性不可得故 |
一切の法は不可得なり、その性を推尋して不可得なるが故に。 |
一切法に差別すべきところの相なしをいう。 |
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一切法不思議思議其性無所有故 |
一切の法は不思議なり、その性を思議して所有無きが故に。 |
一切法を分別することが出来ないことをいう。 |
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一切法無所有眾緣和合假施設故 |
一切の法は所有無し、もろもろの縁和合して、仮の施設なるが故に。 |
一切法に身心等の所有なし。 |
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一切法無戲論本性空寂離言說故 |
一切の法は無戯論なり、本性空寂にして、言説を離るるが故に。 |
一切法について論じても真を得ない。 |
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一切法本性淨甚深般若波羅蜜多本性淨故 |
一切の法は本性浄なり、甚深の般若波羅蜜多の本性浄なるが故に。 |
一切法の本性は一切の差別相をもたない、一切法の本性中に甚深の般若波羅蜜多があって、その本性が清浄なることをいう。 |
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佛說如是離諸戲論般若理趣輪字法已。告金剛手菩薩等言。若有得聞此無戲論般若理趣輪字法門。信解受持讀誦修習。於一切法得無礙智。疾證無上正等菩提 |
仏是の如く、諸の戯論を離れたる般若の理趣、輪字の法門を説きおわりて、金剛手菩薩等に告げて言わく「若しこの無戯論般若の理趣、輪字の法門を聞くことを得て、信解受持し、読誦修習するもの有らば、一切の法において無碍の智を得、疾やかに無上正等菩提を証せん。」 |
この章は、般若波羅蜜多の無戯論性を一切法を詮議することによって示す。 一切法は空であると観じて本性清浄を知れと般若波羅蜜多を説く。 |
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