摩訶般若波羅蜜経序品
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摩訶般若波羅蜜經卷第一
序品第一
 後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯


声聞と菩薩

如是我聞。一時佛住王舍城耆闍崛山中。共摩訶比丘僧大數五千分。皆是阿羅漢諸漏已盡無復煩惱心得好解脫慧得好解脫。其心調柔軟摩訶那伽。所作已辦。棄擔能擔逮得己利。盡諸有結正智已得解脫。唯阿難在學地得須陀洹。 是の如く、我れ聞けり。一時、仏は王舎城の耆闍崛山中に住まり、摩訶比丘僧の大数五千分と共にしたもう。皆、是れ阿羅漢にして、諸漏已に尽き、復た煩悩無く、心に好解脱を得、慧に好解脱を得て、其の心調い柔軟なる摩訶那伽にして、所作已に辦じ、擔を棄て能く擔い、己が利を逮得し、諸の有結を尽して、正智に已に解脱を得。唯だ阿難のみは、学地に在りて、須陀洹を得。
是()のように、
わたしは、聞いている、――
一時(あるとき)、
『仏』は、
『王舎城』の、
『耆闍崛山』中に、
『住(とど)まられており!』、
『摩訶比丘僧(全僧侶)』中の、
『大数五千分(凡そ五千人)』が、
『共にしていた!』。
皆は、
『阿羅漢(聖者四位階中の最高位)であり!』、
諸(もろもろ)の、
『漏(煩悩)』を、
『尽し已って!』、
もう、
『煩悩の起こる!』ことは、
『無く!』、
『心』にも、
『慧(智慧)』にも、
好もしい、
『解脱(解放)』を、
『得ていた!』。
其()の、
『心』は、
『調って柔軟な!』、
『摩訶那伽(大龍/大象)であり!』、
『作すべき!』所は、
已(すで)に、
『辦じて(成就し)!』、
『擔(重荷)』を、
『棄てて!』、
『擔()うことができ!』、
『己(おのれ)』の、
『利』を、
『逮得(捕獲)して!』、
諸の、
『有結(生死の果報を招く煩悩)』を、
『尽して!』、
『正智』には、
已に、
『解脱』を、
『得ていた!』が、
唯()だ、
『阿難(多聞第一の弟子)』のみは、
未(いま)だ、
『学ばねばならぬ!』者の、
『地』に、
『在り!』、
『須陀洹(聖者四位階中の初位)』の、
『位』を、
『得ただけであった!』。
  一時(いちじ):あるとき。有る特定の時。
  王舎城(おうしゃじょう):摩伽陀(まがだ)国の王都の名。
  耆闍崛山(ぎじゃくっせん):王舎城周辺に在った精舎/寺院の名。
  摩訶比丘僧(まかびくそう):梵語、比丘僧は各精舎に属する男の僧侶の集団。大きな比丘僧の意。
  大数(だいすう):少し多過ぎるか、少し足らない。概数。
  (ぶん):全体の或る部分。
  阿羅漢(あらかん):小乗の極位。一切の煩悩を破り、生死を解脱した者。
  (ろ):漏泄。衆生は眼耳等の六瘡門より、日夜煩悩を漏泄して止まずの意。煩悩の異名。
  心解脱(しんげだつ):心が貪欲、瞋恚の束縛より解放されること。
  慧解脱(えげだつ):智慧が愚癡の束縛より解放されること。
  心柔軟(しんにゅうなん):化導を能く受ける相。心が堅硬では人の教えを聞くことができない。
  摩訶那伽(まかなが):梵語、大龍/大象と訳す。最大の力有るの意。
  所作(しょさ):信、戒、定、捨等の諸の善法、或は智慧、精進、解脱等の諸の善法を指す。
  已辦(いべん):作すべき所が、已に作された。
  棄擔(きたん):色、受、想、行、識の五衆/身心を棄てる。
  能擔(のうたん):自他二種の利を荷擔する。
  己利(こり):涅槃に到る諸の善法を指す。
  逮得(たいとく):追い求めて得る。獲得。
  有結(うけつ):有は生死の果報。その果報を招く煩悩を結という。
  正智(しょうち):無学位/阿羅漢の所得の無漏の智慧。
  阿難(あなん):仏の侍者にして多聞第一の弟子。本経の話者、大小乗の経典は概ね阿難に依る。
  学位(がくい):学ぶべき者の義。無学の阿羅漢に対し、それ以外の聖者をいう。
復有五百比丘尼優婆塞優婆夷等。皆得聖諦。 復た五百の比丘尼、優婆塞、優婆夷等有り、皆聖諦を得。
復()た、
『五百』の、
『比丘尼(女の僧侶)』、
『優婆塞(男の信者)』、
『優婆夷(女の信者)』等が、
『有り!』、
皆、
『聖諦』を、
『得ていた!』。
  比丘尼(びくに):梵語、女の僧侶。
  優婆塞(うばそく):梵語、男の信者。
  優婆夷(うばい):梵語、女の信者。
  聖諦(しょうたい):四種の聖諦/四諦/四種の真実、即ち、
  1. 苦聖諦:苦に関する真実、即ち六道の生死は、苦が満ちている。
  2. 集聖諦:苦の生起に関する真実、即ち貪瞋癡等の煩悩が、苦を積集する。
  3. 滅聖諦:苦の消滅に関する真実、即ち貪瞋癡等の煩悩を滅すれば、苦も滅する。
  4. 道聖諦:苦を滅する道に関する真実、即ち八種の正しい道、謂わゆる正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を以って、煩悩を滅する。
復有菩薩摩訶薩。皆得陀羅尼及諸三昧行空無相無作。已得等忍得無礙陀羅尼悉是五通言必信受無復懈怠。已捨利養名聞。說法無所悕望。度深法忍得無畏力過諸魔事。一切業障悉得解脫。巧說因緣法。從阿僧祇劫以來發大誓願。顏色和悅常先問訊所語不麤。於大眾中而無所畏。無數億劫說法巧出。解了諸法如幻如焰如水中月如虛空如響如揵闥婆城如夢如影如鏡中像如化。得無礙無所畏。悉知眾生心行所趣。以微妙慧而度脫之。意無罣礙大忍成就如實巧度。願受無量諸佛國土。念無量國土諸佛三昧常現在前。能請無量諸佛。能斷種種見纏及諸煩惱。遊戲出生百千三昧。 復た菩薩摩訶薩有り、皆、陀羅尼、及び諸の三昧を得て、空、無相、無作を行じ、已に等忍を得て、無礙の陀羅尼を得て、悉く是れ五通にして、言えば必ず信受して、復た懈怠する無く、已に利養、名聞を捨て、説法に悕望する所無く、深き法忍を度して、無畏力を得、諸の魔事を過ごして、一切の業障、悉く解脱を得、因縁の法を巧みに説き、阿僧祇劫より以来、大誓願を発し、顔色和悦して、常に先に問訊し、語る所は麁ならず、大衆中に於いて無所畏にして、無数億劫に法を説いて、巧みに出で、諸法の幻の如く、焔の如く、水中の月の如く、虚空の如く、響の如く、乾闥婆城の如く、夢の如く、影の如く、鏡中の像の如く、化の如きを解了し、無礙の無所畏を得て、悉く衆生の心行の趣く所を知り、微妙の慧を以って而も之を度脱し、意に罣礙無く、大忍成就して、如実に巧みに度し、願いて無量の諸仏の国土を受け、無量の国土の諸仏三昧を念ずれば、常に前に現在し、能く無量の諸仏を請い、能く種種の見纏、及び諸の煩悩を断じて、遊戯して百千の三昧を出生す。
復た、
『菩薩摩訶薩(菩薩大士)』が、
『有り!』、
皆、
『陀羅尼(諳誦法/記憶力)』と、
諸の、
『三昧(一心を有る事物に繋けて動じないこと)』を、
『得て!』、
『空、無相、無作(諸法の空を見る三昧)』を、
『行い!』、
已に、
『等忍(一切の衆生を等しく認可して忍耐すること)』を、
『得て!』、
『無礙陀羅尼(衆生済度に無礙を得る陀羅尼)』を、
『得!』、
悉(ことごと)く、
『五通であり!』、
『言えば!』、
必ず、
『信受(信奉)されて!』、
復た(もう)、
『懈怠する(怠ける)!』ことは、
『無く!』、
已に、
『利養(利得)』と、
『名聞(名声)』を、
『棄てた!』ので、
『法』を、
『説いても!』、、
『悕望(希望)する!』所が、
『無く!』、
深い、
『法忍』の、
『河』を、
『度(わた)り!』、
『無畏』の、
『力』を、
『得て!』、
諸の、
『魔』の、
『事(仕事)』、
『やり過ごし!』、
一切の、
『業障(悪業の障礙)』を、
悉く、
『解脱することができ!』、
巧みに、
『因縁』の、
『法』を、
『説いて!』、
『阿僧祇劫(無限の時間)の昔』に、
『大誓願(一切衆生を済度する誓願)』を、
『発(おこ)して!』、
『以来!』、
常に、
『顔色』が、
『和悦して(柔和であり)!』、
常に、
『先に!』、
『問訊し(安否を問い)!』、
『語る!』所の、
『言葉』は、
『麁(粗略)でなく!』、
『大衆(僧侶の集り)』中に、
『説法しても!』、
『無所畏(物怖じしないこと)であり!』、
『無数億劫』、
『説法して!』、
『傑出し!』、
諸の、
『法』は、
『幻のようだ!』、
『焔のようだ!』、
『水中の月のようだ!』、
『虚空のようだ!』、
『響のようだ!』、
『乾闥婆城(蜃気楼/陽炎)のようだ!』、
『夢のようだ!』、
『影のようだ!』、
『鏡中の像のようだ!』、
『化(催眠術で心中に生じる相)ようだ!』と、
『明了に!』、
『理解し!』、
『無礙の無所畏』を、
『得て!』、
悉く、
『衆生の心行(意志)』の、
『趣く!』所を、
『知り!』、
『微妙の(空を知る)智慧』を、
『用いて!』、
而も、
『衆生』を、
『度脱(済度解脱)し!』、
『意』に、
『罣礙(障礙物)』が、
『無くなって!』、
『大忍(大きな忍耐)』の、
『力』が、
『成就し!』、
『如実に!』、
『巧みに!』、
『衆生』を、
『済度し!』、
願って、
『無量の諸仏』の、
『国土』を、
『貰い受け!』、
『無量の国土』の、
『諸仏三昧』を、
『念じて!』、
常に、
『諸仏』が、
『前に!』、
『現れ!』、
『無量の諸仏』を、
『請うて(招いて)!』、
『法』を、
『聴聞することができ!』、
『種種の見纏(邪見)』と、
『諸の煩悩』とを、
『断つことができ!』、
『遊戯しながら!』、
『百千』の、
『三昧』を、
『出生するものである!』。
  菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ):梵語、菩提薩埵摩訶薩埵の略、菩提薩埵を道衆生、新に覚有情と訳し、摩訶薩埵を大衆生、新に大有情と訳す。道果を求める衆生であるが故に道衆生と言い、声聞縁覚/二乗に簡別/差別するが故に大衆生と言う。菩薩と呼ぶ場合は大小乗に通用し、菩薩摩訶薩と言う時は、大乗菩薩のみを指す。
  陀羅尼(だらに):梵語、総持、能持と訳し、聞法して忘れない記憶術の意、又善法を能く持し、悪法を能く遮るの意を有す。
  三昧(さんまい):梵語、定/正受と訳し、心行/思慮分別の処を正す、思慮を息めて心を凝らすの意。心を一処に定めて動かないことを、定と言い、如実に事物を観ることを正受と言う。善心が一処に住して動かないこと。
  空無相無作(くうむそうむさ):三三昧、即ち空三昧、無相三昧、無作三昧を言う。大乗と小乗とで、その解釈は大きく相違するが、表面的には即ち、諸法/一切の事物は因縁の生であるが故に、
  1. 空三昧:我も我所/我の所有も無い。
  2. 無相三昧:無我、無我所であるが故に、男女等の相も無い。
  3. 無作三昧:無我、無我所であるが故に、善悪等の行業を作すことも無い。
  等忍(とうにん):大乗の菩薩が空、無相、無作三昧の故に、一切を同等に認可して、忍耐するの意。これに二種有る。謂わゆる、
  1. 衆生等忍:一切の衆生に関して、慈父の子を視るが如きを言う。
  2. 法等忍:一切の善、悪等の諸法を等しく見て好悪の情を起さないこと。
  無礙(むげ):障礙の無いこと。
  五通(ごつう):五種の神通/超越的力を言う、即ち、
  1. 如意通:自身を変化して、自在に現す。
  2. 天眼通:障害物を徹して、自在に視る。
  3. 天耳通:遠近の声を、自在に聴聞する。
  4. 他心智通:他人の心念を、自在に知る。
  5. 宿命智通:自他の宿世の生涯を、自在に知る。
  信受(しんじゅ):信頼して受容する。
  懈怠(けたい):懈(おこた)り、怠(なま)けること。
  利養(りよう):有利な供養。多大な施物。
  名聞(みょうもん):名が世間に聞えること。名声。
  悕望(けもう):のぞみ。希望。
  (ど):渡る。苦の此岸より、布施等/修行の河を渡って、楽の彼岸に到るの意。
  法忍(ほうにん):法等忍。色受想行識/色声香味触法/眼耳鼻舌身意等の諸法の空と、及び仏法/外道法/大乗法/小乗法等の諸法の空とを認可/受容して忍耐すること。
  無畏力(むいりき):畏れない力。畏は神仏/鬼神等を恐れないこと。
  魔事(まじ):人を正道より遠ざけ、善法を遮る魔の仕事。
  業障(ごっしょう):罪障。悪業という障礙。身口意に作す所の悪業の報が、正道を妨げること。
  解脱(げだつ):束縛より解放されること。
  巧説(ぎょうせつ):譬喩等の方便を用いて、巧みに法を説くこと。
  因縁法(いんねんほう):謂わゆる此れ有るが故に彼れ起こり、此れ滅するが故に彼れ滅するの法。特に苦の因縁を無明より十二支の縁起を以って証明する十二因縁/十二縁起の法を言う。この解釈には種種有り、説一切有部に於いては過去未来現在の三世の生の輪迴に絡めて説明するが、本の字義は以下の通り、
  1. 無明:何も学ばない無垢の状態。
  2. 行:学びつつあること。
  3. 識:学んだことを識別/記憶すること。
  4. 名色:名を以って実体を分別すること。
  5. 六処:眼耳鼻舌身意の六根/六情が盛んになること。
  6. 触:眼等の情/根が色等の塵/境に接触すること。
  7. 受:順境/逆境に於いて、苦/楽を受けること。
  8. 愛:苦受/楽受に於いて、嫌悪/愛著を生じること。
  9. 取:境に対し、心中に相を取り執著すること。
  10. 有:境に対し、自己を確立すること。
  11. 生:他人に対し、自己の存在を認識すること。
  12. 老死:段階的自己の崩壊を、大苦聚と為すこと。
  阿僧祇劫(あそうぎこう):梵語、阿僧祇を無数と訳し、劫を時節と訳して、世界の生滅の一サイクルを表す。非常に長い時間の意。
  大誓願(だいせいがん):菩薩が、菩提心を発した時に立てる、一切の衆生を度して、世界を浄めようと誓う大願。
  顔色和悦(げんしきわえつ):和睦/調和/柔和にして喜悦の顔つき。
  常先問訊(じょうせんもんじん):常に先に挨拶する謙譲の相。問訊は道中の安否等を問い訊ねる意。
  所語(しょご):語られた言葉。
  (そ):荒々しいこと。粗雑。
  大衆(だいしゅ):大群衆。仏の弟子/比丘比丘尼の大群衆。僧/僧衆。
  無所畏(むしょい):大衆中に説法する時、畏れる所が無いこと。此れに四種有って、四無所畏と称し、又此れに二種有って、仏の四無所畏と、菩薩の四無所畏である、即ち、    
  菩薩の四無所畏とは:
  1. 能持無所畏:聞法して忘失せざるが故に、大衆中に説法して所畏無し。
  2. 知根無所畏:衆生の根の利鈍を知るが故に、相応の説法するに所畏無し。
  3. 答法無所畏:一切の所問に対し、如法/適切に答えるが故に、所畏無し。
  4. 決疑無所畏:聴聞の衆生の疑難に対し、如法に疑網を断ずるが故に所畏無し。
  仏の四無所畏とは:
  1. 一切智無所畏:諸法を悉く皆覚知し、正見に住するが故に、怖畏する所無し。
  2. 一切漏尽智無所畏:一切の煩悩を断尽し已るが故に、怖畏する所無し。
  3. 説障道無所畏:一切の障礙の法を説き已るが故に、怖畏する所無し。
  4. 説尽苦道無所畏:一切の出離の道を説き已るが故に、怖畏する所無し。
  説法巧出(せっぽうぎょうしゅつ):説法が傑出していること。
  解了(げりょう):理解して明白になる。
  諸法(しょほう):種種様々な法の意。一切法。謂わゆる色受想行識の五衆/五蘊、色声香味触法の六塵/六境、眼耳鼻舌身意の六情/六根、仏法、外道法等種種様々な法を指す。法とは、一一の言葉=名称/文章、及びその説く所の事物/実体との総称のようなもの。
  無礙無所畏(むげのむしょい):無礙の四無所畏。諸法中に於いて心が無礙、無尽、無滅であること。
  心行所趣(しんぎょうのしょしゅ):心行は心の動き/働き/思慮分別。所趣は傾向/注意を引く物。
  微妙慧(みみょうのえ):微妙な智慧。深く知り難きを知る智慧。即ち空を知る智慧。
  罣礙(けいげ):障害物。人心を牽き掛けるもの。
  大忍(だいにん):大きな忍耐。
  諸仏三昧(しょぶつさんまい):諸仏現前三昧。諸仏が前に現れる三昧。
  (しょう):こう。招く。比丘を招いて食を供し、法を聞くこと。
  見纏(けんてん):纏は纏い付くもの/煩悩の異名。邪見の煩悩。
  遊戯(ゆげ):遊びながら。
  百千三昧(ひゃくせんのさんまい):菩薩は衆生の根に相応する種種の三昧に住して済度する。
諸菩薩如是等種種無量功德成就其名曰颰陀婆羅菩薩。罽那伽羅菩薩。導師菩薩。那羅達菩薩。星得菩薩。水天菩薩。主天菩薩。大意菩薩。益意菩薩。增意菩薩。不虛見菩薩。善進菩薩。勢勝菩薩。常懃菩薩。不捨精進菩薩。日藏菩薩。不缺意菩薩。觀世音菩薩。文殊師利菩薩。執寶印菩薩。常舉手菩薩。彌勒菩薩。如是等無量百千萬億那由他諸菩薩摩訶薩一切菩薩。皆是補處紹尊位者。 諸の菩薩は、是の如き等の種種無量の功徳を成就す。其の名を、颰陀婆羅菩薩、罽那伽羅菩薩、導師菩薩、那羅達菩薩、星得菩薩、水天菩薩、主天菩薩、大意菩薩、益意菩薩、増意菩薩、不虚見菩薩、善進菩薩、勢勝菩薩、常懃菩薩、不捨精進菩薩、日蔵菩薩、不欠意菩薩、観世音菩薩、文殊師利菩薩、執宝印菩薩、常挙手菩薩、弥勒菩薩と曰い、是の如き等の無量百千万億那由他の諸菩薩摩訶薩と、一切の菩薩は、皆是れ補処にして、尊位を紹ぐ者なり。
諸の、
『菩薩』は、
是()れ等のような、
『種種無量』の、
『功徳』が、
『成就しており!』、
其の、
『名』を、
『颰陀婆羅(ばっだばら)菩薩』、
『罽那伽羅(けいながら)菩薩』、
『導師(どうし)菩薩』、
『那羅達(ばっだばら)菩薩』、
『星得(しょうとく)菩薩』、
『水天(すいてん)菩薩』、
『主天(しゅてん)菩薩』、
『大意(だいい)菩薩』、
『益意(やくい)菩薩』、
『増意(ぞうい)菩薩』、
『不虚見(ふこけん)菩薩』、
『善進(ぜんしん)菩薩』、
『勢勝(せいしょう)菩薩』、
『常懃(じょうごん)菩薩』、
『不捨精進(ふしゃしょうじん)菩薩』、
『日蔵(にちぞう)菩薩』、
『不欠意(ふけつい)菩薩』、
『観世音(かんぜおん)菩薩』、
『文殊師利(もんじゅしり)菩薩』、
『執宝印(しゅうほういん)菩薩』、
『常挙手(じょうこしゅ)菩薩』、
『弥勒(みろく)菩薩』と、
『呼び!』、
是れ等のような、
『無量百千万億那由他』の、
『諸の菩薩摩訶薩』と、
『一切の菩薩』は、
皆、
『補処(仏の処を補うもの)であり!』、
『尊位(仏の位)を紹()ぐ者であった!』。
  補処(ふしょ):仏の処/位を補うこと、又その者。
  尊位(そんい):仏の位。
  (しょう):つぐ。継承する。



世尊、光明を放って遍く十方の世界を照す

爾時世尊自敷師子座結跏趺坐直身繫念在前。入三昧王三昧一切三昧悉入其中。是時世尊。從三昧安詳而起。以天眼觀視世界舉身微笑。從足下千輻相輪中。放六百萬億光明。足十指兩踝兩腨兩膝兩髀腰脊腹脅背臍心胸德字。肩臂手十指。項口四十齒。鼻兩孔。兩眼兩耳。白毫相肉髻。各各放六百萬億光明。從是諸光出大光明。遍照三千大千國土。從三千大千國土。遍照東力如恒河沙等諸佛國土。南西北方四維上下亦復如是。若有眾生遇斯光者。必得阿耨多羅三藐三菩提。光明出過東方如恒河沙等諸佛國土。南西北方四維上下亦復如是。 爾の時、世尊は、自ら師子座を敷きて、結跏趺坐し、身を直くして念を前に繋け、三昧王三昧に入り、一切の三昧の、悉く其の中に入りたもう。是の時、世尊は、三昧より安詳として起ち、天眼を以って世界を観視し、身を挙げて微妙したもうに、足下の千輻相輪中より、六百万億の光明を放ち、足の十指、両踝、両腨、両膝、両髀、腰、脊、腹、脅、背、臍、心、胸の徳字、肩、臂、手の十指、項、口、四十歯、鼻の両孔、両眼、両耳、白毫相、肉髻の各各より、六百万億の光明を放ちたもうに、是の諸光より、大光明を出して、遍く三千大千国土を照らし、三千大千国土より、遍く東方の恒河の沙に等しきが如き、諸仏の国土を照らし、南西北方四維上下も亦復た是の如し。若し有る衆生、斯の光に遇わば、必ず阿耨多羅三藐三菩提を得ん。光明は、東方の恒河の沙に等しきが如き諸仏の国土を出過して、南西北方四維上下も亦復た是の如し。
爾()の時、
『世尊』は、
自ら、
『師子』の、
『座』を、
『敷いて!』、
『結跏趺坐し!』、
『身』を、
『直くして!』、
『念』を、
『前に!』、
『繋()ける!』と、
『三昧王三昧』に、
『入って!』、
一切の、
『三昧』中の、
『悉く!』に、
『入られた!』。
是の時、
『世尊』は、
『三昧』より、
『安詳(毅然として穏やか)として!』、
『起()ち!』、
『天眼』で、
『世界』を、
『観視(観察)して!』、
『全身』で、
『微笑される!』と、
『足下の千輻相輪』より、
『六百万億の光明』が、
『放たれ!』、
『足の十指』や、
『両踝(くるぶし)、両腨(すね)、両膝、両髀(もも)』、
『腰、脊(せぼね)、腹、脅(わき)、背、臍』、
『心胸(むね)の徳字』、
『肩、臂、手の十指、項(うなじ)』、
『口の四十の歯、鼻の両孔、両眼、両耳』、
『白毫相、肉髻』の、
各各より、
『六百万億の光明』が、
『放たれ!』、
是の、
『諸の光』より、
『出た!』、
『大光明』は、
遍(あまね)く、
『三千大千(十億)』の、
『国土』を、
『照らし!』、
『三千大千』の、
『国土』より、
『出た!』、
『大光明』は、
遍く、
『東方』の、
『恒河(ガンジス河)』の、
『沙(すな)にも!』、
『等しい!』ほどの、
『諸仏』の、
『国土』を、
『照らし!』、
『南方、西方、北方、四維(東南乃至北東)、上方、下方』も、
亦()た、
『是の通りであった!』。
若()し、
有る、
『衆生』が、
斯()の、
『光』に、
『遇えば!』、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提(仏の境地)』を、
『得るだろう!』。
『光明』は、
『東方』の、
『恒河』の、
『沙にも!』、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』を、
『通過して!』、
『出ていった!』が、
『南方、北方、四維、上方、下方』も、
亦た、
『是の通りである!』。
  師子(しし):獅子。法王である仏を、百獣の王に喩える。
  結跏趺坐(けっかふざ):坐禅時に使用する安定した坐法/両踝を両髀に乗せて体幹を両膝と座骨で三点支持する安定した坐法。
  直身(じきしん):身を真直ぐにすること。
  繋念在前(けねんざいぜん):念を前に繋ける。意識を目前に懸け、散乱しないように見張ること。
  三昧王三昧(さんまいおうさんまい):仏の三昧/一切の仏の功徳は、この三昧中より起こる。
  安詳(あんじょう):毅然/決然として、安隠なさま。
  天眼(てんげん):諸天の神通力を以って、遠くを観たり、又物を徹して視ることのできる眼。
  挙身微笑(こしんみしょう):全身で笑うさま。
  足下千輻輪相(そくげせんぷくりんそう):仏の足裏に存する車輪状の相。
  心胸徳字(しんきょうのとくじ):仏の胸に存する卍型の胸毛。
  口四十歯(くちのしじゅうし):仏の口中に存する四十枚の歯。
  白毫相(びゃくごうそう):仏の眉間に存する白い一本の巻毛が栄螺型に堆積する相。
  肉髻(にっけい):仏の頂骨が、髻のように隆起する相。
  三千大千国土(さんぜんだいせんこくど):三千大千は千の千倍の千倍、即ち十億の国土。一仏の領する国土中には、十億の日、十億の月、十億の星宿、十億の地球が存するの意。
  恒河沙等(ごうがしゃとう):ガンジス河の河底の砂粒にも等しい数の意。
  四維上下(しゆいじょうげ):東南、南西、西北、北東方を四維といい、及び上方と下方の意。
  衆生(しゅじょう):又有情とも称す。心有る者の義。有らゆる生き物を指す。
  阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい):無上正等覚と訳す、諸仏の無上にして等しき智慧の義、仏の境地/仏の満足の境地の意。又菩提と略し、菩薩が、阿耨多羅三藐三菩提の得ようとする決意を菩提意/菩提心と称し、菩提心を発動することを発菩提心/菩提心を発(おこ)すと称する。
  三十二相(さんじゅうにそう):仏菩薩のみ有する三十二種の好もしい相。
  1. 足下安平立相:足裏が地に密着し安定している。
  2. 千輻輪相:足裏に千輻輪の文様がある。
  3. 手指繊長相:手の指が細く長い。
  4. 手足柔軟相:手足が柔らかい。
  5. 手足縵網相:手足の指の間に網が張り、家鴨の水かきのようである。
  6. 足跟満足相:足のかかとが丸く膨れている。
  7. 足趺高好相:足の甲が高く隆起している。
  8. 腨如鹿王相:股の肉が鹿のように円く張っている。
  9. 手過膝相:手が長く膝にとどく。
  10. 馬陰蔵相:男根が馬のように体内に密蔵されている。
  11. 身縦広相:身長と両手を広げた長さが等しい。
  12. 毛孔生青色相:一一の毛孔から青色の一毛が生じて乱れない。
  13. 身毛上靡相:身毛が右巻きに上に向かって靡く。
  14. 身金色相:身体の色が黄金のよう。
  15. 常光一丈相:身から光明を放って四方各一丈を照らす。
  16. 皮膚細滑相:皮膚が柔らかく滑らか。
  17. 七処平満相:両足の裏、両の掌、両肩と頭頂が平らに肉が隆起している。
  18. 両腋満相:腋下が充満している。
  19. 身如獅子相:身体が獅子のように平らかででこぼこがなくて厳粛である。
  20. 身端直相:身体が端正で曲がっていない。
  21. 肩円満相:両肩が円満に盛り上がっている。
  22. 四十歯相:四十の歯がある。
  23. 歯白斉密相:四十の歯が白く浄らかで緊密である。
  24. 四牙白淨相:四の牙が白く大きい。
  25. 頬車如獅子相:両頬が獅子のように隆満している。
  26. 咽中津液得上味相:咽喉中の唾により、何を食べても上味がある。
  27. 広長舌相:舌が広く長く、柔軟で薄い。
  28. 梵音深遠相:音声は清浄で遠くまで聞こえる。
  29. 眼色如紺青相:瞳の色が紺青。
  30. 眼睫如牛王相:睫が牛のように長く眼がパッチリしている。
  31. 眉間白毫相:眉間に長い白毛があり、右に渦巻いて常に光を放つ。
  32. 頂成肉髻相:頂上の肉が髻のように隆起している。
  :仏が三昧に入る時、其の三昧とは、仏が種種無量の功徳を示現することを意味する。是の故に、三昧王三昧に入って、仏は一切の功徳を示現するのである。
爾時世尊舉身毛孔。皆亦微笑而放諸光。遍照三千大千國土。復至十方如恒河沙等諸佛國土。若有眾生遇斯光者。必得阿耨多羅三藐三菩提。 爾の時、世尊は身の毛孔を挙げて、皆亦た微笑し、諸の光を放って、遍く三千大千国土を照らしたもうに、復た十方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土に至る。若し有る衆生、斯の光に遇わば、必ず阿耨多羅三藐三菩提を得ん。
爾の時、
『世尊』の、
『全身の毛孔』が、
亦た、
皆、
『微笑して!』、
諸の、
『光』を、
『放ち!』、
遍く、
『三千大千の国土』を、
『照らす!』と、
復た、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『仏の国土』に、
『至った(到達した)!』。
若し、
『衆生』が、
斯の、
『光』に、
『遇えば!』、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るだろう!』。
  十方(じっぽう):東、南、西、北、東南、南西、西北、北東、上、下の十方位。
爾時世尊以常光明。遍照三千大千國土。亦至東方如恒河沙等諸佛國土。乃至十方亦復如是。若有眾生遇斯光者。必得阿耨多羅三藐三菩提。 爾の時、世尊は、常光明を以って、遍く三千大千国土を照らしたもうに、亦た東方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土に至り、乃至十方も亦復た是の如し。若し有る衆生、斯の光に遇わば、必ず阿耨多羅三藐三菩提を得ん。
爾の時、
『世尊』が、
『常光明』で、
遍く、
『三千大千の国土』を、
『照らされる!』と、
亦た、
『東方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『仏の国土』に、
『至り!』。
乃至、
『十方』も、
亦復た、
『是の通りであった!』。
若し、
有る、
『衆生』が、
斯の、
『光』に、
『遇えば!』、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るだろう!』。
爾時世尊出廣長舌相。遍覆三千大千國土熙怡微笑。從其舌根放無量千萬億光。是一一光化成千葉金色寶花。是諸花上皆有化佛。結跏趺坐說六波羅蜜。眾生聞者必得阿耨多羅三藐三菩提。復至十方如恒河沙等諸佛國土皆亦如是。 爾の時、世尊、は広長の舌相を出して、遍く三千大千国土を覆い、熙怡微笑して、其の舌根より、無量千万億の光を放ちたもう。是の一一の光は化して、千葉の金色の宝花と成り、是の諸の花上に、皆化仏有り、結跏趺坐して六波羅蜜を説きたもう。衆生聞かば、必ず阿耨多羅三藐三菩提を得ん。復た十方の恒河沙に等しきが如き、諸仏の国土に至ること、皆亦た是の如し。
爾の時、
『世尊』が、
『広長』の、
『舌相』を、
『出し!』、
遍く、
『三千大千の国土』を、
『覆(おお)って!』、
『にっこり笑い!』、
其の、
『舌の根』より、
『無量百千億の光』を、
『放たれた!』。
是の、
『一一の光』が、
『化して!』、
『千葉、金色の宝花』と、
『成り!』、
是の、
諸の、
『花』上には、
皆、
『化仏』が、
『有り!』、
『結跏趺坐して!』、
『六波羅蜜』を、
『説かれていた!』。
若し、
『衆生』が、
『聞けば!』、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るだろう!』。
復た、
『十方』の、
『恒河の沙』にも、
『等しいほど!』の、
諸の、
『仏の国土』に、
『至った!』が、
皆、
亦た、
『是の通りである!』。
  広長舌相(こうちょうのぜっそう):仏の顔面を覆うほど広い舌の相。
  熙怡微笑(きいみしょう):熙怡は和悦するさま。にっこり笑うこと。
  (け):神通を以って変化すること。
  千葉(せんよう):葉は薄いものを数える数詞、頁、枚。千葉は千枚の花弁。
  化仏(けぶつ):仏の神通力により、変化して作られた仏。
  六波羅蜜(ろくはらみつ):波羅蜜は梵語、彼の岸に到ると訳す。即ち苦の此岸より、修行の河を渡って楽の彼岸に到るには、六種の修行の有ることを示す、謂わゆる、――
  1. 檀那波羅蜜(だんなはらみつ):布施の河を渡って彼岸に到る。
  2. 尸羅波羅蜜(しらはらみつ):不殺、不盗等の持戒の河を渡り彼岸に到る。
  3. 羼提波羅蜜(せんだいはらみつ):誹謗、毀辱等を忍辱する河を渡り彼岸に到る。
  4. 毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ):精進して懈怠しない河を渡り彼岸に到る。
  5. 禅那波羅蜜(ぜんなはらみつ):心を等一し乱れさせない河を渡り彼岸に到る。
  6. 般若波羅蜜(はんにゃはらみつ):空と輪迴の両立する智慧の河を渡り彼岸に到る。
爾時世尊故在師子座入師子遊戲三昧。以神通力感動三千大千國土。六種震動東踊西沒西踊東沒南踊北沒北踊南沒。邊踊中沒中踊邊沒。地皆柔軟令眾生和悅。是三千大千國土中。地獄餓鬼畜生及八難處。即時解脫得生天上。從四天王天處乃至他化自在天處。是諸天人自識宿命。皆大歡喜來詣佛所。頭面禮佛足卻住一面。如是十方如恒河沙等國土地。皆六種震動。一切地獄餓鬼畜生及八難處即時解脫。得生天上齊第六天。 爾の時、世尊は、故の師子座に在りて、師子遊戯三昧に入り、神通力を以って、三千大千国土を感動し、六種に震動せしむれば、東に踊りて西に没し、西に踊って東に没し、南に踊って北に没し、北に踊って南に没し、辺に踊って中に没し、中に踊って辺に没し、地は皆柔軟になりて、衆生をして和悦せしめ、是の三千大千国土中の地獄、餓鬼、畜生及び八難処は、即時に解脱して、天上に生ずるを得れば、四天王天処より、乃至他化自在天処の、是の諸の天人、自ら宿命を識り、皆大いに歓喜して、仏所に来詣し、頭面に仏足を礼して、却って一面に住す。是の如く十方の恒河沙に等しきが如き国土の地は、皆六種に震動し、一切の地獄、餓鬼、畜生及び八難処は、即時に解脱して、天上に生ずるを得、第六天に斉う。
爾の時、
『世尊』は、
故(もと)の、
『師子座』で、
『師子遊戯三昧』に、
『入る!』と、
『神通力』で、
『三千大千』の、
『国土』を、
『感動して!』、
『地』を、
『六種』に、
『震動させられた!』。
『地』は、
『東に踊って、西に没(しず)み!』、
『西に踊って、東に没み!』、
『南に踊って、北に没み!』、
『北に踊って、南に没み!』、
『辺に踊って、中に没み!』、
『中に踊って、辺に没み!』、
皆、
『柔軟になって!』、
『衆生』を、
『和悦させた!』。
是の、
『三千大千の国土』中の、
『地獄、餓鬼、畜生及び八難処』の、
『衆生』は、
即時に、
『解脱して!』、
『天上』に、
『生まれることができた!』。
『四天王天処、乃至他化自在天処』の、
是の、
『諸天』は、
自ら、
『宿命(過去世の生)』を、
『知り!』、
皆、
『大歓喜して!』、
『仏の所』に、
『来詣し!』、
『頭面』で、
『仏の足』を、
『礼し!』、
『却(しりぞ)いて!』、
『壁の一面』に、
『住(とどま)った!』。
是のように、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しいほど!』の、
『諸の国土』の、
『地』が、
皆、
『六種に!』、
『震動し!』、
一切の、
『地獄、餓鬼、畜生及び八難処』の、
『衆生』は、
即時に、
『解脱して!』、
『天上』に、
『生まれ!』、
『第六天』に、
『集合することができた!』。
  (こ):もと。もとの/もとより/もとのままに等と用いる。
  師子遊戯三昧(ししゆげさんまい):師子が遊ぶような無畏、自在の三昧。
  感動(かんどう):感じて動くこと。感じさせて動かすこと。
  和悦(わえつ):和睦喜悦。やわらぎよろこぶこと。
  八難処(はちなんじょ):菩提の道に向かうことの困難は、八種の処の意。即ち、
  1. 地獄:苦痛の極大、極多の故に聖教を受けるに堪えない。
  2. 餓鬼:飢渴、寒熱に逼迫するが故に聖教を受けるに堪えない。
  3. 畜生:愚癡の故に聖教を受けるに堪えない。
  4. 長寿天:苦の切迫しないが故に慢心して正道に向い難い。
  5. 辺地:仏/仏法に遇いがたいが故に正道に向い難い。
  6. 聾盲瘖唖:諸根の具備しないが故に正道に向い難い。
  7. 世智辯聡:世智に長け、因果の理法に難信なるが故に正道に向い難い。
  8. 仏前仏後:仏不在時には邪教、邪行横行するが故に正道に向い難い。
  四天王天処(してんのうてんじょ):四天王天は欲界六天中の第一。
  他化自在天処(たけじざいてんじょ):他化自在天は欲界六天中の第六。
  宿命(しゅくみょう):過去世の生/存在。
  仏所(ぶっしょ):仏の所住の精舎。仏所在の場所。
  来詣(らいけい):喜んで/疾かに来ること。
  頭面礼足(づめんらいそく):頭頂部を相手の足に接する礼法。
  却住一面(きゃくじゅういちめん):仏に礼して後、退いて壁の一面を背に立つこと。
  (さい):そろう/集合、等しい/同等。
爾時三千大千國土眾生盲者得視聾者得聽啞者能言狂者得正亂者得定裸者得衣飢渴者得飽滿。病者得愈形殘者得具足。一切眾生皆得等心。相視如父如母如兄如弟如姊如妹。亦如親族及善知識。是時眾生等行十善業道。淨修梵行。無諸瑕穢恬然快樂。譬如比丘入第三禪皆得好慧。持戒自守不嬈眾生。 爾の時、三千大千国土の衆生の盲者は視るを得、聾者は聴くを得、唖者は能く言い、狂者は正なるを得、乱者は定を得、裸者は衣るを得、飢渴者は飽満を得、病者は愈ゆるを得、形残者は具足するを得、一切の衆生は、皆等心を得て、相視ること父の如く、母の如く、兄の如く、弟の如く、姉の如く、妹の如く、亦た親族、及び善知識の如し。是の時、衆生は等しく十善業道を行じ、梵行を浄修し、諸の瑕穢無く、恬然として快楽たり。譬えば、比丘の第三禅に入るが如し。皆好慧を得て、持戒して自らを守り、衆生を嬈ませず。
爾の時、
『三千大千の国土』の、
『衆生』の、
『盲者』は、
『視ることができ!』、
『聾者』は、
『聴くことができ!』、
『唖者』は、
『言うことができ!』、
『狂者』は、
『正気になり!』、
『乱者』は、
『心が定まり!』、
『裸者』は、
『衣()ることができ!』、
『飢渴者』は、
『飽満することができ!』、
『病者』は、
『癒えることができ!』、
『形残(不具)者』は、
『具足して!』、
『衆生』の、
『一切』が、
皆、
『等心』を、
『得て!』、
互を、
『父のように!』、
『母のように!』、
『兄のように!』、
『弟のように!』、
『姉のように!』、
『妹のように!』、
『親族や善知識のように!』、
『視つめた!』。
是の時、
『衆生』は、
等しく、
『十善業の道』を、
『行って!』、
『梵行』を、
『浄く!』、
『修めた!』ので、
諸の、
『瑕穢(瑕疵・汚穢)』が、
『無くなり!』、
『恬然快楽(静穏・愉快)であって!』、
譬えば、
『比丘』が、
『第三禅』に、
『入ったようであり!』、
皆、
『好慧』を、
『得ていた!』ので、
『持戒して!』、
『自ら!』を、
『守り!』、
亦た、
『衆生』を、
『嬈(なや)ませなかった!』。
  等心(とうしん):平等で傾かない心。好/善を視て愛せず、醜/悪を視て厭わない心。
  善知識(ぜんちしき):善良な仲間/善友。
  十善業道(じゅうぜんごうどう):苦報を得て悪趣/地獄餓鬼畜生に堕ちない道に有る十種の善業。
  1. 不殺生(ふせっしょう):衆生を殺さない。
  2. 不偸盗(ふちゅうとう):衆生の物を取らない。
  3. 不邪婬(ふじゃいん):邪な婬事を作さない。
  4. 不妄語(ふもうご):嘘を吐かない。
  5. 不両舌(ふりょうぜつ):他人同士を離反させる言葉を吐かない。
  6. 不悪口(ふあっく):悪口雑言の類を吐かない。
  7. 不綺語(ふきご):冗談/卑猥語の類を吐かない。
  8. 不貪(ふとん):貪らない。
  9. 不瞋(ふしん):瞋らない。
  10. 不邪見(ふじゃけん):邪見に陥らない。
  梵行(ぼんぎょう):婬欲を離れること。梵天/色界/四禅天に生じる行の意。
  瑕穢(けえ):瑕疵と汚穢。
  恬然(てんねん):静かで心穏やかなこと。静穏/静謐/安隠/安静。
  第三禅(だいさんぜん):欲を離れた色界の禅定/四禅に四種の別あり、その第三をいう。
  四禅(しぜん):欲界を離れて色界/四禅に入ると、心が静謐になるが、尚お覚、観、喜、楽の四種の精神作用が残る。此の中、覚とは粗雑な感受作用であり、観とは精緻な観察作用である、
  1. 初禅:覚、観、喜、楽に相応する。
  2. 第二禅:初禅の覚、観を捨て、喜、楽にのみ相応する。
  3. 第三禅:第二禅の喜を捨てて、楽のみに相応する。
  4. 第四禅:第三禅の楽を捨てて、一切の精神活動を停止する。
  好慧(こうえ):持戒して、自らを罪から守り、他の衆生を悩ませない為の智慧。
  (にょう):なやます。悩ませる。
爾時世尊在師子座上坐。於三千大千國土中其德特尊。光明色像威德巍巍。遍至十方如恒河沙等諸佛國土。譬如須彌山王光色殊特眾山無能及者。 爾の時、世尊は、師子座上に在りて、坐したもうに、三千大千国土中に於いて、其の徳特に尊く、光明の色像は威徳巍巍たりて、遍く十方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土に至る。譬えば須弥山王の光色殊特にして、衆山の能く及ぶ者無きが如し。
爾の時、
『世尊』は、
『師子座』上に、
『坐っていられた!』が、
其の、
『徳』は、
『三千大千の国土』中に、
『特に!』、
『尊ばれ!』。
『光明』の、
『色像』は、
『威徳』が、
『巍巍としており!』、
遍く、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『仏の国土』に、
『至った!』。
譬えば、
『須弥山王』の、
『光色』が、
『殊特(特別)であり!』、
『衆山』には、
『及ぶ!』者が、
『無いようなものである!』。
  (とく):他の衆生を幸せにする力。
  威徳(いとく):威勢があって情け深い。
  巍巍(ぎぎ):山の高く聳えるさま。
  須弥山王(しゅみせんおう):須弥山の衆山に王たるを言う。譬えば衆獣の王を師子王と言うが如し。須弥山は世界の中心に聳える高山の名。
  光色(こうしき):輝く色彩。
  衆山(しゅせん):群れなす山々。多くの雑多な山々。
爾時世尊以常身示此三千大千國土一切眾生。是時首陀會天梵眾天。他化自在天化樂天兜率陀天夜摩天三十三天四天王天及三千大千國土人與非人。以諸天花天瓔珞天澤香天末香天。青蓮花赤蓮花白蓮花紅蓮花天樹葉香持詣佛所。是諸天花乃至天樹葉香以散佛上。所散寶花於此三千大千國土上。在虛空中化成大臺。是花臺邊垂諸瓔珞。雜色花蓋五色繽紛。是諸花蓋瓔珞遍滿三千大千世界。以是花蓋瓔珞嚴飾故。此三千大千國土皆作金色。及十方如恒河沙等諸佛國土皆亦如是。 爾の時、世尊は、常身を以って、此の三千大千国土の一切の衆生に示したまえり。是の時、首陀会天、梵衆天、他化自在天、化楽天、兜率陀天、夜摩天、三十三天、四天王天、及び三千大千国土の人と、非人とは、諸の天の花、天の瓔珞、天の沢香、天の末香、天の青蓮花、赤蓮花、白蓮華、紅蓮花、天の樹葉の香を以って持し、仏所に詣りて、是の諸の天の花、乃至天の樹葉の香を以って、仏上に散けば、散かるる所の宝花は、此の三千大千国土上に於いて、虚空中に在りて、大台を化成す。是の花台の辺に、諸の瓔珞を垂し、雑色の花蓋は五色繽紛なり。是の諸の花蓋の瓔珞は、遍く三千大千世界を満て、是の花蓋の瓔珞の厳飾するを以っての故に、此の三千大千国土は、皆金色と作る。及び十方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土も、皆亦た是の如し。
爾の時、
『世尊』は、
『常身』を、
此()の、
『三千大千の国土』の、
一切の、
『衆生』に、
『示された!』。
是の時、
『首陀会天』、
『梵衆天』、
『他化自在天』、
『化楽天』、
『兜率陀天』、
『夜摩天』、
『三十三天』、
『四天王天』、
及び、
『三千大千の国土』の、
『人』と、
『非人』とは、
皆、
諸の、
『天の花』、
『天の瓔珞』、
『天の沢香』、
『天の末香』、
『天の青蓮花、赤蓮花、白蓮華、紅蓮花』、
『天の樹葉の香』を、
『持って!』、
『仏の所』に、
『詣(いた)り!』、
是の、
『諸の天の花、乃至天の樹葉の香』を、
『仏の上』に、
『散()いた!』。
是の、
『散かれた!』、
『宝の花』は、
此()の、
『三千大千の国土』上の、
『虚空』中に於いて、
『変化し!』、
『大きな!』、
『花の台』を、
『形成した!』。
是の、
『花の台』は、
『周辺』より、
諸の、
『瓔珞』を、
『垂(たら)し!』、
『雑色』の、
『花の蓋(かさ)』は、
『五色』が、
『繽紛であった(乱れていた)!』。
是の、
諸の、
『花蓋、瓔珞』は、
遍く、
『三千大千の世界』に、
『満ちた!』。
是の、
『花蓋、瓔珞』で、
『厳飾された!』が故に、
此の、
『三千大千の国土』は、
皆、
『金色』と、
『作()り!』、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏』の、
『国土』も、
皆、
『金色』と、
『作った!』。
  常身(じょうしん):仏が此の世界の衆生に現される、通常の身。
  首陀会天(しゅだえてん):色界第四禅天の別称。
  梵衆天(ぼんしゅてん):色界第三禅天の三天中の諸天の名。
  他化自在天(たけじざいてん):欲界六天中の第六天の名。
  化楽天(けらくてん):欲界六天中の第五天の名。
  兜率陀天(とそつだてん):欲界六天中の第四天の名。
  夜摩天(やまてん):欲界六天中の第三天の名。
  三十三天(さんじゅうさんてん):欲界六天中の第二天の名。
  四天王天(してんのうてん):欲界六天中の初天の名。
  非人(ひにん):欲界の諸天所属の鬼神。
  瓔珞(ようらく):花/宝玉等を串ねて垂す装飾品。
  沢香(たっこう):軟膏状の香料。
  末香(まっこう):粉末状の香料。
  (けい):いたる/到達。
  化成(けじょう):変化して成る。
  (だい):蓮のうてな。蓮華の台/蓮の花の種の入っている部分。
  雑色(ぞうしき):入り雑った種種の色。
  花蓋(けがい):花で装飾された天蓋。
  五色(ごしき):青黄赤白黒。
  繽紛(ひんぷん):繁雑にして多く盛んなさま。
  厳飾(ごんじき):厳密/精密に飾る。荘厳。
 
爾時三千大千國土及十方眾生各各自念佛獨為我說法不為餘人。 爾の時、三千大千国土、及び十方の衆生は、各各自ら念ずらく、『仏は、独り我が為に、法を説きたまい、余人の為にあらず』、と。
爾の時、
『三千大千の国土』と、
『十方』との、
『衆生』は、
各各、
自ら、こう念じた(思った)、――
『仏』は、
独(ひと)り、
『わたしだけ!』の為に、
『法』を、
『説かれている!』。
『他の人』の為に、
『説かれているのではない!』、と。
  (どく):ひとり/ただそれだけ。
爾時世尊在師子座。熙怡微笑光從口出。遍照三千大千國土。以此光故此間三千大千國土中眾生。皆見東方如恒河沙等諸佛及僧。彼間如恒河沙等國土中眾生亦見此間三千大千國土中釋迦牟尼佛及諸大眾。南西北方四維上下亦復如是 爾の時、世尊は、師子座に在りて、熙怡微笑したもうに、光口より出で、遍く三千大千の国土を照せり。此の光を以っての故に、此の間の三千大千の国土中の衆生は、皆、東方の恒河沙に等しきが如き諸仏、及び僧を見、彼の間の恒河沙に等しきが如き国土中の衆生も亦た、此の間の三千大千国土中の釈迦牟尼仏、及び諸の大衆を見る。南西北方、四維上下も亦復た是の如し。
爾の時、
『世尊』が、
『師子座』で、
『にっこり笑われる!』と、
『光』が、
『口』より、
『出て!』、
遍く、
『三千大千の国土』を、
『照らした!』ので、
此の、
『光』の故に、
此の、
『間(世界)』の、
『三千大千の国土』中の、
『衆生』は、
皆、
『東方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『仏と僧(大衆)』を、
『見た!』が、
彼の、
『間』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『国土』の、
『衆生』も、
亦た、
此の、
『間』の、
『三千大千の国土』中の、
『釈迦牟尼仏と諸の大衆』を、
『見た!』。
『南、西、北方、四維、上下』も、
亦た、
まったく、
『是の通りである!』。
  (そう):梵語、群衆の義。ある目的の為に一処に居住する群衆の意。仏教に於いては仏弟子の集団を指し、三人/四人以上の比丘の集団/比丘尼の集団を僧/僧伽と称し、一地方の僧伽の集団を現前僧/現前僧伽、一切の仏弟子の集合を四方僧伽/十方僧伽と称する。



他方世界の諸菩薩、世尊の所に参集する

是時東方過如恒河沙等諸佛國土。其國最在邊國名多寶。佛號寶積。今現在為諸菩薩摩訶薩說般若波羅蜜。彼國有菩薩名曰普明。見大光明見地大動又見佛身。到寶積佛所白佛言。世尊。今何因緣。有此光明照於世間地大震動又見佛身。寶積佛報普明言。善男子。西方度如恒河沙等國。有世界名娑婆。佛號釋迦牟尼。今現在欲為諸菩薩摩訶薩說般若波羅蜜。是其神力。 是の時、東方に恒河沙に等しきが如き諸仏の国土を過ぎ、其の国は、最も辺に在り、国を多宝と名づけ、仏を宝積と号す。今、現在、諸の菩薩摩訶薩の為に、般若波羅蜜を説きたもう。彼の国の有る菩薩を名づけて、普明と曰い、大光明を見、地の大動するを見、又仏身を見て、宝積仏の所に到り、仏に白して言さく、『世尊、今、何なる因縁に、此の光明有りて、世間を照らし、地大いに震動して、又仏身を見るや』、と。宝積仏の普明に報えて言わく、『善男子、西方に恒河沙に等しきが如き国を度りて、世界有り、娑婆と名づけ、仏を釈迦牟尼と号す。今現在、諸の菩薩摩訶薩の為に、般若波羅蜜を説く。是れ其の神力なり』、と。
是の時、
『東方』に、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』を、
『過ぎた!』、
其の、
『最も辺』の、
『国』を、
『多宝』と、
『称し!』、
『仏』を、
『宝積』と、
『号し!』、
今現在、
諸の、
『菩薩摩訶薩』の為に、
『般若波羅蜜』を、
『説かれていた!』。
彼()の、
『国』の、
『普明』と、
『呼ばれる!』、
有る、
『菩薩』は、
『大光明』を、
『見て!』、
『地』が、
『大動する!』のを、
『見ていた!』ところ、
『仏』の、
『身まで!』が、
『見えた!』ので、
『宝積仏の所』に到り、
『仏』に白して、こう言った、――
世尊!
今は、
何のような、
『因縁(理由)』で、
有るいは、
此の、
『光明』が、
『世間』を、
『照らしたり!』、
『地』が、
『大いに!』、
『震動したり!』、
又、
『仏』の、
『身まで!』が、
『見えるのですか?』、と。
『宝積仏』は、
『普明』に報(こた)えて、こう言われた、――
善男子!
『西方』に、
『恒河の沙』に、
『等しい!』、
『国』を、
『度(わた)り!』、
有る、
『世界』を、
『娑婆』と、
『呼び!』、
『仏』を、
『釈迦牟尼』と、
『号する!』が、
今、
現在、
諸の、
『菩薩摩訶薩』の為に、
『般若波羅蜜』を、
『説いている!』。
是れは、
其の、
『仏』の、
『神力である!』、と。
  (みょう):なづく。と言う/と呼ぶ/と称する/というものである/ということである。
  (びゃく):もうす。説明/表明/報告/控告。
  因縁(いんねん):理由/由来。
  善男子(ぜんなんし):”善い息子たちよ!”。仏の在家の信者に対する呼びかけの言葉。
  娑婆(しゃば):梵語、忍耐の義。釈迦牟尼仏の領する世界の名。苦の多いが故に忍土と訳す。
是時普明菩薩白寶積佛言。世尊。我今當往見釋迦牟尼佛禮拜供養。及見彼諸菩薩摩訶薩紹尊位者。皆得陀羅尼及諸三昧。於諸三昧而得自在。佛告普明。欲往隨意宜知是時。 是の時、普明菩薩の、宝積仏に白して言さく、『世尊、我れ今当に、釈迦牟尼仏に見えて礼拜、供養し、及び彼の諸の菩薩摩訶薩の尊位を紹ぐ者にして、皆、陀羅尼及び諸三昧を得て、諸の三昧に於いて、自在を得たるに見ゆべし』、と。仏の普明に告げたまわく、『往かんと欲せば意に随い、宜しく是れ時なりと知るべし』、と。
是の時、
『普明菩薩』は、
『宝積仏』に白して、こう言った、――
世尊!
わたしは、
今、
『釈迦牟尼仏』に、
『見(まみ)えて!』、
『礼拜し!』、
『供養して!』、
及び、
彼の、
諸の、
『菩薩摩訶薩』の、
『尊位を紹ぐ者』にも、
『見えなくてはなりません!』。
何故ならば、
皆、
『陀羅尼』と、
諸の、
『三昧』を、
『得ており!』、
諸の、
『三昧の入/出』に、
『自在だからです!』。
『仏』は、
『普明』に、こう告げられた、――
『往こう!』と、
『思えば!』、
『意のままにせよ!』、
是れが、
『時だ!』と、
『知らねばならぬ!』、と。
  (けん):まみゆ/まみえる。会見。
  供養(くよう):修行者を尊敬して飲食料、衣服、臥具、湯薬の四種を提供すること。
  宜知(ぎち):と知るべきだ/と知らねばならぬ。
爾時寶積佛。以千葉金色蓮花與普明菩薩。而告之曰。善男子。汝以此花散釋迦牟尼佛上。生彼娑婆國中諸菩薩難勝難及。汝當一心以遊彼國。 爾の時、宝積仏は、千葉金色の蓮花を以って、普明菩薩に与え、之に告げて曰く、『善男子、汝は、此の花を以って、釈迦牟尼仏の上に散らせ。彼の娑婆国中に生ぜし諸の菩薩には、勝ち難く及び難し。汝は、当に一心に、以って彼の国に遊ぶべし』、と。
爾の時、
『宝積仏』は、
『千葉』の、
『金色の蓮花』を、
『普明菩薩』に、
『与える!』と、
『普明』に、こう告げた、――
善男子!
お前は、
此の、
『花』を、
『釈迦牟尼仏の上』に、
『散らせ!』。
彼の、
『娑婆(忍耐)』という、
『国』中に、
『生まれた!』、
諸の、
『菩薩』には、
『勝ち難く!』、
『及び難い!』。
お前が、
彼の、
『国』に、
『遊ぶ!』のは、
『一心でなければならぬ!』、と。
  一心(いっしん):心を乱して、他事に移さないこと。一心不乱。
爾時普明菩薩從寶積佛受千葉金色光明蓮花。與無數出家在家菩薩及諸童男童女。俱共發引皆供養恭敬尊重讚歎東方諸佛。持諸花香瓔珞澤香末香塗香衣服幢蓋。向釋迦牟尼佛所。到已頭面禮佛足一面立白佛言。世尊。寶積如來致問。世尊少惱少患起居輕利氣力安樂不。又以此千葉金色蓮花供養世尊。 爾の時、普明菩薩は、宝積仏より千葉、金色光明の蓮花を受け、無数の出家、在家の菩薩、及び諸の童男、童女と倶共に発引し、皆東方の諸仏を供養、恭敬、尊重、讃歎し、諸の花香、瓔珞、沢香、末香、塗香、衣服、幢蓋を持ち、釈迦牟尼仏の所に向い、到り已って、頭面に仏足を礼し、一面に立ちて、仏に白して言さく、『世尊、宝積如来問を致すらく、世尊、悩少なく患少なく、起居は軽利にして、気力安楽なりや不やと。又此の千葉、金色の蓮花を以って世尊を供養す』、と。
爾の時、
『普明菩薩』は、
『宝積仏』より、
『千葉』の、
『金色の光明』の、
『蓮花』を、
『受けて!』、
『無数』の、
『出家、在家』の、
『菩薩』と、
『諸の童男、童女』とを、
『引率して!』、
『出発する!』と、
皆、
『東方』の、
『諸仏』を、
『供養し!』、
『恭敬し!』、
『尊重し!』、
『讃歎した!』後、
諸の、
『花香、瓔珞、沢香、抹香、塗香、衣服、幢蓋』を、
『持って!』、
『釈迦牟尼仏の所』に、
『向い!』、
『釈迦牟尼仏の所』に、
『到る!』と、
『頭面』に、
『仏足』を、
『礼して!』、
『一面』に、
『立ち!』、
『仏』に白して、こう言った、――
世尊!
『宝積如来』より、
『問訊』を、致します、――
世尊!
『悩(なやみ)』や、
『患(わずらい)』は、
『少ないでしょうか?』。
『起居』は、
『軽利でしょうか?』、
『気力』は、
『安楽でしょうか?』、と。
又、
此の、
『千葉、金色』の、
『蓮花』で、
『世尊』を、
『供養します!』、と。
  倶共(くぐ):ともに/みなともに。いっしょに/打ち揃って。倶は全/都/皆、共は同/一斉の如し。
  発引(ほついん):出発引率の義。通常は霊柩を引いて出発するの意。
  童男(どうなん):少年。
  童女(どうにょ):少女。
  恭敬(くぎょう):深く尊敬すること。
  尊重(そんじゅう):深い尊敬を以って崇めること。崇敬。
  塗香(づこう):身に塗る香料。
  少悩少患(しょうのうしょうげん):悩み事や憂慮/病気は少ないか?。問訊の決まり文句。
  起居軽利(きこきょうり):起き伏しは軽快鋭利/便利か?問訊の決まり文句。
  気力安楽(けりきあんらく):気力は充実しているか?問訊の決まり文句。
爾時釋迦。牟尼佛受是千葉金色蓮花。以散東方如恒河沙等諸國土中。佛所散寶花滿東方如恒河沙等諸佛國土。一一花上皆有菩薩。結跏趺坐說六波羅蜜。聞此法者必至阿耨多羅三藐三菩提。諸出家在家菩薩及諸童男童女。頭面禮釋迦牟尼佛足各以供養具。供養恭敬尊重讚歎釋迦牟尼佛。是諸出家在家菩薩及諸童男童女。各各以善根福德力故。得供養釋迦牟尼佛多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀。 爾の時、釈迦牟尼仏は、是の千葉金色の蓮花を受け、以って東方の恒河沙に等しきが如き諸の国土中に散らしたもう。仏の散らす所の宝花は、東方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土を満て、一一の花上には、皆菩薩有りて、結跏趺坐し、六波羅蜜を説きたもう。此の法を聞く者は、必ず阿耨多羅三藐三菩提に至らん。諸の出家、在家の菩薩、及び諸の童男、童女は、頭面に釈迦牟尼仏の足を礼して、各供養の具を以って、釈迦牟尼仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎す。是の諸の出家、在家の菩薩、及び諸の童男、童女は、各各善根の福徳の力を以っての故に、釈迦牟尼仏、多陀阿伽度、阿羅訶、三藐三仏陀を供養するを得たり。
爾の時、
『釈迦牟尼仏』は、
是の、
『千葉、金色』の、
『蓮花』を、
『受け!』、
それを、
『東方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『国土』中に、
『散()かれる!』と、
『仏』に、
『散かれた!』、
『宝花』は、
『東方』の、
『恒河沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『仏の国土』を、
『満たした!』。
『一一の花』上には、
皆、
『菩薩』が、
『有り!』、
皆、
『結跏趺坐して!』、
『六波羅蜜』を、
『説かれていた!』。
此の、
『法』を、
『聞く!』者は、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提』に、
『至るだろう!』。
諸の、
『出家、在家の菩薩』と、
諸の、
『童男、童女』は、
『頭面』に、
『釈迦牟尼仏の足』を、
『礼して!』、
各、
『供養の具』を、
『用いて!』、
『釈迦牟尼仏』を、
『供養、恭敬、尊重、讃歎した!』。
是の、
諸の、
『出家、在家の菩薩』と、
諸の、
『童男、童女』は、
各各、
『善根』の、
『福徳の力』を、
『用いる!』が故に、
『釈迦牟尼仏』という、
『多陀阿伽度、阿羅訶、三藐三仏陀』を、
『供養することができたのである!』。
  善根(ぜんごん):過去の善業を植物の根に譬える。
  福徳(ふくとく):有らゆる善行と、その齎す所の功徳。
  多陀阿伽度(ただあかど):梵語、如来と訳す。仏の別号。
  阿羅訶(あらか):梵語、又阿羅漢に作る、応供と訳す。仏の別号。
  三藐三仏陀(さんみゃくさんぶっだ):梵語、正遍知と訳す。仏の別号。
南方度如恒河沙等諸佛國土。其國最在邊國名離一切憂。佛號無憂德。菩薩名離憂。西方度如恒河沙等諸佛國土。其國最在邊國名滅惡。佛號寶山。菩薩名儀意。北方度如恒河沙等諸佛國土。其國最在邊國名勝。佛號勝王。菩薩名德勝。下方度如恒河沙等諸佛國土。其國最在邊國名善。佛號善德。菩薩名花上。上方度如恒河沙等諸佛國土。其國最在邊國名喜。佛號喜德。菩薩名德喜。如是一切皆如東方。 南方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土を度りて、其の国は最も辺に在り。国を離一切憂と名づけ、仏を無憂徳と号し、菩薩を離憂と名づく。西方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土を度りて、其の国は最も辺に在り。国を滅悪と名づけ、仏を宝山と号し、菩薩を儀意と名づく。北方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土を度りて、其の国は最も辺に在り。国を勝と名づけ、仏を勝王と号し、菩薩を徳勝と名づく。下方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土を度りて、其の国は最も辺に在り。国を善と名づけ、仏を善徳と号し、菩薩を花上と名づく。上方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土を度りて、其の国は最も辺に在り。国を喜と名づけ、仏を喜徳と号し、菩薩を徳喜と名づく。是の如き一切は、皆、東方の如し。
『南方』に、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』を、
『度り!』、
『最も!』、
『辺』に、
『在る!』、
其の、
『国』を、
『離一切憂』と、
『称し!』、
『仏』を、
『無憂徳』と、
『称し!』、
『菩薩』を、
『離憂』と、
『称した!』。
『西方』に、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』を、
『度り!』、
『最も!』、
『辺』に、
『在る!』、
其の、
『国』を、
『滅悪』と、
『称し!』、
『仏』を、
『宝山』と、
『称し!』、
『菩薩』を、
『儀意』と、
『称した!』。
『北方』に、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』を、
『度り!』、
『最も!』、
『辺』に、
『在る!』、
其の、
『国』を、
『勝』と、
『称し!』、
『仏』を、
『勝王』と、
『称し!』、
『菩薩』を、
『徳勝』と、
『称した!』。
『下方』に、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』を、
『度り!』、
『最も!』、
『辺』に、
『在る!』、
其の、
『国』を、
『善』と、
『称し!』、
『仏』を、
『善徳』と、
『称し!』、
『菩薩』を、
『花上』と、
『称した!』。
『上方』に、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』を、
『度り!』、
『最も!』、
『辺』に、
『在る!』、
其の、
『国』を、
『喜』と、
『称し!』、
『仏』を、
『喜徳』と、
『称し!』、
『菩薩』を、
『徳喜』と、
『称した!』。
是れ等のような、
一切は、
皆、
『東方』と、
『同様である!』。
爾時是三千大千國土。皆成為寶花遍覆地懸繒幡蓋。香樹花樹皆悉莊嚴。譬如花積世界普花佛國。妙德菩薩。善住意菩薩。及餘大威神諸菩薩皆在彼住。 爾の時、是の三千大千国土は、皆成じて、宝花は遍く地を覆い、繒、幡、蓋を懸け、香樹、花樹、皆悉く荘厳すと為す。譬えば花積世界の普花仏国の妙徳菩薩、善住意菩薩、及び余の大威神の諸菩薩の、皆彼に在りて住するが如し。
爾の時、
是の、
『三千大千の国土』は、
皆、こう成った、――
『宝花』が、
遍く、
『地』を、
『覆(おお)い!』、
『繒(きぬ)の幡(はた)、蓋(かさ)』を、
『香樹、花樹』に、
『懸けて!』、
皆を、
悉く、
『荘厳した!』。
譬えば、
『花積世界』の、
『普花仏の国』の、
『妙徳菩薩』や、
『善住意菩薩』や、
『その他の大威神の諸菩薩』が、
皆、
是の、
『三千大千の国土』に、
『住(とど)まっているようであった!』。



世尊、舎利弗に般若波羅蜜を説く

爾時佛知一切世界。若天世界若魔世界若梵世界若沙門婆羅門。及天若犍闥婆人阿修羅等。及諸菩薩摩訶薩紹尊位者。一切皆集 爾の時、仏の知りたまわく、『一切の世界の、若しは天の世界、若しは魔の世界、若しは梵の世界、若しは沙門、婆羅門、及び天、若しは揵闥婆、人、阿修羅等、及び諸の菩薩摩訶薩の尊位を紹ぐ者の、一切は皆集まれり』、と。
爾の時、
『仏』は、こう知られた、――
一切の、
『世界である!』、
『天の世界』、
『魔の世界』、
『梵の世界』、
『沙門』、
『婆羅門』、
及び、
『天』、
『犍闥婆』、
『人』、
『阿修羅』等、
及び、
諸の、
『菩薩摩訶薩』という、
『尊位』を、
『紹ぐ者』の、
一切が、
皆、
『集まった!』、と。
  (てん):三界の所属にして、超人的力を有する衆生/王と其の眷属。此の中の四天王天は須弥山の中腹に住し、三十三天は須弥山の頂上に住し、他は空中に住す。
  1. 欲界の六欲天。
    1. 四天王天:持国天、増長天、広目天、多聞天の総称。
    2. 三十三天:忉利天を、他の三十二の眷属天が周囲する。
    3. 夜摩天。
    4. 兜率天。
    5. 化楽天。
    6. 他化自在天:魔天とも称す。
  2. 色界の四禅天:欲を離れ、禅定に住して色身を有す。
    1. 初禅天:梵衆天、梵輔天、大梵天の総称。
    2. 二禅天:少光天、無量光天、極光浄天の総称。
    3. 三禅天:少浄天、無量浄天、遍浄天の総称。
    4. 四禅天:無曇天、福生天、広果天、無煩天、
          無熱天、善現天、善見天、色究竟天の総称。
  3. 無色界の四天:欲と色想とを離れ、無色定に住する識を体とする。
    1. 空無辺処天。
    2. 識無辺処天。
    3. 無所有処天。
    4. 非有想非無想処天。
  (ま):欲界第六天/他化自在天所住の諸天の別名。
  (ぼん):梵語、清浄と訳す、色界/四禅天所住の諸天の別名。
  沙門(しゃもん):梵語、出家と訳す、苦行者の義、仏道の修行者の意。
  婆羅門(ばらもん):梵語、献身の義、梵天を奉じて修行する一族の称。
  犍闥婆(けんだつば):梵語、酒肉を食わず、唯だ香を以って身を養う楽神の意。
  阿修羅(あしゅら):梵語、常に帝釈と闘う戦闘神の意。
佛知眾會已集。佛告舍利弗。菩薩摩訶薩欲以一切種智知一切法。當習行般若波羅蜜。 仏は、衆会の已に集まれるを知りたまえば、仏の舎利弗に告げたまわく、『菩薩摩訶薩、一切種智を以って、一切法を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし』、と。
『仏』は、
衆(もろもろ)の、
『会』の、
『集まった!』ことを、
『知られる!』と、
『仏』は、
『舎利弗』に、こう告げられた、――
『菩薩摩訶薩』が、
『一切種智』を、
『用いて!』、
『一切の法』を、
『知ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行すべきである!』、と。
  衆会(しゅえ):比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、菩薩、諸天等、種種多数の類別の会。
  舎利弗(しゃりほつ):世尊の弟子。仏弟子中智慧第一と称され、十大弟子の一に挙げられる。
  一切種智(いっさいしゅち):包括的な智慧。有らゆる個々の現象の差別相を類別し認める智慧/有らゆる事物を知る智慧/仏特有の智慧。
  一切法(いっさいほう):一切の有為法[因縁により生じさせられた事物/非無為法]と、無為法[常住不変の事物/非有為法]をいう。
  習行(じゅうぎょう):訓練/洗練/修行/実践すること。習慣的に実践すること。
舍利弗白佛言。世尊。菩薩摩訶薩云何欲以一切種智知一切法。當習行般若波羅蜜。 舎利弗の仏に白して言さく、『世尊、菩薩摩訶薩は、云何が、一切種智を以って、一切法を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべき』、と。
『舎利弗』は、
『仏』に白(もう)して、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩』は、
何故、
『一切種智』を、
『用いて!』、
『一切の法』を、
『知ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならぬのですか?』、と。
佛告舍利弗。菩薩摩訶薩以不住法住般若波羅蜜中。以無所捨法應具足檀那波羅蜜。施者受者及財物不可得故。罪不罪不可得故。應具足尸羅波羅蜜。心不動故。應具足羼提波羅蜜。身心精進不懈怠故。應具足毘梨耶波羅蜜。不亂不味故。應具足禪那波羅蜜。於一切法不著故。應具足般若波羅蜜。 仏の舎利弗に告げたまわく、『菩薩摩訶薩は、不住法を以って、般若波羅蜜中に住まり、捨つる所無き法を以って、応に檀波羅蜜を具足すべし、施者、受者、及び財物の得べからざるが故なり。罪と罪ならざると得べからざるが故に、応に尸羅波羅蜜を具足すべし。心は動かざるが故に、応に羼提波羅蜜を具足すべし。身心精進にして、懈怠せざるが故に、応に毘梨耶波羅蜜を具足すべし。乱れず、味わわざるが故に、応に褝那波羅蜜を具足すべし。一切法に於いて著せざるが故に、応に般若波羅蜜を具足すべし。
『仏』は、
『舎利弗』に、こう告げられた、――
『菩薩摩訶薩』は、
『住(とど)まらない!』という、
『法』を、
『用いて!』、
『般若波羅蜜』中に、
『住まり!』、
『捨てる!』所は、
『無い!』という、
『法』を、
『用いて!』、
『檀那波羅蜜』を、
『具足すべきである!』。
『施者』も、
『受者』も、
『財物』も、
『認められないからである!』。
『罪である!』とも、
『罪でない!』とも、
『認められない!』が故に、
『尸羅波羅蜜』を、
『具足すべきである!』。
『心』は、
『侮辱されても!』、
『動かない!』が故に、
『羼提波羅蜜』を、
『具足すべきである!』。
『心、身』は、
『精進(精勤)して!』、
『懈怠しない!』が故に、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『具足すべきである!』。
『心』は、
『乱れず!』、
『味わわない!』が故に、
『褝那波羅蜜』を、
『具足すべきである!』。
『一切の法』に、
『著しない!』が故に、
『般若波羅蜜』を、
『具足すべきである!』。
  不住(ふじゅう):心を一処に滞留させないこと/事物の名義に於いて執著しないこと。
  (ほう):規則/法則/法規/徳/軌範/真理/現実/事物/現象/要素/成分/精神的要素/特質/仏教/邪教等の意。一切の事物、或いは何か小/大、可見/不可見、真実/不実の事物、現象、真実、原理、方式、有形の物/抽象的な概念等の意味に於いて使用される。本は「保存する/維持する/保つもの」の義であり、有らゆる事物と、其の名、或は其れを説く為の言葉/文章等との総称である。般若経に於いては、経典中の言葉は常に真実を指すという教条主義/ドグマティズムには批判的であるが故に、不住法を以って、般若波羅蜜中に住すと云い、般若波羅蜜とは何か等の、戯論/無益な論義を制遮するのである。
  所捨(しょしゃ):捨てる所。所は受け身を示す辞。捨てられる物。
  不可得(ふかとく):不可知である/認められない。それが何者なのか知ることができないこと/それは何なのか、懸命に探究しても認識できる事物がないこと。
  具足(ぐそく):身に備わる。完璧/完全であること。
  精進(しょうじん):懸命に努力して怠らないこと。精勤。
  懈怠(けたい):おこたり怠けること。
  不味(ふみ):味は、禅味を味わう/禅の楽に耽溺すること。
  不著(ふじゃく):著は、事物に執著すること/心が柔軟でないこと。
菩薩摩訶薩以不住法住般若波羅蜜中。不生故。應具足四念處四正懃四如意足五根五力七覺分八聖道分。空三昧無相三昧無作三昧。四禪四無量心四無色定八背捨八勝處九次第定十一切處。九相。脹相壞相血塗相膿爛相青相噉相散相骨相燒相。念佛念法念僧念戒念捨念天念入出息念死。十想。無常想苦想無我想食不淨想一切世間不可樂想死想不淨想斷想離欲想盡想。十一智。法智比智他心智世智苦智集智滅智道智盡智無生智如實智。三三昧。有覺有觀三昧無覺有觀三昧。無覺無觀三昧。三根。未知欲知根知根知已根。 菩薩摩訶薩は、不住法を以って、般若波羅蜜中に住し、不生の故に、応に四念処、四正懃、四如意足、五根五力、七覚分、八聖道分、空三昧、無相三昧、無作三昧、四禅、四無量心、四無色定、八背捨、八勝処、九次第定、十一切処、九相の脹相、壊相、血塗相、膿爛相、青相、噉相、散相、骨相、焼相、念仏、念法、念僧、念戒、念捨、念天、念入出息、念死、十想の無常想、苦想、無我想、食不浄想、一切世間不可楽想、死想、不浄想、断想、離欲想、尽想、十一智の法智、比智、他心智、世智、苦智、集智、滅智、道智、尽智、無生智、如実智、三三昧の有覚有観三昧、無覚有観三昧、無覚無観三昧、三根の未知欲知根、知根、知已根を具足すべし。
『菩薩摩訶薩』は、
『住まらない!』という、
『法』で、
『般若波羅蜜』中に、
『住まる!』ならば、
則ち、
『身、心』は、
『生じない!』が故に、
当然、
『四念処』、
『四正懃』、
『四如意足』、
『五根』、
『五力』、
『七覚分』、
『八聖道分』、
『三三昧(空等の三三昧)』の、
『空三昧』、
『無相三昧』、
『無作三昧』、
『四禅』、
『四無量心』、
『四無色定』、
『八背捨』、
『八勝処』、
『九次第定』、
『十一切処』、
『九相』の、
『脹相』、
『壊相』、
『血塗相』、
『膿爛相』、
『青相』、
『噉相』、
『散相』、
『骨相』、
『焼相』、
『八念』の、
『念仏』、
『念法』、
『念僧』、
『念戒』、
『念捨』、
『念天』、
『念入出息』、
『念死』、
『十想』の、
『無常想』、
『苦想』、
『無我想』、
『食不浄想』、
『一切世間不可楽想』、
『死想』、
『不浄想』、
『断想』、
『離欲想』、
『尽想』、
『十一智』の、
『法智』、
『比智』、
『他心智』、
『世智』、
『苦智』、
『集智』、
『滅智』、
『道智』、
『尽智』、
『無生智』、
『如実智』、
『三三昧(有覚有観等の三三昧)』の、
『有覚有観三昧』、
『無覚有観三昧』、
『無覚無観三昧』、
『三根(三無漏根)』の、
『未知欲知根』、
『知根』、
『知已根』を、
『具足せねばならない!』。
  四念処(しねんじょ):常に念ずべき四種の処。
  1. 身:身は不浄である。
  2. 受:受は苦である。
  3. 心:心は無常である。
  4. 法:法は無我である。
  四正懃(ししょうごん):常に努力すべき四種の正しい行い。
  1. 已生の悪を除断する。
  2. 未生の悪を生じさせない。
  3. 未生の善を生じさせる。
  4. 已生の善を増長する。
  四如意足(しにょいそく):種種の神用/神秘的力を引発して産生する四種の三昧。
  1. 欲如意足:欲の力に由りて、種種の神用を引発し産生する三昧。
  2. 精進如意足:精進の力に由りて、種種の神用を引発し産生する三昧。
  3. 念如意足:念の力に由りて、種種の神用を引発し産生する三昧。
  4. 思惟如意足:思惟の力に由りて、種種の神用を引発し産生する三昧。
  五根(ごこん):道を行うに必要な五種の根。
  1. 信根:道、及び助道の法を信じる。
  2. 精進根:道、及び助道の法を行うに、精進して懈怠しない。
  3. 念根:道、及び助道の法を常に念じて、他を念じない。
  4. 定根:道、及び助道の法を一心に念じて、散乱しない。
  5. 慧根:道、及び助道の法の為に、空、無常等を観察する。
  五力(ごりき):五根が増長すれば、煩悩に壊されなくり、五種の力となる。
  1. 信力:道、及び助道の法を信じるに由って生じる力。
  2. 精進力:道、及び助道の行を精進するに由って生じる力。
  3. 念根:道、及び助道の法を念ずるに由って生じる力。
  4. 定根:道、及び助道の法の為に一心であるに由って生じる力。
  5. 慧根:道、及び助道の法の為の無常等の慧に由り生じる力。
  七覚分(しちかくぶん):覚りに至る七種の法。
  1. 念覚分:憶念して忘れないこと。
  2. 択法覚分:物事の真偽を選択する智慧のこと。
  3. 精進覚分:正法に精進すること。
  4. 喜覚分:正法を喜ぶこと。
  5. 軽安覚分:身心が軽快であること。
  6. 定覚分:心を散乱せしめないこと。
  7. 捨覚分:心が偏らず平等であること。捨は平等の意。
  八聖道分(はっしょうどうぶん):涅槃に通じる八種の正道。
  1. 正見:苦集滅道の四諦の理を認めること、八正道の体。
  2. 正思惟:既に四諦の理を認め、なお考えて智慧を増長させる。
  3. 正語:正しい智慧で口業を修め、理ならざる言葉を吐かない。
  4. 正業:正しい智慧で身業を修め、清浄ならざる行為をしない。
  5. 正命:身口意の三業を修め、正法に順じて生活する。
  6. 正精進:正しい智慧で、涅槃の道を精進する。
  7. 正念:正しい智慧で、常に正道を念じる。
  8. 正定:正しい智慧で、心を統一する。
  三三昧(さんさんまい):空、無相、無作に関する三種の三昧。
  1. 空三昧:一切の諸法は、皆空、無我である。
  2. 無相三昧:無我の故に、男女等の相も無い。
  3. 無作三昧:無相中には、生滅等の所作/行為が無い。
  四禅(しぜん):欲界を超えた色界の禅/静慮に四種の別あるをいう。
  1. 有覚有観にして、離生の喜楽がある。覚は粗覚/感覚、観は細観/観察。
  2. 無覚無観にして、定生の喜楽がある。
  3. 喜を離れて、妙楽がある。
  4. 楽を離れ、捨を行じて心一境性に入る。
  四無量心(しむりょうしん):無量の衆生に楽を得しめ、苦を離れしめんと思惟する四種の三昧。
  1. 慈無量心:無量の衆生に楽を与える。
  2. 悲無量心:無量の衆生の苦を除く。
  3. 喜無量心:無量の衆生に楽を与えて苦を除く時に、心に生じる無量の喜。
  4. 捨無量心:無量の衆生に楽を与え苦を除き已れば、心に捨てて顧みない。
  四無色定(しむしきじょう):欲色界を超えた無色界に存する四種の定/善心一境性/三昧。
  1. 空無辺処定(くうむへんじょじょう):無量無辺の色に空を観る。
  2. 識無辺処定(しきむへんじょじょう):無量無辺の識を知る。
  3. 無所有処定(むしょうじょじょう):色受想行識は無いと知る。
  4. 非有想非無想処定(ひうそうひむそうじょじょう):有想も無想も無い状態。
  八背捨(はっぱいしゃ):心中の貪著を背き捨てる八段階の定力。
  1. 内心の色想を除くために、不淨観を修める。
  2. 内心の色想が無くなっても、なお不浄観を修める。
  3. 前の不淨観を捨て、外境の清浄を観る。
  4. 色想をすべて滅して、空無辺処定に入る。
  5. 空無辺の心を捨てて、識無辺処定に入る。
  6. 識無辺の心を捨てて、無所有処定に入る。
  7. 無所有の心を捨てて、非有想非無想処定に入る。
  8. 受想などを捨てて、滅受定/滅尽定に入る。
  滅受定(めつじゅじょう):非有想非無想処に於いて入る定。
  八勝処(はっしょうじょ):欲界の貪著の心を除く八段階の勝れた観察。
  1. 内に色相が有り、外の色の少しの好醜を勝れて知り、勝れて観る。
  2. 内に色相が有り、外の色の多くの好醜を勝れて知り、勝れて観る。
  3. 内に色相が無く、外の色の少しの好醜を勝れて知り、勝れて観る。
  4. 内に色相が無く、外の色の多くの好醜を勝れて知り、勝れて観る。
  5. 内に色相が無く、外の色の青を勝れて知り、勝れて観る。
  6. 内に色相が無く、外の色の黄を勝れて知り、勝れて観る。
  7. 内に色相が無く、外の色の赤を勝れて知り、勝れて観る。
  8. 内に色相が無く、外の色の白を勝れて知り、勝れて観る。
  九次第定(くしだいじょう):次第に入る九種の定、謂わゆる四禅、四無色定、滅受定をいう。
  十一切処(じゅういっさいじょ):一切の処に遍く青、黄、赤、白、地、水、火、風、空、識を観て、一切の物は、此の十種に過ぎないと知り、貪著の心を離れる。
  九相(くそう):屍体を観て、人身の不浄を知る九種の観法。
  1. 脹相:屍体の膨張相の観察。
  2. 壊相:屍体の腐壊相の観察。
  3. 血塗相:屍体より滲出する血汁相の観察
  4. 膿爛相:屍体の膿汁、腐爛相の観察。
  5. 青相:日に曝された屍体の青色相の観察。
  6. 噉相:鳥獣が来て啄み、囓り残した屍体の観察。
  7. 散相:手足の散乱した屍体の観察。
  8. 骨相:唯骸骨のみの屍体の観察。
  9. 焼相:骸骨を焼き、地に還った遺灰の観察。
  八念(はちねん):常に念じて心を去らしめない八種の法。
  1. 念佛:仏の大慈大悲と神通の無量を念じ、自ら成仏せんと願う。
  2. 念法:仏法の妙薬たるを念じ、自ら解了して衆生に施さんと願う。
  3. 念僧:僧の煩悩を滅し戒定慧を得て、世間の福田たるを念じ、自ら修行せんと願う。
  4. 念戒:戒の衆生の悪を除くを念じて、私も戒を守らんと願う。
  5. 念捨:布施は慳貪の良薬であると念じ、我れも布施せんと願う。
  6. 念天:六欲天等の諸天は、果報清浄にして一切を利益し、安隠にするを念じる。
  7. 念入出息:入出する息を数え念じて、心の散乱を除く。
  8. 念死:死は常に身と共に存り、避ける所の無きを念じる。
  十想(じっそう):十種の観想。
  1. 無常想:一切の法/事物は因縁所造の故に、無常である。
  2. 苦想:一切の法は無常の故に苦である。
  3. 無我想:一切の法に不変の我はなく、無我である。
  4. 食不淨想:食は不淨の因縁生じ、殺生、偸盗に由らない食はない。
  5. 一切世間不可楽想:一切の世間に楽しむべき所は何物も無い。
  6. 死想:死とは何であるか。
  7. 不淨想:身/肉体は不淨である。
  8. 断想:煩悩を断った清浄の身心が涅槃に至る。
  9. 離欲想:欲を離れ、生死を離れて涅槃に至る。
  10. 尽想:生死を尽くして涅槃に入る。
  十一智(じゅういっち):十一種の認知力。
  1. 法智:欲界の四聖諦を観察する智慧。
  2. 比智/類智:色界と無色界の四聖諦を観察する智慧。
  3. 他心智:他人の現在の心と心所(心の働き)を知る智慧。
  4. 世智:世俗の智慧。
  5. 苦智:四聖諦のうち苦諦を知る智慧。
  6. 集智:四聖諦のうち集諦を知る智慧。
  7. 滅智:四聖諦のうち滅諦を知る智慧。
  8. 道智:四聖諦のうち道諦を知る智慧。
  9. 尽智:四聖諦を体現し尽したことを知る智慧。
  10. 無生智:四聖諦を体現し尽して再び生まれることはないことを知る智慧。
  11. 如実智:如実の相を知る智慧。
  三三昧(さんさんまい):有覚有観等に関する三種の三昧。
  1. 有覚有観三昧:有覚有観の状態に相応する三昧。
  2. 無覚有観三昧:無覚有観の状態に相応する三昧。
  3. 無覚無観三昧:無覚無観の状態に相応する三昧。
  三根(さんこん):無漏/無煩悩の根に三種あるをいう。
  1. 未知欲知根:見道中の信、精進、念、定、慧の五根、喜、楽、捨の三根と意根の総称。
  2. 知根:思惟道中の信、精進、念、定、慧の五根、喜、楽、捨の三根と意根の総称。
  3. 知已根:無学道中の信、精進、念、定、慧の五根、喜、楽、捨の三根と意根の総称。
  三道(さんどう):四諦の理解に関し、三種の別あるをいう。
  1. 見道:初めて四諦の理を照見する位。
  2. 思惟道:已に照見せる四諦の理を繰り返し思惟する位。
  3. 無学道:四諦の理に通達し、体得した位。
舍利弗。菩薩摩訶薩欲遍知佛十力四無所畏四無礙智。十八不共法大慈大悲。當習行般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲具足道慧。當習行般若波羅蜜。菩薩摩訶薩。欲以道慧具足道種慧。當習行般若波羅蜜。欲以道種慧具足一切智。當習行般若波羅蜜。欲以一切智具足一切種智。當習行般若波羅蜜。欲以一切種智斷煩惱習。當習行般若波羅蜜。 舎利弗、菩薩摩訶薩は、遍く仏の十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法、大慈大悲を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。菩薩摩訶薩は、道慧を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。菩薩摩訶薩は、道慧を以って、道種慧を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし、道種慧を以って、一切智を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。一切智を以って、一切種智を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。一切種智を以って、煩悩の習を断ぜんと欲せば、当に般若波羅蜜を習行すべし。
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
遍く、
『仏』の、
『十力』、
『四無所畏』、
『四無礙智』、
『十八不共法』、
『大慈大悲』を、
『知ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行すべきである!』。
『菩薩摩訶薩』は、
『道慧』を、
『具足しよう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない!』。
『菩薩摩訶薩』は、
『道慧』で、
『道種慧』を、
『具足しよう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない!』。
『道種慧』で、
『一切智』を、
『具足しよう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない!』。
『一切智』で、
『一切種智』を、
『具足しよう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない!』。
『一切種智』で、
『煩悩の習』を、
『断とう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『習行せねばならない!』。
  十力(じゅうりき):仏のみ有する十種の智力。
  1. 是処不是処智力:道理と非道理を知る智力。
  2. 業異熟智力:衆生の三世の因果と業報を知る智力。
  3. 静慮解脱等持等至智力:諸の禅定と八解脱と三三昧を知る智力。
  4. 根上下智力:衆生の根力の優劣と得る果報の大小を知る智力。
  5. 種種勝解智力:衆生の理解の程度を知る智力。
  6. 種種界智力:世間と衆生の境界の不同を如実に知る智力。
  7. 遍趣行智力:五戒などの行により諸々の世界に趣く因果を知る智力。
  8. 宿住隨念智力:過去世の事を如実に知る智力。
  9. 死生智力:天眼を以って衆生の生死と善悪の業縁を見通す智力。
  10. 漏尽智力:煩悩をすべて断ち永く生まれないことを知る智力。
  四無所畏(しむしょい):説法に当って仏のみ有する四種の自負。
  1. 一切智無所畏:一切智の人としての畏れ無き自信。
  2. 漏尽無所畏:煩悩を尽すことに関する畏れ無き自信。
  3. 説障道無所畏:修行の障を余す所なく説いたという畏れ無き自信。
  4. 説尽苦道無所畏:苦滅の道を余す所なく説いたという畏れ無き自信。
  四無礙智(しむげち):説法に当って仏菩薩のみ有する自在と辯才の智慧。
  1. 法無礙:名義、文章の意味に関して自在に通達して無礙なること。
  2. 義無礙:法/経に説かれた義理/道理に関して自在に通達して無礙なること。
  3. 辞無礙:諸の地域の言葉に関して自在に通達して無礙なること。
  4. 楽説無礙:聴聞衆に相応して自在に法を説き、辯説無礙なること。
  十八不共法(じゅうはちふぐうほう):諸仏のみ有して他と共にしない十八種の功徳。
  1. 身無失:諸仏の身業は持戒清浄の故に、過失が無い。
  2. 口無失:諸仏の口業は持戒清浄の故に、過失が無い。
  3. 念無失:諸仏の意業は持戒清浄の故に、過失が無い。
  4. 無異想:諸仏は衆生を見て、己身を見るように異想が無い。
  5. 無不定心:諸仏は常に定心にして、善法中に住し諸法実相より退失せず。
  6. 無不知己捨心:諸仏は苦、楽受等に、其の生滅の相を覚知して寂静平等に住す。
  7. 欲無減:諸仏は常に衆生を度脱せんと志欲して、厭足無し。
  8. 精進無減:諸仏は常に衆生を度せんと欲し、精進して種種の方便を行う。
  9. 念無減:諸仏は三世の諸法を念じて、減退することが無い。
  10. 慧無減:諸仏は一切の智慧を得るが故に、智慧の減損が無い。
  11. 解脱無減:諸仏は一切の煩悩の習を尽して、余す所が無い。
  12. 解脱知見無減:諸仏は一切の解脱の相を知見して、余す所が無い。
  13. 一切身業随智慧行:諸仏は一切の身業の得失を観察し智慧に随順して行う。
  14. 一切口業随智慧行:諸仏は一切の口業の得失を観察し智慧に随順して行う。
  15. 一切意業随智慧行:諸仏は一切の意業の得失を観察し智慧に随順して行う。
  16. 智慧知見過去世無礙無障:諸仏の智慧は過去世の事を知見して無礙である。
  17. 智慧知見未来世無礙無障:諸仏の智慧は未来世の事を知見して無礙である。
  18. 智慧知見現在世無礙無障:諸仏の智慧は現在世の事を知見して無礙である。
  道慧(どうえ):善、不善の法に於いて、能く善法を簡択する精神作用。
  道種慧(どうしゅえ):無量の道門を分別し、能く衆生の応ずる法を簡択する精神作用。
  一切智(いっさいち):全知/博識。仏のみ有する一切の事物を知る知識。
  一切種智(いっさいしゅち):包括的認識力/有らゆる個別の現象間の差別を解了する認識力。
  煩悩習(ぼんのうのじゅう):煩悩を尽しても、尚お残る煩悩の気分/殘香。習気。
舍利弗。菩薩摩訶薩應如是學般若波羅蜜。 舎利弗、菩薩摩訶薩は、応に是の如く般若波羅蜜を学ぶべし。
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
是のように、
『般若波羅蜜』を、
『学すべきである!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲上菩薩位。當學般若波羅蜜。欲過聲聞辟支佛地住阿惟越致地。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、菩薩位に上らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。声聞、辟支仏の地を過ぎて、阿惟越致の地に住せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『菩薩の位』に、
『上ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『声聞、辟支仏』の、
『地』を、
『過ぎて!』、
『阿惟越致』の、
『地』に、
『住まろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  菩薩位(ぼさつのくらい):菩薩と称される地位。
  声聞辟支仏地(しょうもんびゃくしぶつのじ):声聞は仏より教を聞いて覚りを開く者、辟支仏は仏より教を聞かず、自らの縁によって覚りを開く者、倶に小乗に属す。声聞辟支仏の地は、その所属の地位を指す。
  阿惟越致(あゆいおっち):梵語、不退と訳す。六波羅蜜を行じて菩薩地より退却しない者の称。
菩薩摩訶薩。欲住六神通。當學般若波羅蜜。欲知一切眾生意所趣向。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、六神通に住せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。一切の衆生の意の趣向する所を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
『六神通』に、
『住まろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『一切の衆生』の、
『意』の、
『趣向(志向)する!』所を、
『知ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  六神通(ろくじんづう):諸仏菩薩の定、慧の力に依りて示現する六種の無礙自在の妙用。
  1. 如意通:境界を意の如くならしめる通力。
    1. 如意通能到:飛行して到る所の無礙自在なる通力。
    2. 如意通転変:境界を随意に変化せしめて無礙自在なる通力。
    3. 聖如意神通:境界の好醜を離れて捨行自在の通力。
  2. 天眼通:天眼の如く、能く視ること無礙自在なる通力。
  3. 天耳通:天耳の如く、能く聞くこと無礙自在なる通力。
  4. 知他心通:他の心を、能く知ることの無礙自在なる通力。
  5. 知宿命通:自他の過去世の事を、能く知ることの無礙自在なる通力。
  6. 漏尽通:煩悩と煩悩の習を、能く滅尽して再び生ぜしめざる通力。
菩薩摩訶薩欲勝一切聲聞辟支佛智慧。當學般若波羅蜜。欲得諸陀羅尼門諸三昧門。當學般若波羅蜜。一切求聲聞辟支佛人布施時。欲以隨喜心過其上者。當學般若波羅蜜。一切求聲聞辟支佛人持戒時。欲以隨喜心過其上者。當學般若波羅蜜。一切求聲聞辟支佛人。三昧智慧解脫解脫知見。欲以隨喜心過其上者。當學般若波羅蜜。一切求聲聞辟支佛人。諸禪定解脫三昧。欲以隨喜心過其上者。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、一切の声聞、辟支仏の智慧に勝れんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。諸の陀羅尼門、諸の三昧門を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。一切の声聞、辟支仏を求むる人の布施する時、随喜心を以って、其の上を過ぎんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。一切の声聞、辟支仏を求むる人の持戒する時、随喜心を以って、其の上を過ぎんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。一切の声聞、辟支仏を求むる人の三昧、智慧、解脱、解脱知見に、随喜心を以って、其の上を過ぎんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。一切の声聞、辟支仏を求むる人の諸の禅定、解脱三昧に、随喜心を以って、其の上を過ぎんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
一切の、
『声聞、辟支仏』の、
『智慧』に、
『勝ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
諸の、
『陀羅尼、三昧』の、
『門』に、
『入ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
一切の、
『声聞、辟支仏を求める人』の、
『布施する!』のを、
『見て!』、
『随喜心』が、
『生じ!』、
其の、
『上に!』、
『過ぎたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
一切の、
『声聞、辟支仏を求める人』の、
『持戒する!』のを、
『見て!』、
『随喜心』が、
『生じ!』、
其の、
『上に!』、
『過ぎたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
一切の、
『声聞、辟支仏を求める人』の、
『三昧、智慧、解脱、解脱知見』を、
『見て!』、
『随喜心』が、
『生じ!』、
其の、
『上に!』、
『過ぎたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
一切の、
『声聞、辟支仏を求める人』の、
『諸の禅定、解脱三昧』を、
『見て!』、
『随喜心』が、
『生じ!』、
其の、
『上に!』、
『過ぎたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  随喜心(ずいきしん):他人の行善を見る時、随って心に歓喜を生じること。
  解脱知見(げだつちけん):解脱に関する知見。
  禅定(ぜんじょう):四禅と四無色定、並びに滅尽定の併称。
  解脱三昧(げだつさんまい):解脱を伴う三昧、謂わゆる八背捨、空、無相、無作解脱門等。
菩薩摩訶薩行少施少戒少忍少進少禪少智。欲以方便力迴向故而得無量無邊功德者。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、小施、少戒、少忍、少進、少禅、少智を行じて、方便力を以って廻向するが故に、無量無辺の功徳を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
『布施』、
『持戒』、
『忍辱』、
『精進』、
『禅定』、
『智慧』を、
『少しばかり!』、
『行って!』、
『方便』の、
『力』を、
『用いて!』、
『廻向する!』が故に、
『無量無辺』の、
『功徳』を、
『得よう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  方便(ほうべん):目的を達成する為の手段。般若実智より生ずる衆生済度の為の具体的方策。
  廻向(えこう):行善の果報/功徳を、衆生済度の為に差し向けること。
  功徳(くどく):行善の果報/衆生済度の為の妙用を発起する善の能力/功力/功力ある徳性。
菩薩摩訶薩欲行檀那波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪那波羅蜜。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は檀那波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、褝那波羅蜜を行ぜんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
『檀那波羅蜜(布施)』、
『尸羅波羅蜜(持戒)』、
『羼提波羅蜜(忍辱)』、
『毘梨耶波羅蜜(精進)』、
『褝那波羅蜜(禅定)』を、
『行おう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
菩薩摩訶薩欲使世世身體與佛相似。欲具足三十二相八十隨形好。當學般若波羅蜜。欲生菩薩家。欲得童真地。欲得不離諸佛者。當學般若波羅蜜。欲以諸善根供養諸佛。恭敬尊重讚歎隨意成就。當學般若波羅蜜。欲滿一切眾生所願飲食衣服臥具塗香車乘房舍床榻燈燭等。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、世世の身体をして、仏と相似ならしめんと欲し、三十二相、八十随形好を具足せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。菩薩の家に生まれんと欲し、童真地を得んと欲し、諸仏を離れざるを得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。諸の善根を以って、諸仏を供養して、恭敬し、尊重し、讃歎すること、意の随に成就せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。一切の衆生の所願の飲食、衣服、臥具、塗香、車乗、房舎、床榻、灯燭等を満てんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
世世に、
『身体』を、
『仏』に、
『相似させたい!』と、
『思い!』、
『三十二相、八十随形好』を、
『得たい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『菩薩の家』に、
『生まれたい!』と、
『思い!』、
『童真の地』を、
『得たい!』と、
『思い!』、
『諸仏』から、
『離れたくない!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
諸の、
『善根』を、
『用いて!』、
『諸仏』を、
『供養し!』、
『諸仏』の、
『恭敬、尊重、讃歎』を、
『意のままに!』、
『成就したい!』と、
『思えば!』。
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
一切の、
『衆生』の、
『願う!』所の、
『飲食、衣服、臥具、塗香、車乗、房舎、床榻、灯燭』等を、
『満たしたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  八十随形好(はちじゅうずいぎょうこう):仏の付随的な八十種の好ましい形。
  1. 無見頂相:頂上を見ようとしても、肉髻が愈々高くなり見ることができない。
  2. 鼻高不現孔:鼻が高く、孔が正面からは見えない。
  3. 眉如初月:眉が細く三日月のようである。
  4. 耳輪垂埵:耳の外輪の部分が長く垂れている。
  5. 身堅実如那羅延:身体が筋肉質で、天上の力士のように隆々としている。
  6. 骨際如鉤鎖:骨が鎖のように際立っている。
  7. 身一時廻旋如象王:身体を廻らす時は、象が旋回するようである。
  8. 行時足去地四寸而現印文:歩くとき足が地面を離れてから足跡が現れる。
  9. 爪如赤銅色:爪が赤銅色である。
  10. 膝骨堅而円好:膝の骨が堅く円い。
  11. 身清潔:身体が清潔で汚れない。
  12. 身柔軟:身体が柔軟である。
  13. 身不曲:背筋が伸びて、猫背にならない。
  14. 指円而繊細:指が骨ばっていず、細い。
  15. 指文蔵覆:指紋が隠れていて見えない。
  16. 脈深不現:脈が深いところで打つので、外から見えない。
  17. 踝不現:踝が骨ばっていない。
  18. 身潤沢:身体が乾いていず光沢がある。
  19. 身自持不逶迤:身体がしゃんとして曲がっていない。
  20. 身満足:身体に欠けた所がない。
  21. 容儀備足:容貌と立ち居振る舞いが美しい。
  22. 容儀満足:容貌と立ち居振る舞いに欠点がない。
  23. 住処安無能動者:立ち姿が安定していて、動かすことが出来ない。
  24. 威振一切:威厳があり身振り一つであらゆる者を動かす。
  25. 一切衆生見之而楽:誰でも見れば楽しくなる。
  26. 面不長大:顔は長くも幅が広くもない。
  27. 正容貌而色不撓:容貌が左右対称で歪みがない。
  28. 面具満足:顔のすべての部分が満足である。
  29. 唇如頻婆果之色:唇が頻婆樹の果実のように赤い。
  30. 言音深遠:話すときの声が深くて遠くまで届く。
  31. 臍深而円好:臍の穴が深く、円くて好ましい。
  32. 毛右旋:身体中の毛が右に旋回している。
  33. 手足満足:手足に欠けた部分がない。
  34. 手足如意:手足が意のままに動く。
  35. 手文明直:手のひらの印文が明快で真っ直ぐ。
  36. 手文長:手のひらの印文が長い。
  37. 手文不断:手のひらの印文が途切れていない。
  38. 一切悪心之衆生見者和悦:どんな悪者も見れば和やかになる。
  39. 面広而殊好:顔は広々として好ましい。
  40. 面淨満如月:顔は満月のように浄らかである。
  41. 隨衆生之意和悦与語:衆生の意のままに和やかに共に語る。
  42. 自毛孔出香気:毛孔より香気が出る。
  43. 自口出無上香:口より無上の香気が出る。
  44. 儀容如師子:立ち居振る舞いの威厳あること師子のようである。
  45. 進止如象王:歩くことも立ち止まることも象王のようである。
  46. 行相如鵞王:歩くときとは片足づつ交互に運び、鵞鳥のようである。
  47. 頭如摩陀那果:頭は摩陀那果のようである。
  48. 一切之声分具足:声にはあらゆる音が備わっている。
  49. 四牙白利:四本の牙が白く鋭い。
  50. 舌色赤:舌の色は赤い。
  51. 舌薄:舌は薄い。
  52. 毛紅色:毛髪の色は紅色である。
  53. 毛軟淨:毛髪は軟らかく浄らかである。
  54. 眼広長:眼は広くて長い。
  55. 死門之相具:死門の相が具わる。死は来世の門。不死の相ではない。
  56. 手足赤白如蓮華之色:手足の色が或は赤蓮華、或は白蓮華のようである。
  57. 臍不出:臍が突出していない。
  58. 腹不現:腹が膨らんでいない。
  59. 細腹:腹が細長い。
  60. 身不傾動:身体が傾かず、揺がない。
  61. 身持重:身体に重量感がある。
  62. 其身大:身体が大きい。
  63. 身長:背が高い。
  64. 四手足軟淨滑沢:手足は柔軟で浄らか、滑らかで光沢がある。
  65. 四辺光長一丈:身体から放たれる光の長さは一丈である。
  66. 光照身而行:光は身を照らして遠くに到達する。
  67. 等視衆生:衆生を等しく視る。
  68. 不軽衆生:衆生を軽んじない。
  69. 隨衆生之音声不増不減:衆生に随って、音声は増したり減ったりしない。
  70. 説法不著:法を説いても、執著することがない。
  71. 隨衆生之語言而説法:衆生の話す言葉の種類に随って、法を説く。
  72. 発音応衆声:声を発すれば、衆生を同じ声を出す。
  73. 次第以因縁説法:順に因縁を明らかにして説法する。
  74. 一切衆生観相不能尽:相を観ても、明らかにし尽くせない。
  75. 観不厭足:観相して厭きることがない。
  76. 髪長好:毛髪が長く好ましい。
  77. 髪不乱:毛髪はまとまって乱れない。
  78. 髪旋好:毛髪は好ましく渦巻いている。
  79. 髪色如青珠:毛髪の色はサファイアのような青色。
  80. 手足為有徳之相:手足は力に満ちている。
  童真地(どうしんじ):此の地に在る菩薩は、色欲の煩悩が無い。
  床榻(しょうとう):腰掛け/寝台。
  灯燭(とうそく):油灯と蝋燭。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲使如恒河沙等國土眾生。立於檀那波羅蜜。立於尸羅羼提毘梨耶禪那般若波羅蜜。當學般若波羅蜜。欲植一善根於佛福田中。至得阿耨多羅三藐三菩提不盡者。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、恒河沙に等しきが如き国土の衆生をして、檀那波羅蜜に立たしめ、尸羅、羼提、毘梨耶、褝那、般若波羅蜜に立たしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。一善根を仏の福田中に植えて、阿耨多羅三藐三菩提を得るに至るまで、尽きざらしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』が、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『国土』の、
『衆生』を、
『檀那波羅蜜』に、
『立たせたい!』、
『尸羅、羼提、毘梨耶、褝那、般若波羅蜜』に、
『立たせたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『一善根』を、
『仏』という、
『福田』に、
『植えて!』、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得る!』に、
『至るまで!』、
『善根』を、
『尽きさせたくない!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  福田(ふくでん):善根を植えて、福の果報を刈取る田。仏菩薩等の譬喩。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲令十方諸佛稱讚其名。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、十方の諸仏をして、其の名を称讃せしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『十方の諸仏』に、
其の、
『名』を、
『称讃させたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲一發意到十方如恒河沙等諸佛國土。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、一発意して、十方の恒河沙に等しきが如き諸仏の国土に到らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『一たび!』、
『意』を、
『発(おこ)して!』、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』に、
『到ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲發一音使十方如恒河沙等諸佛國土聞聲。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、一音を発して、十方の恒河沙に等しきが如き、諸仏の国土をして、声を聞かしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『一音』を、
『発して!』、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『諸仏の国土』に、
『声を聞かせたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩欲使諸佛國土不斷者。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩は、諸仏の国土をして、断ぜざらしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩』は、
『諸仏の国土』を、
『断絶させたくない!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲住內空外空內外空空空大空第一義空有為空無為空畢竟空無始空散空性空自相空諸法空不可得空無法空有法空無法有法空。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、内空、外空、内外空、空空、大空、第一義空、有為空、無為空、畢竟空、無始空、散空、性空、自相空、諸法空、不可得空、無法空、有法空、無法有法空に住せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『内空』、
『外空』、
『内外空』、
『空空』、
『大空』、
『第一義空』、
『有為空』、
『無為空』、
『畢竟空』、
『無始空』、
『散空』、
『性空』、
『自相空』、
『諸法空』、
『不可得空』、
『無法空』、
『有法空』、
『無法有法空』に、
『住まろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  十八空(じゅうはっくう):凡夫の所執に応じて、之を修治すべく十八種の空を立てる。
  1. 内空:眼耳鼻舌身意の六情/六根は空である。
  2. 外空:色声香味触法の六塵/六境は空である。
  3. 内外空:自身の一切は、皆空である。
  4. 空空:空と観ることも、また空である。
  5. 大空:十方の世界は、皆空である。
  6. 第一義空:諸法の以外に、実相もまた自性なく空である。
  7. 有為空:一切の因縁によって造られたものは空である。
  8. 無為空:因縁によって造られたもの以外、即ち涅槃もまた空である。
  9. 畢竟空:有為空も無為空も、また空である。
  10. 無始空:無始よりの存在も空である。
  11. 散空:仮の集合は離散し破壊する相を有し、空である。
  12. 性空:諸法の性は、常に空である。
  13. 自相空:一切の法の総相、別相は皆空である。
  14. 諸法空:有法は無いが故に、一切の諸法は空である。
  15. 不可得空:諸法は求めても得られないが故に、即ち空である。
  16. 無法空:過去と未来の諸法は、空である。
  17. 有法空:現在の諸法は、空である。
  18. 無法有法空:過去現在未来の諸法は、皆空である。
菩薩摩訶薩欲知諸法因緣次第緣緣緣增上緣。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、諸法の因縁、次第縁、縁縁、増上縁を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
『諸法』の、
『因縁』、
『次第縁』、
『縁縁』、
『増上縁』を、
『知ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  四縁(しえん):阿毘曇/小乗論義所説の事物の生起に係る四種の縁。
  1. 因縁:原因としての縁。
  2. 次第縁:認識の対象としての縁。
  3. 縁縁:精神作用が相続して生起する為の縁。
  4. 増上縁:助力としての縁。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲知諸法如法性實際。當學般若波羅蜜。舍利弗。菩薩摩訶薩應如是住般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、諸法の如、法性、実際を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。舎利弗、菩薩摩訶薩は、応に是の如く般若波羅蜜に住す。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『諸法』の、
『如』、
『法性』、
『実際』を、
『知ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
是のように、
『般若波羅蜜』中に、
『住まねばならない!』。
  (にょ):諸法の実相。真如。法性/法住/実際/実相等多くの異名がある。
  法性(ほっしょう):諸法の本性。真如の異名。
  実際(じっさい):真実の領域。真如の異名。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲數知三千大千國土中大地諸山微塵。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、三千大千国土中の大地、諸山の微塵を数えて、知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『三千大千国土』中の、
『大地』と、
『諸山』の、
『微塵の数』を、
『知ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  微塵(みじん):眼根所取の最も微細なる色量/物質を構成する原子/花粉/塵。
菩薩摩訶薩析一毛為百分。欲以一分毛盡舉三千大千國土中大海江河池泉諸水而不嬈水性。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、一毛を析きて百分と為し、一分毛を以って、尽く三千大千国土中の大海、江河、池泉の諸水を挙げ、水性を嬈さざらんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
『一毛』を、
『析()いて!』、
『百分』と、
『為し!』、
『一分毛』を、
『用いて!』、
『三千大千国土』中の、
『大海、江河、池泉』の、
諸の、
『水』を、
『汲みつくして!』、
而も、
『水の性』を、
『嬈(みだ)したくなければ!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
三千大千國土中諸火一時皆然譬如劫盡燒時。菩薩摩訶薩欲一吹令滅者。當學般若波羅蜜。 三千大千国土中の諸の火、一時に皆然ゆること、譬えば劫尽の焼くる時の如くなるに、菩薩摩訶薩は、一吹して滅せしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『三千大千国土』中の、
諸の、
『火』が、
『一時』に、
皆、
『然えて!』、
譬えば、
『劫』が、
『尽きて!』、
『焼けるようであったとしても!』、
『菩薩摩訶薩』が、
『一吹きして!』、
『火を消そう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  (こう):世界の開始より終末に至る時間。劫の尽きる時、世界は火に包まれて焼尽する。
三千大千國土中諸大風起。欲吹破三千大千國土及諸須彌山如摧腐草。菩薩摩訶薩欲以一指障其風力令不起者。當學般若波羅蜜。 三千大千国土中の諸の大風起きて、三千大千国土、及び諸の須弥山を吹いて、腐草を摧くが如く破らんと欲するに、菩薩摩訶薩は、一指を以って、其の風力を障え、起こらざらしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『三千大千国土』中の、
諸の、
『大風』が、
『起こって!』、
『三千大千国土』や、
諸の、
『須弥山』を、
『吹いて!』、
『腐草』を、
『摧(くじ)くように!』、
『破壊しようとする!』時、
『菩薩摩訶薩』が、
『一指』を、
『用いて!』、
『風の力』を、
『障()えぎり!』、
『風』を、
『起こらせたくない!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
菩薩摩訶薩欲一結跏趺坐。遍滿三千大千國土虛空。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、一結跏趺坐して、遍く三千大千国土の虚空に満てんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
『一結跏趺坐』で、
遍く、
『三千大千国土の虚空』を、
『満たそう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
菩薩摩訶薩欲以一毛舉三千大千國土中諸須彌山王。擲過他方無量阿僧祇諸佛國土不嬈眾生。欲以一食供養十方各如恒河沙等諸佛及僧。當學般若波羅蜜。欲以一衣花香瓔珞末香塗香燒香燈燭幢幡花蓋等。供養諸佛及僧。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、一毛を以って、三千大千国土中の諸の須弥山王を挙げ、擲ちて、他方の無量阿僧祇の諸仏の国土を過ぐるも、衆生を嬈ませざらんと欲し、一食を以って、十方の各恒河沙に等しきが如き諸仏及び僧を供養せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。一の衣、花香、瓔珞、末香、塗香、焼香、灯燭、幢幡、花蓋等を以って、諸仏及び僧を供養せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
『一毛』を、
『用いて!』、
『三千大千国土』中の、
諸の、
『須弥山(須弥山王)』を、
『擲(なげう)って!』、
『他方』の、
『無量阿僧祇』の、
『諸仏の国土』を、
『過ぎさせても!』、
其の中の、
『衆生』を、
『嬈(なや)ませたくない!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『一食』を、
『用いて!』、
『十方』の、
各に、
『恒河の沙』にも、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『仏』や、
『僧』を、
『供養したい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『一衣、花香、瓔珞、末香、塗香、焼香、灯燭、幢幡、花蓋』等を、
『用いて!』、
諸の、
『仏』や、
『僧』を、
『供養したい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  阿僧祇(あそうぎ):梵語、無数と訳す。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲使十方各如恒河沙等國土中眾生。悉具於戒三昧智慧解脫解脫知見。令得須陀洹果斯陀含果阿那含果阿羅漢果。乃至令得無餘涅槃。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、十方の各恒河沙に等しきが如き国土中の衆生をして、悉く、戒、三昧、智慧、解脱、解脱知見を具えしめ、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果を得しめ、乃至無余涅槃を得しめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『十方』の、
各、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『仏の国土』中の、
『衆生』に、
悉く、
『戒』、
『三昧』、
『智慧』、
『解脱』、
『解脱知見』を、
『具えさせ!』、
『須陀洹果』、
『斯陀含果』、
『阿那含果』、
『阿羅漢果』を、
『得させ!』、
乃至、
『無余涅槃』を、
『得させよう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  戒定慧解脱解脱知見:仏/仏法とは総じて戒(持戒)、定(三昧)、慧(智慧)、解脱、解脱知見の五種に過ぎずの意を表す決まり文句。五分法身とも云う。
  五分法身(ごぶんほっしん):仏の法身とは、五種の身の総称なりの意。
  1. 戒身:持戒を以って体と為す。
  2. 定身:三昧を以って体と為す。
  3. 慧身:智慧を以って体と為す。
  4. 解脱身:解脱を以って体と為す。
  5. 解脱知見身:解脱知見を以って体と為す。
  四果(しか):声聞道(小乗)に於ける聖者に四種の別ありの意。
  1. 須陀洹(しゅだおん):預流果と訳す。聖者の流れに身を預け、復び悪趣に還らぬ者の意。
  2. 斯陀含(しだごん):一来果と訳す。人間天上を一往復し、次の人間の時涅槃に入る者の意。
  3. 阿那含(あなごん):不還果と訳す。此の生に於いて煩悩を断ち已り、人間に還らぬ者の意。
  4. 阿羅漢(あらかん):応供と訳す。已に煩悩を断ち尽して、供養を受けるに足る者の意。
  無余涅槃(むよねはん):完全な涅槃。精神的/肉体的の総体的自由。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜布施時應如是分別。如是布施得大果報。如是布施得生刹利大姓婆羅門大姓居士大家。如是布施得生四天王天處三十三天夜摩天兜率陀天化樂天他化自在天。因是布施得入初禪二禪三禪四禪無邊空處無邊識處無所有處非有想非無想處。因是布施得生八聖道分。因是布施能得須陀洹道乃至佛道。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行じて布施する時、応に、是の如く分別すべし、『是の如き布施は、大果報を得、是の如き布施は、刹利の大姓、婆羅門の大姓、居士の大家に生ずるを得、是の如き布施は、四天王天処、三十三天、夜摩天、兜率陀天、化楽天、他化自在天に生ずるを得、是の布施に因りて、初禅、二禅、三禅、四禅、無辺空処、無辺識処、無所有処、非有想非無想処に入るを得、是の布施に因りて、八聖道分を生ずるを得、是の布施に因りて、能く須陀洹道、乃至仏道を得れば、当に般若波羅蜜を学ぶべし』、と。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『般若波羅蜜』を、
『行いながら!』、
『布施する!』時には、
是のように、
『分別すべきである!』、――
是のような、
『布施』は、
『大きな!』、
『果報』を、
『得られ!』、
是のような、
『布施』は、
『刹利の大姓』、
『婆羅門の大姓』、
『居士の大家』に、
『生まれる!』ことが、
『得られ!』、
是のような、
『布施』は、
『四天王天処』、
『三十三天』、
『夜摩天』、
『兜率陀天』、
『化楽天』、
『他化自在天』に、
『生まれる!』ことが、
『得られ!』、
是の、
『布施』に、
『因って!』、
『初禅』、
『二禅』、
『三禅』、
『四禅』、
『無辺空処』、
『無辺識処』、
『無所有処』、
『非有想非無想処』に、
『入る!』ことが、
『得られ!』、
是の、
『布施』に、
『因って!』、
『八聖道分』を、
『生じる!』ことが、
『得られ!』、
是の、
『布施』に、
『因って!』、
『須陀洹道、乃至仏道』を、
『得られる!』。
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』、と。
  刹利(せつり):梵語、王種と訳す。印度四姓の一、王族、武士階級を指す。
  居士(こじ):梵語吠奢の訳、印度四姓の一、豪農、豪商階級を指す。
  四姓(ししょう):印度の族姓に四種の別あるの意。即ち、
  1. 婆羅門(ばらもん):学問/司祭階級。
  2. 刹利(せつり):国王/武将階級。
  3. 吠奢(べいしゃ):生産/平民階級。
  4. 首陀羅(しゅだら):上位三姓に奉仕する奴隷階級。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜布施時。以慧方便力故。能具足檀那波羅蜜尸羅波羅蜜羼提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪那波羅蜜般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行じて布施する時、慧と方便の力を以っての故に、能く檀那波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、褝那波羅蜜、般若波羅蜜を具足す。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『般若波羅蜜』を、
『行いながら!』、
『布施する!』時には、
『智慧(般若波羅蜜)』と、
『方便(檀乃至褝那波羅蜜)』の、
『力』を、
『用いて!』、
『布施する!』が故に、
『檀那波羅蜜』、
『尸羅波羅蜜』、
『羼提波羅蜜』、
『毘梨耶波羅蜜』、
『褝那波羅蜜』、
『般若波羅蜜』を、
『具足することができる!』。
舍利弗白佛言。世尊。菩薩摩訶薩云何布施時。以慧方便力故。具足檀那波羅蜜乃至般若波羅蜜。 舎利弗の仏に白して言さく、『世尊、菩薩摩訶薩は、云何が布施の時、慧と方便の力を以っての故に、檀那波羅蜜乃至般若波羅蜜を具足せん』、と。
『舎利弗』は、
『仏』に白して、こう言った、――
世尊!
『菩薩摩訶薩』は、
何故、
『布施する!』時、
『智慧』と、
『方便』との、
『力』を、
『用いる!』が故に、
『檀那波羅蜜、乃至般若波羅蜜』を、
『具足するのですか?』、と。
佛告舍利弗。施人受人財物不可得故。能具足檀那波羅蜜。罪不罪不可得故。具足尸羅波羅蜜。心不動故。具足羼提波羅蜜。身心精進不懈怠故。具足毘梨耶波羅蜜。不亂不味故。具足禪那波羅蜜。知一切法不可得故。具足般若波羅蜜。 仏の舎利弗に告げたまわく、『施人、受人、財物の不可得なるが故に、能く檀那波羅蜜を具足し、罪と不罪との不可得なるが故に、尸羅波羅蜜を具足し、心の不動なるが故に、羼提波羅蜜を具足し、身心の精進して懈怠せざるが故に、毘梨耶波羅蜜を具足し、不乱、不味なるが故に、褝那波羅蜜を具足し、一切法の不可得なるを知るが故に、般若波羅蜜を具足すればなり。
『仏』は、
『舎利弗』に、こう告げられた、――
『施す人』、
『受ける人』、
『施される財物』は、
『認識できない!』が故に、
少しの布施でも!、
『檀那波羅蜜』を、
『具足することができ!』、
『罪である!』とも、
『罪でない!』とも、
『認識できない!』が故に、
少しの持戒でも!、
『尸羅波羅蜜』を、
『具足し!』、
『心』は、
『辱められても!』、
『動じない!』が故に、
少しの忍辱でも!、
『羼提波羅蜜』を、
『具足し!』、
『心』は、
『精進して!』、
『懈怠しない!』が故に、
少しの精進でも!、
『毘梨耶波羅蜜』を、
『具足し!』、
『一切の法』は、
『認識できない!』と、
『知る!』が故に、
少しの智慧でも!、
『般若波羅蜜』を、
『具足するのである!』。
  一切法(いっさいほう):一切の有為法と無為法を指す。謂わゆる、
  1. 有為法(ういほう):因縁従り生じる法
    1. 色法:物質
      1. 五情:眼、耳、鼻、舌、身
      2. 五塵:色、声、香、味、触
      3. 無表色:内心の色で、外に表れない
    2. 心法:心数法を起す主体
    3. 心数法:種種の精神作用
      1. 大地法:一切の心と倶に起こる法
        受、想、思、触、欲、慧、念、作意、勝解、三昧
      2. 大善地法:一切の善心と倶に起こる法
        信、不放逸、軽安、捨、慚、愧、無貪、無瞋、不害、動
      3. 大煩悩地法:染汚心と常に相応する煩悩法
        無明、放逸、懈怠、不信、惛沈、掉挙
      4. 大不善地法:一切の不善心と相応する法
        無慚、無愧
      5. 小煩悩地法:染汚心と相応する個別の煩悩法
        忿、覆、慳、嫉、悩、害、恨、諂、誑、憍
      6. 不定地法:上記以外の法
        悪作、睡眠、尋、伺、貪、瞋、慢、疑
    4. 心不相応行法:心法と不相応に起こる法
      1. 得:聖人の性
      2. 非得:凡夫の性
      3. 衆同分:衆生に共通する法
      4. 無想、無想定、滅尽定:無想に関する定
      5. 命根:寿命を保持する法
      6. 生、住、異、滅:有為法の四種の相
      7. 名身、句身、文身:言葉乃至文章
  2. 無為法(むいほう):因縁より生じず、常に在る法
    1. 虚空:虚空の如く無礙を以って性と為す法
    2. 択滅:智慧を以って煩悩を離れるを以って性と為す法
    3. 非択滅:自ら生の因縁を欠く聖者の涅槃
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲得過去未來現在諸佛功德當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、過去、未来、現在の諸仏の功徳を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を具足すべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『過去、未来、現在』の、
諸の、
『仏の功徳』を、
『得よう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲到有為無為法彼岸。當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩欲知過去未來現在諸法如法相無生際者。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、有為、無為法の彼岸に到らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。菩薩摩訶薩は、過去、未来、現在の諸法の如、法相、無生際を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『有為、無為法の彼岸(非有為非無為法の了解)』に、
『到ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『菩薩摩訶薩』は、
『過去、未来、現在』の、
諸の、
『法』の、
『如、法相、無生際』を、
『知ろう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  法相(ほっそう):諸法具有の本質的相状。法性、実相、真如等に同じ。
  無生際(むしょうさい):無生/常住の領域。真如/真如際に同じ。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲在一切聲聞辟支佛前。欲給侍諸佛。欲為諸佛內眷屬。欲得大眷屬。欲得菩薩眷屬。欲淨報大施。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、一切の声聞、辟支仏の前に在らんと欲し、諸仏を給侍せんと欲し、諸仏の内眷属為らんと欲し、大眷属を得んと欲し、菩薩の眷属を得んと欲し、浄報の大施せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
一切の、
『声聞、辟支仏の前』に、
『在りたい!』と、
『思い!』、
諸の、
『仏』を、
『給侍(給仕)したい!』と、
『思い!』、
諸の、
『仏』の、
『内眷属(親族)でありたい!』と、
『思い!』、
『大眷属』を、
『得たい!』と、
『思い!』、
『菩薩の眷属』を、
『得たい!』と、
『思い!』、
『浄報』の、
『大施をしたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲不起慳心破戒心瞋恚心懈怠心亂心癡心者。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、慳心、破戒心、瞋恚心、懈怠心、乱心、癡心を起さざらんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『慳(布施の対語))の心』、
『破戒(持戒の対語)の心』、
『瞋恚(忍辱の対語)の心』、
『懈怠(精進の対語)の心』、
『乱(禅定の対語)の心』、
『癡(智慧の対語)の心』を、
『起したくない!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲使一切眾生立於布施福處持戒福處修定福處勸導福處。欲令眾生立於財福法福者。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、一切の衆生をして、布施の福処、持戒の福処、修定の福処、勧導の福処に立たしめんと欲し、衆生をして、財福、法福に立たしめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
一切の、
『衆生』を、
『布施の福処』、
『持戒の福処』、
『修定の福処』、
『勧導の福処』に、
『立たせたい!』と、
『思い!』、
『衆生』を、
『財施の福処』や、
『法施の福処』に、
『立たせたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲得五眼當學般若波羅蜜。何等五眼。肉眼天眼慧眼法眼佛眼。菩薩摩訶薩欲以天眼見十方如恒河沙等國土中諸佛。欲以天耳聞十方諸佛所說法。欲知諸佛心當學般若波羅蜜。欲聞十方諸佛所說法。聞已乃至阿耨多羅三藐三菩提不忘者。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、五眼を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。何等か五眼なる、肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼なり。菩薩摩訶薩は、天眼を以って、十方の恒河沙に等しきが如き国土中の諸仏を見んと欲し、天耳を以って十方の諸仏の所説の法を聞かんと欲し、諸仏の心を知らんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。十方の諸仏の所説の法を聞かんと欲し、聞き已りて、乃至阿耨多羅三藐三菩提まで忘れざらんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『五眼』を、
『得よう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
何のような、
『五眼か?』、
『肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼である!』。
『菩薩摩訶薩』は、
『天眼』を、
『用いて!』、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『国土』中の、
諸の、
『仏』を、
『見たい!』と、
『思い!』、
『天耳』を、
『用いて!』、
『十方』の、
諸の、
『仏の所説の法』を、
『聞きたい!』と、
『思い!』、
諸の、
『仏の心』を、
『知りたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『十方』の、
諸の、
『仏』の、
『所説の法』を、
『聞きたい!』と、
『思い!』、
『聞いてから!』、
『乃至阿耨多羅三藐三菩提』まで、
『忘れたくない!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  五眼(ごげん):眼には五種の別あるを云う、謂わゆる、
  1. 肉眼:人間の有する肉眼。凡夫の眼。
  2. 天眼:遠近、内外、前後等を見て無礙なる眼。天人の眼。
  3. 慧眼:諸法の実相を見る眼。智慧の眼。
  4. 法眼:遍く衆生を度する為に、種種の方便/法を見る眼。菩薩の眼。
  5. 仏眼:上記四を兼ね備えた眼。諸仏の眼。
  乃至阿耨多羅三藐三菩提:一切の衆生を成就して、世界を浄め已った時、乃ち阿耨多羅三藐三菩提/最高最上の満足の境地を得るが、処処の大乗経典に見るが如く、それは一劫や二劫の話ではない、無量無数億劫の話である。即ち、乃至阿耨多羅三藐三菩提とは、到底実現不可能な、有得ない事を目標にして、尚お勇猛果敢に菩薩道を行くことを意味する。即ち是れが大乗の本質であり、大乗に於いて阿鞞跋致/不退が問題となるのも、その有得ない事を目標にすることに於いて、疑惑と驚怖を懐くのが、寧ろ当然だからである。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲見過去未來諸佛國土。及見現在十方諸佛國土。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、過去、未来の諸仏の国土を見、及び現在の十方の諸仏の国土を見んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『過去、未来』の、
諸の、
『仏の国土』を、
『見よう!』と、
『思い!』、
及び、
『現在』の、
『十方』の、
諸の、
『仏の国土』を、
『見よう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲聞十方諸佛所說。十二部經修多羅祇夜受記經伽陀憂陀那因緣經阿波陀那如是語經本生經方廣經未曾有經論議經。諸聲聞等聞與不聞。盡欲誦受持者。當學般若波羅蜜。十方如恒河沙等世界中。諸佛所說法已說今說當說。聞已欲一切信持自行亦為他人說。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、十方の諸仏の所説の十二部経の修多羅、祇夜、受記経、伽陀、憂陀那、因縁経、阿波陀那、如是語経、本生経、方広経、未曽有経、論義経を聞かんと欲し、諸の声聞等の聞くと聞かざるとを、尽く誦して受持せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。十方の恒河沙に等しきが如き世界中の、諸仏の所説の法の、已に説き、今説き、当に説かんとするを聞き已りて、一切を信持し、自ら行じ、亦た他人の為に説かんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』が、
『十方』の、
諸の、
『仏の所説』の、
『十二部経である!』、
『修多羅』、
『祇夜』、
『受記経』、
『伽陀』、
『憂陀那』、
『因縁経』、
『阿波陀那』、
『如是語経』、
『本生経』、
『方広経』、
『未曽有経』、
『論義経』を、
『聞きたい!』と、
『思い!』、
諸の、
『声聞』の、
『聞いた!』ものも、
『聞かない!』ものも、
尽く、
『誦して(諳誦して)!』、
『受持したい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『世界』中の、
諸の、
『仏の所説』を、
『已に説かれた!』ものも、
『今説かれている!』ものも、
『将来説かれる!』ものも、
『聞いて!』、
一切を、
『信じて!』、
『受持し!』、
自ら、
『行いながら!』、
他の、
『人』の為にも、
『説きたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  十二部経(じゅうにぶきょう):仏所説の経典を其の内容又は形式の不同により十二種に分類する、此の十二部中に就き、修多羅、祇夜、伽陀の三者は経文上の体裁をいい、その他の九部はその経文に記載された別事に従って名を立てる。
  1. 修多羅(しゅたら):契経と訳す、経典中直に法義を説く長行の文。
  2. 祇夜(ぎや):応頌と訳す、長行の文に重ねて、偈を重ねる。
  3. 伽陀(かだ):諷頌と訳す、長行に依らず、直に偈を説く。
  4. 尼陀那(にだな):因縁と訳す、説法の因縁を説く。
  5. 伊帝目多伽(いていもくたか):本事/如是語と訳す、弟子の過去世の因縁を説く。
  6. 闍多伽(じゃたか):本生と訳す、仏が自身の過去世の因縁を説く。
  7. 阿浮陀達摩(あぶだだつま):未曾有と訳す、仏の神力、不思議を説く。
  8. 阿波陀那(あぱだな):譬喩と訳す、義を譬喩を以って説く。
  9. 優波提舎(うぱだいしゃ):論議と訳す、問答を以って義を説く。
  10. 優陀那(うだな):自説と訳す、弟子の問いを待たず、仏が自ら義を説く。
  11. 毘仏略(びぶつりゃく):方広と訳す、広大平等の理義を宣明する。
  12. 和伽羅那(わがらな)、授記と訳す、菩薩が成仏の記を受ける。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩過去諸佛已說。未來諸佛當說。欲聞聞已自利亦利他人。當學般若波羅蜜。十方如恒河沙等諸世界中間闇處。日月所不照處。欲持光明普照者。當學般若波羅蜜。十方如恒河沙等世界中。無有佛名法名僧名。欲使一切眾生皆得正見聞三寶名者。當學般若波羅蜜。菩薩摩訶薩。欲令十方如恒河沙等諸世界中眾生。以我力故盲者得視聾者得聽。狂者得念裸者得衣。飢渴者得飽滿。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、過去の諸仏の已に説き、未来の諸仏の当に説くべきを聞き、聞き已りて、自ら利し、亦た他人を利せんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。十方の恒河沙に等しきが如き諸の世界の中間の闇処の、日月の照さざる所の処を、光明を持ちて、普く照らさんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。十方の恒河沙に等しきが如き世界中に仏名、法名、僧名有ること無きに、一切の衆生をして、皆三宝の名を正しく見聞するを得しめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。菩薩摩訶薩は、十方の恒河沙に等しきが如き諸の世界中の衆生をして、我が力を以っての故に、盲者には視るを得しめ、聾者には聴くを得しめ、狂者には念ずるを得しめ、裸者には衣を得しめ、飢渴者には、飽満するを得しめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『過去』の、
諸の、
『仏』の、
『已に説かれた!』所と、
『未来』の、
諸の、
『仏』の、
『当に説かれるだろう!』所とを、
『聞いて!』、
『聞いてから!』、
自らを、
『利益しよう!』と、
『思い!』、
亦た、
『他人』をも、
『利益しよう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『世界』の、
『中間』の、
『闇処』で、
『日、月』に、
『照らされない!』、
『処』を、
『光明』を、
『持って!』、
普く、
『照らそう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『世界』中に、
『仏、法、僧』の、
『名すら!』、
『無い!』時、
一切の、
『衆生』に、
皆、
『三宝(仏、法、僧)の名』を、
正しく、
『見、聞させたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『菩薩摩訶薩』は、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
諸の、
『世界』中の、
『衆生』に、
わたしの、
『力』で、
『盲者』には、
『視る!』ことを、
『得させ!』、
『聾者』には、
『聴く!』ことを、
『得させ!』、
『狂者』には、
『念じる!』ことを、
『得させ!』、
『裸者』には、
『衣』を、
『得させ!』、
『飢、渴者』には、
『飽満』を、
『得させたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩若欲令十方如恒河沙等世界中眾生諸在三惡趣者。以我力故皆得人身。當學般若波羅蜜。欲令十方如恒河沙等世界中眾生。以我力故立於戒三昧智慧解脫解脫知見。令得須陀洹果乃至阿耨多羅三藐三菩提。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、若し十方の恒河沙に等しきが如き世界中の衆生の、諸の三悪趣に在る者をして、我が力を以っての故に、皆、人身を得しめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。十方の恒河沙に等しきが如き世界中の衆生をして、我が力を以っての故に、戒、三昧、智慧、解脱、解脱知見に於いて立たしめ、須陀洹果、乃至阿耨多羅三藐三菩提を得しめんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
若し、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『世界』中の、
『衆生』で、
諸の、
『三悪趣』に、
『在る!』者を、
わたしの、
『力』で、
皆に、
『人身』を、
『得させたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『世界』中の、
『衆生』を、
わたしの、
『力』で、
『戒、三昧、智慧、解脱、解脱知見』に、
『立たせたい!』と、
『思い!』、
『須陀洹果、乃至阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得させたい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲學諸佛威儀者。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、諸仏の威儀を学ばんと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
諸の、
『仏の威儀』を、
『学ぼう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  仏威儀(ほとけのいぎ):仏の品位ある態度/行為。
  威儀(いぎ):態度/品行/礼儀作法/品位ある行・住・坐・臥の態度。
菩薩摩訶薩欲得如象王視觀。當學般若波羅蜜。菩薩作是願。使我行時離地四指足不蹈地。我當共四天王天乃至阿迦尼吒天無量千萬億諸天眾。圍遶恭敬至菩提樹下。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩は、象王の如く視観するを得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。菩薩は、『我れをして、行く時、地より四指を離し、足は地を踏まざらしめよ。我れは当に四天王天、乃至阿迦尼吒天の無量千万億の諸の天衆と共に、囲繞され、恭敬されて、菩提樹下に至るべし』と、是の願を作さば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
『菩薩摩訶薩』は、
譬えば、
『象王のよう!』に、
『視察、観察したい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
『菩薩』は、――
わたしが、
『行く!』時には、
『四指』を、
『地』より、
『離し!』、
『足』に、
『地』を、
『踏ませるな!』。
わたしは、
『四天王天、乃至阿迦尼吒天』の、
『無量、千万億』の、
諸の、
『天衆』に、
『囲繞され!』、
『恭敬されて!』、
『菩提樹の下』に
『至らねばならぬのだ!』と、
是のような、
『願』を、
『作()すならば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  阿迦尼吒(あかにだ):梵名、色究竟と訳す、色界十八天中の最上天の名。色究竟天。
我當於菩提樹下坐。四天王天乃至阿迦尼吒天。以天衣為座。當學般若波羅蜜。我得阿耨多羅三藐三菩提時。行住坐臥處欲使悉為金剛。當學般若波羅蜜。 我れは、当に菩提樹の下に坐すべきに、四天王天、乃至阿迦尼吒天、天衣を以って座と為さんとせば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。我れ阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、行住坐臥の処をして、悉く金剛と為らしめんとせば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
わたしが、
『菩提樹の下』に、
『坐す!』時、
『四天王天、乃至阿迦尼吒天』が、
『天衣』を、
『用いて!』、
『座と為すだろう!』と、
是のような、
『願』を、
『作すならば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
わたしが、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得た!』時には、
『行、住、坐、臥の処』を、
悉く、
『金剛と為らせたい!』と、
是のような、
『願』を、
『作すならば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲出家日即成阿耨多羅三藐三菩提。即是日轉法輪。轉法輪時無量阿僧祇眾生遠塵離垢。諸法中得法眼淨。無量阿僧祇眾生一切法不受故。諸漏心得解脫。無量阿僧祇眾生於阿耨多羅三藐三菩提得不退轉。當學般若波羅蜜。 復た次ぎに、舎利弗、菩薩摩訶薩は、出家の日に、即ち阿耨多羅三藐三菩提を成じ、即ち是の日に法輪を転じ、法輪を転ずる時、無量阿僧祇の衆生は、塵を遠ざけ、垢を離れて、諸法中に法眼浄を得しめ、無量阿僧祇の衆生は、一切法を受けざるが故に、諸漏の心に解脱を得、無量阿僧祇の衆生は、阿耨多羅三藐三菩提に於いて不退転を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
復た次ぎに、
舎利弗!
『菩薩摩訶薩』は、
『出家の日』に、
即ち、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『成就し!』、
即ち、
是の、
『日』に、
『法輪を転じ!』、
『法輪』を、
『転じる!』時には、
無量阿僧祇の、
『衆生』を、
『塵垢(色声香味触)』を、
『遠ざけ!』、
『離れて!』、
『諸法』中に、
『法の眼』が、
『浄めさせ!』、
無量阿僧祇の、
『衆生』を、
一切の、
『法』を、
『受けない(認めない)!』が故に、
『諸漏の心』に、
『解脱』を、
『得させ!』、
無量阿僧祇の、
『衆生』を、
『阿耨多羅三藐三菩提』より、
『退転しない!』ことを、
『得させよう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  法眼浄(ほうげんじょう):法眼が浄まる。即ち四諦に於いて疑惑が解消するを云う。
  (ろ):煩悩の異名。衆生は煩悩の為に常に六根門/眼耳鼻舌身意より過患を漏泄する意。
我得阿耨多羅三藐三菩提時。以無量阿僧祇聲聞為僧。我一說法時。便於座上盡得阿羅漢。當學般若波羅蜜。 我れ、阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、無量阿僧祇の声聞を以って、僧と為し、我れ一たび説法する時、便ち座上に於いて尽く、阿羅漢を得しめんとせば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
わたしが、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得た!』時には、
『無量阿僧祇』の、
『声聞』を、
『僧にして!』、
わたしが、
『一たび!』、
『説法する!』時には、
そのまま、
『座上』に於いて、
尽く、
『阿羅漢』を、
『得させよう!』と、
是のような、
『願』を、
『作すならば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
我當以無量阿僧祇菩薩摩訶薩為僧我一說法時。無量阿僧祇菩薩。皆得阿惟越致。欲得壽命無量光明具足。當學般若波羅蜜。 我れは、当に無量阿僧祇の菩薩摩訶薩を以って、僧と為し、我が一説法の時に、無量阿僧祇の菩薩は、皆、阿惟越致を得べしとして、寿命の無量なると、光明の具足せるとを得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
わたしは、
『無量阿僧祇』の、
『菩薩摩訶薩ばかり!』で、
『僧(教団)』を、
『為し(作り)!』、
『一たび!』、
『説法する!』時には、
『無量阿僧祇』の、
『菩薩』が、
皆、
『阿惟越致(不退の位)』を、
『得なくてはならぬ!』と、
是のように、
『願』を、
『作して!』、
『寿命の無量』と、
『光明の具足』を、
『得よう!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
我成阿耨多羅三藐三菩提時。世界中無婬欲瞋恚愚癡。亦無三毒之名。一切眾生成就如是智慧善施善戒善定善梵行善不嬈眾生。當學般若波羅蜜。 我れ阿耨多羅三藐三菩提を成ぜん時、世界中に婬欲、瞋恚、愚癡無く、亦た三毒の名すら無く、一切の衆生は、是の如き智慧、善施、善戒、善定、善梵行を成就して、善く衆生を嬈せざらんとせば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
わたしが、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『成就した!』時には、
『世界』中に、
『婬欲』も、
『瞋恚』も、
『愚癡』も、
『無く!』、
亦た、
『三毒の名』すら、
『無いだろう!』、
『一切の衆生』は、
是のような、
『智慧』と、
『善い施し!』、
『善い持戒』、
『善い禅定』、
『善い梵行』、
『善く衆生を悩ませない!』こととを、
『成就するだろう!』と、
是のような、
『願』を、
『作せば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。
  婬欲(いんよく):肉体的快楽を求める欲。貪欲、貪愛、慳貪等に同じ。
  三毒(さんどく):三種の根本的煩悩。他の一切の煩悩を派生し、それに由って受ける苦痛の激甚なること、有毒の美味[河豚]の如くなるを以って、故に毒と称する、即ち、
  1. 貪欲:欲望/渇愛/慳貪/婬欲の類。
  2. 瞋恚:忿怒/嫌悪/怨恨/嫉妒の類。
  3. 愚癡:無知/無智/愚劣/曚昧の類。
使我般涅槃後法無滅盡。亦無滅盡之名。當學般若波羅蜜。 我が般涅槃の後の法をして、滅尽無からしめ、亦た滅尽の名すら無からしめんとせば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
わたしの、
『涅槃の後』にも、
『法』が、
『滅尽する!』ことは、
『無いだろう!』、
亦た、
『滅尽の名』すら、
『無いだろう!』と、
是のような、
『願』を、
『作すならば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ぶべきである!』。
我得阿耨多羅三藐三菩提時。十方如恒河沙等世界中眾生聞我名者。必得阿耨多羅三藐三菩提。欲得如是等功德者。當學般若波羅蜜 我れ阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、十方の恒河沙に等しきが如き世界中の衆生は、我が名を聞かば、必ず阿耨多羅三藐三菩提を得んとして、是の如き等の功徳を得んと欲せば、当に般若波羅蜜を学ぶべし。
わたしが、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得た!』時には、
『十方』の、
『恒河の沙』に、
『等しい!』ほどの、
『世界』中の、
『衆生』が、
わたしの、
『名』を、
『聞けば!』、
必ず、
『阿耨多羅三藐三菩提』を、
『得るだろう!』と、
是のような、
『願』を、
『作して!』、
是れ等のような、
『功徳』を、
『得たい!』と、
『思えば!』、
当然、
『般若波羅蜜』を、
『学ばねばならない!』。


先づ、此の「大品般若経」の訳は、此れ限りで、後を続ける予定の無いことを伝えねばならない。本は27巻を皆訳する積りであったが、大智度論と重複するので、緊急の度合いが比較的に低くく思われたからである。又般若経の要旨は、ほぼ此の序品中に、都て言い尽くされていると思うからでもある。

次に、本経の解題を省いた。重要なものであり、読者の用に供する所の多いことも認識しているが、概要は大智度論の解題中に示した通りであるし、更に詳しい解題を用意する為めには準備に相当の時間を費やさねばならぬからである。将来27巻を全訳する機会があれば、その時にこそ考えたいと思う。

最後に、此の序品のみ訳した意図を伝えねばならない。大智度論は、序品の論義に100巻中の34巻を費やしているので、序品全体の論旨が見えにくくなっているからである。その故、序品のみを訳して、読者の見通しを宜くしたという外に、余の意図はない。即ち、この序品に於いて、論旨は尽くされたと雖も、何も知らない人が、その部分のみを読んで般若を知ったことになるとは、到底思えないが故に、それは意図に非ずと言いたいのである。読者が若し般若を知りたいと思えば、大智度論の門より入るべきである。般若経とは、今風の言葉で言えば、一種のパラダイムシフトであるが故に、今日に至っても尚お旧来の知識/論理を用いて理解しようとすれば、却って無潅漑の砂漠に耕作するが如く、所得無き結果を将来する危険が大である。若しそうなれば、その害は計り知れず、経の意図する所とは大に違うことを恐れなくてはならないからである。 以上、画竜点睛を欠くの恨みを忘れ、敢て数語の蛇足を跋尾に付け加える不識の釈明を兼ねる。

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