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巻下之第一
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香積品仏品第十
維摩詰所說經卷下 姚秦三藏鳩摩羅什譯 |
維摩詰所説経(ゆいまきつしょせつきょう)巻の下 姚秦三蔵(ようしんさんぞう)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳す |
維摩詰、釈迦牟尼如来と対面し、天帝、法の守護を誓う。 |
香積佛品第十 |
香積仏品(こうしゃくぶつぼん)第十 |
維摩詰(ゆいまきつ)、衆香世界(しゅこうせかい)より香飯(こうぼん)を取り来る。 |
香積仏に食を請う
於是舍利弗心念。日時欲至。此諸菩薩當於何食 |
ここに於いて、舍利弗、心に念(おも)えらく、『日時(にちじ、日中の食時)至らんと欲す。この諸の菩薩は、まさに何に於いて(何アラバ)か食(じき)すべき。』 |
そうこうしています中に、舎利弗はこんなことを考えていました、 『もうそろそろ食事時になるというのに、この諸の菩薩たちはいったいいつになったら食事を取るのだ?』 |
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時維摩詰。知其意而語言。佛說八解脫。仁者受行。豈雜欲食而聞法乎。若欲食者且待須臾。當令汝得未曾有食 |
時に維摩詰、その意を知りて語りて言わく、『仏、八解脱(はちげだつ、貪著心を捨てるための八段階の修行)を説きたまい、汝は受行(信受奉行)す。豈(あに)食を欲することを雑(まじ)えて、しかも法を聞かんや。もし食を欲するならば、且(しばら)く待て。須臾(しゅゆ、スグニ)にして、まさに汝をして未曽有の食を得しむべし。』 |
維摩詰はそれに気付いて言います、 『仏は 貪著の心を捨てるために 八段階の修行をお説きになり、 お前は それを恭しく受けたのではなかったか。
そんなことを考えながら 法を聞くことができると思っておるのか。
そんなに腹が減っているのなら少し待っていろ。 お前なんぞの食ったことのない素晴らしい食事を用意してやるから。』
八解脱(はちげだつ):八種の定力により貪著の心を捨てるための八段階。 (1)色や形に対する想い(色想)が内心にあることを除くために、不淨観を修める。 (2)内心の色想が無くなっても、なお不浄観を修める。 (3)前の不淨観を捨て、外境の清らかな面を観じ、貪著の心を起こさないようにする。 (4)物質的な想いをすべて滅して、空無辺処定に入る。 (5)空無辺の心を捨てて、識無辺処定に入る。 (6)識無辺の心を捨てて、無所有処定に入る。 (7)無所有の心を捨てて、非想非非想処定に入る。 (8)受想などを捨てて、心と心所(しんじょ、心の働き)をすべて滅する。 |
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時維摩詰即入三昧。以神通力示諸大眾。上方界分過四十二恒河沙佛土。有國名眾香。佛號香積。今現在。其國香氣比於十方諸佛世界人天之香最為第一 |
時に維摩詰、すなわち三昧に入り、神通力を以って、諸の大衆に示す。 上方の界分(かいぶん、方角)に、四十二恒河沙(ごうがしゃ、ガンジス河の砂の数)の仏土を過ぎて、(一仏)国有り、衆香と名づく。仏は香積と号して、今現に在(ましま)したもう。その国の香気は、十方の諸仏の世界の人天の香に比すれば、最も第一なり。 |
そこで維摩詰はすぐに 三昧(さんまい、世界と自分とを一体にすること)に入り、 神通力でもって、 その場の大衆に次のように示しました。 この世界より上方に 四十二恒河沙(ごうがしゃ、ガンジス河の川底の砂の数)の仏土を過ぎると 国が在ります。 その国の名を衆香国(しゅこうこく)といい 仏の名は香積(こうしゃく)といいます。 仏は、今現在、なお 法を説いていらっしゃいます。 この国は香気があり、 十方の諸仏の世界の人天の香の中では 第一と言われています。 |
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彼土無有聲聞辟支佛名。唯有清淨大菩薩眾。佛為說法 |
彼の土(国土)に、声聞辟支仏は、その名さえ有ること無く、ただ清浄(空平等に住する)の大菩薩衆のみ有り。仏は為に法を説きたもう。 |
その国土には 声聞も辟支仏もいません、それもその名さえないのです。 ただ 清浄(空平等に住する)の大菩薩だけがいて、 仏はその方たちの為に法をお説きになっています。 |
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其界一切皆以香作樓閣。經行香地苑園皆香。其食香氣周流十方無量世界 |
その界(世界)の一切は、香を以って楼閣と作し、香地を経行(きょうぎょう、座禅を止めてする散歩)し、苑園は皆香(かんば)しく、その食の香気は、十方の無量の世界に周流(しゅうる)す。 |
その世界は、一切が 香で作られていて、 楼閣は香木で作られ、 香地を経行(きょうぎょう、座禅に疲れたらする歩く禅)しますし、 庭園も芳しい香がします。 そして 食べ物も香気があって、 その香は 十方の無量の世界に 流れだしています。 |
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時彼佛與諸菩薩方共坐食 |
時に、彼の仏と、諸の菩薩とは、まさに共に坐して食したもう。 |
ちょうどその時、 香積仏は、諸の菩薩たちと、ご一緒にお坐りになり 食事をなさっていました。 |
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有諸天子皆號香嚴。悉發阿耨多羅三藐三菩提心。供養彼佛及諸菩薩。此諸大眾莫不目見 |
諸の天子有り、皆光厳と号し、悉く阿耨多羅三藐三菩提心(それぞれの仏国土建立を志求する心)を発し、彼の仏、および諸菩薩を供養したてまつる。この(維摩詰の室内の)諸の大衆、目に見ざるものなし。 |
大勢の天子たちが、皆、同じく 香厳(こうごん)と呼ばれていますが、悉く 阿耨多羅三藐三菩提心を発して、かの仏と諸の菩薩たちを 供養しております。 これらの事すべては、 維摩詰の室内にいる諸の大衆の悉くが目にいたしました。 |
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時維摩詰問眾菩薩言。諸仁者。誰能致彼佛飯。以文殊師利威神力故咸皆默然 |
時に、維摩詰、衆の菩薩に問うて言わく、『諸仁者(にんじゃ、ミナサン)、誰かよく彼の仏飯(ぶつぼん)を致さんや(招致せんや)。』と。文殊師利の威神力を以っての故に、ことごとく皆黙然たり。 |
維摩詰が菩薩たちに問いかけます、 『お前たちの中に、誰かこの仏の仏飯(ぶつぼん)を持って来ることのできるものはおらんか。』 文殊師利の威神力をはばかって皆黙ったままです。 |
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維摩詰言。仁此大眾無乃可恥 |
維摩詰言わく、『仁(仁者)、この大衆、すなわち恥ずべきこと無からんや。』 |
維摩詰は言います、 『これ、こんなに大勢いて恥かしくないのか。』 |
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文殊師利曰。如佛所言勿輕未學 |
文殊師利曰く、『仏の言(の)たもう所の如きは、未学のものを軽んずること勿(なか)れと。』(初学の者を進めんが為なり) |
文殊師利が言います、 『仏は、未学の者を軽んじるなと仰っていますよ。』 |
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於是維摩詰。不起于座居眾會前化作菩薩。相好光明威德殊勝蔽於眾會。而告之曰。汝往上方界。分度如四十二恒河沙佛土。有國名眾香。佛號香積。與諸菩薩方共坐食 |
ここに於いて、維摩詰、座より起たず衆会の前に居り、(一の)菩薩を化作す。(この化菩薩の)相好と光明の威徳殊勝にして、衆会を蔽(おお)えり。しかも(維摩詰は)これ(化菩薩)に告げて曰く、『汝、上方の界分に往きて、四十二恒河沙の如き仏土を度(わた)れ。国有り、衆香と名づく。仏は香積と号したてまつる。諸菩薩と、まさに共に坐して食したもう。 |
ついに 維摩詰は、座に坐ったまま一人の 化菩薩(けぼさつ、分身の菩薩)を作ります。なかなか 優れた姿形と身から出る光明に包まれ 威徳があります、 維摩詰はこの化菩薩に命じました、 『お前、この上方に 四十二恒河沙の仏土を越えて行くと 衆香という国がある。そこで 香積という仏が菩薩たちと一緒に 食事をしておられる。 |
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汝往到彼如我辭曰。維摩詰稽首世尊足下。致敬無量問訊起居少病少惱氣力安不。願得世尊所食之餘。當於娑婆世界施作佛事。令此樂小法者得弘大道。亦使如來名聲普聞 |
汝往きて彼(かしこ)に到り、我が辞(ことば)の如く曰え、『維摩詰、世尊の足下に稽首(けいしゅ、首を差し延べて礼す)して、敬(恭敬)を致すこと無量なり。起居を問訊(もんじん、ウカガウ)したてまつる、『少病少悩にして気力安きや不や。願わくは、世尊の食したもう所の余りを得んことを。まさに娑婆世界に於いて、仏事を施作(せさ)して、この小法(小乗の法)を楽(ねが)う者をして、弘き大道を得しめ、また如来の名声をして、あまねく聞こえしむべし』と。』 |
お前はそこへ往ってこう言うのだ、 『維摩詰が 世尊の足に頭を著け、礼をして恭しく 申しております、 『病は少なく悩みも少なうございましょうや。 気力は充実して安楽でございましょうや。 願わくは、世尊の食事の余りを、 娑婆世界(しゃばせかい、この世界)に施して仏事をなし、 この小法(つまらない法、小乗の法)を楽しむものに 広き大道(大乗の法)をお示しになり、 如来の名声を世界に高からしめたまえ。』と。』 |
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時化菩薩即於會前昇于上方 |
時に化菩薩、すなわち会の前に於いて、上方に昇る。 |
即座に 化菩薩は皆の前を上方に昇って往きました。 |
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舉眾皆見其去到眾香界禮彼佛足。又聞其言。維摩詰稽首世尊足下。致敬無量問訊起居少病少惱氣力安不。願得世尊所食之餘。欲於娑婆世界施作佛事。使此樂小法者得弘大道。亦使如來名聲普聞 |
衆をこぞりて、皆その去りて、衆香界に到り、彼の仏の足に礼するを見、またその言を聞く、『維摩詰、世尊の足下に稽首して、敬を致すこと無量なり。起居を問訊したてまつる、『少病少悩にして気力安きや不や。願わくは、世尊の食したもう所の余りを得んことを。娑婆世界に於いて、仏事を施作して、この小法を楽う者をして、弘き大道を得しめ、また如来の名声をして、あまねく聞こえしめんと欲す。』と。 |
この室の大衆はこぞって その化菩薩が衆香国に到り 香積仏の足に礼をするのを見、 またその言葉を聞くことができます、 『維摩詰が 世尊の足に頭を著け、礼をして恭しく 申しております、 『病は少なく悩みも少なうございましょうや。 気力は充実して安楽でございましょうや。 願わくは、世尊の食事の余りを、 娑婆世界に施して仏事をなし、 この小法を楽しむものに 広き大道をお示しになり、 如来の名声を世界に高からしめたまえ。』と。』 |
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彼諸大士見化菩薩歎未曾有。今此上人從何所來。娑婆世界為在何許。云何名為樂小法者。即以問佛 |
彼(かしこ、衆香界)の諸の大士(だいし、菩薩)は、化菩薩を見て、未曽有なりと歎じ、『今、この上人は、何所(いづこ)より来る。娑婆世界は、何(いづれ)の許(ところ)にか在ると為す。云何が名づけて小法を楽う者と為す。』と、すなわち以って仏に問いたてまつれり。 |
かの衆香世界の菩薩たちは、 この化菩薩を見て驚きました、 『今、この人は何所から来たのだろう。 娑婆世界とは何所にあるのだろう。 小法を楽しむ者とは何を言っているのだろう。』と 不思議に思いながら 香積仏に訊ねました。 |
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佛告之曰。下方度如四十二恒河沙佛土。有世界名娑婆。佛號釋迦牟尼。今現在於五濁惡世。為樂小法眾生敷演道教 |
仏、これに告げて曰(の)たまわく、『下方に度(わた)ること、四十二恒河沙仏土の如きに、世界有りて娑婆と名く。仏を釈迦牟尼と号す。今現に在して、五濁(ごじょく、末世には世界が汚れ濁ること、劫濁見濁煩悩濁衆生濁命濁)の悪世に於いて、小法を楽う衆生の為に道教を敷演(ふえん、演説)したもう。 |
仏は菩薩たちに教えて言われます、 『この世界の下方に 四十二恒河沙の仏土を過ぎると 娑婆という名の世界がある。その 仏を釈迦牟尼仏と言う。 その世界は今現在、 劫濁(こうじょく、末世の汚れ)、 見濁(けんじょく、邪悪な思想)、 煩悩濁(ぼんのうじょく、悪徳による汚れ)、 衆生濁(しゅじょうじょく、衆生の質が堕ちる)、 命濁(みょうじょく、短命)の五濁によって 汚れている。 この悪世に於いて 釈迦牟尼仏は、 自分一人の安楽を願う 小法の中に楽しんでいる 衆生の為に 正法を演説しておられる。
五濁(ごじょく):末世に於いては、人の命が次第に短くなり、さまざまな汚れ穢れが発生する。 (1)劫濁(こうじょく):末世という時代のもつ汚れ、飢饉、疫病、天災、戦争をいう。 (2)見濁(けんじょく):邪悪な思想、見解が栄える。 (3)煩悩濁(ぼんのうじょく):貪欲、瞋恚等の、さまざまな悪徳がはびこる。 (4)衆生濁(しゅじょうじょく):衆生の質が落ち、身体は衰弱し、苦は多く、福は少なくなる。 (5)命濁(みょうじょく):人の寿命が短くなる。 |
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彼有菩薩名維摩詰。住不可思議解脫。為諸菩薩說法。故遣化來稱揚我名并讚此土。令彼菩薩增益功德 |
彼(かしこ)に菩薩有り、維摩詰と名づけ、不可思議解脱に住して、諸の菩薩に法を説かんが為の故に、化を遣わして来たらしめ、我が名を称揚し、あわせてこの土を讃ぜしめて、彼の菩薩をして功徳を増益せしむ。』と。 |
かの娑婆世界に 維摩詰という菩薩がいて 不可思議解脱に住している。 この菩薩は 大勢の菩薩に法を説くために、 この化菩薩を遣わして この国土の仏と仏土をほめ揚げ、 かの娑婆世界の菩薩の功徳(くどく、衆生を利益する力)を 高めようとされているのだ。』と。 |
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彼菩薩言。其人何如乃作是化。德力無畏神足若斯 |
彼の菩薩言わく、『その人は、何如(いかん)が、すなわちこの化を作して、徳力と無畏と神足とかくのごとくなる。』と。 |
かの衆香世界の菩薩が言います、 『その人は、この化菩薩を作ることからすると、何れほどの 徳力(衆生を利益する力)と 無畏(衆生に説法する力)と 神足(不思議を現す力)とがありましょうか。』と。 |
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佛言。甚大。一切十方皆遣化往施作佛事饒益眾生。於是香積如來。以眾香缽盛滿香飯與化菩薩 |
仏言たまわく、『(維摩詰の神通は)甚だ大なり。一切の十方(世界)に、皆化を遣わして往かしめ、仏事を施作して衆生を饒益せしむ。』と。ここに於いて、香積如来は、衆香の鉢を以って、香飯を盛満し、化菩薩に与えたもう。 |
仏は、 『非常に大きい。 一切の十方の世界に、皆、化菩薩を遣わして、 仏事(仏の事業)をさせ 衆生を利益している。』と仰りながら、 衆香世界の鉢に 香飯を盛って 化菩薩に お与えになりました。 |
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時彼九百萬菩薩俱發聲言。我欲詣娑婆世界供養釋迦牟尼佛。并欲見維摩詰等諸菩薩眾 |
時に、彼の九百万の菩薩は、倶(とも)に声を発して言わく、『我、娑婆世界に詣(いた)りて釈迦牟尼仏を供養したてまつらんと欲し、併せて維摩詰等の諸の菩薩衆に見(まみ)えんと欲す。』と。 |
その時、かの世界の 九百万の菩薩は同時に 声を上げて言いました、 『これから 娑婆世界に往き、 釈迦牟尼仏を供養して、その上で 維摩詰とその他の菩薩たちにも お会いして来よう。』 |
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佛言可往。攝汝身香。無令彼諸眾生起惑著心。又當捨汝本形。勿使彼國求菩薩者而自鄙恥。又汝於彼莫懷輕賤而作礙想 |
仏言たまわく、『往くべし。汝が身香を摂(おさ)めて、彼の諸の衆生をして、惑著(疑惑と執著)の心を起こさしむること無かれ。またまさに汝が本形を捨てて、彼の国の菩薩(の行)を求むる者をして、自ら鄙(いや)しみ恥(はぢ)しむることなかれ。また汝は、彼に於いて軽賤(きょうせん、軽ろんずること)を懐き、礙想(げそう、尊卑優劣等の罣礙ある妄想)を作すことなかれ。 |
仏は仰います、『往きなさい。 その時は、身から出る香気を抑えて、かの娑婆世界の衆生に疑惑と執著の心を起こさせないように。 また本来の優れた形(すがた)を捨てて、かの国の菩薩たちに自ら賤しみ恥じさせないように。 またかの娑婆世界を軽んじ、自ら勝れているとの妄想を起こさないようにしなさい。 |
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所以者何。十方國土皆如虛空。又諸佛為欲化諸樂小法者。不盡現其清淨土耳 |
所以は何となれば、十方の国土は、皆虚空の如くなればなり。また諸仏は、諸の小法を楽う者を化せんと欲するが為に、尽(ことごと)くは、その清浄の土を現ぜざるのみ。』と。 |
何故ならば、十方の国土は皆虚空の如しということを忘れないように。 また諸仏は、 小法を願う者たちを導くために、敢えて 国土を不浄のままに置いて 清浄にしないこともあるのだ。』と。
注:小法を願う者とは、自ら身を不浄から遠ざける者をいう。大乗では一切は本性清浄であるとする為に、身を不浄から遠ざけることを目的とはしない。ただある種の病を治す為の治療法の一種と考えるのである。 |
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時化菩薩既受缽飯。與彼九百萬菩薩俱。承佛威神及維摩詰力。於彼世界忽然不現。須臾之間至維摩詰舍 |
時に、化菩薩は、すでに鉢と飯を受け、彼の九百万の菩薩と倶に、仏の威神(いじん、威勢)、および維摩詰の力を承けて、彼の世界に於いて、忽然(こつねん、急に)として現(み)えずして、須臾(しゅゆ、シバラク)の間に、維摩詰の舎(いえ)に至る。 |
そして化菩薩は 鉢と飯を受けて、 九百万の菩薩とともに、 香積仏の威神と 維摩詰の力によって、かの 衆香世界から急に見えなくなり、たちまちのうちの 維摩詰の家に着きました。 |
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時維摩詰。即化作九百萬師子之座嚴好如前。諸菩薩皆坐其上 |
時に、維摩詰、すなわち九百万の師子の座を化作す、厳好なること前の如し。諸の菩薩は、皆その上に坐す。 |
維摩詰は、かの 九百万の菩薩たちの為に、 前のもののように厳かで好ましい 師子の座を、どこからか取り出して その上に坐らせました。 |
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是化菩薩以滿缽香飯與維摩詰。飯香普熏毘耶離城及三千大千世界。時毘耶離婆羅門居士等。聞是香氣身意快然歎未曾有 |
この化菩薩、満鉢の香飯を以って、維摩詰に与う。飯香は、あまねく毘耶離城、および三千大千世界を薫ず。時に、毘耶離の婆羅門、居士等も、この香気を聞いて、身意快然として未曽有なりと歎ず。 |
この化菩薩が 鉢に山盛りの香飯を 維摩詰に差し出しますと、 漂い出した香が 毘耶離城(びやりじょう)を初め 三千大千世界を隅々まで香りました。 その香を聞いた 毘耶離城の 婆羅門や居士たちは、 身も心も快くなり初めてのことに 驚いておりました。 |
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於是長者主月蓋。從八萬四千人來入維摩詰舍。見其室中菩薩甚多諸師子座高廣嚴好。皆大歡喜禮眾菩薩及大弟子。卻住一面 |
ここに於いて、長者主月蓋(がつがい)、八万四千人を従え来たりて、維摩詰の舎に入る。その室の中の菩薩の甚だ多く、諸の師子座の高広にして厳好なるを見て、皆大いに歓喜し、もろもろの菩薩、および大弟子を礼して、卻(しりぞ)きて一面に住す。 |
長者主の月蓋(がつがい)は 八万四千の人を従えて 維摩詰の家に入り、その室の中には 大勢の菩薩がいて、しかもその坐っている 師子の座がいかにも 高広であり厳かに好ましいのを見て、大いに 歓喜しました。 そして 菩薩たちと大弟子たちに礼をして 壁際の一面に場所を得て 立っております。 |
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諸地神虛空神及欲色界諸天。聞此香氣亦皆來入維摩詰舍 |
諸の地神、虚空神、および欲色界の諸天も、この香気を聞いて、また来たりて、維摩詰の舎に入る。 |
諸の地の神、虚空の神および欲界色界の諸天も この香気を聞き、同じように皆 維摩詰の家に来て その室に入りました。 |
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時維摩詰語舍利弗等諸大聲聞。仁者可食如來甘露味飯大悲所熏無以限意食之使不消也 |
時に、維摩詰、舍利弗等の諸の大声聞に語らく、『仁者、如来の甘露味の飯を食(じき)すべし。(この飯は如来の)大悲の薫ずる所なり。限意(げんい、罣礙限界ある意)を以ってこれを食して、消(消化)せざらしむること無かれ。』 |
維摩詰は舎利弗等の諸の大声聞たちに言います、 『お前たち、 如来から戴いた甘露味の飯を食ってみよ。 この飯は如来の大悲の香がする。 疑いの心でこれを食えば消化できないぞ。』 |
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有異聲聞念。是飯少而此大眾人人當食 |
異なる(別の)声聞聞いて念(おも)えらく、『この飯は少なし、しかもこの大衆の人々まさに食すべし。』 |
ある別の声聞が心の中で思いました、 『こんな少しばかりの飯を、この大勢で食うのか。』と。 |
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化菩薩曰。勿以聲聞小德小智稱量如來無量福慧。四海有竭此飯無盡。使一切人食揣若須彌乃至一劫猶不能盡 |
化菩薩曰く、『声聞の小徳と小智を以って、如来の無量の福慧を称量することなかれ。四海(の水)は竭(つ)くること有れど、この飯は尽くること無し。一切の人をして食せしむとも、(その残飯を)揣(まと)むれば、須弥(山)のごとし、乃至一劫すとも、なお尽くすこと能わず。 |
化菩薩が言います、 『声聞の 少しばかりの力と 少しばかりの智慧で、 如来の 無量の力と 智慧とを計るものではない。 四海(須弥山の回りの海で閻浮堤等の四大洲を浮かべる)の水は 涸れることも有ろうが、 この飯が尽きることはない。 世界中の一切の人が食っても、まだ 食い尽くせず、 握り飯にすれば 須弥山ほどにもなって、 一劫かかっても 食いきることはできないのだ。 |
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所以者何。無盡戒定智慧解脫解脫知見功德具足者。所食之餘。終不可盡 |
所以は何となれば、無尽の戒定慧と智慧と解脱と解脱知見(げだつちけん)の功徳を具足する者の食う所の余りは、ついに尽くすべからず。』と。 |
何故ならば、 尽きることのない 戒定慧と 解脱と 解脱知見を持った 如来の食い物は、 残り物ですら 尽くすことはできないのだ。』と。
五分法身(ごぶんほっしん):仏の法身は、常に五種の功徳が集まる。 (1)戒(かい):如来の身口意の三業は、一切の過を離れる。 (2)定(じょう):如来の心は寂静にして、一切の妄念を離れる。 (3)慧(え):如来の真智は、一切の本性を観達する。 (4)解脱(げだつ):如来の身心は、一切の繫縛を解脱する。 (5)解脱知見(げだつちけん):如来は、すでに一切の繫縛を解脱したことを知る。 |
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於是缽飯悉飽眾會猶故不[歹*斯] |
ここに於いて、鉢の飯は、尽く衆会を飽かしむれど、なお故(もと)のごとくして、澌(つ)きず。 |
この言う通り、 鉢の飯は皆が 飽きるほど食ってもまだ本のままで、 少しも減ったように見えません。 |
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其諸菩薩聲聞天人食此飯者。身安快樂。譬如一切樂莊嚴國諸菩薩也。又諸毛孔皆出妙香。亦如眾香國土諸樹之香 |
その諸の菩薩、声聞、天人、この飯を食する者は、身の安く快楽(けらく)なること、譬えば、一切の楽の荘厳せる国の諸の菩薩の如し。また諸の毛孔(もうく)、皆妙香を出し、また衆香国土の諸樹の香の如し。 |
この飯を食った 諸の菩薩と声聞と天人は、皆、 身が快く安楽になりました。 譬えば、 一切の快楽で荘厳された国の菩薩たちと同じです。 また、皆の 毛孔からは 妙なる香が漂い出して、 衆香国の諸の樹木のようです。 |
釈迦牟尼仏の法
爾時維摩詰問眾香菩薩。香積如來以何說法 |
その時、維摩詰、衆香菩薩に問わく、『香積如来は何を以ってか法を説きたもう。』と。 |
その時、維摩詰は衆香菩薩に問いました、 『香積如来は何のような法をお説きになっていますか。』 |
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彼菩薩曰。我土如來無文字說。但以眾香令諸天人得入律行。菩薩各各坐香樹下聞斯妙香。即獲一切德藏三昧。得是三昧者。菩薩所有功德皆悉具足 |
彼の菩薩曰く、『我が土の如来は、文字の説無し。ただ衆香を以って、諸の天人をして、律行(戒律)に入ることを得しめたもう。菩薩は、各々香樹の下に坐し、この妙香を聞いて、すなわち一切徳蔵三昧(一切の徳を蔵せる三昧)を獲(う)。この三昧を得る者は、菩薩の有らゆる功徳を、皆悉く具足す。 |
菩薩が答えます、 『私共の如来は、 言葉による説法はいたしません。 ただ種々の香を聞かせて、 天人たちが正しい行いをするよう導いております。 菩薩たちは、 香樹の下に坐って妙香を聞き、 一切徳蔵三昧(一切の徳の蔵という三昧)に入ります。 この三昧に入れば、 菩薩が持たなければならない 一切の力はすべて持つことができます。』と。 |
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彼諸菩薩問維摩詰。今世尊釋迦牟尼以何說法 |
彼の諸の菩薩、維摩詰に問わく、『今世の世尊釈迦牟尼仏は、何を以ってか法を説きたもう。』 |
香積世界の菩薩たちが維摩詰に問います、 『今、世尊釈迦牟尼仏は、何のようにして法をお説きになっていらっしゃいますか。』 |
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維摩詰言。此土眾生剛強難化故。佛為說剛強之語以調伏之。言是地獄是畜生是餓鬼。是諸難處。是愚人生處 |
維摩詰言わく、『この土の衆生は剛強にして、化(化導)し難きなるが故に、仏は為に、剛強の語を説きて、以ってこれを調伏したもう。言わく、『これ地獄、これ畜生、これ餓鬼、これ諸の難処(八難処、地獄餓鬼畜生、鬱単越(うったんおつ)、長寿天、聾盲瘖唖、世智に勝れる、仏前仏後)、これ愚人の生処なり。 |
維摩詰が言います、 『この世界の衆生は 強情で容易に導くことができません。やむなく仏は、 厳しい言葉で法を説いて 調伏(ちょうぶく、悪い行いを制圧)しています。 例えば、 『地獄に堕ちるぞ。 畜生に生まれ変わるぞ。 餓鬼になるぞ。 仏の説法を二度と聞けなくなるぞ。 愚かな者はこうなるぞ。 |
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是身邪行是身邪行報。是口邪行是口邪行報。是意邪行是意邪行報 |
これ身の邪行、これ身の邪行の報、これ口の邪行、これ口の邪行の報、これ意の邪行、これ意の邪行の報なり。 |
これが行ってはならない事だ、 これを行うとこうなるぞ。 これが言ってはならない言葉だ、 これを言うとこうなるぞ。 これが思ってはいけない事だ、 これを思うとこうなるぞ。 |
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是殺生是殺生報。是不與取是不與取報。是邪婬是邪婬報。是妄語是妄語報。是兩舌是兩舌報。是惡口是惡口報。是無義語是無義語報。是貪嫉是貪嫉報。是瞋惱是瞋惱報。是邪見是邪見報 |
これ殺生、これ殺生の報、これ不与取(ふよしゅ、窃盗)、これ不与取の報、これ邪婬、これ邪婬の報、これ妄語(もうご、嘘)、これ妄語の報、これ両舌(りょうぜつ、人を離間する語)、これ両舌の報、これ悪口(あっく、悪口雑言)、これ悪口の報、これ無義語(むぎご、綺語(きご)、冗談)、これ無義語の報、これ貪嫉(貪欲と嫉妬)、これ貪嫉の報、これ瞋悩(瞋恚と悩害)、これ瞋悩の報、これ邪見、これ邪見の報なり。 |
なぜ生き物を殺してはならないか。殺せば何うなるか。 なぜ与えられないのに取ってはならないか。取れば何うなるか。 なぜ人の女房を取ってはならないか。取れば何うなるか。 なぜ嘘をついてはならないか。つけば何うなるか。 なぜ二枚舌を使ってはならないか。使えば何うなるか。 なぜ悪口を言ってはならないか。言えば何うなるか。 なぜ冗談を言ってはならないか。言えば何うなるか。 なぜ貪ってはならないか。貪れば何うなるか。 なぜ嫉んではならないか。嫉めば何うなるか。 なぜ人を悩ませてははならないか。悩ませれば何うなるか。 何を邪見というのか。邪見をすれば何うなるか。 |
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是慳吝是慳吝報。是毀戒是毀戒報。是瞋恚是瞋恚報。是懈怠是懈怠報。是亂意是亂意報。是愚癡是愚癡報 |
これ慳吝(けんりん、慳貪と吝嗇(りんしょく))、これ慳吝の報、これ毀戒(きかい、破戒)、これ毀戒の報、これ瞋恚、これ瞋恚の報、これ懈怠(けたい、ナマケルコト)、これ懈怠の報、これ乱意、これ乱意の報、これ愚癡、これ愚癡の報なり。 |
なぜ物惜しみしてはならないか。すれば何うなるか。 なぜ戒を破ってはならないか。破れば何うなるか。 なぜ瞋ってはならないか。瞋れば何うなるか。 なぜ怠けてはならないか。怠ければ何うなるか。 なぜ心を乱してはならないか。心を乱せば何うなるか。 なぜ愚かではいけないか。愚かであると何うなるか。 |
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是結戒是持戒是犯戒。是應作是不應作。是障礙是不障礙。是得罪是離罪 |
これ結戒(けっかい、戒制定の因縁)、これ持戒、これ犯戒(ぼんかい、破壊)、これまさに作すべし、これまさに作すべからず。これ障礙、これ障礙にあらず、これ得罪、これ離罪なり。 |
この戒はなぜ作られたか。 戒をたもてば何うか。 戒を破れば何うか。 これはしなくてはならない。 これはしてはならない。 これは覚りの障害である。 これは覚りの障害ではない。 これは罪である。 これは罪ではない。 |
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是淨是垢。是有漏是無漏。是邪道是正道。是有為是無為。是世間是涅槃 |
これ浄、これ垢、これ有漏、これ無漏、これ邪道、これ正道、これ有為、これ無為、これ世間、これ涅槃なり。』と。 |
これは浄い。これは汚い。 これは煩悩がある。これは煩悩がない。 これは邪道である。これは正道である。 これは有為(うい、因縁に係わる一切の事物)である。 これは無為(むい、涅槃、因縁に係わりない事物)である。 これが涅槃である。 |
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以難化之人心如猿猴故。以若干種法制御其心乃可調伏。譬如象馬[怡-台+龍]悷不調加諸楚毒乃至徹骨然後調伏。如是剛強難化眾生故。以一切苦切之言乃可入律 |
難化の人の心は猿猴(えんこう、サル)の如き(落ち着きなし)を以って、若干種の法を以って、その心を制御して、すなわち調伏すべし。譬えば、象馬の[怡-台+龍]悷(ろうれい、多悪)にして調えざるが如きは、楚毒(そどく、鞭撻)を加え、すなわち骨に徹するに至りて、然る後に調伏す。かくの如く、剛強にして化し難き衆生は、故(ことさら)に一切の苦切(くせつ、ネンゴロ、親切)の言(ごん、言葉)を以って、すなわち律に入るべし。』と。 |
このように この世界の衆生は 導き難く、 猿が 木から木へ飛び移るように 動き回って 落ち着きません。 それでいろいろ 工夫をこらして 心を制することにより 調伏しております。
譬えば、 性悪の象や馬は鞭を加えて、 骨身に達するまで打ちすえなければ 調伏することができません。 同じように この強情な人たちを 調伏するためには、 ねんごろに 言葉で以って 教えこむ必要があるのです。 そうすれば 規律ある行いを 取り戻すこともできるのです。』と。 |
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彼諸菩薩聞說是已。皆曰未曾有也。如世尊釋迦牟尼佛。隱其無量自在之力。乃以貧所樂法度脫眾生。斯諸菩薩亦能勞謙。以無量大悲生是佛土 |
彼の諸の菩薩、(維摩詰の)これを説くを聞きおわりて、皆曰く、『未曽有なり。世尊釈迦牟尼仏の、その無量の自在の力を隠して、すなわち貧(ひん、貧道、声聞)の楽う所の法を以って、衆生を度脱したまい、この諸の菩薩も、またよく労謙(ろうけん、勤労と謙譲)して、無量の大悲を以って、この仏土に生じたもうが如きは。』 |
かの世界の菩薩たちはこの言葉を聞き、皆口をそろえて言います、 『いや驚きました。 世尊釈迦牟尼仏は、 力をお隠しになって、 声聞の法をお説きになっていらっしゃるし、 また この世界の菩薩たちも、 耐え忍びながら 無量の大悲をお起こしになり、 衆生の為に 敢えてこのような世界に お生まれになられますとは。』と。 |
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維摩詰言。此土菩薩於諸眾生大悲堅固。誠如所言。然其一世饒益眾生。多於彼國百千劫行。所以者何。此娑婆世界有十事善法。諸餘淨土之所無有 |
維摩詰言わく、『この土の菩薩は、諸の衆生に於いて、大悲堅固なること、誠に(汝等の)言う所の如し。然も、その一世に衆生を饒益(にょうやく、利益)すること、彼の国の百千劫の行よりも多し。所以は何となれば、この娑婆世界には、十事の善法有りて、諸余の浄土には有ること無き所なり。 |
維摩詰が言います、 『この世界の菩薩が、 諸の衆生を愛しておることは、 誠に仰るとおりです。 しかも その一生の間に 衆生の為に利益することは、 他の国で 百千劫の間にするよりも もっと多いのです。 何故と申しますに、 この娑婆世界には 菩薩のしなくてはならない 善法が十もあるのです。 このようなことは他の浄土に有るとは聞いたことがございません。 |
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何等為十。以布施攝貧窮 |
何等をか十と為す。布施を以って貧窮を摂す。 |
何を十というかと申しますと、 布施をすることで、 貧乏な者を導きます。(一) |
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以淨戒攝毀禁 |
淨戒を以って毀禁(ききん、犯戒)を摂す。 |
戒を守ることで、 戒を破る者を導きます。(二) |
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以忍辱攝瞋恚 |
忍辱を以って瞋恚を摂す。 |
常に耐え忍ぶことで、 怒りを懐くものを導きます。(三) |
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以精進攝懈怠 |
精進を以って懈怠を摂す。 |
精進することで、 怠ける者を導きます。(四) |
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以禪定攝亂意 |
禅定を以って乱意を摂す。 |
禅定に入ることで、 心を乱す者を導きます。(五) |
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以智慧攝愚癡 |
智慧を以って、愚癡を摂す。 |
智慧で、 愚かな者を導きます。(六) |
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說除難法度八難者 |
除難の法を説きて八難の者を度す。 |
除難の法を説いて、 八難処(仏の説法を聞けない八の難処、 地獄餓鬼畜生、 鬱単越(うったんおつ)、 長寿天、 聾盲瘖唖、 世智に勝れる、 仏前仏後)にいる者を導きます。(七) |
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以大乘法度樂小乘者 |
大乗の法を以って小乗を楽う者を度す。 |
大乗の法を説いて、 小乗の法を楽しんでいる者を導きます。(八) |
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以諸善根濟無德者 |
諸の善根を以って無徳の者を済(すく)う。 |
善い行いをすることで、 徳(人の為になる善い行いをする能力)の無い者を導きます。(九) |
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常以四攝成就眾生。是為十 |
常に四摂(ししょう、布施、愛語、利行、同事)を以って衆生を成就す。これを十と為す。』と。 |
常に 布施(ふせ、与えること)と 愛語(あいご、優しい言葉をかけること)と 利行(りぎょう、人の為になること)と 同事(どうじ、他と苦楽を共にすること)とを行って、 衆生を仏道に向かわせます。 これを十の善い行いと申しております。』と。 |
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彼菩薩曰。菩薩成就幾法。於此世界行無瘡疣生于淨土 |
彼の菩薩曰く、『菩薩、幾(いくばく)の法を成就して、この世界に於いて、行じて瘡疣(そうゆう、キズイボ、傷)無く、浄土に生ずる。 |
かの国の菩薩たちが言います、 『菩薩は、 この世界ではいくつのことに心がけることにより、 無事に浄土にお生まれになるのですか。』と。 |
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維摩詰言。菩薩成就八法。於此世界行無瘡疣生于淨土 |
維摩詰言わく、『菩薩は、八法を成就して、この世界に於いて、行じて瘡疣無く、浄土に生ずる。 |
維摩詰が言います、 『菩薩は、この世界では八つのことを心がけて、無事に浄土に生まれます。 |
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何等為八。饒益眾生而不望報 |
何等をか八と為す。衆生を饒益して報を望まず、 |
それは何かと申しますと、 衆生ためには何をしても、 果報を望まないこと。(一) |
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代一切眾生受諸苦惱 |
一切の衆生に代わりて諸の苦悩を受け、 |
一切の衆生に代わって、 諸の苦悩を受けること。(二) |
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所作功德盡以施之 |
作す所の功徳は、尽く以ってこれを施す。 |
力の有る限り、 衆生の為に尽くすこと。(三) |
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等心眾生謙下無礙 |
心を衆生に等しくし、謙下(けんげ、謙遜卑下)して礙(さわり)無し。 |
衆生と同じ心を持ち、 謙遜卑下することにもためらわないこと。(四) |
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於諸菩薩視之如佛 |
諸の菩薩に於いて、これを視ること仏の如し。 |
諸の菩薩を 仏と同じように見ること。(五) |
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所未聞經聞之不疑 |
未だ聞かざる所の経は、これを聞いて疑わず。 |
未だ聞いたことのない経であっても、 疑わずに聞くこと。(六) |
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不與聲聞而相違背 |
声聞と与(くみ)せざれども、相い違背せず。 |
声聞の仲間には入らないが、 仲たがいしないこと。(七) |
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不嫉彼供不高己利 |
彼の供(く、供養)を嫉まず、己が利(り、利養)に高ぶらずして、 |
人が供養されても嫉まず、 自分が多くの供養を受けても 高慢にならないこと。(八) |
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而於其中調伏其心 |
その中に於いて、その心を調伏す。 |
これらのことを心がけて、 心を調伏いたします。 |
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常省己過不訟彼短 |
常に己が過ちを省みて、彼の短を訟(うった)えず。 |
常に自らの過ちを反省し、 人の短所をあげつらわないこと。 |
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恒以一心求諸功德。是為八法 |
恒に一心を以って、諸の功徳を求む。これを八法と為す。』と。 |
常に一心に修行して 衆生の為になること。 これが菩薩の心がける八つのことでございます。』と。 |
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維摩詰文殊師利。於大眾中說是法時。百千天人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。十千菩薩得無生法忍 |
維摩詰と文殊師利、大衆の中に於いて、この法を説く時、百千の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発し、十千の菩薩は無生法忍を得たり。 |
維摩詰と文殊師利とが大衆の中でこの法を説きますと、 百千の天人が皆、 阿耨多羅三藐三菩提心を発し、 十千の菩薩が 無生法忍(むしょうほうにん、不退の位)を得ました。 |
菩薩行品第十一
菩薩行品第十一 |
菩薩行品(ぼさつぎょうぼん)第十一 |
菩薩の自在神力の所行を説く。 |
仏事
是時佛說法於菴羅樹園。其地忽然廣博嚴事。一切眾會皆作金色 |
この時、仏、菴羅樹園(あんらじゅおん、マンゴー園)に於いて、説法したもう。その地は、忽然(こつねん、突然)として広博の厳事(辺り一面が七宝を以って荘厳さる)ありて、一切の衆会も皆金色と作る。 |
この時、仏は、菴羅樹園(あんらじゅおん、マンゴー園)の中で、説法していらっしゃいました。 それが突然、 その辺り一面が広々と広がり七宝で飾られ、 そこに集う人々も金色に輝きだしました。 |
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阿難白佛言。世尊。以何因緣有此瑞應。是處忽然廣博嚴事。一切眾會皆作金色 |
阿難、仏に白(もう)して言(もう)さく、『世尊、何の因縁を以ってか、この瑞応(ずいおう、メデタキシルシ)有る、この処、忽然として広博の厳事あり、一切の衆会も皆金色と作る。』と。 |
阿難が仏にお訊ねします、 『世尊、これは何の前兆でございましょうか。 この場所がこのように広々として七宝で飾られ、 皆の顔も金色に輝いておりますが。』 |
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佛告阿難。是維摩詰文殊師利。與諸大眾恭敬圍繞。發意欲來故先為此瑞應 |
仏、阿難に告げたまわく、『これ維摩詰と文殊師利、諸の大衆のために恭敬囲繞(くぎょういにょう、恭しく取り囲まる)されて、意を発して来たらんと欲するが故に、先にこの瑞応を為す。』 |
仏は阿難に教えられます、 『これは維摩詰と文殊師利が、大勢に恭しく取り囲まれて、ここへ来ようという兆しなのだ。』と。 |
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於是維摩詰語文殊師利。可共見佛與諸菩薩禮事供養 |
ここに於いて、維摩詰、文殊師利に語らく、『共に仏と見(まみ)えて、諸の菩薩とともに、礼し事(つか)え供養すべし。』 |
その頃、維摩詰は文殊師利に語りかけておりました、 『一緒に仏にお会いして、この菩薩の方たちと共にご挨拶に伺いがてら供養いたそうではないか。』 |
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文殊師利言。善哉行矣。今正是時 |
文殊師利言わく、『善哉、行かん。今まさに、これ時なり。』 |
文殊師利も答えます、 『それは善い考えです。すぐに行きましょう。』 |
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維摩詰即以神力。持諸大眾并師子座置於右掌。往詣佛所到已著地。稽首佛足右遶七匝。一心合掌在一面立 |
維摩詰、すなわち神力を以って、諸の大衆、ならびに師子座を持ちて右の掌に置き、往きて仏の所に詣(いた)る。到りおわりて地に著(お)き、仏の足に稽首(けいしゅ、首を差し延ぶ)して、右遶(うにょう、周囲を右に廻る)すること七匝(しちそう、七遍回る)して、一心に合掌して一面に在りて立つ。 |
維摩詰は神通力で、 諸の大衆と師子の座を共に右の掌に載せて 仏の所に行き、地に置いてから 仏の足に頭に著けて礼をし、右に七遍廻りおわって一心に合掌しながら 壁の一面に立ちました。
右遶(うにょう):自身の右側を内にして、仏の回りを廻ることで恭順を表す。右遶三匝(うにょうさんそう)が仏に対する通常の儀礼である。 |
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其諸菩薩即皆避座稽首佛足。亦繞七匝於一面立。諸大弟子釋梵四天王等。亦皆避座稽首佛足在一面立 |
その諸の菩薩は、すなわち皆座を避けて、仏の足に稽首し、また繞(めぐ)ること七匝して、一面に於いて立つ。諸の大弟子、釈梵四天王等も、また皆座を避けて、仏の足を稽首し、一面に在りて立つ。 |
その諸の菩薩たちも皆坐ろうとなさいませず、 仏の足に頭を著けて礼をし、また右に七遍廻って 壁の一面に立ちました。 諸の大弟子、帝釈、梵天、四天王たちもまた皆坐ろうとせずに、 仏の足に頭を著けて礼をし、 壁の一面に立ちました。 |
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於是世尊如法慰問諸菩薩已各令復坐。即皆受教眾坐已定。佛語舍利弗。汝見菩薩大士自在神力之所為乎 |
ここに於いて、世尊、法の如くに諸の菩薩を慰問しおわりて、各々をまた坐せしむ。すなわち皆教えを受けて、衆坐すでに定まる。 仏、舍利弗に語りたまわく、『汝、菩薩大士の自在の神力の為す所を見しや。』 |
それから世尊は、常の如くに諸の菩薩たちに慰問の言葉をお掛けになり、 おのおの坐るように仰いましたので、 皆、仰るとおりに順序良く坐りました。 仏が舎利弗に仰います、 『お前は、この菩薩方が自在に神力をお使いになるのを見たか。』 |
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唯然已見 |
『唯(ゆい、ハイ)、すでに見き。』 |
『はい、見ました。』 |
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於汝意云何 |
『汝が意に於いて云何(いかん)。』 |
『何う思ったか。』 |
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世尊。我睹其為不可思議。非意所圖非度所測 |
『世尊、我は、それを睹(み)て不可思議と為す。心の図(はか、意図)る所に非ず。度(度量、メモリ)の測る所に非ざるなり。』 |
『世尊、 私はそれを見てまだ信じられません。 心の想像を遥かに超えております。 測るための物差しがございません。』 |
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爾時阿難白佛言。世尊。今所聞香自昔未有。是為何香 |
その時、阿難、仏に白して言さく、『世尊、今聞く所の香は、昔より未だ有らず。これ何の香とか為す。』 |
そして阿難は仏にお訊ねしました、 『世尊、今、聞いております この香は未だかつて聞いたことのないものです。 これは何の香でございましょうか。』 |
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佛告阿難。是彼菩薩毛孔之香 |
仏、阿難に告げたまわく、『これ彼の菩薩の毛孔(もうく)の香なり。』 |
仏が阿難にお教えになります、 『これは かの衆香世界の菩薩の 毛孔から出る香である。』 |
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於是舍利弗語阿難言。我等毛孔亦出是香 |
ここに於いて、舍利弗、阿難に語りて言わく、『我等が毛孔も、またこの香を出だす。』 |
この時、舎利弗が阿難に言いました、 『私たちの毛孔からも、同じ香が出ていますよ。』と。 |
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阿難言。此所從來 |
阿難言わく、『ここより来たりや。』 |
阿難が言います、 『ここから出ていたのですか。』 |
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曰。是長者維摩詰。從眾香國取佛餘飯於舍食者。一切毛孔皆香若此 |
曰く、『これ長者維摩詰、衆香国より仏の余飯を取りて、舎に於いて食せる者、(これに由りて)一切の毛孔、皆かくの若(ごと)く香(かんば)し。』 |
舎利弗が言います、 『長者維摩詰が 衆香国より取り寄せた仏の飯の残りを、 我々が食べたために、一切の 毛孔よりこのように芳しい香がしているのです。』 |
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阿難問維摩詰。是香氣住當久如 |
阿難、維摩詰に問わく、『この香気の住すること、まさに久如(いくばく)なるべし。』 |
阿難が維摩詰に訊ねます、 『この香はいつまで残っているのでしょうか。』 |
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維摩詰言。至此飯消 |
維摩詰言わく、『この飯消(消化)するに至る。』 |
維摩詰が言います、 『これは飯が消化されるまで残っておる。』 |
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曰。此飯久如當消 |
曰く、『この飯、久如(いくばく)にて、まさに消すべき。』 |
阿難が言います、 『この飯は何れくらい経てば消化しますでしょうか。』 |
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曰。此飯勢力至于七日然後乃消 |
曰く、『この飯が勢力は、七日に至りて、然る後にすなわち消す。 |
維摩詰が言います、 『この飯は七日間はそのままで、その後に消化する。』 |
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又阿難。若聲聞人未入正位食此飯者。得入正位然後乃消 |
また阿難、もし声聞人の未だ正位(無漏の境)に入らざるもの、この飯を食えば、正位に入るを得て、然る後にすなわち消す。 |
また阿難、もし声聞人でまだ 覚っていない者が、この飯を食えば、 覚った時にこの香も消える。 |
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已入正位食此飯者。得心解脫然後乃消 |
すでに正位に入るものこの飯を食えば、心に解脱を得て、然る後にすなわち消す。 |
既に 覚っておる者がこの飯を食えば、心が 解脱を得て自由になった時に、この香も消える。 |
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若未發大乘意食此飯者。至發意乃消 |
もし未だ大乗の意を発さざるもの、この飯を食えば、意を発すに至りてすなわち消す。 |
もし、まだ大乗の心を 発していない者がこの飯を食えば、心を 発した時にこの香も消える。 |
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已發意食此飯者。得無生忍然後乃消 |
すでに意を発せるもの、この飯を食えば、無生忍(不退転の位)を得て、然る後にすなわち消す。 |
既に大乗の心を 発した者がこの飯を食えば、 不退転の位を得た時にこの香も消える。 |
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已得無生忍食此飯者。至一生補處然後乃消 |
すでに無生忍を得たるもの、この飯を食えば、一生補処(いっしょうふしょ、次生に於いて仏に成る位)に至りて、然る後にすなわち消す。 |
既に 不退転にある者がこの飯を食えば、次の生に於いて 仏と成る位に至ればこの香も消える。 |
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譬如有藥名曰上味其有服者身諸毒滅然後乃消。此飯如是滅除一切諸煩惱毒然後乃消 |
譬えば、有る薬、名づけて上味と曰うが如きは、それを服する者有らば、身の諸毒滅して、然る後にすなわち消す。この飯もかくの如く、一切の諸煩悩の毒を除き、然る後にすなわち消す。』と。 |
譬えば、 上味という薬はそれを服(の)めば、 身の内の諸の毒が消えてから、 その薬も消える。 この飯も同じように、 一切の煩悩の毒を除いてから 消えるのである。』と。 |
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阿難白佛言。未曾有也。世尊。如此香飯能作佛事 |
阿難、仏に白して言さく、『未曽有なり。世尊、この香飯の如きのよく仏事を作すことは。』 |
阿難が仏に申します、 『驚きました、世尊。この香飯にこのような仏事を作す力がございますとは。』と。 |
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佛言。如是如是。阿難。或有佛土以佛光明而作佛事 |
仏言たまわく、『如是如是(にょぜにょぜ、ソウダソノトオリ)阿難、或いは有る仏土は、仏の光明を以って仏事を作す。 |
仏が仰いました、『そうだそうだ、阿難。 ある仏土では、 仏の身の光明が 仏事を作しておる。 |
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有以諸菩薩而作佛事 |
有る(ぶつど)は、諸の菩薩を以って仏事を作す。 |
ある仏土では、 諸の菩薩が 仏事を作しておる。 |
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有以佛所化人而作佛事 |
有るは、仏の化する所の人を以って仏事を作す。 |
ある仏土では、 仏が作る化人が 仏事を作しておる。 |
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有以菩提樹而作佛事 |
有るは、菩提樹を以って仏事を作す。 |
ある仏土では、 菩提樹が 仏事を作し、 |
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有以佛衣服臥具而作佛事 |
有るは、仏の衣服臥具を以って仏事を作す。 |
あるいは 仏の衣服臥具が 仏事を作し、 |
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有以飯食而作佛事 |
有るは、飯食を以って仏事を作す。 |
あるいは 飯食が 仏事をなし、 |
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有以園林臺觀而作佛事 |
有るは、園林、台観(だいかん、高殿)を以って仏事を作す。 |
あるいは 園林や高殿が 仏事を作し、 |
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有以三十二相八十隨形好而作佛事 |
有るは、三十二相、八十隨形好(はちじゅうずいぎょうこう、八十種好)を以って仏事を作す。 |
あるいは 仏の三十二相と八十隨形好とが 仏事を作し、 |
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有以佛身而作佛事 |
有るは、仏身を以って仏事を作す。 |
あるいは 仏が身を以って 仏事を作しておる。 |
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有以虛空而作佛事。眾生應以此緣得入律行 |
有るは、虚空を以って仏事を作し、衆生は、まさにこの縁(虚空)を以って、律行(修行)に入るを得。 |
あるいはこの 大空が 仏事を作して、 衆生はこの 大空を見て 心を発し 修行するのだ。 |
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有以夢幻影響鏡中像水中月熱時炎如是等喻而作佛事 |
有るは、夢、幻、影、響、鏡中の像、水中の月、熱時の炎(カゲロウ)、かくの如き等の喩えを以って仏事を作す。 |
あるいは 夢、幻、影、響、鏡中の像、水中の月、カゲロウ、 このような物は、 それを喩えることによって 仏事を作しておる。 |
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有以音聲語言文字而作佛事 |
有るは、音声、語言、文字を以って仏事を作す。 |
あるいは 音声、言葉、文字が 仏事を作すこともあり、 |
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或有清淨佛土寂寞無言無說無示無識無作無為而作佛事。如是阿難。諸佛威儀進止。諸所施為無非佛事 |
有るは、清浄の仏土の寂寞、無言、無説、無示、無識、無作、無為を以って仏事を作す。かくの如く阿難、諸仏の威儀、進止、諸の施す所は、仏事に非ざるもの無しと為す。 |
あるいは 清浄の仏土が、 静かであり、 無言であり、 説法もなく、 示すこともなく、 識ることもなく、 作すこともなく、 行いもないことで 仏事を作すこともあるのだ。 このように阿難、 諸仏の為される行為は すべてが仏事であり、 仏事でないものはないのだ。 |
仏土の不同
阿難。有此四魔八萬四千諸煩惱門。而諸眾生為之疲勞。諸佛即以此法而作佛事。是名入一切諸佛法門 |
阿難、この四魔(五陰魔、煩悩魔、死魔、天魔)と八万四千の諸の煩悩の門有りて、諸の衆生は、これが為に疲労すれども、諸仏は、すなわちこの法(四魔)を以って仏事と作す。これを一切の諸仏の法門に入ると名づく。 |
阿難、人には 身心と、生きることと、死ぬことと、災難と、八万四千の煩悩と、 これら無数の魔が有る。 諸の衆生は、 この為に疲弊するのである。 しかし諸仏にとっては、 これ等の無数の魔が仏事なのだ。 一切の諸仏の法門に入るとはこれを言う。 |
|
菩薩入此門者。若見一切淨好佛土。不以為喜不貪不高 |
菩薩は、この門に入らば、もし一切の浄好の仏土を見るも、以って喜びと為さず、貪らず高ぶらず。 |
菩薩が 一たびこの門に入れば、何のように 浄く好ましい仏土を見ても、もうそれは 喜びとはならない。 そこに 長く居ようとは思わないし、そこに 生まれたことを幸せだとも思わない。 |
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若見一切不淨佛土。不以為憂不礙不沒。但於諸佛生清淨心。歡喜恭敬未曾有也 |
もし一切の不浄の仏土を見るも、以って憂いと為さず、(身心)礙(とどこお)らず、没せず。ただ諸仏に於いて、清浄の心を生じて、未曽有なりと歓喜し恭敬す。 |
何のように不浄の仏土を見ても、それを憂うことはない。 身心は そこに在って自由となり、 心が沈み込むこともない。 ただ諸仏が、 それぞれの浄土をいかにして浄められたか、 それを思って自らもそうありたいと思い、 歓喜してその為に努力するのである。 |
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諸佛如來功德平等。為化眾生故。而現佛土不同 |
諸仏如来の功徳は平等なるも、衆生を化せんが為の故に、仏土の不同なるを現じたもう。 |
諸仏如来の持つ 衆生を利益する力は 平等である。 しかし 現在、衆生を導いている途中であれば、 その仏土も不同である。 |
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阿難。汝見諸佛國土。地有若干而虛空無若干也。如是見諸佛色身有若干耳其無礙慧無若干也 |
阿難、汝は、諸仏の国土は、地には若干(にゃくかん、イクツカノ)のもの有れども、虚空には若干のもの無きを見きや。かくの如く、諸仏の色身にも、若干のもの有るを見るのみ。その無礙の慧には若干のもの無し。 |
阿難、お前は諸仏の国土を見たか。 地上には何がしかのものが在り、 虚空には何も無かったであろう。 同じように 諸仏の色身(物質としての身体)には何がしかのものが在るが、 その(諸仏の本体である)自由な智慧には何ものも無い。 |
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阿難。諸佛色身威相種性。戒定智慧解脫解脫知見。力無所畏不共之法。大慈大悲威儀所行。及其壽命說法教化。成就眾生淨佛國土。具諸佛法。悉皆同等。是故名為三藐三佛陀。名為多陀阿伽度。名為佛陀 |
阿難、諸仏の色身、威相(威儀と相好)、種姓(ウマレ)、戒定慧、解脱、解脱知見、力(十力)、無所畏、不共の法(十八不共法)、大慈、大悲、威儀所行、およびその寿命、法を説いて教化(教導転化)する、衆生を成就する、仏国土を浄む、諸の仏法を具す、(これ等は)悉く皆同等なり。 この故に名づけて三藐三仏陀(さんみゃくさんぶっだ、正遍知)と為し、名づけて多陀阿伽度(ただあかど、如来)と為し、名づけて仏陀(ぶっだ、覚者)と為す。 |
阿難、 諸仏の 威儀(振舞い)と相好(様子)、種姓(種族)、 戒定慧、解脱、解脱知見、 十力、無所畏、十八不共法、 大慈、大悲、行為、寿命、 法を説いて教化(教導転化)し、 衆生を導くこと、 仏国土を建設すること、 諸の仏法を身に着けること、 これ等は悉く、皆、同様に 衆生に随って現れ、 その本体の 智慧は自由で、そこには 何も無いのだ。 これを 三藐三仏陀(さんみゃくさんぶっだ、無上正等覚)と呼び、 多陀阿伽度(ただあかど、如来)と呼び、 仏陀(ぶっだ、覚者)と呼ぶのである。 |
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阿難。若我廣說此三句義。汝以劫壽不能盡受。正使三千大千世界滿中眾生。皆如阿難多聞第一得念總持。此諸人等以劫之壽亦不能受。如是阿難。諸佛阿耨多羅三藐三菩提無有限量。智慧辯才不可思議 |
阿難、もし我、この三句(三藐三仏陀、多陀阿伽度、仏陀)の義を、広く説かば、汝、劫寿(こうじゅ、宇宙の生滅と同等の永い寿命)を以ってしても、ことごとく受くること能わず。まさに三千大千世界の中に満る衆生をして、皆阿難の如く多聞第一にして、念(ねん、心に留めること)の総持(そうじ、無忘失)を得しめ、この諸の人等が、劫の寿を以ってすれども、受くること能ず。かくの如く阿難、諸仏の阿耨多羅三藐三菩提(諸仏の境界)は、限量有ること無く、智慧と辯才は不可思議なり。』 |
阿難、この三つの言葉、 三藐三仏陀と多陀阿伽度と仏陀とは その意味を深く説けば、お前が世界と同じ寿命を持っていても、 すべてを聞くことはできないであろう。 三千大千世界の一切の衆生が 阿難と同じほどよく聞いて忘れないとしても、 これ等の人が 世界と同じほどの寿命を持っていたとしても、 すべてを聞くことはできない。 このように阿難、諸仏の 阿耨多羅三藐三菩提(諸仏の境界)は無量であり、 智慧と辯才は想像さえつかないものなのだ。』と。 |
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阿難白佛言。我從今已往不敢自謂以為多聞 |
阿難、仏に白して言さく、『我、今より已往(いおう、以前、過去)のことは、敢えて自ら謂って、多聞なりと以為(おも)わじ。』 |
阿難が仏に申しあげた、 『これまでの私が 多聞であったとは、とても思えません。』 |
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佛告阿難。勿起退意。所以者何。我說汝於聲聞中為最多聞。非謂菩薩。且止阿難。其有智者不應限度諸菩薩也。一切海淵尚可測量。菩薩禪定智慧總持辯才一切功德不可量也。阿難。汝等捨置菩薩所行。是維摩詰一時所現神通之力。一切聲聞辟支佛。於百千劫盡力變化所不能作 |
仏、阿難に告げたまわく、『退意を起こすなかれ。所以は何となれば、我、汝は声聞中に於いて最も多聞と為すと説き、菩薩を謂うには非ず。且く止みね。阿難、それ智有る者は、まさに諸の菩薩を限度(げんど、測ること)すべからず。一切の海淵はなお測量(しきりょう)すべきも、菩薩の禅定、智慧、総持、辯才、一切の功徳は量るべからず。阿難、汝等は、菩薩の所行を捨て置け。この維摩詰の一時に現す所の神通の力は、一切の声聞辟支仏が、百千劫に力を尽くして、変化すとも、作すこと能わざる所なり。』と。 |
仏は阿難に教えられた、 『がっかりすることはないぞ。何故ならば私は、常々 お前のことを 声聞中の多聞第一である説いてきた。 菩薩は考えになかったのだ。 少し考えてみよう。阿難、 智慧がいくら有っても、 諸の菩薩を測ることはできない。 譬えば 海の深さならば測ることができるかもしれない、しかし 菩薩の 禅定と、 智慧と、 総持(そうじ、忘れないこと)と、 辯才と、 衆生を導くための一切の力とは、 これ等を測るすべがないのだ。
阿難、 お前たちは菩薩のことは置いておけばよい。
この維摩詰のような神通力は 声聞辟支仏が 百千回も世界が生じて滅亡する間、力を尽くしても 得ることのできない力なのだ。』と。 |
菩薩、有為を尽くさず
爾時眾香世界菩薩來者。合掌白佛言。世尊。我等初見此土生下劣想。今自悔責捨離是心。所以者何。諸佛方便不可思議。為度眾生故。隨其所應現佛國異。唯然世尊。願賜少法還於彼土當念如來 |
その時、衆香世界の菩薩の来たれる者、合掌して仏に白して言さく、『世尊、我等は、初めてこの土を見て、下劣の想を生ぜり。今は、自ら悔責(げしゃく)して、この心を捨離す。所以は何となれば、諸仏の方便は不可思議なり。衆生を度せんが為の故に、その応ずる所(の衆生)に随いて、仏国の異なりを現したもう。唯(ゆい)、然り、世尊、願わくは少しく法を賜らんことを。彼の土に還りて、まさに如来を念ずべし。』と。 |
その時、衆香世界より来た菩薩たちが、合掌して仏にこう申し上げました、 『世尊、 私どもは初めてこの国を見たとき、何と不浄な国だとうと思いました。 今はそれを反省し自ら悔い呵責して、そう思ってはおりません。
諸仏の方便は想像することすらできません。 衆生を導くために、その地の 衆生に応じて、 仏国はさまざまに 異なっております。 どうか世尊。願わくは、 いま少しの法を賜らんことを。 かの国に還っての後にも、 如来のことを忘れないよすがと致したいと思います。』と。 |
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佛告諸菩薩。有盡無盡解脫法門。汝等當學 |
仏、諸の菩薩に告げたまわく、『尽無尽解脱の法門有り。汝等、まさに学ぶべし。 |
仏は、諸の菩薩に教えられました、 『尽無尽解脱法門(じんむじんげだつほうもん)というものが有る。 お前たちは、これを学んで帰ればよかろう。 |
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何謂為盡。謂有為法。何謂無盡。謂無為法。如菩薩者。不盡有為不住無為 |
何をか謂って尽(じん)となす、有為法を謂う。何をか謂って無尽(むじん)となす、無為法を謂う。菩薩の如きは、有為を尽くさずして、無為にも住せず。 |
尽(じん)とは何をいうか、有為法(ういほう、世界)をいう。 無尽(むじん)とは何をいうか、無為法(むいほう、涅槃)をいう。 菩薩は、 有為を尽くして 無為に住してはならない。 |
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何謂不盡有為。謂不離大慈不捨大悲 |
何をか謂って有為を尽くさずとなす、謂わく、大慈を離れず大悲を捨てず、 |
有為を尽くさないとは。 大慈を離れず 大悲を捨てないことをいう。 |
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深發一切智心而不忽忘 |
深く一切智(を得ん)の心を発して、忽(ゆるがせ)にして忘れず、 |
仏になろうとの心を 深く発し、少しも 忘れない。 |
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教化眾生終不厭惓 |
衆生を教化して、ついに厭惓(えんけん、アクコト)せず、 |
衆生を導いて、 終生 厭きることがない。 |
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於四攝法常念順行 |
四摂法(ししょうほう、布施、愛語、利行、同事)に於いて、常に念じ、順じて行じ、 |
常に 布施(ふせ、与えること)と、 愛語(あいご、優しい言葉をかけること)と、 利行(りぎょう、人の為になること)と、 同事(どうじ、他と苦楽を共にすること)とを心がけて、 逆らわずに行う。 |
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護持正法不惜軀命 |
正法を護持して、躯命を惜しまず、 |
正法(大乗、衆生を救うこと)を護持して、 身心を惜しまない。 |
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種諸善根無有疲厭 |
諸の善根を種えて、疲厭有ること無く、 |
善い行いをして、 疲れ厭きることがない。 |
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志常安住方便迴向 |
志、常に安住して、方便して廻向し、 |
志は決して変わらず、 手立てを尽くして衆生を救うことに 少しでも役立てる。 |
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求法不懈說法無吝 |
法を求むるに懈(おこた)らず、法を説くに吝(おし)まず、 |
常に正法を求め、 怠らずに 法を説いて 惜しまない。 |
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勤供諸佛故。入生死而無所畏 |
勤めて諸仏を供(養)するが故に、生死に入りて畏るる所無く、 |
諸仏を供養する為ならば、 生死を繰り返しても 畏れない。 |
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於諸榮辱心無憂喜 |
諸の栄辱(えいにく、栄光と屈辱)に於いて、心に憂喜無く、 |
諸の栄光と屈辱に遭っても、心は 憂うることも 喜ぶこともない。 |
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不輕未學敬學如佛 |
未学を軽んぜず、学(学びつつある者)を敬うこと仏の如くし、 |
未だ学ばない者を軽んぜず、 学びつつある者は 仏を敬うように敬う。 |
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墮煩惱者令發正念。於遠離樂不以為貴 |
煩悩に堕する者には、正念を発さしめ、楽を遠離することに於いては、以って貴しと為さず、 |
煩悩に取り著かれた者には 正気を取り戻させる、しかし 快楽を遠ざけることは目的ではない。 |
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不著己樂慶於彼樂 |
己が楽に著せずして、彼の楽に於いて慶び、 |
自らは快楽に在ることに執著せず、 他が快楽に在ればそれを喜ぶ。 |
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在諸禪定如地獄想 |
諸の禅定に在りても、地獄の如く想い、 |
諸の禅定(座禅)あっても、 地獄にいるのと同じように想う。 |
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於生死中如園觀想 |
生死の中に於いても、園観(おんかん、園林楼観)の如く想い、 |
生死を繰り返し、 何所に生まれようとそこを 園林樓観のように想う。 |
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見來求者為善師想 |
来たり(施しを)求むる者を見ては、これ善き師なりと想い、 |
来て施しを求める者は、 これを善い師であると想う。 |
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捨諸所有具一切智想 |
諸の所有を捨てて、一切智を具せんと想い、 |
所有するあらゆる物事を捨てて、 仏に成ろうと想う。 |
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見毀戒人起救護想 |
毀戒の人を見ては、救護の想を起こし、 |
戒を犯している人を見れば、 救護しようと想う。 |
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諸波羅蜜為父母想 |
諸の波羅蜜(はらみつ、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の諸波羅蜜)は、これ父母なりと想い、 |
布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜は、 これを父母よりも大切なものと想う。 |
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道品之法為眷屬想 |
道品(どうほん、三十七道品、菩薩の修行項目)は、これ眷属なりと想い、 |
菩薩の修行項目である三十七道品(さんじゅうしちどうほん)は、 これを自らの使用人であると想う。 |
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發行善根無有齊限 |
善根を発し行ずることは、際限有ること無く、 |
善い行いは 際限なく行う。 |
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以諸淨國嚴飾之事成己佛土 |
諸の浄国(浄土)の厳飾(ごんじき、荘厳)の事を以って、己が仏土を成じ(諸仏国を善き手本として我が仏土を建立し)、 |
諸の仏国を善い手本として、 自らの浄土を建立する。 |
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行無限施具足相好 |
無限の施を行じて、相好(そうごう、三十二相八十種好)を具足し、 |
無限に施しを行って、 仏の相好(仏の形状と容貌)を手に入れる。 |
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除一切惡淨身口意 |
一切の悪を除いて、身口意を浄め、 |
一切の悪い行いをせずに、 身と口と意(心)とを浄める。 |
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生死無數劫意而有勇 |
生死は無数劫におよべど、意(い、意欲)には勇(ゆう、勇猛)有り、 |
生死を繰り返すこと 無数劫に及んでも、 勇猛であり怯まない。 |
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聞佛無量德志而不倦 |
仏の無量の徳を聞けども、志は倦(う)まず |
仏の無量の力を聞いても、 志がなえることがない。 |
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以智慧劍破煩惱賊 |
智慧の剣を以って煩悩の賊を破り、 |
智慧の剣で、 煩悩の賊を破る。 |
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出陰界入。荷負眾生永使解脫 |
陰界入(おんかいにゅう、生死世界)を出づれども、衆生を荷負して、永く(永遠に)解脱せしめ、 |
生死の世界を出でても、再度 この世界に還って、 衆生を背負い、 苦しみから解脱させることを 止めない。 |
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以大精進摧伏魔軍 |
大精進を以って、魔の軍を摧伏し、 |
決して怠けない心は、 魔の大軍を蹴散らかす。 |
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常求無念實相智慧 |
常に無念(無妄想)と実相と智慧を求め、 |
常に妄想せず、 実相とそれを知る智慧とを求める。 |
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行於世間法少欲知足 |
世間の法に於いて、少欲知足を行じ、 |
世間の物事については、 少欲知足である。 |
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於出世間求之無厭。而不捨世間法 |
出世間に於いては、これ(出世間)を求めて厭くこと無く、しかも世間の法を捨てず、 |
仏となることは、常に求めて厭きることなく、しかも 世間の物事も決して捨てることはない。 |
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不壞威儀法而能隨俗 |
威儀の法を壊(やぶ)らずして、よく俗に随い、 |
戒律を少しも破らず、しかも 俗世間に在ることもできる。 |
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起神通慧引導眾生 |
神通の慧を起こして、衆生を引導し、 |
神通力と智慧でもって、 衆生を導く。 |
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得念總持所聞不忘 |
念の総持を得て、所聞を忘れず、 |
完全な記憶力で、 聞いたことを忘れない。 |
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善別諸根斷眾生疑 |
よく(衆生の)諸根(性格)を別(べつ、分別)して、衆生の疑いを断じ、 |
衆生の 性格をわきまえて、 その疑いを解く。 |
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以樂說辯演法無礙 |
楽説(ぎょうせつ)の辯を以って、法を演(えん、演説)ずること無礙に、 |
弁舌爽やかに 楽しく法を説けば、皆 よく分かって滞りなし。 |
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淨十善道受天人福 |
十善道(不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見)を浄めて、天人の福を受け、 |
常に 不殺生(殺さない)、 不偸盗(盗まない)、 不邪婬(邪婬をしない)、 不妄語(嘘をつかない)、 不綺語(無意味の語を言わない)、 不悪口(悪口を言わない)、 不両舌(人に応じて言うことを変えない)、 不慳貪(物惜しみしない)、 不瞋恚(瞋らない)、 不邪見(正法を疑わない)を行い、 天人として生まれる。 |
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修四無量開梵天道 |
四無量(無量の慈悲喜捨)を修めて、梵天の道を開き、 |
慈(楽を与える)、 悲(苦を抜く)、 喜(他の楽を喜ぶ)、 捨(自他の平等)、 これらを無量に修めて、 梵天に生まれる。 |
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勸請說法隨喜讚善 |
説法を勧請して、隨喜して善を讃え、 |
梵天となって、仏に 説法を勧請(かんじょう、願う)して、 喜んで善行を讃える。 |
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得佛音聲身口意善。得佛威儀 |
仏の音声、身口意の善を得て、仏の威儀を得、 |
仏の音声と、 仏の身口意の善い行いと、 仏の威儀(いぎ、行住坐臥)とを得る。 |
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深修善法所行轉勝。 |
深く善法を修して、所行は転(うた)た勝り、 |
善法(六波羅蜜、十善、四無量等)を深く修めて、 修めるごとに益々勝れる。 |
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以大乗教成菩薩僧。 |
大乗の教えを以って、菩薩僧と成り、 |
大乗の教えを携えて、 菩薩僧となり人に勧める。 |
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心無放逸不失眾善。行如此法。是名菩薩不盡有為 |
心に放逸無くして、衆善を失わず。かくの如き法を行ずる、これを菩薩、有為を尽くさずと名づく。 |
心は常に 善法のことのみを考える。 このように法を行うことを、菩薩が有為を尽くさないと言う。 |
菩薩、無為に住せず
何謂菩薩不住無為。謂修學空不以空為證 |
何をか謂って、菩薩は無為に住せずとなす。謂わく、空を修学すれども空を以って証(証悟)と為さず、 |
では菩薩が無為に住しないとは何であろうか。 空を学び修めてはいるが、しかも 空を目的とはしない。 |
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修學無相無作。不以無相無作為證 |
無相(むそう、我が身心無し)無作(むさ、我が為すこと無し)を修学すれども、無相無作を以って証と為さず、 |
無相(我が身心は無いとすること)と、 無作(むさ、我は他に因縁せずまた因縁されないとすること)とを 学び修めてはいるが、しかも 無相も無作もそれは目的ではない。 |
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修學無起不以無起為證 |
無起(むき、無生)を修学すれども、無起を以って証と為さず、 |
再び生まれないために 学び修めてはいるが、 それは目的ではない。 |
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觀於無常而不厭善本 |
無常を観(観察)ずれども、善本(善い行い)を厭わず、 |
一切の物事は 無常であると観察しているが、 善い行いは厭わない。 |
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觀世間苦而不惡生死 |
世間の苦を観ずれども、生死を悪(にく)まず、 |
世間は 苦しみであると観察しても、 生死を悪(にく)むことはない。 |
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觀於無我而誨人不倦 |
無我を観ずれども、人に誨(おし)えて倦(う)まず、 |
我というものは 無いと観察しながら、 人に正法を教えて倦(う)むことがない。 |
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觀於寂滅而不永滅 |
寂滅を観ずれども、永く(永遠に)滅せず、 |
何も無く静かな境界について観察しながら、 自ら永遠に何も無く静かな境界に入ろうとはしない。 |
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觀於遠離而身心修善 |
遠離(おんり、空にして一切の繫縛事を離るること)を観ずれども、身心に善を修し、 |
煩悩の繫縛から遠ざかり離れることを観察しながら、 身心は常に善行を修める。 |
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觀無所歸而歸趣善法 |
帰(き、帰依、帰著)する所無しと観ずれども、善法に帰趣し、 |
結局帰り着く所は 何も無いと観察しながら、それでも 六波羅蜜、四摂法、十善業等の善法に 帰り着く。 |
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觀於無生而以生法荷負一切 |
無生を観ずれども、生法(しょうほう、人、衆生、我)を以って一切を荷負し、 |
生まれないということを観察しながら、やはり 衆生として生まれて 一切の衆生を背負う。 |
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觀於無漏而不斷諸漏 |
無漏を観ずれども、諸漏を断たず、 |
煩悩が一切 残っていないということを観察しながら、敢えて 煩悩を断ち尽くそうとはしない。 |
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觀無所行而以行法教化眾生 |
行ずる所無しと観ずれども、行法(ぎょうほう、修行の法)を以って衆生を教化し、 |
行うものは 何も無いと観察しながら、 修行の法で以って 衆生を教え導く。 |
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觀於空無而不捨大悲。 |
空無(くうむ、一切の事物は個々の自性無し)を観ずれども、大悲を捨てず、 |
一切の事物は 個々の自性が無いと観察しながら、 大悲を捨てない。 |
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觀正法位而不隨小乘。 |
正法位(しょうぼうい、無為を観じて証を取る位)を観ずれども、小乗に随わず、 |
無為を観察して 覚りながら、 小乗に随わない。 |
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觀諸法虛妄無牢無人無主無相。本願未滿而不虛福德禪定智慧。修如此法。是名菩薩不住無為 |
諸法は虚妄(こもう、一切の事物は個々の自性無し)にして、牢(ろう、世間、迷惑の境界)無く、人(にん、六道中の一)無く、主(しゅ、我、ワレ)無く、相(そう、我が身心)無しと観ずれども、本願未だ満たざれば、福徳(衆生済度の方便力)と禅定智慧(衆生済度の智慧力)とを虚(むな)しうせず。かくの如き法を修す、これを菩薩は無為に住せずと名づく。 |
あらゆる物事は虚妄であり、 迷いの境界の牢獄無く、 人無く、我が自主無く、我が身心無しと観察しながら、 悲願が未だ満されていなければ、 衆生済度の方便力と 衆生済度の智慧力とを 虚しくしない。 このようにする時、菩薩が無為に住しないと言う。 |
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又具福德故不住無為。具智慧故不盡有為 |
また、福徳を具せんが(為の)故に、無為に住せず、 智慧を具せんが故に、有為を尽くさず、 |
また 自らの為に 無為に住すことはない。 智慧を備える為の故に、 有為を尽くさない。 |
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大慈悲故不住無為。滿本願故不盡有為 |
大慈悲の故に、無為に住せず、 本願を満たさんが故に、有為を尽くさず、 |
大慈悲の為の故に、 無為に住しない。 本願(菩薩の悲願、一切の衆生を救うこと)を満す為の故に、 有為を尽くさない。 |
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集法藥故不住無為。隨授藥故不盡有為 |
法薬を集めんが故に、無為に住せず、 随うて薬を授くるが故に、有為を尽くさず、 |
法の薬を集める為の故に、 無為に住しない。 その場その場で薬を授ける為の故に、 有為を尽くさない。 |
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知眾生病故不住無為。滅眾生病故不盡有為 |
衆生の病を知るが故に、無為に住せず、 衆生の病を滅せんが故に、有為を尽くさず、 |
衆生の病を知るが為の故に、 無為に住しない。 衆生の病を滅する為の故に、 有為を尽くさない。 |
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諸正士菩薩以修此法。不盡有為不住無為。是名盡無盡解脫法門。汝等當學 |
諸の正士菩薩は、この法を修するを以って、有為を尽くさず無為に住せざるなり。これを尽無尽解脱の法門と名づく。汝等は、まさに学ぶべし。』と。 |
諸の菩薩たちは、 このような法を修めて、 有為を尽くさず、 無為に住しない。 これを尽無尽解脱法門と言う。 お前たちも、これを学ぶがよかろう。』と。 |
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爾時彼諸菩薩聞說是法皆大歡喜。以眾妙華若干種色若干種香。散遍三千大千世界。供養於佛及此經法并諸菩薩已。稽首佛足歎未曾有言。釋迦牟尼佛。乃能於此善行方便。言已忽然不現還到彼國 |
その時、彼の諸の菩薩、この法を説きたもうを聞き、皆大いに歓喜し、衆の妙華の若干種の色あり、若干種の香あるを以って、遍(あまね)く三千大千世界に散(ま)き、仏およびこの経と、ならびに諸の菩薩とを供養しおわりて、仏の足を稽首(けいしゅ)して、未曽有なりと歎じて言わく、『釈迦牟尼仏は、すなわちこの善行方便(ぜんぎょうほうべん、善巧方便、巧みなる方便)を能(よ)くしたもう。』と。言いおわりて忽然(こつねん、突然、ふッと)として現れず、還りて彼の国に到る。 |
その時、かの国の諸の菩薩たちは、 この説法を聞いて、皆、大いに歓喜し、 多くの妙なる華のいく千色、 いく千種の香あるものを、 三千大千世界の隅々にまで撒き散らし、 仏とこの経と、並びに諸の菩薩たちを 供養しました。 そして仏の足に頭を著けて礼をし、未曽有のことであると感心しながら、 『釈迦牟尼仏は、実に巧みに方便をしていられる。』と、こう言いおわると、 突然 その姿が消えて、 かの国に還ってしまわれました。 |
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