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巻上之第二
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弟子品第三 |
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弟子品第三
弟子品第三 |
弟子品第三(でしぼんだいさん) |
世尊、諸の大弟子に維摩詰の疾を問えと命じたまうに、皆これに堪えずと辞す。 |
舍利弗
爾時長者維摩詰自念。寢疾于床。世尊大慈寧不垂愍 |
その時、長者維摩詰(ゆいまきつ)自ら念(おも)えらく、『疾(やまい)に床に寝(い)ぬ。世尊、大慈にて、なんぞ愍(あわれ)みを垂れたまわざらんや。』 |
その時、長者維摩詰は、 『こうして疾の床に就いているのに、世尊は、なぜ哀れんで見舞いの者を、お遣わし下さらないのだろう。』と考えていました。 |
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佛知其意。即告舍利弗。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、その意を知り、すなわち舍利弗に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣(いた)りて、疾を問え。』 |
仏は維摩詰の意(こころ)を知り、直ちに舍利弗に仰(おっしゃ)います、 『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』
舍利弗(しゃりほつ):仏の十大弟子の中の智慧第一。 |
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舍利弗白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔曾於林中宴坐樹下 |
舍利弗、仏に白(もう)して言(もう)さく、『世尊、我は彼れに詣りて、疾を問うに堪任(たんにん、耐える)せず。所以(ゆえ、理由)は何(いか)んとなれば、憶念(おくねん、思い出す)するに、我、かつて林中に於いて、樹下に宴坐(えんざ、座禅)しき。 |
舍利弗は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思い出します。 私は、かつて林の中で樹下に坐り、座禅をしておりました。 |
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時維摩詰來謂我言。唯舍利弗。不必是坐為宴坐也 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂(い)って言わく、『唯(ゆい、モシ)、舍利弗、必ずしも、これ坐するを宴坐(えんざ、座禅)と為さず。 |
そこへ維摩詰が通りかかり、こう話かけました、 『のう、舍利弗、必ずしも坐ることのみが座禅ではありませんよ。 |
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夫宴坐者。不於三界現身意。是為宴坐 |
それ宴坐とは、三界(さんがい、欲界、色界、無色界、すなわち世間)に於いて、身と意とを現ぜざる、これを宴坐と為す。 |
座禅というものは、 俗世間の中に在って、 身と意(こころ)とを現さないことなのです。 |
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不起滅定而現諸威儀。是為宴坐 |
起(た、起動)たず滅定(めつじょう、心の働きを滅し尽くす)して、しかも諸の威儀(いぎ、行住坐臥)を現ずる、これを宴坐と為す。 |
何もせず、 心の働きを止め、 しかも 諸の俗世間の行いをするのです。これが座禅です。
滅定(めつじょう):滅尽定(めつじんじょう)、心と心所(しんじょ、心の働き)をすべて滅し尽くした定。 |
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不捨道法而現凡夫事。是為宴坐 |
道法(どうほう、仏となる為の修行)を捨てずして、しかも凡夫(ぼんぶ、俗人)の事(俗事)を現ずる、これを宴坐と為す。 |
修行を捨てず、 俗事をする。これが座禅です。 |
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心不住內亦不在外。是為宴坐 |
心、内に住せず、また外に在らざる、これを宴坐と為す(聖者は心を内に摂(おさ)め、凡夫は心を外に馳す、菩薩は心を内外に等しくす)。 |
心は、 自らに向くのでも、 外に向くのでもありません。これが座禅です。 |
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於諸見不動而修行三十七品。是為宴坐 |
諸見(しょけん、断常の二見を本として起こる六十二種の妄見)に於いて動ぜず(諸見を捨てず)して、しかも三十七品(三十七道品、仏となる為の修行)を修行する、これを宴坐と為す。 |
世間の 種々の見方、 考え方を知りながら、 仏道を修行する。これが座禅です。 |
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不斷煩惱而入涅槃。是為宴坐 |
煩悩を断ぜずして、しかも涅槃(寂滅)に入る、これを宴坐と為す。 |
煩悩は起こるにまかせ、しかも 心が平静である。これが座禅です(菩薩は煩悩のままに衆生を導き迷いなし)。 |
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若能如是坐者。佛所印可 |
もし、よく、かくの如く坐する者は、仏の印可(いんか、認可)したもう所なり』と。 |
もしこのように座禅ができたならば、仏もお喜びになるでしょうな。』と。 |
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時我世尊。聞說是語默然而止不能加報。故我不任詣彼問疾 |
時に、世尊、この語を聞いて黙然として止め、報(ほう、返事)を加うること能(あた)わざりき。故に、我、彼れに詣りて疾を問うに任(た)えず』と。 |
その時、私は、世尊、そう語るのを聞いて、黙って動くことさえできませんでした、一言も発することなく。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
大目揵連
佛告大目犍連。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、大目揵連(だいもくけんれん)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え。』 |
仏は、大目揵連(だいもっけんれん)に仰います、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
大目揵連(だいもっけんれん):目連(もくれん)、仏の十大弟子の中の神通第一。かつて提婆達多(だいばだった)が、新来の弟子五百人を引き連れて教団を分割しようとした時、目連は舍利弗と共にそれら五百人の説得に当たり復帰させることに成功した。 |
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目連白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔入毘耶離大城。於里巷中為諸居士說法 |
目連(もくれん、大目揵連)、仏に白して言さく、『世尊、我は、彼れに詣りて、疾を問うに堪任せず。所以は何んとなれば、憶念するに、我、昔毘耶離大城(びやりだいじょう)に入り、里巷(りこう、小曲の路)の中に於いて、諸の居士(こじ、資産家の信者)の為に法を説きき。 |
目連は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 私は、昔毘耶離大城に入り、家々を廻りながら、 諸の居士(こじ、資産家の信者)に法を説いていました。 |
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時維摩詰來謂我言。唯大目連。為白衣居士說法。不當如仁者所說 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂って言わく、『唯、大目連、白衣(びゃくえ、俗人)の居士が為に法を説くこと、まさに仁者(にんじゃ、アナタ)の説く所の如くにはすべからず。 |
そこへ維摩詰が通りかかり、こう話かけました、 『のう、大目連、俗人の居士の為に法を説く時には、あなたがなさっているようになさるものではありません。 |
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夫說法者當如法說。法無眾生離眾生垢故 |
それ法(真実)を説くとは、まさに如法(にょほう、法のまま)に説くべし。 法には衆生なし、衆生の垢(あか、五陰を本として起こる身見)を離るるが故に。 |
法(事物)を説くということは、 法の有るがままを説かなくてはならないのです。 法として 衆生を説いてはなりません。(法は) 衆生という考えから、かけ離れたものです。
如法(にょほう):理に契(かな)うこと。 衆生垢(しゅじょうく):我(が、ワレ)と我所(がしょ、ワガモノすなわち身心)が存在すると思うこと。 以下、目連は説法に関して大変な難題を押し付けられます。真実を説くときには一切の五感に係わる事物から離れて説けと言われるのです。 |
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法無有我離我垢故 |
法には我あること無し、我垢(がく、我見)を離るるが故に。 |
法として 我(が、ワレ)有りと説いてはなりません。(法は) 我見(我有りとする見解)から離れています。 |
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法無壽命離生死故 |
法には寿命なし、生死を離るるが故に。 |
法として 寿命を説いてはなりません。(法は) 生死を離れたものなのです。 |
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法無有人前後際斷故 |
法には人あること無し、前後際(ぜんごさい、前世と来世)断(断絶)ずるが故に。 |
法として 人が有ると説いてはなりません。(法が常住であるに反し人には) 前世も後世も無いのですから。 |
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法常寂然滅諸相故 |
法は常に寂然(じゃくねん、寂静にしてナミタタズ)たり、諸相(物事の外に表れたるスガタ)を滅するが故に。 |
法とは常に 平静で波立ちません。 諸の外面に表れた見かけから、 かけ離れたものなのです。 |
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法離於相無所緣故 |
法は相(スガタ)を離る、所縁(しょえん、心識の対象)なきが故に。 |
法は 五感では推し量れません。 心では識別できないのです。
所縁(しょえん):心識を能縁(のうえん)といい、心識の対象を所縁という。 |
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法無名字言語斷故 |
法には名字(みょうじ、名前)なし、言語(ごんご、言葉)断ずるが故に。 |
法には 名前を付けられません。 言葉では説明できないのです。 |
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法無有說離覺觀故 |
法には説(説明)あること無し、覚観(かくかん、心の働き)を離るるが故に。 |
法は 説明できません。 心で感覚、観察ができないものなのです。
覚観(かくかん):覚は感覚、心の粗雑な働き、観は観察、心の繊細な働き。 |
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法無形相如虛空故 |
法には形相なし、虚空の如きが故に。 |
法には 形相がありません。 虚空のようなものなのです。 |
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法無戲論畢竟空故 |
法には戯論(けろん、一切の言論)なし、畢竟(ひっきょう、ツマルトコロ)空なるが故に。 |
法には 言論は必要ありません。つまる所、 空なのです。
戯論(けろん):論理にあわない言論。また一切の言論のこと。 |
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法無我所離我所故 |
法には我所(がしょ、ワガモノまた身心)なし、我所を離るるが故に。 |
法には 身体も心もありません。 それらを離れているのです。 |
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法無分別離諸識故 |
法には分別(ふんべつ)なし、諸の識(しき、認識)を離るるが故に。 |
法は分別できません。心で識別できないのです。 |
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法無有比無相待故 |
法には比(たぐい、類)あること無し、相待(そうたい、相対)なきが故に。 |
法は 類を持ちません。 相対的な存在ではないのです。 |
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法不屬因不在緣故 |
法は因に属せず、縁に在らざるが故に。(他に対し因縁せず、因縁の対象ともならない) |
法は 原因とはなりません。 他から縁じられることがないのです。 |
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法同法性入諸法故 |
法は法性(ほっしょう、諸法の本性)に同じ、諸法(しょほう、一切の物事)に入るが故に。(法は万物に周遍せざること無し、何処ニモアル) |
法は あらゆる物事の本性と同じです。 あらゆる物事の隅々にまで入り込んでいるのです。 |
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法隨於如無所隨故 |
法は如(にょ、真如、すなわち真実にして不変)に随う、随う所なきが故に。(万物に周遍するが故に、特に或る物に随うこと無し) |
法は 真如(しんにょ、不変の原理)に随います。 あらゆる物事に随うことがないからです。 |
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法住實際諸邊不動故 |
法は実際(じっさい、真如)に住す、諸辺(有無の二見より起こる所の中正ならざる辺見)に動ぜざるが故なり。 |
法は 真如そのものです。 如何なる見解にも動きません。 |
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法無動搖不依六塵故 |
法は動揺なし、六塵(ろくじん、色声香味触法)に依らざるが故に。 |
法は 動揺しません。 色声香味触法(心から見た外境)により作られていないからです。 |
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法無去來常不住故 |
法には去来(こらい、生滅)なし、常に不住(ふじゅう、非諸法)なるが故に。 |
法は 生滅いたしません。常に 物事として存在することがないからです。 |
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法順空隨無相應無作 |
法は空に順(した)がい、無相に随い、無作(むさ、因縁の造作なし)に応ず。(本性は空であり、知覚できる相なく、他に作用することもなし) |
法は、 本性が空であり、 知覚できる相はなく、 他に作用することもありません。 |
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法離好醜 |
法には好醜を離る。 |
法は 好醜がありません。 |
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法無增損 |
法には増損(増減)なし。 |
法は 増減することがありません。 |
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法無生滅 |
法には生滅なし。 |
法は 生滅しません。 |
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法無所歸 |
法には帰(帰依、タノム)する所なし。 |
法は 何かに依って 存在するものではありません。 |
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法過眼耳鼻舌身心 |
法は眼耳鼻舌身心(眼耳鼻舌身意)を過ぐ。 |
法は 眼耳鼻舌身意を過ぎたものです、 知覚できません。 |
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法無高下 |
法には高下(こうげ)なし。(平等なり) |
法は 平等です。 |
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法常住不動 |
法は常住にして不動なり。 |
法は 常に存在し、 何処かに行ってしまうことはありません。 |
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法離一切觀行 |
法は一切の観(観察)行(行為)を離る。(法は本より無相にして観行する所なし) |
法は 観察されることも、 作用を受けることもありません。 |
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唯大目連。法相如是豈可說乎。夫說法者無說無示。其聽法者無聞無得。譬如幻士為幻人說法。當建是意而為說法 |
唯(ゆい)、大目連、法の相はかくの如し、あに説くべけんや。 それ、法を説くとは、説くこと無く、示すこと無し。それ、法を聴くとは、聞くこと無く、得ること無し。譬えば、幻士(幻術師)の幻人の為に法を説くが如し。まさに、この意を建てて、しかも為に法を説くべし。 |
のう大目連、法はこのようなものです。何うして説くことができましょう。 法を説くということは、説明するのでも、指し示すことでもありません。 法を聴くということも、聞いても理解することはできないのです。 譬えば、幻術師が、幻の人の為に法を説くのと同じです。 まさにこのような心構えで、衆生の為に法を説いてください。 |
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當了眾生根有利鈍。善於知見無所罣礙。以大悲心讚于大乘。念報佛恩不斷三寶。然後說法 |
まさに、衆生の根(こん、本性)に利鈍あることを了(了知)して、よく知見(ちけん、見聞覚知)に於いて、罣礙(けげ、サマタグ)する所なく、大悲心を以って大乗を讃じ、仏恩に報じて三宝(さんぽう、仏法僧)を断たしめざることを念じ、然る後に、法を説くべし。 |
まさに、衆生の 個々の性格をよく知り、 あるがままに観察し、 大悲心を以って大乗を称賛し、 仏の恩を感じて、 三宝(仏法僧)を断絶させないこと、それが大切です。 その気持ちで法を説いてください。』と。 |
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維摩詰說是法時。八百居士發阿耨多羅三藐三菩提心。我無此辯。是故不任詣彼問疾 |
維摩詰、この法を説くの時、八百の居士、阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。我に、この辯(弁舌)なし。この故に、彼れに詣りて、疾を問うに任(た)えず。 |
維摩詰が、この法を説く時、八百の居士が阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん、菩薩として生きる決心)を発しました。私にはこの弁舌はありません。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
大迦葉
佛告大迦葉。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、大迦葉(だいかしょう)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣り、疾を問え。』 |
仏は、大迦葉(だいかしょう)に仰いました、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
大迦葉(だいかしょう):仏の十大弟子の中の頭陀第一。頭陀(づだ)とは乞食行を初めとする少欲知足の生活をすること。 |
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迦葉白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔於貧里而行乞 |
迦葉、仏に白して言さく、『世尊、我は、彼れに詣りて、疾を問うに、堪任せず。所以は何んとなれば、憶念するに、我、昔、貧里に於いて行乞(ぎょうこつ)しき。 |
迦葉は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 私は、昔貧しい里で、歩きながら乞食をしていました。 |
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時維摩詰來謂我言。唯大迦葉。有慈悲心而不能普。捨豪富從貧乞 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂って言わく、『唯(ゆい)、大迦葉、慈悲心あれども、普(あまね)きこと能わず。豪富なるを捨て、貧より乞う。 |
そこへ維摩詰が通りかかり、こう話かけました、 『のう、大迦葉、慈悲心は持っていなさるようですが、それを普く行き渡らすことは、おできにならないようで、裕福な家を避けて、貧乏な家ばかりから乞うていなさる。
豪富なるを捨て、貧より乞う:貧乏人に善業を積ませ、福報を得させる為。 |
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迦葉。住平等法應次行乞食 |
迦葉、平等法に住し、まさに次(つぎ、次第、順に)に行きて、食を乞うべし。 |
迦葉、 平等にしなければなりません。 次第に順じて、乞食してください。 |
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為不食故應行乞食 |
食せざらんが為の故に、まさに行きて食を乞うべし。(涅槃の為に食す) |
(涅槃に入り) 食べなくても済むように、 歩きながら食を乞うのです。 |
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為壞和合相故應取揣食 |
和合相(わごうそう、五陰の和合せる身心)を壊(え、破壊)せんが為の故に、まさに揣食(たんじき、摶食(たんじき)、手にて丸めたる飯)を取るべし。(涅槃の為に食すべし) |
五陰(ごおん、色受想行識)の和合した、 この身心に変えて、 法身を得るために、 揣食(たんじき)をもらい食べるのです。
揣食(たんじき):印度の風習に、飯は右手の指先を使い、丸めて食う。 |
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為不受故應受彼食 |
受けざらん(身心を受けず、涅槃)が為の故に、まさに彼の食を受くべし。 |
生まれて(五陰が和合した)身心を受けないために、 他人の食を受けるのです。 |
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以空聚想入於聚落。所見色與盲等。所聞聲與響等。所嗅香與風等 |
空聚(くうじゅ、無人村)の想を以って、聚落に入り、見る所の色(しき、物の好醜)は盲(盲人の見る所)と等しく、聞く所の声(誹謗賞賛の人声)は響きと等しく、嗅ぐ所の香(香臭)は風と等しく、 |
無人の聚落(じゅらく、村)と同じ気持ちで聚落に入り、 物を見るときは盲人が見るように見、 声を聞くときはコダマを聞くのと同じように聞き、 香を嗅ぐときは風の香と同じように嗅ぐのです。 |
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所食味不分別 |
食する所の味は分別せず、 |
食べ物の味に 好き嫌いがあってはなりません。 |
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受諸觸如智證 |
諸触(しょそく、見聞きスルコト)を受けて智証の如く、 |
見聞きしても、 その真実の相を悟り、 愛憎を起してはなりません。
諸触(しょそく):眼等の六根が色等の六境に接すること。 智証(ちしょう):智慧で実相を証悟する。 |
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知諸法如幻相無自性無他性。本自不然今則無滅 |
諸法(しょほう、物事)は幻の相の如く、自性(じしょう、自を他と区別する性質)なく、他性(たしょう、他を自と区別する性質)なく、本より自ずから然らず、今則ち滅すること無しと知れ。(自他なければ生滅なし) |
あらゆる物事は、 幻のように見なくてはなりません、 自分でもなければ他人でもないと。 本より、そうではないのですから、 直ぐに生滅などないことが分かります。
今則ち滅すること無しと知れ:迦葉等の阿羅漢の最終目的は生滅を離れることにある。 |
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迦葉。若能不捨八邪入八解脫 |
迦葉、もし、よく八邪(はちじゃ、八正道に反する行為)を捨てずして、八解脱(はちげだつ、物事に対する執著から脱す)に入り、 |
迦葉、もし、邪見、邪思惟、邪語、邪業、邪命、邪方便、邪念、邪定のままで解脱でき、
八邪(はちじゃ):八正道に反すること。 (1)邪見(じゃけん):邪なる見解、 (2)邪思惟(じゃしゆい):邪なる思惟、 (3)邪語(じゃご):邪なる言葉、 (4)邪業(じゃごう):邪なる行為、 (5)邪命(じゃみょう):邪なる生活、 (6)邪方便(じゃほうべん):邪なる方便をなして涅槃に至ろうとする、 (7)邪念(じゃねん):邪なる思い、 (8)邪定(じゃじょう):邪なる禅定、畢竟涅槃に至らない。(維摩1) 八解脱(はちげだつ)、八種の定力により貪著の心を捨てるための八段階。 (1)色や形に対する想い(色想)が内心にあることを除くために、不淨観を修める。 (2)内心の色想が無くなっても、なお不浄観を修める。 (3)前の不淨観を捨て、外境の清らかな面を観じ、貪著の心を起こさないようにする。 (4)物質的な想いをすべて滅して、空無辺処定に入る。 (5)空無辺の心を捨てて、識無辺処定に入る。 (6)識無辺の心を捨てて、無所有処定に入る。 (7)無所有の心を捨てて、非想非非想処定に入る。 (8)受想などを捨てて、滅尽定(めつじんじょう)に入る。 滅尽定(めつじんじょう):心と心所(しんじょ、心の働き)をすべて滅する。 |
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以邪相入正法 |
邪相(じゃそう、自他相等)を以って、正法に入り、 |
自他の相を見るがままにして、 正法(大乗、自他を区別せずに他を救う)に入り、 |
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以一食施一切。供養諸佛及眾賢聖。然後可食 |
一食を以って一切に施し、諸仏および衆(もろもろ)の賢聖(けんじょう、菩薩等)を供養して、しかる後に食うべし。(一即一切、一切即一) |
一食は 一切の衆生を救うと思って施し、 諸仏および衆の賢聖(けんじょう、菩薩等)を供養して、 その後に食わなくてはなりません。 |
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如是食者非有煩惱非離煩惱 |
かくの如く食う者、煩悩あるに非ず、煩悩を離るるに非ず、 |
このようにして食う者は、 煩悩はあるのでも、 ないのでもありません(大乗の観点からすれば、自己の煩悩の有る無しは問題ではない)。 |
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非入定意非起定意 |
定意(じょうい、禅定)に入るに非ず、定意を起つに非ず、 |
禅定に入るのでも、 禅定を起つのでもありません(心の平静も問題にならず)。 |
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非住世間非住涅槃 |
世間に住するに非ず、涅槃に住するに非ず、 |
世間に住するのでも、 涅槃に住するのでもありません(自身および世界が、何うであるかも問題にならず)。 |
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其有施者無大福無小福。不為益不為損 |
それ施すことある者にも、大福なく、小福なく、益を為さず、損を為さず、 |
施す人について言ってみれば、 大福も小福もありません。 益も損もないのです(施人と受人と差別なし)。 |
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是為正入佛道不依聲聞 |
これ、まさしく、仏道に入りて、声聞(しょうもん、小乗の仏弟子)に依らずと為す。 |
これを仏道を行じて、 声聞道に依らずといいます(小乗の目的は身心の不生不滅にある)。 |
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迦葉。若如是食為不空食人之施也 |
迦葉、もし、かくの如く食せば、人の施しを食して空しからずと為すなり。 |
迦葉、このように食えば、 人の施しを無駄にせずに済むのです(それ以外は無駄にする)。』と。 |
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時我世尊。聞說是語得未曾有。即於一切菩薩深起敬心。復作是念。斯有家名辯才智慧乃能如是。其誰聞此不發阿耨多羅三藐三菩提心 |
時に、我、世尊、この語を説くを聞き、未曽有なることを得(う)。すなわち一切の菩薩に於いて深く敬心を起こし、またこの念を作さく、『この家名をもつもの(在家)の辯才、智慧は、すなわちよく、かくの如し。それ、誰か、これを聞きて、阿耨多羅三藐三菩提心を発さざらんや。』と。 |
この時、世尊、私はこの言葉を聞いて、今まで聞いたことのない説であると知りました。直ちに一切の菩薩に対して深く敬う気持ちが起こったのです。そしてこう思いました、 『この在家の人の弁才と智慧は、よくもこれだけの人がいるものだ。これを聞けば誰であろうと、阿耨多羅三藐三菩提心を発さずにはいられないだろう。』と。 |
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我從是來不復勸人以聲聞辟支佛行。是故不任詣彼問疾 |
我、これよりこのかた、また声聞(しょうもん、小乗の修行者)、辟支仏(びゃくしぶつ、小乗の修行者)の行を以って、人に勧めず。この故に、彼れに詣りて、疾を問うに任(た)えず。』と。 |
私は、それ以後二度と、声聞(しょうもん、仏の直弟子)辟支仏(びゃくしぶつ、独りで覚る者)の小乗の修行を、人に勧めたことはありません。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。
声聞(しょうもん):仏の声を聞く者。小乗の修行者で、教団に属す。 辟支仏(びゃくしぶつ):独り覚る者。小乗の修行者で、教団に属さない。 |
須菩提
佛告須菩提。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、須菩提(すぼだい)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣り、疾を問え。』 |
仏は、須菩提(すぼだい)に仰いました、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
須菩提(すぼだい):仏の十大弟子の中の解空第一。 |
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須菩提白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔入其舍從乞食 |
須菩提、仏に白して言さく、『世尊、我は、彼れに詣りて、疾を問うに堪任せず。所以は何んとなれば、憶念するに、我、昔、その舎(いえ)に入り、従って食を乞えり。 |
須菩提は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 私は、昔彼の家に入り、彼に食を乞いました。 |
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時維摩詰取我缽盛滿飯。謂我言。唯須菩提。若能於食等者諸法亦等。諸法等者於食亦等。如是行乞乃可取食 |
時に、維摩詰、我が鉢を取りて、飯を盛り満し、我に謂って言わく、『唯、須菩提、もし、よく食に於いて等しくば、諸法もまた等し。諸法等しくば、食に於いてもまた等し。かくの如く乞(こつ)を行ぜば、すなわち食を取るべし。 |
その時、維摩詰は、私の鉢に飯を山盛りにして、言いました、 『のう須菩提、 もし何の食も差別せず等しく思えるのならば、 あらゆる物事に対しても等しく思うだろう。 あらゆる物事を差別せず等しく思えるのならば、 何の食に対しても等しく思うだろう。 このような思いで食を乞うのならば、 この食をお取りなさい(あらゆる物事が空であれば、そこに差別なく平等である)。
須菩提は解空第一とはいえ、平等無差別の空理にまでは到達していない。 |
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若須菩提。不斷婬怒癡亦不與俱 |
もし、須菩提、婬怒癡(いんぬち、貪瞋癡)を断ぜずして、与倶(とも)ならず、 |
須菩提、 婬怒癡の煩悩を断ぜずに、 しかも、その 煩悩に従わない(声聞の目的は煩悩を断ずること)。 |
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不壞於身而隨一相 |
身を壊せずして、一相(いっそう、無相、無我)に随い、 |
この肉身はそのままで、 一相(無我、我彼の差別なし)に 随う(声聞の無我とは、身心が壊滅すること)。 |
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不滅癡愛起於明脫 |
癡愛を滅せずして、明脱(みょうだつ、慧明と解脱)を起こし、(癡の為に蔽われず、愛のために縛せられず) |
癡(無智)と愛(愛執)はそのままにして、 智慧(自他平等の智慧)と 解脱(愛執からの脱却)を 起こす(愛執は自他の平等を理解しないことから起こる)。 |
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以五逆相而得解脫 |
五逆(ごぎゃく、最悪事)の相を以って、解脱を得、 |
父母阿羅漢を殺し、 仏身より血を出させ、 和合僧を破戒するような人間のままで、 解脱を得る(五逆と言えども所詮は平等に対する無智を言う、自他の差別は無い)。
五逆(ごぎゃく):罪の最たるもので、軽いほうから順にいうと、 (1)父を殺害する、 (2)母を殺害する、 (3)阿羅漢(あらかん、聖僧)を殺す、 (4)仏身の血を流す、 (5)和合僧(わごうそう、教団)を破壊する。 |
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亦不解不縛 |
また、解にあらず、縛にあらず、 |
解脱もなければ、 煩悩に縛られることもない。 |
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不見四諦非不見諦 |
四諦(したい、真理)を見ずに、諦を見ざるに非ず、 |
四諦の真理を見なくとも、 真理を知らない訳ではない。
四諦(したい):四聖諦(ししょうたい)、正しい見解、 (1)苦諦(くたい):この世に生存するということは苦るしみである。(三界六趣の苦報)。 (2)集諦(じゅうたい):原因は貪り、怒りのような煩悩と、善悪に拘わらず行う行為から生ずる。 (3)滅諦(めつたい):、原因を断てば、苦しみはなくなる。(『無我』を体得すれば苦しみはなくなる。) (4)道諦(どうたい):原因を断つためには、八正道に依ればよい。 |
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非得果非不得果 |
果(か、覚りを得た聖者の位)を得るに非ず、果を得ざるに非ず、 |
阿羅漢を得るのが目的ではなくとも、 仏となること(理想の国土を作ること)は否定しない。 |
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非凡夫非離凡夫法 |
凡夫に非ず、凡夫の法(凡夫の行為)を離るるに非ず、 |
菩薩であるが、 俗世間に生活する。 |
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非聖人非不聖人 |
聖人(凡夫ならざる者)に非ず、聖人ならざるに非ず、 |
阿羅漢ではないが、 菩薩である。 |
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雖成就一切法而離諸法相。乃可取食 |
一切法(有為法と無為法)を成就すといえども、(有為法と無為法との)諸法の相を離れば、すなわち食を取るべし。 |
世間的な物事の見方も、 平等に即した見方もでき、 しかも、それを 区別しないようであれば、 この食をお取りください(平等は一切の区別を離る)。 |
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若須菩提。不見佛不聞法。彼外道六師。富蘭那迦葉。末伽梨拘賒梨子。刪闍夜毘羅胝子。阿耆多翅舍欽婆羅。迦羅鳩馱迦旃延。尼犍陀若提子等。是汝之師因其出家。彼師所墮汝亦隨墮。乃可取食 |
もし、須菩提、仏を見ず、法を聞かず、彼の外道の六師、富蘭那迦葉(ふらんなかしょう)、末伽梨拘賖梨子(まかりくしゃりし)、刪闍夜毘羅胝子(さんじゃやびらちし)、阿耆多翅舎欽婆羅(あぎたきしゃきんばら)、迦羅鳩駄迦旋延(からくだかせんねん)、尼犍陀若提子(にけんだにゃだいし)等、これ汝が師にして、それによりて出家し、彼の師の堕する所に、汝もまた随って堕せば、すなわち食を取るべし。 |
須菩提、 もし仏を見ず法を聞くこともなく、 富蘭那迦葉(ふらんなかしょう)、 末伽梨拘賖梨子(まかりくしゃりし)、 刪闍夜毘羅胝子(さんじゃやびらちし)、 阿耆多翅舎欽婆羅(あぎたきしゃきんばら)、 迦羅鳩駄迦旋延(からくだかせんねん)、 尼犍陀若提子(にけんだにゃだいし)等の六人の 外道に従って出家し、 彼等の堕ちる地獄にでも、 喜んで堕ちるようであれば、 この食をお取りください(正邪を以って区別するは平等に即さず、 また平等を知るは師に依らず、自ずからなる智慧に依って知る)。 |
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若須菩提。入諸邪見不到彼岸 |
もし、須菩提、諸の邪見に入りて、彼岸に到らず、 |
須菩提、諸の邪見を信じても、 無我安楽の境地に到ろうとしない。 |
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於八難不得無難 |
八難(はちなん、仏法の難聞の所)に於いて、難なきを得ず、 |
仏法を聞き難い、 地獄、餓鬼、畜生、 北鬱単越(ほくうったんおつ、四大洲の一、恵まれ過ぎ)、 長寿天、 聾盲瘖啞(ろうもうおんあ)、 世智辨聡、 仏前仏後の八難処に在っても、 あえて仏法を聞こうとしない。 |
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同於煩惱離清淨法 |
煩悩に同じくして、清浄の法を離る。 |
煩悩のままに、 持戒清浄の生活を離れる。 |
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汝得無諍三昧。一切眾生亦得是定。其施汝者不名福田 |
汝、無諍三昧(むじょうさんまい、空理に徹して他と諍わない禅定)を得、一切衆生もまたこの定を得、それ汝に施す者は福田と名づけず。 |
あなたが無諍三昧(むじょうさんまい、彼我の差別を離れること)を得、 一切の衆生もまたこの三昧を得ているならば、 あなたに施す者は、 福田(来世に福を刈り取る田)に種を蒔いたとは思わない(当然である)。 |
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供養汝者墮三惡道。為與眾魔共一手作諸勞侶。汝與眾魔及諸塵勞等無有異。於一切眾生而有怨心。謗諸佛毀於法不入眾數。終不得滅度 |
汝に供養する者は三悪道に堕し、為に衆魔と一手を共に、諸の労侶(ろうりょ、人を労煩(ろうはん、疲れさせ惑わすコト)する伴侶)となりて、汝と衆魔および諸の塵労(じんろう、汚し疲れさすモノ)等と異なりあること無く、一切衆生に於いて怨心あり、諸仏を謗り、法を毀(そし)り、衆(仏弟子)の数に入らずして、ついに滅度を得ず。 |
あなたに供養する者は、 地獄餓鬼畜生の三悪道に堕ち、 衆魔と共に手を携えて 人を疲れさせ惑わせる。 あたたは、 衆魔や諸の塵労(じんろう、人を汚し疲れさすもの)等と異なりなく、 一切の衆生を怨み、 諸仏と仏法を謗り、 仏弟子とならず、 決して涅槃に入らない(凡夫のままでいる)。 |
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汝若如是乃可取食 |
汝、もしかくの如くば、すなわち食を取るべし。 |
あなたが、 もしこのような人であれば、 どうかこの食をお取りください。』と。 |
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時我世尊。聞此語茫然不識是何言。不知以何答。便置缽欲出其舍 |
時に、我、世尊、この語を聞きて、茫然として、これ何の言かを識らず。何を以って答えんかを知らず。すなわち、鉢を置いて、その舎を出でんと欲す。 |
その時、世尊、私はこの言葉を聞いて、茫然としてしまい、この人が何を言っているのか理解できず、何と答えればよいか分かりません。そこで鉢を置いたまま、その家を出ようといたしますと、 |
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維摩詰言。唯須菩提取缽勿懼。於意云何。如來所作化人。若以是事詰。寧有懼不 |
維摩詰言わく、『唯、須菩提、鉢を提取(と)りて、懼(おそ)るることなかれ。意に於いて云何。如来の作る所の化人、もしこの事を以って詰(なじ)らんに、むしろ懼るること有りやいなや。』 |
維摩詰は言います、 『のう須菩提、鉢をお取りなさい、懼れることはありません。 しかし何う思いますか、 如来が化人を遣わして、 こう言わせたとしたら、 懼れたと思いますか何うですか。』 |
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我言。不也 |
我言わく、『いななり。』 |
私は 『いいえ、懼れません』と答えました。 |
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維摩詰言。一切諸法如幻化相。汝今不應有所懼也 |
維摩詰言わく、『一切の諸法は、幻化の相の如し。汝は今、まさに懼るる所あるべからず。 |
維摩詰は 『一切のあらゆる物事は、 幻か化(け、神通力により作り出された物)と同じです。あなたは、今 懼れることは何も無かったのですよ。 |
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所以者何。一切言說不離是相。至於智者不著文字故無所懼。何以故。文字性離無有文字。是則解脫。解脫相者則諸法也 |
所以は何んとなれば、一切の言説はこの相を離れず。智者に至りては、文字に著せざるが故に、懼るる所なし。何を以っての故に、文字の性は離(り、空相)なれば文字あること無し。 これ、すなわち解脱なり。解脱の相とは、すなわち諸法なり。 |
なぜかと申しますと、 一切の言葉は、言葉でしかないのです。 智慧のある人ならば、 文字にさえも囚われない為に、 懼れることはありません。 なぜか、 文字の本性は空ですから、 文字などというものは本々ないのです。 これが解脱(囚われないこと)です。 解脱とは、 あらゆる物事のそのままをいうのです。』と。 |
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維摩詰說是法時。二百天子得法眼淨。故我不任詣彼問疾 |
維摩詰、この法を説く時、二百の天子、法眼浄(ほうげんじょう、真如を見る眼)を得たり。故に我、彼れに詣りて、疾を問うに任えず。』と。 |
維摩詰がこの法を説く時、二百の天子が法眼浄(ほうげんじょう、真実を見る眼)を得ました。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
富楼那弥多羅尼子
佛告富樓那彌多羅尼子。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣り、疾を問え。』 |
仏は、富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)に仰いました、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし):仏の十大弟子の中の説法第一。 |
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富樓那白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔於大林中在一樹下。為諸新學比丘說法 |
富楼那、仏に白して言さく、『世尊、我は、彼れに詣りて、疾を問うに堪任せず。所以は何んとなれば、憶念するに、我、昔、大林の中に於いて、一樹の下に在りて、諸の新学の比丘の為に法を説きき。 |
富楼那は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 私は、昔大林の中の一樹の下で、新学の比丘の為に法を説いていました。 |
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時維摩詰來謂我言。唯富樓那。先當入定觀此人心然後說法 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂って言わく、『唯、富楼那、先に定(じょう、禅定)に入り、この人の心を観(かん、観察)じて、しかる後に、法を説くべし。 |
そこへ維摩詰が通りかかり、私に言いました、 『のう富楼那、先に禅定に入って心の濁りを取り払い、この人の心を観察して、その後に法を説きなさい。 |
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無以穢食置於寶器。當知是比丘心之所念 |
穢き食(小乗の法に喩う)を以って、宝器に置くことなかれ。まさに、この比丘の、心の念ずる所を知るべし。 |
汚れた食(濁る心から出る説法)を 宝器(無垢なる新弟子の心)に置いてはなりません。 先に、この比丘の心に在る思いを知りなさい。 |
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無以琉璃同彼水精 |
瑠璃(るり)を以って、彼の水精(小乗に喩う)に同じうすることなかれ。 |
高価な瑠璃(るり、ルビー)と 廉価な水精(水晶)とを同じにしてはなりません。 |
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汝不能知眾生根源。無得發起以小乘法。彼自無瘡勿傷之也 |
汝は、衆生の根源(本性)を知ること能わずして、発起(ほっき、説法誘導)するに、小乗の法を以ってすることを得ることなかれ。彼、自ら瘡(きず)なし、これを傷(そこな)うことなかれ。 |
あなたは、 衆生の本性を知ることができないでいます。 小乗の法で この人を導かないで下さい。 彼等は まだ無傷なのです、 これを傷付けてはなりません。 |
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欲行大道莫示小徑。無以大海內於牛跡 |
大道を行かんと欲するに、小径(しょうけい、小道)を示すことなかれ。大海を以って、牛跡(ごしゃく、牛の足跡)に内(い)るることなかれ。 |
大道を行こうとする者に、 小道を指し示さないで下さい。 大海の水を 牛の足跡に入れるようなことをしないで下さい。 |
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無以日光等彼螢火 |
日光を以って、彼の蛍火(けいか、ホタルの光)に等しうすることなかれ。 |
日光と 蛍の火を同じにしてはいけません。 |
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富樓那。此比丘久發大乘心。中忘此意。如何以小乘法而教導之 |
富楼那、この比丘は、久しく大乗の心を発し、中ごろ、この意を忘れたるなり。如何(いか)んぞ、小乗の法を以って、これを教導するや。 |
富楼那、この比丘は、ずーッと前の いく世代も昔に、大乗の心を発し、中ごろ それを忘れていたのです。 何うして 小乗の法で教え導こうとするのですか。 |
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我觀小乘智慧微淺猶如盲人。不能分別一切眾生根之利鈍 |
我、小乗を観るに、智慧微浅なること、なお盲人の如く、一切の衆生の根の利鈍を分別すること能わず』と。 |
私が 小乗を観たところでは、 智慧は微かに浅く、 盲人のように 一切の衆生の性格を 見分けることができません』と。 |
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時維摩詰即入三昧。令此比丘自識宿命。曾於五百佛所植眾德本。迴向阿耨多羅三藐三菩提。即時豁然還得本心。於是諸比丘稽首禮維摩詰足 |
時に、維摩詰、すなわち三昧(さんまい、一心、心を集中する)に入り、この比丘をして、自ら宿命(前世)に、かつて五百の仏の所に於いて、もろもろの徳本(とくほん、善根)を植え、阿耨多羅三藐三菩提に廻向せしことを、識らしめしに、即時に豁然(かつねん、目の前が開く)として、ふたたび本心を得たり。 ここに於いて、諸の比丘は、稽首(けいしゅ、首を垂れ)して維摩詰の足を礼せり。 |
そして維摩詰は直ちに三昧に入り、この比丘をして自らの過去世を覚らせました。 かつて五百の仏のもとで、多くの修行をし、阿耨多羅三藐三菩提を目指していたのです。 その比丘は即時に目の前が開けたようにして本心を得ました。 この時、諸の比丘は、首を垂れて維摩詰の足に著け礼をしました。 |
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時維摩詰因為說法。於阿耨多羅三藐三菩提不復退轉 |
時に、維摩詰、為に法を説くに因り、阿耨多羅三藐三菩提に於いて、また退転せざらしむ。 |
それから維摩詰は、 諸の比丘の為に法を説き、 阿耨多羅三藐三菩提から二度と退転しないようにしました。 |
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我念聲聞不觀人根不應說法。是故不任詣彼問疾 |
我、念(おも)えらく、『声聞は、人の根を観ぜずして、まさに法を説くべからず』と。この故に、彼れに詣りて、疾を問うに任えず。』と。 |
私は、 『声聞は人の性格を観察していない。法を説いてはいけないのだ』と思いました。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
摩訶迦旃延
佛告摩訶迦旃延。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、摩訶迦旃延(まかかせんねん)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣り、疾を問え。』 |
仏は、摩訶迦旃延(まかかせんねん)に仰いました、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
摩訶迦旃延(まかせんねん):仏の十大弟子の中の論議第一。 |
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迦旃延白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念昔者佛為諸比丘略說法要。我即於後敷演其義。謂無常義苦義空義無我義寂滅義 |
迦旃延、仏に白して言さく、『世尊、我は、彼れに詣りて、疾を問うに堪任せず。所以は何んとなれば、憶念するに、昔、仏、諸の比丘の為に、略して法の要を説きたまいしに、我は、すなわち、後に於いて、その義(ぎ、意味)を敷演(ふえん、敷き延ばして説く)せり、謂わく、『無常の義、苦の義、空の義、無我の義、寂滅の義』と。 |
迦旃延は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 昔、仏は諸の比丘の為に、略して法の要をお説きになりました。 私は、後になって、その意味を詳しく説明しました、 『無常の意味とは、苦の意味とは、空の意味とは、無我の意味とは、寂滅の意味とは』についてです。 |
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時維摩詰來謂我言。唯迦旃延。無以生滅心行說實相法 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂って言わく、『唯、迦旃延、生滅の心行(しんぎょう、心の働き)を以って、実相の法を説くことなかれ。 |
そこへ維摩詰が通りかかり、私に言いました、 『のう迦旃延、俗人の妄想で以って、実相の法を説いてはいけませんな。
生滅の心行:生滅する心の働き、すなわち妄想。 |
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迦旃延。諸法畢竟不生不滅。是無常義 |
迦旃延、諸法は畢竟(ひっきょう、ツマルトコロ)して、不生不滅なる、これ無常の義なり。 |
迦旃延、 あらゆる物事は、 結局不生不滅である。 無常とはこれを言うのです。 |
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五受陰洞達空無所起。是苦義 |
五受陰(ごじゅおん、五陰、人の身心)は、洞達(どうたつ、徹見)するに、空にして、起こる所無き、これ苦の義なり。 |
人の身心とは、 深く観察すれば空であり、 本々存在しない。 苦とはこれを言います。 |
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諸法究竟無所有。是空義 |
諸法は、究竟して所有(しょう、存在)なき、これ空の義なり。 |
あらゆる物事は、 突き詰めれば存在しない。 これが空です。 |
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於我無我而不二。是無我義 |
我と無我とに於いて、不二なる、これ無我の義なり。 |
我と無我とは、 別物ではない。 これが無我という事です。 |
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法本不然今則無滅。是寂滅義 |
法は本より然らず(生ぜず)、今、すなわち、滅すること無し。これ寂滅の義なり。 |
物事は本より見かけ通りではなく、当然 滅することも無い。 これが寂滅の意味です。』と。
法本不然:法本不生。 |
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說是法時彼諸比丘心得解脫。故我不任詣彼問疾 |
この法を説きし時、彼の諸の比丘、心に解脱を得たり。故に我は、彼れに詣りて、疾を問うに任えず。 |
維摩詰が、この法を説いている時に、彼の諸の比丘は、心に解脱を得てしまいました。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
阿那律
佛告阿那律。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、阿那律(あなりつ)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣り、疾を問え。』 |
仏は、阿那律(あなりつ)に仰いました、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
阿那律(あなりつ):仏の十大弟子の中の天眼第一。 |
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阿那律白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔於一處經行 |
阿那律、仏に白して言さく、『世尊、我は、彼れに詣りて、疾を問うに堪任せず。所以は何となれば、憶念するに、我、昔、一処に於いて経行(きょうぎょう、座禅に代わって、近くを往ったり来たりして歩き回る)しき。 |
阿那律は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 私は、昔ある所で経行(きょうぎょう、座禅と交互にする歩いて心を統一する行)をしていました。 |
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時有梵王名曰嚴淨。與萬梵俱放淨光明來詣我所。稽首作禮問我言。幾何阿那律天眼所見 |
時に、ある梵王、名を厳浄というもの、万の梵(梵天の眷属)と倶に、浄光明を放ちて、我が所に来詣(らいけい)し、稽首して礼をなし、我に問うて言わく、『幾何(いくばく)ぞ、阿那律が天眼の見る所は』と。 |
そこへ厳浄(ごんじょう)という名の梵天王が一万人の眷属を率(ひき)いて、 浄らかな光を放ちながら私の居る所に来て、頭を垂れて礼をし、こう質問しました、 『阿那律さんの天眼は、どこまで見ることができるのですか』と。 |
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我即答言。仁者。吾見此釋迦牟尼佛土三千大千世界。如觀掌中菴摩勒果 |
我、すなわち、答えて言わく、『仁者、吾は、この釈迦牟尼仏の土の三千大千世界を見ること、掌中の菴摩勒果(あんまろくか、マンゴウ)を観るが如し。』 |
私は答えました、 『はい、私には、この釈迦牟尼仏の在(おわ)す三千大千世界の中のことなら何でも、 掌中の菴摩勒果(あんまろくか、マンゴー)を見るように見ることができます。』と。 |
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時維摩詰來謂我言。唯阿那律。天眼所見為作相耶。無作相耶 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂って言わく、『唯、阿那律、天眼に見らるるものは、相を作すと為すや、相を作すこと無しと為すや。 |
そこへ維摩詰が通りかかり、私に言いました、 『のう阿那律、天眼で見えたものには、形が有りますか、有りませんか。 |
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假使作相則與外道五通等 |
もし、相を作さば、すなわち外道の五通(ごつう、神通力)と等し。 |
もし形が有るとすれば、 外道の神通力と同じです。 |
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若無作相即是無為不應有見 |
もし、相を作すこと無くば、すなわち、これ無為(むい、因縁により作られないモノ、単なる物事以外)なり。まさに見ること有るべからず』と。 |
もし形が無いのであれば、 それは因縁に因って作られた物ではありませんから、 見える訳が有りません。』と。 |
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世尊。我時默然 |
世尊、我、時に黙然たりき。 |
世尊、私は黙っていました。 |
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彼諸梵聞其言得未曾有。即為作禮而問曰。世孰有真天眼者 |
彼の諸の梵たち、その言(コトバ)を聞いて未曽有を得、すなわち為に礼を作して、問うて曰く、『世に、たれか真の天眼をもつ者なる』と。 |
彼の諸の梵天たちは、そのような言葉は、初めて聞いたとして、維摩詰に礼をして質問しました、 『この世の誰が、真の天眼を持っているのですか。』と。 |
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維摩詰言。有佛世尊得真天眼。常在三昧悉見諸佛國不以二相 |
維摩詰言わく、『仏、世尊あり。真の天眼を得たもう。常に三昧に在りて、悉く諸仏の国を見たもうに、二相(にそう、色相(粗相)と形相(精相))を以ってしたまわず。』 |
維摩詰は言いました、 『仏世尊のみです、真の天眼を持っているのは。 常に三昧に入り、悉く 諸仏の国土を見ていますが、 色や形を見ているのではありません。』と。 |
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於是嚴淨梵王及其眷屬五百梵天。皆發阿耨多羅三藐三菩提心。禮維摩詰足已忽然不現。故我不任詣彼問疾 |
ここに於いて、厳浄梵王および、その眷属の五百の梵天たち、皆、阿耨多羅三藐三菩提心を発し、維摩詰の足に礼しおわりて、忽然(こつねん、フッと)として現れざりき。故に我は、彼れに詣りて、疾を問うに任えず。』と。 |
そう聞いて厳浄梵王および、その眷属の五百の梵天たちは、皆、 阿耨多羅三藐三菩提心を発し、維摩詰の足に礼をして、 たちまちに姿を消してしまいました。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
優婆離
佛告優波離。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、優婆離(うばり)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣り、疾を問え。』 |
仏は、優婆離(うばり)に仰いました、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
優婆離(うばり):仏の十大弟子の中の持律第一。 |
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優波離白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念昔者有二比丘。犯律行以為恥。不敢問佛。來問我言。唯優波離。我等犯律誠以為恥。不敢問佛。願解疑悔得免斯咎。我即為其如法解說 |
優婆離、仏に白して言さく、『世尊、我は、彼れに詣りて、疾を問うに堪任せず。所以は何となれば、憶念するに、昔、二比丘あり。律行(りつぎょう、戒律)を犯し、以って恥と為し、あえて仏に問いたてまつらず、来たりて我に問うて言わく、『唯、優婆離、我等は律を犯し、誠に以って恥と為し、あえて仏に問いたてまつらず。願わくは、疑悔(ぎけ、ウタガイトクヤミ、悔恨)を解き、その咎(とが)を免るることを得しめよ』と。我は、すなわち、その為に、如法(にょほう、道理にカナウ)に解説せり。 |
優婆離は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 昔二人の比丘が戒律を犯しましたが、恥じて仏に問うことができず、私の所に来て問いました、 『のう優婆離、 私たちは戒律を犯しましたが、 恥かしくて仏に問うことができません。 どうか懺悔を聞いて罪を免れさせてください』と。 私は彼等の為に、 決められた方法で、 罪を聞いてやり、 その罪の重さと、 その報いが何であるかを 解説してやりました。 |
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時維摩詰來謂我言。唯優波離。無重增此二比丘罪。當直除滅勿擾其心 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂って言わく、『唯、優婆離、重ねて、この二比丘の罪を増すことなかれ。まさに、ただちに(その罪を)除滅すべし。その心を擾(みだ)すことなかれ。 |
そこへ維摩詰が通りかかり、私に言いました、 『のう優婆離、これ以上、この二人の比丘の罪を増してはなりません。 直ちにその罪を消してやり、 彼等の心を乱さないようにしなさい。 |
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所以者何。彼罪性不在內不在外不在中間 |
所以は何んとなれば、彼の罪性は内に在らず、外に在らず、中間にも在らず。 |
なぜならば、 彼等の罪の本性は、 彼等の 内に在るのでも、 外に在るのでも、 中間に在るのでもないのです。 |
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如佛所說。心垢故眾生垢 |
仏の所説の如きは、『心垢つくが故に、衆生垢つく。 |
仏は仰っています、 『心に垢がついているので、 衆生は垢がついている。 |
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心淨故眾生淨 |
心浄きが故に、衆生浄し。』 |
心が浄ければ、 衆生も浄い』と。 |
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心亦不在內不在外不在中間 |
心もまた内に在らず、外に在らず、中間にも在らざるなり。 |
心は、 内に在るのでも、 外に在るのでも、 中間に在るのでもありません(何処にも無い)。 |
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如其心然。罪垢亦然 |
その心の然るが如く、罪の垢もまた然り。 |
心と同じく、罪もまた、 内に在るでなく、 外に在るでなく、 中間に在るのでもないのです。 |
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諸法亦然。不出於如 |
諸法もまた然り。如(にょ、真如)を出でず。 |
あらゆる物事がそうなのです。 真如そのもので、 真如から外れたものではないのです。 |
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如優波離。以心相得解脫時。寧有垢不 |
優婆離の如きは、心相(しんそう、ココロ)を以って、解脱を得る時、むしろ垢ありやいなや。』 |
優婆離のように、 心が解脱を得た時、 垢は有りますか、 それとも有りませんか。』と。 |
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我言。不也 |
我言わく、『いな』と。 |
私は言いました、 『いいえ有りません』と。 |
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維摩詰言。一切眾生心相無垢亦復如是 |
維摩詰言わく、『一切の衆生の心相の垢無きことも、またかくの如し。 |
維摩詰は言いました、 『一切の衆生にも 垢が無いのは、優婆離と同じです。 |
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唯優波離。妄想是垢無妄想是淨 |
唯、優婆離、妄想はこれ垢なり、妄想なきはこれ浄なり。 |
のう優婆離、 妄想が垢なのです。 妄想が無ければ 浄いのです。 |
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顛倒是垢。無顛倒是淨 |
顛倒(てんどう、真実と逆の思い)はこれ垢なり、顛倒なきはこれ浄なり。 |
顛倒(てんどう、逆)の思いが垢なのです。顛倒の思いが無ければ浄いのです。 |
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取我是垢。不取我是淨 |
我を取るはこれ垢なり。我を取らざるはこれ浄なり。 |
我に執著することが垢なのです。 我に執著しなければ浄いのです。 |
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優波離。一切法生滅不住。如幻如電 |
優婆離、一切の法(物事)の生滅は住まらずして、幻の如く、電(電光)の如し。 |
優婆離、 一切の物事は生滅して、 一瞬も住まっていません。 幻の如く、電(イナヅマ)の如くなのです。 |
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諸法不相待。乃至一念不住 |
諸法は相い待たず、ないし一念(一瞬)も住まらず。 |
あらゆる物事は 互いに待ってはいません。 一瞬の間さえ 住まってはいないのです。 |
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諸法皆妄見。如夢如炎如水中月如鏡中像以妄想生 |
諸法は、皆妄見なり。夢の如く、炎(カゲロウ)の如く、水中の月の如く、鏡中の像の如く、妄想を以って生ず。 |
あらゆる物事は、皆 妄想によって見ています。 夢の如く、炎(カゲロウ)の如く、水中の月の如く、鏡中の像の如く、皆 妄想が生み出したものなのです。 |
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其知此者是名奉律 |
それ、これを知れば、これ律を奉ずと名づく。 |
これを知ることが、 戒律を持(たも)つと言うことです。 |
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其知此者是名善解 |
それ、これを知れば、これよく解すと名づく。 |
これを知ることを、 善く罪を解くと言うのです。』と。 |
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於是二比丘言。上智哉。是優波離所不能及。持律之上而不能說 |
ここに於いて、二比丘言わく、『上の智(智慧)なるかな。これ、優婆離の及ぶこと能わざる所なり。(優婆離は)持律の上なるも説くこと能わず。』 |
こう聞いて、二人の比丘が言いました、 『勝れた智慧です。優婆離のよく及ぶ所ではありません。 持律についてでさえ、優婆離には説くことができませんでした』と。 |
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我即答言。自捨如來未有聲聞及菩薩能制其樂說之辯。其智慧明達為若此也 |
我、すなわち答えて言わく、『自ずから、如来を捨(お)けば、いまだ声聞および菩薩の、よく、その(維摩詰の)説くを楽しむ辯(弁舌)を制するもの有らず。その智慧の明達なること、かくのごとしと為す。 |
私はこう答えました、 『如来の外には、声聞、菩薩で維摩詰の辯才に敵う者はいません。 その智慧が勝れていることも、今見た通りです』と。 |
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時二比丘疑悔即除。發阿耨多羅三藐三菩提心。作是願言。令一切眾生皆得是辯。故我不任詣彼問疾 |
時に、二比丘は、疑悔すなわち除こり、阿耨多羅三藐三菩提心を発して、この願を作して言わく、『一切の衆生をして、みなこの辯を得しめん』と。故に我は、彼れに詣りて、疾を問うに任えず。 |
この時、この二人の比丘は、心の中の悔恨がすべて除かれ、 阿耨多羅三藐三菩提心を発し、こう言いました、 『願わくは、一切の衆生にも、皆この辯才を得ますように』と。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
羅[目*侯]羅
佛告羅[目*侯]羅。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、羅[目*侯]羅(らごら)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣り、疾を問え。』 |
仏は、羅[目*侯]羅(らごら)に仰いました、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
羅[目*侯]羅(らごら):仏の十大弟子の中の密行第一。仏の実子。密行とは秘かに修行するの意。 |
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羅[目*侯]羅白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念昔時毘耶離諸長者子。來詣我所稽首作禮問我言。唯羅[目*侯]羅。汝佛之子。捨轉輪王位出家為道。其出家者有何等利。我即如法為說出家功德之利 |
羅[目*侯]羅、仏に白して言さく、『世尊、我は彼れに詣りて、疾を問うに堪任せず。所以は何となれば、憶念するに、昔、毘耶離(びやり)の諸の長者子、来たりて我が所に詣り、稽首して礼を作して、我に問うて言わく、『唯、羅[目*侯]羅、汝は仏の子なり。転輪王(てんりんおう、世界を治める王)の位を捨てて、出家を道と為す。それ、出家には、何等の利かある』と。我、すなわち如法に、為に出家の功徳の利を説きけり。 |
羅[目*侯]羅は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 昔、毘耶離(びやり)の諸の長者子が、私の所に来て、頭を垂れて礼をし、そして私に質問しました、 『のう羅[目*侯]羅、あなたは仏の子です。 王家の位を捨てて、出家の道を志されましたが、 出家には、どのような利益が有るのですか。』と。 そこで私は、決められた方法で、出家の功徳と、その利益を説きました。 |
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時維摩詰來謂我言。唯羅[目*侯]羅。不應說出家功德之利 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂って言わく、『唯、羅[目*侯]羅、まさに出家の功徳の利を説くべからず。 |
そこへ維摩詰が通りかかり、私に言いました、 『のう羅[目*侯]羅、出家の功徳と利益なぞを説いてはいけません。 |
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所以者何。無利無功德是為出家。有為法者可說有利有功德 |
所以は何となれば、利なく功徳なき、これを出家と為す。有為法(ういほう、因縁により作られたモノ、物事)なれば、利あり功徳ありと説くべし。 |
なぜならば、 利益も功徳を無いことが出家だからです。 有為法(ういほう、因縁により作られた物事)ならば 利益が有る、 功徳が有ると説くこともできます。 |
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夫出家者為無為法。無為法中無利無功德 |
それ、出家とは、無為法(むいほう、因縁により作られないモノ、単なる物事以外)と為す。無為法の中には、利なく功徳なし。 |
しかし 出家とは無為法(むいほう、因縁によって作られない物事、涅槃)なのです。 無為法の中には 利益も功徳も有りません。 |
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羅[目*侯]羅。出家者無彼無此亦無中間。離六十二見處於涅槃 |
羅[目*侯]羅、出家とは、彼れなく此れなく、また中間もなく、六十二見(六十二ある外道の見解)を離れ、涅槃に処す。 |
羅[目*侯]羅、 出家とは、 あれでもなく、 これでもなく、 その中間でもなく、 一切の外道の 見解を離れて、 涅槃に居るということなのです。 |
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智者所受聖所行處。降伏眾魔度五道 |
智者の受くる所、聖(聖者)の行ずる所の処なり。衆魔を降伏し、五道(地獄餓鬼畜生人間天上)を度し、 |
仏と大菩薩のような 智者と聖者のみが 感じたり、行ったりできるのです。 欲望を制し、 身心の苦悩を感じず、 死を怖れず、 災難に挫かれず(以上四魔を降す)、 地獄餓鬼畜生人間天上を経めぐりながら、 衆生を導く、これが出家なのです。 |
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淨五眼得五力立五根。不惱於彼 |
五眼(天眼肉眼法眼慧眼仏眼)を浄め、五力(信力進力念力定力慧力)を得、五根(信根進根念根定根慧根)を立てて、彼(衆魔)に悩まされず。 |
天眼肉眼法眼慧眼仏眼(以上五眼)を磨いて浄め、 信力進力念力定力慧力(以上五力)を得て、 身根進根念根定根慧根(以上五根)を確立して、 衆魔に悩まされない、 これが出家です。
五眼(ごげん):眼には次の五つが有る。 (1)肉眼(にくげん):人間の持つ眼で、障害物を通して、また遠方のもの、微小なもの、巨大なものを見ることはできない。 (2)天眼(てんげん):天人の持つ眼で、あらゆる障害物を通して見ることができますが、形のないものを見ることはできない。 (3)慧眼(えげん):声聞辟支佛の持つ眼で、空と無相の理の智慧を見ることができる。 (4)法眼(ほうげん):菩薩の持つ眼で、衆生を救うために、一切の法門の智慧を見ることができる。 (5)仏眼(ぶつげん):上の四つを兼ね備えた、仏の持つ眼。 五根(ごこん):仏道を行うときの根本的な行い。 (1)信根(しんこん):仏法僧の三宝と四諦を信ずること。 (2)精進根(しょうじんこん):十善などの善いことを怠らずに行うこと。 (3)念根(ねんこん):正法を憶念して忘れないこと。 (4)定根(じょうこん):心を散乱せしめないこと。 (5)慧根(えこん):真理を思惟すること。 五力(ごりき):前の五根を増長せしめる力。 (1)信力(しんりき)、(2)精進力(しょうじんりき)、(3)念力(ねんりき)、(4)定力(じょうりき)、(5)慧力(えりき)。 |
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離眾雜惡摧諸外道 |
衆(もろもろ)の雑悪(ぞうあく)を離れ、諸の外道を摧(くじ)き、 |
多くの悪を離れ、 諸の外道を摧(くじ)き、 |
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超越假名出淤泥 |
仮名(けみょう、名のみ在りて実在せず、有為法)を超越して汚泥を出で、 |
名のみ在って実在しない 有為法を超越して、 汚泥を抜け出し、 |
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無繫著無我所 |
繫著(けじゃく、煩悩)なく我所(がしょ、ワガモノ)なく、 |
煩悩を無くし、 我が物、 我が身心と 観ずることなく、 |
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內懷喜護彼意 |
内に喜びを懐きて、彼れの意を護り(衆生の心に逆らわず)、 |
喜んで、 衆生の心に従い、 |
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隨禪定離眾過。若能如是是真出家 |
禅定に随い、衆(もろもろ)の過(トガ)を離る。もしよく、かくの如くならば、これ真の出家なり。』と。 |
心が平静であって、 諸の罪を離れる。 もしこのようにできれば、 それが真の出家です。』と。 |
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於是維摩詰語諸長者子。汝等於正法中宜共出家。所以者何。佛世難值 |
ここに於いて、維摩詰、諸の長者子に語らく、『汝等、正法の中に於いて、よろしく共に出家すべし。所以は何んとならば、仏の世には値(あ)い難し。』 |
そして維摩詰は諸の長者子に語りました、 『あなた方は、 大乗の法によって、共に 出家するのがよいでしょう。 なぜならば、 仏がこの世にいらっしゃるということは、 希有なことだからです。』 |
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諸長者子言。居士。我聞佛言。父母不聽不得出家 |
諸の長者子言わく、『我聞けり、仏言(の)たまわく、父母聴(ゆる)さざれば、出家することを得ずと。』 |
諸の長者子が言います、 『居士、私は聞いています。仏は、 父母の許しがなければ 出家させないと仰ったそうです。』と。 |
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維摩詰言。然汝等便發阿耨多羅三藐三菩提心是即出家。是即具足 |
維摩詰言わく、『然り、汝等、すなわち阿耨多羅三藐三菩提心を発す、これすなわち出家なり。これすなわち具足(ぐそく、戒を受けおわる)なり。』と。 |
維摩詰は言います、 『その通りですが、皆さんは、今 阿耨多羅三藐三菩提心を発した。 これが出家です。 これで戒を受け終り、 出家となったのです。』と。
具足(ぐそく):戒を受けて僧の一員となること。 |
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爾時三十二長者子。皆發阿耨多羅三藐三菩提心。故我不任詣彼問疾 |
その時、三十二の長者子は、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。故に我は、彼れに詣りて、疾を問うに任えず。』と。 |
その時、三十二の長者子は、皆、阿耨多羅三藐三菩提心を発しました。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
阿難
佛告阿難。汝行詣維摩詰問疾 |
仏、阿難(あなん)に告げたまわく、『汝、行きて維摩詰に詣り、疾を問え。』 |
仏は、阿難(あなん)に仰いました、『お前、維摩詰を見舞って来なさい。』と。
阿難(あなん):仏の十大弟子の中の多聞第一。仏に従侍していて多くを聞いた。 |
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阿難白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念昔時世尊身小有疾當用牛乳。我即持缽詣大婆羅門家門下立 |
阿難、仏に白して言さく、『世尊、我は彼れに詣りて、疾を問うに堪任せず。所以は何となれば、憶念するに、昔、世尊が身に、少しく疾あり。まさに牛乳を用うべかりき。我は、すなわち鉢を持ち、大婆羅門の家に詣りて、門のもとに立てり。 |
阿難は仏に申します、 『世尊、私には出来かねます。何うしてかと申しますと、今でも思いだします。 昔、世尊のお体の具合が少し悪かった時のことです。 それを治すのに牛乳が必要でしたので、 私は鉢を持って、 大婆羅門の家の門の下に 立っていました。 |
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時維摩詰來謂我言。唯阿難。何為晨朝持缽住此 |
時に、維摩詰来たりて、我に謂って言わく、『唯、阿難、何為(なんす)れぞ、晨朝(じんちょう、夜明け)に鉢を持ちて、ここに住まる。 |
そこへ維摩詰が出て来て、私に言いました、 『のう阿難、何うしたのですか、こんなに朝早く、鉢を持って待っていなさるとは』と。 |
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我言。居士。世尊身小有疾當用牛乳。故來至此 |
我言わく、『居士、世尊が身に、少しく疾あり。まさに牛乳を用うべし。故に来たりて、ここに至る』と。 |
私は言いました、 『居士、世尊のお体の具合が少し悪いので、牛乳が必要なのです。それでここに居るのです』と。 |
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維摩詰言。止止阿難。莫作是語。如來身者金剛之體。諸惡已斷眾善普會。當有何疾當有何惱。默往阿難 |
維摩詰言わく、『止めよ止めよ、阿難。この語(ご、ハナシ)を作すことなかれ。如来が身は、金剛(こんごう、最も堅く傷損すべからず)の体なり。諸の悪は、すでに断じ、衆の善は、あまねく会(あつ)まる。まさに何の疾かあるべき、まさに何の悩みかあるべき。黙して往け、阿難。 |
維摩詰が言います、 『止めよ止めよ、阿難、そのような事を話してはなりません。 如来の身は 金剛(こんごう、最も堅い物)でできているのですよ。 諸の悪は入り込む隙がなく、 諸の善はすべて集まるのです。 何の疾も、何の悩みも 有る筈がないではありませんか。黙ってお帰りなさい、阿難。 |
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勿謗如來。莫使異人聞此麤言。無令大威德諸天及他方淨土諸來菩薩得聞斯語 |
如来を謗るなかれ。異人をして、この麤言(そごん、粗雑の言)を聞かしむることなかれ。大威徳の諸天、および他方の浄土の諸来の菩薩をして、この語を聞くを得しむることなかれ。 |
如来を謗るようなことを言ってはなりません。 他の人が聞いたら何うなりますか。 大威徳の諸天、および他方の浄土から来た菩薩が この言葉を聞いたら何う思いますか。 聞かせてはなりません。 |
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阿難。轉輪聖王以少福故尚得無病。豈況如來無量福會普勝者哉。行矣阿難。勿使我等受斯恥也 |
阿難、転輪聖王は、少しの福を以っての故にすら、なお病の無きことを得たり。あに、況や如来、無量の福の会(あつ)まれる、普く勝れたる者をや。行け、阿難。我等をして、この恥を受けしむることなかれ。 |
阿難、転輪聖王(てんりんじょうおう、全世界を統治する聖王)でさえ、 福も少ないのに病などは無いものです。 況や如来には無量の福が集まっているのですよ、 最勝の人にそのような事があって良いものですか。 行きなさい、阿難。 私たちにこれ以上、恥をかかせないで下さい。 |
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外道梵志若聞此語當作是念。何名為師。自疾不能救而能救諸疾 |
外道、梵志(ぼんし、一切の出家せる外道)、もしこの語を聞かば、まさに、この念(おもい)を作すべし、『何ぞ名づけて師とせん。自らの疾すら救うこと能わずして、よく諸の疾(人)を救わんや』と。 |
外道の出家たちがこの話を聞けば、こう思うでしょうな、 『何が師だ。 自らの病でさえ救うこともできずにいて、 諸の病を救おうなどと』と。 |
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仁可密速去勿使人聞 |
仁(にん、ナンジ)密(ひそ)かに、速やかに去るべし、人をして聞かしむることなかれ。 |
ねえ、そーッと速やかに去りなさい、人に聞かれないうちにね。 |
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當知阿難。諸如來身即是法身非思欲身。佛為世尊過於三界 |
まさに知るべし、阿難。諸の如来の身は、すなわち、これ法身なり。思欲(しよく、思う所、欲する所アリ)の身には非ざるなり。仏は世尊たり、三界に過ぎたり。 |
まさに知らなくてはなりませんよ、阿難。 諸の如来の身は法身なのです。 思い悩む身ではないのですよ。 仏は世の最も尊ぶべきものなのです、 全世界を超越した存在なのですよ。 |
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佛身無漏諸漏已盡。佛身無為不墮諸數。如此之身當有何疾當有何惱 |
仏の身は、無漏(むろ、一切の煩悩除る)なり、諸の漏(ろ、煩悩)すでに尽く。(有為の)諸数に堕せず。かくの如きの身に、まさに何の疾ぞあるべき。まさに何の悩みぞあるべき。』と。 |
仏身には煩悩は一切ありません、 遥か昔にすべての煩悩は尽きてしまったのです。 数えられるもの(物体)ではないのです。 このような身に、 何のような病があり、 何のような悩みが有る筈も無いではありませんか。』と。 |
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時我世尊實懷慚愧。得無近佛而謬聽耶。即聞空中聲曰。阿難。如居士言。但為佛出五濁惡世。現行斯法度脫眾生。行矣阿難。取乳勿慚 |
時に、我は、世尊、実に慚愧を懐く、『仏に近づきつつ、しかも聴くことに謬(あやま)つこと無きを得んや』と。すなわち空中の声を聞く、曰く、『阿難、居士の言の如し。ただ仏、五濁(ごじょく、劫濁、衆生濁、煩悩濁、見濁、命濁)の世に、出でたもうが為に、この法(疾ナド)を現行し、衆生を度脱したまえるのみ。行け、阿難、乳を取りて慚(は)づることなかれ』と。 |
それを聞いて、世尊、私は実に恥かしく、このように思っていました、 『仏の近くにいながら、 誤って聞いていたということは無かっただろうか』と。 その時、空中から声が聞こえました、 『阿難、居士の言われる通りだ。 ただ仏は、 さまざまな濁りの有る世界に、 お生まれになって、 この病を現し、 衆生を導こうとされているのだ。 さあ阿難、 牛乳を取れ、 それを恥じることはない。』と。
五濁(ごじょく):末世に於いては、人の命が次第に短くなり、さまざまな汚れ穢れが発生する。 (1)劫濁(こうじょく):末世という時代のもつ汚れ、飢饉、疫病、天災、戦争をいう。 (2)見濁(けんじょく):邪悪な思想、見解が栄える。 (3)煩悩濁(ぼんのうじょく):貪欲、瞋恚等の、さまざまな悪徳がはびこる。 (4)衆生濁(しゅじょうじょく):衆生の質が落ち、身体は衰弱し、苦は多く、福は少なくなる。 (5)命濁(みょうじょく):人の寿命が短くなる。 |
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世尊。維摩詰智慧辯才為若此也。是故不任詣彼問疾 |
世尊、維摩詰が智慧と辯才は、かくの如しと為す。この故に、彼れに詣りて、疾を問うに任えず。』と。 |
世尊、維摩詰の智慧と辯才とはこの通りです。 このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
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如是五百大弟子。各各向佛說其本緣。稱述維摩詰所言。皆曰不任詣彼問疾 |
かくの如く、五百の大弟子、各々仏に向かいて、その本縁(ほんえん、因縁)を説き、維摩詰の言う所を称述して、皆曰く、『彼れに詣りて、疾を問うに任えず』と。 |
このようにして五百の大弟子たちは、各々仏に向かって、その因縁を説き、 維摩詰の言葉を称え述べて、皆こう言いました、 『このようなことが有りましたので、私は見舞いすることに堪えられないのです。』と。 |
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