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  仏戒を持つ男女は、その徳の故に、ふくいくとして遠くまでよく薫り、何のような香木、華果にも勝れる。 ただこれだけの事を述べた経ですが、その示唆する所は大きく、戒香という言葉はさまざまな経に引用されています。

 

  顧みる所、仏教とは、まさにこの戒徳というものを基底として初めて成り立つ宗教なのです。 釈迦在世の時、仏教が、またたく間に、時の権力者たちの間に流行したのも、持戒の比丘の立ち居振る舞いが、清々しくも美しく見えたことによります。

  小乗仏教を信奉する国々では、今だに戒を持つ人が少なくありません。 またそういう国の僧侶たちは、実に清々しくも美しく見えるものなのです。

 

  大乗だとて同じ事。 わが国では、天台宗につながる宗派は、真宗を除けば、皆、僧侶に対しては天台宗の開祖最澄のもたらした梵網経に基づく梵網戒を守ることを求め、それ以外の宗派の僧侶に対しても律蔵中の小乗戒を守るように求めています。

 

  しかし、わが民族のこだわらない性格の故か、僧侶が戒を守らなくても、誰も目くじら立てようとはしません。 これはチベットを除いた他の仏教国、朝鮮、中国、タイ、ビルマ、セイロンの僧侶たちには理解し難いことなのです。

 

  わが仏教界は、形式よりも心が大切であると教え、あえて形式的な戒を守ることを要求しません。 しかし、心が有れば必ず形を取るものです。 どうにも納得しがたい論理ですが、戒を守らない僧侶に何のような価値が有るものか、今いちど考えてみたいものです。

 

  この経は、異訳が雑阿含経巻38,別訳雑阿含経巻1の中にあり、類似のものとしては仏説戒徳香経があります。

                                                       以上

 

 

 

 

 

佛說戒香經

 西天譯經三藏朝散大夫試光祿卿

 明教大師臣法賢奉 詔譯

仏説戒香経(ぶっせつかいこうきょう)

  西天の訳経三蔵 

  朝散大夫(ちょうさんだいぶ)試光禄卿(しこうろくきょう)

  明教大師(めいきょうだいし)臣法賢(しんほっけん)

    詔を奉じて訳す

 持戒の人の香は、極上の焼香抹香よりも、よく世間に薫る。

 

  法賢(ほっけん):訳経多数なるも不詳。 経のこの部分によれば、西天竺の人、宋太祖の開宝年代(968−976)より北宋神宗の熙寧年代(1068−1077)の頃に、首都汴京(べんけい)辺りで多数の経典を訳し、明教大師の号を賜り、朝散大夫試光禄卿を授る。

 

 

 

如是我聞。一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園。與大比丘眾俱。爾時尊者阿難來詣佛所。到已頭面禮足。合掌恭敬而白佛言。世尊。我有少疑欲當問。唯願世尊為我解說。我見世間有三種香。所謂根香花香子香。此三種香遍一切處。有風而聞。無風亦聞。其香云何

かくの如く、我聞けり。 ある時、仏、舎衛国(しゃえこく、印度の大国)の祇樹給孤獨園(ぎじゅぎっこどくおん、寺院の名)に在りて、大比丘の衆と倶(とも)なり。 その時、尊者阿難、来たりて仏の所に詣で、到りおわると頭面にて足を礼し、合掌し恭敬して仏に白(もう)して言(もう)さく、『世尊、我に少しばかりの疑い有り、欲すらくは、まさに問いを啓(ひら)かんとす。 ただ願わくは、世尊、我が為に解説したまえ。 我、世間を見るに三種の香有り。 謂わゆる、根香、花香、子香なり。 この三種の香は、一切の処に遍くして、風有りて聞こえ、風無きも聞こゆ。 その香や云何(いかん)?』と。

わたしは、このように聞いております、――

  ある時、

    仏は

      舎衛国(しゃえいこく、印度の大国)の

      祇樹給孤獨園(ぎじゅぎっこどくおん、寺院の名)に居られ、

    大比丘の方々も、

      一緒でした。

  その時、

    尊者(そんじゃ、高徳の僧の尊称)阿難(あなん、この経の語り手自身)が来て、

      仏の足に礼をして合掌し、

      恭しく、こう申した、――

        『世尊、

           わたくしには、

             少しばかりの疑問がございます、

           それを、

             今から申し上げようと思いますので、

           どうか、

             わたくしの為に、解説してください。

         わたくしが、

           見まするに、

             世間には、

               三種の香が有り、

             それを、

               根香、花香、子香と申します。

         この三種の香は、

           遍く、一切の処に、

           風が有っても薫り、

           風が無くても薫ります。

         それは、

           何故でしょうか?』と。

爾時世尊告尊者阿難。勿作是言。謂此三種之香。遍一切處有風而聞無風亦聞。此三種香有風無風遍一切處而非得聞。阿難。汝今欲聞普遍香者。應當諦聽。為汝宣說。阿難白佛言。世尊。我今樂聞。唯願宣說

その時、世尊、尊者阿難に告げたまわく、『この言を作すことなかれ。 謂わく、『この三種の香は、一切の処に遍くして、風有りて聞こえ、風無きも聞こゆ。』と。 この三種の香は、風有るも風無きも、一切の処に遍かれども、聞くことを得るに非ず。 阿難、汝は、今、普く遍く香る者を聞かんと欲す。 まさに諦(あき)らかに聴くべし、汝が為に宣べて説かん。』と。 阿難、仏に白して言さく、『世尊、我は、今、楽しんで聞かん。 ただ願わくは、宜しく説きたまえ。』と。

その時、

  世尊は、尊者阿難に教えられた、――

    『そのような事を言ってはならない、――

       『この三種の香は、遍く一切の処に、風が有っても薫り、風が無くても薫る。』と。

     この三種の香は、

       風が有っても風が無くても、

       遍く一切の処に、

         薫ることはできないのだから。

     阿難、

       お前は、

         今、遍く薫る者のことを聞こうと思った。

       それならば、

         よく聴くがよい、

         お前にも、

           よく解るように、説いてやろう。』と。

  阿難は、仏にこう申した、――

    『世尊、

       わたくしは、今、楽しんで聞こうと思います。

       どうか、

         よく解るように、お説きください。』と。

佛告阿難。有風無風香遍十方者。世間若有近事男近事女。持佛淨戒行諸善法。謂不殺不盜不婬不妄及不飲酒。是近事男近事女。如是戒香遍聞十方。而彼十方咸皆稱讚。而作是言。於某城中有如是近事男女。持佛淨戒行諸善法。謂不殺不盜不婬不妄及不飲酒等。具此戒法。是人獲如是之香。有風無風遍聞十方。咸皆稱讚而得愛敬

仏、阿難に告げたまわく、『風有るも風無きも、香りて十方に遍しとは、世間に、もしはある近事男(こんじなん、僧に仕える俗人の男、優婆塞、男子)、近事女(こんじにょ、僧に仕える俗人の女、優婆夷、女子)、仏の浄戒を持(たも)ちて、諸の善法を行う。 謂わく、殺さず、盗まず、婬せず、妄(いつわ)らず、および酒を飲まず。 この近事男、近事女の、かくの如き戒香は、遍く十方に聞こえ、彼の十方は、咸(ことごと)く皆、称讃して、この言を作さく、『某城の中の、ある近事男、近事女は、仏の浄戒を持ち諸の善法を作す。 謂わく、殺さず、盗まず、婬せず、妄らず、および酒を飲まず等なり。』と。 この戒法を具(そな)うれば、この人は、かくの如き香を獲(え)て、風有るも風無きも、遍く十方に聞こえて、咸く皆、称讃して、愛敬することを得ん。』と。

仏は、阿難に教えられた、――

  『風が有ろうと風が無かろうと、遍く十方に薫る者とは、

   それは、

     世間の、

       ある男子、女子が、

         仏の浄戒を持ち、

         諸の善いことを行うことである。

   それは、

     生き物を殺さないことであり、

     他人の物を盗まないことであり、

     他人の女房を取らないことであり、

     他人の悪口を言ったり嘘をついたりしないことであり、

     酒を飲まないことを言うのであるが、

   このような

     男子、女子の、

     このような

       戒の香は、遍く十方に薫り、

   その香を聞(か)いだ、

     十方の人々は、

       皆ことごとく、称讃してこう言うだろう、――

         『どこそこの街には、

            このような男子、女子が居て、

              戒を持って、諸の善い行いをしている。

          それは、

            生き物を殺さず、

            他人の物を盗まず、

            他人の女房を取らず、

            他人の悪口を言ったり嘘をついたりせず、

            酒を飲まないこと等である。』と。

   この戒を具えた、

     このような人は、

       このような香を獲(え、獲得)て、遍く十方に薫り、

       皆が

         ことごとく称讃し、

         愛し敬われるのである。』と。

爾時世尊。而說頌曰

 世間所有諸花果 

 乃至沈檀龍麝香 

 如是等香非遍聞 

 唯聞戒香遍一切 

 旃檀鬱金與蘇合 

 優缽羅并摩隸花 

 如是諸妙花香中 

 唯有戒香而最上 

 所有世間沈檀等 

 其香微少非遍聞 

 若人持佛淨戒香 

 諸天普聞皆愛敬 

 如是具足清淨戒 

 乃至常行諸善法 

 是人能解世間縛 

 所有諸魔常遠離

その時、世尊、頌(じゅ、歌)を説いて曰わく、

 『世間のあらゆる諸の花果より、

  乃(すなわ)ち沈、檀、龍、麝香に至るまで、

  かくの如き等の香は遍く聞こゆるに非ずして、

  ただ戒香のみ聞こえて一切に遍し。

  栴檀、鬱金と蘇合(そごう、調合した香)と、

  優鉢羅(うはつら、青蓮華)と、ならびに摩隷花(まりげ、茉莉)

  かくの如き諸の妙花の香の中に、

  ただ戒香のみ有りて最上なり。

  あらゆる世間の沈、檀等は、

  その香微少なれば遍く聞こゆるに非ず、

  もし人、仏の浄戒の香を持たば、

  諸の天さえ普く聞いて、皆、愛し敬わん。

  かくの如く清浄の戒を具足するにより、

  乃ち常に諸の善法を行うに至らば、

  この人は、よく世間の縛(ばく、煩悩)を解いて、

  あらゆる諸の魔も、常に遠く離れん。』と。

その時、

  世尊は、歌を歌って、こう言われた、

    『花の香(かおり)はふくいくと、

     沈(じん、沈香)檀(だん、栴檀)龍(りゅう、龍涎香)麝(じゃ、麝香)薫れども、

     なお遍くは世に満てず、

     戒ぞ薫りて世に満てる。

     栴檀(せんだん)鬱金(うこん)蘇合(そごう、調合した香)有り、

     青き蓮華に摩隷(まり、ジャスミン)の花、

     妙なる花の香(か)の中に、

     戒の香(かおり)ぞ抜きんづる。

     世にも名高き沈檀も、

     わずか辺りに薫るのみ、

     持戒の人は戒薫り、

     天にとどきて敬わる。

     清浄戒をよく持(たも)ち、

     常に善きこと行えば、

     世間の煩悩脱(のが)れいで、

     魔王もついに遠ざかる。』と。

爾時尊者阿難及比丘眾。聞佛語已。歡喜信受。禮佛而退

佛說戒香經

その時、尊者阿難および比丘衆は、仏の語を聞きおわり、歓喜し信受して、仏に礼して退きぬ。

仏説戒香経

その時、

  尊者阿難および比丘衆は、

    仏の教えを聞きおわると、

    それを

      歓喜して信じ受入れ、

    仏に礼をして、退いた。

 

仏説戒香経(ぶっせつかいこうきょう)

 

 

 

 

 

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