(その二)

 

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第二十一軽戒より第三十軽戒

佛言。佛子。不得以瞋報瞋以打報打。若殺父母兄弟六親不得加報。若國主為他人殺者。亦不得加報。殺生報生不順孝道。尚不畜奴婢打拍罵辱。日日起三業口罪無量。況故作七逆之罪。而出家菩薩無慈報讎。乃至六親中故報者。犯輕垢罪

仏の言わく、『仏子、瞋を以って瞋に報じ、打を以って打に報ずるを得ず。父母、兄弟、六親を殺すが若きには、報を加うることを得ず。国主の他人に殺さるるが若きにも、また報を加うることを得ず。生を殺すも、生に報ずるも、孝道に順ぜず。なお奴婢を畜えて打拍し、罵辱せずとも、日日に三業を起すに、口罪は無量なり。況や故(ことさら)に、七逆の罪を作さんをや。而も出家の菩薩、慈無くして讎(あだ)に報ぜば、乃ち六親中に至るまで故に報ぜば、軽垢罪を犯す。

仏は、言われた、――

≪第二十一軽戒 瞋打報仇戒≫

お前たち、仏子よ!

  『瞋(いかり)』をもって、瞋に報じてはならない!

  『殴打』をもって、殴打に報じてはならない!

  たとえ、

    『父母、兄弟、六親を殺した者』であっても、『報(むくい)』を加えてはならない!

  たとえ、

    『国主を殺した者』であっても、『報』を加えてはならない!

  それは、

    『衆生を殺すこと』も、

    『衆生に報を加えること』も、『孝道』に順じないからである。

  たとえ、

    『奴婢』を

      畜え、

      打ちすえ、

      罵らなくとも、

  日日に、

    『三業(果報をもたらす身口意の行い)』を起すのであるから、

    『口罪』は無量である。

  まして、

    故意に、『七逆罪』を犯してはならない!

  それなのに、

    『出家の菩薩』たるものが、

      『無慈悲』にも、

      『讎(あだ)』に報いるとは!

  たとえ、

    『六親』の故にであろうと、

    『故意』に報いれば、

  これは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  不得:道理を得ない、許容範囲を超える。そのような事を思うなの意味で『得ざれ』とも訳す。

  孝道に順じる:一切の衆生は、父母、兄弟、六親であると等見して、孝道を尽くすこと。

  七逆:出仏身血、殺父、殺母、殺和尚、殺阿闍梨、破羯磨僧、殺阿羅漢。第四十軽垢罪参照。

  :報復行為は忍辱行に反し、慈悲心を失うが故に、この戒は瞋をもって瞋に報いる罪を説く。

若佛子。初始出家未有所解。而自恃聰明有智。或恃高貴年宿。或恃大姓高門大解大福饒財七寶。以此憍慢而不諮受先學法師經律。其法師者。或小姓年少卑門貧窮諸根不具。而實有コ一切經律盡解。而新學菩薩不得觀法師種姓。而不來諮受法師第一義諦者。犯輕垢罪

『若(なんじ)仏子、初始(はじ)めて出家し、未だ解す所有らざるに、而も自ら聡明有智なるを恃み、或いは高貴、年宿なるを恃み、或いは大姓門、大解、大福、饒財、七宝を恃み、これを以って憍慢し、而も先学の法師の経律を諮受せざるとは。その法師は、或いは小姓、年少、卑門、貧窮、諸根不具なれども、実は有徳にして、一切の経律を尽く解す。而も、新学の菩薩は、法師の種姓を観ずるを得ず。而も来たりて法師に第一義諦を諮受せざるは、軽垢罪を犯す。

≪第二十二軽戒 慢不請法戒≫

お前たち、仏子よ!

  初めて『出家』してから、今に至るまで

    『何も理解してこなかった』にもかかわらず、

  而も、自らの

    『聡明』と、

    『智慧』とを恃(たの)んではならない!

  或いは、

    『高貴』と、

    『年宿(年齢)』とを恃んではならない!

  或いは、

    『大姓(高貴な生まれ)の門(高貴な家柄)の者』が、

      『その家の学問を大いに理解し』、

      『大きな福が有って、財と七宝に囲まれている』とはいえ、

      それを恃んではならない!

  しかるに、

    『傲慢』によって、

      『先学の法師の経律』を喜んで受けようとしないとは!

  その

    『法師』は、

      或いは、

        『小姓(卑賤の生まれ)の卑門(卑賤の家柄)』で貧窮であり

        『諸根(眼耳鼻舌身)』が不具であったかもしれないが、

      実に

        『有徳』であり、

        『一切の経律』を尽く理解しているのである。

  しかも、

    『新学の菩薩』が、

      『法師の種姓』を観察し、

      『法師の説く第一義諦』を、来て受けようとしないとは!

  これは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  法師:教師。

  諮受:相談して教を受ける。

  :この戒は高貴大姓を恃んで傲慢たることの罪を説く。傲慢は菩薩に慈悲心を失わせ忍辱行を損うが故に罪である。大姓の者は、小姓の者に教を請うことを快しとしないが、これは菩薩の等見に反する。なぜこれが軽罪かというと、大姓の者の傲慢は生まれつきの性であり、変えるのが困難だからである。性については、周囲もこれを大目に見て堪え忍ばなくてはならない。大智度論巻2に云わく、長老必陵伽婆磋(ひつりょうがばしゃ)、常に眼を患いて痛む。是の人、乞食して常に恒水(ごうすい)を渡らんとして恒水の辺に到り指を弾いて言わく、『小婢(しょうひ)、住(とど)まれ、水を流す莫れ。』、即ち両断して過ぎるを得、乞食す。是の恒神(ごうじん)仏の所に到りて仏に白さく、『仏が弟子、必陵伽婆磋、常に我を罵りて言わく、――『小婢、住まれ、水を流す莫れ。』と。』と。仏、必陵伽婆磋に告げたまわく、『恒神に懺謝(さんしゃ)せよ。』と。必陵伽婆磋、即時に手を合わせて恒神に語りて言わく、『小婢、瞋る莫れ。今、汝に懺謝す。』と。是の時、大衆、之(これ)を笑う。『云何が懺謝して復た罵るや。』と。仏、恒神に語らく、『汝、必陵伽婆磋の手を合わせて懺謝することを見るや不や。懺謝に慢(おごり)無けれど此の言(ごん)有るは当に知るべし、悪に非ず。此の人、五百世来(らい)常に婆羅門の家に生まれ、常に自ら憍(おご)り貴(たかぶ)りて余人を軽賤す。本来習う所の口言(くごん)なるのみ。心に慢無きなり。』と。――蓋し、虎狼の殺生の性と同じことならん。

若佛子。佛滅度後。欲心好心受菩薩戒時。於佛菩薩形像前自誓受戒。當七日佛前懺悔。得見好相便得戒。若不得好相。應二七三七乃至一年。要得好相。得好相已。便得佛菩薩形像前受戒。若不得好相。雖佛像前受。戒不得戒。若現前先受菩薩戒法師前受戒時。不須要見好相何以故。以是法師師師相授故。不須好相。是以法師前受戒即得戒。以生重心故便得戒。若千里內無能授戒師。得佛菩薩形像前受戒而要見好相。若法師自倚解經律大乘學戒。與國王太子百官以為善友。而新學菩薩來問若經義律義。輕心惡心慢心。不一一好答問者。犯輕垢罪

『若仏子、仏の滅度の後に、好心を以って、菩薩戒を受けんと欲する時、仏菩薩の形像の前に於いて、自ら誓いて戒を受けよ!七日、仏前にて懺悔するに当り、好相を見るを得れば、便ち戒を得る。もし好相を得ずんば、まさに二七、三七、乃ち一年に至りて、要(かなら)ず、好相を得べし。好相を得已らば、便ち仏菩薩の形像の前に戒を受くるを得。もし好相を得ずんば、仏の像の前にて戒を受くと雖も、戒を得ず。もし現前にて、先に菩薩戒を受けし法師の前にて戒を受くる時は、要(かなら)ずしも、好相を見るを須(もち)いず。何を以っての故に、この法師の師師相授を以っての故に、好相を須いず。これ法師の前に戒を受くるを以って、即ち戒を得るなり。重(かさ)ぬる心を生ずるを以っての故に、便ち戒を得るなり。もし千里の内に、よく戒を授くる師無くんば、仏菩薩の形像の前に戒を受くるを得んも、要ず好相を見るべし。もし法師、自ら経律を解し、大乗の学戒に倚(よ)れば、国王、太子、百官と善友たるを以ってしても、新学の菩薩、来たりて経義、律儀の若きを問わんに、軽心、悪心、慢心もて一一問いに好く答えずんば、軽垢罪を犯す。

≪第二十三軽戒 慢僻説戒≫

お前たち、仏子よ!

  『仏の滅度(入涅槃)の後』に、

    『好心』をいだいて、

    『菩薩戒』を受けようと欲する時、

      『仏菩薩の形像』の前で、

      自らに、

        誓って、

        『戒』を受けよ!

      七日の間、

        仏前にて懺悔するに当り、

        『好相』を見ることができれば、

      それで、

        『戒』を得たことになる。

    もし、

      『好相』を得られなければ、

      二七日、三七日より、一年に至るまで懺悔して、

    必ず、

      『好相』を得よ!

    もし、

      『好相』を得たならば、

        『仏菩薩の形像』の前で、

        『戒』を受けたことになる。

    もし、

      『好相』を得られなければ、

        『仏菩薩の形像』の前で、

        『戒』を受けたとしても、

        『戒』を得たことにはならない!

    もし、

      『現前(寺院)』にて、

      『先に戒を受けている法師』の前で、

      『戒』を受ける時は、

    必ずしも、

      『好相』を見る必要はない。

    何故ならば、この

      『法師の師師相授』の故に、

      『好相』を要しないのである。

    この、

      『法師の前で戒を受ける』ということは、即ち『戒を得た』ということであり、

    自らの心中に、

      『重心(重なった師師の心)』を生じるが故に、『戒を得た』ことになるのである。

    もし、

      千里(約400q)の内に、『戒を授けられる師』が得られなければ、

      『仏菩薩の形像』の前で、自ら『戒を受ける』ことができるが、

    必ず、

      『好相』を見なければならない。

    もし、

      『法師』、自らが、

        『経律』を理解し、

        『大乗の学と戒と』を依り所としているのであれば、

      たとえ、

        『国王、太子、百官』と善友であったとしても、

        『新学の菩薩』が来て、

          『経の義(意味)』や、

          『戒律の義』を問うたならば、

      それに、

        答えなくてはならない!

    もし、

      軽心(かろんじる心)、

      悪心(にくむ心)、

      慢心(あなどる心)をいだいて、

      問う者に、一一快く答えなければ、

    それは、

      『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  :欲心好心は他本に従い、欲以好心に改める。

  自ら誓う:戒を受けるとは、即ち自ら誓うことである。

  現前:現前僧伽。現住の寺院。一般には地域ごとの寺院に所属する比丘の集団をいう。

  師師相授:代々直前の師が、その直前の師から戒を受けつぐこと。

  :この戒は、戒を受けるということの重要性をうたうものであるが、必ずしもその為の儀式をいうものではない。宗派によっては師資相承を重要視するようであるが、仏教は本来自ら覚り、自ら道を開くものであるが故に、相対的に師は重要ではなく、かえって師の枠に囚われることを怖れるものである。仏涅槃に入らんとしたまえる時、阿難、師の亡き後を憂いて、何のようにして修行すればよいかと問うに、答えて言わく、『若しは今の現前に、若しは我が過ぎ去りし後に、自らに依止し、法に依止して、余に依止せざれ。云何が比丘、自らに依止し、法に依止して、余に依止せざる。是の比丘に於いて、身を内観して常に当に一心に智慧、勤修、精進して、世間の貪憂を除くべし。外身、内外身の観も亦た是の如し。受、心法の念処も亦復た是の如し。是れ比丘の自らに依止し、法に依止して、余に依止せずと名づく。今日従り、『解脱戒経』、即ち是れ大師なり。『解脱戒経』に説くが如く、身業、口業、応に是の如く行ずべし。』(大智度論巻2)、とあるが如し。しかしながら、戒の重要性を鑑みるに、必ずしも軽々しく受戒すべきものにあらず。よってここに説くが如く、僧中に在るときは師僧より受けよ、もし千里(400q)以内に授戒の師が無ければ、よくよく心して自ら受戒せよ、と言うのである。

  好相:第四十一軽戒に云わく、好相とは、仏、来たりて頂を摩で、光を見、華を見る種種の異相なり、と。

若佛子。有佛經律大乘正法正見正性正法身而不能勤學修習而捨七寶。反學邪見二乘外道俗典。阿毘曇雜論書記。是斷佛性障道因緣。非行菩薩道。若故作者。犯輕垢罪

『若仏子、仏の経律、大乗の正法、正見、正性、正法身有らん、而るに勤めて学び修習すること能わずして、七宝を捨て、反って邪見の二乗、外道の俗典と、阿毘曇(論蔵)の雑論と、書記(書物)とを学ばば、これ仏性を断じ、道を障うる因縁にして、菩薩道を行ずるに非ず。もし故に作さば、軽垢罪を犯す。

≪第二十四軽戒 不習学仏戒≫

お前たち、仏子よ!

  お前たちには、

    『仏の経律(三蔵中の論蔵以外)』と、

    『大乗の正法、正見、正性、正法身』とが有る!

  しかるに、

    『勤めて学ぶ』ことも、

    『修めて習う』こともせずに、

      『七つの宝(仏の経律と大乗の正法等)』を捨て、

  かえって、

    『邪見の二乗と外道の俗典』、

    『阿毘曇(あびどん、論蔵)の雑論』、

    『詩歌、医術、卜筮等の一切の書物』を学ぶとは!

  これは、

    『仏性を断じる行い』であり、

    『道を遮る因縁』であり、

  もはや、

    『菩薩道を行う』とは認められない。

  もし、

    『故意』に、これを作せば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  七宝:上に挙げる所の、仏の経と律と、大乗の正法、即ち経と律と、正見と、正性と、正法身とをいう。

  正見:大乗に基づく見解、即ち因果の道理。

  正性:衆生心中の正性、即ち仏性。

  正法身:仏性内在の身、即ち衆生身。

  雑論:大乗、二乗、外道以外の凡論の書。

  書記:詩詞歌賦、医卜、陰陽、術数等、大乗小乗を除く一切の書物。

  :小乗の経律と言って論蔵を除き、阿毘曇を雑論と蔑み、邪見の二乗の俗典と言うは、皆三蔵中の論蔵を指すものである。三蔵中の経蔵と律蔵とは大乗の基礎なるが故それを除かず、論蔵中には異説多きが故にそれを除く。

若佛子。佛滅後。為說法主為僧房主教化主坐禪主行來主。應生慈心善和鬥訟。善守三寶物莫無度用如自己有。而反亂眾鬥諍恣心用三寶物者。犯輕垢罪

『若仏子、仏滅の後、説法の主と為り、僧房の主、教化の主、坐禅の主、行来の主と為れば、まさに慈心を生じて、善く闘訟(闘諍と訴訟)を和らげ、善く三宝物を守りて度(節度)無きこと莫(な)く、自己の有するが如く用うべし。而るに反って衆を乱して闘諍せしめ、心を恣(ほしいまま)にして、三宝物を用うるは、軽垢罪を犯す。

≪第二十五軽戒 不善知衆戒≫

お前たち、仏子よ!

  『仏の滅度の後』に、

    『説法の主(三蔵と経法の主持者)』、

    『僧房の主(僧中の雑事の主持者)』、

    『教化の主(方便化導の因縁次第等の主持者)』、

    『坐禅の主(坐禅指導の主持者)』、

    『行来の主(遠近の賓客接待の主持者)』と為った者は、

  善く、

    『慈心』を生じて、『闘諍(とうじょう、僧中の諍い)』を収め、

  善く、

    『三宝物(さんぽうもつ、仏法僧の物)』を守って、

      『節度』無く用いてはならない!

      『自己の所有』の如くせよ!

  しかるに、かえって、

    『衆(僧に所属する衆)』を乱して、『闘諍』させ、

    『心の欲するまま』に、『三宝物』を用いるとは!

  これは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  説法主:三蔵と教法を善く主持して、流通せしめ断絶せざらしむ。

  僧房主:僧中の席次、安居(あんご、雨季の過ごし方)、ノ度(けんど、儀式作法)等の雑事を主持する。

  教化主:方便化導の因縁次第等の事を主持して、錯謬せしめず。

  坐禅主:禅定を修める中に、邪境が前に現れる等の事を主持して、これを方便制伏する。

  行来主:遠近の賓客について迎送、礼節等の事を主持して、疏慢ならしめず。

  :僧伽、衆と訳す。比丘の集団。僧という場合はただ一人をいうこともある。

  現前僧伽:地域ごとに定められた寺院に属する比丘の集団。

  十方僧伽:四方僧伽。地域ごとに散在する現前僧伽全体の総称。

  闘訟:闘諍(いさかい)と訴訟。

  (ど):法度、節度。取り決め。

  三宝物:三宝の所有に属する物。僧伽に属して個人に属さない物。

  :この戒は僧の管理者を対象とする。僧中を柔和に調えるのが彼らの役目であるにもかかわらず、個々の比丘に対して不平等であることを戒める。

若佛子。先在僧房中住。後見客菩薩比丘來入僧房舍宅城邑國王宅舍中。乃至夏坐安居處及大會中。先住僧應迎來送去。飲食供養房舍臥具。繩床事事給與。若無物應賣自身及以男女供給所須悉以與之。若有檀越來請眾僧。客僧有利養分。僧房主應次第差客僧受請。而先住僧獨受請不差客僧。僧房主得無量罪。畜生無異非沙門非釋種姓。若故作者。犯輕垢罪

『若仏子、先に僧房中に在りて住し、後に客の菩薩比丘、来たりて僧房の舎宅、城邑の国王の宅舎の中に入るを見るに、乃ち夏坐安居(げざあんご)の処、及び大会の中に入るに至るまで、先住の僧は、まさに来たるを迎え、去るを送り、飲食を供養し、房舎、臥具、縄床(じょうしょう)は事事に給与すべし。もし物無くんば、まさに自身及以(およ)び男女を売って供給し、須いる所は悉く以ってこれに与うべし。もしある檀越(だんおつ、施主)、来たりて衆僧を請わば、客僧にも利養の分有らしめ、僧房の主は、まさに次第に客僧を差(つかわ)し、請(しょう)を受けしむべし。而るに先住の僧、独り請を受けて、客僧を差さずんば、僧房の主は無量の罪を得て、畜生と異り無く、沙門(しゃもん)に非ず、釈(しゃく)の種姓にも非ず。もし故に作さば、軽垢罪を犯す。

≪第二十六軽戒 独受利養戒≫

お前たち、仏子よ!

  先に、

    『僧房中』に住居しており、

  後に、

    『客の菩薩比丘』が来て、

      『僧房中の舎宅』、或いは

      『城邑中の国王の舎宅』に入るのを見たならば、

  それが、

    『夏坐安居(げざあんご、雨季の過ごし方)の集まり』であろうと、

    『大会(だいえ、王の催す大施会)の集まり』であろうと、

  『先住の僧(比丘)』は、

    『来る者』を迎えて、

    『去る者』を送り、

    『飲食』を供養して、

    『房舎の臥具、縄床(じょうしょう)』等を、事事に給し与えよ!

  もし、

    『物』が無ければ、

      『自らの身及び男女』を売って工面し、

      悉くを、これに給し与えよ!

  もし、

    『檀越(だんおつ、施主)』が来て、

      『衆僧(しゅそう、僧中の比丘衆)』を請う(招待し)たならば、

        『客僧(きゃくそう、客比丘)』にも利養(布施)を分け与えよ!

      『僧房主』は、順に指名して、

        『客僧』にも請(しょう、招待)を受けさせよ!

  しかるに、

    『先住の僧』が、

      独りで請を受けて、『客僧』を指名しないとは!

    『僧房主』は、

      『無量の罪』を得て、『畜生』と異らず、

      『沙門』でもなければ、『釈の種姓』でもない!

  もし、

    『故意』に、作したのであれば、

  これは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  夏坐安居:印度では四月十六日より七月十五日の三ヶ月は夏であり雨季であるによって遊行できない。その故に、地方ごとに散在する特定の場所に仮住まいをした。それを安居、夏安居、夏坐安居という。後に、その規模が大きくなり寺院の様相を呈するが、戒律によれば、この期間を除いて、比丘は常に遊行することを義務づけられている。

  縄床:軽い木枠に縄を張った携帯用の床。

  及以男女:自らに所属する男女を売って供給するの意。

  檀越:梵語、施主と訳す。

  利養:供養される物。

  :食事の招待。

  衆僧:僧に属する比丘。

  沙門:出家の修行者。

  釈の種姓:釈迦の弟子。種姓とは印度四姓の一をいうが、出家は四姓の外である。

  :この戒は僧の先住比丘は後来の比丘に対する作法の良し悪しを説く。礼儀作法を伴わなければ世間の信頼を得られないが故に、僧中の和合は仏教発展の要であるが故に礼儀にはずれた行いの罪を説く。

若佛子。一切不得受別請利養入己。而此利養屬十方僧。而別受請即取十方僧物入己。八福田諸佛聖人一一師僧父母病人物自己用故。犯輕垢罪

『若仏子、一切は、別請を受けて利養を己に入るることを得ず。而もこの利養は十方僧に属す。しかも別して請を受くれば、即ち十方僧物を取りて己に入るるなり。八福田の諸仏、聖人、一一の師僧、父母、病人の物を自ら己に用うるが故に、軽垢罪を犯す。

≪第二十七軽戒 受別請戒≫

お前たち、仏子よ!

  『僧中の一切』は、

    『別請』を受けて、

    『利養』を、

      『己の物』としてはならない!

  そもそも、

    『利養』とは、

      『十方僧(総ての僧団)』に属するものであり、

    『別請を受ける』とは、

      『十方僧物(じっぽうそうもつ、一切の比丘の共有物)』を取って、

      『己の物』とすることである。

  八福田たる、

    『諸仏、聖人、一一の師僧、父母、病人の物』を取って、

    自ら『己の為』に用いれば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  別請:特定比丘を名指しで請うこと。

  十方僧:四方僧伽。総括的僧伽。一切の僧団の集まり。十方僧物:四方僧物。一切の比丘の共同の所有する物。四分律によれば、住処地、房舎、須用物、果樹、花果の五種を挙げる。

  福田:供養の種子をまいて、福報の稲を刈り取る田の意。八福田:仏、聖人、和上、阿闍梨、僧、父、母、病人。十方僧と八福田との関係は、八福田中の仏、聖人、和上、阿闍梨、僧は十方僧の所属であり、父母と病人とは、特にその恩恵を受けることをいう。

  :比丘を対象とする。別請を受ければ上等の食事にありつけるが、自ら他の比丘、譬えば病比丘等の利得を損なうものであるが故に菩提心を損なう行為である。

若佛子。有出家菩薩在家菩薩及一切檀越。請僧福田求願之時。應入僧房問知事人。今欲次第請者即得十方賢聖僧而世人別請五百羅漢菩薩僧。不如僧次一凡夫僧。若別請僧者。是外道法。七佛無別請法。不順孝道。若故別請僧者。犯輕垢罪

『若仏子、ある出家の菩薩、在家の菩薩、及び一切の檀越、僧の福田を請うて、これを求め願う時、まさに僧房に入りて知事人に問うべし。今、次第請を欲すれば、即ち十方の賢聖の僧を得ん。而も世人、別して五百の羅漢(らかん)の菩薩僧を請うは、僧次の一凡夫僧に如(し)かず。もし別して僧を請わば、これ外道の法にして、七仏には別して請う法無く、孝道に順ぜず。もし故に別して僧を請わば、軽垢罪を犯す。

≪第二十八軽戒 別請僧戒≫

お前たち、仏子よ!

  もしくは、

    『出家の菩薩』、

    『在家の菩薩』、及び、

    『一切の檀越』が、

      『僧中の福田』を請うて、願い求める時には、

      『僧房』に入って、『知事人(僧の支配人)』に、これを問え!

  今、

    『次第請(しだいしょう、順序に従って請う)』を欲するならば、

    十方より、『賢聖の僧』を得ることができよう。

  しかも、

    『世人の別請』する、

      『五百』の、

        『阿羅漢(あらかん、聖者の位にある比丘)の菩薩僧』も、

    『僧の次第』に従う、

      『一』の

        『凡夫僧』には、敵(かな)わないのである。

    『僧を別請』することは、

      『外道の法』であり、

      『七仏には別請法が無い』のであるから、

      『孝道』に順じない。

  もし、

    『故意』に、『別請』すれば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  知事:僧中の雑事庶務を知掌する役職。請の次第を官理する。

  次第請:僧中の順序に従って請うこと。

  賢聖:高位の比丘、賢者と聖者。修善離悪の者を賢といい、断惑証理の者を聖という。

  羅漢:阿羅漢(あらかん)。煩悩を滅して仏に等しい位を得た者。

  僧次:僧中の次第。序列。

  七仏:過去七仏。釈迦以前の七人の仏であり、謂わゆる毘婆尸(びばし)仏、尸棄(しき)仏、毘舎浮(びしゃふ)仏、拘留孫(くるそん)仏、拘那含牟尼(くなごんむに)仏、迦葉(かしょう)仏、釈迦牟尼(しゃかむに)仏の七仏をいう。

  :前の『受別請戒』は比丘が別請を受けることを制し、この『別請僧戒』は、施主が僧に別請することを禁じる。即ち、顔が好いから、声が好いから、話が面白いから等の理由で別請することを禁じるものであるが、敢えて醜悪な顔、悪声、退屈な説法、病身、虚弱等で気の毒だから、滋養物を与えたいからといった理由で別請することまでを禁じるものではない。何故かといえば、菩薩が慈悲心を起すのは当然であり、この戒は性戒だからである。

若佛子。以惡心故為利養故。販賣男女色。自手作食自磨自舂。占相男女。解夢吉凶。是男是女。咒術工巧調鷹方法。和合百種毒藥千種毒藥蛇毒生金銀蠱毒。都無慈心。若故作者。犯輕垢罪

『若仏子、悪心を以っての故に、利養の為の故に、男女の色を販売す、自ら手もて食を作す、自ら磨き、自ら舂(つ)く、男女を占相す、夢の吉凶を解き、これは男、これは女とす、呪術、工巧、調鷹、方法、百種の毒薬、千種の毒薬、蛇毒を和合して金銀蠱毒(こどく、毒薬)を生ず、都(すべ)て慈心無し。もし故に作さば、軽垢罪を犯す。

≪第二十九軽戒 邪命自活戒≫

お前たち、仏子よ!

  『悪心』を起しての故に、

  『利養』の為の故に、

    『男女の肉体』を売る。

    自らの手で、

      『食料』を作り、

      『米麦』を磨()って粉にし、

      『米麦』を舂()いて糠を除く。

    『男女の相』を観て、

      吉凶を占う。

    『夢』を解いて、

      吉凶を占い、

      生まれる子の男女を占う。

    『呪術(神を駆使して人の魂魄を取り、幻術で人を惑わす)』、

    『工巧(くぎょう、鍛冶等の工芸)』、

    『調鷹(ちょうおう、鷹を調教する)』、

    『方法(四方に使いする)』、

    『百種の毒薬、千種の毒薬、蛇毒』を合わせて、

      『金銀』を生じ、

      『蠱毒(こどく、人を殺す毒薬)』を生じる。

  これ等は残らずすべて、

    『慈悲心』が無い。

  もし、

    『故意』に、行えば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  男女の色を販売する:色は肉体。売春宿の経営。女衒(ぜげん)家業。

  自らの手にて食を作す:農業、畜産、漁業、狩猟は、皆殺生にかかわる。

  占相:迷信にて人を惑わす。

  呪術:呪は神を駆使して人の魂魄を奪う、術は幻術をもって人を惑わす。

  工巧:鍛冶等は殺生の具を作る。

  調鷹:調教された鷹は小鳥等を殺す。

  方法:権力者の為に四方に使いする。

  金銀を生じる:錬金術。人を惑わす詐術。

  蠱毒を生じる:蠱毒は徐々に人を殺す蛇、又は虫の毒。毒薬は殺生の具である。

  比丘が仏の定めた「乞食によって衣食を得る」に依らず、その他の方法にて衣食を得ることを、不浄活命、或いは四不浄食といい、これに四ある。(1)下口食(げくじき):薬の調合、畑を耕す、樹木を植える等、口を下に向けて食を得る。(2)仰口食(ぎょうくじき):星座、日月、風雨の観察等、口を仰向けて食を得る。(3)方口食(ほうくじき):権力家に媚びて、四方に使いし言葉巧みに多くの布施を求める。(4)四維口食(しゆいくじき):四維とは天地の四隅でつなぐ大綱をいう。天地の吉凶を占って生活する。『大智度論巻3』参照。これ等は皆、特に比丘の為に制定された遮罪であるが、俗人の菩薩の場合には、菩提心を損なう行為は皆性罪であるので、不浄活命とみなされる行為も、遙かに範囲が広く、これ等に限るものではない。これ等はその中でも極めて悪質なものである。

若佛子。以惡心故自身謗三寶。詐現親附。口便說空行在有中。為白衣通致男女交會婬色縛著。於六齋日年三長齋月。作殺生劫盜破齋犯戒者。犯輕垢罪。如是十戒。應當學敬心奉持。制戒品中廣解

『若仏子、悪心を以っての故に、自ら身もて三宝を謗り、詐りて親附(心服)を現し、口には便ち空を説きながら、行いは有(う)中に在り、白衣(びゃくえ、俗人)の為に男女の交会を通致し、婬色に縛著す。六斎日、年に三たびの長斎月に於いてすら、殺生、劫盗を作して斎を破りて、戒を犯すとは、これ軽垢罪を犯すなり。かくの如き十戒は、まさに学びて敬心もて奉持すべし。『制戒品』中に広く解かん。

≪第三十軽戒 不敬好時戒≫

お前たち、仏子よ!

  『悪心』を起して、

    自ら、

      『三宝』を謗りながら、詐って『心服』しているかのように装い、

      口で『空』を説きながら、身は『有(う、不空)』を行い、

      俗人の為に『男女の出会い』を取り持って、いつまでも『婬欲』の煩悩に縛られる。

    しかも、

      『六斎日や、年に三度の長斎月』にさえ、

        『殺生や、偸盗』等を作し、

        『斎』を破って戒を犯すとは!

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

このように、

  『この十戒』を、

    学び敬って、

    心から奉持せよ!

これは、

  『制戒品』中に、広く明かした。

 

  (う):空の対語。存在。

  通致男女:通は通達、致は致意、即ち意を伝える。女の意を男に伝え、男の意を女に伝える。

  交会:出会い。

  婬色縛著:婬欲色欲に執著する。

  劫盗:窃盗、偸盗、ぬすみ。

  六斎日:毎月の八日、十四日、十五日、二十三日、二十九日、三十日。この日に八戒斎を行う。

  三長斎月:毎年の正月、五月、九月。この月に八戒斎を行う。

  八戒斎:八戒と一齋。八戒とは、殺生、偸盗、婬事、妄語、飲酒、歌舞観聴、身塗香飾華鬘、眠坐高広床上。齋とは、午後に飲食せざるをいう。俗信では六斎日と三長齋月とに、諸の天神等、巡狩して人間の善悪を考査するにより、世人、身を慎しんで持戒し、作福するとされていたが、仏は在家の弟子の為に、この日の一日一夜、僧団に赴き居住して、出家人の生活を学ぶよう制定された。

  :文章がやや錯綜しているが、この戒で制せられるのは次の三である。(1)三宝を謗りながら、三宝に心服したように装う。(2)口で空を説きながら、その行いは空からはずれている。(3)使いをして男女の仲を取り持つ。しかし、これ等は別々のものではない、俗人の信者は、口で仏教を信じていると言いながら、その行いは、そのことばを裏切っている、その罪を説くものである。また『六斎日に於いて』以下は、『斎日にさえ戒を犯すとは!』と驚くものであり、これは戒の因縁に相当する。決して殺生、偸盗をいうのではない。殺生偸盗は重罪である。

  :この戒の名の好時とは斎日を意味するが、上の理由から、この戒を『不敬好時戒』と呼ぶのは抵抗がある。戒の意を取れば『表裏不一致戒』とするのが相応である。

 

 

 

 

第三十一軽戒より第三十九軽戒

佛言。佛子。佛滅度後於惡世中。若見外道一切惡人劫賊賣佛菩薩父母形像。販賣經律。販賣比丘比丘尼亦賣發心菩薩道人。或為官使。與一切人作奴婢者。而菩薩見是事已。應生慈心方便救護處處教化。取物贖佛菩薩形像。及比丘比丘尼發心菩薩一切經律。若不贖者。犯輕垢罪

仏、言わく、『仏子、仏の滅度の後の悪世の中に於いて、もしは外道、一切の悪人、劫賊(盗賊)の、仏菩薩父母の形像を売り、経律を販売し、比丘比丘尼を販売し、また心を菩薩道に発せる人を売り、或いは官の為に使われ、一切の人の与(ため)に、奴婢と作れるを見ん。而して、菩薩この事を見おわらば、まさに慈心を生じ、方便して救護し、処処に教化して物を取り、仏菩薩の形像、及び比丘比丘尼、心を発せる菩薩、一切の経律を購うべし。もし購わずんば、軽垢罪を犯す。

仏は、言われた、――

≪第三十一軽戒 不行救贖戒≫

お前たち、仏子よ!

  『仏の滅度(めつど、入涅槃)』の後の悪世の中では、

  もしは、

    一切の『悪人、盗賊』等が、

      父母の如き『仏菩薩の形像』を売り、

      『経律』を売り、

      『比丘、比丘尼』を売り、また、

      『発心した菩薩道の人』を売って、

    その人が、或いは、

      『官』に使われ、

      『一切の人』の奴隷と作るのを見ることもあろう。

  『菩薩』ならば、

    これを見て、

      『慈悲心』を生じ、『方便』して救護しなければならない!

    処処に、

      『悪人』を教化して、『人と物と』を取り返し、

    或いは、

      『仏菩薩の形像、比丘比丘尼、発心した菩薩、一切の経律』等を、

        買い求めるものである。

  もし、

    買い取らなければ、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  仏菩薩父母形像:且く仏を父と呼び、菩薩を母と呼ぶとの意と取る。

  :人も品物も共に物という。

  :寺院所属の仏像、経巻、比丘比丘尼が盗賊等の悪人に奪われ、それを買い戻さない罪を説く。

若佛子。不得畜刀仗弓箭。販賣輕秤小斗。因官形勢取人財物。害心繫縛破壞成功。長養貓狸豬狗。若故作者。犯輕垢罪

『若仏子、刀杖(武器)、弓箭を畜え、軽秤、小斗を販売し、官の形勢に因って人の財物を取り、害心もて繋縛し、成功(じょうく)を破壊して猫狸猪狗を長養するを得ず。もし故に作さば、軽垢罪を犯す。

≪第三十二軽戒 損害衆生戒≫

お前たち、仏子よ!

  『刀杖、弓箭』を畜え、

  『軽秤、小斗』で売り、

  『官吏の権力、威勢』をもって、

    『財物』を人から奪い、

    『害意』を起して人を縛り、

    『他人の功績』を破壊して、

    『猫狸猪狗』の輩を養ってはならない!

  もし、

    故意に、これを作せば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  軽秤:分銅に細工して軽くした秤。

  小斗:小さく作った斗。

  成功:他人のなした功績。

  猫狸猪狗:権力を持つ一切の悪人に譬える。

  :ここに説きたるは、この戒の一分に過ぎず。ただ、『権力をもって衆生を損害するは、菩薩の行業に非ず』と理解すれば、この戒に制せられたる所の一一は尽く自明である。

若佛子。以惡心故觀一切男女等鬥。軍陣兵將劫賊等鬥。亦不得聽吹貝鼓角琴瑟箏笛箜篌歌叫伎樂之聲。不得摴蒲圍碁波羅賽戲彈碁六博拍毬擲石投壺八道行城爪鏡蓍草楊枝缽盂髑髏。而作卜筮。不得作盜賊使命。一一不得作。若故作者。犯輕垢罪

『若仏子、悪心を以っての故に、一切の男女等の闘、軍陣の兵将、劫賊等の闘を観る(を得ず)、また吹貝(すいばい)、鼓角(くかく)、琴瑟(きんしつ)、箏笛(そうてき)、箜篌(くご)、歌叫(かきょう)、伎楽の声を聴くを得ず、摴蒲(ちょぼ)、囲碁、波羅賽戯(はらさいげ)、弾碁、六博(ろくはく)、拍毬(びゃくきく)、擲石(ちゃくしゃく)、投壺(とうこ)、八道行城、爪鏡(そうきょう)、蓍草(しそう)、楊枝(ようじ)、鉢盂(はちう)、髑髏(どくろ)もて、卜筮(ぼくぜい)を作すを得ず。盗賊の使命と作るを得ず。一一作すを得ざるに、もし故に作さば、軽垢罪を犯す。

≪第三十三軽戒 邪業覚観戒≫

お前たち、仏子よ!

  『悪心』を起して、

    『一切の男女の闘』、

    『軍陣の兵将の闘』、

    『盗賊等の闘』等を見てはならない!

  また、

    『法螺貝、太鼓、角笛、琴、竪琴、歌声』等の音楽を聴いてはならない!

    『博打、囲碁、将棋、おはじき、双六、蹴鞠、石投げ、矢投げ、別種の双六』等をしてはならない!

    『爪鏡、筮竹、人形、水鏡、髑髏』等で占ってはならない!

  このような事を作して、

    『盗賊の手下』となるべきでない!

  これ等の一一は、

    皆、作してはならない!

  もし、

    『故意』に、作せば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  吹貝:法螺貝を吹く、鼓角:太鼓と角笛。

  琴瑟:七弦と二十五弦、筝笛:十三弦、箜篌:二十四弦の弾奏楽器。琴、竪琴の類。

  歌叫:歌声、伎楽:音楽。

  :博打、波羅賽戯:将棋、弾碁:おはじき、六博:双六、拍毬:蹴鞠、擲石:石投げ。

  投壺:矢投げ、八道行城:双六類似の遊び。

  爪鏡:爪に映し、蓍草:筮竹、楊枝:人形、鉢盂:水鏡、髑髏:頭蓋骨を用いて占う。

  使命:使者、手下。

  :これ等は皆、正業でなく邪業である。これ等を作す者は、やがて盗賊の手下になるであろう。ここに説かれているものは、皆、人の心を蕩かし、人をしてうっとりさせ、やがて悪事に迸らせて仏の種子を枯らす。

若佛子。護持禁戒。行住坐臥日夜六時讀誦是戒。猶如金剛。如帶持浮囊欲度大海如草繫比丘。常生大乘善信。自知我是未成之佛。諸佛是已成之佛。發菩提心。念念不去心。若起一念二乘外道心者。犯輕垢罪

『若仏子、禁戒を護持し、行住坐臥、日夜六時にこの戒を読誦すること、なお金剛の如く、浮嚢(ふのう、浮袋)を帯持して大海を度(わた)らんと欲するが如く、草繋(そうけ)比丘の如くなるべし。常に大乗の善信を生じて、自ら、『われはこれ未成の仏、諸仏はこれ已成の仏なり』と知って、菩提心を発し、念念に心を去らざれ。もし一念にも二乗、外道の心を起さば、軽垢罪を犯す。

≪第三十四軽戒 念小乗戒≫

お前たち、仏子よ!

  『禁戒』を護持せよ!

  『この戒』を、

    日夜六時、行住坐臥にも読誦して、

    『金剛(山を打砕く武器)』のように煩悩を打砕け!

  『この戒』を、

    『浮き袋』を抱いて大海を渡るかのように、護持し、

    『草繋(そうけ)比丘』のようであれ!

  常に、

    『大乗の善信』を生じて、

  自ら、

    『わたしは未だ成就せざる仏であり、諸仏はすでに成就した仏である。』と知り、

    『菩提心』を起して、一瞬たりとも心より去らすな!

  もし、

    一瞬でも、『二乗、外道の心』を起せば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  草繋比丘:持戒の故に草の命を護り餓死した比丘。『賢愚経第5沙彌守戒自殺品』に云わく、「諸の比丘、賊に劫奪せられ、草を以って繋縛せられしに、風吹き日曝らし、諸虫食するも、戒を護るを以っての故に、草を絶ちて去らず。」と。

  浮嚢:『摩訶般若波羅蜜經譬品第五十一』:『須菩提。若船破時其中人取木取器物浮囊死尸。當知是人終不沒死。安隱無礙得到彼岸』参照。

  :戒名の『(ざん)』は『暫』と同じく、しばらく、少しの時間を指す。菩薩は、暫くの間でさえ、小乗の心を起さず、菩提心を発して、草繋比丘の如く、この戒を護持しなければならない。

若佛子。常應發一切願。孝順父母師僧三寶。願得好師同學善友知識。常教我大乘經律。十發趣十長養十金剛十地。使我開解。如法修行堅持佛戒。寧捨身命念念不去心。若一切菩薩不發是願者。犯輕垢罪

『若仏子、常に、まさに一切の願を発して、父母、師僧、三宝に孝順すべし。願いて好師、同学の善友、知識を得、常にわが大乗の経律、十発趣、十長養、十金剛、十地を教えて、われをして開解せしめ、如法に修行して、仏戒を堅持せよ。寧ろ身命を捨つるとも、念念にも心を去らざれ。もし一切の菩薩、この願を発さずんば、軽垢罪を犯す。

≪第三十五軽戒 不発願戒≫

お前たち、仏子よ!

  常に、

    『一切の願』を発して父母、師僧、三宝に孝順し、

    願って、

      『好師、同学の善友、知識(知人)』を得よ!

      常に、

        『わたし(盧舎那仏)の大乗経律、十発趣、十長養、十金剛、十地』を教えて、

          『わたし(盧舎那仏)』をして、安心せしめよ!

        『如法』に修行して、

          『仏戒』を堅持せよ!

    寧ろ、

      『身命』を捨てるとも、

      『一瞬』たりと心を去らすな!

  もし、

    一切の『菩薩』が、この願を発さなければ、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  一切の願:次戒ではこれを十大願と呼ぶが、その内訳は恐らくは凡そ次のとおり、(1)父母、(2)師僧、(3)三宝に孝順する。(4)好師、(5)同学の善友、(6)知識を得る。(7)盧舎那仏の説く大乗の経律、十発趣、十長養、十金剛、十地を教える。(8)如法に修行して、(9)仏戒を堅持する。(10)これ等の事は、身命を捨てるとも一瞬たりとも心を去らせない。ただし異説多し。

  孝順父母:出家の場合は怨親を等しく見るが、在家の場合に父母の孝養は方便としても重要である。

  十発趣、十長養、十金剛、十地:『上巻』参照。

  我をして開解せしむ:開解とは心の閉塞、凝結を開放、溶解すること。盧舎那仏の心をして安んじる。

  :この戒の眼目は『願』にはなく、『正法の久住』にある。盧舎那仏の心憂事とは正法が久住しない事に尽きるのである。父母、師僧、三宝に孝順し、好師、同学の善友知識を得たならば、盧舎那仏の説く大乗の経律、十発趣、十長養、十金剛、十地を教えて盧舎那仏の心を安んじ、如法に修行して、仏戒を堅持し、これ等の事を一瞬たりと心から去らせなければ、正法は久住しよう。

若佛子。發十大願已。持佛禁戒。作是願言。寧以此身投熾然猛火大坑刀山。終不毀犯三世諸佛經律與一切女人作不淨行。復作是願。寧以熱鐵羅網千重周匝纏身。終不以破戒之身受於信心檀越一切衣服。復作是願。寧以此口吞熱鐵丸及大流猛火經百千劫。終不以破戒之口食信心檀越百味飲食。復作是願。寧以此身臥大猛火羅網熱鐵地上。終不以破戒之身受信心檀越百種床座。復作是願。寧以此身受三百鉾刺經一劫二劫。終不以破戒之身受信心檀越百味醫藥。復作是願。寧以此身投熱鐵鑊經百千劫。終不以破戒之身受信心檀越千種房舍屋宅園林田地。復作是願。寧以鐵鎚打碎此身從頭至足令如微塵。終不以破戒之身受信心檀越恭敬禮拜。復作是願。寧以百千熱鐵刀鉾挑其兩目。終不以破戒之心視他好色。復作是願。寧以百千鐵錐遍劖刺耳根經一劫二劫。終不以破戒之心聽好音聲。復作是願。寧以百千刃刀割去其鼻。終不以破戒之心貪嗅諸香。復作是願。寧以百千刃刀割斷其舌。終不以破戒之心食人百味淨食。復作是願。寧以利斧斬斫其身。終不以破戒之心貪著好觸。復作是願。願一切眾生悉得成佛。而菩薩若不發是願者。犯輕垢罪

『若仏子、十大願を発し已らば、仏の禁戒を持ちて、この願を作して言え、『寧ろこの身を、熾然たる猛火の大坑、刀山に投ずとも、終に三世諸仏の経律を毀犯せず、一切の女人と不浄行を作さず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろ熱鉄の羅網を以って、千重に周匝(しゅうそう)して身に纏うとも、終に破戒の身を以って、信心の檀越より、一切の衣服を受けず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろこの口を以って、熱鉄の丸(たま)、及び大流の猛火を呑み、百千劫を経るとも、終に破戒の口を以って、信心の檀越の百味の飲食を食わず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろこの身を以って、大猛火の羅網、熱鉄の地上に臥すとも、終に破戒の身を以って、信心の檀越の百種の床座を受けず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろこの身を以って、三百の鉾の刺すを受けて一劫二劫を経るとも、終に破戒の身を以って、信心の檀越の百味の医薬を受けず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろこの身を以って、熱鉄の鑊(かく、鍋)に投じて百千劫を経るとも、終に破戒の身を以って、信心の檀越の千種の房舎、屋宅、園林、田地を受けず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろ鉄鎚を以って、この身を打砕き、頭より足に至るまで微塵の如くならしむとも、終に破戒の身を以って、信心の檀越の恭敬礼拝を受けず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろ百千の熱鉄の刀鉾を以って、その両目を挑るとも、終に破戒の心を以って、他の好色を視ず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろ百千の鉄錐を以って、遍く耳根を劖刺(ぜんし)して一劫二劫を経るとも、終に破戒の心を以って好音声を聴かず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろ百千の刃刀を以って、その鼻を割去すとも、終に破戒の心を以って、諸の香を貪り嗅がず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろ百千の刃刀を以って、その舌を割断すとも、終に破戒の心を以って、人の百味の浄食を食わず。』と。

また、この願を作せ、『寧ろ利斧を以って、その身を斬斫すとも、終に破戒の心を以って、好触に貪著せず。』と。

また、この願を作せ、『願わくは、一切の衆生をして悉く成仏を得しめん。』と。而るに菩薩、もしこの願を発さずんば、軽垢罪を犯す。

≪第三十六軽戒 不発誓戒≫

お前たち、仏子よ!

  『十の大願(前戒参照)』を発しおわったならば、

    『仏の禁戒(この十重四十八)』を持(たも)つために、

  この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この身を、盛んに燃える火口や、刀の山に投じるとも、

     決して、

       『三世諸仏の経律』を破ることも、

       『一切の女人との不浄行』もいたしません。』と。

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       熱鉄の網を千重に身に纏おうとも、

     決して、

       『破戒の身』で、

         『信心の檀越(だんおつ、施主)』から、

         『一切の衣服』を受けることはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この口で、熱鉄の弾丸、及び流れる溶岩を呑んで、百千劫を経ようとも、

     決して、

       『破戒の口』で、

         『信心の檀越』から、

         『百味の飲食』を得て食うことはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この身で、大猛火の焼き網、熱鉄の地面に臥せようとも、

     決して、

       『破戒の身』で、

         『信心の檀越』から、

         『百種の床座』を受けることはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この身に、三百の槍を受けて、一劫二劫を経ようとも、

     決して、

       『破戒の身』で、

         『信心の檀越』から、

         『百味の医薬』を受けることはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この身を、熱鉄の鍋に投じて、百千劫を経ようとも、

     決して、

       『破戒の身』で、

         『信心の檀越』から、

         『千種の房舎、屋宅、園林、田地』を受けることはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この身を、鉄鎚で打砕き、頭から足に至るまで微塵になろうとも、

     決して、

       『破戒の身』で、

         『信心の檀越』の、

         『恭敬礼拝』を受けることはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この両目を、百千の熱鉄の槍や刀で、挑(えぐ)ろうとも、

     決して、

       『破戒の心』で、

         『他の好もしき物』を視ることはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この両耳を、百千の鉄の錐で挑り刺し、一劫二劫を経ようとも、

     決して、

       『破戒の心』で、

         『好もしい音声』を、聴くことはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この鼻を、百千の刃で、削ぎ取ろうとも、

     決して、

       『破戒の心』で、

         『諸の香』を、貪り嗅ぐことはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この舌を、百千の刃で、断ち切ろうとも、

     決して、

       『破戒の心』で、人からいただいて

         『百味の浄食』を、食うことはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『たとえ、

       この身を、利い斧で、断ち切ろうとも、

     決して、

       『破戒の心』で、

         『好もしい物』に、貪り触れることはありません。』

  また、この願を立てよ、――

    『願わくは、

       『一切の衆生』が、悉く、仏と成ることができますように。』と。

それなのに、

  菩薩が、

    もし、これ等の『願』を発さなければ、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

 

  十大願:前の『第三十五軽戒 不発願戒』を指す。この願は、正法の久住を願うが故に大願という。

  :これ等の願は、凡そ四種に分けることができる。(1)婬事を断ち、(2)不浄の心で布施を受ず、(3)六根を清浄に持ち、(4)一切の衆生よ、仏に成れ!と願う。この戒は、これ等の願をとおして、前の戒と同じく正法の久住を願うのものである。前には正法の久住を願い、今また自ら大乗戒を堅持して正法をして断えざらしめんと願う。まさに知るべし。

若佛子常應二時頭陀冬夏坐禪結夏安居。常用楊枝澡豆三衣瓶缽坐具錫杖香爐漉水囊手巾刀子火燧鑷子繩床經律佛像菩薩形像。而菩薩行頭陀時及遊方時。行來百里千里。此十八種物常隨其身。頭陀者從正月十五日至三月十五日。八月十五日至十月十五日。是二時中此十八種物。常隨其身如鳥二翼。若布薩日新學菩薩。半月半月布薩誦十重四十八輕戒。時於諸佛菩薩形像前。一人布薩即一人誦。若二人三人乃至百千人亦一人誦。誦者高座。聽者下坐。各各披九條七條五條袈裟。結夏安居一一如法。若頭陀時莫入難處。若國難惡王。土地高下草木深邃。師子虎狼水火風難。及以劫賊道路毒蛇。一切難處悉不得入。若頭陀行道乃至夏坐安居。是諸難處悉不得入。若故入者。犯輕垢罪

『若仏子、常に、まさに二時(春秋)に頭陀(づだ、乞食行)し、冬夏に坐禅して夏安居を結び、常に楊枝、澡豆(そうづ)、三衣、瓶、鉢、坐具、錫杖、香炉、漉水嚢(ろくすいのう)、手巾(しゅきん)、刀子(とうし)、火燧(かすい)、鑷子(にょうし)、縄床、経、律、仏像、菩薩の形像を用うべし。而も菩薩は頭陀を行ずる時、及び遊方の時、行来すること百里千里なりとも、この十八種の物、常にその身に随うべし。

頭陀とは、正月十五日より三月十五日に至り、八月十五日より十月十五日に至る。この二時の中には、この十八種の物、常にその身に随いて、鳥の二翼の如くなるべし。

布薩(ふさつ)の日の若きは、新学の菩薩、半月半月の布薩に、十重四十八軽戒を誦す時、諸仏菩薩の形像の前に於いて、一人の布薩なれば即ち一人にて誦し、もし二人三人、乃ち百千人に至るまでも、また一人にて誦すべし。

誦者は高座にて、聴者は下座にて、各各九條(大衣)七條(中衣)五條(小衣)の袈裟(けさ、染衣)を披(き)、夏安居を結ぶときも一一如法にすべし。

頭陀の時の若きは、難処に入る莫かれ。もしは国難、悪王、土地の高下なる、草木の深邃(じんすい、奥地)なる、師子、虎狼、水火、風難より、及び劫賊の道路、毒蛇、一切の難処には悉く入るを得ず。もしは頭陀にて道を行き、及び夏坐安居に至るまで、この諸の難処には悉く入るを得ず。もし故に入らば、軽垢罪を犯す。

≪第三十七軽戒 冒難遊行戒≫

お前たち、仏子よ!

  常に、

    『春と秋』には、頭陀(づだ、乞食行)をして、

    『冬と夏』には、坐禅、夏安居(げあんご、雨季の生活)をせよ!

  常に、

    『楊枝(歯の清掃具)、澡豆(そうづ、洗剤)、三衣(さんね、大中小三枚の衣)、

     瓶(水を入れる器)、鉢(食物を入れる器)、坐具(坐るために地面に敷く布)、

     錫杖(害獣、毒蛇を除けるための音の出る杖)、香炉(香を焚いて気分を清浄にする炉)、

     漉水嚢(ろくすいのう、水虫を除けるため飲み水を漉す布)、手巾(しゅきん、手を拭う布)、

     刀子(とうし、小刀)、火燧(かすい、火を作る道具)、鑷子(にょうし、毛抜き)、

     縄床(じょうしょう、携帯用の寝台)、経律(経律の巻物)、仏菩薩の形像』を用いよ!

  菩薩は、

    『頭陀の時』と、『遊行の時』とには、

    『往来』すること、たとえ百里千里であろうとも、

      『この十八種の物』を、常に身に付けて携えよ!

  『頭陀』とは、

    『正月十五日から、三月十五日』に至るまでと、

    『八月十五日から、十月十五日』に至るまでである。

  この期間は、

    『この十八種の物』を、

      鳥の、両翼のように、

      常に、身に付けていなくてはならない。

  『布薩(ふさつ、説戒)日』とは、、

    『新学の菩薩』であれば、

      『半月』ごとに、布薩しなければならない!

      『十重四十八軽戒』を誦す時は、

        『諸仏、菩薩の形像』を前にして、

        『一人の布薩』であれば、一人で誦し、

        『二三人から百人千人に至るまでの布薩』であっても、また一人で誦せ!

        『誦者』は、高座に昇り、

        『聴者』は、下座に居り、

      各各は、

        『九條、七條、五條(衣の大きさを表す)の袈裟(けさ、法衣)』を着けよ!

  『夏安居』を結ぶ時は、一一如法に作せ!

  『頭陀』の時は、

    『難処』に入ってはならない!

    『国難の処』、『悪王の処』、『土地が高下する処』、『草木が深い密林』、『師子、虎狼の処』、

    『水難、火難、風難の処』、及び『盗賊の出る道路』、『毒蛇の処』など、

    『一切の難処』には、悉く入ってはならない!

  『頭陀行道』の時であれ、

  『夏坐安居』の時であれ、

    この諸の難処には、悉く入ってはならない!

  もし、

    『故意』に、入るようならば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  十二頭陀:頭陀は修治等と訳す、即ち身心を修治して煩悩の塵垢を洮汰する。これに十二種の行法あり。(1)在阿蘭若(あらんにゃ、空閑)処:人家の喧噪を離れて居住する、(2)常乞食:常に食を乞うて活命する、(3)次第乞食:乞食は、貧富を択ばず隣家から隣家に移る、(4)受一食法:日に唯一食のみを受く、(5)節量食:食は量を節して満腹してはならない、(6)中後不得飲漿:午前中に飲食し、午後はしない、(7)著弊衲衣:衣は粗末を要とし、人に盗心を起させない、(8)但三衣:但大衣(外出着と夜着を兼ねる)中衣(聴法着)小衣(普段着)のみを所有する、(9)塚間住:屍林、火葬場等にて世間の無常苦空等を観ず、(10)樹下止:塚間にて覚らざるときは、また仏と同じく樹下にて坐禅する、(11)露地坐:涼しい樹蔭に愛著を生じたときは、露地に坐して愛著を捨てる、(12)但坐不臥:坐して横にならない。

  夏安居:印度の僧は雨季には外出を禁じて、坐禅修学に励む。

  十八物:大乗比丘の常に随身し用うべき十八の物。(1)楊枝:口中の清掃に用う、(2)澡豆:大豆の粉、手を洗うに用いる、(3)三衣:衣には大中小があり、それぞれ九條、七條、五條の布を縫い合わせて作る。大衣は儀式、中衣は聴法、小衣は普段着として用いる。(4)瓶:浄水飲料水を盛る器、(5)鉢:飯を盛る器、(6)坐具:坐臥の時、地上床上に敷く布、(7)錫杖:頭部に鐶を附し、これを振動して声を出さしむる杖、遊行の時は害虫を駆遣し、乞食の時には人を警覚するに用いる、(8)香炉:香を焚くに用いる、(9)漉水嚢:水中の虫を濾過するに用いる布嚢、(10)手巾:手を拭うに用いる小布、(11)刀子:剃髪、截爪、裁衣等に用いる小刀、(12)火燧:火を得る具、即ち陽熱を受けて火を発する丸い珠、(13)鑷子:毛抜き、棘や鼻毛を抜くに用いる、(14)縄床:軽い木枠に縄を張って組み立てる簡便な寝床、(15)経、(16)律、(17)仏像:信心を増す、(18)菩薩の形像。

  布薩:毎月十四日と二十九日、僧中の比丘全員が集まり、戒本を読み上げて僧中を清浄ならしむ。

  九條七條五條:九條等は一枚の布の大きさ。敢えて数片の布を綴り合わせて一枚にし、盗心を防ぐ。

  袈裟:染衣と訳す。俗人は白衣を好んで着用するにより、敢えて黄色等に染めて、盗心を防ぐ。

  :この戒は、出家の比丘が頭陀と夏安居を如法に執り行うよう定めるものであり、ただ難処に入るのを制するものではない。一を説いて十を知らしめ、如法でなければ総じて軽垢罪を犯すと取るべきである。

若佛子。應如法次第坐。先受戒者在前坐。後受戒者在後坐不問老少比丘比丘尼貴人國王王子乃至黃門奴婢。皆應先受戒者在前坐。後受戒者次第而坐。莫如外道癡人。若老若少無前無後。坐無次第兵奴之法。我佛法中先者先坐後者後坐。而菩薩不次第坐者。犯輕垢罪

『若仏子、まさに如法の次第に坐すべし。先に戒を受くれば前に在りて坐し、後に戒を受くれば後に在りて坐し、老少も、比丘比丘尼も、貴人の国王王子より、乃ち黄門(おうもん)奴婢に至るまで、皆まさに先に戒を受くれば前に在りて坐し、後に戒を受くれば次第して坐すべし。外道、癡人の如くすること莫かれ。もしは老、もしは少なりとも前無く後無し。坐するに次第無きは兵奴の法なり。わが仏法中には、先なれば先に坐し、後なれば後に坐す。而るに菩薩にして、次第に坐さずんば、軽垢罪を犯す。

≪第三十八軽戒 乖尊卑次序戒≫

お前たち、仏子よ!

  『如法の順序』に従って、坐らなくてはならない!

    『先に戒を受けた者』は、『前』に坐り、

    『後に戒を受けた者』は、『後』に坐れ!

  『老少、比丘比丘尼、貴人、国王、王子』から、『黄門(おうもん、不能男)、奴婢』に至るまで、

  それを問うことなく、

  皆、

    『先に戒を受けた者』は、『前』に坐り、

    『後に戒を受けた者』は、『その次』に坐れ!

  『外道や、道理を知らない癡人』のようであってはならない!

    老若男女が、前後無く坐り、

    無秩序に坐るのは、兵隊か奴隷の法である。

  『わが仏法の中』では、

    『先の者』が、『先』に坐り、

    『後の者』が、『後』に坐るのである。

  しかるに、

    菩薩が、順序を知らずに坐るとは!

  これは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  次第に坐す:席次のことである。

  黄門:梵語、無男根、不能男と訳す。

  :この戒は、菩薩間の席次を老少、男女、貴賤、官庶等ではなく、ただ受戒の先後に由ると説く。

若佛子。常應教化一切眾生。建立僧房山林園田立作佛塔。冬夏安居坐禪處所。一切行道處。皆應立之。而菩薩應為一切眾生講說大乘經律。若疾病國難賊難。父母兄弟和上阿闍梨亡滅之日。及三七日乃至七七日。亦應讀誦講說大乘經律。齋會求福行來治生。大火所燒大水所[*]。K風所吹船舫。江河大海羅之難。亦應讀誦講說此經律。乃至一切罪報三報七逆八難。杻械枷鎖繫縛其身。多婬多瞋多愚癡多疾病。皆應讀誦講說此經律。而新學菩薩若不爾者。犯輕垢罪。如是九戒。應當學敬心奉持。梵壇品當說

『若仏子、常に、まさに一切の衆生を教化すべく、僧房を建立し、山林園田に仏塔を立作し、冬夏の安居、坐禅の処所(場所)、一切の道を行う処は、皆まさにこれを立つべし。

而も菩薩は、まさに一切の衆生の為に、大乗の経律を講説すべくして、疾病、国難、賊難、父母兄弟和上阿闍梨の亡滅の日の若きには、三七日より乃ち七七日に至るに及びて、またまさに大乗の経律を読誦し、講説すべし。

齋会にて福を求むるにも、行来にも、治生(じしょう、暮しを立てる時)にも、大火に焼かるるにも、大水に漂わさるるにも、黒風に吹かるるにも、船舫にても、江河にても、大海にても、羅刹(らせつ、悪鬼)の難にても、またまさにこの経律を読誦し、講説すべし。乃ち一切の罪報、三報(三悪道の報)、七逆、八難、杻械(ちゅうかい、手かせ足かせ)、枷鎖(かさ、首かせと鎖)もて、その身を繋縛し、多婬、多瞋、多愚癡、多疾病に至るまで、皆まさにこの経律を読誦し講説すべし。而るに新学の菩薩、もし爾らずんば、軽垢罪を犯す。かくの如きの九戒、まさに学びて敬心もて奉持すべし。『梵壇品』にまさに説くべし。

≪第三十九軽戒 不修福慧戒≫

お前たち、仏子よ!

  『一切の衆生』を教化する為に、

    『僧房』を建立し、山林や田園には『仏塔』を立てよ!

    冬夏に安居して坐禅する処にも、

    一切の行道する処にも、皆、『仏塔』を立てよ!

しかも、

  『菩薩』は、

    『一切の衆生』の為に、

      『大乗の経律』を講説するものである。

  『疾病、国難、賊難の日』、及び、

  『父母、兄弟、和上(わじょう)、阿闍梨(あじゃり)の忌日』等には、

    『三七日』から、『七七日』に至るまでの間、

    『大乗の経律』を、読誦し講説せよ!

  『斎会(さいえ)にて福を求める時』にも、

  『道を往来する時』にも、

  『暮しを立てる時』にも、

  『大火に焼かれる時』にも、

  『大水に流される時』にも、

  『台風に吹かれる時』にも、

  『船に乗って江河大海を渡る時』にも、

  『悪鬼に出会った時』にも、また

    『この大乗の経律』を、読誦し講説せよ!

  『一切の罪報を受ける時』にも、

  『三悪道に墜ちた時』にも、

  『七逆八難の罪を受ける時』にも、

  『手かせ足かせの時』にも、

  『首かせや鎖で、その身を縛られた時』にも、

  『多婬、多瞋、多愚癡、多疾病の時』にも、皆

    『この大乗の経律』を読誦し講説せよ!

しかるに、

  もし、

    『新学の菩薩』が、そのようにしなければ、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 このように、

  『この九戒』を、

    学び敬って、

    心から奉持せよ!

これは、

  『梵壇品』中に、更に説くであろう。

 

  仏塔:仏の遺骨を収める塔廟。後には仏教の所在を示す標柱を指す。

  行道:貴人の周囲を右回りに周回する印度の礼法に順じて、仏塔、仏像の周囲を一周、三周、七周、乃至百千周する行法。

  和上:僧中で自らに戒を授けてくれる師。

  阿闍梨:僧中で自らを教授指導してくれる師。

  斎会:上は諸仏菩薩から、下は地獄餓鬼畜生に至るまで、人中でいえば賢愚、凡聖、上下、道俗を分けず、皆、財法二施を以って、平等に供養する。

  七逆:出仏身血、殺父、殺母、殺和尚、殺阿闍梨、破羯磨僧、殺阿羅漢。第四十軽垢罪参照。

  八難:地獄、餓鬼、畜生、鬱単越、長寿天、聾盲瘖唖、世智辨聡、仏前仏後。仏法を聞き難い処。

  梵壇品:不明。

  :この戒は、大乗の経律を常に読誦し講説せよと説く。一切の衆生の為に、僧房を建て、仏塔を起てて、大乗の経律を講説せよ。菩薩とは自らの為に読誦し、他の為に講説するものである。三界六道の何処にいようとも、如何なる境遇にあろうとも、常に大乗の経律を読誦して講説せよ。

 

 

 

 

第四十軽戒より第四十八軽戒

佛言。佛子。與人受戒時。不得蕑擇一切國王王子大臣百官。比丘比丘尼信男信女婬男婬女。十八梵天六欲天子無根二根黃門奴婢。一切鬼神盡得受戒。應教身所著袈裟。皆使壞色與道相應。皆染使青黃赤K紫色一切染衣。乃至臥具盡以壞色。身所著衣一切染色。若一切國土中國人所著衣服。比丘皆應與其俗服有異。若欲受戒時師應問言。汝現身不作七逆罪耶。菩薩法師不得與七逆人現身受戒。七逆者。出佛身血。殺父。殺母。殺和上。殺阿闍梨。破羯磨轉法輪僧。殺聖人。若具七遮即現身不得戒。餘一切人盡得受戒。出家人法不向國王禮拜。不向父母禮拜。六親不敬。鬼神不禮。但解師語。有百里千里來求法者。而菩薩法師。以惡心而不即與授一切眾生戒者。犯輕垢罪

仏、言わく、『仏子、人の受戒に与(あずか)る時、簡択(けんじゃく、選択)するを得ず。

一切の国王王子、大臣百官、比丘比丘尼、信男信女、婬男婬女、十八梵天六欲天子、無根二根、黄門奴婢、一切の鬼神は尽く戒を受くることを得。

まさに身に著くる所の袈裟を教え、皆に壊色(えしき)して道に相応せしめ、皆、染めて青黄赤黒紫色ならしむべし。一切を染衣(せんね)して、乃ち臥具に至るまで尽く壊色するを以って、身に著くる所の衣は一切染色ならしめよ。

一切の国土の中に、国人の著くる所の衣服の若きは、比丘は皆まさに、その俗服と異り有るべし。

もし戒を受けんと欲する時、師、まさに問うて言うべし、『汝、現身に七逆罪を作ざざるや。』と。

菩薩の法師は、七逆の人の現身に戒を受くるに与るを得ず。

七逆とは、仏身より血を出だす、父を殺す、母を殺す、和上(わじょう)を殺す、阿闍梨(あじゃり)を殺す、羯磨(かつま)と転法輪との僧を破る、聖人(阿羅漢)を殺すなり。もし七遮(七逆)を具せば現身に戒を得ず。

余の一切の人は尽く戒を受くることを得。

出家人の法は、国王に向かって礼拝せず、父母に向かって礼拝せず、六親を敬わず、鬼神に礼せず、ただ師語を解すのみ。

百里千里を来たりて法を求むる者有らん、而るに菩薩の法師、悪心を以って即ち一切の衆生に戒を与え授けずんば、軽垢罪を犯す。

仏は、言われた、――

≪第四十軽戒 揀択受戒戒≫

お前たち、仏子よ!

  『人の受戒に関与する時』、

    『事の良し悪し』を択んではならない!

  一切の

     『国王王子、大臣百官、比丘比丘尼、信男信女、婬男婬女、

      色界の十八梵天、欲界の六欲天子、無根二根の者、黄門(おうもん)、

      奴婢、一切の鬼神』等は、悉く、受戒できるのである。

  その時には、

    身に着ける所の、『袈裟』を教えよ!

  『袈裟』は、

    皆、『道』に相応しく、壊色(えしき、汚染)して、

    皆、『青、黄、赤、黒、紫色』に、染めさせよ!

  『一切の衣』を、

    染めたならば、

    『臥具』に至るまで、悉くを壊色して、

    『身に着ける衣』は、一切を染色せよ!

  『一切の国土』の中で、

    『俗人の着ける衣服』と、

    『比丘の着ける衣服』とは異っていなければならない!

  『受戒しようとする時』、

    『師の和上』は、こう問え、――

    『あなたは、現在の身で七逆の罪を犯していないか?』と。

  『菩薩の法師』は、

    『七逆罪の者が、現在の身で受戒する』ことに関与できない!

  『七逆』とは、

    『仏身』から血を出す』、

    『父』を殺す』、

    『母を殺す』、

    『和上(わじょう、戒を授ける師)を殺す』、

    『阿闍梨(あじゃり、経律を教える師)を殺す』、

    『羯磨(かつま、儀式)と転法輪の僧を破る』、

    『聖人(離欲の聖者、阿羅漢)を殺す』である。

  もし、

    『七逆』を具えていれば、

    『現身で受戒する』ことはないが、

  その他の、

    『一切の人』は、悉く、受戒できる。

  『出家人の法』とは、

    『国王に向かって礼拝する』ものでも、

    『父母に向かって礼拝する』ものでも、

    『六親を敬う』ものでも、

    『鬼神に礼拝する』ものでもなく、

  ただ、

    『師のことばを理解する』ものである。

  『百里千里を来て法を求める者』が有る、

    『菩薩の法師』が、

      『悪心』を起して、

        『一切の衆生に戒を授ける』ことに関与しないのであれば、

    それは、

      『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  簡択:事の良し悪しを択び分ける。

  信男信女:俗人の男女の信者、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)。

  婬男婬女:男女の売淫者。

  十八梵天:色界の諸天。

  六欲天:欲界の諸天。

  無根:男根女根共に無い者。

  二根:男根女根共に有る者。

  黄門:不能の男子。

  壊色:俗人は白を好むが故に、人が盗心を懐かせないよう、青黄赤黒紫色に染める。

  羯磨:受戒の時、或いは懺悔の時、その成就したことを宣告する儀式。

  転法輪:説法。

  :この戒は、菩薩の法師は請われたならば必ず戒を授くべしと説くものであり、その中には戒の和上、或いは阿闍梨として関与することも含むのである。また七逆を犯した者には現身にては受戒することの不可なることをも説く。七逆が不可なる理由は、十重が波羅夷罪なる理由と同じであり、庶民の信を得難いからである。

若佛子。教化人起信心時。菩薩與他人作教誡法師者。見欲受戒人。應教請二師和上阿闍梨。二師應問言。汝有七遮罪不。若現身有七遮。師不應與受戒。無七遮者得受。若有犯十戒者應教懺悔。在佛菩薩形像前。日夜六時誦十重四十八輕戒。若到禮三世千佛得見好相。若一七日二三七日乃至一年要見好相。好相者。佛來摩頂見光見華種種異相。便得滅罪。若無好相雖懺無益。是人現身亦不得戒。而得搦戒。若犯四十八輕戒者。對首懺罪滅。不同七遮。而教誡師於是法中一一好解。若不解大乘經律若輕若重是非之相。不解第一義諦。習種性長養性不可壞性道種性正性。其中多少觀行出入十禪支一切行法。一一不得此法中意。而菩薩為利養故為名聞故。惡求多求貪利弟子。而詐現解一切經律。為供養故。是自欺詐亦欺詐他人。故與人受戒者。犯輕垢罪

『若仏子、人を教化して信心を起さしむる時、菩薩、他人の与(ため)に教誡の法師と作らば、戒を受けんと欲する人を見て、まさに教えて二師、和上と阿闍梨とを請ぜしむべし。二師、まさに問うて言うべし、『汝に七遮罪有りや不や。』と。

もし現身に七遮有らば、師、まさに与に戒を受けしむべからず。七遮無くんば、受くるを得。

もし十戒を犯せしこと有らば、まさに教えて懺悔せしめ、仏菩薩の形像の前に在りて、日夜六時に十重四十八軽戒を誦せしめ、もし三世の千仏に礼するに到らば、好相を見ることを得べし。もしは一七日、二三七日より、乃ち一年に至らば、要(かなら)ず、好相を見ん。

好相とは、仏来たりて頂を摩で、光を見、華や種種の異相を見ることにして、便ち罪を滅することを得。もし好相無くんば、懺すといえども益無し。この人、現身には、また戒を得ずして、(罪を)増して戒を受くることを得ん。

もし四十八軽戒を犯すも、対首(対面)して懺せば、罪の滅すること七遮と同じからず。

而らば、教誡の師は、この法中に於いて一一好解なるべし。もし大乗の経律の、もしは軽、もしは重なる是非の相を解せず、第一義諦の習種性、長養性、不可壊性、道種性、正性を解せず、その中の多少を観行して、十禅支、一切の行法に出入して、一一にこの法中の意を得ず、而も菩薩、利養の為の故に、名聞の為の故に、悪しく求め、多く求めて利を弟子に貪り、而も詐りて一切の経律を解することを現し、供養の為の故に、自ら欺き詐り、また他人を欺き詐り、故に人の受戒に与らば、軽垢罪を犯す。

≪第四十一軽戒 為利作師戒≫

お前たち、仏子よ!

  『人を教化して信心を起させる時』、

    『菩薩の法師』が、

      『教誡の師』と作って、指導することになったならば、

      『受戒を求める人』に会って、

      『和上と阿闍梨との二師を請え』と教えよ!

    『二師』は、こう問え、――

      『あなたは、七遮罪(七逆罪)を犯したことがあるかどうか?』と。

    もし、

      『現身にて犯した』ことが有れば、

      『二師』は、受戒させてはならない!

    もし、

      『七遮』が無ければ、

      『受戒』することができる。

    もし、

      『十重戒を犯した』ことが有れば、

      『懺悔する』ことを教えよ!

    『懺悔する時』は、

      『仏菩薩の形像の前』で、日夜六時に

      『十重四十八軽戒』を誦して、

      『三世の千仏』を礼拝するに到れば、『好相』が見える。

    もしくは

      『一七日、二七、三七日』から、『一年』に至れば、

      必ず、『好相』が見えるはずである。

    『好相』とは、

      『仏が来て頭頂を摩でる時』に、

      『光や華や種種の異相が見える』と、

      『罪が滅する』ことになる。

    もし、

      『好相』が見えなければ、

      『懺悔』しても無益である。

    この人は、

      『現身で戒を得る』ことはなく、

      『受戒』しても、『罪』を増すだけである。

    もし、

      『四十八軽戒を犯した』ことが有っても、

      『他の比丘』に対して懺悔すれば、『罪』が滅するので、

    これは、

      『七遮』と同じではない。

  これであるから、

    『教誡の師』は、

      『この大乗の経律』を、一一好く理解していなくてはならない!

  しかるに、

    菩薩たる者が、

      『大乗の経律の軽重と是非の相』を理解せず、

      『第一義諦の習種の性、長養の性、不可壊の性、道種の性、正性』を理解せず、

      『その中の、少しばかり』を観察修行して、

      『十禅支(地水火風等に於いて万物を観察する行法)』に出入するぐらいで、

      『この大乗の経律の中の意』を一一会得せず、

    しかも、

      『利養と名聞』の為の故に、悪く求め多く求めて『弟子』を貪り、

      『一切の経律を理解している』と言って詐り、

      『供養を得る』為の故に、自らを欺き、他人を詐き、

      『故意』に、『人の受戒』に与るとは!

    それは、

      『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  教誡法師:人を教え導く法師。

  七遮罪:受戒を遮る七つの罪、七逆罪。

  日夜六時:昼の三時(晨朝、日中、日没)と、夜の三時(初夜、中夜、後夜)。

  三世千仏:過去、未来、現在のそれぞれに次々と出世する千の仏。三千仏。

  :不明、罪の一字を補って意を取る。

  習種性:第一義諦中の道を修習する性。十発趣心に於ける証悟の種子。

  長養性:第一義諦中の道を長養する性。十長養心に於ける証悟の種子。

  不可壊性:第一義諦中の不可壊なる性。十金剛心に於ける証悟の種子。

  道種性:第一義諦中の道の種子の性。十地に於ける証悟の種子。

  正性:第一義諦中の正覚の性。仏に於ける証悟の性。

  十禅支:地水火風、青黄赤白、空、識に関して一切の事物を観察する。十一切処。

  :この戒は、受戒の作法を説き、併せて十重四十八軽戒を犯した時の滅罪の作法、及び教誡の師たる者の大乗を理解せざることの非を説くものである。

若佛子。不得為利養故於未受菩薩戒者前若外道惡人前說此千佛大戒。邪見人前亦不得說。除國王餘一切不得說。是惡人輩不受佛戒。名為畜生。生生不見三寶。如木石無心。名為外道邪見人輩。木頭無異。而菩薩於是惡人前說七佛教戒者。犯輕垢罪

『若仏子、利養の為の故に、未だ菩薩戒を受けざる者の前、もしくは外道の悪人の前に於いて、この千仏の大戒を説くを得ず。邪見の人の前にも、また説くを得ず。国王を除きし余の一切のために説くを得ず。

この悪人の輩は仏戒を受けざれば、名づけて『畜生』と為し、生生に三宝を見ざるに、木石の如く無心なるを、名づけて『外道の邪見人の輩は、木頭と異り無し』と為す。而るに、菩薩、この悪人の前に於いて、七仏の教戒を説かば、軽垢罪を犯す。

≪第四十二軽戒 為悪人説戒戒≫

お前たち、仏子よ!

  『利養』の為に、

    『未だこの菩薩戒(十重四十八軽戒)を受けない者』の前、もしくは

    『外道の悪人』の前で、

      『この千仏の大戒(十重四十八軽戒)』を説いてはならない!

    『邪見の人』の前でも、また

      説いてはならない!

    『国王を除いて、その他の一切の人』の前で、

      説いてはならない!

  『これ等の悪人の輩』は、

    『仏戒を受けない』が故に、

      『畜生』といい、

    『生生に三宝を見ず、木石の如く無心である』が故に、

      『外道邪見人の輩は、木頭と異なり無し』という。

  しかるに、

    菩薩が、この悪人の前で、七仏の教戒を説くとは!

  これは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  国王を除く:下は上に順じるが故に、国王に法を説くの利は莫大である。

  :この戒の本体は、「国王を除いて余の一切に説くを得ず」までである。要するに利養の為に説くのであれば、国王を除いた他の一切の前で説くのを禁じるものであり、未受戒者、外道悪人、邪見人を説くのは、これ等がありがちだからである。ある菩薩が、利養の為に、外道邪見人の前で、この大乗戒を解説した。それがこの戒の因縁であるが、それはこの戒の主旨とは関係がない。利養の為に説けば、その目的の不純なるにより、邪見を正すどころか、むしろ悪人を利することになるというのがこの戒の主旨である。「国王を除く」とは、国王の前に於いて戒を説けば、外道の悪人、邪見人といえども一目置かざるを得ず、国王の前に説くことこそ、何よりも先になすべき火急の事なのである。

若佛子。信心出家受佛正戒。故起心毀犯聖戒者。不得受一切檀越供養。亦不得國王地上行。不得飲國王水。五千大鬼常遮其前。鬼言大賊。若入房舍城邑宅中。鬼復常掃其腳跡。一切世人罵言佛法中賊。一切眾生眼不欲見。犯戒之人畜生無異木頭無異。若毀正戒者。犯輕垢罪

『若仏子、信心もて出家し、仏の正戒を受けしに、故に心を起して聖戒を毀犯せば、一切の檀越の供養を受くるを得ず。また国王の地上を行くを得ず、国王の水を飲むを得ず。

五千の大鬼常にその前を遮りて、鬼、『大賊なり。』と言い、もし房舎、城邑、宅中に入らば、鬼、また常にその脚跡を掃かん。

一切の世人、罵りて『仏法中の賊なり。』と言い、一切の衆生は、戒を犯す人の畜生と異り無く、木頭と異り無きを、眼に見んことを欲せず。

もし正戒を毀(やぶ)らば、軽垢罪を犯す。

≪第四十三軽戒 無慚受施戒≫

お前たち、仏子よ!

  『信心』を起して、

    『出家』し、

    『仏の正戒(十重四十八軽戒)』を受けたのである!

  『故意』に、

    『悪心』を起して、

    『聖戒(十重四十八軽戒)』を犯した者は、

  一切の

    『檀越の供養』を受けてはならない!

    『国王の地上』を、歩いてはならず、また

    『国王の水』を、飲んでもならない!

  『五千の大鬼』が、

    常に、その前を遮って『この大賊め!』と言い、

  『房舎、城邑の宅中』に入れば、

    鬼は、常に一足ごとに足跡を掃いて元に復(もど)す。

  『一切の世人』は、

    『この仏法中の賊め!』と言い、

  『一切の衆生』は、

    『戒を犯して畜生と異なり無く、木頭と異なり無い人』を見ようとは欲しない。

  もし、

    『正戒』を犯せば、

  これは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  :餓鬼、人より生じる大小便等の不浄を食う。

  足跡を掃いて元に復す:不浄人は足跡までが不浄であるが故に、それを掃いて浄める。

  :この戒はことばは多いが、ただ「信心を起して出家し戒を受けたのであるから、故意に悪心を起して戒を犯してはならない」と説くのみ。「一切の檀越供養」以下は極端を説いて注意を喚起するの意である。

若佛子。常應一心受持讀誦大乘經律。剝皮為紙刺血為墨。以髓為水析骨為筆書寫佛戒。木皮穀紙絹素竹帛亦應悉書持。常以七寶無價香花一切雜寶。為箱囊盛經律卷若不如法供養者。犯輕垢罪

『若仏子、常に、まさに一心に大乗の経律を受持し読誦すべし。皮を剥いで紙と為し、血を刺して墨と為し、髄を以って水と為し、骨を折りて筆と為して、仏戒を書写し、木皮(もくひ)、穀紙(こくし)、絹素(けんそ)、竹帛(ちくはく)あらば、またまさに悉くに書きて持ち、常に七宝と、無価の香花と、一切の雑宝とを以って、箱や嚢(ふくろ)と為し、経律の巻を盛るに、もし如法に供養せずんば、軽垢罪を犯す。

≪第四十四軽戒 不供養経典戒≫

お前たち、仏子よ!

  常に、一心に、

    『大乗の経律』を、

      受持し読誦せよ!

    『皮』を剥いで紙と為し、

    『血』を出だして墨と為し、

    『髄』の水に、

    『骨』の筆をもってでも、

      『仏戒』を書写せよ!

    『木皮、穀紙(こくし、藁紙)、絹素(けんそ、白絹)、竹帛(ちくはく、竹簡と白絹)』が有れば、また

      悉く、書写して執持せよ!

  常に、

    『七宝、無価の香花、一切の雑宝』をもって箱と嚢(ふくろ)を作り、

    『経律の巻物』を収めて供養せよ!

  もし、

    如法に供養しなければ、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  木皮、穀紙、絹素、竹帛:絹素は白絹、竹帛は竹簡と白絹。すべて紙の代用物。

  :この戒は「常に一心に大乗の経律を受持し読誦し書写し執持し供養せよ!」と説くものである。皮を剥いで等のことばは、極端を説いて事の重大を喚起するの意であり、ここまでするもしないも菩薩の気持ち次第である。「七宝、無価の香花」等も同じ。

若佛子。常起大悲心。若入一切城邑舍宅。見一切眾生。應當唱言。汝等眾生盡應受三歸十戒。若見牛馬豬羊一切畜生。應心念口言。汝是畜生發菩提心。而菩薩入一切處山林川野。皆使一切眾生發菩提心。是菩薩若不教化眾生者。犯輕垢罪

『若仏子、常に大悲心を起し、もしは、一切の城邑舎宅に入りて、一切の衆生を見るに、まさに唱えて言うべし、『汝等衆生、尽くまさに三帰(さんき)、十戒を受くべし。』と。もしは、牛馬猪羊、一切の畜生を見るに、まさに心に念じ口に言うべし、『汝、これ畜生なれど菩提心を発せ。』と。而も菩薩、一切の処、山林川野に入りては、皆、一切の衆生をして菩提心を発さしむべし。この菩薩、もし衆生を教化せずんば、軽垢罪を犯す。

≪第四十五軽戒 不化衆生戒≫

お前たち、仏子よ!

  常に、

    『大悲心』を起せ!

  『一切の城邑の舎宅』に入った時、

    もし、

      『一切の衆生』を見たならば、こう唱えよ、――

      『お前たち衆生は、悉く『三帰十戒』を受けよ!』と。

    もし、

      『牛馬、猪羊、一切の畜生』を見たならば、心の中でこう言え、――

      『お前は、今畜生ではあるが、菩提心を発せ!』と。

  しかも、

    『菩薩』というものは、

      『一切の処、山林、川野』に入った時には、皆、

      『一切の衆生に菩提心を発させる』ものである。

  この菩薩が、

    もし、

      衆生を教化しなければ、

    それは、

      『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  三帰:三宝に帰依する誓い。三宝の前にて合掌し、『帰依仏、帰依法、帰依僧』と唱える。

  :この戒は、牛馬、猪羊に至るまでの一切の衆生に菩提心を発せと呼びかけよ!と説くものである。

若佛子。常行教化起大悲心。入檀越貴人家一切眾中不得立為白衣說法。應白衣眾前高座上坐。法師比丘不得地立為四眾說法。若說法時。法師高座香花供養。四眾聽者下坐。如孝順父母敬順師教。如事火婆羅門。其說法者若不如法犯輕垢罪

『若仏子、常に教化を行じて、大悲心を起すも、檀越の貴人の家、一切の衆中に入るに、立ちて白衣の為に法を説くことを得ず、まさに白衣の衆の前にては、高座上に坐すべし。法師の比丘は、地に立ちて四衆の為に法を説くことを得ず、法を説く時の若きは、法師は高座にありて香花もて供養し、四衆の聴者は下にありて坐して父母に孝順なるが如くし、師教に敬順して事火婆羅門の如くなるべし。その法を説く者、もし如法ならずんば、軽垢罪を犯す。

≪第四十六軽戒 説法不如法戒≫

お前たち、仏子よ!

  常に、

    『教化』を行い、

    『大悲心』を起すものであるが、

  しかし、

    『檀越の貴人の家』に入って、一切の衆の中で、

    『白衣(びゃくえ、俗人)』の為に、立って法を説いてはならない!

    『白衣の衆』の前では、『高座上』に坐って説け!

  『法師の比丘』は、

    『地』に立って、『四衆』の為に法を説いてはならない!

  『法を説く時』は、

    『法師の坐る高座』を香花をもって供養したならば、

    『四衆の聴者』は下座に坐って、『父母に孝順を尽くす』ようにし、

    『師の教に敬順する』ことは、『事火婆羅門(じかばらもん)』のようにせよ!

  『法を説く者』が、

    『如法』でなければ、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  四衆:僧中の四衆、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷をいう。

  事火婆羅門:火神阿耆尼(あぎに)に奉事する婆羅門。

  :この戒は、白衣の前で立ったまま法を説くような如法ならざることを行って、法を貶めることを戒めるものであり、引いては法の尊さを誨えるものである。この戒で説く如法とは、(1)法師は高座上に坐り、聴衆は下座に坐る、(2)高座は香花を以って供養する。の二点であるが、詮ずる所は、『父母の訓誡を聴くが如くせよ!』に尽きる。

若佛子。皆以信心受佛戒者。若國王太子百官四部弟子。自恃高貴破滅佛法戒律。明作制法制我四部弟子。不聽出家行道。亦復不聽造立形像佛塔經律。破三寶之罪。而故作破法者。犯輕垢罪

『若仏子、皆、信心を以って仏戒を受けし者なり。もし国王太子百官の四部の弟子、自ら高貴を恃みて、仏法の戒律を破滅し、明らかに制法を作してわが四部の弟子を制して、出家に道を行うことを聴(ゆる)さず、またまた形像、仏塔、経律を造立することを聴さずんば、三宝を破る罪なり。而るに故に作して法を破らば、軽垢罪を犯す。

≪第四十七軽戒 非法制限戒≫

お前たち、仏子よ!

  皆、

    『信心を起して仏戒を受けた者』である!

  もし、

    『国王、太子、百官』の四部の弟子が、

  自らの、

    『高貴』を恃(たの)んで、『仏法の戒律』を破滅し、

    明らかに『制法』を作って、『わたしの四部の弟子』を制して、

    『出家が道を行う』のを許可せず、また

    『諸仏菩薩の形像や、仏塔、経律の経巻の建立』を許可しなければ、

  これは、

    『三宝を破る罪』である。

  しかるに、

    『故意』に、法を破れば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

 

  四部の弟子:四衆。

  :この戒は、国王、太子、百官を対象とする。自ら信心を起して仏戒を受けた者に対して、「法を制定して比丘比丘尼の行いを制限する」ことの非を説く。

若佛子。以好心出家而為名聞利養。於國王百官前說七佛戒。與比丘比丘尼菩薩弟子作繫縛事。如師子身中蟲自食師子肉。非外道天魔能破。若受佛戒者。應護佛戒如念一子。如事父母。而菩薩聞外道惡人以惡言謗佛戒。時。如三百鉾刺心。千刀萬杖打拍其身等無有異。寧自入地獄經百劫。而不用一聞惡言破佛戒之聲。而況自破佛戒。教人破法因緣。亦無孝順之心。若故作者。犯輕垢罪。如是九戒應當學敬心奉持。諸佛子。是四十八輕戒。汝等受持。過去諸菩薩已誦。未來諸菩薩當誦。現在諸菩薩今誦。

『若仏子、好心を以って出家せしに、名聞、利養の為に、国王百官の前に於いて七仏の戒を説き、横ざまに比丘比丘尼、菩薩の弟子の与(ため)に繋縛の事を作さば、獅子身中の虫の自ら師子の肉を食うが如し。外道の天魔すらよく破るに非ず。もし仏戒を受くれば、まさに仏戒を護ること、一子を念ずるが如く、父母に事うるが如くなるべし。而も菩薩は、外道、悪人の悪言を以って仏戒を謗るを聞く時、三百の鉾に心を刺され、千の刀、万の杖にその身を打拍さるるが如きに等しく、異なりの有ること無し。寧ろ自ら地獄に入りて、百劫を経んも、一も悪言の仏戒を破る声を聞くことを用いず。而も況や自ら仏戒を破りて、人に破法の因縁を教えんをや、また孝順の心無し。もし故に作さば、軽垢罪を犯す。かくの如き九戒は、まさに学び敬心もて奉持すべし。

諸の仏子、これ四十八軽戒なり。汝等、受持せよ。過去の諸の菩薩は已に誦し、未来の諸の菩薩はまさに誦すべし。現在の諸の菩薩も今誦せよ。

≪第四十八軽戒 破法戒≫

お前たち、仏子よ!

  『好心を起して出家した者』が、

    『名聞、利養』の為に、

      『国王、百官』の前で、

        『七仏の戒(十重四十八軽戒)』を説いて、

        『比丘比丘尼、菩薩の弟子を繋縛するような非道』を作すとは!

  これは、

    『師子の身中の虫』が、自ら師子の肉を食うようなものである!

    『外道の天魔』でさえ、戒をこのようには破れまい!

  もし、

    『仏戒を受けた』ならば、

    『仏戒を護る』ことは、

      『一子を思う』ように、

      『父母に仕える』ようにするものである。

  しかも、

    菩薩であれば、

      『外道の悪人が、悪言をもって仏戒を謗る』のを聞いた時には、

      『三百の鉾で心を刺され、千の刀、万の杖でその身を打たれる』のと同じように異らず、

    むしろ、

      『自ら地獄に入って、百劫を経る』ほうが、

      『一たびでも、悪言をもって仏戒を謗る声を聞く』よりもましと思うはずである。

  ましてや、

    自ら、仏戒を破り、

    人に教えて、法を破る因縁を作さすとは!

  これには、

    『孝順の心』が無い。

  もし、

    『故意』に作せば、

  それは、

    『軽垢罪を犯す』ものである。

  このように、

    『この九戒』を、

      学び敬って、

      心から奉持せよ!

仏子たちよ!

  この四十八軽戒を、

    お前たちは、奉持せよ!

  過去の諸菩薩は、已に誦した!

  未来の諸菩薩も、まさに誦すだろう!

  現在の諸菩薩は、今誦せよ!

 

  七仏の戒:次の段では、この十重四十八軽戒を「七仏の法戒」と呼ぶ。『増一阿含経巻1序品第一』に説く所の謂わゆる七仏通戒偈、『諸悪莫作、諸善奉行、自浄其意、是諸仏教』を思わせるが、それは相応しくない。

  :この戒は、この十重四十八戒を国王百官に説いて、比丘比丘尼の取り締まりを委ねることの非を説き、戒を不用意に俗人の前に曝すことの非を説くものであるが、その真意は『聖と俗とは分離しなければならない!』の一言に尽きるのである。即ち、聖を俗中に置けば、俗塵に塗れてやがて俗中に溶け込み、自らその存在理由を失うが故である。寺院を山中に造るのと同じ理由による。

諸佛子諦聽。此十重四十八輕戒。三世諸佛已誦當誦今誦。我今亦如是誦。汝等一切大眾。若國王王子百官。比丘比丘尼信男信女。受持菩薩戒者。應受持讀誦解說書寫佛性常住戒卷。流通三世一切眾生化化不絕。得見千佛佛佛授手。世世不墮惡道八難。常生人道天中。我今在此樹下。略開七佛法戒。汝等當一心學波羅提木叉歡喜奉行。如無相天王品勸學中一一廣明。三千學士時坐聽者。聞佛自誦。心心頂戴喜躍受持

『諸の仏子、諦(あき)らかに聴け。この十重四十八軽戒は、三世の諸仏、已に誦し、まさに誦すべく、今誦すなり。われも今またかくの如く誦せり。汝等、一切の大衆、もしは国王王子百官、比丘比丘尼信男信女、菩薩戒を受持せん者、まさに仏性常住の戒巻を受持し、読誦し、解説し、書写して、三世一切の衆生に流通して、化化(教化)して絶やさざるべし。千仏に見ゆるを得んに、仏仏、手を授け、世世に悪道、八難に堕ちず、常に人道、天中に生まれん。

われ今、この樹下に在りて、略して七仏の法戒を開く。

汝等、まさに一心に波羅提木叉(はらだいもくしゃ、戒本)を学び歓喜して奉行すべし。』

『無相天王品』の勧学中に一一広く明かすが如く、三千の学士、時に坐して聴く者、仏の自ら誦するを聞いて、心心に頂戴し喜躍して受持せり。

仏子たちよ、明らかに聴け!

  この十重四十八軽戒は、

    三世の諸仏が、已に誦し、まさに誦し、今誦すものである。

  わたしも、

    今、このように誦した。

  お前たち、

    一切の大衆よ!

    国王、王子、百官、比丘、比丘尼、信男、信女よ!

    『この菩薩戒を受持した者』は、

      必ず、

        『仏性の常住する戒巻』を

          『受持、読誦、解説、書写』して、

          『三世一切の衆生』に流通し、

          『教化教化』して、それを絶やすな!

        『千仏に見(まみ)える時』には、

          仏と仏とが、手を授け、

          世世に、悪道八難に堕ちることなく、

          常に、人道天中に生まれよう。

    わたしは、

      今、この樹下に坐して、略して『七仏の法戒』を開いた。

    お前たちは、

      必ず、一心に、

       『この波羅提木叉(はらだいもくしゃ、戒本)』を学び、歓喜して奉行せよ!

『無相天王品勧学』中にて、

  一一詳しく明かすように、

  『三千の学士の、この時に坐して聴く者』は、

    『仏が自ら誦される』のを聞いて、

    心、心に頂戴し、喜躍して受持した。

 

  仏性常住戒巻:この仏戒には仏性が常住するの意。

  千仏に見える:この大乗の戒本は、一切に流通して皆が受持し、皆が修学奉行すれば、一切の衆生心中より仏性が顕れて、見る人、見る人、すべてが仏であるの意。

  無相天王品勧学:不明。

  :ここでは、「この大乗戒を受持、読誦、解説、書写することにより、三世一切に流通し、教化を絶やさなければ、やがて仏国が現れて、誰も悪道に堕ちることなく皆、人天に生まれる」と説いて、菩薩にこの菩薩戒の学習と流通とを勧める。

 

 

 

 

 

爾時釋迦牟尼佛。說上蓮花臺藏世界盧舍那佛心地法門品中十無盡戒法品竟。千百億釋迦亦如是說。從摩醯首羅天王宮至此道樹十住處說法品。為一切菩薩不可說大眾受持讀誦解說其義亦如是。千百億世界蓮花藏世界。微塵世界。一切佛心藏地藏戒藏無量行願藏。因果佛性常住藏。如如一切佛說無量一切法藏竟。千百億世界中。一切眾生受持歡喜奉行。若廣開心地相相。如佛花光王品中說

その時、釈迦牟尼仏、上の蓮花台蔵世界の『盧舎那仏心地法門品』中の『十無尽戒法品』を説き竟れり。

千百億の釈迦も、またかくの如く説きぬ。摩醯首羅(まけいしゅら)天王宮より、この道樹に至るまで、十の住処に法品を説き、為に一切の菩薩、不可説の大衆の受持し読誦し、その義を解説することも、またかくの如し。

千百億の世界、蓮花蔵世界、微塵世界の一切仏心蔵と、地蔵と、戒蔵と、無量行願蔵と、因果仏性常住蔵と、如如の一切仏説の無量一切の法蔵は竟りぬ。

千百億の世界の中の一切の衆生は、受持し歓喜して奉行せり。

広く開きし心地の相相の若きは、『仏花光王品』の中に説くが如し。

その時、

  『釈迦牟尼仏』は、

    『蓮花台蔵世界盧舎那仏の心地法門品』中の『十無尽戒品』を説き竟った。

  『千百億の釈迦』も、

    また、

      同じように説き、

      『摩醯首羅(まけいしゅら、大自在天)天の王宮』より、

      『この道場樹の下』に至る、『十の住処』にて、

    各各、

      『法品』を説き竟り、

    それを、

      『一切の菩薩』と、

      『不可説の大衆』とが、

        受持し、

        読誦して、

      また、

        同じように、

        『その義』を、解説した。

  『千百億世界、蓮花蔵世界、微塵世界』の、

    『一切仏心蔵(一切の仏心に蔵する法宝)』、

    『地蔵(自然中に蔵する法宝)』、

    『戒蔵(戒中に蔵する法宝)』、

    『無量の行願蔵(無量の菩薩の行願中に蔵する法宝)』、

    『因果仏性の常住蔵(因果の理法と仏性中に常住する法宝)』、

    『如如の一切の仏の説く無量一切の法蔵』は説かれ竟った。

  『千百億世界』の中の、

    『一切の衆生』は、

      受持し、

      歓喜し、

      奉行して、

    その、

      『広く開かれた心地の相相』は、

      『仏花光王品』の中に説くのと同じである。

 

  摩醯首羅:大自在天。色界の最頂天の天王名。

  法品:一法分。

  千百億世界、蓮花蔵世界、微塵世界:皆同じく全世界を示す。

  一切仏心蔵、地蔵、戒蔵、無量行願蔵、因果仏性常住蔵、如如一切仏説無生一切法蔵:皆同じく大乗中の一切の法宝を示す。

  仏花光王品:不明。

 明人忍慧強  能持如是法

 未成佛道間  安獲五種利

 一者十方佛  愍念常守護

 二者命終時  正見心歡喜

 三者生生處  為諸菩薩友

 四者功コ聚  戒度悉成就

 五者今後世  性戒福慧滿

 此是佛行處  智者善思量

 計我著相者  不能信是法

 滅盡取證者  亦非下種處

 欲長菩提苗  光明照世間

 應當靜觀察  諸法真實相

 不生亦不滅  不常復不斷

 不一亦不異  不來亦不去

 如是一心中  方便勤莊嚴

 菩薩所應作  應當次第學

 於學於無學  勿生分別想

 是名第一道  亦名摩訶衍

 一切戲論處  悉由是處滅

 諸佛薩婆若  悉由是處出

 是故諸佛子  宜發大勇猛

 於諸佛淨戒  護持如明珠

 過去諸菩薩  已於是中學

 未來者當學  現在者今學

 此是佛行處  聖主所稱歎

 我已隨順說  福コ無量聚

 迴以施眾生  共向一切智

 願聞是法者  疾得成佛道

梵網經盧舍那佛說菩薩心地戒品第十之下

 明人は忍慧強く、よくかくの如き法を持(たも)ち、

 未だ仏道を成ぜざる間に、安んじて五種の利を獲(う)。

 一は十方の仏、愍念して常に守護す、

 二は命の終わりの時、正見して心に歓喜す、

 三は生生の処に、諸の菩薩、友と為る、

 四は功徳聚の、戒もて度するに悉く成就す、

 五は今後世に、性戒ありて福慧満つ、

 これはこれ仏の行処なり、智者は善く思量す。

 計我して相に著せば、この法を信ずる能わず、

 滅尽し証を取る者も、また種を下す処に非ず、

 菩提の苗を長じて、光明もて世間を照さんと欲せば、

 まさに静かに、諸法の真実の相を観察すべし。

 不生にしてまた不滅、不常にしてまた不断、

 不一にしてまた不異、不来にしてまた不去、

 かくの如く一心中に、方便して勤めて荘厳し、

 菩薩のまさに作すべき所は、まさに次第に学ぶべし。

 学に於いても無学に於いても、分別の想を生ずる勿かれ、

 これを第一の道と名づけ、また摩訶衍(まかえん)と名づけ、

 一切の戯論の処は、悉くこの処により滅し、

 諸仏の薩婆若(さばにゃ)も、悉くこの処により出づ。

 この故に諸の仏子、宜しく大勇猛を発して、

 諸仏の浄戒を、護持すること明珠の如くなるべし。

 過去の諸の菩薩は、已にこの中に於いて学びぬ、

 未来の者はまさに学ぶべし、現在の者は今学べ。

 これはこれ仏の行処にして、聖主の称歎する所なり。

 われ已に随順して説けば、福徳無量の聚ならん、

 迴らすに以って衆生に施し、共に一切智に向けん、

 願わくはこの法を聞く者、疾かに仏道を成ずることを得ん。

梵網経、盧舎那仏の説く菩薩の心地戒品、第十の下

      智慧の眼の開いた人は、

        この法を護持して、

        未だ、仏道が成らなくとも、

        安んじて、五種の利を得ることができる。

        一は、十方の仏が哀れんで、常に守護し、

        二は、命の終る時、正見して心に歓喜する、

        三は、生生の処に、諸の菩薩が友となり、

        四は、功徳が集まり、戒を示せば、悉く衆生を度すことができ、

        五は、今世後世に、性戒を護持して福慧が満ちる。

      この戒は、

        仏の行処である。

        智者であれば善く思量するが、

        我に著し、相に著する者に、この法は信じられず、

        滅尽を涅槃と思う者もまた、菩提の種子を種える処とはならない。

      菩提の苗を育んで、

        光明で世間を照そうと思えば、

        静かに諸法の真実相を観察するがよい。

      まさに、それは

        生じることもなく、また滅することもなく、

        常でなく、また断でもなく、

        一でもなく、また多でもなく、

        来ることもなく、また去ることもない。

      このように、

        静かに観察する一心の中で、

        方便をもって勤めて身を荘厳し、

        菩薩の作すべきことを、次第に学ぶがよい。

      学び終えない者も、

      学び終えた者も、

        分別の想を生じてはならない。

      これが、

        第一の道であり、

      それを、

        摩訶衍(まかえん、大乗)という。

      一切の、

        戯論(けろん、無駄な論議)の処は、

        悉く、この処を通して消滅し、

      諸仏の、

        薩婆若(さばにゃ、一切智)は、

        悉く、この処を通して出る。

      この故に、

        諸の仏子たちよ!

        大勇猛心を、奮い発(おこ)して、

        諸仏の浄戒を、明珠のように護持するがよい。

      過去の、

        諸菩薩は、この戒の中に学び、

      未来の、

        諸菩薩も、この戒の中に学ぶだろう。

      現在の、

        諸菩薩は、今こそ学べ!

      この戒は、

        仏の行処であり、

        聖主()の称歎する所である。

      わたしは、

        すでに道理に随順して説いた。

      この福徳は、

        無量に集まることだろう。

      この福徳を、

        迴らして、衆生に施し、

        共に、一切智に向けよう。

      願わくは、

        この法を聞く者、疾かに仏道を成ぜんことを。

 

梵網経、『盧舎那仏の説く菩薩の心地と戒との品』、第十の下

 

  明人:智慧の眼が開いた人。明は無明の対語。明人は盲人の対語。

  性戒:殺盗の如きは、自性が戒であり、仏の制するを待たざるが故に性戒という。

  滅尽取証:滅尽を涅槃と心得ること。声聞法。

  方便:手だてを尽くして衆生を度す。

  荘厳:方便と智慧で身を飾る。

  於学於無学:学道と無学道。

  摩訶衍:大乗。

  戯論:無駄な論議。

  薩婆若:一切智。仏の智慧。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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