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梵網経盧舍那仏説菩薩心地戒品第十 |
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自 序 大智度論巻13に云わく、『われは彼に於いて無害なるを以っての故に、彼もまたわれに於いて無害なり。ここを以っての故に怖れ無く畏れ無し。殺を好む人はまた位、人王を極むといえども、また自ら安からず。持戒の人の如きは単(ひと)り行き独り遊ぶも畏るる所の難無し。』と。 これが何故そうなるのかは非常に難しい問題であるが、そもそもこのように『自ら厭い嫌う所を他人に施せば、決して心が安らかではいられない』、と説くのは、『物理でいう所の作用反作用の法則の如く、大自然の法則は、常に一方にのみ向かうような作用の存在を嫌い、自ずから心の中にもそれが働かずにはおられない』、と考えるからなのであろう。
更に改めて何が戒かと問うてみる、自ら厭い嫌う所を箇条書きに書き出だして、その中でも特に普遍的なる条項を集めたものを謂う、とでも答えればよいのであろうか。ただし、その数の甚だ多きを恐れてか、仏は先ず記憶するにたやすい五つの戒を説かれた。即ち五戒とは、これを守ることによって自分自身を護るものであり、このことを五箇条に箇条書きしたものなのである。従ってこれは人として必ず守らなくてはならないものであり、誰もが知っていなくてはならないものである。試みに以下にそれを挙げる。
ここで、5.の不飲酒については少しばかりの注意が必要であろう。ある人は言う、『酒は時に百薬の長ともなり、正気を失うのは酒の本質的な罪ではない。要は飲む人が度を過ごさなければ良いのである。』と。しかし本当にそうだろうか?酒の性は正気を失わせる所にあり、人の性は限度を知らない所にあるのではないか?仲間の中に一人でも酒を飲む者がいれば、それを真似る者も必ずいるだろう。大勢の真似る者がいれば、その中には限度を知らない者が少なからずいるに違いない。酒には必ず正気を失わせる罪がともなうのである。飲酒の罪を過小評価すべきではない。
また仏は、自らの比丘、比丘尼を護る為に、次の十戒を説かれた。
また仏は、これとは別に、愚かな比丘の為には二百五十戒、或いは比丘尼の為には五百戒を結ばれた。前の五戒は一般人を護る為のものであるが、この十戒及び二百五十戒、五百戒は皆、比丘、比丘尼という特殊な身分の者の為であり、彼等が自らの身心を護るのみならず、彼等の集団たる僧を護り、また仏教自体をも護るべきものとして説かれたのである。四分律巻1によれば、世尊はこれを次に示す十句義をもって明らかにされている。
もしこれ等の戒を守れば、一一の比丘は心の調和が保たれて僧に和合し、僧の中は清浄となって一つにまとまるが故に、信者の信頼を得て仏教はますます発展するだろう。しかし、もしこれを守らなければ、僧の中は不浄となって諍事が絶えず和合もしない、信者は信頼することを止めて、仏教自体も、やがて衆人の批難を受けざるをえないであろう。即ちこのように、これ等の戒は皆、衆人の批難を遠ざけて、僧中の和合を護ることを第一の目的とするものであるが故に、前の五戒に比べれば、甚だ特殊なものとならざるをえないのである。
さて、やがて大乗が起るに随い、ようやく菩薩という概念を生じるが、これは僧衆、俗人衆の何れに属するかをまったく問わないが故に、二百五十戒や五百戒、或いは単に五戒を以ってしては、その身心を護りきれない。そこで生み出されたのが、この梵網経に代表される菩薩戒である。梵網経は、ただ五戒を拡張したに過ぎずといえども、その中に説く所の十重戒及び四十八軽戒は、皆、菩薩の菩薩たる所以の空観と慈悲心に基づくものであり、その故に、その一一の条文を知り、それを理解することは、真に大乗の発展を促し、その衰退を止めるのに不可欠である。
仏は、まさに涅槃に入られようとしたとき、仏滅後の比丘たちが必ず守らなくてはならない事について、親しく阿難に告げられた。即ち大智度論巻2に云わく、「仏、阿難に告げたまわく、『もしは今の現前に、もしは我が過ぎ去りし後に、自らに依止(えし、依頼)し、法に依止して、余に依止せざれ。云何が比丘、自らに依止し、法に依止して、余に依止せざる。この比丘に於いて身を内観し、常にまさに一心に智慧もて勤修、精進し、世間の貪憂を除くべし。外身、内外身の観もまたかくの如し。受、心法の念処も、またまたかくの如し。これを比丘の自らに依止し、法に依止して、余に依止せずと名づく。今日より、『解脱戒経』、即ちこれ大師なり。『解脱戒経』に説くが如く、身業、口業、まさにかくの如く行ずべし』、と。」 解脱戒経とは上の五戒乃至二百五十戒、五百戒を指すものであるから、戒とは即ち大師の仏である、と読み解けば、乃ち五戒より二百五十戒、五百戒に至るまで仏教精神の具現である釈迦牟尼仏に非ざるは無く、また梵網経は大乗精神より具現した所の法身仏、即ち盧舎那仏、その人であると為ねばならない。
以上、今この解説書を広く顕すに当り、その寄与する所の多少を校量して、それ甚だ多く、甚だ大なり、と信ずる所以を著した。 自序を竟る。
梵網経解題
(1)「梵網経盧舍那仏説菩薩心地戒品第十」の解題 梵網経、もとは一百十二巻六十一品、或いは一百二十巻六十一品、姚秦の三蔵鳩摩羅什の訳せる大部の経典なりき、と伝えられるが、今はこの梵網経盧舍那仏説菩薩心地戒品第十の上下二巻を残すのみにして、今梵網経と云えば、ただこの残れる二巻を指すのである。故に今、解題せんと欲するものも、この「梵網経盧舍那仏説心地戒品第十」である。
「梵網」とは、経の下巻に云わく、『時に仏、諸の大梵天王の網羅と幢を観るに因り、為に説く。無量の世界は、なお網孔の如く、一一の世界は各各不同にして、別異は無量なり。仏教の門もまたまたかくの如し』と。このように、大梵天の王宮を覆う宝網は、これに無数の網の孔あることにより、無量の世界に喩え、また無量の法門に喩えるのであるが、またこの網は、帝釈天の宮殿を荘厳する網、即ち因陀羅網と同じものなのである。故に、その一一の結び目には、皆宝珠を附して、その数は無量であり、その一一の宝珠は、皆自他一切の宝珠の影を映現し、また一一の影の中にも、また皆自他一切を映現し、かくの如き宝珠が、無間に交錯し反映して重々影現し、互いに顕し互いに隠して重々無尽であり、その故、華厳経では、この因陀羅網を以って、一と多との相即相入して重々無尽なることの譬喩とするのである(華厳経探玄記巻一、華厳五教章巻一、慧苑音義巻下)。 この事を知り、この経が極めて華厳経に近い関係にあることを知って初めて言い得ることであるが、『この経の要諦はまさに「梵網」の一語に集約されている』のである。即ち、「梵網」の一語は、『一菩薩の心に生じた菩提心は一切の衆生の心中に影現し、それによって生じた他の衆生心の中の菩提心もまた、他の一切の衆生の心中に映現する。このようにしてやがては一切の衆生心の中に菩提心の火が赤赤と燃え上がり、盛んに仏国土を荘厳する』ことの譬喩であり、よく経の深義を現したものと言える。
次に「経」とは織物の縦糸を指し、引いては変らない物を指す字であるが、この本になった梵語の修多羅(しゅたら、スートラ)という言葉も、糸、紐を指し、引いては糸で綴じて経文を保持することを指すものである。この経に五種あり、一仏自口の所説、二仏弟子の所説、三仙人の所説、四諸天の所説、五化人の所説である。この中でこの経は一の仏が自らの口を以って語られたものに相当する。
次に「盧舎那仏説」とは、盧舎那は或いは毘盧舎那(びるしゃな)ともいい、浄満と訳す。これ蓮花台蔵世界を主宰する仏の名である。経中に説くが如きは、蓮花台蔵世界の百万億の紫金剛の光明を輝かせる宮殿の中、百万の蓮花の放つ赫赫たる光明座の上に坐り、釈迦の、一切の衆生は何なる因縁を以って菩薩の十地を成じ、仏果を成ずるのか、との問いに答えて、わが百阿僧祇(あそうぎ、無数)劫の修行を已えたる心地は、これを以って因と為し、初めて凡夫を捨てて等正覚を成じ、盧舍那と号して蓮花台蔵世界海に住すと言って、その心地と説くのである。即ち、この経は、この盧舎那仏の因位時の菩薩心地を説くものである。
次に「菩薩心地」とは、「菩薩」は、理想の国土を建設せんとする堅い決意を起した人、即ち善のみ有って悪の無い理想の国土を建設せんとする心をもった人を指す。その菩薩の心を菩提心というのであるが、次の「心」は、その菩提心の成長の過程に於いて見られる心の種種相である。次に菩提心が堅実牢固となりたるを大地に譬えて、これを「地」という。また地とは衆生世間を受ける器であることから、仏国土を表すものであり、その故、この菩薩は已に仏と同等であることをも示すものである。この菩提心の成長をその節目毎に説くものが、これ即ちこの経の上巻である。「心」についてこれを見れば、一に堅信忍中の十発趣心、二に堅法忍中の十長養心、三に堅修忍中の十金剛心、即ち三位三十心、「地」についてこれを見れば、その側面に十あり、即ち十地である。
それを略して説けば、第一に菩薩が初めて菩提心を発すに当って信心を堅めたならば、その状態に安んじて忍ばなくてはならない。その状態を堅信忍中の十発趣心という。第二は菩薩の菩提心が漸く成長するに及んで堅く諸法(万物)の空なることに忍び堪える位に入る。その状態を堅法忍中の十長養心という。第三は菩薩の菩提心は漸く堅固になり、修行から退かずに忍び堪え得る位に入る。この状態を堅修忍中の十金剛心という。第四は十金剛心を得た菩薩はすでに、その世界の一切の衆生を教化して仏と同等の位にあるが、それに安住することなく更に勤めて教化を続け、他方の世界の一切の衆生にも教化を及ぼすべく努力する。これに十の側面あり、これを堅聖忍中の十地という。
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それを図示すれば大略以下のとおりである。
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次に「戒」とは、一般的にはまた戒律とも云われるが、これも詳しく見れば、この戒と律との両者にはやや異る所があり、戒は五戒、十善戒の如く、一般的な善行をいい、律は仏の制せられたる所の比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒をいうのである。即ち殺生、偸盗の如きは、誰しも嫌うものであるが故に、それは自然の制止であり、律に規定されたる条項は、ある状況下に於いて教団にとっては非常に迷惑に感じる行為であるが故に、それを制止するとするものである。故に律については、「四分律」、「十誦律」、「弥沙塞五分律」、「摩訶僧祇律」等如く、皆「律」の一字を附し、その条項には、その制定時の因縁と、犯した場合の罰則を附すのが通例である。
その観点から見るに、この「梵網経盧舍那仏説心地戒品第十」の中には、経題に「戒」の一字は有れど「律」の一字を持たず、また明確な因縁を持たず、ただ「これは波羅夷(はらい)罪(重罪)である」とか、「これは軽罪である」とかいうのみで、それが少しも罰則らしく見えないのであるから、少なからず我々の注意を引かずにはおれない。これ等の事を鑑みるに、この経はまさしく「戒」であり、「律」でないことを指すと見て妥当であろう。故にこの経を学ぼうとする者は、常にこの事を念頭に置かなくてはならない。
この中の戒には重罪が十戒、軽罪が四十八戒あり、皆「若(なんじ)、仏子よ」という仏の呼びかけで始まり、次いで戒の本文、次いで戒の因縁、或いは説明らしきもの、次いで「これは波羅夷罪を犯すものである」、或いは「これは軽罪を犯すものである」という結句で終る。
ここで重罪と軽罪を分けるものは何かというと、道理としては菩薩の仲間にとても受け入れられない罪を重罪として犯す者に強く反省を促し、人の根性には強弱があるので、或いは堪えられない人もいると思われるようなものを軽罪として軽く反省を促すのである。
その一一の戒相の大略を以下に図示する。但し図中の一一の戒名は「梵網経直解(寂光)」により、内容にそぐわないと思えるものについても、敢えて改めずそのまま使用した。 |
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次に「品第十」とは、品は同類の集まり、即ち第十章というほどの意味である。即ち総じていえば、この「梵網経盧舍那仏説菩薩心地戒品第十」は、「菩提心の成長過程、及び仏の菩提心の堅固なる様相、并びに菩提心を護る戒」を指すのである。
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(2)「梵網経」の真偽について 梵網経は昔からその由来を疑われ、この国では今なお、この経を論じるときには、その真偽を論じて事足れりとするような趨勢である。しかし今更めて仏教とは仏の教であるとの立場に立てば、釈迦直説の法のみが真であり、余の一切は皆偽であるか、その恐無きにしも非ずとせざるを得ず、今現在、漢訳、サンスクリット、パーリ語、チベット語訳等の一切の大蔵経中に収録されている経は、大乗小乗の別なく、ほぼ全てが偽経に外ならない。
遙かな昔、仏滅の直後、王舎城外の畢鉢羅窟に於いて摩訶迦葉主宰のもと、五百の弟子が集まり第一回の結集が行われて仏の真の所説が更めて確認されたが、そこで阿難の口を通して語られた法は、口誦によって伝承されるのみであって筆受されなかったが故に、口誦を重ねるごとに混乱を来し、その百年の後には毘舎離国において耶舎の主宰のもと、第二回の結集を行わずにはおられなかったのである。
伝承によれば、この時、上座部と大衆部との根本分裂が起ったとするが、仏滅後、百年を待たずして、真説が失われてしまったというこのような現実は、実際、その後の仏教が釈迦の真説から遠く離れ、声聞縁覚の為の煩瑣哲学に堕してしまい、その事が、後になって大乗者の出現を促すに至ったことからも証明される。 即ち、大乗を奉ずる者たちは、この世に現した仮の身を以って成道し、それ以後の四十五年の人生を、ただ衆生教化の為にのみ、一処に止住することなく、或いは乞食に、或いは遊行にと、ひたすら精進する釈迦の姿に、ある理想の菩薩像を重ね合わせ、釈迦本来の面目を取り戻そうとの雄叫びを挙げたのである。
その後、大乗仏教は日本に渡ってくると、皆は挙ぞって、この大乗こそが釈尊の真説であると称えたが、はたしてその中の幾人がそれを信じていただろう。ただ経中に「如是我聞、一時仏住」の語有りさえすれば、それを根拠に敢えて疑わない、これが三宝に帰依する者の慎みであり、心得であり、かつそれが大乗を護ることになると信じていたに過ぎないのである。信心が薄れた江戸時代に、富永仲基、平田篤胤等の輩が大乗非仏説を説くが、そんな事は学問をした僧にとって、既に周知の事実であり、ただ口に緘して言わなかっただけのこと、今更改めて言われる程のものは、何もないのである。
ここに至って、更にこの上に印度は真で、中国は偽などという国の真偽までを設けて、何ほどの意味が有ろう。事実、印度の仏教は大乗の興った直後から盛んに外道の教説を取り込んで堕落し続け、やがては淫祠邪教と習合した左道密教として生まれ変わり、世界中の人々を驚かせるに至ったのであるから、まさに推して知るべしである。
まさに我々の論ずべきは、この経が、真正の大乗の主旨に適うかどうか、仏教本来の面目を保つものであるかどうか、一切の衆生を益する所が有るかどうかにあり、そこに真偽を論じなくてはならないのである。
しかしこの経は、はたして鳩摩羅什の翻訳になるものかどうかについては些か論ずべき所がある。師の訳業を見た者には容易に理解する所であるが、経験的にはこれを鳩摩羅什の翻訳とするには相当な困難がある。
元来、鳩摩羅什の翻訳は解り易く紛れが無いところに特徴があり、それに反してこの経は、特に上巻について言えば、極めて難解で、唐人のネゴト的というか、異邦人のカタコトとでもいうか、主語と目的語が不明了、動詞と副詞、名詞と形容詞とに区別がなく、テニヲハを付けるにも困難を窮めるのであり、一読して五里霧中、再読三読してようやく、それが既知の事柄であることに思い当たり、四読五読してやっとその全貌を知るという訳で、羅什訳とは到底思えないのである。
これで内容が悪ければ皆に忘れられ、疾うに失われてしまったに違いない、その上に偽撰の疑いまでがあるのである。それにも拘わらず中国の錚々たる仏教者たちに非常に珍重されたのは何故か、我々の解明すべきは、むしろこの事の方であろう。
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(3)梵網経による受戒 受戒には二種あり、一は僧籍を得るための儀式としての他によって得る受戒、二は五戒等の如く他によらずに自然に得る受戒である。ただしこれには例外があり、一の僧籍を得るための儀式は、未だ四分律、十誦律等の具足戒、謂わゆる比丘の二百五十戒、或いは比丘尼の五百戒が無い極めて初期には、仏の「善来比丘」の一声を要するのみであったし、二の自然に得る戒については、僧が俗人に五戒を授けて三宝に帰依させるという儀式もあったのである。
しかし戒の授受が即、僧籍の許可という事は、そこに何等かの利害がからめば自ら権力の介入が発生する。日本に於いては、寺域中に戒壇院をもつ東大寺に代表される南都の大寺が、授戒の権利を保持していたが、僧一人当りの国庫の補助があったが故にこれも一つの利権であり、即ち新興の天台宗には僧籍の許可についての完全な自由がなかったのである。
日本の伝教大師は、敢えて小乗の戒を授受することに疑問を持たれた。これ等の四分律等は、皆声聞僧の護持する所であり、大乗の菩薩にはまた別の戒が相応しいのではないか、この梵網経に説く所の菩薩戒こそが相応しい、とでも考えられたのであろう。それとも当時、戒の授受が寺域内に戒壇院をもつ東大寺を始め南都の大寺に牛耳られ、天台宗が誰を僧籍に入れるかについても、干渉されていたのが面白くなかったからなのか、それとも新仏教を標榜する者が敢えて旧仏教に拘泥する者の後塵を拝するのが面白くなかったのか、弘仁十年(819)、大師は「天台法華宗年分度者回小向大四條」を制して、二月十五日上表し、菩薩大戒を弘宣せんが為に、比叡山上に大乗戒壇を築かんことを請われたのである。しかしそれもすぐには許されず、大師が同十三年(822)六月四日、五十六歳の春秋を終えて寂され、それを追うように同月十一日、官符を以って大乗戒壇の設立の勅許が出されるまで待たねばならなかった。
このようにして天台宗は晴れて自らの戒壇をもち、誰に僧籍を与えるかを自ら決定する権利を得たのであるが、そこに問題は無かったであろうか、今管見を以って論じるに当り、些かの疑問有りとせざるをえないのである。
そもそも僧の持(たも)つべき戒とは、俗人の為の五戒(殺生戒、偸盗戒、邪淫戒、妄語戒、飲酒戒)に基づいた沙彌(しゃみ、見習い比丘)の為の十戒(殺生戒、偸盗戒、婬戒、妄語戒、飲酒戒、著華鬘好香塗身戒、歌舞倡伎亦往観聴戒、坐高広大床上戒、非時食戒、捉銭金銀宝物戒)を指していたものであるが、それ等は当然守られるべき戒であり、改めて罪を設ける必要は感ぜられていなかったのである。しかしそれも愚かな僧が出るに及んで、僧にあるまじき愚行を行うまでのことであった。そのような愚行を一一制止する必要が起ったのである。その為に一一事が起るごとに、仏によってその一一の愚行を制せられ、それが積もりつもって二百五十戒になったのであり、謂わば僧中の秩序を保つのが目的なのであった。
それは決して一時に思いつく限りの戒を制せられたのではなかったのである。凡そ戒の中を見てみると、実に馬鹿馬鹿しいものばかりが見受けられ、更に言えば全体としての統一すら何も無いのであるから、その意味を推して知るのは容易であるが、即ち、比丘は通常十戒を持っておればそれでよく、その外には常識の範囲で過ごしていれば良かったのでる。
ではこの梵網戒はどうか、端的にいえば、これは盧舎那仏の心地の戒であり、菩薩が修行するに当り、それを目標にして自ら反省し、自らを励ます為の自戒に過ぎない。これを以ってしては云何にしても僧中の秩序を保つことはできないのである。 そもそも梵網戒とは、拡張され厳格化された五戒乃至十戒である、と見なせばよいのであるが、拡張され厳格化されたというその事は、則ちそれが善であるとは限らない。何故ならば誰にも守れないほど厳しければ、それは単なる反省材料にしかなり得ないからである。
更に梵網戒に於いては、僧の秩序を保つという概念は、余り重要な概念とは見なされず、多くの場合、比丘ではなく、職業をもった俗人の為に、その菩薩としての生活態度が対象なのであるから、ここに書かれているような余りにも厳しすぎる菩薩観は、反って真面目には受け取られず、ただ極端を説いて少しばかりの反省を促す、といったほどに受け取られていたのである。
俗人の場合は、それを以って少しでも反省し懺悔してくれれば、それ以上言う所は無いのであろうが、僧の場合はどうであったろうか。結論を言えば、やはりそれでは僧の秩序は保てないのである。全てを梵網戒の所為に帰してよいものではないかも知れないが、僧をして世間の木鐸たらしめんとする世尊のもくろみは、もろくも外れてしまった、と言ってもよいだろう。
世間の大衆に尊敬され、人生の目標とされてこその菩薩であるはずが、俗人なみの生活規範をもち、俗人と何等変らぬ暮らしぶりであれば、何うして衆人の尊敬を集められよう。具足戒を捨て去り、その代りに梵網戒を当てるというのは、一見云何にも道理の如く見えて、実は道理ではなかったのである。管見の故、これ以上論じるわけにはいかないが、沙彌の十戒などと言って軽んぜず、実に味わい深いその辺りに回帰すべきではなかったろうか。
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(4)梵網経上巻の軽視 中国に於いて、天台宗の祖智(ちぎ)が「菩薩戒義疏」を著(あらわ)し、華厳宗の三祖法蔵は「梵網経菩薩戒本疏六巻」を著すが、それ等が皆、梵網経下巻のみの注釈であることを受けてか、日本天台宗の祖最澄もまた下巻のみを重視して、それを以って比叡山に戒壇を築かんとした。かくの如く中国、日本で上巻を軽視するような風潮は何故生まれたのだろうか。或いは、この経の下巻は、冒頭に本からの如き格調高い序分をもち、本文である戒本の前後には、これまた格調高く長い偈をもつのであるから、如何にもこちらが本体で前の心地を説く部分は添え物にも見えてくるのであるが、はたしてその故であろうか。
しかしそれで本当に良いのか。今、改めて上巻と下巻とを見比べ、その上で何れが重要かと問えば、菩薩心地を説く上巻は菩薩戒を説く下巻に勝るに決まっているのである。何故ならば、上巻は菩提心の発生から成就までの心の過程を説くものであるのに反し、下巻はただその菩提心を如何にして護るかを説くに過ぎないからである。本々無いものは護りようがないのであるから、下巻に上巻が劣るはずがないのである。
日本に於いては、菩提心をはぐくみ育てる事をさして重要視しないが、或いはこれが原因ではないだろうか。経の外見に惑わされて、その本質を失うようであれば、それは重大問題である。今、菩提心を育てることは重要であり、またそれが無ければ何にしてそれを仏教と言えよう。今後の仏教の興隆は、まさにこの一点に懸かると言っても過言ではない、それほどに急務なのである。ここの総括は是非とも必要であろう。
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(5)梵網経注釈 梵網経の注釈は非常に多く、労を改めることを省いて「国訳一切経」の記載する所を以下に図示する。
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かくの如く本経の注釈は非常に多いため、この経を解説するに当っても何れを参考にするか迷う所であるが、その中でも上下巻を等しく注釈すること、重要な部分は一句ごとに注釈すること、論が納得できるもの、という三点をほぼ満足するものとして、寂光の「直解四巻」を選び、終始それのみを参照した。
以上、ほぼ梵網経のあらましを説いて、梵網経の解題とする。
平成22年01月 つばめ堂主人 著す
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