20世紀特急
この写真は、もちろん今年撮ったものではありませんが、季節を過ぎてから世に出すのもはばかられますので、まあ止むを得ないのではないでしょうか?

それで”今月のお料理”として、「花見弁当」をこしらえてみました。皆様方も、どうか目をもってお味わいください。


≪左の上≫
  1. ブリ照り焼き
  2. トリの西京焼き
  3. 卵焼き
  4. ブロッコリーの白煮
≪右の上≫
  1. エビの衣揚げ
  2. アスパラの肉巻き
  3. 蕗の薹のてんぷら
  4. ほうれん草と人参のごま和え
≪左の下≫
  1. 桜ごはん
  2. 桜のはなびら
≪右の下≫
  1. ウドと筍の白煮
  2. 山椒の芽
  3. 牛肉とごぼうのしぐれ煮
  4. 菜の花とかぶらの一夜漬け

  ただ写真を撮れさえすればよいので、一人前しか作らなかったのですが、なかなかのできばえに満足して食卓に置き、『桜ごはんの桜でも見ながら「お花見」気分にでもひたろうかい』といいながら、徳利のお酒をギヤマンの酒杯に注いでおりますと、台所から家内が茶碗と箸を手にしてやってくると老人の隣に座をしめ、「ひとりで食べるには多すぎるから、手伝ってやろう」というようなことを口にしながら、老人の承諾を待つこともなく、あろうことか桜ご飯の真ん中にずぶりと箸を突き立てるが早いか、情け容赦もなく半分ばかりをすくい取り、自分の茶碗に移してしまいました。

  まあその時の老人の気持ちときたら、一瞬何が起ったのかもわからぬままに狼藉の跡に指をさし、ただあゝ、あゝと言葉にならぬ声が口を突いて出るばかり、‥‥どうかお察しくださいませ。


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アメリカの著名なインダストリアル・デザイナー、ヘンリー・ドレイファス( Henry dreyfuss )はニューヨーク・セントラル鉄道( Newyork Central Railroad )から委託を受けて、上流階級向けの豪華列車、20世紀特急( the 20Century Limited )のために機関車と客車を青と灰色(ニューヨークの色)でレンダリングしたアールデコ様式の合理化された列車セットを設計し、その列車セットは1938年6月15日に発足した。彼のデザインはおそらく最も有名なアメリカの旅客列車であった。新しい20世紀特急列車は、東部時間18:00にニューヨーク市を出発して、翌朝中央時間09:00にシカゴのラサールストリート駅に到着したので、平均時速60マイル/時(97 km / h)で、960.7マイル(1,546 km)を移動したことになる。以上WikiPediaから。

同じ頃、ヘンリー・ドレイファスはエバーシャープ社( EversharpInc. )より新しい万年筆のデザインを請け負い、20世紀特急と同じモチーフでスカイライン( Skyline )シリーズをデザインしたが、同社はこれを1942年より1948年までこれを発売して大きな成功をおさめ、傾きかけた社運を一時的ではあるが隆盛に導いた。

最も奇抜でありながら、最も美しい万年筆!、掌中にこれを愛玩すれば、その感触の心地よさに文字を書くことを忘れて、豪華列車に思いをはせることになります。社交界で名をはせたであろう紳士淑女はどのように着飾り、列車内のサルーンでは、どのような会話が交わされていたのだろうか。  食堂車では銀の食器をカチャカチャ鳴らしながらどのような料理が給侍されていたのだろう、‥‥

これほど美しい万年筆でありながら、その少からざる数がその地金が金であるが故に皮を剥がれて壊されたというのも、虎がその美しい毛皮故に絶滅しそうであったりするのと類を同じうするものでしょう。人間というものは、欲に目がくらめば後先を考えることがありませんので、その結果は無惨としか言いようがありません。

購入した当座は、まったくのブランニュー( Brand-New )そのままでインクの通された痕跡がなく、いささかのシミもヨゴレも付着してはおりませんでしたが、インクを入れて使い出すがはやいか、ペン芯の材料であるエボナイト( hard-rubber )の影響を受けて、14Kの金ペンが硫化され虹色に変色してしまいました。もちろん磨けば消すこともできますが、多くの方はそのままの方を好まれているようで、敢て消すこともないかと思っております。

万年筆:Eversharp "Skyline SixtyFour" made in USA. nib=fine;
インク:パイロット ”色彩雫 紅葉”
原稿用紙:
    テーマ:”旅行”
    モットー:”客舍憂色深( Stranger's room is full of sorrow )”
    色:”若紫”


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安倍仲麿:
  天の原ふりさけ見れば春日なる
  三笠の山に出でし月かも
  「安倍仲麿」は、天武2年(698)に生まれ、養老元年(717)に遣唐使に同行して唐長安に学び、科挙に合格して神亀2年(725)には洛陽の司経局校書として任官して以後唐玄宗に仕えて、神亀5年(728年)には左拾遺、天平3年(731年)には左補闕、天平勝宝4年(752年)衛尉少卿と順調に昇進を重ねながら、大詩人の李白や王維等とも親厚を重ね、途中帰国の意志はありながらも船の難破に遭遇して叶わず、ついに宝亀元年(770)彼の地に没するに至る。

  「天の原」とは空の一面に広きを野原にたとえたるものにして、「ふりさけ見る」とは振り仰いで見るということである。「春日なる」とは「春日にある」の変じたものであり、「三笠の山」とは奈良の春日大社より東を望むと山の形が笠を三段に重ねたように見えることから、これ等の山を総称していう。「出でし」は、「出る」という動作が過去の事実であり、今はその痕跡を見受けられないという意味である。「かも」は感嘆、詠嘆、疑問を含んだ感情を表わす終助詞である。

  この故に、意味はこうなる、――
大空を振り仰ぐと、月が見えた。
この月は、春日の三笠山の上に出ていた月かも知れないなあ。

  この歌からは、安倍仲麿という人のスケールの大きさが感じられる。それはそうであろう、王維、李白というまったく性格の異なる唐代きっての天才詩人たちと親厚を結ぶなど、他に誰ができようか。 歌を味わうには、歌の背景である作者の人となりを知ることもまた重要であるが、作者のスケールが大きすぎるので、この歌の優劣を評価することもまた不可能である。

喜撰法師:
  我が庵は都のたつみしかぞ住む
  世をうぢ山と人はいふなり
  「喜撰法師」は、Wkikipedia に依れば「山城国乙訓郡の生まれとされ、出家後に醍醐山へと入り、後に宇治山に隠棲しやがて仙人に変じた(本朝高僧伝)」とあり、又この歌の他にはただ一首「木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりに海人の海へ行くかも(玉葉和歌集)」が見られるだけであり、その他には紀貫之の古今集序に、「宇治山の僧喜撰は言葉かすかにして、初め終りたしかならず。いはば、秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。よめる歌多く聞こえねば、かれこれを通わしてよく知らず」とあるのみである。

  「都のたつみ」とは宇治山(宇治田原町)が京都御所より東南方角にあるからであり、「しかぞ住む」は「まさしく住む」と、「鹿が住む」との掛詞、ただ「世をうぢ」は問題であるが、通例この「うぢ」を、「憂し」に掛けて、「世を憂しと思い」の意味に取るようである。文法的に「を」を活かせば、「うづ」という他動詞(だ、ぢ、づ、づ、で)があることになるが、辞書には見当たらない。また「憂し」は形容詞であるが故に「を」を受けることはない。或は「放(う)つ」という他動詞(た、ち、つ、つ、て)の転訛したものか、この場合意味は「世を放り投げて」であるが、「ち」が、「ぢ」に転ずる例を卒かには思いだせない。

この故に、この歌の意味は、こうである、――
わたしの庵は都の辰巳にあり、山の中に鹿と一緒に住んでおりますが、
この山を世間では、世を憂える山、「宇治山」と呼んでいるようです。

  やはり貫之のいうように、「言葉かすかにして初め終りたしかならず」であり、この一首と、玉葉集の一首とを合わせても、あれこれ通い合わせてよく知ることは不可能であり、やはり評価の対象外と言うべきであるが、ただ神仙に見られるようなかすかなる諧謔味が感じられるので、あるいはこれも秀歌としてもよいのかもしれない。


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この頃の新聞やテレビは情報源としてはまったく当てになりませんが、しかし目や耳から入ってくる情報はそればかりではありませんので、あれこれを結び合わせれば結構正確な情報を得ることもできます、――
ある居酒屋では、こんな会話が交わされていました、――
酔客1:こないだの演説お聞きになりましたか? というのはですね某国に於いては随分お相手のご機嫌をとっておりましたものですからね、その時わたしはこう思いましたよ、真珠湾だの9.11だの持ち出したりして、こちらとしては随分いやな気分になりましたものですからね、いったいこっちには何を持ち出す気なんだろうって、ヒロシマか、ナガサキかってね。ところがあなた、何にも出てきやしません、ただチェルノブイリを相手の軍隊が通ってホコリが舞い上がったので環境悪化が懸念されるってだけでしょう、あれはフクシマを当てこすったんでしょうが、随分安く見られたものですよ、せめてハボマイ、シコタンとか、シベリア抑留ぐらいは持ち出して、多少は忖度するっていうのが常識ってものじゃないかと思いますがね。
酔客2:まあ余りこっちには期待してないってことじゃあないですかね。アジアで一番最初に援助してくれたなんて、お世辞を言われてもね。
酔客3:聞いたはなしですが、あの人は口が巧くて弁が立ちますが、政治にはずぶの素人だっていうふうに言われていますね。なんでもイスラエルでは大失敗をやらかしたそうですよ。
酔客4:そうそう聞いていますよ、何でもホロコースト(大虐殺)を持ち出して、こっちも同じだ。前回はこっちが助けたんだから、今度はそちらが助けてくれって言ったそうですが、それを聞いてイスラエルが大激怒したそうです、ひょっとして自分んとこの歴史すら知らないのか、ホロコーストの片棒担いだのはお前んとこの正規の警察じゃないのか、バビ・ヤールで何が起ったのか、もう一度調べ直してこいってね。バビ・ヤールというのはわたしも初めて聞きましたが、自国の歴史ならば、やはり何が起きたかぐらいは教えるべきでしょうね。人から教えられるようじゃ随分恥ずかしいことにもなりかねませんからね。
酔客5:こんなことを言ってもよいかどうか、よく分からないのですがね、あの国には随分悪い噂の出るような連隊がありましてね、ハーケンクロイツを掲げたり、ナチス式敬礼をしたりして、異民族に焼き討ちを掛けたりしているそうですね。
酔客6:知っています、それxxx大隊っていうんじゃありませんか?
‥‥‥‥
――まあ、噂話ですからね、余り深追いするのは止めておきましょう。

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では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  (20世紀特急  おわり)

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