"SWAN_USA" 万年筆
大智度論100巻を訳し終り、16年間余りの軛を解かれた老人は、この後何をすればよいだろうなどと楽しく夢想にふけっておりましたところへ、家人がやってきて恥も外聞もないようすで、「一世帯あたり10万円いだだけるんだってさ」と、大声を張り上げます。

夢想を破られた老人は浮き立つ気持ちを抑えつつも、「これは大智度論のご褒美にちがいない」と神仏に感謝を奉げつつ、意気揚々とパソコンに立ち向かいまして Ebay を検索しておりましたが、やがて1本の万年筆を Get するにいたりました。

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つい先日も SWAN "self-filler" 万年筆を購入したばかりだというのに、はやばやと2本目の SWAN を注文するとは、内心に忸怩たるもの無きにしもあらずとは言いながらも、気もそぞろに待っておりますと、空路はるばるフロリダ州のマイアミから飛んできたのが、2月20日の日曜日、注文してから15日目ぐらいだったでしょうか、この頃の事情では、1ヶ月ぐらいは仕方がないかなと思っておりましたので、あまりの早さに驚いてしまいました。

これは 1920年頃米国で製造された "SWAN self-filling PEN" 万年筆です。 製造は 'Mabie Todd & Co Ltd' 、"SWAN" はその中でも高級品のブランド名ですが、このメイビー・トッド株式会社は1860年頃ニューヨークにおいて創業されましたが、1890年頃ロンドンに支店を設立しますと、この支店の方が業績がよくなりまして、ついに1915年に英国に本社を移したということです。 

この製品はクリップの付け根部分に誇らしく"PATENT JAN19 1915"、ボディーには白鳥のロゴマークの下に"TRADE MARK"、その右側に三行に分けて「"SWAN" SELF-FILLING PEN 」、「MABIE TODD & Co. New York」、「PATS.JAN.25,04,MAY21,18 PAT.PDG.」と読み取れますので、恐らく1920年前後の製品であろうかと推測されます。

ボディーとキャップは、エボナイト( hard rubber )製、ピカールで磨くと漆塗りのような深い艶が出てまいります。

ボディーには、目の細かい波形模様( moire pattern )が彫り込まれており、装飾は少ないながらも高級品らしい雰囲気をまとっています。

ペン先は、大型ながら細身のスマートな作りで、ボディー同様デザイナーの産物であることが想像されます。

ペン先は14K、太さはFine と Extremely Fine との中間ぐらいで、軟らかく、力を少し加えれば太字を書く事もできますし、余り力を入れなければ細字を書くこともでき、極めて快適に文字を書くことができます。

レバーによる吸入式でインクサックは新品に交換されています。吸入方式にはいろいろありますがレバー式は一番確実な方式で、メンテナンスも楽です。またラバーサックはかなり一般的な物であり、アンティークな万年筆が存在するかぎり、無くなるようなことはないでしょうから、その面でも楽だと言うことができます。

キャップをかぶせた全長は 139mm 、軸の太さは 12mm 均整のとれたスタイルで金属部分が少いが故に軽く、大きな手でも、小さな手でも手によくなじんで、百年前の製品でありながら普通に使用でき、字を沢山書いてもなお余り疲れないという、かなり優秀なペンです。 この新品同様の製品が100年後の世界に、今なお存在することすら驚きであるのに、それが現在の高級品と比較して書き味、デザイン、機能のどれをとってもかえって優れているように見えるのは本当に驚くべきことです。

万年筆:"SWAN SELF-FILLING PEN" made in USA. nib=fine;
インク:Parker "Blue Black"
原稿用紙:
    テーマ:”春”
    モットー:”此是民所楽(This is where the people enjoy life )”
    色:”紅鼠”


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今月は大智度論の翻訳にあたって、護持し続けてくれた神仏に対し、お礼を兼ねて、「日中礼讃偈」を唱えたいと思います、お聞きください、――
南無至心歸命禮西方阿彌陀佛
 彌陀身色如金山  相好光明照十方
 唯有念佛蒙光攝  當知本願最為強
 六方如來舒舌證  專稱名號至西方
 到彼華開聞妙法  十地願行自然彰
 願共諸眾生往生安樂國
それでは意味を説明しましょう、――
「南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏
 (なむししんきみょうらい さいほうあみだ)」
  南無、西方の阿弥陀仏に至心に帰命して礼す、
「弥陀身色如金山 相好光明照十方
 (みだしんしきにょこんせん そうごうこうみょうしょうじっぽう)」
  弥陀の身色は金山の如く、相好の光明は十方を照らす、
「唯有念仏蒙光摂 当知本願最為強
 (ゆうゆねんぶつむこうしょう とうちほんがんさいいごう)」
  唯だ念仏有れば光摂を蒙る、当に知るべし、本願は最も強しと、
「六方如来舒舌証 専称名号至西方
 (ろっぽうにょらいじょぜっしょう せんしょうみょうごうしさいほう)」
  六方の如来は舌を舒べて証す、専ら名号を称えて西方に至れと、
「到彼華開聞妙法 十地願行自然彰
 (とうひけかいもんみょうほう じゅうじがんぎょうじねんしょう)」
  彼に到れば華開きて妙法を聞き、十地の願行は自然に彰かなり、
「願共諸衆生 往生安楽国
 (がんぐしょしゅじょう おうじょうあんらっこく)」
  願わくは諸の衆生と共に、安楽国に往生せん。

更に解説しましょう、――
南無:敬意を表する( to pay obeisance )。
至心:心より( sincerely )
帰命:服従する( to obey )。
礼:礼拝する( to bow to )。
西方:西方の浄土。極楽世界。阿弥陀仏国。
阿弥陀、弥陀:阿弥陀仏。無量寿仏。
身色:身の様子( the appearance of his body )。
如金山:金山のようだ( as like as a gold mountain )。
相好:仏の身体的特徴( the distinctive features of Buddha )。
光明:仏より発する光( the light of Buddha's body )。
十方:東西南北と東南、南西、西北、北東と上下。
唯有念仏:念仏だけが( You should be only mindful of Buddha )。
蒙光摂:光に救済される( and saved in the light )。
当知:知ることになるだろう( You should know that )。
本願:代々受け継いできた誓願( his hereditary vow )。
最為強:最も強力である( being most powerful )。
六方:東西南北と上下。
如来:仏の同義語。
舒舌証:古代印度の礼法。舌を伸べて真実であることを証する。
( to extend his tongue and testify that it is true )。
専称名号:専ら弥陀の名を称えて( intoning the name of Amida )。
至西方:西方の浄土に至る( to arrive at the western pure land )。
到彼;彼の浄土に到り( you have reached that place )。
華開:花が開き( all kind of blossams are blooming )。
聞妙法:妙法を聞く( should listen to righteous teaching )。
十地願行:仏の誓願と行為( the vow and practices of Buddha )。
自然彰:自然に明白である( to be naturally evident )。
願共諸衆生:諸の衆生と共に願う( I wish with all living beings )。
往生安楽国:安楽国に往生する( to be reborn on the happy land )。


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今月の「百人一首」は、”猿丸大夫”と”中納言家持”の二首です。

猿丸大夫:
  奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
  声聞く時ぞ秋は悲しき
  「猿丸大夫」は、父祖官位共に詳らかならざるも、「続日本紀」には、「柿本朝臣佐留卒す」とあり、「古今集真名序」には、「柿本大夫」とあるを見れば、或は「柿本人麿」と同一人か、その親族であろう。「大夫」は、辞書によれば、「一位以下五位までの者の称。また特に、五位の通称。」とあるので、正三位柿本人麿が世を捨てて名を改めたるものと推定するも非理とはいえないだろう。

  「猿丸神社」、「柿本神社」等あるように両人とも「神として祀られている」のは異常の事である。 梅原猛は著書「水底の歌」において、柿本人麿と猿丸大夫と同一人物説を主張しており、又「一般人が神として祀られるのには条件があり、高位高官であること、非業の死を遂げた者であることが必要である」とも説いているが、興味深いことである。

  「鹿の鳴き声」は、中ぐらいの音の高さで”ミュー”、”ミュー”と聞こえるが、あのサイズの動物にしては声が細く、おとなしく静かに鳴くので、奥山に入れば、他の動物の声や、風の音に紛れてあまりはっきりとは聞こえないかもしれない。 そこにこの歌の魅力があり、美しさがある。

その故に、こう言うのである、――
「奥山にひっそり暮らしていると、紅葉を踏み分ける音が聞こえてきた。
人目を避ける者どうしが小声でささやきあうように、鹿の鳴き声も聞こえてくる。
秋にこの声を聞くのは悲しい、やがて寂しく静まりかえった冬が来るのだから」。

  「百人一首」には名歌が多いが、この歌はその中の白眉である。この歌には華麗さ、豪華さ、品位の高さがあるが、それは水墨画の中に色が感じられて、初めて分かるものなのである。

中納言家持:
  鵲の渡せる橋に置く霜の
  白きを見れば夜ぞ更けにける
  

  「大伴家持」は祖父を大納言従二位の安麿、同じく大納言従二位の旅人を父として光仁、桓武の両天皇に仕えた官人であったが、謀反の濡れ衣を被り、二度までも無実の罪に陥しめられながらも、「万葉集二十巻」の撰者として知られている。

  「鵲(かささぎ)の渡せる橋」とは中国の伝承に由来し、七夕の夜、織女が天の川を渡って牽牛に会う時、無数の鵲が翼をのべ渡して橋を掛け、織女が渡るのを助けると言われているが、これは天上の事であるが故に、同じく天子の住居の階(きざはし)を「鵲の渡せる橋」と称するのである。

  家持は、この夜、大勢の同僚とともに「宿直(とのい)」に当っていたが、部屋を暖めるために用意された人数分の火鉢に熾る炭火により、だいぶ息苦しくなってきた。冷たい新鮮な空気を求めて、部屋を抜けだし縁側に出てみると、深夜の静まりかえった御所の階が霜によって白く光って見えた。漆黒の中にぼーっと浮ぶ白い階。まさに天の川のイメージである。

この故に、
こう言うのである、――
「宿直の室を抜け出して、宸殿の方を見てみると、
建物の階に霜が降りたのか、漆黒の闇の中にぼーっと白く見える。
時刻は真夜中を過ぎたようだが、夜明けまではまだ間があるようだ」、と。

  この歌には貴族らしい冷静沈着、飾りのない自然な美意識、品位の高さ等の優れた人格が感じられる。「百人一首」中の秀歌と言ってよいだろう。



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≪ブッロッコリーのパスタ≫
材料(2人分):
  1. スパゲッティー:160g
  2. ブロッコリー:1/2個
  3. ベーコン:50g(薄切り)
  4. ニンニク:1片(みじん切り)
  5. 鷹の爪:1本
  6. オリーブオイル:大さじ2杯
  7. 塩胡椒:適宜
  8. 塩:40g(スパゲッティーの茹で汁用)
作り方:
  1. ブロッコリーを小分けし、太い茎は皮を剥いて薄く刻む。
  2. フライパンにオリーブオイル、ニンニク、鷹の爪をいれて弱火に掛け、ニンニクの香りが立ってきたら、ベーコンを炒める。
  3. ブロッコリーをフライパンに加え、水を100ccぐらい加えて中火で約10分、水分量を調節しながら、軟らかくなるまで煮て、火を止める。
  4. 大鍋に2リットルの湯を沸かし、塩40gを加え、スパゲッティーを茹でる。表示の時間より2分前にフライパンに移し、中火で茹で汁を加えながら、好みの固さになるまで炒め煮にする。途中、塩分量を味見しながら水、又は茹で汁を加える。
  5. 皿に取り分け、オリーブオイルと胡椒を少々ふる。
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  ("SWAN_USA" 万年筆  おわり)

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