2022年元旦
久方のわが庵にさす光見て
  夜明けの近き兆とぞ知る(つばめ)

大智度を訳しおへたるわが庵に
  吹く春風の匂ひかぐはし(つばめ)
皆様、明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞ宜しくお願いもうしあげます。

本年は、大智度論もいよいよ完成に近づき、すこしばかり暇ができそうでございますので、「小人閑居して不善を為せば至らざる所無し」を胸に、為るべく不善を作さないように、というわけで、最近老人は例の「百人一首」を勉強しているのでございますが、さすがは経典のごとく人口に膾炙するだけのことはありまして、一見してつまらなく見えるどの一首も、読み込めば読み込むほどに魅力を感じることにあいなりましたので、今月から二三首づつ、その魅力を語りながら新たなシリーズを立ち上げようと思う次第でございます。
天智天皇:
  秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
  わが衣手は露にぬれつゝ
稲穂の刈取られた刈田は馬を馳せるに都合がよく、まさに秋は狩猟の季節なのですが、また秋の天気は変わりやすく、朝に晴れていたものが、夕方には雨ということもしばしばなのであります。
本来ならば天皇の狩猟は幕屋を建て、従者を大勢したがえて行われるものであるが故に、突然の雨とはいえども、刈穂の庵に宿られるはずもないのでしょうが、この天智と申される天皇ばかりはそうでなく、しばしばお忍びで狩りをされていたそうであり、その為めに命をお落とし召されたということでございますので、刈穂で葺いた苫小屋を仮の宿に定められたというのも、いかにもありそうな事件なのであります。その故に、‥‥

「秋の田の刈穂の庵の苫壁があまりに粗いので、わたしは衣を濡らしながら雨宿りをしたことであるよ」と言うのです。

持統天皇:
  春過ぎて夏来にけらし白妙の
  衣干すてふ天の香具山
この歌から知れるのは、絶大なる権力を擁しながら不自由極まりない日常を過ごさねばならぬ「天皇」という御位の実体です。それがどれほど不自由であったのか、その故に‥‥

「春が過ぎて夏が来たようね、天の香具山に白妙の衣が干されているって、女官たちが言ってるわ」、と言うのです。

持統天皇は、天智天皇の皇女、同母姉の大田皇女と共に大海人皇子、後の神武天皇に嫁す。天智天皇の崩ずるに当り、大海人を皇位に即(つ)かしめんが為め、共に謀りて大乱を起して次の弘文天皇、即ち持統天皇の異母弟を弑し、更に天武亡き後は、姉より生ぜし大津皇子を罪に堕として自殺せしめ、自ら生ぜし所の草壁を皇位に即けんと欲するも、同じ頃草壁も薨ずるに及んで、更にその子の軽皇子、即ち後の文武天皇を皇太子とし、皇子未だ幼ければ、自ら天皇の位に即く。即ち「持統」という諡号は、自ら皇統を保持して離さなかったが故に贈られた諡号であると知ることになるのですが、この「春過ぎて」の一首をもってしては、いささかなりとそのような事情を窺い知ることはできません。いやあ、何といいますか、やはり名歌の名に恥じぬと言うべきなのでしょうね、‥‥
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この万年筆シリーズは、はたして第何回になるのか?
今回の万年筆は、”Parker 75”です。

女性用と言っていいほどの細作りの万年筆であり、総銀製の豪華さですが、何故か評判が悪く、中古価格もずいぶんと抑えたものとなっております。
樽型のボディーに格子模様が施され、金張りの矢羽根クリップ、皮の手帳等のペン刺しにぴったりの細身は優美でありながら、また強毅の相をも具えておりますので、とても女性向きとは思えません。


首軸の部分は三方が指の形に削り取られ、なおかつ滑り止めの横線までが入っていますので、軽く握っただけで十分な確実性が保証されますし、大ぶりのペン先はよく撓い、よく滑り、美しく明瞭な筆跡を残します。

ただし、掌の肉が分厚い方には、やはりグリップの部分が細すぎて握りにくいのかも知れませんので、お購めには若干の注意が必要でしょう。

万年筆:Parker 75 "cisele" nib-size="extremely fine"
インク:Jacques Herbin "violette pensée 三色スミレ"
原稿用紙:
    テーマ:”航海”
    モットー:”游々洋上楽”
    色:”青磁色”

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16年と6ヶ月、ひたすら大智度論を訳し続けて、ようやく99巻にたどり着いた老人は、うれしさの余り、「日中の無常偈」を唱えて世に送り出すことにいたしました。
諸衆等聴説日中無常偈
人生不精進 喩若樹無根
採華置日中 能得幾時鮮
人命亦如是 無常須臾間
勧諸行道衆 勤修乃至真
それでは意味を解説していきましょう、――
「諸衆等聴説日中無常偈(しょしゅとうちょうぜつにっちゅうむじょうげ)」
      人々よ聴きたまえ、日中の無常偈を説こう

「人生不精進 喩若樹無根(にんしょうふしょうじん ゆにゃくじゅむこん)」
      人生まれて精進でなければ、喩えば樹に根が無いようなものである

「採華置日中 能得幾時鮮(さいけちにっちゅう のうとくきじせん)」
      華を採り日中に置けば、いくばくの時か鮮やかでいられるだろう

「人命亦如是 無常須臾間(にんみょうやくにょぜ むじょうしゅゆけん)」
      人の命も是のように、無常であり須臾の間なのだ

「勧諸行道衆、勤修乃至真(かんしょぎょうどうしゅ ごんしゅないししん)」
      諸の行道衆に勧める、真実に至るまで勤修せよ

更に、解説を加えましょう、――
日中:
僧院では一日を4時間ごとに6時に分けて法要を行い、法を聴き、自ら懺悔し、仏を讃える生活を規則正しく行いますが、その朝の8時に行う法要を晨朝、昼の12時を日中、夕方の4時を日没と呼び、更に夜の8時、12時、4時を初夜、中夜、後夜と呼びます。
無常偈:
心中の境を詩文にしたものを偈と称しますが、仏教の中心的教義は無常であり、一切は無常であって、時々刻々と変化し続け、一事として常住するものはないと教えますので、法を聴いた僧侶たちは、各心中にこの無常という事を思い、その理解の程度を無常偈という詩文にして、声高らかに披瀝します。
精進:精力的な前進 energetic advance;  懈怠/後退の逆。
中国語の精の意味:
  1. 精白米:polished rice;
  2. 精気:essence and energy;
  3. 精神;精力:spirit; energy; vigor;
  4. 精霊;霊魂:spirit; soul;
  5. 細密;精密:fine; precise;
  6. 純潔;純浄:pure;
  7. 精鋭:sharp;
  8. 精選:carefully chosen;
  9. 精妙;深妙:profound;
  10. 精通;深奥に通達:proficient;
中国語の進の意味:
  1. 前進:advance; move foward;
  2. 進入:enter;
  3. 提供:offer;
  4. 任官:be appointed;
  5. 推薦:recommend;
  6. 促進、増強:advance;
中国語の精進の意味:
献身的に前進する to dedicate oneself to progress;
精進の梵語 vīrya の意味:
  1. 男らしさ manliness;
  2. 武勇 valour;
  3. 強さ strength;
  4. 力 power;
  5. エネルギー energy;
  6. 勇壮 heroism;
  7. 英雄的行為 heroic deed;
須臾(しゅゆ):
片刻、暫時、短時間の意の漢語。臾の意味は不明。
勤修:
勤勉な修行 diligent cultivation;
精進と同義。
真:
  1. 真実:truth;
  2. 仏の境界、阿耨多羅三藐三菩提:the mind of Buddha;

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羊羹:夜の梅(虎屋)
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう
  (2022年元旦  おわり)

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