簡単な事でしょう?
孔子の「己れの欲せざる所を人に施すなかれ!」とは、裏返せば「己れの欲する所を人に施せ」と言うに等しく、併せれば六波羅蜜中の上の三事と同じであり、しかも六波羅蜜の根本に相違ありません。 更に孔子は「義を見てせざるは勇なきなり」とも言っていますが、六波羅蜜に当てはめれば、精進がそれに当てはまります。「道理を知りながら行わない奴は勇気がないだけだ」ということですね。 孔子もこのように「六波羅蜜」を保証していられますが、しかしながら、それ等は皆、人間の本性に違うが故に、人と人とはいがみ合わなくてはならず、世界は平和にならないのです。
人間の本性に違うものを如何にして本性に近づけるのか?経文中には国邑、王位、財産、妻子ばかりか己れの身さえ施せと言っておりますが、それは極端を説いてその差し迫ったさまを示すだけで、経の本意ではありません。誰もが上の6事を胸に懐き、自らの家族/一族を愛するが如く他人に接すれば、自ずと平和が達成されるのです。しかしこの「誰もが」ということが難事中の難事であり、ここに到達するまでには考えられないほどの永い年月が必要とされることも自明の理なのです。
そこで経に言う「自ら行い、また他人に教えて行わせる」という教育が必要なのです、それは一見迂遠な道に見えますが、これが一番の近道であり、しかもかつ正道であって、この道によるよりないのです。 おそらく気が遠くなるほどの長年月を必要とすることでしょう、しかし一人の人が心懸ければ、心懸けただけ1mm、また1mmと目的に近づくことができ、少しづつ平和が来るのです。
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