人に遠き慮り無くんば、‥‥
性甚だ卑小にして行業芳しからぬ老人といえども、余齢を数えて僅かなりと識れば、趣く所の気分は自づと君子の道とならざるをえません。 ということで『論語』などを紐解いておりますと、次のような文章が目に入ってきました。
《論語・憲問第十四》
君子道者三,我無能焉:仁者不憂,知者不惑,勇者不懼
(君子の道は三なるも、我れは能くする無し。
仁者は憂えず。
知者は惑わず。
勇者は懼れず。
)
≪君子の道は三であるが、わたしには一つもできるものが無い。
仁慈の者は、財を私せず、人を害さないが故に憂うることがない。
智慧の者は、諸事の顛末が明了であるが故に惑わされることがない。
勇猛の者は、正道を果敢に進むが故に懼れることがない。
≫
仁者でも、知者でも、勇者でもなく、むしろ貪欲、愚癡であり、卑怯者の老人との距離は遠く、懸たること月と鼈(すっぽん)、やはり聖人の書である『論語』では話にならないのか、と更に紐解き進めますと、次のような文章に遭遇しました。
《論語・衞靈公第十五》
人無遠慮,必有近憂
人能弘道,非道弘人
過而不改,是謂過矣
君子求諸己,小人求諸人
(
人に遠き慮り無くんば、必ず近き憂い有り
人能く道を弘げ、道人を弘ぐるに非ず
過ちて改めざれば、是れを過と謂うなり
君子は己れに求め、小人は人に求む
)
≪
遠い先の事を思い計らない人には、必ず近くに憂いが有る
人が道を弘げて通りやすくするのであり、道が人を弘げるのではない
過失を改めないことを、過失と謂うのである
君子は失敗の原因を自分に求めるが、小人は他人に求める
≫
《論語・季氏第十六》
生而知之者,上也;
學而知之者,次也;
困而學之,又其次也;
困而不學,民斯為下矣
(
生まれながらに知る者は、上なり
学んで知る者は、次なり
困(くる)しみて学ぶは、又その次なり
苦しみて学ばざるは、民にしてこれを下となす
)
≪
生まれながらに道理を知る者は、上である
学んで知る者は、中である
困難に遭遇して学ぶ者は、中下である
困難に遭遇して学ばない者は、下である
≫
さて、これを聞いて老人には忽然として覚るところがあったのですが、果たしてそれは何ぞや?ということですが、 皆様方もどうぞお考えください、10秒差し上げましょう、‥‥
はい10秒経過しました、もう皆様お分かりですね?そうです、
答えは自動車を捨てて、自転車に乗ろうでした。 見事当てられた方からは、聖人に少しだけ近づいた老人の祝い金として、100万円頂戴いたします。どうぞ皆様、自ら奮って御申告なさってくださいませ。
前の紫色は少しだけ自転車に乗れる老人用、後の水色の三輪車は自転車に乗れない家内の買い物用。
しかし少しだけ後悔していますな、必ずしも自転車の方が、自動車より安全だとは、少なくとも老人には言えないような気がしているのですが、本当に先憂後楽ということになるのでしょうかね、‥‥
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草餅(自家製)
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう
(人に遠き慮り無くんば、‥‥ おわり)
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