九月十日ごろには、その気配すら見せなかった彼岸花が、その後、芽を出し茎を出して、二十日ごろになると、ようやく赤い蕾が着き、家主の心配を余所にして、彼岸の入りにはいくつかの花が咲き、中日には満開となりましたので、家の彼岸花だけでは飽き足りない老人も、幸い天気も良いことですので、近くの名所まで、車を飛ばしてやって来たのでございますが、新聞に依れば、青森県でも満開だそうで、南は九州から、北は青森まで日を間違えず、必ず彼岸に咲くので、彼岸花と言うのだなと、変に納得したのでございます。
しかしながら、つらつら考えてみまするに、桜などは、九州から青森まで、およそ一ヶ月もかけて咲き登るわけですから、これは気温に開花時期が関連しているに決まっておりますし、いっぽう彼岸花などは、夜と昼の長さを測って開花しているに決まっておりますので、花の開花ということだけに絞ってみれば、少なくとも二種類の全く異なった法則があることになり、もしかしたら優劣はあるかもしれませんが、一方が全く洮汰されてしまったということでもないように見えます。
実際、動植物の多様性ということを考えてみますと、驚くべきものがございますが、翻って考えてみれば、人間ほど一様性を好み、多様性を嫌うものはないように思えます。白人族は白人を好んで、黒人と黄人を嫌い、黒人族は黒人を好んで、白人と黄人を嫌い、黄人族は黄人を好んで、白人と黒人を嫌うとか、背の高い人は高い人を好んで、低い人を嫌い、低い人は低い人を好んで、高い人を嫌うとか、例を挙げれば限りがございませんが、人が徒党を組んだり、同志を募ったりするのも、之に類を同じうするものと言わざるをえません。徒党といえば、彼の一世を風靡して国民社会主義(
Nationalsozialismus = National Socialism )を標榜したナチス( Nazism )も人民のため、国家のためと言いながら国を悪い方へ、悪い方へと牽いてゆきましたが、わが自民党ははたして如何なものでしょうか?
中学校の方からは、運動会の応援合戦でしょうか、ラッパの音が響いてきます。
安倍内閣は、政権の座に、いつまで居据るつもりなのでしょうか、前の大戦のように進むもならず、引くもならずというような状態に突入しないうちに、是非とも退いて欲しいのですが、意見の一致を喜び、不一致を厭う、体制翼賛(大政翼賛に非ず)傾向の強い国民性からすれば、安定政権は何より嬉しいものなのかも知れません。しかし、われわれの周囲には、運動会の練習が、いつ軍事教練に取って替っても不思議でないような危険が、常に坑を穿って待ち受けているのです。
ヨーロッパの事情を伺ってみますと、国境を隔てて、多くの国家が、全くと言っていいほど異なる景色、情景、風俗、習慣、言語、思想、思考を以って互に接し合いながら、存在していますので、他人の意見を聞くということが、どれほど重要かを知る機会が多々あり、このような条件下では言動もおのづと慎重になり、意見の不一致を容認することが、文化として養成されることになりますが、われ等が国土は、隣国と国境を接していませんので、あえて意見の一致を求めようとする気分が、人間の性癖に順じて、おのづと養成されることになり、地理的には、甚だ危険な条件が、すでに備わっているものと思わなければなりません。
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