蝉(セミ)
老人の蔵書中には、「南仏プロヴァンスの12ヶ月」と、「南仏プロヴァンスの木陰から」という2冊の紀行を兼ねた随筆集が並んでいるのでございますが、その中に1989年ごろのプロヴァンス地方の気候が述べられております、――

真冬のシベリアに吹き起った風がおよそ8000kmほどの旅程をへて、南仏プロヴァンスまで来るころには、その名をミストラルと呼ばれることになり、それが時速180km、即ち秒速50mの猛烈な寒風となって、時には15日間にわたり、ひっきりなしに吹き荒れて、樹木を根こそぎにし、車を覆したり、窓を破ったり、屋根瓦を引き剥がして、水道管を破裂させたり、老人を溝に叩き込んで、電信柱をへし折ったり、風邪を流行らせて、家庭不和を引き起こしたり、家畜を狂わせたりして、まるで一切の不幸を引き起こすかのようであるが、特にここ数年は、プロヴァンスではかつて例のない酷寒が続いており、オリーブの古木が枯れてしまうほどである。ロシアから寒さを運んでくる風は、以前にくらべて明らかに大きな風速でプロヴァンスに吹き付けているのであるが、それは何故か?途中で暖まることなく、ロシアの風がプロヴァンスに達してしまうからである。それは何故か?シベリアからプロヴァンス間のどこかで、地表の凸凹がなだらかになったからである。すなわち地球が平になったからである、とか、

1989年に入ってしばらくすると、この地方の天気予報と、統計に不吉な違いが出はじめた。例年にくらべて雨が極端に少ないのである。暖冬で雪がほとんど降らなかったため、春を告げる雪解け水も奔流をつくるどころか、わずかに岩肌を伝うようでしかない。例年は60mmを超える一月の雨量がたったの9.5mm、二月も、三月も同じこと、春には雨の多い地方なのに、時に湿り気を帯びる程度で、初夏に入ると湿り気すらなくなり、例年五月の雨量は54.6mmなのにたったの1mm、六月は平均44mmに対して7mm、井戸は渇き、泉の水位も目に見えて下がった。旱魃で作物は萎び、地面はひび割れ、あちらこちらで山火事が起き、からからに乾いた松林が百エーカーの単位で焼失した、とか、――

翻って、この国の、今年の暑さなどを考えてみますと、山を削って谷を埋め、里山も田んぼも平地に均して、宅地にしたり、工場や倉庫を建てたりすることが常態化していることの結果であることは明白であり、何もプロヴァンスの例を引くまでもございません。

至極当然の事に対して、今さら、古今未曽有だなどと驚く方が、不思議と言わねばならないのでございますが、この国の行政が、どんなに不思議の河や、不合理の山等を築こうが、どんなに日照りが続こうが、猛烈な台風、地震、津波が来ようが、我が国民には、反省する様子が見られないばかりか、その原因を探ろうとする努力さえ放棄しているように見えますな、‥‥嗚呼、已んぬる哉。

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暑さが続きますと、冷たい水建ての抹茶を平の夏茶碗で飲みたい所でございますが、この茶碗の絵柄は、はたして何の図でございましょうか?‥‥もちろん蛍でございますな、‥‥蛍を描かずに、ただ光のみを描いて、それを想像させるという所でございますが、‥‥なかなか気が利いておりますな、‥‥夏は素肌でいるのが一番でございますが、‥‥ごてごて下手に飾り立てない所が、大変結構なように思います。


一服の抹茶を喫しおわりますと、‥‥器の外に蛍のいるのは分っていますがね、‥‥お茶を飲み終わると、やはりどこにいるのか探してみたくなりますな、‥‥

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(朝顔:野田屋)

それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう
  (蝉(セミ)  おわり)

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