要するに、こういうことなのでございますな、‥‥
黒一色の質素な御膳でございますが、黒一色の中に配された料理がよく栄えるのは、世間周知の通りでございまして、物の哀れに通じてきますと、金銀の高蒔絵よりもなによりも、この方が一層嬉しいのでございますな、‥‥
このお膳やお椀が製造されたのは大正8年と申しますので、およそ100年も前のことになりますが、その頃は、法事なんかを行いますと、親戚・知人が大勢、地方から出て参りますので、宿を致さねばならず、三度の食事も供さねばなりませんので、その為に、このようなものを誂えたものではないかと思われますが、なにしろ相手が親戚知人でございますので、金持と見られて困るのは当然でございますが、さりとて余り貧乏にも見られたくないという思惑が、この黒一色の中に、あるいは籠められているのかも知れません。
その頃庶民には、一汁一菜が通常の食事ですので、一汁三菜は十分御馳走の部類に入るのでございますが、家庭料理の延長であることには違いありません。それ以上の二の膳三の膳は、結婚式か、或は勲章でも授与されたかぐらいの極めて希な事で、一生に何度もあることではございませんので、もし家庭で開かれたとしても、仕出し屋が請け負うことになったものだろうと思いますが、何はともあれ、一汁三菜は家庭料理の極致として、中々味わい深いものがございます。
お椀の中には、蓋付きと蓋無しとがございますが、二十人前、三十人前を一時に供さねばなりませんので、その為のサービスの都合を考えたものと思えば宜しいのではないでしょうか。
一汁三菜は家庭料理の延長上に位置し、遊びの要素が皆無で、懐石のように季節だの、見立てだのの面倒な規則が一切ございませんので、なんでもあり合わせの物を煮たり、焼いたりして適当な器に盛れば宜しいのですが、極めてルーズな規則として、三菜を煮物、焼物、和え物に配し、これに一汁、一飯に香の物を加えればよろしいといったものでございますので、山海の珍味に懐を痛めることもなく、極めて安直に客の気分を味わえるのですが、‥‥まあ言ってみれば、老人の為の、まゝごと遊びとでも言えば宜しいのでしょうか、‥‥。
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