一汁三菜


昨夜の寒さに、少しばかり早寢をしたせいでしょう、通常は午前11時ごろに起床すべきところ、半醒半睡の中に雀の鳴声が聞えてきたなと思うほどもなく、異状に低い室温に突然意識を覚醒されて、ベッドから飛び起き、窓を開けてみますと、はたして屋根には薄っすらと雪が降り積もっております。

かじかむ手にカメラを握りしめ、素足を下駄に預けて、雪景色を物にせんものと、寒さを忘れて写真に撮っておりましたが、下駄の歯の間に溜まった雪を叩いたりしている中に、碌な写真が撮れないままに疲れはて、家に帰ってベッドに潜り込みましたが、冷えた足先が痛んで睡ることができません。やむを得ず家内を呼んで風呂を立てさせたのでありますが、朝風呂に浸かりながら、老人の脳裏には今夜の宴の光景がありありと浮んで来たのでございます。

火鉢に炭をおこして、鉄瓶を掛け、お酒の燗をつけよう、‥‥。香炉には香を焼くことにしよう、‥‥。寒い夜には、一汁三菜の御膳が似つかわしい、‥‥煮物には、‥‥焼物には、‥‥和え物には、‥‥汁は、‥‥御飯は、‥‥‥‥

風呂から出ると、老人は書斎に入り、メモ用紙に膳の図を書きだしますが、頭中にはすでに確固たる見取り図が出来上がっております。



要するに、こういうことなのでございますな、‥‥
黒一色の質素な御膳でございますが、黒一色の中に配された料理がよく栄えるのは、世間周知の通りでございまして、物の哀れに通じてきますと、金銀の高蒔絵よりもなによりも、この方が一層嬉しいのでございますな、‥‥

このお膳やお椀が製造されたのは大正8年と申しますので、およそ100年も前のことになりますが、その頃は、法事なんかを行いますと、親戚・知人が大勢、地方から出て参りますので、宿を致さねばならず、三度の食事も供さねばなりませんので、その為に、このようなものを誂えたものではないかと思われますが、なにしろ相手が親戚知人でございますので、金持と見られて困るのは当然でございますが、さりとて余り貧乏にも見られたくないという思惑が、この黒一色の中に、あるいは籠められているのかも知れません。

その頃庶民には、一汁一菜が通常の食事ですので、一汁三菜は十分御馳走の部類に入るのでございますが、家庭料理の延長であることには違いありません。それ以上の二の膳三の膳は、結婚式か、或は勲章でも授与されたかぐらいの極めて希な事で、一生に何度もあることではございませんので、もし家庭で開かれたとしても、仕出し屋が請け負うことになったものだろうと思いますが、何はともあれ、一汁三菜は家庭料理の極致として、中々味わい深いものがございます。

お椀の中には、蓋付きと蓋無しとがございますが、二十人前、三十人前を一時に供さねばなりませんので、その為のサービスの都合を考えたものと思えば宜しいのではないでしょうか。

一汁三菜は家庭料理の延長上に位置し、遊びの要素が皆無で、懐石のように季節だの、見立てだのの面倒な規則が一切ございませんので、なんでもあり合わせの物を煮たり、焼いたりして適当な器に盛れば宜しいのですが、極めてルーズな規則として、三菜を煮物、焼物、和え物に配し、これに一汁、一飯に香の物を加えればよろしいといったものでございますので、山海の珍味に懐を痛めることもなく、極めて安直に客の気分を味わえるのですが、‥‥まあ言ってみれば、老人の為の、まゝごと遊びとでも言えば宜しいのでしょうか、‥‥。
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火鉢に掛けた鉄瓶から、湯の沸く音が聞えてきました。チロリにお酒をいれて鉄瓶の口に差し込めば、1分ぐらいで熱燗になりますが、その前に、香炉に香を焼いて、炭の気を払い、食欲を増進させなくてはなりません。

その間を利用して、蓋の無いお椀について、少しばかり説明しましょう、‥‥


最初は、焼物椀ですな。主として肉や、魚の料理を盛りつけますので、言わばお椀中のハイライトでございましょうか、‥‥

卵焼きが一切れ、蒲鉾が一切れ、鶏のテリーヌが一切れ、牛蒡と牛肉の煮付けが少々、色取りにパセリでございますな、‥‥要するに何を盛りつけても宜しいのですが、色の配合だけには気を配らなくてはなりません。



次は和え物椀、または膾(なます)椀とも言われておりますように、本来は鯛、平目等の白身の刺身を、昆布締めにして二杯酢などで和えたものを盛るべきでしょうが、胡麻和えや、白和えでも十分満足のいくように造ることができます。

ほうれん草の胡麻和えは、手間は掛りますが、また手間の掛け甲斐もあり、鯛や平目の膾を凌ぐほどにもなりますので、人の称讃を得ようと思えば、これに過ぎたるものは他にございません。



次は汁椀でございますが、黒いお椀で、色彩の単調さを補おうとしますと、自ら白味噌か、澄ましの汁ということになりますので、いくら味覚に適うからといって、八丁味噌や、仙台味噌・信州味噌などは、お使いにならない方が無難ではなかろうかと思う次第なのでございますな、‥‥

茄子の翡翠をあらかじめ椀に盛りつけ、持ち込む直前に汁を張って溶きがらしを小量落とすことで、時間を節約します。



熱燗のお酒をチロリから徳利に移しますと、宴の始まりでございますな、お椀の蓋を取って、戴くことにしましょう、‥‥。

膳の規則としては、かなり強めの規則に分類されますが、箸は両細の杉箸に定まっておりますので、上等の塗り箸などは、お使いにならないようお勧めします。箸置きは、塗りの物があれば便利で結構なものですが、陶磁器は塗りの表面を痛めますので、お使いにならない方が宜しいでしょう。また御膳の上のことですから、まったく無くてもかまいません。総じて杯以外の陶磁器は膳の上には載せないようにして、徳利なども、お盆に載せて脇に置かれるのが宜しいかと存じます。

尚お老婆心ながら申しますと、膳上左側の煮物椀と飯椀は左手で取り、右手の助けを仮りながら左手の中に納め、右側の焼物椀、和え物椀と汁椀は右手で取って左手に移すものですが、その間、箸は膳の中に落とし込むか、箸置きに掛けて置き、そして椀が左手の中にしっかりと納まってから、右手の三本の指を使って箸を上から摘み取り、左手の小指と薬指の間で、箸先の濡れていない部分を支えながら、右手を反して箸を下から受けるように持つようにすれば、和食のマナーの一番の難関を突破したことになりますので、もしそのようにされていらっしゃらないようであれば、少しばかり練習されることをお勧めしましょう。



次は、いよいよ煮物椀でございます。飛竜頭でも高野豆腐でも季節の野菜でも煮物ならばなんでも宜しいかと存じますが、煮物が魚肉系の場合は、焼物は茄子のしぎ焼きとか、焼きピーマン等の野菜系にすると全体のバランスが取れて宜しいように思います。

風呂吹き大根に掛ける味噌は、八丁味噌、仙台味噌、信州味噌等、味覚上それぞれに持ち味が異なりますので、いろいろお試しになられるのが宜しいかと思いますが、やはり黒いお椀には前述の難点が顕著に顕われてしまいますので、京の白味噌の中から、甘みの少ない物をお選びになるのが、賢明な御処置と言えるのではなかろうかと思っております。



最後は飯椀でございますが、白い御飯でも、色の付いた御飯でも、どちらも考えられますが、今回は写真にした時の見栄えを第一にして、人参と舞茸の炊き込み御飯を択びました。

やはり老婆心までに申しますと、黒いお椀は、熱い物に出会うと褪色が劇しく、折角の黒一色が黄緑色を呈するようになり、価値を半減しますので、御飯などもお釜から直接装わず、いったん飯びつに移して、80℃まで温度が下がってから、装われるのが宜しいかと思います。





美味しい物を食べて、お酒も適度に回り、和気靄靄の気分が座に満ちて参りますと、次はお茶とお漬け物が欲しくなりますが、香の物もお茶も、その時分を見計らって出すように気配りしなければなりません。余り早く出せば、急かすように思われますし、遅く出しても時期を失した憾みが殘ります。また香の物を他の物より早く食べますと、折角の料理が口に合わないのではないかとも思われかねませんので、出す時のタイミングは非常に大切です。

香の物は、大皿に盛って出すのが定まりのようであり、余り銘々皿に盛るというようなことは致しませんが、何故そうなのかという理由を、急には思い付きません。或は宴の終りに際しては、余りバタバタするのも、何か憚られますので、恐らくその辺に理由がひそんでいるのではないでしょうか。

今回のレシピを下に書いて置きましょう、‥‥

≪だし巻き卵≫
≪材料≫
  1. 卵:中6個
  2. 砂糖:グラニュー糖15g
  3. 水:20cc
  4. 醤油:白醤油/薄口醤油20cc
  5. だし汁:鰹のだし汁120cc
≪作り方≫
  1. 砂糖を水20ccで煮、約半分量になるまで煮詰めて冷ます。
  2. 卵6個を解き、だし汁120ccと醤油20ccを加え、よく混ぜて漉し器で漉す。
  3. 水で煮詰めた砂糖汁を加え、よく混ぜて焼く。
  4. 巻き簀に取り、強く巻いて、その上を新聞紙一日分で包んで余熱を保温し、完全に冷めてから更に約1昼夜冷暗所で寝かす。
≪注意事項≫
  1. 砂糖を水で煮たものには保水力があり、その保水力を利用して、卵を固めるのであるが、その保水力は卵に混ざると時々刻々と変化し続けるため、煮詰めた砂糖汁を加えるタイミングは、必ず最後にし、時間を置かずに焼かなくてはならない。 同じ理由から、何本も連続して焼く場合、卵にだし汁、醤油を合せたものと、砂糖汁とは、焼く寸前まで別にしておくこと。
  2. 焼き上がった後も味が変化し続けるので、一昼夜ぐらい置いた後が食べ頃である。
  3. 砂糖汁を多くすると卵焼きは固くなり、少なくすると柔らかくなる。味と固さのバランスを見極めること。
  4. 必ず、銅の卵焼き器を使用すること。
  5. 遠火を得るためには、鉄板に網の重なった餅焼き網を使用する。
  6. 菜種油を使用し、よく熱した卵焼き器に多目に引くこと。

≪鶏のテリーヌ≫
≪材料≫
  1. 鶏もも肉(皮の除いたもの):約400g
  2. 鶏レバー:約100g
  3. ニンニクの微塵切り:一片分
  4. 玉ねぎの微塵切り:1/4個
  5. 赤ワイン:50cc
  6. くるみを砕いたもの:10個分
  7. ベーコンスライス:5枚
  8. 塩(もも肉用):4g(もも肉の1%)
  9. 塩(レバー用):1g(レバーの1%)
  10. 砂糖(もも肉用):2g(もも肉の0.5%)
  11. 胡椒(もも肉用):適量
  12. 牛乳(レバーの臭み消し用):適量
≪作り方≫
  1. 鶏のもも肉の皮を取り除き、計量して必要な割合の塩と砂糖を混ぜ、まんべんなくすり込み、胡椒を振ってから、ラップでぴったり包み、ジップロックに入れて、冷蔵庫で一晩休ませる
  2. レバーをよく洗って、筋っぽいところと、血の塊を除き、1cm角ぐらいに小さく切り、牛乳に30分以上浸す。
  3. オリーブオイル(分量外)を引いたフライパンに玉ねぎとニンニクを入れ、火に掛けてしんなりするまで炒める。
  4. 3.のフライパンに、水気を拭いたレバー、塩、ワインを加え、ワインの水分が完全に無くなるまで炒めた後、ボールに移して冷ます。
  5. ローストした胡桃ならばそのまま、ローストしてなければ軽くローストして、細かく砕いて置く。
  6. オーブンを180℃に余熱する。
  7. 冷蔵庫で一晩寝かせた鶏もも肉をまな板の上に載せ、キッチンペーパーで水気を拭き取り、1~2㎝角ぐらいの大きさに切ってから、4.の冷ましたレバーを加え、包丁で叩くようにしながらよく混ぜ、その後、5.の砕いた胡桃を混ぜ合わせる
  8. パウンド型の底と側面にベーコンを敷き詰め、7.の混合物を隅を意識しながらぎゅっと押えながら詰め、側面に垂れ下がったベーコンを、上面に折り曲げ、全体を押すようにしながら、空気抜きをする。
  9. パウンド型にアルミホイルを被せてバットに載せ、周囲に熱湯を注ぎ、180℃のオーブンで1時間焼く。
  10. オーブンから取出して、アルミホイルを被せたまま、上に製菓用の重石を載せて粗熱を取る。
  11. 冷めたら重石を外し、型のままラップを被せて、冷蔵庫で一晩休ませると、水分の固まった煮凝りと、白く固まった脂が分かれて、上に浮いているので、脂の分を取り除いて捨てる。
≪注意事項≫
  1. 白い油脂分は、毒ではないが、不味いので捨てること
  2. 黒い煮凝りは、美味いので捨てないこと

≪牛蒡と牛肉の煮付け≫
≪材料≫
  1. 牛蒡:1本
  2. 牛肉こまぎれ:100g
  3. 酒:大さじ1杯
  4. 味醂:大さじ1杯
  5. 醤油:大さじ1杯
  6. 砂糖:大さじ1杯
≪作り方≫
  1. 牛蒡を5cmの輪切りにし、縦に四つ割か、二つ割にして太さを揃える
  2. 鍋に牛蒡、牛肉、酒、味醂、醤油、砂糖を入れ、ひたひたに水を加え、中~強火の火に掛ける
  3. 沸騰してから1~2分後、出たアクを取り、蓋をして弱火で約10分煮る
  4. 牛蒡が柔らかくなれば、蓋を取って強火で汁を煮詰める

≪ほうれん草のゴマ和え≫
≪材料≫
  1. ほうれん草:100g
  2. 洗い胡麻:大さじ4杯
  3. 京の白味噌:大さじ1杯
  4. 味醂:小さじ1/2杯
≪作り方≫
  1. 胡麻を軽く煎り、すり鉢で約15分、油分が出るまで擦ってから味醂と白味噌の全量を加え、全体が滑らかになるまで擦る
  2. ほうれん草を洗って、根本に付着した砂を除き、沸騰して湯で約2分、あるいは好みの柔らかさになるまで茹でてから、冷水に取る
  3. 両手で水分を絞って、まな板の上に長く置き、2cmぐらいの幅にザク切りにしてから、両手で握って水分を取り除き、すり鉢に入れて、擦り胡麻と和える
≪注意事項≫
  1. ほうれん草は茹でてから、冷水に取るのは、アクを取り除く為であり、茄子や白菜、キャベツ等は水に取らずに、熱いまま絞って水分を取り除くこと。

≪茄子の翡翠の味噌汁≫
≪材料≫
  1. 長茄子:1本
  2. だし汁:200cc
  3. 京の白味噌:大さじ1杯
  4. 溶き芥子:少々
  5. 揚げ油:適量
≪作り方≫
  1. 茄子のヘタを取って、160℃の油で4~5分ぐらい、回しながら揚げ、柔らかくなったら冷水に取って、竹串を使って皮を剥き、まな板の上で、椀に適した長さの蒲鉾状に切り、椀に入れる
  2. だし汁を煮立てて、味噌を溶かし入れ、沸騰したら火を止め、80℃に温度を調節してから、椀に注ぐ
  3. 溶き芥子を箸の先で、翡翠色の茄子に付着する

≪風呂吹き大根≫
≪材料≫
  1. 大根(厚さ2センチの輪切り):4切れ
  2. 出汁コンブ:5センチ
  3. 柚子の皮:約1/2分
  4. 京の白味噌:大さじ4杯
  5. 砂糖:大さじ2杯
  6. 味醂:小さじ1杯
≪作り方≫
  1. 出汁コンブを敷いた鍋に大根と水適量を入れて沸騰するまで強火に掛け、以後弱火にして約30分煮て、竹串がすっと通るぐらいに柔らかくなれば、火を止める
  2. 柚子の皮を長さ1センチの薄切りにし、鍋に入れてひたひたの水を張り、弱火に掛け、約5分煮てから白味噌と、砂糖、味醂を加え、杓文字等で錬りながら滑らかに好みの固さになるまで煮る
  3. 椀に盛った大根に柚子味噌を掛ける

≪舞茸御飯≫
≪材料≫
  1. 米:2カップ
  2. 舞茸(石突きを取ってほぐした物):2カップ
  3. 人参(マッチ棒の太さで長さ1.5cmの物):大さじ2杯
  4. 油揚(長さ1センチ幅3㎜の物):大さじ1杯
  5. 出汁コンブ:5㎝
  6. 塩:小さじ1杯
  7. 醤油:小さじ1杯
  8. 酒:小さじ1杯
≪作り方≫
  1. 炊飯器に通常の水加減で米を入れ、上記の材料を全て加えて、普通の方法で煮る
≪注意事項≫
  1. 炊飯器が沸騰したところで、出汁コンブを取り出すことになるが、炊飯器の都合で取り出せなければ、出汁コンブはそのままにしてもよい

(節分大福:大口屋)

それでは今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう
  (一汁三菜 おわり)

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