高砂(たかさご)
[真の次第]の囃子で大臣の姿のワキ・ワキツレ登場。正面先に向かいあって<次第>を謡う。<上歌>の末尾でワキは歩行の態を示した後、正面を向き、<着キゼリフ>を述べ、一同脇座に着座する。
[真の次第]
ワキ・ワキツレ〽(次第)今を始めの旅衣、今を始めの旅衣、日も行く末ぞ久しき。
ワキ「<名のり>そもそもこれは九州肥後の国、阿蘇の宮の神主友成(ともなり)とはわが事なり。われいまだ都を見ず候うほどに、このたび思い立ち都に上り候。またよきついでなれば、播州高砂の浦をも一見せばやと存じ候。
ワキ・ワキツレ〽<上歌>旅衣、末はるばるの都路(みやこじ)を、末はるばるの都路を、今日思い立つ浦の波、船路(ふなじ)のどけき春風も、幾日(いくか)来ぬらん跡末(あとすえ)も、いさ白雲のはるばると、さしも思いし播磨潟、高砂の浦に着きにけり、高砂の浦に着きにけり。
ワキ「<着キゼリフ>急ぎ候うほどに、播州高砂の浦に着きて候。人来たって松の謂われを尋ねうずるににて候。
ワキツレ「しかるべう候。
[真の一声]の囃子で姥の姿のツレと老翁の姿のシテとが登場し、ツレは一ノ松、シテは三ノ松に向かいあって<一セイ>を謡う。ツレは右肩に杉箒、シテは右肩に竹杷(さらえ 熊手)を担(かた)げる。続いて[アシライ]の囃子で、ツレは中央、シテは常座に行き、<サシ>以下を謡う。<上歌>の終りに、シテは中央へ、ツレは角(すみ)へ謡いながら行く。
[真の一声]
シテ・ツレ〽<一セイ>高砂の、松の春風吹き暮れて、尾上の鐘も、響くなり。
ツレ〽波は霞(かすみ)の磯がくれ、
シテ・ツレ〽音こそ潮の、満干なれ。[アシライ](シテは竹杷を肩より下ろし右手に持つ)
シテ〽<サシ>誰をかも知る人にせん高砂の、松も昔の友ならで、
シテ・ツレ〽(向かいあって)過ぎ来し世々は白雪の、積もり積もりて老(おい)の鶴の、ねぐらに残る有明の、春の霜夜の起居(おきい)にも、松風をのみ聞き馴れて、心を友と管筵(すがむしろ)の、思いを述ぶるばかりなり。
シテ・ツレ〽(下歌)おとづれは、松に言問う浦風の、落葉衣の袖添えて、木蔭の塵(ちり)を掻(か)こうよ、木蔭の塵を掻こうよ。
シテ・ツレ〽(上歌)所は高砂の、所は高砂の、尾上の松も年ふりて、老の波も寄り来るや、木の下蔭(このしたかげ)の落葉かく、なるまで命ながらえて、なおいつまでか生きの松、それも久しき名所かな、それも久しき名所かな(ツレは常座で杉箒を後見に渡して角へ行く)。
ワキは脇座に立ち、シテ・ツレに問いかけて問答となる。掛合いの謡があって、地謡となると、ツレは地謡座前へ行き着座する。ワキも着座する。シテは地謡に合わせて舞台をまわる。
ワキ「里人を相待つところに、老人夫婦来たれり。(シテへ向き)いかにこれなる老人に尋ぬべき事の候。
シテ「こなたの事にて候うか、何事にて候うぞ。
ワキ「高砂の松とはいづれの木を申し候うぞ。
シテ「ただいま木蔭を清め候うこと高砂の松にて候え。
ワキ「高砂住の江(すみのえ)の松に相生(あいおい)の名あり。当所と住吉(すみよし)とは国を隔てたるに、何とて相生の松とは申し候うぞ。
シテ「仰せのごとく古今(こきん)の序に、高砂住の江の松も、相生のように覚えとありさりながら、この尉はあの津の国(つのくに)住吉の者、(ツレへ向き)これなる姥こそ当所の人なれ。知ることあらば申さ給え。
ワキ〽不思議や見れば老人の、夫婦一所にありながら、遠き住の江高砂の、浦山国を隔てて住むと、言うはいかなる事やらん。
ツレ〽うたての仰せ候うや、山川万里を隔つれども、互に通う心づかいの、妹背の道は遠からず。
シテ「まづ案じても御覧ぜよ。
シテ・ツレ〽(向かいあって)高砂住の江の、松は非情の物だにも、相生の名はあるぞかし、ましてや生ある人として、年久しくも住吉より、通い馴れたる尉と姥は、松もろともにこの年まで、相生の夫婦となるものを。
ワキ〽謂れを聞けば面白や、さてさて先に聞えつる、相生の松の物語を、所に言い置く謂れはなきか。
シテ「昔の人の申ししは、これはめでたき世の例(ためし)なり。
ツレ〽高砂というは上代の、万葉集のいにしえの義、
シテ「住吉と申すは、今この御代に住み給う延喜の御事(おんこと)、
ツレ〽松とは尽きぬ言の葉の、
シテ「栄えは古今相同じと、
シテ・ツレ〽御代を崇むるたとえなり。
ワキ〽よくよく聞けばありがたや、今こそ不審春の日の、
シテ〽光和(やわ)らぐ西の海の、
ワキ〽かしこは住の江、
シテ〽ここは高砂、
ワキ〽松も色添い、
シテ〽春も、
ワキ〽のどかに、
地謡〽<上歌>四海波静かにて、国も治まる時つ風、枝を鳴らさぬ御代なれや、逢いに相生の、松こそめでたかりけれ。げにや仰ぎても、ことも愚かやかかる世に、住める民とて豊かなる、君の恵みぞありがたき、君の恵みぞありがたき。
ワキのせりふを受けて、シテは中央へ行き着座する。<クリ><サシ><クセ>とあって、<クセ>の後半でシテは竹杷を持って立ち、落葉を掻き寄せる型などあって、中央でワキへ向いて着座して留める。
ワキ「なおなお高砂の松の謂れ詳しく物語り候え。
地謡〽<クリ>それ草木心なしとは申せども花実の時を違えず、陽春の徳を備えて南枝花(はな)始めて開く。
シテ〽<サシ>しかれどもこの松は、その気色とこしなえにして、花葉時を分(わ)かず、
地謡〽四つの時至りても、一千年の色雪のうちに深く、または松花の色十廻(とかえ)りとも言えり。
シテ〽かかるたよりを松が枝の、
地謡〽言の葉草(ことのはぐさ)の露の玉、心をみがく種となりて、
シテ〽生きとし生けるものごとに、
地謡〽敷島の蔭に寄るとかや。
地謡〽<クセ>しかるに長能が言葉にも、有情非情のその声、皆歌に漏るる事なし。草木土沙、風声水音まで、万物のこもる心あり。春の林の、東風に動き、秋の虫の、北露に鳴くも、皆和歌の姿ならずや。なかにもこの松は、万木にすぐれて、十八公のよそおい、千秋の緑をなして、古今の色を見ず、始皇の御爵に、あづかるほどの木なりとて、異国にも、本朝にも、万民これを賞玩す。
シテ〽高砂の、尾上の鐘の音すなり、
地謡〽暁(あかつき)かけて(立つ)、霜は置けども松が枝の、葉色は同じ深緑(正面へ出る)、立ち寄る蔭の朝夕に、掻けども落葉の尽きせぬは(落葉を掻き寄せて見入る)、まことなり松の葉の、散り失せずして色はなお、まさきの葛(かづら)永き世の、たとえなりける常磐木(ときわぎ)の、なかにも名は高砂の、末代の例にも、相生の松ぞめでたき(中央でワキへ向いて着座する)。
後見が出て、シテの水衣の肩を下ろし、竹杷をかたづける。シテは扇を持つ。<ロンギ>となり、やがてシテは立ち、舟に乗って住吉へ行く態で常座へ行き、中入りする。続いてツレも入る。
地謡〽<ロンギ>げに名を得たる松が枝の、げに名を得たる松が枝の、老木(おいき)の昔あらわして、その名を名のり給えや。
シテ・ツレ〽今は何をかつつむべき。これは高砂住の江の、相生の松の精、夫婦と現じ来たりたり。
地謡〽ふしぎやさては名所の、松の奇特をあらわして、
シテ・ツレ〽草木心なけれども、
地謡〽かしこき代とて、
シテ・ツレ〽土も木も、
地謡〽わが大君の国なれば、いつまでも君が代に、住吉にまづ行きて(居立つ)、あれにて待ち申さんと(扇で住吉のほうをさし示す)、夕波の汀(みぎわ)なる(立つ)、あまの小舟にうち乗りて(足拍子を踏む)、追風にまかせつつ(両袖を広げ帆をはる型をして、足早に常座へ行く)、沖の方に出でにけりや、沖の方に出でにけり。(中入りする。続いてツレも入る)
ワキはワキツレにアイの所の者を呼ぶようにいいつける。ワキツレは常座へ行きアイを呼び出す。アイは中央に着座して、ワキの尋ねに応じ、高砂住吉の松のいわれ、高砂の明神と住吉の明神とが一体分身であることを語り、住吉参詣を勧め、新造の舟の乗り初めを頼んで狂言座に退く。
ワキ「いかに誰かある。
ワキツレ「(ワキに向かい)御前(おんまえ)に候。
ワキ「当浦の者を呼びて来たり候え。
ワキツレ「畏(かしこ)まって候。(立って常座のあたりへ行き)当浦の人のわたり候うか。
アイ「(狂言座で立ち、一の松で)当浦の者とお尋ねある。まかり出で御用を承(うけたまわ)らばやと存ずる。(ワキツレに向かって)当浦の者とお尋ねは、いかようなる御用にて候うぞ。
ワキツレ「ちと物を尋ねたきよし仰せ候。近う来たって賜わり候え。
アイ「畏まって候(アイはワキツレに従って舞台に入る)。
ワキツレ「(ワキの前で)当浦の者を召して参りて候。
アイ「(中央で座し、ワキに向かって)当浦の者御前に候。
ワキ「これは九州肥後の国阿蘇の宮の神主友成にて候。当浦初めて一見の事にて候。この所において高砂の松の謂れ、語って聞かされ候え。
アイ「これは思いも寄らぬ事を御諚(ごじょう)候うものかな。われらも当浦に住まい仕り候えども、さようの事は上つ方に御沙汰ある御事(おんこと)なれば詳しくは存ぜず候さりながら、当浦の者と召し出され、存ぜぬと申すもいかがに候えば、およそ承わり及びたる通り、物語り申上げうずるにて候。
ワキ「やがて語られ候え。
アイ「(正面を向く)<語り>まづ当浦において高砂の松と申すは、とりわけこれなる松を申しならわし候。また相生と申す子細は、古今集の序に、高砂住の江の松も、相生のようにおぼえと記し置かれたると申す。諸木多き中に、松は常磐木にて、栄え久しきものなれば、和歌の道栄ゆる事も、この高砂住の江の、松の葉のごとくなるべき事を、たとえ置かれたると申す。また一説には、当社と住吉の明神とは、夫婦の御神(おんかみ)にてござあると申す。さあるによって当社明神、住吉へ御影向(ごようごう)の御時は、これなる松にて神がたらいをなさるると申す。また住吉の明神、当社へ御影向の御時も、これなる松にて神がたらいをなされ、昔より今にいたるまで、幾久しく逢い来たり給うにより、相生の松と、これはこの所において、われらごときの者の申しならわしたる事にてござありげに候。総じて当社と住吉とは、一体分身の御神にて、和歌の道栄ゆく事も、また男女夫婦の末栄えめでたき事も、ひとへに両社の御神徳なると申す。和歌の言葉にも、砂(いさご)長じて巌(いわお)となり、塵積もりて山となる、浜の真砂は尽くるとも、詠む言の葉は尽きまじいなどと、このごとく承わりては候えども、真実の相生と申す事は存ぜず候。松のめでたきと申す子細は、一寸延ぶれば色とこしなえにして、定(じょう)千年万年の齢(よわい)を保ち、松に上こしめでたきものはあるまじいとて、両神もろとも植え給うにより、相植えの松とも申し候。わがこの所をば五十六億、七千万歳までも、守り給わうずるとの御事と、承わり及びて候。
アイ「(ワキに向かう)まづわれらの承わりたるはかくのごとくにて候うが、ただいまのお尋ね不審に存じ候。
ワキ「ねんごろに語られ候うものかな。方々以前に老人夫婦来たられ候うほどに、高砂の松の子細尋ねて候えば、ただいまのごとくねんごろに語り、住吉にて待たうずるよし申され、汀なる小船(しょうせん)にとり乗り、沖をさして出で給うと見て姿を見失うて候うよ。
アイ「これは言語道断奇特なる事を御諚候うものかな。さては某(それがし)ただいま物語り申したるごとく、住吉の明神当社へ御影向あって、当社ともろとも松の木蔭を清め給う折節(おりふし)、御言葉をかわされたると推量仕りて候。ことに住吉にて待たうずると仰せられ、汀なる小船に召され、沖の方へ御出でと承わり候えば、片時(へんじ)も疾く住吉へ御参詣あって然るべう候。某このほど小船一艘作り持ちて候うが、未だ乗り初め仕らず候。いかようなる御方にてもあれ、めでたき御方を乗せ始め申そうずると存ずるところに、阿蘇の宮の御神職と申し、ことに当社と住吉の明神に御言葉をかわされたるほどの、神慮めでたき御方を乗せ始め申すならば、船路(ふなじ)の行末までも千秋万歳めでたかろうずる間、われらが新艘(しんそう)に召され候え。某楫取り仕り、住吉へ御供申そうずるにて候。
ワキ「さあらば方々の船に乗り、住吉へ参ろうずるにて候。
アイ「いや御覧候え、神慮の奇特に一段の追風(おいて)が吹き来たりて候。急ぎお船に召され候え。
ワキ「心得て候。(アイは立ち、狂言座にもどって座し、やがて切戸口より退場)
ワキ・ワキツレは正面先に向かいあって<上歌>を謡う。終って脇座にもどり着座する。
ワキ・ワキツレ〽<上歌>高砂や、この浦舟に帆をあげて、この浦舟に帆をあげて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江に着きにけり。
[出端(では)]の囃子で若い神の姿の後シテが登場して、一の松に立って謡い出す。地謡となって舞台に入り、掛合いの謡に合わせて舞う。続いて、[神舞]を舞い、常座で留める。
[出端]
シテ〽われ見ても久しくなりぬ住吉の、岸の姫松幾代経ぬらん。睦ましと君は知らずや瑞垣(みずがき)の、久しき代々の神かぐら(両手を広げる)、夜の鼓の拍子を揃えて(足拍子を踏む)、すずしめ給え、宮つこたち(囃子方を見わたす)。
地謡〽西の海、あおきが原の(舞台へ入る)、波間より、
シテ〽あらわれ出でし、神松(かみまつ)の(足拍子を踏む)、春なれや、殘んの雪の浅香潟(あさかがた)(景色を眺める)。
地謡〽玉藻刈るなる岸陰(きしかげ)の、
シテ〽松根(しょうこん)に倚って腰を摩(す)れば、
地謡〽千年の翠(みどり)、手に満てり。
シテ〽梅花(ばいか)を折って頭(こうべ)に挿せば(扇で頭をさす)、
地謡〽二月の雪、衣に落つ(狩衣の左袖を広げて花を受ける)。
[神舞]
<ロンギ>となり、地謡と掛合いつつ舞い、常座で留める。
地謡〽<ロンギ>ありがたの影向や、ありがたの影向や、月住吉の神遊び、御影(みかげ)を拝むあらたさよ。
シテ〽げにさまざまの舞姫の、声も澄むなり住の江の、松影(まつかげ)も映るなる(橋がかりの松を見る)、青海波とはこれやらん。
地謡〽神と君との道直ぐに、都の春に行くべくは、
シテ〽それぞ還城楽(げんじょうらく)の舞。
地謡〽さて万歳の、
シテ〽小忌衣(おみごろも)、
地謡〽さす腕(かいな)には、悪魔を払い(ユウケン扇をする)、納むる手には、寿福を抱き、千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ(正面先へ出て両袖を巻きあげる)。相生の松風、颯々(さつさつ)の声ぞ楽しむ、颯々の声ぞ楽しむ(常座へまわり、左袖を返して留拍子を踏む)。
(日本古典文学全集33謡曲集一 小学館)
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