谷汲山華厳寺


西国三十三観音の第三十三番、結願の寺である谷汲山華厳寺への参拝は、このような総門から始まりますが、この場に立ち竦む老人には、隔世の感を覚えざるをえないのでございます。

以前来た時から、すでに4、50年ほども、年月が経過したのではないかと思っておりますが、昔は、九丁五分の参道を車道歩道の区別なく参詣の善男善女が、老若男女をごった返しにしながら、いよいよ最後のお札を納めようと勇み立ち、ぞろぞろと列を連ねておりましたし、それをまた目当ての店屋が、何十件となく軒を接して、思い思いの趣向をもって客を呼び込まんが為に、店先を賑やかに飾り立てていて、まことに殷賑を極めていたものでございますが、時代の変化の激しさは、いづこも同じということなのでしょうか、大勢の信男信女の姿が消えると同時に、華やかな店舗も、そのほとんどが仕舞た屋と化し、果ては、その中の相当数が無人の空き店にまで落ちぶれてしまっているように見受けられるのでございます。



寂れてた参道をたどって行きますと、やがて山門に近づくにつれ、ちらほら開いている店があらわれて来ましたので、空腹の老人もやっと一安心というところでございますが、何しろ昔のように料亭、料理屋、小料理屋が店を連ねているものとばかり思っておりましたものですから、途中で腹ごしらえをするというような事は、つゆほども思い浮べることができず、ひたすら車を飛ばして来たものですから、まことに致し方のないことでございます。



やがて、ひときわ賑やかな装いに引かれて、老人はとある小料理屋に入ることに致しました。
できますものは、田楽定食、焼鮎定食、焼き椎茸御膳、天ぷらうどん、山菜そばといったところでしょうか、老人は焼鮎定食に空腹を満たし、空きっ腹にまずい物なしで、立派な養殖鮎に舌鼓を打ったような次第で、誠にお恥ずかしいことでございますが、そういえば、以前来た時にも、この店に入ったような気がして来ましたな、‥‥三つ子の魂百まででございますかな、老人の辞書には、どうやら進歩という言葉がございませんようで、‥‥。



やがて立派な山門が見えて来ました。運慶の流れを引く一派の手になるものと思いますが、かなり出来の良い仁王像がございますので、皆様の御覧に入れることにいたしましょう。

狭い格子の中に、レンズを差し入れて撮ったのですが、レンズの角度が足りず、全身を入れるには、カメラを上に向けて撮らなくてはなりませんので、右足が不自然に大きくなってしまいました。





山門を入ると直ぐに三十三度石というのが立っております。他の寺院では百度石と言うておりますが、距離を合せたものか、ただ三十三観音に因んだものか、一瞬、疑問の心がわき起こりそうになりましたが、考えて見れば老人にとってはどちらでも良いことでございましたな、‥‥疑問は疑問のままにしておきましょう。



参道の両側に、以前はもっと多くの山内寺院が建っていたように思いますが、今では、その跡らしき空き地が処処に見受けられるのも、隔世の感を覚える所以でしょう。両側の杉並木は未だ健在であり、善男善女に涼しい木陰を提供しています。



やがて”荼吉尼天真天”の旗を立てた小院が現れますが、看板によれば豊川稲荷より勧請したということですな、‥‥谷汲山は天台宗ですが、敢て勧請されましたのは、豊川稲荷の属する曹洞宗が天台宗より派生したからでしょうか、随分と大らかなことではございますな、‥‥



中を覗いて見ますと、宮殿は神式、大前机と祈祷檀、鳴り物は仏式ということで、両様が仲好く折衷しており、平和の象徴のような光景でございますが、その他の宗教界にも、是非見習って貰いたいものでございます、‥‥。

宗教というものは、その性格上、皆、「我が宗を以って貴しと為す」、ということに尽きる訳でして、漢字の「宗」という字には、その事がよく顕れていますな、‥‥辞書を調べて見ましょうか、‥‥
  宗(しゅう):[本義]祖廟( ancestral temple )。祖先( ancestor )、種族/血統/家系( strain )、主旨( purport )、[仏教の]宗門/宗派、[生物の]種( race )、尊敬する神( honoured gods )、帝王の諡号( title conferred on an emperor after his death )、尊崇する( honour )、帰向する( yield to )。
日本のことわざにも、「吾が仏尊し」、というようなことを申しますが、宗教というようなものは、その精神が凝り固まったようなものというのが、その本性でございますので、真面目になれば真面目になるほど不寛容にならざるを得ないのでありますな、‥‥宗教だろうと、非宗教だろうと、主義主張を旗印に、絶対の真理というような架空のものを追い求めたりしておりますと、どんどん人間が不寛容になって、やがてドグマティズム( dogmatism )に落ち入りますので、宗教は、それ自体がはなはだ危険なものなのですが、また宗教を否定するというようなことも、また同じように危険なのであり、また人間誰しも信ずる所が皆無では、心が落着きませんので、これもまた危険だということで、湾岸戦争でこそ味噌を付けましたが、戦後七十有余年、戦を知らずに来たということの有り難みをつくづくと感ぜずにはいられないのでございます。

はたして、来世にはどうなることやら、‥‥

その他にも、山内寺院が二三ございますが、皆割愛してひたすら先を急ぎますと、やがて経蔵が道の左側に見えてまいりましたので、どんなものかと近づいて見ましたが、新しい建物のようで、別に特筆すべきところも見当たりません、‥‥まあ、写真だけでも御覧いただきましょう、‥‥。



「名は体を表す」ということわざは、常々、経典に言う、「名詮自性( Name explains its own nature )」と同じ意味だと思っているのですが、問題は彼の「自衛隊」という名なのでございます、‥‥

「衛」は英語に defend, quard, protect と訳されますので、日本語に訳せば、守護/護衛/保護となり、「隊」は英語には line とか、team, band, contingert, group と訳されますので、隊列とか、或は軍隊のような、ある種の集団の編成単位を示すことばで、両方とも、われわれが知っているのと大差ございませんが、「軍」は英語には encircle と訳して、取囲むことが本義であり、また attack and kill 攻撃して殺戮すること、 armed forces, army, troops 武装せる部隊/三軍、軍隊、部隊等の意味を有する語でありますので、「軍」を避けて、「隊」を取ったところに、その気持は分らぬではないまでも、自国の民を誑く意図が有ったと言わざるを得ません。何故ならば、その同じ「自衛隊」をば、堂々と The Self-Defence Forces と英訳して憚らないからであります。

要するに、「名は体を表す」は誤謬であり、正しくは、「名はその用うる者の体を表す Name explains its User's nature 」、としなければならない、‥‥

そういえば、「自衛」って言うのも何だな、‥‥本来の主旨から言えば、「国土防衛軍」って言うべきじゃなかろうか?‥‥「自衛」っていうのは、「自ら国体を守る」のか、「自ら国民を守る」のか、「自ら国家の財産を守る」のか、「自ら国民の財産を守る」のか、「国体を守る」と言えば、「国体」の意味は、辞書に依れば、君主を輔佐する大臣( minister )を一個の人体に像って、そう呼んでいたとあるが、それ以外は、政府の形態( form of the government )を挙げて示すに過ぎず、ほぼ実体の無いことばだと言っても良いだろう。では「自らの国民を守る」というのは、誰を守るのか?戦前のように、「自らの国民を守る」為に、戦艦に揚子江を遡らせ、重慶にまで至らせるのか?「自らの国民/国家の財産」も同じことである、‥‥何故「国土防衛軍」と言えないのか?これだって随分危ういものであるが、主たる目的が、はっきりしているだけ増しである、‥‥老人の鬱々として楽しまざること、沼に沈みたるが如く、またしても我が国民性の卑怯卑屈に直面して愕然とするのでありました。



参詣道を挟んで経蔵の反対側には、「南無十一面観世音菩薩」の旗が立っていますので、恐らく観音堂だろうと思っていたのですが、後から考えてみれば、この寺自体が十一面観音を御本尊としておりますので、どうやら、その判断には誤解があったようですな、‥‥なにしろ石段を登ったり降りたりがめんどくさいので、左右に林立する建物は、皆道の上から眺めただけでございますからな、‥‥老人は、報告者としても、もはや失格のようで、‥‥。

後を振返りますと、短い石段をなんども登って、少しばかり高みにいるのが分ります。






前方を見てみますと、やはり短い階段を二つ三つ登って、やがて本堂の前に出ることになりそうです、‥‥。それにしても階段というのはしんどいものですな、‥‥極楽は鏡のように真っ平らだそうですが、当然そうあるべきでしょう。



本堂まで、後一つ階段を登るだけの所で、方三間の木組みの美しい小堂がありますが、例によって何というお堂なのかは、皆目分っておりません、‥‥善く言えば、或は老人も、この頃は、少しだけ世の中の事が分ってまいりましたのでね、名前なぞにはなかなかどうして、とても興趣( interest )を感ずるには至らないということなのでしょうか、‥‥。まあ興味を起すだけの気力が枯渇したというぐらいが相当でしょうな、‥‥。



小堂の向いには、観音、勢至の両菩薩像が手を合せていられますが、最近の流行ですかな、何処へ行っても青銅の巨像を目にするような気がしますが、‥‥
 




本堂の中は、お定まりの大提灯に御影石の香炉、本尊の十一面は絶対秘仏で、厨子は閉め切ったままです。しかし困ったことですな、‥‥お顔も拝めないんじゃ、縁を結ぼうにも結ぶ先がございません、‥‥これじゃまるで無縁仏じゃあございませんか、‥‥勿論冗談ですよ。



南面せる本堂の中に立てば、東側には鐘楼の一部が見え、賓頭廬尊者の像を囲むように、参詣者の方々が、腰を掛けて疲れた足腰を休めていらっしゃいます、‥‥欄干にしつらえた腰掛、好いものですな、‥‥我が家にも欲しい所ではございますが、何しろ欄干がございませんのでね、‥‥諦めますかな、‥‥。



西の方を眺むれば、渡り廊下と本坊に属する屋宇の屋根が見えますが、腰掛にあぶれた子供たちが数人、何にもたれているのでしょうかな、‥‥いや、皆裸足ですな、‥‥赤い服の子供は、戒壇迴りを済ませて来たようにも見えますが、‥‥



本堂を、右回りに一巡しようと西側の回廊に出ますと、北西の角に小さな祠があります。最近は秘仏だの、撮影禁止だのと、仏教らしからぬけちくさい魂胆で、なかなか仏像の写真を撮るのにも一苦労がつきものでございますので、面倒になってあまり撮っておりませんが、この際ですから、贅沢は言っていられません、何でも良いから撮影だけでもしてみましょう、‥‥。



何しろ薄暗い所に祀られていますので、肉眼では余りよく見えなかったのですが、後に写真を見てみますと、故意にか偶然か、お顔が彫られていないように見受けられますな、それから衣には金泥で経文が書かれていますが、写真を撮っている時には、少しも気がつきませんでした、‥‥知っていれば、もう少し手ぶれなどに気を付けたのですがね、‥‥何経の何という文句が書かれているものか、今頃無性に知りたくなって来ましたが、‥‥また行ってきたものでしょうかな、‥‥。



裏の回廊際に並んだいくつかの小祠に参拝しながら、東の回廊を鐘楼前に降り立ちますと、更に北に向って上に登る階段があり、奥の院へと誘います。


階段を登り切ると小堂がありますが、ここからは本堂の屋根を眺めることになります。急な階段を息を切らせながら登り、いつの間にか堂前に出ていたという訳で、すでに正面の写真を撮るには遅すぎました。



小堂の裏を廻った直ぐの所に、古い祠がありますが、額の類が何もないので、何が祀られているのか?どなたの廟なのか?さっぱり分りません。

奥に見える小堂が奥の院かと思ったのですが、他の方のブログなどを見てみますと、それがどうも違っていたようですな、‥‥。



本堂の屋根です。逆撞木造りとでも呼ぶのでしょうか、内陣が外陣に撞木の柄様に継ぎ足されていますが、他では見たことがあるのか、ないのか、少し珍しいように見受けられました。



「満願堂」と呼ばれているそうですが、三十三所に願掛けを満たした者が、満願の結縁を慶んで、お礼を申す処だと思いますが、いったい何故、狸の石像が沢山奉納されているのかは、さっぱり見当がつきません。

しかしながら、余程腕の立つ石屋だと見えて、狸の表情が夫々に面白く、写真を撮っていても、厭きるということがございません、‥‥



これなどは、さしづめ高僧狸と小僧狸でしょうか、大きな方の狸の不敵な顔つきには、紛れもない高僧の雰囲気が漂っており、思わず手を合せたくなる程リアルな表情ですな、‥‥アリガタヤ、アリガタヤ、‥‥



向拝の柱の陰には、狸にまじって布袋和尚と思しき姿が肘を枕に寝転んでいられますな、‥‥あいにく他事にでも気を取られていたのでしょうか、‥‥撮った写真が、これ一枚だけとは、‥‥



狸の群像でございますな、‥‥まあ、じっくりと御覧になって下さいまし、‥‥どなたか馴染みの顔に、似ていらっしゃるというようなことはございませんか、‥‥




蹲踞狸ですかな?‥‥知り合いの中に、これとそっくりの者がおりますが、はたして自分で見分けがつくかどうか、知ってみたいものですな、‥‥



谷汲山華厳寺は、以上で終りです。後はゆっくりと階段を降りながら、駐車場まで歩き、途中買物などしながら、帰ることにいたしましょう。

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≪大垣名物の柿羊羹≫
  この地方では有名な御菓子ですが、柿の甘みが上等で、美味しいものです。
(大垣:御菓子 つちや)
では、今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう
  (谷汲山華厳寺  おわり)

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