a self-portrait
白木蓮の花とともに、わが家にも春がやってまいりまして、体調も結構よろしいようですので、そろそろどこか適当なところへ、お寺参りにでも行きたいところですが、このところ老人は、ヤフオクに入れあげておりまして、好い抹茶茶碗がなかなか手に入らないことに腐心するばかりでなく、最近では煎茶道具にまで手を広げているのでございますから、それ等の事に心を奪われて、ほとんど何にも手がつかない状態なのでございます、‥‥

要するに、嚢中カラッポであるにもかかわらず、何も仕入れて来なかったことへの言訳でございますな、‥‥そこで、題材が何一つないわけですからやむを得ません、絵描きさんなんかでも、何を描けばよいのか分らないときなどには、自画像を描いていると自己の深層意識が開発されて、次第になにをすればよいかが浮んでくるとか言われているようですが、写真家ならさしづめ self-portrait でしょうな、老人も絵描きさんや、写真家の真似をして、自画像を撮ってみることに致しました。‥‥出たがりですかな、‥‥。
そこで、やって参りましたのが「岐阜県立美術館」でございます。 駐車場から美術館の入口まで行く間に、かっこうの撮影場所があることを憶えておりましたので、さっそくサキソフォーン吹きと猫との間に納まりまして、まあこのような結果を得たのでございますが、このように縮小してしまいますと、顔の表情などが、今ひとつよく分りませんので、何ですが、原画によりますと、オークションでうまく競り落としたまではよいが、その是非が気がかりで、その他には何も考えられないというようなことが、その虚な目つきに表れておりますな、‥‥もしそれが、お気に召せば、額に入れて廊下になと、リビングの壁になと、何処にでも掛けて飾っていただけるよう、特別に壁紙サイズを圧縮して御覧に供しておりますので、何卒どうぞよろしくお願い申上げます。

さて、自画像を撮り終えてしまいますと、後は何もすることがございません。折角だからということで、美術館に入って見ましたが、どうもいつもとは変わっております。 なんでも全館上げて、ある企画展の準備だそうで、館内がごった返していて、少しも落ちついて鑑賞するような雰囲気ではありません。間の悪い時に来てしまったということですが、ロビーに展示してあるのか、放り出してあるのか判然としない中から、数点のスタチューを写真に撮ってまいりましたので、御覧ください。

ミミズクの頭と翼、人間の足が四本、金属製の衣服を着け、胸の丸窓からは、人の顔が覗いています。美術には門外漢の老人にも、心引かれるものが何か知らございましたのですが、これは何かを象徴しているのでしょうかねえ、‥‥フクロウは知恵の象徴だそうですが、ミミズクもやはり同じですか?

足が四本では、立って歩くのは難しくないですかな?‥‥足が搦まったり、躓いたりしないものなんでしょうかねえ、‥‥しかし、これはなかなかの傑作ですな、‥‥恐らくこの美術館中の白眉とも言うべきものなのでしょう。

その次がいけません、‥‥
カトリックの総本山ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に安置されているミケランジェロのピエタ( Pieta )の精巧なレプリカですな、‥‥。 聖母マリアが十字架から下ろされたイエスを膝にのせて、悲しみをぐっと堪えている彫像ですが、‥‥しかしどうもいけませんな、‥‥光線が上から差していますので、その表情が判然としないところは致し方ないとしても、聖母の表情に性格が表れていません、‥‥参考の為に WikiPedia に依って、原形の画像と見比べてみましょう。 本物の方は未熟さの残る顔と、細く尖った低めの鼻や、目の辺りの落ちくぼんでいること、少し突き出た脣、弱々しい頷などから、どうしても貧相な感じを受けざるを得ませんが、しかし、それ故にこそ堪えている苦悩の深さが現れているようにも思われます。 ミケランジェロは、ふっくらした福相を以ってしては、この苦悩を表現できないとして、ここに一つの選択を為したものと思わなくてはなりません。

一方のレプリカの方はどうでしょうか、恐らく今言った個性を欠点としてしか捉えなかった為だと思いますが、聖母の低い鼻を高くし、目の辺りの落ち窪みを修正してあるように見えます。 しかしこれでは、ミケランジェロの線を弱めてしまったとしか思えません、‥‥折角苦心したところの、あの個性が死んでいます、‥‥ただ無表情にキリストの遺骸を眺めているようにしか見えません。 一般人の私室に飾るのであれば、無論問題ありませんが、美術館としてはどうなのでしょう、‥‥。

ゲーテは、こう言い残しています、「ある種の欠点は、個性の存在にとって必須である( Certain defects are necessary for the existence of individuality. )」と。 レプリカの製作者が、この言葉を知らないのは、寧ろ当然の事だと思いますし、自己の美意識が意識せずして、外に表出して、聖母に相応しい相に改変したとしても、或は無理ではありません。 問題はこれを購入した美術館の側にあります。 何故ならば本質的に批評家であるべき美術館のキュレーターが、この有名な格言を知らずに、本質を欠いているにもかかわらず、本物にそっくりだと思って購入に踏み切ったとすれば、非常に困ったことだと言わねばならないからです。 此の国には美術教育が存在しないのではないかと、疑わざるを得ませんな、‥‥。

そもそも、美術館がレプリカを購入する、その動機が知れません。運送・設置の費用を含めて、恐らくは、そう安価ではないはずですし、この美術館ではルドン( Odilon Redon )を何点か収集していて、その先生のルオー( Georges Rouault )も数点有るはずなので、当然、そちらを充実させる方が、筋の良い買物として称讃されるはずです。

有限のお金をいかに効率よく使うか、残念ながら、この国の美術館はおしなべて、この点を欠いているように見受けられます。恐らく天下りかなんかで、余り見識の無い人が、上に立っている所為ではないでしょうか?そのような事に目を瞑っている国民の方もどうかと思うのですがね、‥‥。

もし使用されているブラウザーが Chrome ならば、右クリックして”新しいタブで画像を開き”、聖母の顔の辺りを拡大して見てください。 ミケランジェロの意図はたちどころに明らかになりましょう。

もし Internet Explorer ならば、右クリックして”コピー”したならば、新しいタブを開き、右クリックで”コピーしたアドレスに移動”して貼り付けてください。聖母マリアの表情に満ち溢れる個性に、恐らくは心を奪われることでしょう。

レプリカが屑だとまでは申しませんが、本物の代替物とすることの非理は、実物を見るまでもなく、写真を見るだけで明白です。

まあ、要するにこれが我が国の学問のレベルであるということですか、‥‥嗚呼、已んぬる哉。

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≪リンゴ・ケーキの作り方≫
≪材料:直径18cmのもの1個≫
  1. リンゴ:中ぐらい1個
  2. 薄力粉:150g
  3. ベーキング・パウダー:小さじ1杯
  4. 卵:1個
  5. グラニュー糖:80g
  6. 無塩バター:60g
  7. 牛乳:45cc
  8. レモン:1/2個
  9. 紛糖:小さじ1杯

≪作り方≫
  1. オーブンを200℃で余熱する
  2. 18cmの型にバターを塗り、小麦粉少々を振りかける
  3. リンゴを8等分して皮を剥き、各2本の切れ目を入れ、レモン汁をふりかける
  4. 冷蔵庫から出したバターを湯煎して、マヨネーズぐらいの軟らかさにし、砂糖と練り合わせ、空気を含んで白色を呈しはじめた時、溶き卵を少しづつ加えながら、更に錬って全体を均質にする
  5. 粉とベーキング・パウダーとを粉ふるいを用いて混ぜ合せ、牛乳といっしょに、砂糖/バターの混合物に加え、ネバリが出ないように、さっくりと混ぜ合せて、生地とする
  6. 型に生地を流し込み、表面を平にして8等分したリンゴを写真のように並べる
  7. オーブンに入れ、180℃で50分焼く。
  8. オーブンから取り出して型をはずし、クーラーに載せて粗熱を取る
  9. 紛糖を茶漉しで振るい掛ける
では、今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう
  ( a self-portrait  おわり)

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