世間では、寒さも幾分和らいで来たかにも見えますが、老人には、いまだ厳しく、とても外で遊ぼうという気にはなりません。行きがかり上、どうしても家の中ばかりで過すということになるのですが、家の中におれば、勉強がそれだけ進むかと思えば、全然そういうこともなく、アマゾンだとか、ヤフオクだとか、種種の便利な仕掛けが、しきりに老人を誘惑します。そんな訳で、何の宛もなくヤフオクを物色しておりますと、一つの茶箱が、しきりに老人を手招きしているではございませんか。
茶箱とは薄茶を立てるに必要な道具を、一纏めに格納しておく箱のことですが、これにも種々ありまして、小さなものから言えば、小型の茶碗、棗(なつめ:茶の容器)、茶杓、茶筅、帛紗(ふくさ)、布巾、各一を場所を定めずにごっちゃに入れる野立(のだて)箱、中型の茶碗、小型の建水(けんすい:茶碗を澡いだ汚水を溜める器)、棗、茶筅、茶杓、帛紗、布巾、各一を場所を定めて入れる色紙(しきし)箱、大型の茶碗、小型の建水、小型の水差(みずさし:釜の湯温を下げる為の水の容器)、柄杓(水差の水を掬(く)む為の柄杓)、棗、茶筅、茶杓、帛紗、布巾を入れる縦長の短冊箱等以外にも、旅箪笥等の大型の物までありますが、今回、老人の目を引いたのは、書斎で茶を立てて飲むに適した色紙箱、これがしきりと買え買えと促がしていたのでございますな、‥‥
ところで、茶を立てて飲むといえば、極めて厳格な流儀を打ち立てて、表千家、裏千家、武者小路千家の謂わゆる三千家を始めとして、無数の諸流が犇めき、皆数寄と流麗とに於いて覇権を争っておりますので、既に我が所属と為りし弟子は、之を他に取られまいと努力し、未だ所属せざる弟子は、如何にして我が社中に取り込むかを腐心しているのでございますが、何しろ、その活動の中心を担うのはやはり女性でございますのでね、‥‥押えられぬ身内意識と旺盛な競争心とを以って、自然悪口合戦にまで発展するのは、まことにやむを得ない仕儀と言わざるをえません、‥‥
当地方に於きましても、言わば全国区の裏千家と、当地財界に勢を張る松尾流というのが、互に鎬(しのぎ)を削っておりまして、一方が「田舎の流儀は鈍くさい」と片付ければ、一方は「ちゃらちゃらして底が浅い」と毒づくようなありさまで、皆様盛んに楽しんでおられますが、そのような毒舌合戦は、老人の最も好む所であり、かつ最も得意とする所でもありますので、是非お仲間に加えて戴きたいと、かねがね思っているのではございますが、‥‥つらつら考えてみますと、お稽古事というものは、総じて何事かを師匠に教えていただき、それを繰返し練習して、また師匠に見ていただいて、その批評を甘んじて受けるということの繰返しが何年も、いや何十年も続きますので、教えるよりは寧ろ教えられるということが、謂わばその本質でございますのでね、‥‥教えることなら大好きな老人も、教えられることの方は、至って苦手としておりますので、「あなた、もうお忘れになったの?」とか、「それでは手順が後先ですよ、そこのところは、もう一度、お家でお稽古なさって、また次に見せていただきましょうね。」とかには、とても堪えられそうにありません。老人が、数多のチャンスを見限り、そのようなものに近づかなかったのは、それも一つの理由だったように思っているのでございます、‥‥
さて、茶を立てるということ自体は、我流を専らにしております老人にとって、比較的気楽な気晴らしの類でございますので、なんの苦痛もございませんが、道具次第で、同じお茶が美味くもなり、不味くもなるというのも、又一方の変わらざる真実でございます。今日はどの茶碗にしようか、高麗左衛門にしようか、雪堂か、休和か、長左か、覚入か、赤絵の茶碗か、季節の茶碗か、山水か‥‥と、あれこれ迷いながら、その時の気分にぴったり合う茶碗で飲みますと、余り上等でないお茶も、こよなく美味に感じられるものですから、少なくとも茶碗だけは自ら増殖するも止む無しと覚悟しなくてはなりませんので、素人でも簡単に参加できるヤフオクは、貧乏な老人にとって、思わぬ嘉品を手に入れる絶好のチャンスが、始終転がっている訳で、まるで入れ食い自在の好漁場に網を投げるような強い味方なのでありまして、こればかりは、なかなか目を離すわけにはまいりません。
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