前の説明では、醍醐寺と修験道との関係に触れていませんので、少し説明を加えますと、平安初期のことでございますが、やがて真言宗小野流の祖、又当山修験宗の祖と称される聖宝(
832~ 909 )という僧が、山野を跋渉して得た力により、地主明神の霊示を承けて、この地を正法相応の地と定め、諸堂を建立して、それを醍醐寺と名づけたのが、この寺の濫觴だということでございます、‥‥
修験道というのは、山野を歩き回って、霊力を得ようというものですが、その時、悪獣、悪虫より身を守るために錫杖という大きな音を立てる杖を手にして、額のところには兜巾(トキン)と呼ぶ帽子と、身には鈴懸(スズカケ)と称する麻の衣、首には結袈裟(ユイゲサ)という装飾物の付いた輪袈裟を着け、要するに勧進帳の弁慶のような出立ちでもって嶮難の地を踏み歩くわけですな、後は望月仏教大辞典の方を見てください、‥‥
|