エドモン
一
其名をエドモンと呼ぶ。エドモンといえば多少フランス文学を覗いた事のある人は、ははァエドモン・ロスタンの事かなどと早合点するかも知れない。或はまたゴンクウル兄弟の一人を思い出して、印象派の小説家、浮世絵の紹介者などと勝手な想像をめぐらすかも知れない。が、茲に謂うエドモンはそんな輩ではない。彼は珈琲店の給仕である。巴里風に発音すればギャルソン・ド・キャッフェである。
セエヌ河で巴里を二分すると右岸の巴里と左岸の巴里に岐れる。右岸が派手な巴里なら左岸は地味な、野暮(やぼ)な巴里である。右岸にも左岸にも属せぬ河中の島をシテエという。シテエには感傷的な巴里の善男善女を寛大に取締る警視庁や裁判所、またそれらを引くるめて守護するノオトル・ダアムの寺院がどっしりと搆えて、其の黒ずんだゴチックの鐘楼から折々勤めの鐘の音を響かせて、両岸の街々に均しく加特力教(カトリックきょう)的気分を撒いている。
華美な右岸に自由な左岸、その何れにも巴里の特色はあるが、若し客を饗応するなら先づ右岸に導くがいい。グラン・ブルヴァアルの繁華やチュイルリイ公園、コンコルドの広場から凱旋門に到る壮麗なシャンゼリゼエの並木街やモンマルトルの夜の賑いが目に浮んで来る。然し、会心の友と沁々語り会うなら寧ろ左岸に帰るに如かずである。学生街やモンパルナッス街の自由な空気は見え張らぬ珈琲店の卓の周囲にも気持ちよく流れている。年々の流行は右岸から左岸に伝わって来るが、新知識、新思想は左岸から右岸に拡がって行く。一介の読書生である私は左岸のカルチェ・ラタンの安下宿に巣を造って、気が向けば橋を渡って右岸の夜の灯火を浴びるのが楽しみであった。
四月の末から五月の初めにかけて一時に並木の嫩葉(わかば)がもえ出して女の衣が軽ろく明るい色になると、爪先で小刻みに舗道を歩む靴の、高い踵(かかと)にも粋なパリ女の嬌めいた趣きが何となく目に立って来る。ノオトル・ダアムの怪石像の舌の尖から陽炎(かげろう)がたって、前の広場には燕が縦横に翅(と)び交(か)い、厳めしいシャルルマアニュ大帝の騎馬像も春風に嬲(なぶ)られる。
斯る日は読書に懶(ものう)い。下宿の一室に籠って、パリの春色に背(そむ)くのは愚である。即ちブラリと街に出る。何やら買物をして帰って来る下宿の下女に往来でばったり出会う。小脇に大きな包みを抱えて帽子も被らず、靴も踵なしの粗末な上靴を穿いている。学生町や裏通りでは屡々見かける町女房の風体である。
「意気な姿だな。」と揶揄(ひや)かすと、
「かまうもんですか(ジュマンフウ)。」と陽気に笑って、今夜はお旨(いし)いものを拵(こしら)えてあげるから、他で食べないようにと注意して呉れる。そして抱えた包みをぽんと叩いて、口の中で舌をクッと鳴らす。「旨いぞ」という表情である。
「しめた。白い肉の匂いがする。鶏かな。野菜が新しくてデセエルの乾酪(チーズ)がキャモンベエルだろう。」
「それは、後でわかります(サ・ヌウ・ヴェロン)。」と再び笑って、下女は宿の方に急いで行く。
モンジュ街の珈琲店ラビラントの角口には例のエドモンが白い前垂をかけて、ぼんやり往来を眺めている。
「大将、何を観ている。」と声をかけて見る。
「何んにも。」と嗄(しわが)れた声で答えて「春になったね。」と言う。五十を過ぎた口髯の長いエドモンのぢぢむさい顔はあまり春らしくもない。
「散歩?」と此度はエドモンが訊ねる。
「ああ、天気がいいからね。帰りに寄るぜ。アペリチフを飲みに。」
「宜しい(セ・サ)。愉快な散歩をなさい(ボンヌ・プロムナアド)。」
二
何処に往こう。近い植物園をぶらついて、楽天的な河馬の面でも眺めようか。それともパンテオンの前からリュクサンブウル公園に入って、ベンチに腰を卸(おろ)して煙草でも喫(の)もうか。否々公園にははいらずにオデオン座の外廊で新刊でも漁(あさ)ろうか。一層セエヌ河岸に出て河岸の古本屋を冷やかして見るか、などと考えながら己はいつの間にかサン・ミシェルの大通りを河の方に下って行く。
パレエ・ロワイヤル、パレエ・ロワイヤルと車掌の呼ぶ声に促がされて乗合(ビュス)を降りる。直ぐ横は仏国劇場である。
「木曜のマチネ一枚。」
「場所は?」
「オルケストルの椅子。同じく金曜の夜。日曜の昼一枚。」
「宜しい。大そう御熱心ですね。一、二、三枚。六十法(フラン)。有がとう(メルシイ)。」
価を払って、パレエ・ロワイヤルの広場と国立オペラを結び付けるオペラ街に出る。途途商店の美しい陳列窓を覗いて排列の巧妙なのに感心したり、往き来の女の風俗を眺めたりしているうちに、パリの銀座ともいうべきグラン・ブルヴァアルに出て了う。自動車や乗合や馬車が箴(はり)のように入乱れて人の浪が織るようである。体格の見事な交通巡査が短い棒を上下しながら絶えず呶鳴っている。
グラン・ブルヴァアルの人通りを漫然と眺めながら珈琲店の外店(テラス)で時を過すのも巴里らしい楽みの一ツである。斯うした大通りの店では、店の主人やガルソンや常連を相手にして無駄口をたたく落付いた愉楽は得られるかわりに、目の前を過ぎ行く巴里児を始め、世界の各地からこの都に集まって来る人間の顔や風俗の限りない種々相に眺め入って、歳歳の流行や世相の推移を知り得て深い興味が湧いて来る。
恐ろしく胴を狭めた背広で、胸のかくしに赤いはんけちを覗かせた洒落者が、杖を小脇に抱えて大跨(おおまた)に歩いて行く。厚化粧に目の縁(ふち)を青く塗った凄い女が赤い鍔広の帽子を目深(まぶか)にかぶって、店に憩う客の群をジロリと見ながら妙に腰を振って行く。亜刺比亜(アラビヤ)の行商は緑や赤の絨氈を背に懸けて売っている。会社員と見える男が四五人、近所の商店の売娘を取巻いて何やら笑い興じている。肥った老紳士が相手の若造(わかぞう)と夢中になって議論した挙句、膨(ふく)れ面(つら)をして左右に別れて行く。孫の手をひいた婆さんも通れば、子犬を自慢らしく抱いた黒っぽい女も通る。日本人らしい男が支那人らしい男とすれ違いに互に同国人ではないかと見返りながら遠ざかって行く。頭から脚の先迄白布の裡(うち)に埋まったようなアルジェリヤの大官が空色の服に赤い長靴を穿いたフランスの士官と仲よく語り合いながら乗合の来るのを待っている。向いの料理店の前には葡萄酒樽を山のように積んだ荷馬車が停って、脚の太い逞(たくま)しい馬が鼻を鳴らしている。暗緑色の服に同じ色の大黒帽は何処かのホテルの客引であろう。伊太利面、亜米利加面、土耳古(トルコ)人、黒ん坊、佝僂(せむし)、跛者(ちんば)、腕無し。全く応接に暇がない。
珈琲店をいい加減に切り上げて、オペラの広場に出ると、丁度勤め人の退ける潮時である。電車を待つもの、乗合を待つもの、タキシを招くもの、地下鉄道の穴に降りて行くもの、各階級の老若男女が芋を揉むように広場に押寄せて来る。下宿に帰る乗合は植物園行きのGである。
「終点(テルミニュス)、植物園。御降りを願います(トウ・ル・モンド・デッサン)。」と叫ぶ車掌の声でGの乗合は停まる。夕飯には未だ時間が稍(やや)夙(はや)い。直に下宿には帰らずに、行きつけの珈琲店ラビラントに一寸寄って見る。夕飯前のアペリチフを飲む近所の常連の顔も既に集まっている。鼻の赤い、呑んだくれの古道具屋のお爺。下宿で知り合った医学生。品のいい穏やかな近所の隠居。女の癖に強い酒ばかり飲む後家。斯ういう心やすい顔の並んでいる間を目で挨拶しながら通り抜ける。私は隅の卓に陣取ってから、大きな声でエドモンと呼んでみる。「唯今(ヴォアラ)」と奥で答えて愛す可きエドモンが軽く跛をひきながら現れる。
「ピコン・キュラソオ。」と私は二三日前に同宿の医学生から教えられたアペリチフを註文する。キュラソオに苦いピコンの少量を混ぜて、それに曹達水(ソーダすい)を注いでチビリチビリ傾けるのである。向いの卓で同じものを飲んでいる例の医学生が、私の顔を見て、腮(あご)で合図しながら、尖った鼻を上に向けて、「旨いか?」と訊く。
「苦いようで甘くて、甘いようで苦い。ミルボオの脚本の味だね。」
「サンヂカリストが資本家の娘と駆落したようだろう。アハハ。」と医学生は笑っている。
客足が漸く繁くなって来て、方々の卓からエドモン、エドモンと頻(しきり)に声がかかる。其度毎に忙しいエドモンは、「オッ」とか、「ヴォアラ」とか答えて、ベルモットやカシスや葡萄酒の壜を四五本抱えこんで客の間を注いで廻る。
一隅には毎日この店に来て骨牌(カルタ)に暇をつぶす一組がゲエムが一巡済んで、賑かに食前の一杯を呼び出す。
「エドモン。白葡萄酒(ヴァン・ブラン)。」
「俺はアン・ボックだ」と麦酒を呼ぶ者もある。この一組は半生をラビラントの店で暮したような老人連中で、エドモンとは友達附合である。「やいエドモン。ベルムウト・カシスを一杯だ。何をまごまごしてやがるんだ。急げ!」と呶鳴る。私はこんな騒ぎを面白く眺めつつアペリチフを乾してから、下宿に帰って行く。
そもそも珈琲店ラビラントがモンジュ街の一角に店を開いてから幾年を経たか、それは知らない。然しエドモンが此店に住み込んでから三十五年になるそうである。其間には店の持主は幾度か代った。然しエドモン丈(だけ)は卓や杯と共に残った。「鳥は去り、花は散り、主は替わる。然しエドモンは遺(のこ)る」というのが彼の得意の一句である。パトロン・シャンジュ・エドモン・レストというのである。彼は自ら形容して「給仕中の給仕(ル・ガルソン・デ・ガルソン)」とも「モンジュ街の大統領」とも言っている。店の常客の一人に七十になる老人が居る。白髪頭に古い山高帽を頂いてパイプを銜(く)わえた侭、好きな席に腰を据えるのが例である。彼は先づ麦酒の一杯を命じて置いて、衣嚢から「フィガロ」の文芸附録などを徐(おもむ)ろに取出して読み耽ける。店に備付の「笑い」という漫画雑誌や新聞を手にしている事もある。戦争で一人息子を亡くしてからこの老人には何の楽しみもない。珈琲店で茫然と暮すのが唯一の仕事らしい。「古いお客ですぜ。此処に通い出してからやがて三十年にもなりますか、」とエドモンが或る時教えて呉れた。
斯る常客は殆どエドモンの為に此店に通うのである。他に二三人の給仕も雇われて居るが常客は絶えずエドモンの受持を希望している。エドモンの休日は月曜であるが、其日は常客の顔が目に立って鮮(すくな)くなるのであった。
四
或る日、私は同宿の山田と此店でショコラを飲んでいた。親切なエドモンが向いの麵麭屋(パンや)からブリオシュという菓子を持って来て呉れた。山田と私は其れをショコラに漬(ひた)してはむしゃむしゃやりながらエドモンの話を聞いていた。先年物故した批評家エミル・ファゲエはエドモンとは甚だ別懇(べっこん)で、晩年には此店に、毎日やって来たそうである。ファゲエの病中にはエドモンの看護を受けた事もあったという。
「私は珈琲店(カッフェエ)のガルソンだ。先生はアカデミシャンだ。アカデミシャンてのは大したものだ。不朽の人物(インモルテル)だ。その大先生と私は『お前俺』で話してたんだからこのエドモンも大した人物でさァ。先生の奥さんとは今でも心やすくしていますよ。」
談たまたまファゲエの事に及ぶとエドモンの顔には得意の色があらわれる。一流の文学者を相棒扱いにしたのがひどく自慢である。然し私の不思議に思ったのはファゲエの奥さんという言葉であった。生涯娶(めと)らずにあれ丈の研究を為し得たという話も聞いた事があり、また何かの雑誌でルメエトルやブリュンチエルと並べてファゲエも独身生活を通した近代の三大批評家であると読んだ事も確に記憶していた。
「変だね、ファゲエに細君があったのかい。」と訊ねて見る気になった。するとエドモンは遽(にわか)に声を低くして、
「これは、極く内々ですがね。ファゲエ先生の家に――家はすぐ其処でしたが――女中が一人居たんです。それが先生の身のまわりの世話をしていたんです。ねえ了解(わか)ったでしょう。先生は死ぬ前に坊さんを枕元に招んで、その女を正妻にしてやったんです。そういうやり方を何といったけな。お宗旨の方の言葉です。何とか結婚‥‥そうそうマリヤアジュ・エストレミスというんだ。然うだ然うだ」とエドモンは独りで極めて了う。彼は臨終結婚(インエキストレミス)という字がわからぬので、エストレミス、エストレミスと繰返している。
「字は知らないが兎に角、死ぬ前にする結婚なんで。其字が知り度ければ‥‥」と口をもごもごさせていたが辞書という言葉がどうしても出て来ない。「うん、然うだ。其字は時間表(アンヂカトウル)に在る。」といって済ましている。エドモンは辞書と鉄道案内の時間表とを混同しているのである。黙々として話を聞いていた山田が、「辞書(ヂクショネエル)だろう」と注意すると、エドモンは始めて思い出して、「うん、其れ其れ、あなたは仲々学者だ」と山田は苦も無く学者にされて了う。
晴れた日の午後などに、私は時々この店の帳場に近い卓で病身らしい五十恰好の女を見かけた。常客の誰とも懇意に見えるが、その癖、誰と話しをするのも気が進まぬようである。顔色がひどく蒼い。服装はいつも小ざっぱりしていて物腰も卑しくない。卓に肱を凭(もた)れてショコラなどを懈(だる)そうに啜(すす)っている。或る時、私はエドモンの腕を一寸突いて、彼の女は屡々見かけるが、と問うて見た。エドモンは驚いた顔つきで、
「知らなかったんですか、彼女(あれ)は私の女房ですよ。御紹介しましょうか。」と女房の方を振返って「オイ相棒、この日本のお客さんは俺の弟子だよ、俺が俗語を教えてるんだ。偉えだろう。」と元気よく紹介する。病身の女房は寂しく笑って私とエドモンの容子を見較べながら、「トレ・ビヤン、トレ・ビヤン」といっていた。
五
日曜になると、エドモンの女房はラファイエット商店の売娘(うりこ)をしている娘と、その亭主の会社員らしい男と三人づれで此店にやって来るのだった。そんな日に病身の女房も日曜の他処着(よそぎ)を纏うて常よりも元気がいい。娘や婿と卓を囲んで、「エドモン」と亭主の名を呼んでいる。エドモンは天下泰平である。相変らず「唯今(ヴォアラ)」と答えて女房や娘夫婦にレモン水や水菓子を運んでやる。私はこの睦じい家族の団欒を眺めつつ、窃(ひそか)に彼等の幸福を祝して楽しんだ。
一夏、中欧の旅に出て、秋の半ば「燕が去って栗売りが来る」頃、私は再び巴里の古巣に戻って、ラビラントの戸口を出たり入ったりするようになった。エドモンは例の如く親切に話相手になって呉れた。然し彼の病妻は店に姿を見せなくなった。「どうも病気が思わしくない」と彼は沈んでいる日もあった。
或る夕、食後の珈琲を飲むつもりでラビラントに行ったが、休日でもないのにエドモンが見えなかった。店の主人が私の卓に来て、「エドモンの女房が昨日死んだ。可哀そうに。」といって肩を聳やかして両手を拡げた。
「可哀そうに。」私も暗い心持になって、気のやさしいエドモンは今頃は定めし泣いているだろうと思って淋しい気持になった。常連からは弔意の花輪を送る事になった。私もその仲間に入れて貰う事にして軽少な金額を常連の迴状に記入した。
妻の死後、エドモンはめっきり歳をとった。以前から酒好きであった彼は益々酒に親んだ。そして以前よりも酔い易くなった。夜も更けず、客も多いのに店から暇を貰って、よろめきながら誰も待って居らぬ家に帰って行く事もあった。大柄な店の主婦は後姿を見送って、「可哀そうなエドモン」と繰返した。働き者の主人は唇を鳴らして「鼻の下に孔が無ければ良い男だが」と呟いた。鼻の下に孔があるとは酒を飲み過ぎるという意味である。
或る夜常連が二三人、酔ったエドモンを囲んで、談笑していた。すると傍に居たのんだくれの古道具屋がエドモンに揶揄(からか)い始めた。
「どうだエドモン。もう大概女房の事も忘れたろう。そろそろ其処らの後家さんに渡りをつけないか。何故黙ってるんだ。何とか返事をしろよ。」と肩に手をかけて小柄なエドモンを一揺り揺すったのである。エドモンは黙って古道具屋の赤い鼻を見詰めていたが、一言「どうしても忘れない」というと彼の酔った眼に涙が溢れた。彼は更に「決して決して(ジャメエ・ジャメエ)」と附加えた。笑いを求めた道具屋も、涙を見てから急にしょげて了って、エドモンの顔を覗きこんで、「尤もだ(タ・レエゾン)、尤もだ(タ・レエゾン)」と慰め出した。
月曜はエドモンの休みの日である。その日は彼は朝から巴里の郊外に出かけて行く。小高い丘に田舎風の教会が見える。教会の近くに墓地がある。彼は新しい墓の前に跪(ひざま)づいて胸に十字を切って半日を祈り暮すのである。
ラビラントの常連は其の後、以前にも増してエドモンを愛するようになった。
「エドモン白い葡萄酒(ヴァン・ブラン)。」
「エドモン麦酒一杯(アン・ボック)。」
呼ばれるエドモンは相変らず「只今(ヴォアラ)」「只今(ヴォアラ)」を連発して、跛をひきながら客の間を駈廻っていた。
故国に去る前夜、私はエドモンと盃をぶつけて互の健康を飲んだ。そして帰朝したらすぐに安着を報じてスウヴニイルを新(あらた)にする事を約した。而も未だ其の約を果さずにいる。
(一九二四年夏)