モンキーセンター
病気に罹ったのは何年ぶりだったかしら、十年ぶりか二十年ぶりか、しばらく病気というものを忘れていましたが、去年の終り頃、早朝床の中で背中の辺りに違和感を覚えたのがそもそもの始まり、それが次第にはげしくなってきました。

そういうわけで、早朝のこととて、まだ寢ていた家人を起して風呂を建てさせ、少しでも痛みを和らげようと思いましたが、居ても起ってもいられないとは、こういうことを言うのでしょうか、湯船に入っても、肩までつかってじっとしていることができません。 やむなく風呂はあきらめまして、家中を歩いたり止まったり、立ったり坐ったりしながら、ただただ痛みを耐え忍び、開院時間を待ちかねて、時刻になりますと、近くの医院まで駆けつけて、診察を受けましたが、たぶん尿路結石だから、痛み止めを飲んでしばらく休んでいれば、じきになおると思うが、詳しく知りたければ、病院を紹介してあげましょうということですので、せっかくですからと病院でも診察してもらうことにしました。 やがて医者といっしょに、ctスキャンの映像を見てみますと、はたして直径2ミリほどの結石が膀胱の中に転がっています。 その頃には、痛みもあらかた治まっていましたが、大事を取りまして、その日と次の日とを、終日床中で過ごしたのは、言うまでもありません。

久しぶりの病気で体力も気力も衰えたのでしょう、松の内を過ぎた頃になりますと、こんどは喉が痛くてたまりません。 またしても例の医院に駆けつけ、処方された風邪薬と痛み止めシロップを時間毎に服用することになりましたが、今度はいつまでたっても痛みがとれませんので、結局10日間も床の中で過ごすことと相成った次第でございます、‥‥

身体の抵抗力が、これほど落ちていようとは、やはり想定外のことですが、問題は、そういうことではなく、この文の題材ですね、これが見つけられない、‥‥いやそういう事情で、それを探し求める時間が取れなかったということを申し上げたかったのでございます、‥‥。

何しろ期日が迫っていますのでね、‥‥題材の求め方というのも、人それぞれでございましょうが、老人の場合は、多く新聞に由っていますので、その日も僥倖を当てにして、朝刊を眺めておりますと、はたして「焚き火に当って煖を取る猿」というキャプションの附いた写真が載っています。 何でも、その焚き火で焼き芋を作り、猿といっしょに食べるというようなことでございますな、‥‥。

焚き火というような、ごく普通の事にも、時代の影響は容赦なく降りかかってまいりますので、焚き火には、もう何十年もお目に掛かったことがございませんが、猿といっしょに焼き芋を食べるというのが、気に入りまして、それはさぞ楽しかろう、ということで、先日降った雪もあらかた消えたことですし、1時間ほどドライブしてみるか、とまあ、冒頭のような写真となったわけでございます。

「モンキーセンター」の駐車場に降り立ちますと、空はどんより曇って、また雪でも降りそうな天気です。 ジャンパーの下にはキルティングの袖無しと、セーターを重ね着していますので、寒くはありませんが、今ひとつ気分が盛り上がってきません。 何はともあれ焚き火に当りましょう、と標識をたどって行きますと‥‥な、な、なんと、‥‥焚き火は通路の下10メートル、見物人はオフリミット、高い所から見下ろすだけ、‥‥。

まあ、世の中とは、そうしたものでございますな、‥‥僥倖っていうものは、そうそこらに転がっているものじゃあありませんからな、‥‥仕方ございません。 焼き芋はあきらめましょう。

曇り空の影響でしょうか、檻の中の猿にもなにか活気がありませんが、しかし賢そうな眼が、こちらをじっと観察しています。 何を考えているのでしょう、‥‥。

アメリカのココ( Koko )という名のゴリラは、2000語の手話を理解して、人間と会話できるということですが、飼育員がココに 「ゴリラは、死んだら、どこへゆくの?」と尋ねたとき、このゴリラの答えを聞いて、仰天してのは、恐らく老人だけのことではなかったのではないでしょうか、‥‥

ココは、こう答えたということですね、――
『気持ちいい穴に入る( Comfortable Hole, Bye )!』、と。



『気持のいい穴( Comfortable Hole )』 と聞いて、何か思い当たりませんか?

阿弥陀仏の浄土は、『極楽世界( sukhāvatī )』と呼ばれていますが、『極楽( sukha )』を英訳すれば、まさしく 『 Comforatable 』ですね、梵英辞書を引くと 『 comfortable, happy, bliss(気持のよい、幸福な、至福の)』と出ていますので、『極楽世界( Comfortable Land )』とは、まさしく 『気持のいい巣穴( Comfortable Hole )』に他なりませんね。

誰が教えたわけでもないのに、ゴリラが 『極楽』 を知っていたというのも驚きですが、『死ぬ』 ということは、『気持ちいい穴に入る』 ことだというような、「言い換え」は、論理的認識と思考の帰結でありますので、老人には、ゴリラにこのようなことができるということも非常な驚きだったのです。 このようなことは言うべきではないかもしれませんが、「程度の低い人間よりは、ゴリラの方がよっぽど勝れている」と、老人はほぼ確信をもって言うことができるかもしれません。



もう少し、話を続けましょう、――

『極楽世界』は、阿弥陀仏の浄土ですが、『浄土( kṣetra-pariśuddhi )』 には、この他にも無数にあるのでして、英訳すれば、『 Pure Land (清潔な土地)』 ですが、何故 『 浄( pure )』 かといいますと、『 煩悩という垢が無い 』 から、『 浄い 』 というのですから、その辺の事情を知っていないと、『浄土( Pure Land )』と言うだけでは、何の事か、さっぱり訳が分らないということになるのです。

また、『浄仏国土( buddha-kṣetra-pariśodhana )』ということばが、「般若経」中に見られますが、英訳すれば、『 To purify buddha-lands (仏の国土を浄める)』 となり、般若経を、更に詳しく見れば、 『是の菩薩は、染(汚染)を心に生ぜず、乃至邪見を心に生ぜず、故に終に母人の腹中に生ぜず、常に化生するを得て、一仏国より一仏国に至り、衆生を成就して、仏国土を浄む』 というようなことが書いてあります。

「この菩薩は、心に煩悩を生じず、心に邪見を生じず、故に母の腹中より生じず、常に化生して、一仏国より、一仏国に至り、衆生を成就して、仏国土を浄める」 という意味ですが、全部説明しだすと長くなりますので、ここでは、「衆生を成就する」=「仏国土を浄める」 ということだけを知っていただければ、それで充分でしょう。 念のために申しますと、 「衆生を成就する」 とは、「衆生に煩悩を無くさせる」 ということなのです。

では、「煩悩」=「煩がらせて、悩ませるもの」とは、いったい何を言うのでしょう?
『煩悩( kleśa )』の英訳は、『 Pain, afflictions (苦痛、不幸の原因)』となりますので、『煩悩が無い』状態こそが、まさに『 Comfortable 』な状態なのですが、さてその正体はと訊ねてみますとと、要するに、『我が所有』と、『他人の所有』とを区別することが、『不幸の原因( afflictions )』となるというわけですな、‥‥。

何でも気前よく、人様に差上げれば、その分だけ 「不幸の原因」が少なくなるわけですからな、‥‥何も好きこのんで、十万億土を西に向って旅しなくても、この世界の中でだって、極楽を味わうことは十分に可能だということなんですよ、‥‥。



「まあ、人間には無理な相談なんだろうがね、‥‥」
「気の毒になあ、‥‥」

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≪天ざる≫
  今月の料理は、「天ざる」にしました。 寒い時期ですから、部屋を暖かくしまして、冷酒→天ぷら→ざる蕎麦→冷酒の順に、少しづつ時間をかけて食べましょう。

  天ぷらは、有り合わせですが、12時の位置から順に、なすび→獅子唐→舞茸→人参→椎茸→蓮根→絹さや→南瓜→三つ葉→百合根、中心に海老を揚げました。

≪天ぷらのコツ:上記の分量≫
  1. 200ccの冷水に、卵黄1個を溶かす。
  2. 200ccの薄力粉を、振るってボールの左半分に寄せる。
  3. ボールの右半分に、卵黄を溶かした水を入れる。
  4. 粉と水を、ボールの中間あたりで、箸を前後に動かしながら、少しづつ混ぜて使用する。
  5. 別のバットに用意した薄力粉に、具材を押しつけた後、バットの側面に打ちつけて、余分の粉を払い落とす。
  6. 粉をまぶした具材を、水と混ざった薄力粉に漬け、適温の油中に投じる。
  7. 適温:中火から強火
    1. 蓮根等の硬い野菜:140℃→160℃
    2. その他の野菜:150℃→160℃
    3. 海老:180℃→180℃
  8. 揚げ上りの見方:いったん沈んだ具材が、浮きあがるのを待ち、箸で触れて震動が伝わってくれば、揚げ上り。
≪そばつゆ≫
  1. 出汁:カツオ(+コンブ)150cc。
  2. 味醂:50ccを煮切る。
  3. たまり:50cc。
  4. 砂糖:小さじ1。
  5. 以上の材料を沸騰させて、冷ます。
≪薬味≫
  1. 粉わさび:適量(好みにより、本わさび)。
  2. 葱:適量。
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまで御機嫌よう。
  (モンキーセンター  おわり)

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