高野山

彼等には、武器がある

俺達も、彼等を困らせてやろう、
俺達には、シャンパンていうものがあるんだからな!
11月14日夜、パリでは、バタクラン(Bataclan)劇場等の七ヶ所が暴徒に襲われ、120名を越す死者がでました。 がしかし、シャルリ・エブド(Charli Hebdo)の示した反応は見事と言うほかありません――
彼等は銃や爆弾で、俺達をやっつけた。
 じゃあ俺たちも、奴等を困らせてやろうぜ、
 俺達には、シャンパンというものがあるんだからな!


     マホメット教徒は、戒律で飲酒を禁じられています


愛は、憎しみよりも強い

これは強烈ですな! 
しかし、「嫌いな奴とだって、仲よくできるんだぞ!」という強い意志を感じるでしょう?

憎しみに報ゆるに、憎しみをもってすれば、いつまでたっても憎しみは消えません。
相手よりも上に立ち、強い意志と努力をもって仲よくする以外、仲よくなる道はない。

シャルリ・エブドは、こう言っているのですな、‥‥。

鞭打ち、100回だ、
もしお前が、笑い死していなければだがな!

フランス人のエスプリ( esprit )といいますと、何んとなく、おしゃれな雰囲気を感じますが、フランス人の本質は、あのゴール人気質( エスプリ・ゴロワ esprit gaulois )ですので、陽気、率直、才気煥発、独立独歩、頑固、意固地、あけすけで、容易にへこたれないのが特徴なんですな。

「ゴール人の話( イストワール・ゴロワーズ histoire gauloise )」といえば、猥談のことですし、ゴロワーズマン( gauloisement )を辞書で引きますと、「ふざけて」、「陽気に」、「露骨に」と出ています、ゴロワズリー( gauloiserie )という単語は、「きわどい冗談」、「猥談」と訳されていますので、フランス人の気質は、およそ推測することができようというものです。

そこで彼等のゴール人気質と、我々日本人の気質とを比較してみますと、彼等が陽気ならば、我等は陰気(内気)、彼等が冗談好きならば、我等は真面目、彼等が才気煥発ならば、我等は隠忍努力、彼等が独立独歩ならば、我等は横並びが好き、彼等が意固地ならば、我等は柔軟、彼等があけすけならば、我等は包み隠すのを徳とし、彼等が率直ならば、我等は根回しを得意としますので、A型の血液型の人が、B型の人と相容れないように、我々日本人に取っては、彼のフランス人と付き合うのは、仲々容易なことではありません。

しかし、気質が違うからといって、仲よくしなければ困りますのでね、仕方がないから、一段と高みに立ちまして、自分自身を振り返ることから始めましょう、‥‥「我々日本人は陰気なんだから、彼等が陽気であっても仕方がない。」とか、 「我々日本人は真面目なんだから、彼等が冗談好きであってもしかたがない。」と、このように悟る必要があるのですな、‥‥努力しましょう。 お互いに理解しあうのが、何よりも大切なんですからね、‥‥。

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ということで、今月は高野山ですが、行ったのは去年の十月ですな、宇治を廻って、奈良に二泊し、根来寺を拝観して、その夜は高野山の宿坊で一泊したのですが、相当疲れていたのでしょう、目が覚めた時には、すでに勤行が始まっていましたので、そちらの方は遠慮し、無人の朝風呂にゆっくりつかって、部屋に戻ってきますと、もう朝食の膳が運びこまれていました。 昨夜、給仕に出たお坊さんも、妙に愛想の良い、人をそらさない人でしたが、その手際の良さも相当なものです、‥‥。

前日は、夕方から小雨が降り出したので、観光はなにもできませんでしたが、明けてみれば、空はどんより曇ってはいますが、写真が撮れないほどではありません。

先づは、聖俗渾融して一体となった、街の状景からと思って、しばらく通りを歩いてみましたが、店はほとんど閉まっていて、十時過ぎにならなければ、どうも開店しそうにありません。 また仕舞屋の多いのも気になります。



天気の方も心配ですし、なにはともあれ、主要な建造物の集まる壇上伽藍(だんじょうがらん)から拝観することにいたしましょう。

壇上伽藍というのは、東西に長い300mx100mぐらいの敷地に、15棟ほどの堂宇が建ち並んだ空間で、一山の僧侶の修業の場がすべて、この壇上に集約されているのです。



高野山では数少ない国宝建造物ですが、手前の不動堂は、まるで蜘蛛が這っているように、妙に醜い建物ですので、半分を残してカットし、美しい大塔の方を、木の間越しに御覧いただきましょう。



五間四面の巨大な大塔は、正面の余地が狭いので、見上げて撮ることになり、高さが圧縮されて、低く見えますが、右側の開け放たれた障子の前に立つ人と比較すれば、大きさを感じ取ることができます。



金堂は、昭和の建築で、四方正面、屋根の勾配が浅いので、少し軽く感じられますが、桁行正面三間、左右三間づつの九間に、梁間七間は、柱の数が多過ぎたようです。

内部は、秘仏薬師如来の厨子の向って左に降三世明王、右に不動明王を配した内陣を、三方から畳敷きの外陣で取り囲むような構成です。



金堂の前を西に向いますと、六角経蔵がありますが、これも昭和の建物です。



この南北に長い建物は、山王院といって、奥の鎮守社の拝殿に当ります。
桃山時代の建造物で、緑色に苔むした屋根が非常に美しかったのが印象的です。



赤い鳥居の奥が、丹生明神、高野明神の二柱の神を祀る社で、やはり桃山時代の建造物です。 他の寺院の鎮守に比較すれば、相当立派な建物ということになるのではないでしょうか。



明神社と山王院の間を北に進むと、木立の間に古びた大塔が見えてきます。
天保時代の建造物ですが、普通は白漆喰塗りの亀腹に、緑青をふいた銅板が被せられている所が、ちょっと変っています。



近くから見れば、ほらこの通り、大きな蝦蟇が蹲っているように見えませんか?
美しいとは言えないまでも、趣ってものがありますな、‥‥。



西塔の前で方向を東に取りますと、向こうに、また赤い大塔が見えてきます。
大塔の手前には三棟あります、桧皮葺が、それぞれ美しい勾配を画いています。



右の建物は、金堂の北側です。
赤い囲の松の木には、弘法大師が、唐から帰国するに当り、修業に相応しい土地を探して、三鈷杵(さんこしょ)という法具を投げたところ、この松の木に、その三鈷杵が掛かっていたというような謂われがあるそうです。 信じても信じなくても、余り変りはなさそうな、至って罪のない伝説で、説明書きを読んでいて、つい笑みのこぼれるような思いをいたしました。



本堂の北側には、御影堂があります。
一山の修行僧が、弘法大師に見守られながら、ここで護摩を焚いたりして修業します。
四方が、五間五間の正方形で、正面も両横も柱間に皆、障子をはめ込んであるのは、非常に珍しく、勾配の浅い低い屋根と調和がとれていて、美しい建物だと思います。

これで壇上伽藍を一回りして来たことになりますので、次は奥の院へ行かなくてはなりませんが、実はメモリーのSDカードの容量が、もう殘り少なくなり、疲れも出て来ましたので、帰途6時間分の余裕を見こして、そろそろ帰らなくてはなりません。 奥の院は、また次の機会にということにしましょう。

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高野山は、この大門をもって、始まりとします。
門に向って左側に道を取りますと、九十九折の坂を下って、麓の方へ行きますが、右側へ行くと、門を廻るようにして、向こうの街筋へ入って行き、約400mで壇上伽藍に到着します。

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今年のクリスマスは、はちみつのムースですが、‥‥
作り方は割愛しましょう、余り上手くできなかったということです。
では、今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまで御機嫌よう。
Merry Christmas
&
Happy New Year
  (高野山  おわり)

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