老人の癖は、事を一度で決められず、必ず二度せねばならないということですが、‥‥その起りはともうしますと、幼児期のあるトラウマにあるのでございますな、‥‥
話を鎌倉時代に戻しますが、執権時宗は蒙古軍を一夜にして潰滅させたということで、戦前には誰知らぬ者のない、日本の偉人の一人に数えられておりましたのですが、ある時、孫の高時が、一膳のご飯に、汁を二度かけて食っているのを見て、やれやれ毎日毎日飯を食っておりながら、かけるべき汁の量さえ知らぬとは、北条の家も、この高時の代で終わるのかと嘆いたところ、はたして北条氏は、失政に失政を重ねた高時の代をもって、終焉を迎えたということですが、そのような訓話を、幼い時分、「小学生全集」で読んだのがトラウマとなって残ったのでございましょうか、「一膳飯に二度の汁かけ」効果が、老人には、逆に働いたものと見えまして、何をするにつけ、必ず二度行うような癖が知らぬ間についてしまったということなのですな、‥‥
今回もはたして、新聞では「一日中曇り」であったはずが、予報がはずれて、カメラを出すか出さぬかのうちに、雨が降り始めたというのも、命数のなせるわざ、何事も運命だけは甘受しなくてはなりませんので、じっと我慢していたところ、待てば海路の日和ありで、数日ならずして、絶好の機会が巡ってまいりました。
前回は「亀石」から撮り初めましたので、今回は「猿石」から撮ることにしましょう、――
欽明天皇陵の前方後円墳に頭を下げ、横の細い路を少し行きますと、「敏達天皇皇孫茅渟王妃吉備姫王 檜隈墓」に出ます。 「猿石」は、その垣根の中に在って近づけませんが、隙間からなら、わりと楽に写真を撮ることができます。
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