猿丸神社


昭和55年、今から35年ぐらいも以前のことでしょうか、伊沢元彦という人が、講談社の主催する江戸川乱歩賞で華々しくデビューしましたが、その時の受賞作を「猿丸幻視行」といい、その舞台がこの神社ですので、一度は来たいと思っていたのですが、三室戸寺より、ほぼ帰路上にありますので、寄ってみたという訳です。


駐車場から少し歩くと、やがて石段があり、その側に、「猿丸神社」の石碑が立っています。

猿丸神社とくれば、猿丸大夫‥‥、そう「百人一首」ですね、‥‥
少し浚ってみましょう、‥‥
1 天智天皇 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
我が衣手は 露にぬれつつ
2 持統天皇 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
3 柿本人麻呂 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む
4 山部赤人 田子の浦に うちいでてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
5 猿丸太夫 奥山に もみぢふみわけ なく鹿の
声聞く時ぞ 秋はかなしき


石段を登りつめますと、石の鳥居の向こうに、社殿が現われ、手水舍も見えてきます。
さすが猿丸神社、狛犬の代役でしょう、どうやら二匹の猿が御出仕のようですな、‥‥


小説ほど、好き嫌いの分れるものはありませんが、かつて人に勧められて、面白かったためしがございませんので、人様にも、お勧めするというような事は致しませんが、或いはこれぐらいは、お勧めしても宜いのではないでしょうか、‥‥。

江戸川乱歩賞受賞の作品ですから、とうぜん推理小説ですが、プロットもさることながら、「いろは歌」と、猿丸大夫の「奥山の歌」とで、巧みに暗号を作ったところなんぞは、大変見事だったように思います。

今回は、猿丸大夫に関係のある、「古今和歌集真名序」を読んでみましょう。
「古今和歌集(古今集)」の序文には二種あり、仮名文字を主体とする和文で書かれたものを「仮名序」、漢文で書かれたものを「真名序」と称しますが、謂わゆる「仮名」に対して、漢字を「真名(まな)」というんですな。

日本人の書いた漢文は読みにくいものと相場が決まっておりますが、この「真名序」に関していえば、そんなことはありません。 しかも「Wikisource」から引っ張ってきた原文には、珍しくも極めて正確な訓点(返り点)が振られておりますので、どなたにも簡単に読むことができるのではないでしょうか?

内容も、以外と面白いものですからね、‥‥では、御一緒に読んでみましょう、‥‥

古今和歌集真名序
夫和歌者、託其根於心地、發其花於詞林者也。人之在世不爲、思慮易遷、哀樂相變。感生於志、詠形於言。是以逸者其詞樂、怨者其吟悲。可以述一レ懷、可以發一レ憤。動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫於和歌。和歌有六義。一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。
  古今和歌集真名序
  夫れ和歌とは、其の根を心地に託して、其の花を詞林に発(ひら)く者なり。人の世に在るや、無為なること能わず、思慮は遷り易く、哀楽相変じて、感じては志を生じ、詠みては言に形(あらわ)す。是を以って逸なる者は、其の詞楽しく、怨なる者は吟悲しく、以って懐を述ぶべく、以って憤を発すべくして、天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、人倫を化し、夫婦を和するに、和歌よりも宜しきは莫し。和歌に六義有り、一には風と曰い、二には賦と曰い、三には比と曰い、四には興と曰い、五には雅と曰い、六には頌と曰う。

  真名序(まなじょ):漢文による序文。
  (ふ):それ。発語の詞。そもそも。
  心地(しんち):心という地。心底。心情。
  詞林(しりん):詞(ことば)の林。文章。
  無為(むい):何もなさないこと。何も思わないこと。
  思慮(しりょ):思うことと思い謀ること。
  (かん):感動。
  (し):こころざし。心のゆくところ。
  (えい):よむ。うたう。
  (げん):ことば。
  逸者(いつしゃ):喜楽に暮らす者。逸民。
  (ぎん):声に出して歌うこと。
  (かい):おもい。
  (ふん):いきどおり。
  人倫(じんりん):人の道。
  (か):善く転じる。
  六義(りくぎ):詩経序に云う詩の3種の体裁と3種の作法。
  (ふう):国風、民族歌謡。
  (ふ):陳述、直叙。ありのままに述べるもの。
  (ひ):比較、譬喩を以って述べるもの。
  (きょう):事物に感動して思いを述べたもの。
  (が):政治、征伐、饗宴等の宮廷で歌われる歌謡。
  (しょう):宗廟に祭る祖先の徳を頌美するもの。
  古今和歌集真名序

  そもそも和歌という樹は、その根を心の大地に託し、その花を言葉の林に咲かせるものである。

  人が世にあれば、何も思わないはずがなく、思慮は移ろいやすく、哀楽は変化するので、感動すれば思いが生じ、歌に詠めば言葉が形をなすのである。

  その故に気楽に暮らす者は、その言葉が楽しく、怨恨する者は、その呻吟する声が悲しい。 その言葉や、呻吟する声で心の思いを述べることもでき、憤りを発することもできるのであるが、天地を動かし、鬼神を感動させたり、人の道を正して、夫婦を和合させたりするのには、和歌よりも適したものはないのである。

  和歌には六種あり、一には風(俗謡)、二には賦(敍述)、三には比(譬喩)、四には興(興趣)、五には雅(宮廷楽)、六には頌(祝祭歌)である。
若夫春鶯之囀花中、秋蝉之吟樹上、雖曲折、各發歌謠。物皆有之、自然之理也。
  若し夫れ春鴬の花中に囀り、秋蝉の樹上に吟ずる、曲折無しと雖も、各歌謡を発す。物に皆之有るは、自然の理なり。

  若夫(もしそれ):発語の辞。そもそも。
  曲折(きょくせつ):音調の屈曲。
  そもそも春の鴬が花の中に囀り、秋の蝉が樹上に歌うというのも、そこには音調の妙こそ無いものの、各が歌を歌っているのである。

  物が、皆、歌うということは、自然の道理だからであろう。
然而神世七代、時質人淳、情欲無分、和歌未作。逮于素戔烏尊到出雲國、始有三十一字之詠。今反歌之作也。其後雖天神之孫、海童之女、専莫和歌上レ情者。爰及人代、此風大興。長歌短歌旋頭混本之類、雜躰非一。源流漸繁。譬猶雲之樹、生寸苗之煙、浮天之波、起於一滴之露
  然れど神世七代は、時は質、人は淳にして、情と欲と分かるること無ければ、和歌は未だ作られず。素戔嗚尊、出雲の国に到るに逮びて、始めて三十一字の詠有り、今の反歌の作なり。其の後、天神の孫、海童の女なりと雖も、専ら和歌を以って、情を通ぜざる者莫し。爰に人代に及び、此の風大いに興りて、長歌短歌旋頭混本の類、雑体一に非ずして、源流漸く繁なり。譬えば猶お雲を払う樹の、寸苗の煙より生じ、天を浮かぶる波の一滴の露より起るがごとし。

  神世七代(しんせしちだい):天地開闢以来の十一柱七代の神。日本書紀に依れば、(1)国常立尊(くにのとこたちのみこと)、(2)国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、(3)豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)、(4)泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)、(5)大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)、(6)面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)、(7)伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)をいう。
  時質(じしつ):時代が質朴で世間ずれしていない。
  人淳(じんじゅん):人が素直なこと。
  情欲(じょうよく):心情と欲望。心の持前と、物に応じて生ずる心。
  素戔嗚尊(すさのおのみこと):伊弉諾(いざなき)・伊弉冉(いざなみ)二尊の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。粗野な性格から天の石屋戸の事件を起こしたため根の国に追放されたが,途中,出雲国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して奇稲田姫(くしなだひめ)を救い,大蛇の尾から天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を得て天照大神に献じた。
  三十一字(みそひともじ):五七五七七字の合計。短歌。
  反歌(はんか):長歌のあとに添える短歌形式の歌。
  天神之孫(てんじんのまご):天照大神の子孫。
  海童之女(かいどうのむすめ):漁師の子女。
  (えん):ここに。是に於いて。
  人代(じんだい):神武天皇以後の世。
  長歌(ちょうか):五七、五七、…、五七、七の形式の歌。
  短歌(たんか):五七五、七七の5句からなる形式の歌。
  旋頭(せどう):旋頭歌。五七七を2回繰り返した6句からなる歌。
  混本(こんぽん):混本歌。不明。
  雑体(ざつたい):種種に異なる歌の体裁。
  そうとはいうものの、神世の七代までは、時が質朴であり、人が淳厚であり、心情と、欲望とが分かれていなかったので、和歌が作られることもなかった。 やがて素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲の国に降られるに及んで、初めて三十一文字を詠まれて、今の反歌が作られたのである。

  それ以後、天照大神の子孫から、漁師の子女に至るまで、皆、和歌を詠んで、その心情を通ずるようになり、これより、神武天皇の御代に及んで、この風習は大いに興隆し、長歌、短歌、旋頭歌、混本歌等、雑多なものまで雑えれば一つではなく、三十一文字の源流が次第に複雑になったのである。

  譬えば雲を払うような大樹も、一寸の苗や、煙から生長し、天を映し浮べる大海も、一滴の露から起るようなものである。
難波津之什獻 天皇、富緖川之篇報太子、或事關神異、或興入幽玄。但見上古之歌、多存古質之語、未耳目之翫。徒爲教戒之端。古 天子、每良辰美景、詔侍臣預宴筵和歌。君臣之情、由斯可見、賢愚之性、於是相分。所以隋民之欲士之才也。
  難波津の什を 天皇に献じ、富緒川の篇を太子に報ずるが如きに至りて、或るいは事えて神異に関わり、或いは興じて幽玄に入る。但だ上古の歌を見るに、多くは古質の語を存し、未だ耳目の翫と為り、徒らに教戒の端と為るにあらず。古の天子は、毎に良辰美景には、侍臣の宴筵に預る者に詔して、和歌を献ぜしむ。君臣の情、斯れに由りて見るべく、賢愚の性、是に於いて相分るれば、民の欲に随いて、士の才を択ぶ所以なり。

  難波津之什(なにわづのじゅう):「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」等の歌の巻。什は十篇をもって一巻となすの意。応神天皇の崩御後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合ったため、3年間も空位となっていたが、のちに難波高津宮において大鷦鷯尊が即位して天皇(仁徳)となった際、その治世の繁栄を願って詠まれた歌を云う。
  富緒川之篇(とみおがわのへん):聖徳太子に片岡山の飢人の奉った歌、「いかるがや富緒川の絶えばこそ我が大君の御名を忘れめ」を云う。
  神異(しんい):神の示す不思議な威力。神の起す異変。
  幽玄(ゆうげん):奥深く知り難いさま。
  上古之歌(じょうこのうた):古代の歌。
  古質之語(こしつのご):古代の質朴なことば。
  耳目之玩(じもくのがん)」耳目の愛玩物。
  (と):いたづらに。ただ。無駄に。
  教戒之端(きょうかいのたん):教えや誡めのいとぐち。
  天子(てんし):天皇の尊称。
  良辰美景(りょうしんびけい):良い日柄と、美しい景色。
  (しょう):みことのり。天子が命じること。
  侍臣(じしん):お側の臣下。
  宴筵(えんえん):宴席。
  君臣之情(くんしんのじょう):天皇と臣下の心の交流のありさま。
  賢愚之性(けんぐのしょう):持前の賢さと愚かさ。
  相分(そうぶん):あいわかれる。云々が分れる。
  民之欲(たみのよく):民衆の欲望。
  士之才(しのさい):才能ある官吏。
  やがて、難波津の歌一巻を仁徳天皇に献じ、富緒川の一首を聖徳太子に奉るに至り、或いは神異に関わって事(つか)えたり、或いは幽玄の境に入ることに興じたりすることを詠むようになった。

  しかし、古代の歌を見てみると、多くは質朴な言葉に満ち溢れて、未だ耳目の愛玩物や、無駄な教戒の端緒にまで成り下がってはいなかったのである。

  古の天子は、吉日や、美景に出会うごとに、侍臣に詔して宴席を設けさせ、和歌を献じさせたのであるが、君臣の情好は、これに依って見ることができ、賢愚の性は、これに依って見分けられ、これを本にして、民衆の欲する所のままに、才能ある官吏が、択ばれたのである。
大津皇子之初作詩賦、詞人才子慕風繼塵。移彼漢家之字、化我日或之俗。民業一改、和歌漸衰。
  大津の皇子、初めて詩賦を作りしより、詞人才子、風を慕いて塵を継ぎ、彼の漢家の字に移りて、我が日域の俗を化するに、民業一えに改まり、和歌漸く衰う。

  大津皇子(おおつのみこ):(天智天皇2年(663年) - 朱鳥元年10月3日(686年10月25日))は、飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天智天皇皇女の山辺皇女。朱鳥元年(686年)9月に天武天皇が崩御すると、同年10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ、翌日に磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸にて自害する。
  詩賦(しふ):漢字による詩文。
  詞人(しじん):文章をつくる人。
  才子(さいし):文才ある人。
  慕風(ぼふう):遺風をしたう。
  継塵(けいじん):跡を継ぐ。
  漢家之字(かんかのじ):漢字。
  日域之俗(じついきのぞく):日本の風俗。
  民業(みんぎょう):民衆のしわざ。
  漸衰(ぜんすい):次第におとろえる。
  大津の皇子が、初めて漢詩を作られれると、それより以後、文人才子どもは、皆、その風を慕って跡を継ぎ、漢文を司る家の文字に親しんで、我が日本の習俗は一変した。 民衆の歌う歌も変化して、和歌は次第に衰えていったのである。
然猶有先師柿本大夫者。高振神妙之思、獨步古今之間。有山邊赤人者。並和歌仙也。其餘業和歌者、綿々不絶。及彼時變澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艷流泉涌。其實皆落、其花孤榮。至好色之家、以之爲花鳥之使、乞食之客、以此爲活計之謀。故半爲婦人之右、雖丈夫之前
  然るに猶お先師柿本の大夫なる者有り、高く神妙の思を振い、古今の間を独歩せり。山辺の赤人なる者有り、並びに和歌の仙なり。其の余の和歌を業とする者も、綿々として絶えず。彼の時の澆漓に変じて、人の奢淫を貴ぶに及びて、浮詞雲興し、艶流泉涌すれば、其の実は皆落ち、其の花独り栄ゆ。有る好色の家に至っては、之を以って、花鳥の使と為り、乞食の客は、此を以って、活計の謀と為せり。故に半ば、婦人の右と為りて、雖(いわ)んや、大夫の前に進めんをや。

  先師(せんじ):古の賢人。
  柿本大夫(かきのもとのたいふ):柿本人麻呂。大夫は中宮職,春宮職,その他の各職の長官、五位の者の通称。
  神妙之思(しんみょうのおもい):神智精妙なる思考。
  古今之間(ここんのあいだ):古代より今に至るまでの間。
  山部赤人(やまべのあかひと):(生年不詳 - 天平8年(736年)?) 奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子。外従六位下・上総少目。
  (せん):ひじり。聖人。通常の人でないことを云う。
  澆漓(ぎょうり):道徳が衰え、人情の薄いこと。
  奢淫(しゃいん):奢侈と淫蕩。
  浮詞(ふし):浮薄の詞。
  雲興(うんこう):夏雲の興るがごときをいう。
  艶流(えんりゅう):美麗な文章の流れ。
  泉涌(せんにゅう):泉のようにわく。
  好色之家(こうしょくのいえ):好色の家柄。
  花鳥之使(かちょうのつかい):花鳥の召使。
  乞食之客(こつじきのかく):乞食のような客。
  活計之謀(かつけいのぼう):生活の為めの計略。
  婦人之右(ふじんのゆう):婦人のなぐさみもの。
  (すい):いわんや。況。
  (しん):たてまつる。
  丈夫之前(じょうぶのまえ):一人前の男の正面。
  しかしながら、それでもなお先師の柿本の大夫という者は、神智精妙の思いを高らかに振るって、古今を独歩し、歴代の治績を歌っていたし、山辺の赤人という者も、和歌の聖と並び称されており、その他にも和歌を家業とする者たちが、綿々と続いて絶えることはなかったが、‥‥

  やがて彼等の時代が変わると、人情が薄れて、人は奢侈や、淫蕩を貴ぶようになり、浮薄の言葉が雲のように興って艶麗な流れが泉のように涌くことになったのであるが、しかし、その果実は皆腐れ落ちて、その花のみが栄えていたのである。

  有る好色の家に至っては、漢詩は花鳥の召使であり、食客たちは、これで生計を立てている、‥‥

  故に漢詩は、半ば婦人の愛玩物に成りはてて、とうてい一人前の男子の前に進められるようなものではないのである。
近代存古風者、纜二三人而已。然長短不同。論以可辨。花山僧正、尤得歌體。然其詞花而少實。如圖畫好女、徒動人情。在原中將之歌、其情有餘其詞不足。如萎花雖彩色。而有薰香。文琳巧詠物。然其體近俗也。如賈人之著鮮衣。宇治山僧喜撰、其詞華麗而首尾停滯。如秋月曉雲。小野小町之歌、古衣通姫之流也。然艷而無氣力。如病婦之著花粉。大友黑主之歌、古猿丸大夫之次也。頗有逸興、而體甚鄙。如田夫之息花前也。此外氏姓流聞者、不勝數。其大底皆以艷爲基、不和歌之趣者也。
  近代の古風を存する者、二三人を纜(つな)ぐのみ。然るに長短同じからず、論を以って辨ずべし。花山の僧正は、最も歌の体を得たり、然るに其の詞花には、実少なく、図画の好女の、徒らに人情を動かすが如し。在原の中将の歌は、其の情余有りて、其の詞足らず、萎める花の彩色少なしと雖も、熏香有るが如し、文琳は巧みに物を詠ずるも、然も其の体は俗に近く、賈人の鮮衣を著くるが如し。宇治山の僧喜撰は、其の詞華麗なれども、首尾停滞し、秋の月を望みて、暁の雲に遇えるが如し。小野の小町の歌は、古の衣通姫の流なり、然れども艶にして気力無く、病婦の花粉を著けたるが如し。大友の黒主の歌は、古の猿丸の大夫の次なり、頗る逸興有れども、体は甚だ鄙なり、田夫の花の前に息むが如し。此の外の氏姓(うじかばね)の流れ聞こゆる者は数うる勝(た)うべからず。其の大底は、皆艶を以って、基と為すも、和歌の趣を知らざる者なり。

  (らん):つなぐ。船をつなぐ。もやいづな。
  花山僧正(かさんそうじょう):(弘仁7年(816年) - 寛平2年1月19日(890年2月12日)) 平安時代前期の僧・歌人。俗名は良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)。大納言・良岑安世の八男。六歌仙および三十六歌仙の一人。官位は従五位上・左近衛少将。遍昭僧正とも号す。
  歌体(かたい):歌の本質。
  在原中将(ありわらのちゅうじょう):在原業平(ありわらのなりひら)(825年(天長2年) - 880年7月9日(元慶4年5月28日)) 平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。六歌仙・三十六歌仙の一人。
  文琳(ぶんりん):文章の美玉。文章の美称。
  賈人(こじん):商売人。
  鮮衣(せんい):美しい衣服。
  喜撰(きせん):(生没年不詳)平安時代の僧、歌人。六歌仙の一。
  小野小町(おののこまち):(生没年不詳) 平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一。
  衣通姫(そとおりひめ):美しさが衣を通して輝くことから名づけらる。本朝三美人の一。日本書紀に依れば、允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹・弟姫(おとひめ)にして、允恭天皇に寵愛された妃とし、近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住んだという。
  大友黒主(おおとものくろぬし):(生没年不詳) 平安時代の歌人・官人。六歌仙の一。官位は従八位上・滋賀郡大領と云う。
  猿丸大夫(さるまるのたいふ):(生没年不明)三十六歌仙の一。大夫を称するので、官位は五位以上となる。
  田夫(でんぷ):田舎者。
  大底(たいてい):おおかた。大概。大抵。
  近代では、古風の港に和歌の船を繋ぐ者は、二三人を残すのみであるが、しかし長所も短所も不揃いなので、判別するには少しく論じなくてはならない。

  花山の僧正は、最も歌の本質に通じているが、その文言の花には、実が少ない。譬えていうならば、絵に画かれた美女が、徒らに人情を動かすようなものである。

  在原の中将の歌は、その情は余りあるが、その言葉が足らないので、譬えていうならば、萎んだ花が、色が褪せても、熏香を残すようなものである。 文言の美玉で、物を巧みに詠んでいるが、その本質は、俗に近いものがあり、譬えていうならば、物売りが、美しい衣を身に着けたようである。

  宇治山の僧喜撰は、その言葉は華麗であるが、首尾一貫して停滞しており滑らかでない。 譬えていえば、秋の月を見ていたはずなのに、暁の雲にであうようなものである。

  小野の小町の歌は、古の衣通姫の流れであるが、艶めいていながらも、気力が無い。 譬えていうならば、病婦が花粉を着けたようである。

  大友の黒主の歌は、古の猿丸の大夫の跡を次ぐものである。 すこぶる逸楽の興趣があるが、その本質は甚だ田舎びている。 譬えていえば、田夫が、花の前で憩っているようなものである。

  この外に流れ聞こえる者の名は、数えるに堪えられるほどもなく、その大抵は、皆、艶めかしさに基づいたもので、和歌の興趣を知らない者である。
俗人爭事榮利、不和歌。悲哉、悲哉。雖貴兼相將富餘金錢、而骨未土中、名先滅於世上。適爲後輩知者唯和歌之人而巳。何者、語近人耳、義通神明也。
  俗人は、争いて栄利に事え、和歌を詠むを用いず。悲しい哉、悲しい哉、貴きは相と将とを兼ね、富めるは金銭を余すと雖も、骨の未だ土中に腐れざるに、名は先に世上に滅す。適ま後輩に、知らるる者は、唯だ和歌の人たるのみ。何んとなれば、語は人耳に近く、義は神明に通ずればなり。

  争事(そうじ):争ってつかえる。
  栄利(えいり):栄誉と利益。
  相将(そうしょう):大臣と将軍。
  後輩(こうはい):後世の同種の人々。
  (ご):ことば。
  (ぎ):意味。
  神明(しんめい):神々。
  俗人は、争って栄利に仕え、和歌を詠む者は用いられなくなった。 悲しいかな、悲しいかな、貴い人が、宰相と将軍とを兼ね、富める人が、金銭を余したとしても、骨が、土中に腐るより先に、名は、世上に滅びる。

  たまたま、後輩に知られる者といえば、ただ和歌の人があるのみ、何故か、言葉は人の耳に親しみ、意味は神智に通じるからである。
昔 平城天子詔侍臣萬葉集。自爾來時歷十代、數過百年。其間和歌棄不採。雖風流如野相公雅情如在納言、而皆以他才聞、不斯道
  昔、平城の天子、侍臣に詔して、万葉集を撰せしむ。爾れより来、時は十代を歴(へ)、数えて百年を過ぐ。其の間、和歌は棄てて採られず。風流は、野相公の如く、雅情は、在納言の如しと雖も、皆、他の才を以って聞こえ、其の道を以って顕れず。

  平城天子(へいぜいのてんし):平城天皇(宝亀5年8月15日(774年9月25日) - 弘仁15年7月7日(824年8月5日)) 第51代の天皇(在位:延暦25年3月17日(806年4月9日) - 大同4年4月1日(809年5月18日))。桓武天皇の第1皇子。母は桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏。第52代嵯峨天皇は同母弟。
  万葉集(まんようしゅう):7世紀後半から8世紀後半頃、大伴家持?に依って編まれた日本最古の和歌集。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人の詠んだ歌が4500首以上も集められている。
  十代(じゅうだい):平城天皇より醍醐天皇に至る十代。謂わゆる (1)平城天皇、 (2)嵯峨天皇、 (3)淳和天皇、 (4)仁明天皇、 (5)文徳天皇、 (6)清和天皇、 (7)陽成天皇、 (8)光孝天皇、 (9)宇多天皇、 (10)醍醐天皇である。
  風流(ふうりゅう):古くは「みやび」と訓じ,みやびやかなもの,風情に富んだものを意味した。
  野相公(やしょうこう):小野 篁(おの の たかむら)をいう。 (延暦21年(802年) - 仁寿2年12月22日(853年2月3日)) 平安時代前期の公卿・文人。 参議・小野岑守の長男。官位は従三位・参議。異名は野相公、野宰相、その反骨精神から野狂とも称された。
  雅情(がじょう):優雅で上品な趣を好む心。
  在納言(ざいなごん):在原行平(ありわらのゆきひら)をいう。 (弘仁9年(818年) - 寛平5年7月19日(893年9月6日)) 平安時代前期の歌人・公卿。平城天皇の第一皇子弾正尹・阿保親王の次男?。在原業平の兄。官位は正三位・中納言。在中納言・在民部卿とも呼ばれた。
  昔、平城の天子は、侍臣に命じて、万葉集を撰集させられた。 それ以後、十代を経歴し、百年を過ぎたが、その間に、和歌を採取されたことはなかった。

  風流が、小野の宰相のようであっても、雅情が、在原の納言のようであっても、皆、和歌以外の才能で聞こえ、和歌の道で名を顕した者はない。
伏惟 陛下御宇、于今九載。仁流秋津洲之外、惠茂筑波山之陰。淵變爲瀨之聲、寂々閉口、沙長爲岩之頌、洋々滿耳。思既絶之風、欲久廢之道
  伏して惟れば、陛下の御宇は、今に于いて九載、仁は秋津島の外に流れ、恵は筑波山の陰に茂れば、淵の変じて瀬と為るの声は、寂々として口を閉じ、沙の長じて岩と為るの頌は、洋々として耳を満てり。既絶の風を継がんことを思(おぼ)して、久廃の道を興さんことを欲したまえり。

  御宇(ぎょう):〔宇内(うだい)を統御するの意〕天子の治世の期間。御代(みよ)。
  (さい):とし、年。夏にては歳といい、商にては祀といい、周にては年といい、唐虞にては載という。
  (じん): 人の人たる所以の理。人を愛して私無き者を仁という。慈愛。
  秋津島(あきつしま):初め東北陸奥国より西南長門国までの一大島をいい、後に大八洲をいうに及ぶ。秋津の名義に関しては、一説に秋之島(あきつしま)の義、あきと云うは、稲の事にて、稲の豊熟(できあき)の国を云うと。日本書紀神代上に依れば、「一書に曰わく、先に淡路洲、次に大日本豊秋津洲、次に伊予二名洲、次に隠岐洲、次に佐渡洲、次に筑紫洲、次に壱岐洲、次に対馬洲を生めり」という。
  (けい):めぐみ。恩恵。
  筑波山(つくばさん): 関東常陸国(茨城県)に在る山の名。標高877m。富士山と対比して「西の富士、東の筑波」と称される名山。
  既絶(きぜつ):すでに絶えた。
  久廃(きゅうはい):久しい昔に消滅した。
  伏して惟れば、陛下の御代は、今に至って九年、仁愛は、秋津島の外にまで流れ、恩恵は、筑波山の陰にまで繁茂しておりますので、和歌の淵が変じて漢詩の瀬となるを嘆く声は、寂々として口を閉ざし、砂が長じて岩となるまで、陛下の長久を祈る頌は、洋々として耳に満ちております。

  既に絶えた日本の風を継いで、久しく廃れた和歌の道を興そうと思し召されました。
爰詔大内記紀友則、御書所預紀貫之、前甲斐少目凡河内躬恒、右衞門府生壬生忠岑等、各獻家集並古來舊歌。(曰續萬葉集)。於是重有詔。部類所奉之歌、勒爲二十卷、名曰古今和歌集
  爰に、大内記紀の友則、御書の預り所紀の貫之、前の甲斐の少目凡河内の躬恒、右の衛門府の生壬生の忠岑に詔して、各家集、並びに古来の旧歌を献ぜしめたもうに(続万葉集と曰う)、 是に於いて重ねて詔有りて、奉る所の歌を部類し、勒して二十巻と為して、名づけて古今和歌集と曰わしめたまえり。

  (えん):ここ。是に於いて。
  大内記(だいないき):内記は中務省の官。大内記小内記あり、詔勅、宣明を作り、五位以上の位記を奉行し、又宮中一切の事を録す。大内記は正六位上に相当する。
  紀友則(きのとものり):(承和12年(845年)? - 延喜7年(907年)) 平安時代前期の歌人・官人。父は宮内権少輔・紀有友(有朋)。子に清正・房則がいる。紀貫之の従兄弟にあたる。官位は六位・大内記。三十六歌仙の一人。
  紀貫之(きのつらゆき):(貞観8年(866年)? - 天慶8年5月18日(945年6月30日)?) 平安時代前期の歌人。『古今和歌集』の選者のひとり。また三十六歌仙のひとりでもある。紀友則は従兄弟にあたる。官位は従五位上、木工権頭。贈従二位。
  少目(しょうさかん):国司第四等官中下位のもの。
  凡河内躬恒(おおしこうちのみつね):(貞観元年(859年)? - 延長3年(925年)?) 平安時代前期の歌人・官人。姓は宿禰。一説では淡路権掾凡河内諶利の子。三十六歌仙の一。官位は六位・和泉大掾。
  衛門府(えもんふ):宮城の門を守衛する官司。
  (せい):ひと。
  壬生忠岑(みぶのただみね):(貞観2年(860年)? - 延喜20年(920年)?) 平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。官位は無位、右衛門府生。
  続万葉集(しょくまんようしゅう):古今和歌集の前身。
  (ろく):石碑に刻みつける。編む。編集。
  ここに、大内記紀の友則、御書預り所紀の貫之、前の甲斐少目凡河内の躬恒、右の衛門府の生壬生の忠岑等に命じて、各、私家集、並びに古来の旧歌を献じさせられましたが、‥‥

  これに重ねて命じて、奉られた歌を部類ごとに分けられ、二十巻に纏めて、古今和歌集と名づけられました。
臣等詞少春花之艷、名竊秋夜之長。況哉進恐時俗之嘲、退慙才藝之拙。適遇和歌之中興、以樂吾道之再昌。嗟乎、人丸既沒、和歌不斯哉。于時延喜五年歳次乙丑四月十五日臣貫之等謹序。
  臣等、詞は春花の艶を少(か)き、名は秋夜の長きにも窃めり。況んや、進みては時俗の嘲を恐れ、退いては才芸の拙を慚づ。適ま和歌の中興に遇い、以って吾道の再昌を楽しむ。嗟乎(ああ)、人丸既に没したるも、和歌は斯に在らざるや。時に於いて延喜五年、歳次乙丑四月の十五日、臣貫之等、謹みて序せり。

  臣等(しんとう):しんら。わたくしども。天子に対し、大臣の謙遜していうことば。
  春花之艶(しゅんかのえん):春の花のあだめかしさ。漢詩の譬喩。
  (しょう):かく。欠いている。
  秋夜之長(しゅうやのちょう):寂しい秋の夜長。和歌の譬喩。
  (せつ):ひそむ。ひそめる。こっそりかくれる。窃。
  時俗之嘲(じぞくのちょう):時の俗物のあざけり。
  才藝之拙(さいげいのせつ):才能と学問技術のつたなさ。
  中興(ちゅうこう):衰えたものが、再び盛んになること。再興。
  吾道之再昌(ごどうのさいしょう):わが道の再び栄えること。
  嗟乎(ああ):歎ずる声。
  人丸(ひとまる):柿本人麻呂。柿本大夫を見よ。
  延喜(えんぎ):年号。(901.7.15~923.閏4.11)。昌泰の後,延長の前。醍醐(だいご)天皇の代。
  歳次(さいじ):歳星(=木星)のいる次(=宿)の意 〔昔,中国の天文学で,禅天28宿(星座)を分けて12次とし,歳星は1年に1次を移り,12年で天を1周することから〕。 干支とともに用いる。
  乙丑(いつちゅう):きのとうしの年。延喜5年(905年)。
  わたくし共は、言葉には、春の花の艶やかさを欠き、名声すら、寂しい秋の夜長に潜めております。 まして進み出れば、世俗の嘲笑を恐れなくてはならず、退けば、才能、技術の拙さを恥じなくてはなりませんが、‥‥

  たまたま、和歌の中興に遭遇して、わたくし共の道の再び盛んになることを楽しんでおります。 あゝ、人丸は、既に没しました。 ここに和歌は存在しないのでしょうか。

  時に延喜五年、歳次乙丑の四月の十五日、貫之等、謹んで序す。

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    暑い季節には、東京風の干瓢を巻いた海苔巻きが食べたくなりますが、写真に撮るには、少し寂しいので欲をだして、厚焼き卵を巻いたものと、胡瓜と海老のそぼろを巻いたものを添えました。 あるいは干瓢だけの方が良かったかも知れません。

≪海苔巻きの作り方≫
≪干瓢の煮方≫
材料:
干瓢:15g、 味醂:大さじ2、 砂糖:大さじ1、
水飴:大さじ1、 醤油:大さじ1
煮方:
  1. 干瓢を5分ぐらい水に漬け、軟らかくしてから塩もみする。
  2. 水で塩を洗い流し、大目の水で15分ぐらい茹でる。
  3. 爪で切れるぐらいの固さの時、ザルに揚げて水を切る。
  4. 鍋に茹でた干瓢を入れ、水50㏄と、材料の調味料全部を入れ、中火で10分ぐらい、水気がなくなるまで煮る。この時、煮えむらができないよう、つねに箸で干瓢を動かしながら煮る。
  5. 火を止めて、冷めたらできあがり。
≪厚焼き卵の作り方≫
材料:
鱈の切り身:皮を取り除いて70g、 卵:4個、
砂糖:30g、 酒:大さじ2、 味醂:大さじ2、
醤油:小さじ1、 塩:小さじ1/8
作り方:
  1. 切り身を指で探りながら、骨と皮とを丁寧に除く。
  2. 包丁で、固まりがなくなるまで、細かく叩く。
  3. 水さらし:叩いた身を、ボールに取り、水を加えて、よくかき混ぜて、臭みの原因となる水溶性のタンパク質を取り除く。 
  4. ザルで漉しながら、別のボールに移し、残った小骨、筋、皮等を取りのぞく。
  5. 10分間放置してから上澄みを捨て、布巾で漉す。
  6. すり鉢に入れて10分間すり、材料の塩を加えて、更に5分間ぐらいすると、粘りがでてきて、すり身ができあがる。
  7. 更に砂糖を加えてすり、光沢がでてきたら、1個分の卵白を加え、10分間ぐらい、卵白が感じられなくなるまでする。
  8. 殘の3個分の卵白も、1個分づつ加えながら、卵白が感じられなくなるまでする。
  9. 卵黄を全部加えて、滑らかなクリーム状になるまでする。
  10. 殘の調味料の酒、味醂、醤油を加えて混ぜる。
  11. 18㎝ぐらいの型に入れて、180℃のオーブンで20分間焼く。
  12. 型から出して、冷ます。
≪海老のそぼろの作り方≫
材料:
海老:100g、 砂糖:大さじ1、 酒:大さじ1/2、
塩:1つまみ
作り方:
  1. 背わたを除いた殻付きの海老を塩茹でする。 茹で上がりは、沸騰して泡がでてから10秒ぐらいが目安、箸で挟んでみて、堅くなっていれば茹で上がり。
  2. 殻を剥いて、みじん切りする。
  3. すり鉢で、固まりがなくなるまでする。
  4. 鍋に取り、材料の砂糖、酒、塩を加え、数本の箸で混ぜながら、水分が無くなるまで炒りつける。
≪胡瓜の下ごしらえ≫
材料:
胡瓜:1本、 塩:小さじ1
作り方:
  1. 胡瓜に塩をまぶして、手で擦りこむ。
  2. 沸騰した湯に、5秒ぐらい着けて冷水に取り、すぐに水気を拭き取って、色止めする。
≪酢飯の作り方≫
材料:
米:2カップ(10本分)、 千鳥酢:40㏄、
砂糖:10g、 塩:4g、 昆布:5㎝、 
酒:小さじ1
作り方:
  1. 米を洗って、ザルに取り、30分間置く。
  2. 炊飯器に米と材料の昆布、酒を加え、普通の水加減で炊く。
  3. 炊飯器が沸騰してきたら、蓋を開けて昆布を取りだす。
  4. 蒸らしがおわった御飯を、あらかじめ湯に湿した半切り(浅い桶)に取り、材料の酢に材料の砂糖、塩を混ぜたものを振りかけ、杓文字で切るように混ぜながら、団扇で扇ぐ。 団扇で扇ぐのは、水分を手早く飛ばして、飯につやを出すためである。
  5. 濡れ布巾を被せて、御飯が乾燥するのを防ぐ。
≪巻き方≫
作り方:
  1. 一枚の海苔の長辺に包丁を入れ、半分にする。
  2. 巻き簀の上に、海苔を、長辺を手前にして重ねる
  3. 海苔の向こう側に、2㎝ぐらい余白を残して、10等分した御飯を、均等に広げる。
  4. 中頃に、具材を置く。
  5. 海苔と巻き簀の手前側を両手の拇指と人差し指で持ち、他の指で具材を押さえるようにしながら、手前の端と向こうの端とを合せる。
  6. 一回くるりと回転させてできあがり。
では、今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう
  (猿丸神社  おわり)

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