三室戸寺


宇治の平等院から、万福寺へゆく途中に、「三室戸寺(みむろとじ)ここから!」というような看板が立っていますので、グーグルで検索してみますと、「花の寺」で売出そうというのでしょうか、紫陽花と躑躅(つつじ)の名所だということで、ちょうど手持ちの写真も、題材も品切れの折から、花の写真でも撮ってくるか、ということでやって参ったわけですが、料金所を入りますと、早くも何やら赤い物が出迎えております。



赤い山門の柱に、「西国十番 三室戸寺」の表札が懸けられておりますな、‥‥
「望月仏教大辞典」に依りますと、――
   三室戸寺ミムロドジ:山城国宇治郡宇治村三室に在り。又御室戸寺に作り、明星山と号し、天台宗寺門派に属す。寺伝に依るに、宝亀年中禁裏に瑞あり、公文所下司淵宗勅を奉じ、志津川岩淵(当寺の南東約十三町)に来たりて千手観音金像を得、之を奏するに天皇叡感あり、仍りて御室を賜い、行表(一説円珍)をして伽藍を造営せしめ、御室戸寺と号すと云えり。尋いで村上天皇の頃、寛空五間四面堂を建て、康和元年三井隆明住して大に堂舎を建立し、中興開山となる。嘉禄元年十二月園城寺覚実は円珍の影像を安置し、建武元年後醍醐天皇寺領を施入せられ、文明年中、後土御門天皇の勅により寺基を今の地に移し、後明和年中金蔵院忍興諸堂を修理す。徳川時代に聖護院門主は一代一度当山に詣で、一七日を期して護摩を修するを例とせり。現今本堂(千手堂)、阿弥陀堂、不動堂、鐘楼、宝蔵、鎮守社(新羅明神)等あり。寺宝中、木造阿弥陀三尊坐像、同釈迦如来、毘沙門天立像各一躯は国宝に指定せらる。西国三十三所第十番の札所にして賽者多し。又百錬抄第十三、塵添壒囊鈔第十七、扶桑京華志第二、京師巡覧集第七、雍州府志第一、第五、京羽二重第四、山城名勝志第十七、和漢三才図会第七十二、都名所図会第五、西国三十三所名所図会等に出づ。

要するに、この三室戸寺は非常に古い寺で、奈良時代末期に光仁天皇(桓武天皇の父)の勅願に依って創建されたということですが、‥‥ということは、坂上田村麻呂が清水寺を造る以前ということですので、約1240年ほども前のこととなりますな、‥‥望月は、「天台宗寺門派」に属すといっていますが、今は別かれて「本山修験宗」を称しているようです、 天台宗系の修験道を修める寺ということでしょう。



参道からは渓をはさんで、躑躅の花が満開です、‥‥、数基(本?)の妻折り傘を打ち立てて、茶店も、客待ちに余念がありません、‥‥。 こののどかな光景に、長旅の疲れも吹き飛び、老人の足取りは、やや軽みを増してきました。



写真では、表現しきれていませんがが、さすが自慢するだけあって、見応えがあります。 花の好きな方ならば、これ以上は何も望まないでしょうな、‥‥。



参道は、やがて50段ぐらいの石段に突き当たり、それを上ると、人面蛇身の宇賀神とともに、重層入母屋造りの本堂が現われます。 唐破風向拝もよく似合っています。 



本堂の前には、水を張った鉢がいくつも並んでいます。 7月、8月はここに蓮の花が咲いて、「蓮の寺」へと早変わりするのですな、‥‥なかなかお盛んなことで結構です。



本堂の東側には阿弥陀堂(伝:親鸞の父日野有範の墓)、鐘楼、三重塔が見えますが、参詣人の関心はもっぱら縁起物の牛の方に向っています。 口の中の珠に触れると幸運を授かるということでしたかな、‥‥。



本堂の階段前には兔の縁起物も祀られています。 蛇、牛、兔とくれば、‥‥、これは十二支ですかな? 寺のパンフレットにはこれを狛牛、狛兔と呼んでおりましたが、牛の方は写実的、兔の方は抽象的で対をなしておりません、このおおらかさは御住職のお人柄ですかな、‥‥。

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閑話休題、「朝日新聞デジタル 2015年5月9日」に次のような記事がありました、――
国内153の動物園と水族館などでつくる「日本動物園水族館協会」(JAZA、東京都)が、「世界動物園水族館協会」(WAZA、本部・スイス)から会員資格を停止されていたことがわかった。JAZAによると、停止は4月21日付。日本国内の水族館が、和歌山県太地町の追い込み漁で捕獲した野生のイルカを入手していることが問題視されたという。

 JAZAによると、加盟施設のうち、約30の水族館がイルカを飼育。繁殖で増やしたり、漁網にかかったイルカを保護したりするケースもあるが、太地町の漁で捕獲された野生のイルカについても、各地の施設が入手し展示している。追い込み漁は、イルカの群れを入り江に追い込んで捕獲するもので、この漁によるイルカの入手方法が、WAZAの倫理規定に反しているとされた。

勿論、イルカの追い込み猟の残酷さを認めてのことに違いありません。 しかし、この国の人の中には、残酷でないと広言して憚らない人がいます。 又残酷か、残酷でないかは、人の感じ方によるので、敢て残酷だと言うには当らないなどと言う人もいます。 言葉で言いくるめて、それで宜しとするのは、国民性でしょうが、諸外国にとっては、とても通用することではありません。 残酷か、残酷でないかは、言葉の問題ではなく、見れば分ることだからです。 イルカは、よく人にもなつき、とても友好的な動物です。 それを追い詰めて、辺一帯を血の海に変えておきながら、残酷か、残酷でないかは感じ方によると言えば、自ら嘘をついているのか、感じ方が鈍感なのか、いづれかでしかありません。 

この国では、かつて満州国を完全な独立国だと言い張った過去があります。 リットン卿が、せっかく名を捨てて実を取るよう、お膳立てしてくれたのに、満州国を承認せよと言い張って、全世界を敵に回しました。 幼児が、人に分け与えることを知らずに、すべてを独り占めしようとするのと、心根は同じです。

自衛隊を軍隊でないと言い張っていたかと思えば、憲法の改正なくして、戦闘地域に趣かせると言って憚らないようなことも、根は同じことでしょう。 戦闘地域に軍隊が入れば、これは誰から見ても、戦争の当事者に他なりません。 自国の憲法を、ないがしろにして恥じない者など、諸外国の人には、何と思われるのでしょうか、恥ずかしくて顔が上げられません。 上に立つべき者が、率先して法律を破っているようでは、この国の前途は暗澹たるものと思わざるを得ません。

条文の解釈を変えましたなんて言えば、諸外国の人に対して、「わたしは、信用がおけません」、と言っているにも等しいことだと思います。 教養のない者に政治をまかせるなんて、核ボタンをチンパンジーに委ねるようなものですが、省みれば、これを選良として選んだのは、この国の国民自身に他なりません。 この国の人にとって、民主主義は、時期尚早だったということでしょうか、‥‥


「孟子 離婁章句上」中に、このような未来を暗示する文句を見つけました、――
孟子曰:「不仁者可與言哉?安其危而利其菑,樂其所以亡者。不仁而可與言,則何亡國敗家之有?
孟子の曰わく、「不仁の者とは、与(とも)に言うべけんや? 其(そ)の危うきを安しとし、其の菑(わざわい)を利として、其の亡ぶる所以(ゆえん)の者を楽しむ。 不仁にして与に言うべくんば、則ち何んぞ国を亡ぼし、家を敗ることの、之(これ)有らんや。

  (じん):人の人たる所以の理(わけ)。人らしさ。人間的理想を求める志。
  所以(ゆえん):わけ。理由。原因。
  (さい):わざわい。災。

    孟子は、こう言った、――「仁でない者に、何を言えというのか?それが危険であっても、安全だと思い、それが災厄であっても、利益だと思い、そして滅亡の原因となるものを楽しむ。 仁でない者に、何か言うことができれば、はたして滅亡した国や、破産した家が有るだろうか?

有孺子歌曰:『滄浪之水清兮,可以濯我纓;滄浪之水濁兮,可以濯我足。』
有る孺子の歌うて曰わく、『滄浪の水清(す)まば、以(も)って我が䋝を洗うべし。 滄浪の水濁らば、以って我が足を濯(あら)うべし』、と。

  孺子(じゅし):こども。童子。
  滄浪(そうろう):川の名。漢水。
  (けい):助辞。韻文の中間、又は末尾にそえ、一時語勢をとどめて、更に発揚するに用いる。詩歌の余声。
  (えい):冠の紐。

  ――「ある子供がこんな歌を歌っていた、『滄浪の水が清ければ、冠の紐を洗いましょう。 滄浪の水が濁っていれば、わたしの足を洗いましょう』、と。

孔子曰:『小子聽之!清斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』
孔子の曰(のたま)わく、『小子之を聴け!清まば斯(すなわ)ち䋝を濯い、濁らば斯ち足を濯う、自ら之を取るなり』、と。

  小子(しょうし):師が門人を呼ぶ称。弟子。門人。
  (し):ここに、此。すなわち、乃、則。
  (い):語已るの辞。断定の辞。

  ――「孔子は、こう言われた、『弟子よ、よく聴け! 清ければ、それで冠の紐を洗い、濁れば、それで足を洗うと言っているのを、 冠の紐も、汚れた足も、どちらも自分自身で択び取ったことなのだ!』、と。

夫人必自侮,然後人侮之;家必自毀,而後人毀之;國必自伐,而後人伐之。
夫(そ)れ人は、必ず自ら侮(あなど)りて、然(しか)る後、人之を侮る。 家は、必ず自ら毀(やぶ)りて、而(しか)る後、人之を毀る。 国は、必ず自ら伐(う)ちて、而る後、人之を伐つ。

  (ふ):発語の詞。指す所あるの詞。そもそも。
  (ぶ):あなどる。軽々しく扱う。

  ――「そもそも人というものは必ず、先に自分自身を馬鹿にすることがあり、その結果、人に馬鹿にされるのである。 家も必ず、先に自分自身で汚して、その結果、人に汚されるのであり、 国も必ず、先に自分自身で傷つけることがあり、その結果、人に傷つけられるのである。

《太甲》曰:『天作孽猶可違;自作孽不可活。』此之謂也。」
太甲に曰わく、『天の作(な)せる孽(わざわい)は猶(な)お違うべし。 自ら作せる孽は、活(い)くべからず』、と。此れは之の謂(いい)なり。

  太甲(たいこう):書経中の篇名。
  (げつ):わざわい。災。
  (ゆう):なお。それでもまだ。尚。

  ――「『太甲』には、こう言っている『自然の災害は、まだ避けることもできようが、自ら作った災害は、避けようがない』、と。 これはこういう意味なのだ」、と。


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ミニチュアサイズの三重塔は、形もまた美しいとは言えません。 しかし塔は塔ですので、写真には撮っておきましょう、‥‥。



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  京都では6月30日の「夏越しの祓え」には、「水無月」というものを食べるそうですが、美味しそうなので作ってみました。 

  ≪水無月の作り方(15cm角)≫
  <材料>:
葛20g、白玉粉20g、薄力粉80g、砂糖80g、
水250cc、甘納豆60g

  <作り方>:
  1. 葛、白玉粉、薄力粉、砂糖を合せ、水を加えながらよく混ぜ、滑らかになったら、漉し器で漉す。
  2. 生地の50ccを取り置き、残余を流し箱に入れ、中火で10分間蒸す。
  3. 蒸し器より流し箱を取りだして、甘納豆を散らし、取り置いた生地を流し入れ、さらに中火で15分間蒸す。
  4. 冷めたら流し箱より取りだし、三角形に切り分ける。
では、今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  (三室戸寺  おわり)

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