勿論、イルカの追い込み猟の残酷さを認めてのことに違いありません。 しかし、この国の人の中には、残酷でないと広言して憚らない人がいます。 又残酷か、残酷でないかは、人の感じ方によるので、敢て残酷だと言うには当らないなどと言う人もいます。 言葉で言いくるめて、それで宜しとするのは、国民性でしょうが、諸外国にとっては、とても通用することではありません。 残酷か、残酷でないかは、言葉の問題ではなく、見れば分ることだからです。 イルカは、よく人にもなつき、とても友好的な動物です。 それを追い詰めて、辺一帯を血の海に変えておきながら、残酷か、残酷でないかは感じ方によると言えば、自ら嘘をついているのか、感じ方が鈍感なのか、いづれかでしかありません。
この国では、かつて満州国を完全な独立国だと言い張った過去があります。 リットン卿が、せっかく名を捨てて実を取るよう、お膳立てしてくれたのに、満州国を承認せよと言い張って、全世界を敵に回しました。 幼児が、人に分け与えることを知らずに、すべてを独り占めしようとするのと、心根は同じです。
自衛隊を軍隊でないと言い張っていたかと思えば、憲法の改正なくして、戦闘地域に趣かせると言って憚らないようなことも、根は同じことでしょう。 戦闘地域に軍隊が入れば、これは誰から見ても、戦争の当事者に他なりません。 自国の憲法を、ないがしろにして恥じない者など、諸外国の人には、何と思われるのでしょうか、恥ずかしくて顔が上げられません。 上に立つべき者が、率先して法律を破っているようでは、この国の前途は暗澹たるものと思わざるを得ません。
条文の解釈を変えましたなんて言えば、諸外国の人に対して、「わたしは、信用がおけません」、と言っているにも等しいことだと思います。 教養のない者に政治をまかせるなんて、核ボタンをチンパンジーに委ねるようなものですが、省みれば、これを選良として選んだのは、この国の国民自身に他なりません。 この国の人にとって、民主主義は、時期尚早だったということでしょうか、‥‥
「孟子 離婁章句上」中に、このような未来を暗示する文句を見つけました、――
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