やがて、頭上に巨大な懸崖造りの本堂が見えてきました。
前日の雨のせいか、空気が澄んでおりますので、日向と日陰とのコントラストが高く、直射日光を受けた杉の木肌が、白く飛んでおりますが、ご覧のように杉木立に囲まれておりますので、おのずから撮影場所も限られ、構図よりもなによりも、目に入った時の印象で、その興味の趣く先を中心に据えてシャッターを切ると、望みは後のトリミングに託さざるをえません。
本堂の前に到る階段の手すりが、写真に見えておりますが、その階段の途中に絶好のポイントがあるだろうと期待しながら、階段を上りましたが、近づけば近づくほど、被写体は物陰に隠れてしまい、上の狭い庭に到るまで、舞台を支える柱脚が見える以外は、ただ石段と杉木立のみ、上の写真を一枚撮れたのが僥倖に思えてくるほどです。
天平勝宝元年(西暦749年)聖武天皇の勅願、良弁僧正開基の古刹で、この本堂は、その当時に建てられた小仏堂を本にして、時折増広しながら今日に至ったということらしいですが、崖を削った平らな土地に桁行七間、梁間四間の寄せ棟桧皮葺の仏堂を南面して建て、その前に同じく梁間二間の相の間を挟んで桁行九間、梁間四間、寄せ棟桧皮葺の礼堂を懸崖上に置き、そして礼堂を南北に貫くように縦に桧皮葺切り妻破風造りの屋根を掛けたのが現在の状態ですので、この三角の破風が本堂の正面を表わすことになります。仏堂の背面には切り妻破風がないので、鳥の眼になって上から見てみますと、ちょうど『士』という字に似ていることになりますな、‥‥。
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