石山寺


大津近辺の桜の名所といえば、一に三井寺、二に石山寺ということで、先づは二番名所の石山寺へと、開門と同時に仁王門をくぐったのが八時でございます。 満開の桜の枝が参道の上に張り出して風情満点、あたかも老カメラマンを歓迎しているがごとく見えましたが、‥‥

参道脇の塔頭などを覗きながら、しばらく石畳を歩いてゆきますと、やがて期待する心とは裏腹に、写真に撮るほどの枝振りもないまま、道は鬱蒼たる杉林の中へと導いてゆきます、‥‥。



やがて、頭上に巨大な懸崖造りの本堂が見えてきました。
前日の雨のせいか、空気が澄んでおりますので、日向と日陰とのコントラストが高く、直射日光を受けた杉の木肌が、白く飛んでおりますが、ご覧のように杉木立に囲まれておりますので、おのずから撮影場所も限られ、構図よりもなによりも、目に入った時の印象で、その興味の趣く先を中心に据えてシャッターを切ると、望みは後のトリミングに託さざるをえません。

本堂の前に到る階段の手すりが、写真に見えておりますが、その階段の途中に絶好のポイントがあるだろうと期待しながら、階段を上りましたが、近づけば近づくほど、被写体は物陰に隠れてしまい、上の狭い庭に到るまで、舞台を支える柱脚が見える以外は、ただ石段と杉木立のみ、上の写真を一枚撮れたのが僥倖に思えてくるほどです。

天平勝宝元年(西暦749年)聖武天皇の勅願、良弁僧正開基の古刹で、この本堂は、その当時に建てられた小仏堂を本にして、時折増広しながら今日に至ったということらしいですが、崖を削った平らな土地に桁行七間、梁間四間の寄せ棟桧皮葺の仏堂を南面して建て、その前に同じく梁間二間の相の間を挟んで桁行九間、梁間四間、寄せ棟桧皮葺の礼堂を懸崖上に置き、そして礼堂を南北に貫くように縦に桧皮葺切り妻破風造りの屋根を掛けたのが現在の状態ですので、この三角の破風が本堂の正面を表わすことになります。仏堂の背面には切り妻破風がないので、鳥の眼になって上から見てみますと、ちょうど『士』という字に似ていることになりますな、‥‥。



本堂横手の庭まで階段を上ってきますと、奇岩の向こうに多宝塔が見えます。
この岩は石山寺硅灰石という天然記念物で、石山寺の名の由来する所であるというようなことが、立て札に書かれていました。



硅灰石の前に立って、左に振り向きますと、本堂へ上る階段が目に入りますが、本堂自体の様子はどうも判然としません。本堂こそが、今回の眼目だったのですが、どうも困ったことになりそうですな、‥‥。 

本堂の中に入りますと、柱に「交通安全御守 商売繁盛福扇 授与」とか、「安産御守 御腹帯 授与」の貼紙にまじって、「堂内撮影禁止」の制札が貼られていますので、カメラは肩に掛かったままです、‥‥お前は字が読めないのか、いい年こいてなんて顰蹙を買うのはよくございませんでしょう?‥‥腹も立ちますしね、なるべくそういうことは避けるようにするのが宜しうございますな、‥‥。



本堂の裏手の階段をいくつか上りますと、多宝塔の広場に出られます。

悪い癖なんですが、ちょっと横に動いて角度を変えて見れみれば、また新鮮な発見もあるものなんですが、なぜか根が生えたように同じ所から何度も何度もシャッターを切って、それですっかり一仕事済ませた気になるのですね、‥‥まあ心配性なんでしょうね、手ぶれだとか、カメラが傾いていたんじゃないだろうかとか、いろいろありますのでね、‥‥家内から何度指摘されても、治らないんですよ、‥‥、それで十枚ほどもシャッターを切りながら、みんなおんなじですからね、‥‥後から真横の写真がないなあなんて言ってみても始まりません、まあ後の祭りってとこですね、‥‥。



「堂内撮影禁止」の制札が貼ってなければ遠慮なく、‥‥心ゆくまで、‥‥。

それにしても立派な仏さんですな、目もと口もとの爽やかなこと、‥‥デッサンにも狂いがありません、‥‥写実的な仏さんですな、‥‥。薄暗いなかで目にピントを合せるのは大変でしたが、条件の悪いなかで、何とかピントをもってくることができました、‥‥。

光背との関係から、やや左側から撮ったように見えますが、恐らく、向って左側の格子からレンズを差し込んで撮ったせいではないでしょうか、‥‥?。それにしても、仏さんだけ見れば、正面から撮ったようにも見えますな、‥‥どういうことでしょうか、‥‥?。



多宝塔と同じ広場に、松尾芭蕉が仮住まいしたという芭蕉庵とか、崖から完全に張り出した月見亭という建物がありますが、わたくしの低い基準でもってしても、お見せできるような写真が撮れませんでしたので、割愛いたしましょう。芭蕉には石山寺を詠んだ句がいくつかあり、石山寺にはこのような句碑があるそうです、――
石山や石にたばしる霰(あられ)かな
月見亭から桜や椿を愛でながら、山道をぐるっと一回りしますと、本堂の後に出ました。
桧皮葺の屋根に生えた苔の緑が、朝日を浴びて宝石のように輝いていましたが、カメラがよう捉えられなかったようです。何事にも限界はありますのでね、‥‥仕方ないことです、‥‥。写真には前方の礼堂と縦軸の屋根が、わずかに見えていますが、ご覧いただけますでしょうか、‥‥?



桁行七間の仏堂の背面です。ちなみに建築でいう一間は六尺という長さの単位ではなく、柱と柱の間の数をいいますので、一般にその幅はまちまちですが、聞く所に依れば、この本堂の一間は十尺均等だそうで、恐らく珍しいのではないかと思います。

記憶では色がもっと綺麗でしたが、足らない分は皆様方の想像力にお委せしましょう、‥‥。



山道を歩きましたので、だいぶ疲れました。三井寺は次があればということですな、‥‥。

大黒堂の前まできますと、ちょっと腰掛けて休みたい気分になりましたので、中に入ってみますと、入口近くに凡そ等身大の大黒さまが祀られていました、‥‥。



大黒さまは、要するに大国さま、謂わゆる大国主命(おおくにぬしのみこと)ですな、‥‥では歌ってみることにしましょう、‥‥。
 大黒様
     石原和三郎作詞 田村虎蔵作曲
一、
  大きなふくろを かたにかけ
  大黒さまが 来かかると
  ここにいなばの 白うさぎ
  皮をむかれて あかはだか

二、
  大黒さまは あわれがり
  きれいな水に 身を洗い
  がまのほわたに くるまれと
  よくよくおしえて やりました

三、
  大黒さまの いうとおり
  きれいな水に 身を洗い
  がまのほわたに くるまれば
  うさぎはもとの 白うさぎ

四、
  大黒さまは たれだろう
  おおくにぬしの みこととて
  国をひらきて 世の人を
  たすけなされた 神さまよ

印度の大黒天、謂わゆるマハーカーラというのは、破壊の神様で大変恐ろしいものですが、ところ変われば品変わるで、この国に生まれかわると、大変優しい神様となるのでございますが、‥‥芥川龍之介が、「神神の微笑」の中で、「しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです」、と看破したのは、要するにこれだったのですな、‥‥。



ただいま午前10時ちょうど、仁王門の前も、ようやく観光客で賑わってきたようです、‥‥。



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≪土筆のちらし寿司≫
今月は春らしく、「土筆のちらし寿司」を作ってみました。
≪土筆の煮方≫
   袴を取ったら沸騰した湯で軽く茹でてアクを取り、水に少しの醤油とほんの少しの砂糖を加えた汁で煮る。だし汁は野草を味わう上で邪魔となるので使わない。
≪ちらし寿司の作り方≫  省略
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまで御機嫌よう。
  (石山寺  おわり)

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