法華寺



世の中に羨ましき事ども多しといえども、天運に恵まれたるを第一といたしまして、容姿の善悪、頭の良し悪し、文才の有る無し、はては習字の上手下手にいたるまで、羨ましからざるところのなきは、いったい誰の仕業か、何の因果のなせるわざかな等、老人の生涯は、悲嘆に満ち満ちておるのでございますが、今なども、何とか文章をひねりだそうとしておりますものの、脳中虚しく、いっこうに何のおとずれもなく、題材すら思い浮かんできませんので、うむゝゝうなりながらも、世間には印税で暮らしが立つどころか、田園調布に邸宅を構え、ニューヨーク、パリ、ロンドンには高級アパート、スイスや、モナコに別荘、ポルシェ、フェラーリ、ロールスロイス、更には数十億に余る銀行預金を有する人さえあるというのにと、爪を噛んでは己の非才を恨み、指を銜えては他人の成功を嫉んでおるという始末で、作文の方は、ますます身の入らぬことと相なり、哀れさも此に窮まれりとなるのでございますが、‥‥

その印税に係わる中に、特に羨むべきは誰かといいますと、それはそれ彼の作家といわれる方々ではなかろうかと推察する次第でございます。そこでこの作家という職業を、つらつらつぶさに分類してみますと、小説作家、随筆作家、詩文作家、歌謡作家、俳句作家等々、世の中には多士済済、目白押しでございますが、その中でも歌謡という、まるで博奕見たような、当方の途方に暮れるようなものを別に致しますと、最も印税に近いものと致しましては、先ず第一に小説作家、ほぼこれに決まりではないでしょうか。

ではこのわたくしが、小説作家になれるだろうかと考えてみますと、そうは問屋が卸してくれませんで、わたくしにははっきりと、その適性が欠けておるのでございます。要するに人間に対する、飽くなき好奇心と観察眼、これに尽きるのでございますな、‥‥。 推理小説のようなごく身近なものから、純文学と世に言われるものまで、この二点を欠いては、とんと成り立ちません。 では随筆などは何うかといいますと、これにも好奇心と観察眼とは欠かせませんので、対象が人間だろうと、動物、植物、鉱物から数学、理学、文学、哲学に至るまで、好奇心と観察眼とを欠いて、随筆は書けません。   

いくらなんでも、人間、及び万物に関する好奇心と、観察眼とを欠いていては、印税暮らしは到底高嶺の花にしか過ぎず、考えるだけ無駄ということになりますわな、‥‥

ということで、やって参りましたのが、奈良は西大寺からすぐ近くの法華寺、詳しくは法華滅罪之寺でございます。由緒正しき門跡尼寺だということは、土塀の五本線に見てとれますな、‥‥。 小寺とはいえ門の風格はなかなかのものでございます。




受付で拝観料を払おうとしますと、華楽園の方はどうされますか?と聞かれましたので、その華楽園とは何でござりますか?と尋ねますと、花の植わっている庭園でございますと言われますので、じゃあお願いしますとチケットを受取り、まずはその華楽園の入口を入ってみますと、なんとなんと10メートルほどの狭い通路の両側にパンジーかなんかが植わっており、突き当たりの十坪あるかなしかの泥池には立ち枯れた蓮の葉っぱが数本、その他に花らしいものは、何もありません。 いやはや、何とも、彼の帝釈天が戦闘の前に入って闘心をかき立てるという、麁渋園にでも入ったかのごとく、瞋心を懐いたまま華楽園を出たのは言うまでもありません。

受付へ還って、文句を言うっていうのも、あまり見られたものじゃありませんのでネ、強いて平静の様子を保って、本堂へ入りましたが、懐中瞋りを抱いていたのではどうしようもありません、秘仏十一面観音の前立ち模刻のできの悪さばかりが目につきますので、この寺は匆匆と後にすることに致しまして、この寺の裏に在る、海龍王寺に行ったのですが、前の寺よりは多少は見所などもあったと思いますが、この一寺のみなら、敢て奈良まで出てくるまでもないという程度だったのではなかったでしょうか。




前の法華寺の本堂よりは大分小ぶりの本堂に愛らしい仏様が数体祀られておりますので、後ほど御覧いただきましょう。

家内の本棚に、「半眼訥訥(はんがんとつとつ)」という随分変な題名の本が目につきました。 著者は当代随一の論客である高村薫さんです。 その中から「呟きの時代」というを抄出してみましょう。
ひと昔前、家庭に親子電話が普及したと同時に、子供たちの長電話は始まった。次にメッセージを入力出来るポケットベルを持って子供たちは外でたむろするようになり、今や彼らは自分名義の携帯電話を持ち歩く。
(中略)ひるがえって今、彼らは、のべつまくなしに友だちに電話をかけ、際限なく喋り続ける。 さらに、パソコン通信で夜な夜な自分の呟(つぶや)きを発信し続ける。
自分の考えを誰かに聞いてもらいたい欲求は誰にでもあるが、彼らが発するのは、自分の意見ではない。 一人になることが耐えられず、一人でものを考えるのを放棄し、自分の心のありようを言葉にして正確に把握する作業を知らず、あいまいな今の気分を、「かわいい~」 「むかつく~」といった乏しい語彙(ごい)で伝え、一緒に笑い、うなずき合う。 そうして一種の共感や仲間意識を、自分のために確認する。
ほとんど言葉らしい言葉も要らないらしい彼らの会話を聞いていると、仲間うちだけに通用する記号が存在していて、それがコミュニケーションを成立させているのがよく分る。 他人に通じる必要のない内輪の記号は、彼らの仲間意識にとって都合がよく、説明や論理の展開といった面倒な手続きが要らない分、快適でもあるのだろう。 しかしまた、彼らはこうした仲間意識が虚しいことを、どこかで気づいている。 だから、彼らは今度は手紙を書いたり、電子メールを発信する。
そこでは、自分の気分を表現することで、とりあえず意見らしい体裁が整うのだが、客観的な比較検討や分析を加えられていないその正体は、依然として気分であり、個人の呟きの披見に過ぎない。 そのことを、彼らが当分意識することはないのだろうと思うのは、この社会と時代が、彼らの呟きとまったく同じありようをしているからだ。
物事の客観的な把握や判断ではなく、感情的で直感的な評価に満ちているこの社会は、たとえば 「人間は孤独だ」といった気分はあるが、それ以上の分析も解決も持たない。 「どうせ政治なんて」という気分はあるが、状況の正確な理解を放棄して一歩も前進しない。 発展性のない個人の気分や感覚に留まったまま、言葉を費やして思考を重ねるという作業がないこの社会で、子供たちは人間や物事に向ってアンテナを伸ばすこともなく携帯電話で喋り続け、ものを考えるという大事な作業の第一歩を踏み出さないまま、大人になっていく。 現に、かつて長電話を覚えた世代が今、ネットという虚空に群がり、またもやせっせと内輪の記号を紡ぎ出している。
永田町はもちろん、霞ヶ関も兜町も企業も家庭も個々人も、他人の分析や評価に耐えない、稚拙な呟きの時代に堕して久しい。
「読売新聞」 一九九八年八月一三日 

わたくしは、先ほど「好奇心」と「観察眼」をあげましたが、大分不足しておりましたな、
「客観的な比較検討や分析」、「物事の客観的な把握や判断」、‥‥
わたくしに不足していたのは、これだったんですね、やっぱりなあ、‥‥。





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本堂を出ますと、右手に厩舎のような建物が見えます。 
五重の塔の模型が祀られています。
札に「国宝五重小塔」とありますので、多分国宝なのでしょう。




しかし、パソコンなんてものも、ちょっと検索とかする分にはいいけれども、なんだかそわそわしていますのでネ、‥‥じっくり思考する分には、あまり向いていないように思えるのですが、どうでしょうかね、‥‥。 その便利さの、いかにも現代的なところは、疑ってかかるべきだと思うのですが、小中学校でパソコン教育なんていうのは、なんかお門違いのような気がしてなりません。

朱熹の「小学」から、「外篇第五嘉言」を読んでみましょう、――

呂氏童蒙訓曰,今日記一事,明日記一事,久則自然貫穿。 今日辨一理,明日辨一理,久則自然浹洽。 今日行一難事,明日行一難事,久則自然堅固渙然冰釋,怡然理順。 久自得之。 非偶然也。
呂氏童蒙訓に曰わく、今日一事を記し、明日一事を記して、久しければ則ち自然に貫穿す。今日一理を辨じ、明日一理を辨じて、久しければ則ち自然に浹洽す。今日一難事を行い、明日一難事を行いて、久しければ則ち自然に堅固なり。渙然として氷釈し、怡然として理順すること、久しければ自ら之を得。偶然には非ざるなり。

  呂氏童蒙訓(りょしどうもうくん):呂本中の著作。呂本中は宋の人。好問の子。原名は大中。字は居仁。諡は文清。官は提挙太平観。学者、東莱先生と称す。詩は黄庭堅・陳師道の句法を学ぶ。著に春秋解・童蒙訓・師友淵源録・東莱博議・紫微詩話がある。
  (き):記憶する。
  貫穿(かんせん):貫通して理が明らかになる。
  (べん):是非を判別する。
  浹洽(しょうこう):普く道理に適うこと。
  渙然(かんぜん):疑問がさらりと解けるさま。
  氷釈(ひょうしゃく):氷が溶ける。
  怡然(いぜん):心の安らかなさま。
  理順(りじゅん):筋道が通ること。

呂氏童蒙訓には、こう言っている、――
今日、一事を記憶し、
明日、一事を記憶したならば、
長い間には、
自然に道理が明らかになる。
今日、一理を理解し、
明日、一理を理解したならば、
長い間には、
自然に道理に適うようになる。
今日、一難事を行い、
明日、一難事を行うならば、
長い間には、
自然に意志が堅固になる。
疑問を、
氷が溶けるように、
解かしながら、
心を、
安らかにして、
筋道を通し、
長い間に、
自然に、
会得するのであって、
道理は、
期せずして、
得られるものではない。

前軰嘗說,後生才性過人者,不足畏。 惟讀書尋思推究者,爲可畏耳。 又云,讀書只怕尋思。 蓋義理精深,惟尋思用意,爲可以得之。 鹵莾厭煩者,決無有成之理。
前輩嘗説すらく、後生の才性の人に過ぐる者は、畏るるに足らず。惟だ読書し尋思し推究する者のみを、畏るべしと為すのみ。又、読書するに只だ、尋思を怕ると云うは、蓋し義理の精しく深まればならん。惟だ尋思するに意を用いて、以って之を得べしと為さんのみ。鹵莾にして煩を厭う者は、決して之を成すの理有ること無し。

  前輩(ぜんぱい):前に連なる部分。
  嘗説(しょうせつ):試みに説く。
  後生(こうせい):後に生まれる者。先生の対。
  才性(さいせい):才能と素質。
  尋思(じんし):道理を尋ねて思いをこらす。
  推究(すいきゅう):推理して道理を窮める。
  (じ):のみ。ただそれのみ。
  (はく):恐れる。
  精深(せいしん):くわしくふかい。
  鹵莾(ろもう):粗末。おろそか。
  厭煩(えんはん):わずらわしいことをいやがる。

前の連文に、こうも説いている、――
後生の、
才能と性質が、
人に過ぐれた者であっても、
恐れるには足りない。
ただ、
読書して、
道理を、
広く尋ねて思い、
深く求めて窮める者だけが、
恐れられる、と。
又、
こう言っているが、――
読書して、
広く尋ねて思う者を、
恐れる、と。
恐らく、
意義や道理が、
精緻になり、
理解が深まるからであろう。
ただ、
読書して、
道理を、
広く尋ねて思い、
深く求めて窮める者だけが、
之を会得するのであって、
粗忽者が、
面倒を、
厭いながら、
成功するという、
理由は決してない。



「呂氏童蒙訓」もちょっとだけ、覗いてみましょう、――
楊應之學士言:“後生學問,聰明強記不足畏,惟思索尋究者為可畏耳。”
楊応之学士の言わく、「後生の学問の、聡明強記は畏るるに足らず。惟だ思索し、尋究する者を畏るべしと為すのみ」、と。

  楊応之(ようおうし):宋の張耒?。淮陰の人。字は文潜。官は太常少卿、後、穎、汝二洲の長官。詩文に巧。著に両漢決疑・詩説・宛丘集がある。
  学士(がくし):高官碩儒を寵遇して授与した称号。
  強記(きょうき):記憶がよい。

楊応之学士は、こう言った、――
後生の、
学問で、
聡明とか、
強記とかは、
畏れるに足りない。
ただ、
道理を、
思索したり、
広く尋ねて窮める者のみが、
畏れられる、と。

伊川先生言:“人有三不幸:少年登高科,一不幸;席父兄之勢為美官,二不幸;有高才,能文章,三不幸也。”
伊川先生の言わく、「人に三の不幸有り、少年にして高科に登るは、一の不幸なり。父兄の勢に席(よ)りて美官と為るは、二の不幸なり。高才有りて、文章を能くするは、三の不幸なり」、と。

  伊川先生(いせんせんせい):宋の程頤の尊称。頤は嵩県の西北の把楼山麓伊川の流域に居ったので、世人は伊川先生という。
  高科(こうか):高い位。
  (せき):よる。因。
  美官(びかん):立派な官職。

伊川先生は、こう言っている、――
人には、
三つの、
不幸がある。
一には、
若年にして、
高い位に登る。
二には、
父兄の権勢により、
立派な官職に就く。
三には、
高い才能があって、
文章が上手なことである、と。


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≪クリーム・コロッケの作り方:2人分≫
  1. ≪ベシャメル・ソースを作る≫
    ≪材料:≫
    バター:20g、薄力粉:20g、牛乳:200cc、
    コンソメ顆粒:一つまみ、
    ナツメッグ、塩、胡椒:少々
    ≪作り方:≫
    1. 鍋にバターを溶かす
    2. 薄力粉を加えて、弱火で混ぜる
    3. 約4~5分で腰が抜けるので、火を止める
      (腰が抜ける:急に手応えがなくなる)
    4. 冷たい牛乳を、いっきに加える
    5. 中火で混ぜながら、沸騰するまで熱する
    6. コンソメ、ナツメッグ、塩、胡椒を加える
    7. 火を止める
  2. ≪具材を炒める≫
    ≪材料:≫
    玉ねぎ:中1/4個、ハム:30g、バター:5g、
    塩、胡椒:少々
    ≪炒め方:≫
    1. 玉ねぎをみじん切りする
    2. ハムは5mm立方に切る
    3. フライパンにバターを溶かす
    4. 玉ねぎを中火で透明になるまで炒める
    5. 玉ねぎ以外の具材を加えて少し炒める
  3. ≪具材を混ぜる≫
    1. ボール等にベシャメル・ソースと炒めた具材を入れる
    2. よく混ぜてバットに取り、平らにする
    3. 約2時間、冷蔵庫で冷やす
  4. ≪バッター液を作る≫
    ≪材料:≫
    卵:1/2個、薄力粉:15g、牛乳:20cc
    ≪作り方≫
    上記の材料を箸かフォークで混ぜる
  5. ≪成形≫
    1. 冷蔵庫から、コロッケの生地を出す
    2. 手を水で濡らしながら、8等分して俵型にする
    3. バッター液に浸して、パン粉をまぶす
    4. 冷蔵庫で、次の準備が整うまで冷やす
  6. ≪トマト・ソースの作り方≫
    ≪材料:≫
    玉ねぎ:1/4個、ベーコン:1枚、
    トマトジュース(無塩):200cc、
    オリーブ・オイル:適宜
    塩、胡椒:少々
    ≪作り方≫
    1. 玉ねぎとベーコンをみじん切りにする
    2. オリーブ・オイルでベーコンを炒める
    3. 玉ねぎを加えて炒める
    4. トマト・ジュースを加える
    5. 約5分間、中火で煮詰める
    6. 裏ごしして、塩、胡椒で味をととのえる
  7. ≪揚げる≫
    ≪材料:≫
    揚げ油:コロッケの高さ+3cm以上
    ≪揚げ方≫
    1. 揚げ油を170℃ まで熱する
    2. キツネ色になるまで揚げる
    3. 付け合わせのパセリを揚げる
    ≪注意≫
    1. 浮き上がってくるまで、手を触れない
    2. 温度が下がらないよう、2~3個づつぐらいを一度に揚げる
    3. 材料には、ほとんど火が通っているので、好みの焼き色が付けばできあがり
  8. ≪盛りつけ≫
    1. 皿の中央にコロッケをおく
    2. 掲げたパセリを飾る
    3. トマト・ソースを周囲に注ぐ
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまで御機嫌よう
  (法華寺  おわり)

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