西大寺


    お馬鹿なナビの導くがままに24号線を北上し続けたあげく、あやうく京都にでも入ろうかという頃、これはひょっとしたら名神にのって、備前岡山の西大寺へ行こうとしているのじゃないかな? とやっと気がついたというのはいかにもオソマツでしたが、自らの粗忽を棚に上げ、いったい奈良にいながら、なんで岡山を目指さなくちゃならないんだと、腹を立てながらも、どうにかたどり着いたのが、備前ならぬ大和は奈良の西大寺、近辺の般若寺、元興寺、福智院、不空院、白毫寺、海龍王寺、不退寺、浄瑠璃寺・岩船寺、宝山寺、長弓寺等の有名寺院を多数統括する真言律宗の総本山ですな。


     聖武天皇御願の東大寺と、称徳天皇勅願の西大寺とを以って、都の東西の両端におき、鎮護国家のよすがと為さんとの図式は奇しくもはずれまして、両寺とも幾多の兵火を得て潰滅の危機にさらされましたが、不思議にも、その都度不死鳥のごとく蘇ったのであります。 しかし寺勢まで同じとはいかなかったようで、優劣を互いに異にして、現在に至りますと、片や東方は大仏の威力を以って繁昌し、満員の観光バスが列を連ぬれば、此方西方は僅かに巨塔の石檀を残すのみ、観光客にも観光バスにも見放されて、広い境内も、妙にこざっぱりとしております。


   しかし東大寺の大仏殿には及ばないながらも、本堂が桁行七間梁間五間、屋根は本瓦葺寄棟三間向拝と、なかなか堂々たる外観を誇っているのは、総本山の威光でしょうか、その中に擁する仏像達も国宝、重文級で、中々見応えがあります。

   この古寺が称徳天皇勅願だとは、すでに申しあげた通りですが、しかし、称徳と聞いて思い出されるのは、次のような川柳ではございませんでしょうか、‥‥
   道鏡は坐ると膝が三つ出来
   称徳は崩御崩御とみことのり
   威き辺に対して甚だ不敬の至り、真に畏れ多いことですが、称徳天皇と道鏡とが世に言われるような愛人関係にないことは、「逆説の日本史(伊沢元彦)」の中で明確な証拠を出して、審らかに証明されていますので、これを言ったところで、口の罪は極めて軽いものです。

   そこで、何故わたくしが、このような不敬罪を犯すに至ったのか、その理由ですが、世の中は、はっきり悪い方へ向っております。 愚かな政治家と、それを後押しをする愚かな国民という、戦前の治安維持法と、それを影で支える大政翼賛会に比すべき極めて憂慮すべき関係が、今はっきりと見て取れるからです。

   今では「風評被害」ということばが、日常的に聞こえてきます。 大多数の国民にとって、「風評被害」を与えるようなことは、いけないことだという共通した認識ができてしまったからでしょう。 少々の不便には目をつむって、その取り締まりを容認したということです。 しかし、これは国民統制が非常に容易にかなうことになり、知らず知らずのうちに、何も口にできないまま、屠所へ引かれる羊状態となる図式だと知らなくてはなりません。

   先頃、フランスの「シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)紙」が、イスラム原理主義者によって襲撃を受けました。 「被害者意識」の極めて高じた結果です。 言論を統制しようという考えが、為政者にも国民にも共通して起るのは、このような事をきっかけとするものです。

   大震災の年のことです、テレビから次のようなテロップが流されました、――
   怪しいお米セシウムさん
   汚染されたお米セシウムさん
   番組製作に係るスタッフが、テスト用のテロップをうっかり本番で流したということでした。
   このせいで、番組は中止に追い込まれました。
   このスタッフも仕事を止めなくてはならなくなったということです。

   しかし、このスタッフは自分の心に有るものを、誤って流したのみであって、人を詐ったわけではありません。 もし罪があったとしても非常に軽いものです。 それに反して、誰に扇動されたのか、国民の非難は想像を絶するものでした。 「風評被害」という言葉が、立派に「レゾンデートル」を確立した瞬間です。 これ以後、放射能のことは、口に出すのさえ憚られるようになりました。

   物には、原因と結末があり、それを賢く見つめる必要があります。 今わたくし達の容認した、「風評被害」ということばが、将来どのように、働きを増していくのか、非常に気になります。

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   日本人のジャーナリストが「イスラム国」と称する過激派集団に拘束されたのを受けて、安倍首相はヨルダンへ飛びました。 「イスラム国」に属する女性が、現在ヨルダン側に自爆テロ事件に係わる実行犯として捕われていますので、日本人と交換しようという提案が、何等かのルートを通して「イスラム国」より、安部首相に対して出されたものと思われます。

   安倍首相の行動は、自国の民を見捨てないという意志を現わしたものとして、評価されるべきものでしょうか? はたして全世界の何処の国に捕われている囚人でも、日本人を以ってすれば容易に交換できると思わしめるということにはならないのでしょうか? 日本国民は今後とも、安全を享受できるのでしょうか? 日本人は全世界の何処にでも見かけられますが、自国に居てさえ、誘拐の危険なしと言えないことは、北朝鮮の例を以ってすれば、容易に分ることです。 いかなる小国であれ、そのような提案は無視されるものと決まっていたのではないでしょうか? 何故ならば、それだけが自国の民を護るための唯一の手段だからです。

   ヨルダン国王は、シリアで撃墜されて拘束されている自国のパイロットを優先すると明言されました。 安倍首相は、自国に於けるセンチメンタルな名声のみを慮って他国の迷惑を顧みなかったのではないでしょうか? ヨルダンは親日的であったそうですが、今後も親日的であってくれるでしょうか?

   愚かな先導者に導かれて、奈落の淵に赴く愚かな国民、この前の大戦は、このような図式でした。 しかしセンチメンタリズムは、この国の国民性です、いくら言ってみたって、何とかに付ける薬と同じことですかな、‥‥

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   文殊菩薩の若さみなぎるお顔もよろしいが、背中に乗っかられて困っているような獅子の表情も、なかなかよろしいように思いますな、‥‥、非常に写実的だと言うべきでしょう。 はてどうすればよいのか? 皆様もごいっしょに考えてみませんか?

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  アルゼンチン赤海老というのをスーパーで見かけましたので、試しに天丼にしてみました。 お正月の車海老というわけにはいきませんが、それなりに使えそうです。 海老の頭と殻は、煮出してスパゲッティのソースにしました。 こちらは文句なしです。
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
  (西大寺  おわり)

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