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平等院


  平等院の修理が完成したというような記事を新聞紙上に見たのは、つい最近の事でございますが、わが茅屋も寄る年波には勝てず、台所の床がふわついたりして、忍び足で歩いているようなありさま、それがこの頃では床の沈み込みいよいよ劇しくして、身の危険すら感ずるようになりましたので、やむをえず大工を入れることにしたのですが、そうなると困るのがわたくしの身の置き場というような訳で、不本意ながら家を家内に明け渡して、木賃宿に泊まりながらの寺社見物、まずはなにはともあれ塗り立ての鳳凰堂などはいかが、ということに相成りましたのが、上の写真でございます。

  8時30分の開門には、まだ少し間がありますが、門の前にはすでに老若取り合わせて、善男善女の行列ができております。やはり身の置き所に困っていらっしゃるのでしょうかネ、‥‥。



  急いては事をし損ずるという格言もありますが、写真の場合は先んずれば人を制すの格言を優先すべきでしょう、人の来ないうちに好いポジションを見つけてカメラに収めることにこそ勝敗の分かれめがあります。

  ということで人をかき分けかき分け、絶好のポジションめざして走ったのですが、後に続く者は誰もおりません、これは変だぞ?と最前の門の方を眺めてみますと、門内にもう一つの切符売り場があり、皆はその前に並んでいます、本尊の阿弥陀仏の拝観券は別に求めなくてはならず、その窓口がまだ開いていないという訳ですな、‥‥。

  さて、鳳凰堂の方に目を転じてみますと、池に朱塗りの柱が映っています、「観無量寿経」を読まれた方ならば、もうお気づきだと思いますが、極楽の地面はガラスのように透き通っており、宝石造りの八角柱がその地面を支えているのでしたね、この建物を造った人の心も、そこに在ったということなんでしょうな、‥‥。

  老人も、この光景を前にして、思わず善導の偈文を口ずさんでおったのでございます、‥‥。


觀彼彌陀極樂界  廣大寬平眾寶成  四十八願莊嚴起  
超諸佛剎最為精  本國他方大海眾  窮劫算數不知名  
普勸歸西同彼會  恒沙三昧自然成

彼の弥陀の極楽界を観るに、広大寛平にして衆宝成ず、
四十八願の荘厳起りて、諸の仏刹を超え最も精(くわ)しと為す。
本国と他方との大海衆は、劫を窮めて算数して名すら知らず、
普く勧む西に帰して彼の会に同ぜよ、恒沙の三昧は自然に成ぜん。

彼の弥陀の極楽界を観てみよう、――
広大で真っ平らだろう!
多くの宝石で成っているが、
四十八の大願が荘厳したもので、
諸仏の国土にも、これを超える美しさはないのだ!
本国は勿論、
他方の国土からも、大海衆が集まり、
劫を窮めて数えたって、
数の名すら知れないほどなんだ!
普く皆に勧めよう、――
西方の弥陀の国土に帰して、
彼の大会に合同しよう!
恒河の沙(すな)の数にも等しい、
無数の三昧が自然に成るので、
有らゆることが自在になるのだから。


:極楽界(ごくらっかい):界は世界、領域の意。極楽は阿弥陀仏の建立した浄土の名称。此の世界から見て西方に在るという。
:四十八願(しじゅうはちがん):阿弥陀仏が菩提心を発した時、このように理想の国土を建立したいと四十八の大願を発したことに依る。
:荘厳(しょうごん):厳正に飾り立てること。
:仏刹(ぶっせつ):仏国土に同じ。
:大海衆(だいかいしゅう):衆川の海に集まるが如き大衆。
:窮劫(ぐうこう):無数の劫。劫は天地生滅の時間単位。
:恒河沙(ごうがしゃ):ガンジス河の砂。無数の譬喩。
:三昧(さんまい):心を一の目的に統一して散乱させないこと。
地下莊嚴七寶幢  無量無邊無數億  八方八面百寶成  
見彼無生自然悟  無生寶國永為常  一一寶流無數光  
行者傾心常對目  騰神踊躍入西方

地下の荘厳は七宝の幢、無量無辺無数億なり、
八方八面百宝成じ、彼の無生を見て自然に悟る。
無生の宝国永く常たり、一一の宝に無数の光流る、
行者心を傾けて常に対目し、騰神踊躍して西方に入れ。

地下には、
無量無辺無数億の、
七宝の幢(宝柱)があり、
地上を掲げている。
幢は、
八方八面を百宝が荘厳するが、
無生であり、
誰かが造ったものではない。
人は、
この無生の幢を見て、
自然に悟るのだ。
この国は、
幢どころか、何から何まで、
皆、無生の宝国であり、
永久に変わることなく、存在し、
一一の宝より、無数の光が流れでている。
行者よ!
心を傾けて、常に目を向け、
時が来たらば、心を騰(おど)らせ、
踊躍して、西方の国に入れ!


:幢(どう):装飾された八角の柱。或いは柱状の旗。
:極楽の瑠璃の地は透徹している。瑠璃は青色の宝石。
:無生(むしょう):因縁により生じたものでなく常に在ることをいう。
地上莊嚴轉無極  金繩界道非工匠  彌陀願智巧莊嚴  
菩薩人天散華上  寶地寶色寶光飛  一一光成無數臺  
臺中寶樓千萬億  臺側百億寶幢圍

地上の荘厳転た極無く、金縄道を界(かぎ)るは工匠に非ず、
弥陀の願智は荘厳巧みにして、菩薩の人天華を上に散ず。
宝地は宝色宝光飛び、一一の光は無数の台を成ず、
台中の宝楼千万億にして、台の側に百億の宝幢囲めり。

地上の荘厳は、
目を転ずれば、極まり無く、
金の縄が、地上を区切っている!
金の縄は、工匠が区切るのではない、
弥陀の願智が、巧みに荘厳したのだ!
人、天の、
菩薩が、華を地上に散らしている!
宝地には、宝色と宝光とが飛びかい、
一一の光は、無数の台を成している!
台の中には、千万億の宝楼があり、
台の側には、百億の宝幢が囲んでいる。


:願智(がんち):願と智慧。
一一臺上虛空中  莊嚴寶樂亦無窮  八種清風尋光出  
隨時鼓樂應機音  機音正受稍為難  行住坐臥攝心觀  
唯除睡時常憶念  三昧無為即涅槃

一一の台は虚空中に上り、荘厳せる宝楽も亦た窮無し、
八種の清風は光を尋ねて出で、随時の鼓楽は機音に応ず。
機音の正受は稍(やや)難しと為す、行住坐臥心観を摂し、
唯だ睡時を除きて常に憶念せよ、三昧の無為なるは即ち涅槃なり。

一一の台が、
虚空中に上ると、
宝の楽器で荘厳され、
窮まりが無い!
夜明の光が出た、――
八種の清風が、光を尋ねて出る時、
機音(衆生の声)に応じて、鼓が鳴った!
機音は、
やや、聞き取り難い!
行住坐臥、心の観るものを取りしまり、
ただ、眠る時を除いて常に憶念せよ!
何もしない、
三昧中の無為こそ、涅槃なのだ!


:宝楽(ほうがく):宝石の楽器。
:八種の清風(しょうふう):八方より吹く清らかな風。
:機音(きおん):機は教導すべき衆生の意。人の声。
:無為(むい):何も為さないことをいう。
:涅槃(ねはん):最高の楽。
寶國寶林諸寶樹  寶華寶葉寶根莖  或以千寶分林異  
或有百寶共成行  行行相當葉相次  色各不同光亦然  
等量齊高三十萬  枝條相觸說無生

宝国の宝林の諸の宝樹は、宝華と宝葉と宝の根茎となり、
或いは千宝を以って林を異に分け、或いは百宝の共に行を成す有り。
行と行とは相当り葉は相次ぎ、色は各々不同にして光も亦た然り、
量等しく高斉(ひと)しく三十万、枝と條とは相触れて無生を説く。

宝国の、
宝林の、諸の宝樹は、
宝華と、宝葉と、宝の根と茎!
或いは、
千の宝で、
林を分けて異にし、
或いは、
百の宝が、
共に並木を成している。
並木の、
列と列とが、互いに触れあい、
葉と葉とが、互いに続いている。
並木の、
色は、各々同じでなく、
光も、各々同じではないが、
量と高さとは、等しく三十万由旬だ!
枝と小枝とは、
互いに触れて、妙音を出し、
無生を説いている。


:由旬(ゆじゅん):約10km。古代印度の距離の単位。
:極楽は楼閣、楼台より、諸樹に至るまで衆宝の成す所。



  絶好のポイントの次は、やはり正面も押さえておきたいものですが、‥‥。
  真新しい朱の色も、やはり押さえておきたいポイントの一つでしょうな、‥‥。
  幸運でしたな、‥‥これが見られて、‥‥、
  生憎の雨催いですが、あまり欲を言っても罰が当るといけませんからな、‥‥。

  

七重羅網七重宮  綺互回光相映發  化天童子皆充滿  
瓔珞輝光超日月  行行寶葉色千般  華敷等若旋金輪  
果變光成眾寶蓋  塵沙佛剎現無邊

七重の羅網と七重の宮、綺(あや)なして互いに光を回し相映発す、
化天の童子皆充満し、瓔珞の光を輝かすこと日月に超ゆ。
行と行と宝葉の色千般にして、華の等しく敷くこと旋金輪の如し、
果は光に変じて衆宝の蓋と成り、塵沙の仏刹の現ずること無辺なり。

七重の羅網(真珠の網)と、
七重の宮殿とは、
綺(あや)をなし、
互いに、光を迴らして、
互いを、映し出している。
神力で化作した、
天の童子たちが、皆充満し、
童子の瓔珞の光は、日月を超える。
並木と並木との、
宝の葉の、色は種種千般、
華は地に、等しく降り敷き、
金輪を、旋回するようだ!
果は、
光に変じて、衆宝の蓋と成り、
蓋の中に、無数無辺の仏国を現す。


:羅網(らもう):結び目の各々に真珠を編んだ網。
:化天(けてん):極楽の天類、鳥類等は皆仏の化作する所。
:瓔珞(ようらく):宝石を列ねた胸飾り。古代印度の宝飾品。
:衆宝蓋(しゅぼうのがい):種種の宝で成る所の天蓋。
:塵沙(じんじゃ):全世界の塵と砂の数。無数の譬喩。
寶池寶岸寶金沙  寶渠寶葉寶蓮華  十二由旬皆正等  
寶羅寶網寶欄巡  德水分流尋寶樹  聞波睹樂證恬怕  
寄言有緣同行者  努力翻迷還本家

宝池と宝岸と宝の金沙と、宝渠と宝葉と宝の蓮華と、
十二由旬皆正等なる、宝羅と宝網と宝の欄巡と。
徳水は分流して宝樹を尋ね、波を聞き楽を睹て恬怕を証す、
言を有縁の同行者に寄せん、努力して迷を翻じ本家に還れと。

四方に等しく十二由旬の、
宝の池と、宝の岸、宝の金沙、
宝の渠(ほり)と、宝の葉と、宝の蓮華。
功徳の水は、
分かれ流れて、宝樹を尋ねる、
波が聞こえ、楽が見える!
安らぎを、心から納得するだろう。
有縁の同行者に言葉を寄せよう、――
努力して、迷いを翻し、
本来の、家に還れ!


:徳水(とくすい):功徳ある水。人を幸せにする水。
:尋宝樹(ほうじゅをたずぬ):宝樹を求める。水は樹木を尋ねるものに非ず、不可思議なりと極楽を歎じて言う。
:聞波(もんぱ):波を聞く。波は聞く所に非ず、不可思議なり。
:睹楽(とらく):楽を見る。楽は見る所に非ず、不可思議なり。
:証恬怕(てんぱくをしょうす):安らかなことを確信する。
:有縁(うえん):見聞の縁ある者。
一一金繩界道上  寶樂寶樓千萬億  諸天童子散香華  他方菩薩如雲集  無量無邊無能計  稽首彌陀恭敬立  風鈴樹響遍虛空  歎說三尊無有極
一一の金縄もて道を界れる上には、宝楽の宝楼の千万億ありて、
諸の天の童子は香華を散らす。他方の菩薩は雲の如く集まり、
無量無辺にして能く計る無き、弥陀を稽首し恭敬して立つ。
風鈴樹響虚空に遍く、三尊を歎説して極有ること無し。

金縄の道で区切られた、
一一の、区画の上には、
千万億の、宝の楽と宝の楼閣があり、
諸の天の童子たちが、香華を散らしている。
他方の国土より、
数知れぬ、無量無辺の菩薩が、
雲のように、集まって、
弥陀に稽首し、恭しく立っている。
風鈴と樹木の響が、
遍く虚空に満ち、
弥陀、観音、勢至の三尊を讃歎して、
極まることが無い。


:界道(かいどう):道で区切られた区画。
:稽首(けいしゅ):首を地に著ける礼法。
:三尊(さんぞん):極楽の三人の尊者。弥陀、観音、勢至。



  仏様との対面は、なんでも20分ごとの入れ替え制だということですが、どうやら第一陣が入ったものと見えますな、‥‥。



  一応、世間の写真集にあるようなのは、皆押さえておきませんとね、‥‥

  何だか、建築現場みたいな気がしますな、どうやらポジションを間違えたようですね、‥‥。
  平安時代の貴族ですからな、建物の裏手まで入って来られるはずがありません。ナールホド了解いたしました、‥‥。



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  いいお顔をしていらっしゃいますな、‥‥
  全力を尽くしたお顔は、やはりこうでなくてはなりませんわな、‥‥
  極楽という、憂えや、悲しみ、苦しみのない完璧な世界を完成されたんですからな、‥‥
  やり残したところは何もない、というお顔ですよ、これは‥‥
  われわれも、是非こうありたいものでございます、‥‥。



彌陀本願華王座  一切眾寶以為成  臺上四幢張寶縵  
彌陀獨坐顯真形  真形光明遍法界  蒙光觸者心不退  
晝夜六時專想念  終時快樂如三昧

弥陀本願の華王の座、一切衆宝を以って成ぜらる、
台上の四幢に宝縵を張り、弥陀独り坐して真形を顕す。
真形の光明法界に遍く、光の触るるを蒙る者は心不退に、
昼夜六時に専ら想念し、終時の快楽は三昧の如し。

弥陀の本願の、
華王(蓮華)の座は、
一切の衆宝で、成っている。
台上の四幢には、
宝縵(宝の垂れ幕)を、張り巡らせ、
弥陀が、独り坐して、
真形(真の姿)を、顕している。
真形の光明は、
法界を、遍く照し、
光に、触れた者は、
心が、不退となり、
昼夜六時に、専ら想念して、
命終の時には、三昧のような快楽を得る。


:本願(ほんがん):仏の過去世に於ける浄土建立の大願。
:法界(ほっかい):経験的世界。世俗的世界。世間。
:昼夜六時(ちゅうやろくじ):昼に三度、夜に三度の意。
:終時(じゅうじ):命の終の時。命終の時。
彌陀身心遍法界  影現眾生心想中  是故勸汝常觀察  
依心起想表真容  真容寶像臨華座  心開見彼國莊嚴  
寶樹三尊華遍滿  風鈴樂響與文同

弥陀の身心法界に遍く、影を衆生の心想中に現す、
是の故に汝に勧む常に観察し、心に想を起すに依り真容を表せ。
真容の宝像華座に臨めば、心開きて彼の国の荘厳を見る、
宝樹の三尊に華遍満し、風鈴楽響文と同じなり。

弥陀の身心は、
法界に遍在し、
衆生の心想中に影を現す。
是の故に、
あなたに勧めるのだ、――
常に観察して、心想を起し、
弥陀の、真容(真の姿)を表せ!
真容の宝像が、
蓮華の座に臨むと、
心が開いて、
彼の国の荘厳が見えてくる。
宝樹の下の、
三尊に、満開の花が散りかかり、
風鈴と、鼓楽の響が応じる!
経文にあるのと、同じだ。


彌陀身色如金山  相好光明照十方  唯有念佛蒙光攝  
當知本願最為強  六方如來舒舌證  專稱名號至西方  
到彼華開聞妙法  十地願行自然彰

弥陀の身色は金山の如く、相好の光明は十方を照す、
唯だ念仏の光の摂するを蒙る有り、当に知るべし本願を最も強しと為す。
六方の如来舌を舒べて証す、専ら名号を称えて西方に至れ、
彼に到れば華開きて妙法を聞き、十地の願行自然に彰かなり。

弥陀の、
身色(身形)は、金色の山のようだ!
相好(容貌)の、光明は十方を照し、
相好を、念じる者のみが光の功徳を蒙る!
知るがよい!――
本願こそが、最強なのだ!
六方の如来が、舌を舒(の)べて保証されている!
専ら、
名号を称えながら、西方に至れ!
彼の国に到れば、華が開いて、
妙法が、聞こえてくる!
仏と成る為の、願や行は、
自然に、明らかになるはずだ!


:金山(こんせん):金色の山。
:相好(そうごう):仏の容貌に存する好もしい特徴。
:六方如来(ろっぽうのにょらい):東西南北上下方に無数の国土を領する諸の仏。
:舒舌証(じょぜっしょう):婆羅門神話に基づく証明のしかた。舌を伸ばして額の生え際に達する者は嘘を吐かないの意に依る。



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  平等院から3kmほど行きますと、黄檗(おうばく)山万福寺に出ますが、その門前の白雲庵という精進料理の専門店でお昼を食べることにしました。これはその中の一品ですが、大変美味であったとだけお伝えしておきましょう。皆様も宇治近辺へお越しの節は、是非お立ち寄りくださいませ。
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
(平等院  おわり)