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唐招提寺



唐招提寺(とうしょうだいじ):大和国生駒郡都趾村五條に在り。又招提寺、唐律招提寺、或いは建初律寺、建初律招提寺、鎮護国家金光明建初律唐招提寺とも号す。南都七大寺の一。十五大寺の一。律宗総本山なり。初め天平勝宝六年唐僧鑑真来朝するや、聖武天皇深く御帰依あり、東大寺に於いて親しく菩薩大戒を受け給い、七年二月師の為に禁中右辺の新田部親王の旧地を賜い、精舎を営み建初律寺と号せり。是れ当寺の濫觴なり。然るに其の工未だ竣らざるに天皇崩ぜられたるを以って、造営一時中止せしも、孝謙天皇は先帝の遺志を継ぎ、天平宝字元年勅して藤原高房を以って経営の司となし、金堂等の工を起し、三年八月に至りて成る。時に孝謙天皇唐招提寺の勅額を賜い、之を山門に懸け、又備前国水田一百町、同国平田十三町、越前国水田六十町を供料として施入せらる。即ち同月二十五日勅して大殿前に戒壇を築かしめ、天皇、上皇及び后妃百官等登壇受戒し、尋いで戒壇を金堂の西に移し、九月堂宇落成す。仍りて天下に詔して出家たる者は先づ当寺に入りて戒律を習学し、後自宗を学ぶべしと宣せられたるに依り、学徒蝟集し、講律受戒頗る盛んなり。時に又孝謙天皇は平城宮朝集殿を賜うて当寺の講堂となし、藤原仲光及び清河等は各亦家屋を施捨して房舎を造立し、寺基四町に亘り、紺殿朱閣甍を並べ、別に又四十八院を西山に搆え、緇徒三千常に学窓に居る。四年詔して聖武天皇の奉為に梵網会を啓かしめ、七年鑑真入滅し、宝亀六年播州の戸五十烟を下賜せらる。(以下省略)[望月仏教大辞典]



  月末間近ともなりますと、どこやらの国に同じく自転車操業、種も写真も尽きておりますので、そこをなんとかしなければなりませんが、あいにくの台風が、直撃を免れたとはいえ、すぐ近くまで来て、隙あらばこそとばかりに、こちらをうかがっております。

  しかたありませんなあ、‥‥と大雨の中、台風一過に期待しましょう、さてどこへ行こうか、どこの写真を撮ろうかと思案致しておりますところへ、何度修理してもなおらない雨漏りが、ぽたりぽたりと天井裏に鳴りだしますと、まもなく雨水が畳の上にしたたり落ちてまいります。もうこれは赤貧もここに至れりというところですな、‥‥。

  ということで、秋晴れの碧空を背景にして、老人が写真を撮っておりますのは、皆様ご存知にして、修学旅行の定番、律宗の総本山なる、彼の鑑真和尚の唐招提寺なのでございます。

  律宗というのは、この国に初めて渡来した仏教は大乗でしたので、余り知らない者の誤解から大乗の僧侶は、小乗的自利のみを追い求める窮屈な戒律を必要としないという、かってな思い込みを生じるようになり、僧俗の間が極めて乱れて参りましたので、その故に、規律正しい、誰からも尊敬される僧侶を養成する必要があり、戒律に詳しい、南山律宗の高僧鑑真を、唐の揚州大明寺より招聘して始められたものですが、鑑真の来朝するに当り、非常なる困難を排して来られたことは、世間にも広く周知のところでございましょう。


  有名な金堂は桁行7間、梁間4間の寄せ棟造り、本瓦葺きの堂々たる建物で、梁間中央の2間を内陣にあて、後1間を後陣として、前1間を軒に当てるという独特の構造と、正面に8本ならんだ列柱は、この建物を、ひときわ特徴あるものとしております。

  堂内の低い須弥壇上には、八尺等身の四天王、及び梵天、帝釈の六像の間に、丈六の巨大な仏像を三体安置し、西から千手観音、盧舎那仏、薬師如来の威容を、広い空間一杯に現して、この寺が並の寺でないことを示しています。


  堂内は桁行に比べて、梁間方向に極端に狭いので、中で儀式を行うようにはできておりません。儀式は前庭で行われていたのでしょう。

  狭い中庭を挟んで、後に見えるのが講堂です。


  金堂が、塔に同じく寺のシンボル的存在だとすれば、講堂は寺の実践的存在だと言えます。この中では、多くの僧侶たちが、律の研鑽に励んでいたのではないでしょうか。

  「律」というのは、僧侶が規律正しい生活を送り、俗人に後ろ指をさされないようにするためのものですから、何もなければそれでよし、何か起れば一戒を立てるということで、必要に応じて立てられたものの集成が、総じて二百五十戒、及びそれに付随した僧侶の生活の規則等を纏めたもの、これを「律」と言っているのですが、それを研究することにより、釈尊当時の僧団のありさまを、脳裏に彷彿として見ることができます。

  「律」にも多くの種類がありますが、律宗では「四分律」というものを行っており、至って読みやすいものですので、短くて分りやすいところを一つ読んでみましょう。

爾時世尊在曠野城。時六群比丘自相謂言。我等在上座前不得隨意言語。即出房外在露地。拾諸柴草及大樹株然火向炙。時空樹株中有一毒蛇。得火氣熱逼從樹孔中出。諸比丘見已皆驚怖言。毒蛇毒蛇。即取所燒薪散擲東西。迸火乃燒佛講堂。
爾の時、世尊は、曠野城に在せり。時に六群比丘、自ら相謂って言わく、「我等は、上座の前にては、随意に言語するを得ず。」と。即ち坊外に出で、露地にて、諸の柴草、及び大樹の株を拾いて火を然(もや)し、向かいて炙れり。時に空なる樹株中に一毒蛇有り、火気の熱の逼るを得て、樹孔中より出づ。諸の比丘、見已りて皆驚怖して言わく、「毒蛇なり、毒蛇なり。」と。即ち焼く所の薪を取り、東西に散擲するに、迸火、乃(すなわ)ち仏の講堂を焼けり。

  曠野城(こうやじょう):釈尊在世時、摩竭陀国と憍薩羅国との中間の大曠野に在りし小城をいう。
  六群比丘(ろくぐんびく):釈尊在世時、非威儀事を行ぜし六人の比丘をいう。二百五十戒中実に一百五十戒が、六群比丘の非威儀に由り制せられたりと伝えられる。
  上座(じょうざ):比丘となって、二十年~四十九年を過ぎた者。
  (ざい):に。にて。に於いて。
  随意(ずいい):意のままに。
  語言(ごごん):はなすこと。
  (ぼう):房舎。住居。
  露地(ろじ):屋外。
  驚怖(きょうふ):おどろきおそれる。
  散擲(さんじゃく):まき散らす。
  迸火(ひょうか):ほとばしる火。
世尊が、
曠野城に居られた時のことである。
六群比丘は、
「俺たちは、上座の前じゃあ、自由に話せないからな」と言い、
房外に出ると、露地に柴草や、大樹の切り株を集めて、
火を燃やし、身体を炙っていたが、
樹の空洞の中に、一匹の毒蛇が居り、
熱気に逼られて、洞孔から出てきた。
六群比丘は、
皆驚き怖れて、「毒蛇だ、毒蛇だ」と言いながら、
火の着いたままの薪を取り、四方に放り投げて、
火を迸(はし)らせたので、仏の講堂が焼けてしまった。
諸比丘聞。其中有少欲知足行頭陀樂學戒知慚愧者。嫌責六群比丘言。汝等云何自相謂言。我等在上座前不得隨意言語。出房外拾諸草木大樹株在露地然火向空。樹孔中有毒蛇出。驚怖取所燒薪。散擲東西。使迸火乃然佛講堂耶。爾時諸比丘即往世尊所。頭面禮足在一面坐。以此因緣具白世尊。
諸の比丘聞く、其の中の有る少欲知足にして、頭陀を行じ、戒を学ぶを楽しみ、慚愧を知る者、六群比丘を嫌責して言わく、「汝等、云何が、自ら相謂って、我等は上座の前にては、随意に言語するを得ずと言い、房外に出でて諸の草木、大樹の株を拾い、露地にて火を然して向い、空樹孔中に、毒蛇有りて出づるに、驚怖して焼く所の薪を取り、東西に散擲し、火を迸(はし)らしめて、乃ち仏の講堂を然すや。」と。爾の時、諸の比丘、即ち世尊の所に往き、頭面に足を礼して一面にて坐し、此の因縁を以って、具(つぶ)さに世尊に白(もう)す。

  小欲知足(しょうよくちそく):欲を少くして、足るを知る。
  頭陀(づだ):乞食行。
  慚愧(ざんき):自分、及び他人に対して恥じる。
  嫌責(けんしゃく):憎んでせめる。譴責。
  頭面礼足(づめんらいそく):頭頂に相手の足を受ける礼法。
  在一面坐(ざいいちめんざ):壁の一面に於いて坐す。壁を背にしてすわる。
諸の比丘が、
これを聞いた。その中の小欲知足で、乞食を行じ、
戒を学ぶのを楽しみ、慚愧することを知る者は、
六群比丘を嫌責して、こう言った、――
「お前たちは、どういう訳で、
俺たちは、上座の前では、
自由に物が言えないからなと言って、房外に出ると、
露地に、草木や大樹の切り株を集めて、火を燃やし、
樹の洞の中より、毒蛇が出ると、驚き怖れて、
薪を火の着いたまま、四方に放り投げて、火を迸らせ、
仏の講堂を焼いてしまったのだ?」と。
そして、
諸の比丘は、
世尊の所へ往き、頭面に仏の足を礼して、一面に坐すと、
この因縁の一部始終を、世尊に話した。
世尊爾時以此因緣集比丘僧。呵責六群比丘言。汝所為非。非威儀非沙門法非淨行非隨順行。所不應為。云何六群比丘自相謂言。我等在上座前不得隨意言語。出房外拾諸草木大樹株。在露地然火向。有毒蛇出。驚怖取所燒薪散擲東西。使迸火燒佛講堂耶。
世尊、爾の時、此の因縁を以って、比丘僧を集め、六群比丘を呵責して言わく、「汝等が為す所は非なり。威儀に非ず、沙門法に非ず、浄行に非ず、随順行に非ず、応に為すべからざる所なり。云何が、六群比丘、自ら相謂いて、我等は、上座の前にては、随意に言語するを得ずと言い、房外に出でて諸の草木、大樹の株を拾い、露地にて火を然して向い、毒蛇の出づる有りて、驚怖し、焼く所の薪を取りて、東西に散擲し、火をして迸らしめ、仏の講堂を焼けるや。」と。

  比丘僧(びくそう):地域中の比丘の全体。
  呵責(かしゃく):しかりせめる。
  (ひ):正しくない。
  威儀(いぎ):威厳ある立ち居振る舞い。
  沙門法(しゃもんぼう):出家としての軌範。
  浄行(じょうぎょう):清浄な行為。
  随順行(ずいじゅんぎょう):従順な行為。
世尊は、
そこで、この因縁を以って、僧団中の比丘を集め、
六群比丘を呵責して、こう言われた、――
「お前たちの、
行為は、正しくない。
威儀に欠け、沙門らしさにも欠ける。
清浄な行為でなく、従順な行為でもない。
為すべきでないことを、為したのだ。
「六人の比丘が、
いったい、どんな理由で、
俺たちは、
上座の前では、自由に話ができないと言って、
房外に出て、露地に草木や、大樹の株を集め、
火を燃やしていたところ、毒蛇が出てきて、
驚き怖れて、薪を火の着いたまま四方に投げ捨て、
火を迸らせて、仏の講堂を焼いてしまったのか?」と。
世尊爾時以無數方便呵責六群比丘已告諸比丘。此癡人多種有漏處最初犯戒。自今已去與比丘結戒。集十句義乃至正法久住。欲說戒者當如是說。若比丘。為自炙故露地然火若教人然波逸提。如是世尊與比丘結戒。
世尊は、爾の時、無数の方便を以って、六群比丘を呵責し已(おわ)り、諸の比丘に告げたまわく、「此の癡人は、多く、有漏の処に最初の犯戒を種(う)えたるに、今より已去、比丘の与(ため)に結戒し、十句義を集めて、乃至正法を久住せしめん。説戒せんと欲する者は、当に是の如く説くべし、若し比丘にして、自ら炙らんが為の故に、露地に火を然し、若しは人に教えて然さしめば、波逸提なり。」と。是の如く、世尊は比丘の与に結戒したまえり。

  方便(ほうべん):譬喩等を用いた巧みな説法。
  有漏処(うろじょ):煩悩を生じる処。苦を招く事。
  犯戒(ぼんかい):戒をおかすこと。持戒の対語。
  結戒(けっかい):戒をむすぶ。戒を制定すること。
  自今已去(じこんいこ):今より以後。
  十句義(じっくぎ):十種のことば。十種の制戒の目的。
  1. 僧侶を取りまとめる。
  2. 僧侶を喜ばせる。
  3. 僧侶を楽にする。
  4. 信者でない者を、信じさせる。
  5. 信者をして、益々信じさせる。
  6. 調えて屈伏しがたい者を、調えて従順にする。
  7. 慚愧する者は、楽になることができる。
  8. 現在の煩悩を断つ。
  9. 未来の煩悩を断つ。
  10. 正法を永久にとどめる。
  正法久住(しょうぼうくじゅう):正法を永久にとどめる。
  (じゅう):あつめる。コレクション。
  説戒(せっかい):半月ごとに地域の比丘をすべて集めて、その前で戒を読み上げること。
  波逸提(はいつだい):軽罪の名。一人乃至三人の比丘を求めて、その前に於いて罪を懺悔すれば、滅罪する。
世尊は、
その時、
無数の譬喩を説いて、
六群比丘を呵責されると、
諸の比丘に、こう告げられた、――
「この癡人(たわけ)は、
多くの、
煩悩の畑に、
苦の種を蒔き、
いつも、
最初に、
戒を犯しておる。
今からは、
比丘のために、戒を結び、
十句義の、
一に、僧侶を取りまとめるより、
十に、正法を永久にとどめるに至るまで、
一一を、集めることにしよう。
説戒する者は、
こう説くがよい、――
もし、
比丘が身体を炙る為に、
露地に火を燃やし、
もしくは、
人に命じて、
燃やさせたならば、
この罪は、
波逸提である!」と。
世尊は、
このように、
比丘のために、
戒を結ばれた。
爾時病比丘。畏慎不敢自然火不教人然。比丘白佛。佛言。聽病比丘露地然火及教人然。自今已去當如是說戒。若比丘無病為自炙故露地然火教人然者波逸提。如是世尊與比丘結戒。
爾の時、病比丘、畏れ慎んで、敢(あえ)て自ら火を然さず、人に教えて然さしめず。比丘の、仏に白(もう)すに、仏の言わく、「病比丘の、露地に火を然し、及び人に教えて然さしむることを聴(ゆる)す。今より已去、当に是の如く、説戒すべし、若し、比丘、病無くして、自ら炙らんが為の故に、露地に火を然し、人に教えて然さしめば、波逸提なりと。」と。是の如く、世尊は、比丘の与に結戒したまえり。

  (ちょう):ゆるす。聴許。許可。
  病比丘(びょうびく):病んだ比丘。
ある時、
病比丘が、
戒を畏れ慎んで、
火を燃やして、身体を温めず、
人にも、火を燃やすよう命じなかった。
ある比丘が、
仏に、
その事を告げると、
仏は、
こう言われた、――
病比丘が、
露地に火を燃やしたり、
人に命じて燃やさせたりして、
身体を炙ることを許可する。
今より、
説戒しようとする者は、こう説け、――
もし、
無病の比丘が、
露地に火を燃やしたり、
人に命じて燃やさせたりして、
身体を炙れば、波逸提である!と」。
仏は、
このように、
比丘のために、
戒を結ばれた。
爾時諸比丘。欲為諸病比丘煮粥若羹飯。若在溫室若在廚屋若在浴室中。若熏缽若染衣若然燈若燒香。諸比丘皆畏慎不敢作。佛言。如是事聽作。自今已去當如是說戒。若比丘無病。自為炙故在露地然火若教人然。除時因緣波逸提。
爾の時、諸の比丘は、諸の病比丘の与に、粥、若しくは羹、飯を煮、若しくは温室にて、若しくは廚屋にて、若しくは浴室中にて、若しは鉢を熏じ、若しは衣を染め、若しは灯を然し、若しは香を焼(た)かんと欲するも、諸の比丘は、皆畏れ慎んで、敢て作さず。仏の言わく、「是の如き事を作すを聴す。今より已去、当に是の如く説戒すべし、若し比丘にして、病無く、自ら炙らんが為の故に、露地にて、火を然し、若しくは人に教えて然さしめば、時の因縁を除いて、波逸提なり。

  羹飯(こうぼん):あつもの。湯に味をつけ肉と野菜とを煮た者をいう。
  時因縁(じいんねん):人為にては云何ともすべからざる因縁。
その時、
諸の比丘は、
諸の病比丘のために、
粥や、羹(あつもの)や、飯を煮たり、
若しくは、
温室や、廚房や、浴室中にて、
鉢を燻蒸したり、衣を染めたり、灯を燃やしたり、
香を焼(た)いたりしていたが、
諸の比丘は、
戒を畏れ慎んで、
それをしなくなった。
仏は、
こう言われた、――
「そのような事を許可する。
「今より、
説戒しようとする者は、こう説け、――
もし、
無病の比丘が、
身体を炙る為に、
露地にて、火を燃やしたり、
人に命じて、燃やさせたりして、
事宜に適った、
理由が無ければ波逸提である!
比丘義如上。病者若須火炙身。若比丘無病。為自炙故在露地然火。若然草木枝葉紵麻芻麻。若牛屎糠糞掃[麩-夫+戈]。一切然者波逸提。
比丘の義は、上の如く、病者なれば、若しは火を須(もち)いて身を炙らん。若し比丘にして、病無きに、自ら炙らんが為の故に、露地にて火を然し、若しくは草木、枝葉、紵麻、芻麻を然し、若しくは牛屎、糠、糞掃[麩-夫+戈]、一切を然さば、波逸提なり。

  比丘義(びくのぎ):比丘の宜しき所。
  紵麻(ちょま):からむし。麻に似た長い繊維をもつ植物の名。
  芻麻(しゅま):麻に似た植物の名。芻はまぐさ、ほしぐさをいう。
  牛屎(ごし):牛の糞。燃料の名。
  糞掃[麩-夫+戈](ふんぞうよく):糞を掃除する籾殻。
「比丘の、
宜しき所とは、以上のように、
病者ならば、火で身を炙ることもあろう。
「もし、
無病の者が、身を炙る為に、
露地にて、草木や、枝葉、紵麻、芻麻、
もしくは、牛屎、糠、籾殻の、
一切を燃やす者は、波逸提である。
若以火置草木枝葉麻紵牛屎糠糞掃[麩-夫+戈]中然者一切波逸提。若被燒半燋擲著火中者突吉羅。若然炭突吉羅。
若し、火を以って、草木、枝葉、紵麻、牛屎、糠、糞掃[麩-夫+戈]中に置きて、然さば、一切は波逸提なり。若し焼かれて、半ば燋げたるを、火中に擲著せば、突吉羅なり。若し炭を然さば、突吉羅なり。

  擲著(ちゃくじゃく):投げ入れる。
  突吉羅(とっきら):軽罪の名。一比丘の前に於いて罪を懺悔すれば、滅罪する。波逸提より軽い。
「もし
火を、草木、枝葉、紵麻、牛屎、糠、籾殻中に、
燃やした者は、一切が波逸提である。
「もし、
焼かれて、半燋げの草木、枝葉等を、
火中に投じた者は、突吉羅である。
「もし、
炭を然した者は、突吉羅である。
若不語前人言汝看是知是者突吉羅。比丘尼波逸提。式叉摩那沙彌沙彌尼突吉羅。是謂為犯。
若し前の人に語りて、「是れを看よ、是れを知れ」と言わざれば、突吉羅なり。比丘尼は波逸提なり。式叉摩那、沙弥、沙弥尼は突吉羅なり。是れを謂いて、犯と為す。

  知是(ちぜ):これを知れ。相手にそれと言わずに、了解を促がす。
  看是(かんぜ):これを看よ。知是より、強く促がす。
  式叉摩那(しきしゃまな):女性は十八歳に満たざる者は、十八歳より二十歳に至る二年間の見習い期間を経て比丘尼となり、十八歳を越えたる者も、また二年間の見習い期間を経て比丘尼となる、その二年間の見習い期間をいう。
  沙弥(しゃみ):比丘を志して、二十歳に満たざる者をいう。
  沙弥尼(しゃみに):比丘尼を志して、二十歳に満たざる者をいう。
  (ぼん):犯戒。戒を破ること。
「もし、
前の人に、
お前は、
是れを看よ!
是れを知れ!と言わなければ、
比丘は、突吉羅であり、
比丘尼は、波逸提である。
式叉摩那、沙弥、沙弥尼は突吉羅である。
「これが、
戒を、犯すということである。
不犯者。語前人言看是知是。若病人自然教人然。有時因緣看病人為病人煮糜粥羹飯。
不犯とは、前の人に語りて、「是れを看て、是れを知れ。」と言う。若しは病人にして、自ら然す、人に教えて然す、時の因縁有る。看病人の、病人の為に糜、粥、羹、飯を煮る。

  糜粥(みじゅく):かゆ。
「戒を犯さないとは、
前の人に語って、こう言うことである、――
是れを看よ!
是れを知れ!と。
「もしくは、
病人が、
自ら火を燃やすか、
人に命じて燃やさせる。
「もしくは、
理由が有って、
看病人が、病人の為に、
粥や、羹や、飯を煮ることである。
若在廚屋中若在溫室中若在浴室中。若熏缽若煮染衣汁然燈燒香一切無犯。無犯者。最初未制戒。癡狂心亂痛惱所纏
若しは廚屋中にて、若しは温室中にて、若しは浴室中にて、若しは鉢を熏ずる、若しは染衣汁を煮る、若しは灯を然す、香を焼く、一切は無犯なり。無犯とは、最初にして未だ制戒せざる、癡、狂、心乱、痛悩に纏わるるなり。

  無犯(むぼん):犯に相当する行為がない。
  (ち):愚人。
  (ごう):狂人。
  心乱(しんらん):心が乱れる。
  痛悩(つうのう):甚だしきなやみ。
「もし、
廚房や、温室や、浴室中に、
鉢を熏したり、染衣の汁を煮たり、
灯を灯したり、香を焼いたりすることは、
一切が、無犯である。
「無犯とは、
最初から、制戒されていないか、
もしくは、
癡人、狂人、心が乱れた人、
酷い悩に、纏われている人である。




  六群比丘が、またやってくれましたな、‥‥実は六群比丘のお蔭で、「四分律」を読むのを楽しんでいるのです。

  唐招提寺では、先づ第一に金堂、次に講堂、次に鑑真和尚の廟、次に宝物殿、次に戒壇、これぐらいは1~2時間で回れますので、次には門を出て、南に500メートル下り、薬師寺に行くことにしましょう。

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  北の唐招提寺から来ると、後から講堂に入り、講堂を出て、これまた後から金堂に入るということになりますが、これは金堂の後から講堂の正面を見たところです。

  薬師寺は、度重なる火災と戦火により、有名な三重塔一基を残して、皆焼けてしまいましたのですが、近年写経勧進をもって浄施を集め、昔の様式で種種の堂塔が再建されることになりました。



  各階毎に二重の屋根を戴き、まるで竜宮城のような華麗さですな、‥‥。金堂の東端の入口より、西塔を眺めたところです。

  台風に怖れをなしたのか、観光客が少なくてたいへん結構でした。



  馬鹿とけむりは、高い所が好き、‥‥。広い庭があれば、こんな塔を一つ起てて、世間を睥睨してみるというのも、なかなか興味深いものがありますな、‥‥。息が切れますから、エレベーターを付けてね、‥‥。



  これぞ正しく乙姫様の宮殿楼閣、どうせなら前庭を石畳にせず、芝生を敷いてはどうでしょうかね、‥‥。緑と朱色の対比が、さぞ美しかろうと思うのですが、‥‥。

  右側は東塔のはずですが、ただいま工事中で、覆屋が懸けられていますので見ることができません。何十年も前に、まだ何もなく、仏足石なんかがそこらに転がっているような、廃墟じみた中に、ただこの塔だけが青空を背景にして起っているのを見たことがあります、あの景色をもう一度見てみたいような気がしてきましたな、‥‥。

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  今日は、広い境内をてくてく歩いて非常に疲れました。
  そんな時、簡単にできてぴりりと辛く、食欲が湧くものといえば、スパゲッティのオリーブ・オイル和えがぴったりですな、‥‥ではそれを作ってみましょう、‥‥。


《スパゲッティのオリーブオイル和えの作り方》
  1. オリーブ・オイルでニンニクの薄切りを色が付くまで炒めて、香りをオイルに移してから、ニンニクを取り出す。
  2. マッシュルーム、ほうれん草、鷹の爪を適量、適当な大きさに切り、オリーブ・オイルで炒め、その中にゆで汁を約100cc加えて火を止める。
  3. たっぷりの湯に1%の塩を加えて沸騰させ、スパゲッティを茹でる。袋に記載された茹で時間は、食卓に上るまでの時間であるから、約1分を差し引いた時間を心がけるのがよい。
  4. 茹で上がったスパゲッティを熱いまま、オイルの鍋に移して、少し和えてできあがり。手早く皿に盛り、余分な火を加えないこと。
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
(唐招提寺  おわり)