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竹生島


  月の下旬に入りますと、毎度のことながら、このコラムの題材に苦慮し、アルツハイマー気味の頭を絞るということになりますが、八月とくれば水ときて、老人の乏しい連想力では、もはや水以外の何者も浮んでくることはありません。

  水とくれば海水浴、海、川というのは、お若い方のこと、湖、島、寺社迴り、これが老人の連想の致す所、自然の力には逆らえず、早朝七時頃に着いたのが、琵琶湖畔長浜の港、竹生島観光の遊覧船は九時出発ということで、二時間ほどの余裕があります。琵琶湖の沿岸付近をうろうろしながら、竹生島の遠景などを写真に撮っておりますと、やがて時間となりまして、定員の三分の一ほどの人々と共に乗船し、三十分間のクルーズを経て竹生島に上陸しました。



  野に放たれたる猟犬のごとく、老人はカメラ片手に、階段を上下し、島内の撮影に余念がありません。古い観光の地では、小さな龍神の祠(ほこら)さえ風格と余裕があります。



  やがて、とある角をくるりと曲がりますと、なんとさながら謡曲の「竹生島」そのままではありませんか、‥‥。
  小さな祠の中には、弁才天女様がいらっしゃいまして、御神酒が供えられております。
  下手な説明よりも、「竹生島」をお読みいただいた方がよろしいでしょう、‥‥

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  竹生島

ワキ 廷臣  大臣烏帽子・袷狩衣・白大口
ワキツレ 従身(二人) 大臣烏帽子・袷狩衣・白大口
ツレ 小面・唐織
シテ 老人 浅倉尉・絓水衣・小格子厚板
アイ 社人 能力頭巾・縷水衣・括袴
後ツレ 弁才天 小面・天冠・長絹・白大口
後シテ 龍神 黒髭・赤頭・龍載・法被・半切

ワキ・ワキツレ登場。
ワキ・ワキツレ:〽竹に生まるる鶯の、竹生島詣(もうで)急がん。
ワキ:「そもそもこれは延喜の聖主に仕え奉る臣下なり。さても江州竹生島の明神は、霊神にて御座候う間、君に御暇(おんいとま)を申し、ただいま竹生島に参詣仕り候。
ワキ・ワキツレ:〽四の宮や、河原の宮居末早き、河原の宮居末早き、名も走り井の水の月、曇らぬ御代に逢坂の、関の宮居を伏し拝み、山越近き志賀の里、鳰(にお)の浦にも着きにけり、鳰の浦にも着きにけり。
ワキ:「急ぎ候うほどに、鳰の浦に着きて候。あれを見れば釣船の来たり候。しばらく相待ち、便船を乞わばやと存じ候。
ワキツレ:「しかるべう候。

ツレ・シテ舟に乗りて登場。
シテ:〽面白や頃は弥生の半ばなれば、波もうららに湖(うみ)の面(おも)、
シテ・ツレ:〽霞みわたれる朝ぼらけ。
シテ:〽のどかに通う舟の道、
シテ・ツレ:〽憂き業(わざ)となき、心かな。
シテ:〽これはこの浦里に住み馴れて、明け暮れ運ぶ鱗(うろくず)の、
シテ・ツレ:〽数を尽くして身一つを、助やすると侘人(わびびと)の、隙(ひま)も波間に明け暮れぬ、世を渡るこそ物憂けれ。
シテ・ツレ:〽よしよし同じ業ながら、世に越えけりなこの湖の、
シテ・ツレ:〽名所(などころ)多き数々に、名所多き数々に、浦山かけて眺むれば、志賀の都花園(はなぞの)、昔長等(ながら)の山桜、真野(まの)の入江の舟呼(ふなよ)ばい、いざさし寄せて言問わん、いざさし寄せて言問わん。

ワキはシテ・ツレに問いかけ、問答する。
ワキ:「いかにこれなる舟に便船申そうのう。
シテ:「これは渡りの舟とおぼしめされ候うか。御覧候え釣舟にて候うよ。
ワキ:「こなたも釣舟と見て候えばこそ便船とは申せ。これは竹生島に初めて参詣の者なり。〽誓いの舟に乗るべきなり。
シテ:「げにこの所は霊地にて、歩みを運び給う人を、とかく申さば御心にも違い、または神慮もはかりがたし。
ツレ:〽さらばお舟を参らせん。
ワキ:「うれしやさては誓いの舟、法(のり)の力と覚えたり。
シテ:〽今日はことさらのどかにて、心にかかる風もなし。
地謡:〽名こそささ波や、志賀の浦にお立ちあるは、都人(みやこびと)かいたわしや。お舟に召されて、浦々を眺め給えや。

ワキ上船。
地謡:〽所は湖の上、所は湖の上、国は近江の江に近き、山々の春なれや、花はさながら白雪の、降るか残るか時知らぬ、山は都の富士なれや、なお冴えかえる春の日に、比良(ひら)の嶺(ね)おろし吹くとても、沖漕ぐ舟はよも尽きじ。旅のならいの思わずも、雲居のよそに見し人も、同じ舟に馴れ衣、浦を隔てて行くほどに、竹生島も見えたりや。
シテ:〽緑樹影(かげ)沈んで、
地謡:〽魚(うお)木にのぼる気色(けしき)あり、月海上に浮んでは、兎も波を走るか、面白の島の気色や。

舟着く。一同舟を下りる。
後見は、舟の作り物をかたづける。
シテ:「舟が着いて候。御上がり候え。この尉(じょう)が御道しるべ申そうずるにて候。(社殿の作り物に向い)これこそ弁才天にて候え。よくよく御祈念候え。
ワキ:「承り及びたるよりもいやまさりてありがたう候。ふしぎやなこの所は、(ツレへ向き)女人結界とこそ承りて候うに、あれなる女人は何とて参られて候うぞ。
シテ:「これは知らぬ人の申し事にて候。かたじけなくも九生如来の御再誕なれば、ことに女人こそ参るべけれ。
ツレ:〽のうそれまでもなきものを。
地謡:〽弁才天は女体にて、弁才天は女体にて、その神徳もあらたなる、天女と現じおわしませば、女人とて隔てなし、ただ知らぬ人の言葉なり。
地謡:〽かかる悲願を起こして、正覚年(とし)久し。ししつうおう(師子通王)のいにしえより、利生さらに怠らず。
シテ:〽げにげにかほど疑いも、
地謡:〽荒磯島の松蔭を、たよりに寄する海人(あま)小舟(おぶね)、われは人間にあらずとて、社壇の扉を押し開き(ツレ作り物へ入る)、御殿に入らせ給いければ、翁も水中に、入るかと見しが白波の、立ち帰りわれはこの湖の主(あるじ)ぞと言い捨てて、また波に入らせ給いけり。

アイ(社人)登場。
アイ:「かように候う者は、江州竹生島の天女に仕え申す者にて候。さるほどに国々に霊験あらたなる天女あまた御座候。なかにも隠れなきは、安芸の厳島、天の川、箕面(みのお)江ノ島、この竹生島、いづれも隠れなきとは申せども、とりわき当(とう)島の天女と申すは、隠れもなき霊験あらたなる御事にて候う間、国々在々所々より信仰いたし、参り下向の人々はおびただしき御事にて候。それにつき、当今に仕え御申しある臣下殿、今日は当社へ御参詣にて候う間、われらもまかり出で、御礼申さばやと存ずる。いかに御礼申し候。これは当島の天女に仕え申す者にて候うが、ただいまの御参詣めでとう候。さて当社へ初めて御参詣の御方へは、御宝物を拝ませ申し候うが、さようの御望みはござなく候うか。
ワキ:「げにげに承り及びたる御宝物にて候。拝ませて賜り候え。
アイ:「畏(かしこ)まって候。やれやれ一段の御機嫌に申し上げた。急いで御宝物を拝ませ申さばやと存ずる。(腰桶の蓋に入れた宝物を取り出す)これは御蔵の鍵にて候。これは天女の朝夕看経なさるる御数珠にて候。ちといただかせられい。(ワキツレに向って)方々もいただかせられい。さてまたこれは二股の竹と申して、当島一の御宝物にて候。よくよく御拝み候え。まづ御宝物はこれまでにて候。さて当島の神秘において、岩飛びと申す事の候うが、これを御目にかけ申そうずるか、ただし何とござあろうずるぞ。
ワキ:「さあらば岩飛飛んで見せられ候え。
アイ:「畏まって候。〽いでいで岩飛始めんとて、いでいで岩飛始めんとて、巌(いわお)の上に走り上がりて、東を見れば日輪月輪照りかかやきて、西を見れば入日を招き、あぶなそうなる巌の上より、あぶなそうなる巌の上より、水底にずんぶと入りにけり。(膝をついて立ち)「ハハア、クッサメクッサメ。(アイ退場)

地謡が始まると、後見が、作り物の引き回しを下ろす。
後ツレが天女の姿で床几に腰をかけている。
地謡:〽御殿しきりに鳴動して、日月光りかがやきて、山の端(は)出づるごとくにて、あらわれ給うぞかたじけなき。
ツレ:〽そもそもこれは、この島に住んで衆生を守る、弁才天とはわが事なり。
地謡:〽その時虚空に、音楽聞こえ、その時虚空に、音楽聞こえ、花降りくだる、春の夜の、月にかかやく、乙女の袂(たもと)、返す返すも、面白や。

天女の舞。
地謡:〽夜遊(やゆう)の舞楽も、時過ぎて、夜遊の舞楽も、時過ぎて、月澄みわたる、湖面(うみづら)に、波風しきりに、鳴動して、下界の龍神あらわれたり。

後シテ、龍神の姿で登場。火焔玉を載せた盤を持つ。
打ち杖を持って舞う。
地謡:〽龍神湖上に、出現して、龍神湖上に、出現して、光もかかやく、金銀珠玉を、かの稀人(まれびと)に捧ぐる気色、ありがたかりける、奇特かな。
シテ:〽もとより衆生、済度の誓い、
地謡:〽もとより衆生、済度の誓い、さまざまなれば、あるいは天女の、形を現じ、有縁の衆生の、諸願を叶え、または下界の、龍神となって、国土を鎮め、誓いをあらわし、天女は宮中に、入らせ給えば(ツレ退場)、龍神はすなわち、湖水に飛行して、波を蹴立て、水をかえして、天地にむらがる、大蛇の形、天地にむらがる、大蛇の形は、龍宮に飛んでぞ、入りにける(飛びかえって膝をつき、左袖をかずいて留める)。



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  弁才天の祠と広場を挟んで横手海側の建物では、「かわらけ投げ」をやっております。

  神職の店番に何百円かを払うと、二枚のかわらけをくれますので、それに願い事と住所氏名を書いて投げ、鳥居をくぐらせることができれば所願成就、くぐらなければ努力不足ということでしょう。先行きに不安をかかえているのか、家内は、受取ったかわらけに、「家内安全」と書いて、所定の位置から三十メートルほど向こうの鳥居めがけて投げつけますが、風に乗せるということを知りませんので、二三メートルも飛べばこそ、ぽとりと落ちたのはすぐ下の茂みの中、‥‥。

  先行き、無駄な願いを抱かなければ、それが安全ということで、かえってこの方がよかったのかも知れません。



  今、写真を撮っているのは、「都久夫須麻神社」の階段の上、建造物は国宝ですが、修理の足場が組まれており、皆様に御覧いただく訳にはまいりません、代わりに例の「かわらけ投げ」の建物を御覧に入れましょう。拝殿らしく桧皮葺の立派な建物ですが、「かわらけ投げ」の鳥居の向こうの竜神の祠のための拜所か、それともこの「都久夫須麻神社」の拜所か、‥‥?

  胴の長い飼い犬が用をみつけたらしく、どこかへ急いでいます、‥‥。



  国宝の横から重文の小汚い渡り廊下を過ぎると、豪壮な彫刻を施した重文の観音堂に出ます。

  極彩色の痕跡から、かつては赤い連子格子とよい対比をなしていたものと偲ばれますが、先ほどの汚い渡り廊下が、どうして重文なんでしょうな、‥‥。国宝・重文の指定なんぞは単なるこけおどし、何の当てにも成らないことのれっきとした証拠となりますかな、‥‥。ましてや一時の人間国宝をや、‥‥胸のつかえも下りようというものです、‥‥。いやいや、口が滑りましたかな、‥‥人様に何と思われようと、下品の評価だけは願い下げといきたいところで、さっさと次へ参りましょう。



  廊下を曲がりますと、堂の正面ですが、懸崖造りですので、正面には廊下を兼ねた狭い拜所があるのみ、外に出る口はありません。



  掃除の打ち水の跡が、まだ乾いておらず、早朝の清々しい空気が充満しています。

  長い階段を上るのを避け、逆に道をたどってきましたので、騒がしい団体に悩まされることもなく、ここまで来たのですが、第一陣との遭遇も近まってきたようで、話し声が聞こえ始めました。



  観音堂の入口を入った所には、賓頭廬尊者がいらっしゃいます。

  この写真を撮っている時、例の第一陣が後を通り過ぎて行きました。



  観音堂入口は国宝の唐門、われわれは尻から入って、口から出てきたわけですが、‥‥

  聖書に依れば、ヨナという人は鯨に呑まれたとか、いかにも彷彿とさせますな、‥‥。



  本堂には、「弁才天」様が祀られております。

  「弁才天(sarasvatii、サラスワッティー)」は印度の河川の神様で、辯才と智慧とを司ると言われていますが、琵琶(viiNaa、ヴィーナ)を抱いた像に造られることが多いために、また技藝の神としても尊ばれています。

  ということで、近くは京都の芸妓衆の秘かに尊崇する所でもありますので、
  皆様方も、お参りすれば何等かの御縁のなきにしもあらずというところですが、化粧を落して来られますのでね、雰囲気をご存知ない方には、ちと難しいかもしれませんな、‥‥。


  本尊の「弁才天」は、60年毎に開帳される秘仏ですので、簡単に拝むわけには参りませんが、それに代る「弁才天」様が外陣の両角に居られますので、近くに寄ってじっくりと拝むことができます。霊験には変りございませんので、あだやおろそかには思われない方がよろしいでしょう、‥‥。



  弁才天は、この国に来られてから、水からの連想で龍神と関連づけられ、それがいつしか人頭蛇身の「宇賀神(うがじん)」と習合されましたので、この国の像には、多く頭上に宇賀神と鳥居を戴いていられます、‥‥。



  本堂の前の石段を数段登りますと、目にも鮮やかな、小ぶりの三重塔が現われます。

  新塔ですが、思わず見とれるほど美しい姿です。現代の名工を称誉する為に、是非とも国宝に指定されたいものだと思いますが、どうでしょうか、‥‥。



  山腹の急な斜面をけずって、わずかな空き地に立てられた塔ですので、写真に全身を入れるのは、これまた一苦労です、‥‥。

  丹の色が、少しは褪せたようにも感じられますが、まだ十分鮮やかさを保っています。
  美しさを保っている間に、御覧になるのが宜しいでしょう、‥‥。



  島に居ること八十分、還りの船が近づいてきました。
  名残惜しいが、身体の方は、もう帰りたがっています。



  船の上では往復とも、船尾のデッキで過ごしました。
  水尾が美しいので、写真を何枚も撮りましたが、揺れもなく、平地にいるのと同じです。
  往復3000円のクルーズですが、暑い日差しを遮る屋根の下、軟風に身になぶらせながら、エンジンの音が心地よく耳に響いています、30分間はまったく至福の時と言ってよいでしょう、‥‥。

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  ≪暑い時期に食べたくなるもの≫、
  ≪冷やしラーメンの作り方(2人分)≫
  1. だし汁:コンソメ顆粒小さじ1/4、砂糖小さじ1/2、塩小さじ1/4を水150㏄にて煮溶かし、醤油大さじ1、ワインヴィネガー(酸度7%)大さじ1、ごま油小さじ1/2を加え、冷蔵庫で冷ましておく。
  2. 胡瓜、トマト、ハム、薄焼き卵を基本に、好みで茗荷、青じそ、紅ショウガを細長く刻む。
  3. 生ラーメンを茹で、流水をかけて冷たくする。
  4. 皿に美しく盛りつけ、だし汁をそそぐ。
  5. 好みでマヨネーズをあしらう。
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまで御機嫌よう。
(竹生島  おわり)