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あんにゃもんにゃ


  門の脇に、祖父が一本の樹を植えたのは、大正の終わりごろだと思いますが、それ以後、五月になりますと毎年雪が降り積もったような花を咲かせながら、二十数年を経るころには、道行く人々の目に止まるほどに立派に育ちまして、近在には珍しい樹だということで、挨拶のついでに、しばしば名を訊ねる人がいたものですから、ついに祖父は、その一番下の太い枝に、棕櫚縄でもって木札を吊し、「あんにゃもんにゃ」と樹名を書き記したそうでございます。

  老人は、やっと幼稚園に入ったか、入らなかったかというぐらいの年齢だったと思いますが、ようやく平仮名、片仮名が読めるようになったものでございますから、いつも家中、何か読めるものはないかと探して歩いておりましたせいでもございましょうか、この棕櫚縄でぶら下がった木札は、老人の初期に属する記憶の中でも、かなり鮮明な部類に入っているのでございまして、今でもその周囲の状景と共に眼前掌中に看るがごとく、はっきりと想い出すことができるのでございます。

  ということで、この写真に写る樹木の名を「あんにゃもんにゃ」だということを、まあご紹介もうしあげた訳でありますが、ところが、この樹をしばしば別の名で呼ぶひとがでてまいりまして、老人のいささか困惑する所となっているのでございます、‥‥

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  そもそも、この「あんにゃもんにゃ」という名の由来はともうしますと、謂わゆる新暦五月は、即ち旧暦四月であり、昔は孟夏と呼んでおりましたように、もはや夏の入口とみなされておりますので、例えば合い言葉で夏といえば、必ず暑いと答えなくてはならないのでございますが、その暑い夏の季節に、朝、雨戸を開けると一夜にして、庭一面に雪が降り積もっているではないか!、いったいこんなことが自然界に有ってもよいものかどうか!というわけで、見る人をして、こう言わしめるわけですな、‥‥「いったい、これは何の物じゃ!!」とね、‥‥。

  確かに本人は、「何の物じゃ!」と言ったつもりですが、何しろ驚き慌てているが故に、口の方が確かではなくなっておりますので、「何のもんじゃ!」が、「何じゃもんじゃ!」になり、‥‥それが驚いた時の例によって、何ぶんにも口が開きっぱなしになっておりますので、「あんにゃもんにゃ!!」となる道理でございます。

  「何の物じゃ!」が、「あんにゃもんにゃ!」と聞こえる道理、まことに理にかなっているように思われますナ、‥‥。

  さて、ここまでで、人は驚くと、つい「あんにゃもんにゃ!」と口に出るところまでは、よろしいかと思いますが、それがなぜ、この樹木の名前となったのかともうしますと、ここに一人の知と情とを兼ね備えたひとがおりまして、その人がまた洒落(しゃれ)にも通じていたものですから、「うむ、樹木の名前が、あんにゃもんにゃとは、これは面白い!」とこう思い立ったのですな、もう人に言わずにはいてもたってもいられないようになったとしても、人情の然らしむる所というわけでして、「君は知っているかどうか知らないが、非常に珍しい樹があってネ、その名前をあんにゃもんにゃと言うんだよ」と、出会う人ごとに自慢致しましたので、ここに「あんにゃもんにゃ」の名が世間に立つに至ったというわけなのですが、‥‥。

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  しかし、そこはそれ、世の中には洒落の分らない田舎者(かっぺ、つまり教養のない人ですな)という人がいるということは、世の中に知、情兼ね備えて、しかも洒落にも通じた人がいるというのと同じぐらいに、真実なわけですから、「あんにゃもんにゃ」じゃ、何だか訛っているようで、オラ恥ずかしい、ほんとうは、「なんじゃもんじゃ」って言うんだべと、盛んに人に説いて回るというような人がいるっていうのも道理でございまして、ついには「なんじゃもんじゃ」という名前も、世の中に立つに至り、まあ風雅な「あんにゃもんにゃ」と、野卑な「なんじゃもんじゃ」とが並び立っに至ったわけですが、この辺でおわっていれば、世の中も平和なものですが、そうはいかないのが、世の常というもので、徳川末期に水谷助六という尾張の本草学者がしゃしゃりでてきたのですな、‥‥まあ徳川時代の学者なんぞは、皆、朱子学に毒されておりますので仕方のないことですが、洒落のような高尚なものはとんとご存じない、まるで目の敵でも見たかのように敵視しておりますし、「知を致すは、物を格(ただ)すに在り(知る為には、物をはっきりさせなくてはならない)」と馬鹿の一つ覚えでありますから、物を見ると無闇と名前を付けたがりまして、「こんな名前を付けとったらいかんで、オレがちゃんとした名前を付けたるがや」とばかりに、付けた名前が、「ヒトツバタゴ」というまことに人を食ったか、馬鹿にしたような名前をつけて、得意げに吹聴したものですからたまりませんなあ、‥‥。

  そもそも名というものは、その特質を以って、これに付けるべきものでありますので、物に対する尊敬の念が無くては、良名を付けられる道理がありません。どだい、この人にとっては、そんな事はかまうことぢゃあないというところでしょうか、そこで、こんな「一つ葉」の、「タゴ」というような名を付けることができたのですな、‥‥、何でも「タゴ」というのは、「トネリコ」の方言だそうで、辞書を探しても、「たご(田子)、田を作る者」とか、「たご(担桶)、水や肥やしなどを入れて天秤棒でになう桶(おけ)」とあるだけで、さすが「トネリコ」の方言までは入っておりません。「一つ葉」というのは、「トネリコ」が「複葉(葉の一単位が複数の小葉からなるもの)」であるのに対し、「あんにゃもんにゃ」は、「単葉(葉の一単位は、見た目通りに一枚の葉からなるもの)」であるが故に、「一つ葉」の「トネリコ」、方言で「ヒトツバタゴ」という、何か臭ってきそうな、田舎臭い名前を付けたというのが、事の顛末なのですが、ここには物に対する尊敬の念が微塵も観じられません。ただ朱子学に毒されて独善的になった田舎者の厚顔無恥のみが観じられます。手が付けられないとは、まったくこのことを言うんですな、‥‥。



  明治村のすぐ近くに、「あんにゃもんにゃ」の自生地がありますが、公式的には、どうやら「ヒトツバタゴの自生地」となっているようで、立て札には、こんな事が書かれています、

ヒトツバタゴ自生地
国指定天然記念物   
1923年3月7日指定
ヒトツバタゴは、もくせい科の落葉高木で、東アジアに分布します。木曽川流域の東濃地方と長崎県対馬に自生し、極めて特異な分布を示します。ヒトツバタゴの名は、木の形状がタゴの木に似ていることに由来します。タゴが一般に羽状複葉であるのに対し、本種は単葉(一つ葉)であるため、尾張の本草家水谷豊文(1779ー1833)により、文政年間にこの地で発見され命名されました。云々

  何ともはや、悪貨は良貨を駆逐する‥‥ですかね‥‥。

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  ちなみに、わたしの認める唯一の国語辞書である「大言海」には、こう出ています、

あんにャもんにャ (名)
樹の名。なんぢャもんぢャヲ見ヨ。
なんぢャもんぢャ (名)[何(ナン)でふ物ぢャノ意]
樹の名。又、あんにャもんにャ。俳諧葛藤(享保、雲竹軒形流)下「下総カウ崎ノ岸二舟ヲ寄セ、なんぢャもんぢャノ木を尋ネテ「何若葉、自問自答ノ、郭公」 秀億樟木ナリ」 ヒトツバタゴ。古キ外来樹ニテ、関東ニ唯一株ノミト云フ。モトノ青山練兵場(明治神宮外苑)ニアリ、明治天皇、此樹蔭ニテ、観兵式ノ際、閲兵ヲナシ給ヒキ。我邦ニハ珍シケレド、支那ノ北部ニハ多シト。俚言集覧「鴻崎、下総国、木オロシノ先、神さきとも云フ、なんじャもんじャト云フ古木アリ、移山桜、舟行シテ夜ナレバ上陸シテ見ズ、松屋ガ鹿島記行ニハ、かつら木ナリト書ケリ」 下総の神崎(カワサキ)神社にアリテ、今モアリ、「ソレハなんぢャ、コンナもんぢャ」ト云フ意ニテ、コノ神社ナルハ、水戸黄門ノ命名ナリト伝フ。
ひとつばたご (名)
樹の名。なんぢャもんぢャノ本名。其條ヲ見ヨ。

  どうも大槻文彦(大言海の著者)は、「なんじゃもんじゃ派」のようですが、「ヒトツバタゴ」を本名と称するのを見ると、多勢の軍門に降ったのかも知れませんな、‥‥。たとえ大学者といえども、厚顔無恥の田舎学者にかかっちゃあ、太刀打ちできないっていうことですかね、‥‥。



  「トネリコ」は、皆様ご存知のとおり、「欅(けやき)」と同じように、枝が幹と同じように上向きに生えますので、まるで竹箒(タケボウキ)を逆さに立てたような樹形ですが、この「あんにゃもんにゃ」は、枝が常に幹(或いは親の枝)から直角に分かれて生えますので、まるで傘を差したか、棒付きのキャンディーを地面に突刺したような樹形です。樹形に似た所はどこにもございませんし、しかも、葉形を見てみれば、彼れは「ハゼノキ」のような羽状複葉、此れは単葉でまるで違います。言わばまったく異なった物に対して、「なに言っとりゃース、よう見てみヤ、どこが違うノ、みんなおんなじだギャー」と強弁したのですな、‥‥ということで、恥知らずもここに極まれりと思いながら、世間を見渡しますと何のことはない、今時の政、官、学界では相も変わらず、同じことが行われているじゃありませんか。少しも変わってはおりません、‥‥。これは言わば、この国のお家芸のようなものなんですな、‥‥。

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  いくらなんでもこれじゃあ、世界の信用を得るわけにはいきませんのでネ、‥‥。しかし、そこでふと我に返って、我れと我が身とを省みてみますと、やっぱり我が私の心中にも、やはり同じものがあるわけです、‥‥。

  ということで、零れた涙を拭いながら書棚をあさっておりますと、やはり汚れた心を洗いながすには、良寛さんが一番でございます、――

  嗟俗之孤薄  年年又年年
  見義密抽身  聞利競頭奔
  挙世赴険危  無人希曽顔
  勧君早終事  帰耕南畝田
  嗟(ああ)、俗の孤薄なるかな、
  年年、又た年年、
  義を見ては、密かに身を抽(ひ)き、
  利を聞けば、頭を競いて奔(はし)る。
  世を挙げて、険危に赴(おもむ)き、
  人の、曽顔を希(ねが)う無し、
  君に勧む、早く事を終え、
  帰りて、南畝の田を耕せ。

孤薄(こはく):孤陋(いやしい)と浅薄(あさはか)。
険危(けんき):危は本[山*戲]。峻険。
曽顔(そうがん):曽子と顔淵。共に孔子の高弟。
南畝(なんぽ):南の田畑。田畑。通常田畑は南向きである。
ああ!、
俗世間の、
いやしくも、
あさはかなことよ!
来る年も、
来る年も、
少しも、
変わりゃしない!
義を見れば、
こっそりと、
身を引き!、
利を聞けば、
頭一つでも、
抜きん出ようとする!
世を挙げて、
険危の地に、
赴きながら、
曽子や、
顔淵の、
慎ましさを、
誰も思わない!
そろそろ、
そんな事は、
止めようじゃないか!
田舎に帰って、
田んぼでも、
耕そう!


  と、良寛さんも、やっぱり同じ事を考えておられました。
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  知らない人には伝えにくいのですが、ほんとに雪が積もったかのようですよ、‥‥。
  あんにゃもんにゃ!‥‥。



《オムライスの作り方》
  材料(2人分):卵3個、ハム2枚、ピーマン1個、
    エリンギ1本、玉ねぎ1/4個、冷や御飯適宜、
    オリーブ油、バター、ケチャップ、塩胡椒は適宜。
  1. ハム、ピーマン、エリンギ、玉ねぎを粗めの微塵切りにする。
  2. オリーブ油で、1の微塵切りを炒める。
  3. 2に冷えた御飯を入れて、更に炒め、塩、胡椒、ケチャップで味をつける。
  4. 3を1/2づつに分けて、茶碗2枚に取る。
  5. 卵を解いて、その1/2を別の器に取る。
  6. フライパンにバターを溶かし、卵を流し入れたら、かき混ぜてバターを中に含ませ、半熟のときに、炒めた御飯を真ん中辺に、出来上がりの形にしてひろげる。
  7. フライパンを火から離して、御飯の載っていない卵の分をフライパンの外に滑らせて皿に取り、反対側の御飯の載っていない分を、自らの重みでもって自然に御飯の上に被せるようにしながら、スルリと皿に全部を移す。
  8. ケチャップをかけて出来上がり。
  9. 要は習うより慣れろ。
では、今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
(あんにゃもんにゃ  おわり)