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長 命 寺
  新聞の日曜版のクロスワード・パズルを、老化防止を兼ねてなるべく解くよう心がけていますが、以前は鉛筆で書き込むまでもなく、そらで難なくできたものが、近頃では文字を書き込んでも、なお思いつかなくて考え込んでおりますと、横から家内が口を挟んで、タテの9が間違ってるよとか言うようになってまいりましたのでもういけません、恥も外聞もあらばこそというわけで、頭の良くなるサプリメントとかいうものを涙とともに呑込んでおるような次第でございますが、はたして蟷螂の斧ほどの効き目でもありますかどうか、‥‥
  
  さてそんなある日、こんな梅雨空に、今月はどこへ行って写真をとってこようかと心を決しかねるまま、新聞を眺めておりますと、「長命寺紫陽花コンサート」という文字が目にとびこんでまいります、‥‥はて、長命寺といえば山の上の寺、平地のこの辺と同じ時期にアジサイが咲くものかどうか、‥‥しかしまあ、咲いていなければいないだけのこと、寺が逃げるわけじゃあるまいし、写真ぐらいはとれるだろうというわけで、やってまいりましたのが、ここ西国三十三ヶ所の第三十一番近江の国は琵琶湖の辺、かの有名な長命寺でございます。
  
  何をもって有名かともうしますと、かの東京大学出の才媛歌手加藤登紀子が歌って一躍有名にした「琵琶湖周航の歌」の第六番の歌詞に、――
西国十番 長命寺
汚れの現世 遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心
と、あるからでありますが、われわれの高校時代について言えば、才媛の歌手を待つまでもなく、彼の「嗚呼玉杯」には及ばないまでも、若き我等の血を熱くすること数知れずといったありさまだったのは言うまでもありません。何しろ若者の感傷癖にちょうどぴったりはてはまっておりましたので、後になって、女の歌手なんかに歌われた日にゃあ、何やら背筋がむずむずするような、気色悪さを、随分感じたものです、‥‥
  
  長命寺の長い石段を登った先に幅数メートルの平らな所があり、そこの際のところに歌碑が建っていますので、ちょっと見てみましょう、‥‥
  
  しかしどうしてでしょうなあ、長命寺は三十一番のはずなのに、なぜ十番にしたんでしょう、‥‥確かに西国三十一番では歌いにくいだろうとは思いますがね、まさか歌いやすさを優先したなんてことがあったとも思えませんし、‥‥それとも何番に当るのか知らずに、とりあえず十番にしておいたものが、いつの間にやら人口に膾炙していたなんてことがあるものでしょうかねェ、‥‥世の中にはほんとうに分らないことだらけで、五里霧中とは、恐らくこんなことを言うんでしょうねぇ、‥‥
  
 
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  近頃かかってくる電話には碌なものがありません。うっかり受話器を取ると、
――「お宅様では資産運用を、どのようになさっていらっしゃいますか?」だとか
――「北海道の小豆が買えます!」だとか、あまりに魂胆が見えすいて、なんだか冗談じみておりますので、思わず他人事ながら心配になってくるやつもあれば、名前も、用件もなく、ただ、
――「あらっ、お父様か、お母様いらっしゃる?」という無礼なやつ、いきなり、
――「結婚式の費用のほうは、準備されているでしょうか?」という本題突入型のやつとか、中でも極めつけは、
――「近々ご葬儀の、ご予定はございませんでしょうか?」というような、非常識極まりないやつとか、ただおもしろがっておればよいようなものの、世間はいったいどうなってしまったんだと、浦島太郎かリップヴァンウィンクルの気分を味わうことにもなりかねません。
  
  どうも近頃は結婚式だの、葬式だのにお金をかけるのが流行のようで、
「葬儀一式157万円より」という肝をつぶすような、新聞の折り込みチラシなど入ってくるかと思いますと、インターネットでちょっと調べてみますと葬儀一式の全国平均が236.6万、この地方の平均が378.9万というような統計が、どこで誰が何のために調べたか分りませんが、こちらの目に飛び込んでまいりますので、まことに魂消た(タマゲタ)ありさまに、あるいは世の中がなっているのかも知れません。
  
  立派な結婚式を挙げたから、世間でもてはやされ、以後順風満帆かといえば、反する例を挙げるにやぶさかならず、何の苦労もなく十指を数え折ることができましょうし、豪勢な葬式を出したからといって、孝行息子だと世間で噂されたというような話も、近頃ではとんとご無沙汰でございます。今すこし、お考えになった方がよろしいかと、‥‥
  
  一方、何事もスケールのでかい昔の中国では、現在の日本などの遠く及ばない所でございました。皆様お馴染みとなりました「聊斎志異」を紐解きますと、こんな話が載っております、――  
聊齋志異  堪輿  
沂州宋侍郎君楚家,素尚堪輿;即閨閣中亦能讀其書,解其理。
聊斎志異  堪輿
沂州の宋侍郎君楚の家は、素(もと)より堪輿を尚(たっと)び、即ち閨閣中も、亦た能く其の書を読みて、其の理を解す。
 
:堪輿(かんよ):墓地の吉凶を占う。
:沂州(きしゅう):地名。山東省臨沂県。
:宋(そう):姓。
:侍郎(じろう):官職名。次官、副大臣に相当。
:君楚(くんそ):宋公の名。
:素(そ):もとより。ふだんから。ひごろ。平素。
:尚(しょう):あがめる。たっとぶ。
:閨閣(けいかく):婦人の部屋。
   
  聊斎志異 墓地を選ぶ
  
  沂(き)州の大臣宋君楚(そうくんそ)の家は、日ごろ墓地を占う堪輿(かんよ)の術を崇拜していたので、婦人達も、またそのような書物を読むことができ、それについては詳細に理解していた。
  
宋公卒,兩公子各立門戶,為父卜兆。聞有善青烏之術者,不憚千里,爭羅致之。
宋公卒するに、両公子、各、門戸を立て、父の為に兆を卜す。青烏の術を善くする者有りと聞けば、千里を憚(はばか)らず、争いて之を羅致す。
 
:公(こう):諸侯の死後の敬称。
:卒(しゅつ):諸侯の死の敬称。
:公子(こうし):諸侯の子の尊称。
:立門戸(もんこをたつ):住居を構える。
:卜(ぼく):うらなう。
:兆(ちょう):墓地。塋域。
:青烏之術(せいうのじゅつ):堪輿家の術。
:憚(たん):はばかる。畏れること。畏懼。
:羅致(らち):網で捕るように残さず招く。拉致とは別。
   
  宋公が亡くなると、ふたりの子は、おのおの家を構えて、父の墓地を占うために、その占いに巧みな者がいると聞けば、千里の道も遠しとせず、争ってもれなく召し出した。
  
於是兩門術士,召致盈百;日日連騎遍郊野,東西分道出入,如兩旅。經月餘,各得牛眠地,此言封侯,彼云拜相。
是に於いて両門の術士、召致さるること百を盈(み)たして、日日騎を連ねて郊野を遍くし、東西に道を分けて出入すること、両旅の如し。月余を経て、各、牛眠の地を得、此れは「侯に封ず。」と言い、彼れは「相を拜す。」と云う。
 
:召致(しょうち):めしまねく。
:盈(えい):みつ。みたす。器を一杯に満たす。
:騎(き):馬に乗る人。乗馬の兵。
:郊野(こうや):城外の野原。
:旅(りょ):軍隊。五百人、又は二千人。
:牛眠地(ぎゅうみんのち):葬るにふさわしい地。
:封侯(こうにほうずる):諸侯に任命され土地を与えられる。
:拜相(しょうをはいする):大臣の位を授かる。
   
  このような訳で、両家に召し出された占い師の数は百にも達し、日日駒を連ねて、郊外を駆け巡り、四方に道を分け入っていたので、まるで騎馬の兵隊が二連隊も走り回っているようだった。
  一月あまりが過ぎた。占い師はおのおの、適した墓地を探し出しては、「子孫は、諸侯に封ぜられましょう」とか、「大臣に任ぜられましょう」と言った。
  
兄弟兩不相下,因負氣不為謀,並營壽域,錦棚綵幢,兩處俱備。
兄弟両(ふたり)ながら相下らず、気を負うに因って、為に謀らず、並びて寿域を営み、錦棚、綵幢、両処倶(とも)に備わる。
 
:負気(きをおう):己の勇気、勢力をたのむ。気色ばむ。気負う。
:営寿域(じゅいきをいとなむ):墓を造る。
:錦棚(きんぼう):棚を錦でかざる。棚は覆い屋、祠堂、廟など。
:綵幢(さいとう):あやぎぬで造った旗。
   
  兄弟はふたりとも、互いに引き下がらずに意気を上げ、相談もせずに、それぞれ墓地をととのえたので、錦で飾った祠堂に、綾絹の旗をたらした墓が、ふた所に備わった。
  
靈輿至歧路,兄弟各率其屬以爭,自晨至於日昃,不能決。賓客盡引去。舁夫凡十易肩,困憊不舉,相與委柩路側。
霊輿岐路に至るに、兄弟各其の属を将(ひき)いて以って争い、晨(あした)より日昃に至るも、決する能わず。賓客は尽く引去す。舁夫も凡そ十たび肩を易(か)うれば、困憊して挙げず、相与(あいとも)に柩を路側に委(ゆだ)ぬ。
 
:霊輿(れいよ):柩(ひつぎ)を載せた輿(こし)。
:岐路(きろ):分れ道。
:日昃(にっしょく):日の傾くころ。午後二時。
:賓客(ひんかく):客人。
:引去(いんきょ):連なって去る。
:舁夫(よふ):輿をかつぐ者。舁き手。
:困憊(こんぱい):苦しみ疲れる。
:相与(そうよ):あいともに。一緒に。
:委(い):ゆだねる。放置する。
   
  柩(ひつぎ)を載せた輿(こし)が、分かれ道にさしかかっると、兄弟は、一族郎党をひきいて、どちらの墓にするかを争った。
  早朝より、日が傾くころになっても、まだ決着せず、大勢の葬列に参加した客たちも袖を連ねて帰ってしまった。
  輿舁(か)きの人夫は、肩を十返も替えていたが、疲れたので嫌になり、柩を下ろすと、路傍に打ち遣ってしまった。
  
因止不葬,鳩工構廬,以蔽風雨。兄建舍於傍,留役居守,弟亦建舍如兄,兄再建之,弟又建之:三年而成村焉。
因りて止まりて葬らず、工を鳩(あつ)めて廬(いおり)を構え、以って風雨を蔽う。兄、舎(いえ)を傍らに建て、役を留めて居守せしむ、弟も亦た舎を建つること兄の如し、兄再び之を建て、弟も又之を建つ。三年にして、村を成す。
 
:因(いん):それで。仍って。
:鳩工(こうをあつむ):工人をあつめる。
:廬(りょ):いおり。田舎にある屋舎。
:留役(えきをとどむ):兵士をとどめおく。
:居守(きょしゅ):留まって守る。留守居。
   
  仕方がないので、柩は、そこに止めたまま葬らないことにし、大勢の大工を集めて、一軒の家を建てると、それで柩を覆って、風雨を防いだ。
  兄が、その傍らに寝泊まりできる小屋を建てて、留守居役を置き、それを守らせると、弟も、また兄と同じように、小屋を建てた。兄がまた小屋を建てると、弟もまた建てたので、三年たった頃には、すっかり村のようになっていた。
  
積多年,兄弟繼逝;嫂與娣始合謀,力破前人水火之議,並車入野,視所擇兩地,並言不佳,遂同修聘贄,請術人另相之。
多年を積み、兄弟継いで逝く。嫂と娣と始めて合謀し、力(つと)めて前人の水火の議を破り、車を並べて野に入りて、択ぶ所の両地を視るに、並びて「佳(よ)からず」と言い、遂に同じく贄を修聘して、術人を請い、別に之を相(そう)せしむ。
 
:継(けい):続く。
:嫂(そう):あによめ。
:娣(てい):おとうとよめ。
:合謀(ごうぼう):相談する。
:力(りょく):つとむ。勤める。力を尽くす。
:前人(ぜんじん):昔の人。兄弟を指す。
:水火之議(すいかのぎ):仲の悪い者どうしの議論。無議。
:修聘(しゅうへい):ととのえもとむ。
:贄(し):にえ。手土産。礼物。
:請(せい):こう。招く。召す。
:術人(じゅつじん):技術者。
:相(そう):みる。視る。視てうらなう。
   
  多くの年をかさね、兄弟が相続いて逝った。
  嫂(あによめ)と娣(おとうとよめ)とは、始めて相談し、仲の悪い兄弟が議論することもなく、推し進めたような悪弊は努めて破ることにした。   車を並べて郊野に入り、択ばれた両家の墓地を子細に視て、声をそろえて、「よくないわね!」と言い、いっしょに礼物を調達して占い師を招き、別の墓地を探させた。
  
每得一地,必具圖呈閨闥,判其可否。日進數圖,悉疵摘之。
一地を得る毎(ごと)に、必ず図を具(そろ)えて閨闥に呈せしめ、其の可否を判ず。日ごとに数図を進むるも、疵を悉(つく)して之を摘(つ)む。
 
:具(ぐ):そろえる。
:図(づ):図面。
:呈(てい):ささげしめす。奉げて上進する。呈示。
:閨闥(けいたつ):婦人部屋。
:悉(しつ):つくす。ことごとく知りつくす。
:摘(てき):つむ。摘み取る。指摘。あばく。摘発。
   
  占い師がある土地を推薦するごとに、必ず図面を婦人たちの居間に呈示させて、その可否を判断し、毎日数面づつ呈示される図面を視ては、瑕疵を徹底的に洗いだした。
  
旬餘,始卜一域。嫂覽圖,喜曰:「可矣。」示娣。娣曰:「是地當先發一武孝廉。」葬後三年,公長孫果以武庠領鄉薦。
旬余にして、始めて一域を卜す。嫂図を覧(み)て喜びて、「可なり」と曰い、娣に示す。娣の曰わく、「是の地は、当(まさ)に先づ一武孝廉を発(いだ)すべし」と。葬後三年にして、公の長孫果(はた)して、武庠を以って、鄉薦を領す。
 
:旬余(しゅんよ):十日あまり。
:覧(らん):みる。一一遍くみる。
:可(か):よし。宜しい。
:当(とう):まさに~すべし。当然~するはずだ。
:先(せん):まず。さきに。先だちて。手始めに。
:発(はつ):いだす。でる。だす。出。おこす。起。
:武孝廉(ぶこうれん):武官の試験合格者。
:長孫(ちょそん):第一番目の孫。
:果(か):はたして。かならず。まことに。ついに。期待に違わず。
:武庠(ぶしょう):第一次武技試験の合格者。
:領(れい):受ける。
:鄉薦(きょうせん):郷里の推薦。
   
  十日あまりが過ぎ、ようやく適当な土地を択ぶことができた。
  嫂が、くまなく図を見回して、「いいんじゃない?」と言い、娣に示すと、娣は、こう言った、「この土地なら、手始めに武官さまのお出ましだわね」と。
  はたして宋公を葬って三年後、公の長孫が、武官の試験で、郷里の推薦を受けることに決まった。
  
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  富士山とともに、三保の松原も世界遺産に登録決定というような記事が、新聞紙上を賑わしておりましたが、国民性でしょうか、この国で観光すると、
――「ここから見てください!」とか、
――「ここからの眺めが一番です!」と言われますので、ちょっと天邪鬼(あまのじゃく)を起して、裏に回ってみますと、まるでゴミ溜めのような景色に出くわしたりすることが、ままありますが、‥‥
  
  長命寺に関して言えば、そういうことはありませんが、なにしろ山腹の狭く細長い土地に建てられていますので、眺めは、よほど限られており、行けば簡単に、どうやらここが一番ではないかと思われる所に行き着きます。
  
  入母屋、桧皮葺の屋根が、手前から護法権現社の拝殿、三仏堂、本堂と並んでおり、手前の二つは鮮やかな紅殻(べんがら)塗りの格子破風、その向こうの本堂は桁行7間梁間6間という大きなもの、その向こうに三重の塔が見え、主要な建物が一望できますので、ここからの眺めが一番となるのはやむをえません。
  
  紫陽花の花が、よう効いていますな、‥‥
  
  
  境内に降り立ちますと、だいたいこんなものでしたが、三仏堂の前はもう少し広くなっていたように思います。
  
  本堂は横からの写真です。正面は懸崖造りで開いていず、下は崖ですので、平凡な写真になりました。せっかくの立派な建造物なのに、何枚もとった写真の中に、公開するほどのものが一枚もなかったとは、‥‥どこかに絶妙のアングルがあるはずですが、疲れていたのでしょう、ついに見付けだせずにおわりました。
  
  
  本堂を、早々とあきらめた代わりに三重の塔に全力を投じました。
  えっ、「誰がとっても同じだろう」ですって?
  いや、そんなはずはないと思いますが、‥‥
  平凡、ですかねぇ、‥‥
  しかし、塔の姿は大変よいのじゃありませんか?
  「そんなものあ、お前の手柄じゃねいよ!」たって、そんな、
  しかし、‥‥
  
  
  石段の柱の間に紫陽花の花が咲いていました。
  今回は、これにずいぶん助けられたので、これからは、
  長命寺を、紫陽花の寺と呼ぶことにしましょう。
  
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  梅雨とくれば、池面に浮んだ波紋、
  波紋はぐるぐる、ぐるぐるといえば、そうだ、
  言わずと知れた、京の銘菓、
  俵屋吉富の「雲龍」、あれ以上のぐるぐるがあろうか!
  ということで、今月は「雲龍」、これ以外ありませんな。
 
 
今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (長命寺 おわり)