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法 隆 寺


  
  巨人、大鵬、卵焼きというのとも、ちょっと違うようですが、なにしろ傑出したものが好きですので、寺といえば法隆寺か、東大寺、三四がなくて、五に薬師寺か、唐招提寺か、清水寺か、まあその他はちょっとすぐには思いつけません。
  
  今回は、その法隆寺に行ってくることにしました。
  法隆寺というのは、目で見る分には、均斉がとれて非常に美しいお寺ですが、それがいざ写真に撮ろうとすると、やたらと広かったり、あるいは逆に狭かったり、邪魔物があって角度が自由でなかったりで、広い境内をてくてく歩いて疲れた割りに、得るものが少いので、写真を趣味とする者にとって、苦労が多いのですが、その上、修学旅行先の定番でもありますので、この季節では、小中学生が山ほど群れているだろうと覚悟しなくてはなりません。
  
  七時、法隆寺の南大門が開くと同時に、撮った写真がこれです。今、くぐろうとしている門が南大門、正面に見えるのが中門、中門の左が五重の塔、右の松にかくれてようやく見える屋根が金堂、右下の小さい屋根が手水舎、南大門から中門までは、凡そ百五十メートル、中門前の石段下に東西に貫く道があり、左手にとると百五十メートルで西大門、その外は民家、右手は二百五十メートルで東大門、その先二百メートルで夢殿、更にその奥に中宮寺となりますので、先ほども言ったとおり、境内をてくてく歩くだけでも相当くたびれます。
  


  
  法隆寺の魅力といえば、その千三百年以前の姿をほぼそのまま完璧に現在に伝えていること、ただそれにつきると思いますが、いったい何が原因で、そのような奇跡的なことが可能になったのかと考えてみますと、近頃の人には理解できないでしょうが、どうも聖徳太子への厚い信仰が、千三百年の以前より脈脈と受け継がれてきたからではないかと思います。
  
  飛鳥時代から伝わる建築技術、あるいは漆器等の什器や建具を修繕する技術を有する多種多様な集団が、戦前までは法隆寺に専属していたそうで、寺の近くで一村を形成していたということですが、その中の一人、西岡常一という棟梁が、もう亡くなられましたが、多くの著書を残された中に、棟梁の家に伝わる家訓として、十ヶ條あるなかで、――
「神を崇めず、仏を拝せずして、堂塔伽藍を口にすべからず」というのが、第一だと書いておられます。そして、「宮大工は普通の家を手がけないので、皆、半農であり、寺の仕事のない時には百姓をしていた」とも書かれていますので、恐らく相当の覚悟で身を慎み、技術を伝え、法隆寺を守ってきたのだろうと伺えます。
  
  
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  さて、なぜこんな修学旅行の季節をえらんで、ここに来たのかといいますと、
  つまり、夢殿にまします救世(くせ)観音が、この数週間だけ帳を開いて、その尊いお姿を、眼前にお現わしくださるというのが、その理由なのです。
  
  しかし、落ち着いて拝観するためには、修学旅行の小学生だけは、どうしても避けなくてはなりません。五重の塔や、金堂は後にまわして、先に夢殿に回ることにしましょう。
  
  聖徳太子生身の、お姿を、そのまま写し取ったといわれる観音様は、写真ぐらいでしか知りませんので、実際に拜したいものと思ってはいましたが、生来の怠け者にとって、気が向いたときだけということをモットーとしておりますので、この期間だけというのが苦手で、ついに今までその機会を得られませんでした。
  
  しかし、もうこれが最後かも知れませんので、ここはひとつなんとしても、心残りがないようにしなくてはなりません。
  


  
  夢殿は、聖徳太子が政務をとられた「斑鳩(いかるが)の宮」の中の、太子の私室を偲んで、その跡地に建てられたということです。
  
  聖徳太子は、法隆寺と同じように、その巨大さゆえに圧倒されて、実際にはどのような人だったかを想像することだにできませんが、その聡明さに関しては、一度に十人の訴えを聞いて、間違いなくとり裁いたと伝えられ、人々に「豊耳聡(とよみみさと)」と呼ばれるほどだったということですし、また一方では、仏教をこの国に弘めたかたとして、すべての仏教者の尊崇のまとでもありますが、近頃では、その実在を疑う人もいるそうです。しかし、恐らくは間違いなく実在されたかただったとすべきでしょう。
  
  それはなぜか?――
「いったいその事跡が、通常の人には到底なしえない、天才を越えたものであれば、必ずそれを為した人があるはずで、そのような人が無名であるはずがないからである」――以上証明おわり。???
  




  
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  「十七條の憲法」は、仏教的理念を世俗に押し延べるという、大乗仏教の理念そのままであり、聖徳太子の天才あって始めて為しえたものです。
  太子の最大最高の事跡は?と問われたならば、わたしは躊躇せずに、この「十七條の憲法」を押すことでしょう。皆様も、各自にお考えになってください。
  「日本書紀」に記載されていますので、内容に極めて忠実に現代語訳してみました。以下がそれです、――

夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。
夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親ら肇めて憲法十七條を作りたもう。
   
  推古天皇の十二年四月一日、聖徳太子は自ら起案して、憲法十七條を作られた。
  
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。是以、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
一に曰わく、和(ヤワラギ)を以って貴と為し、忤(さから)うこと無きを宗(ムネ)と為す。人皆党(タムラ)ありて亦た達者少し。是を以って或いは君父に順わずして乍(タチマ)ち隣里に違う。然れども上和らぎ下睦(ムツ)びて、事を論(アゲツラ)うに諧(かな)えば則ち事理自ら通ず。何事か成らざらん。
   
  一には、こうである、――
  和こそが貴ばれるべきである。
  和とは、互いに背きあわないことが、その主旨である。
  人は、皆、党派を作って、自ら正義を称えるが、真理に達した者は少い。
  あるいは主君や、父母に従順でなかったり、或いはとつぜん隣の村と仲違いしたりするのも、このゆえである。
  しかし、上も下も、調和して波立たず、仲良くしながら、事を論じて、互いの仲を調整すれば、事の道理は自ら通ずるものであり、何事によらず、成らないはずがない。
  
二曰、篤敬三寶。三寶者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之極宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能教從之。其不歸三寶、何以直枉。
二に曰わく、篤く三宝を敬え。三宝は仏法僧なり。則ち四の生(ウマレ)の終の帰(ヨリトコロ)、万国の極(キワメ)の宗(ムネ)なり。何の世何人か是の法(ノリ)を貴ばざる。人尤(ハナハダ)悪しきもの鮮(スクナ)し、能く教うるをもて従う。其れ三宝に帰(ヨリ)まつらず、何を以ってか枉(マガ)れるを直さん。
   
  二には、こうである、――
  あつく三宝を敬え。
  三宝とは、仏法僧であり、あらゆる生き物の帰りつくところ、万国の極めて尊ぶべきところである。
  どの世も、どの人も、この法を貴ばないということはない。
  人というものは、悪すぎる者は少く、教えれば従わせることもできる。
  もし三宝に依らなければ、曲がったものは、何をもって直せばよいのか?
  
三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行、萬氣得通。地欲覆天、則致壤耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。
三に曰わく、詔(みことのり)を承(うけたまわ)っては必ず謹(つつし)め。君をば則ち天(アメ)とす、臣(ヤツコラ)をば則ち地(ツチ)とす。天覆い地載(ノ)す、四の時順(めぐ)り行き、万気通うを得。地、天を覆さんと欲するときは則ち壊(ヤブルルコト)を致さん耳(のみ)。是を以って君言(ノタマ)いて臣承り、上行いて下靡(なび)く。故に詔を承っては必ず慎め。謹まずば自ら敗れん。
   
  三には、こうである、――
  君の勅命を承けたならば、必ず謹んで行わなければならない。
  君を天とするならば、臣とは地である。
  天がおおい、地が載せ、四季が巡りて、万物に気が通うのである。
  天をくつがえそうとしたならば、破滅しないはずがない。
  君が命じて臣が承け、上が行きて下がなびくとは、このゆえである。
  ゆえに、勅命を承けたならば、必ず謹んで行え。
  もし慎んで、行わなければ、自ら破滅するだろう。
  
四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在乎禮。上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣有禮、位次不亂。百姓有禮、國家自治。
四に曰わく、群卿(マチキミタチ)百寮(ツカサツカサ)、礼(イヤ)を以って本とせよ。其れ民を治むるの本、要は礼に在り。上礼なきときは而も下斉(トトノ)わず、下礼なきは以って必ず罪あり。是を以って群臣礼あるときは位の次乱れず、百姓礼あるときは国家(アメノシタ)自ら治まる。
   
  四には、こうである、――
  諸大臣も、百官も、礼をもって本とすべきである。
  民を治める本、その要のものは礼にあるからである。
  上に礼がなければ、下が斉(そろ)うはずがない。
  下に礼がなければ、そのゆえに必ず罪がある。
  群臣に礼があれば、位階が乱れず、民に礼があれば、国家が自ら治まるのは、このゆえである。
  
五曰、絶餮棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一日千事。一日尚爾、況乎累歳。須治訟者、得利爲常、見賄聽讞。便有財之訟、如石投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。
五に曰わく、餮(アジワイノムサボリ)を絶ち欲を棄て、明らかに訴訟(ウタエ)を辨えよ。其れ百姓の訟は一日に千事あり、一日すら尚お爾り、況んや歳累ぬるをや。須らく訟を治むべき者は利を得て常と為す、賄(マイナイ)を見て讞(コトワリモウス)を聴く。便ち財あるものの訟は石をもて水に投ぐるが如く、乏しき者の訴は水をもて石に投ぐるに似たり。是を以って貧しき民則ち所由(ヨルトコロ)を知らず、臣道も亦た焉(ここ)に於いて闕(か)けん。
   
  五には、こうである、――
  食事を長引かせず、欲を棄てて訴訟を裁け。
  民の訴え事は、一日に千件あるぞ。
  たった一日でそれだけだ、歳を重ねればどれほどになるか。
  訴訟を裁くはずの者が、利を得るのを、通例とし、
  賄賂の高を見て、罪状をゆるめるので、
  財ある者の訴訟は、石を水に投げるように通り、
  乏しい者の訴訟は、水を石に投げるように通らない。
  貧しい民が法に従うことを知らないのは、この故である。
  官吏の道徳が、このように欠けていては、当然ではないか。
  
六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見惡必匡。其諂詐者、則爲覆國家之利器、爲絶人民之鋒劒。亦侫媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。
六に曰わく、悪を懲らし善を勧むるは古の良典(ヨキノリ)なり。是を以って人の善を匿すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。其れ諂い詐る者は則ち国家を覆すの利器たり、人民を絶つの鋒剱たり。亦た侫(カタマ)しく媚ぶる者は上に対しては則ち下の過(アヤマチ)を説き、下に逢いては則ち上の失を誹謗(そし)る。其れ如此(コレラ)の人は皆君に忠(イサオシキコト)なし、民に仁(メグミ)なし。是れ大きなる乱の本なり。
   
  六には、こうである、――
  悪を懲らしめて、善を奨励するのは、昔からの良き習慣である。
  人の善を顕彰し、悪を見て必ず正すのは、このゆえである。
  媚びてへつらい、詐りてだます者は国家を滅亡させる利器であり、人民の望みを絶つ利剣である。
  また媚びてへつらう偽善者は、上に対しては下の過失だと説明し、下に対しては、上の過失だと誹謗する。
  このような人は、皆、君には忠義の心なく、民には仁慈がない。
  このような人は、実に、大乱の本である。
  
七曰、人各有任。掌宜不濫。其賢哲任官、頌音則起。姧者有官、禍亂則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此國家永久、社稷勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。
七に曰わく、人には各任掌(ヨサシツカサドルコト)あり、宜しく濫れざるべし。其れ賢哲官に任(ヨサ)すとき頌音(ホムルコエ)則ち起り、姧者官を有(タモツ)ときは禍乱則ち繁し。世に生まれながら知ること少けれども、剋(ヨク)念いて聖と作れ。事大少となく、人を得て必ず治まる。時急緩となく、賢に遇いて自ら寛(ユタカ)なり。此に因って国家永久、社稷危うきこと勿し。故に古の聖の王、官の為に以って人を求め、人の為に官を求めず。
   
  七には、こうである、――
  人には、各、適切な職掌があり、それを間違ってはならない。
  賢哲の人が、官に就けば、民には喜びの声が起り、
  悪者が、官をわたくしすれば、兵禍戦乱が頻発する。
  世に生まれながの智者は少いが、剋己勉励して強く思えば、智徳の至極たる聖者となることもできる。
  事は大小にかかわらず、人を得なければ治まらない。
  時に緩急はない、賢者を得てゆるやかになるのだ。
  国家が永久に続き、朝廷が危機に遇わないのは、それに因る。
  ゆえに昔の聖王は、官を任せるために人を求めたが、人に与えるために官を作ったことはない。
  
八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡盬。終日難盡。是以、遲朝不逮于急。早退必事不盡。
八に曰わく、群卿百寮早く朝(マイ)りて晏(オソ)く退(マカ)でよ。公事盬(モロキコト)なきに、終日(ヒメモス)にも尽くし難し。是を以って遅く朝(マイ)れば急に逮(およ)ばず、早く退(マカ)れば必ず事尽くさず。
   
  八には、こうである、――
  諸大臣及び百官は、朝は早く出勤し、晩は遅く退出せよ。
  公事はおろそかにすべきでないが、終日働いても尽くしがたい。
  このゆえに、遅く出勤すれば急いだとて、間に合わず、
  早く退出すれば、必ず事を尽くせないのである。
  
九曰、信是義本。毎事有信。其善惡成敗、要在于信。君臣共信、何事不成。君臣无信、萬事悉敗。
九に曰わく、信は是れ義の本なり、事毎に信あれ。其の善悪成敗の要は信に在り。君臣共に信あるときは何事か成らざらん。君臣信なければ万事悉く敗る。
   
  九には、こうである、――
  信頼こそは、事の宜しきを得る本であるから、
  事毎に、信頼を得なくてはならない。
  善悪も、成敗も、皆、その要は信頼にある。
  君臣が、共に信頼しあうならば、何事の成らないことがあろう。
  君臣に、信がなければ、万事悉くが失敗するのである。
  
十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、誰能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。我獨雖得、從衆同舉。
十に曰わく、忿(イキドオリ)を絶ち瞋(イカリ)を棄てて、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり、心各執ることあり。彼れ是なれば則ち我れは非なり、我れ是なれば則ち彼れ非なり。我れ必ずしも聖に非ず、彼れ必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ。是非の理誰か能く定むべき。相共に賢愚なること、鐶(ミミカネ)の端なきが如し。是を以って彼の人は瞋ると雖も還って我が失(アヤマチ)を恐る。我れ独り得たりと言えども、衆に従いて同じく挙(オコナ)え。
   
  十には、こうである、――
  忿(いきどおり)も、瞋(いかり)も絶ち棄てよ。
  人が、自分の思い通りにならなくても、怒ってはならない。
  人には、皆心があり、心の執することは、各違うのである。
  彼れが、良いとしても、自分は悪いと思い、
  自分が、悪いとしても、彼れは良いと思うが、
  自分は、必ずしも聖人ではないし、
  彼れも、また必ずしも愚者ではないのである。
  共に、凡人に過ぎないのであるから、
  誰に、是非の道理を定められよう。
  彼れも、自分も、互いに共に、賢者であり、愚者である。
  譬えば、耳輪に端がないように、賢者と愚者とに分れないのである。
  この理由から、彼れが怒れば、自分の過失ではないかと恐れ、
  自分ひとりが理解していても、皆に従って行え。
  

  
  第一条の、「和を以って貴しと為す」は、平和を何よりも貴ぶことで、仏教の理念が、この第一条をもって明らかにされ、第二条の、「篤く三宝を敬え」を以って、その由る所を明らかにし、第三条以下は、皆、その実践の法を説いていますので、総じて皆、大乗仏教の理念に由るものであることが知れます。
  
  また各条は、皆、最初に命題を呈示して、その後になぜそうでなくてはならないかを諄々と説いて、次第に自明の理に帰結するものですが、その方法は、非常に明晰であり、紛れも誤解もないよう、実に周到に計られたものであると知ることができ、太子の精神が、いかに透徹したものであるかを示しています。
  
  
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  「十七條憲法」は、まだ途中ですが、先に中宮寺で一息入れることにしましょう。
  
  夢殿を出て、くるっと後を回ると、中宮寺の入口があり、そこを入ってすぐのところに、中宮寺の本堂があります。
  
  寺伝によれば、「推古天皇の四年、聖徳太子が母の孔穂部間人(あなほべはしひと)皇后の為に、中宮を建てられ、同二十九年十二月母后の崩御を以って、それを寺に改められ、その金堂には太子御作の如意輪観音を本尊として、安置し奉った」とあるそうですが、現在の本堂は、コンクリート造りでありながらも、清らかな池の水に深い軒の影をうつして、熱い季節には特に涼しげで、一つやろうと言われたならば、喜んで飛びつきそうな、けっこうな建物です。
  
  本堂を入ると、本尊の如意輪観音をすぐ目の当たりにすることができます。
  厨子はなく裸の状態ですので、心ゆくまでその対面を楽しむのがよいでしょう。
  下の写真でも、それぐらいは分ると思いますが、清らかな処女の様相を現わしていらっしゃいますので、たとえそれが像に過ぎないとしても、心を通わせ、だれはばかることなく、心をときめかせることもできます。ありがたいもんですなあ、‥‥。
  
  「如意輪観音ではない、これは弥勒菩薩だ」と言う人もいますが、寺伝にあるとおり、間違いなくこれは「如意輪観音」の像であり、疑う理由は少しもありません。
  
  右手を頬にあて、岩に腰かけて右足首を左足の膝にかけ、そこに左手を安んじた姿は、広隆寺の弥勒菩薩像や、朝鮮半島の同種の像に類似していますので、そう思いたい気持は分りますが、同じ姿で如意輪観音と称される像は、岡寺の胎内仏の例もありますし、それがなくても如意輪観音の本性は、右手に表される思惟と、左手に表される不退ですので、寺伝に反して、敢て弥勒菩薩と称える理由はありません。
  
  いったいに、「如意輪観音」は、世間の宝である財産や名誉と、出世間の宝である正法との二つの宝を、衆生の願いのままに与えるというのが、その功徳ですので、言わば聖徳太子、その人と言ってもよいような方なのですから、この中宮寺にあって、なんらの不思議もないものです。
  
  まあ、近頃の人は漢文が読めないのでしかたありませんが、「賢愚経巻12」には、「弥勒菩薩は、釈尊の実在の弟子であり、本は婆羅門であった」と伝えており、また「大智度論巻29」に依れば、仏の三十二相中の三相を身にそなえて、「一には眉間白毫相、二には舌覆面相、三には陰蔵相なり」とあります。これを説明しますと、一に、「眉間の白毫(びゃくごう)」とは、「眉間に一本の白く細長い毛が生え、田螺のように渦巻いて積もっており、それが光り輝く」ということを示し、二に、「舌が面を覆う」とは、「舌が非常に大きくて、口から出すと、舌先が額の生え際に達する」ことをいい、これで「嘘をつかない人だと証明する」というものであり、三に、「陰蔵(おんぞう)」とは、「男性の生殖器が、通常は馬のように腹中に隠れている」ということですので、もしこの像が、弥勒菩薩だというならば、それには男性の生殖器があり、腹中に隠れていなくてはならないことになります。この少女のような優美な像を、実際に前にすれば、いかにも相応しくないと思わざるをえませんし、様式だとか、文献だとかよりも、そのような感覚こそが、真実の証拠だと思えます。
  
  それに、だいたい昔の人は、今よりも遙かに漢文に通じていたのですからネ、‥‥およそ、これを弥勒菩薩として造像したとは、到底考えられないことなのですが、いかがでしょうか?‥‥勿論、凡夫の考えることですから、間違っていたとしても仕方ありませんが、‥‥。
  




  では、「十七條憲法」の殘りに行きましょう、――
十一曰、明察功過、賞罰必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿、宜明賞罰。
十一に曰わく、功過を明察(アキラカ)にして賞罰必ず当てよ。日者(コノゴロ)賞は功に在らず、罰は罪に在らず。事を執れる群卿、宜しく賞罰を明にすべし。
   
  十一には、こうである、――
  功労と、過失とをつまびらかに審理して、相応の賞罰を必ず与えよ。
  近ごろでは、功労者も賞に当らず、罪人も罰に当らない。
  事を司る諸大臣、百官は、宜しく賞罰を公明にすべきである。
  
十二曰、國司國造、勿斂百姓。國非二君。民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓。
十二に曰わく、国司(ミコトモチ)国造(クニノミヤツコ)、百姓に斂(オサメトルコト)勿かれ。国に二の君なし、民に両の主なし。率土の兆民は王を以って主と為し、所任(ヨサセル)官司(ミコトモチ)は皆是れ王臣なり。何ぞ敢て公と与(とも)に百姓に賦斂(オサメトラ)ん。
   
  十二には、こうである、――
  在京および任地の地方官は、税を私物化してはならない。
  国に二君なく、民に両主はない。
  国中の億の民は、王を主とすべきである。
  任ぜられた官吏は、皆、王の臣である、
  なぜあえて、公と共に税を収め取るのか。
  
十三曰、諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞、勿防公務。
十三に曰わく、諸の任官者(ヨサセツカサヒト)は同じく職掌(ツカサコト)を知れ。或いは病いし、或いは使いして事に闕(オコタル)あり、然れども知るを得るの日には、和(アマナ)うこと曽(インサキ)より知るが如し。其れ聞くに与(あづか)らざるを以って、公務(マツリゴト)を勿防(ナサマタ)げそ。
   
  十三には、こうである、――
  官に任ぜられた人は、皆、職掌の知識を共有せよ。
  人は病気や、使令を受けて、仕事を欠勤するものである。
  しかし知識を共有しておれば、その知識で応じられる。
  聞いたことがないからといって、公務を妨げてはならない。
  
十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、人亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悅。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治國。
十四に曰わく、群臣百寮嫉妬(ネタムコト)あること無かれ。我れ既に人を嫉めば、人も亦た嫉み、嫉妬の患、其の極まりを知らず。所以に智己れに勝(マサ)れば則ち悦ばず、才己れに優れば則ち嫉妬(ネタ)む。是を以って五百(いおとせ)にして乃ち今賢(サカシヒト)に遇うも、千載にして以って一(ヒトリ)の聖を待つこと難し。其れ賢聖を得ずば、何を以ってか国を治めん。
   
  十四には、こうである、――
  諸大臣、百官に、嫉妬があってはならない。
  自分が人を嫉むように、人もまた自分を嫉むものであり、
  嫉妬のわざわいは、極まることをしらない。
  智が自分より勝っておれば、それを悦ばず、
  才が自分より優れておれば、それを嫉むのであるが、
  このゆえに、五百年待ってようやく、一人の賢者に遇い、
  智徳の至極せる聖人には、千年待っても遇えないのである。
  賢者も聖人も出なければ、いったい何をもって国を治めるのか。
  
十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡夫人有私必有恨。有憾必非同。非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。
十五に曰わく、私を背きて公に向(ム)くは是れ臣の道なり。凡夫の人、私することあれば、必ず恨(ウラミ)あり、憾(ウラミ)あれば必ず同(ととのお)らず。同らざれば則ち私を以って公を妨ぐ、憾み起れば則ち制(コトワリ)に違い法を害(ヤブ)る。故に初の章(クダリ)に云えり、上下和諧(ヤワラギトトノ)えよと。其れ亦た是の情(ココロ)なるかな。
   
  十五には、こうである、――
  私事に背を向けて、公務に向うのが、臣の道である。
  凡人に私欲があれば、必ず遺恨をともなう。
  遺恨が有れば、必ず共同して仕事ができない。
  仕事を共同できないのは、私事が公務を妨害したからである。
  遺恨が起れば、制度を違え、法を害する。
  ゆえに初の章に、――
  上と下とは、協調せよ!と云ったのであるが、
  それが、この意味である。
  
十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。
十六に曰わく、民を使うに時を以ってするは古の良典(ヨキノリ)なり、故(か)れ冬の月には間(イトマ)あり、以って民を使うべし。春より秋に至りては農(ナリワイ)桑(コガイ)の節(トキ)なり、民を使うべからず。其れ農せずば何をか食(ハ)む。桑せずば何をか服(キ)ん。
   
  十六には、こうである、――
  民を使役するのに、時節を考えるのは、昔からの良習である。
  ゆえに冬の月は暇があるので、民を使うのも良いが、
  春より秋に至っては、農事、養蚕の時で民を使うべきでない。
  農事ができなければ、いったい何を食うというのか。
  養蚕ができなければ、いったい何を着るというのか。
  
十七曰、夫事不可獨斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辨、辭則得理。
十七に曰わく、夫れ事は独り断(サダ)むべからず、必ず衆(モロモロ)と与に宜しく論(アゲツラ)うべし。少事は是れ軽し、必ずしも衆とすべからず、唯だ大事を論うに逮(およ)びては、若しは失あらんことを疑え。故に、衆と相辨(ワキマ)うるときは辞(コト)は則ち理を得。
   
  十七には、こうである、――
  事というものは、独断すべきではない。
  必ず多くの人と、うまく是非を論ずべきである。
  小事は軽いがゆえに、必ずしも大勢でなくともよいが、
  大事を論ずるに及んでは、過失があるものと疑うべきである。
  大勢で是非を判断した事案に、道理を得るのは、このゆえである。
  
  
  皆様方の中に、「十七條の憲法」をかつて読んだことのあるかたが、どれほどいらっしゃるか、まったく分りませんが、案外、「一に曰わく、和を以って貴しと為す」と、「二に曰わく、篤く三宝を敬え。」と、これぐらいしか知らなかったかたも多いのではないでしょうか。
  わたくしも、今改めて、その全文を訳しながら、「なんだい、こりゃあ、‥‥いまどきの役人とちっとも変わらないじゃあないか!」といきどおりながらも、ある種の感慨が起るのを感じざるをえません。
  
  正直、訳しながら笑いが絶えませんでしたね、‥‥。
  おもしろいですネ、‥‥。
  
  
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  夢殿と、中宮寺でだいぶ時間をくってしまいましたので、五重の塔の前に立ったころには、すでにガイドにひきいられた小学生の集団が、いくつも回廊に囲まれた域中いっぱいに散らばっており、落ち着いて参拝するどころではありません。雀のさえずりにも似た騒音が、耳を聾するばかりに、そこらじゅうから聞こえ、ちょっと歩けば、前を小学生や中学生の行列が横切るというありさまで、写真を撮ろうにも、構図もアングルもあったもんじゃあありません。
  
  二兎を追う者は一兎をも得ず、‥‥まあ、これもやむをえないところでしょう。
  


  
  これは金堂です。正面から撮りました。
  薄暗い中に、飛鳥の金銅仏が安置されておりますが、狭い通路の中を小学生の集団に次から次に押されながら、流れ作業のベルトコンベア状態では、仏様をちらっと拝むのが精一杯、他には手の打ちようがありません。
  
  小学生相手に声を張り上げる、ガイドの幼稚な説明が、耳のすぐそばでとどろきます。金網越しに南無薬師、南無釈迦、南無阿弥陀‥‥と名を称えながら行く、苦行のような入口から出口までの遠いこと。
  


  
  言わずとも知れ、また見れば分る五重の塔。
  バカとケムリは高いところが好き、‥‥。
  いや、もういけません、そうとう疲れてきたようですな、‥‥。
  
  今回は、これぐらいにしておきましょう。
  
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  奈良にちなんで「柿の葉すし」はいかがですか?
  法隆寺の門前に「平宗(ひらそう)」という「柿の葉すし」の店があり、そこでも買ったのですが、写真を撮る前にみんな食べてしまいましたので、今回は吉野蔵王堂前の「たつみ」から取寄せました。
  この時期は、生の柿の葉を使いますので、いい香りがします。
  
  
  
  
  では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (法隆寺 おわり)