<home>

花  祭
************************
  
  四月八日を「花祭」と呼ぶのは、懐かしい思い出です。
  春の草花で飾り立てた小御堂に真鍮の盥と、右手で天を指さし、左手で地を指さして、「天上天下、唯だ我れのみ独り尊し」を形に表す尊像、謂わゆる誕生仏とを安置して、甘茶を小さな柄杓でその頂に注ぎかけるという行事、この質素だけれども、どこかゆかしい慣わしを、われわれは忘れてはならないと思うのですが、最近の事情では、クリスマスの隆盛を見るにつけ彼我の差を思わずにはいられませんが、‥‥
  
  しかし、二千五百年の昔、釈尊が印度で、ある国の太子として誕生された時は、それどころではございません。人民はおろか、梵天、帝釈、四天王を始め、天龍夜叉鬼神等、神通力で尊い方の誕生を知る、ありとあらゆる者たちがかけつけて、花を散らし香を焼(た)いて、お祝いしたものです。
  
  そのあたりを、皆様とご一緒に経典をひもといて、少しばかり偲んでみましょう。
  経典の名は、「修行本起経」といい、釈尊の誕生をしるすものの中では、比較的ポピュラーなものです。
  
於是能仁菩薩。化乘白象。來就母胎。用四月八日。夫人沐浴。塗香著新衣畢。小如安身。夢見空中有乘白象。光明悉照天下。彈琴鼓樂。絃歌之聲。散花燒香。來詣我上。忽然不現。夫人驚寤。
  
是に於いて能仁菩薩は化して白象に乗り、来たりて母胎に就き、四月八日に用(そな)う。夫人は沐浴して、香を塗り、新衣を著け畢(おわ)りて、小如(しばらく)身を安んずるに、夢に見るらく、空中に白象に乗るもの有り。光明悉(ことごと)く天下を照らし、琴を弾じて楽を鼓(う)つ弦歌の声す。花を散じて香を焼(た)き、来たりて我が上に詣(いた)り、忽然として現われず。夫人驚きて寤(さ)む。
  
:能仁(のうにん):釈尊を指す。釈尊は天上に於いて法を説いていたが、行業が已に満ち、仏と成る準備が調った為、精神を地上に降して、母の胎内に入った。この時、白象に乗って、母の夢中に胎内に入ったと伝えられている。
:用(ゆう):備える。
:夫人(ぶにん):王妃。
:小如(しょうにょ):しばらく。少しの時間。
:忽然(こつねん):たちまち。とつぜん。
  
  そして、
  能仁菩薩は白象に乗り、母の胎内に入って、四月八日を待つことにした、――
  夫人は沐浴し、身に香を塗って新しい衣を着けると、身を横たえて休息し、このような夢を見た、――
  空中より白象に乗って来る者がいた。
  地上は光明に照らされて、非常に明るくなり、琴を弾じ、鼓を打つ音楽が聞こえる。
  花びらが舞い、香が焼(た)かれる中、その象に乗った人は、夫人の上まで来ると、ふっとかき消すように見えなくなった。
  夫人は驚いて、目が覚めた。
  
王即問曰。何故驚動。夫人言。向於夢中。見乘白象者。空中飛來。彈琴鼓樂。散花燒香。來在我上。忽不復現。是以驚覺。王意恐懼心為不樂。便召相師隨若耶。占其所夢。相師言。此夢者。是王福慶。聖神降胎。故有是夢。生子處家。當為轉輪飛行皇帝。出家學道。當得作佛。度脫十方。王意歡喜。
  
王、即ち問うて曰わく、何の故にか、驚き動くと。夫人言わく、向(さき)に夢中に於いて見る、白象に乗れる者、空中より飛来す。琴を弾じて楽を鼓ち、花を散らして香を焼き、来たりて我が上に在るに、忽(たちま)ち復た現われず。是(ここ)を以って驚いて覚むと。王、意に恐懼し、心為に楽しまず。便(すなわ)ち相師を召して若耶に随い、其の夢みる所を占わしむ。相師言わく、此の夢は、是れ王の福慶にして、聖神胎に降(くだ)るが故に、是の夢有り。生子、家に処せば、当(まさ)に転輪飛行皇帝と為るべし。出家して道を学ばば、当に仏と作(な)るを得て、十方を度脱すべしと。王が意、歓喜せり。
  
:向(こう):さきに。昔。以前。先ほど。
:意(い):心におもう。
:恐懼(きょうく):おそれる。
:便(べん):すなわち。すぐに。
:相師(そうし):占相の師。
:若耶(にゃや):ニヤーヤ。学問の名。正理、因明、因論と訳す。規則、標準、原理等の意。
:福慶(ふくぎょう):さいわい。よろこび。
:聖神(しょうじん):聖なるたましい。
:生子(しょうし):うまれた子。
:処(しょ):しょする。おる。
:当(とう):まさに~すべし。未来を推理して、その必然なるをいう。
:転輪飛行皇帝(てんりんひぎょうおうたい):四天下の主。転輪聖王とも云う。
:度脱(どだつ):煩悩を脱して苦海を渡す。
:十方(じっぽう):東西南北、東南南西西北北東、上下。
:歓喜(かんぎ):よろこぶ。
  
  王は、問うた、――
 「何に驚いて、うなされていたのか?」と。
  夫人は、こう言った、――
 「先ほどの夢の中に、白象に乗った者が、空中より飛んで来るのを見ました。
  琴を弾じ、鼓を打つ音がすると、花びらが舞い、香が焼かれました。
  その人は、空中より、わたしの上まで来ると、ふっとかき消えて、もう見えなくなりましたので、
  それで驚いて、目が覚めたのです。」と。
  王は、恐ろしくなり、楽しむどころではなくなった。
  相師を呼び、その夢の吉凶を占わせると、
  相師は、こう言った、――
 「この夢は、王家にとっては、大変めでたいことです。
  神聖な精神が、天より降って胎内に入り、それでこのような夢を見られたのです。
  生まれた子は、家を継ぐことになれば、転輪飛行皇帝となって天下を領することになりますが、
  出家して道を学べば、仏となって、十方を度脱することになります。」と。
  王は、心より歓喜した。
  
於是夫人。身意和雅。而說偈言 
  今我所懷胎  必是摩訶薩  婬邪嫉恚止  
  身心清淨安  心常樂布施  持戒忍精進  
  定意入三昧  智慧廣度人  觀察大王身  
  敬如父以兄  瞻愍人民類  亦如己赤子  
  疾病醫藥療  飢寒施衣食  憐貧敬尊老  
  樂令生老滅  諸在獄閉繫  毒苦愁怖惱  
  願王加大慈  一時赦罪過  今我不欲聞  
  世俗音樂聲  志趣山林宴  清淨寂默定  
  
是に於いて夫人、身意和雅し、偈を説いて言わく、
  今我が懐胎する所、必ず是れ摩訶薩ならん、
  婬邪嫉恚止(や)み、身心清浄にして安らかなり。
  心に常に布施、持戒、忍、精進を楽しみ、
  意を定めて三昧に入り、智慧もて広く人を度せん。
  大王の身を観察すれば、敬うも父か兄を以ってするが如くし、
  人民の類を瞻愍するも、亦た己が赤子の如くならん。
  疾病には医薬もて療(いや)し、飢寒には衣食を施し、
  貧を憐れみ老を敬尊し、楽しんで生老を滅せしめん。
  諸の在獄、閉繋、毒苦、愁怖の悩(なやみ)あり、
  願わくは王、大慈を加えて、一時に罪過を赦(ゆる)したまえ。
  今我れは、世俗の音楽の声を聞くを欲せず、
  山林の宴に趣きて、清浄寂黙の定を志すのみ。
  
:和雅(わげ):なごみ平らかとなること。
:偈(げ):詩句。四句を一偈という。
:摩訶薩(まかさつ):マハーサットヴァ。大士と訳す。大菩薩の意。
:婬(いん):婬欲。
:邪(じゃ):邪見。因果の理を信じないこと。
:嫉(しつ):嫉妬。ねたみ。
:恚(い):瞋恚。いかり。
:布施(ふせ):ほどこし。
:持戒(じかい):常に五戒を護持すること。五戒は不殺、不盗、不邪婬、不妄語、不飲酒をいう。
:忍(にん):忍辱。堪えて忍ぶこと。
:精進(しょうじん):常に進んで退かないこと。
:定意(じょうい):心をうごかさない。
:三昧(さんまい):心のうごかない状態。
:以(い):なす。為。のようだ。
:瞻愍(せんみん):見てあわれむ。瞻は遠くから見ること。
:飢寒(きかん):飢えと寒さにくるしむ。
:衣食(えじき):着る物と食べる物。
:敬尊(きょうそん):うやまいたっとぶこと。尊敬。
:生老(しょうろう):生まれるくるしみと、老いるくるしみ。
:在獄(ざいごく):牢獄に在ること。
:閉繋(へいけ):とざし縛されること。
:毒苦(どくく):ひどく苦しむこと。
:愁怖(しゅうふ):うれいて怖れること。
:罪過(ざいか):つみとが。
:宴(えん):いこい。やすらぎいこうこと。安息。
:寂黙(じゃくもく):人声の無いこと。
:定(じょう):心のうごかない状態。禅定。
  
  そこで、
  夫人は、身心が和み、歌うようにこう言った、――
「わたくしが今、胎内に懐いたものは、
 きっと、これは大菩薩なのです。
 婬欲も邪見も嫉妬も、皆息をひそめ、
 身心は、清浄にして安らかです。
 心では、常に布施を楽しみ、
 持戒、忍辱、精進をも、楽しみましょう。
 禅定と三昧に、心を定め、
 智慧により、広く人を度(ど)しましょう。
 大王の身を、観察すれば、
 敬いこそすれ、父か兄とかわりません。
 憐れんで、人民の類を見れば、
 まるで、自分の赤子を見るようです。
 病む者には、医薬で療(いや)し、
 飢寒には、衣食を施しましょう。
 貧人を憐れんで、老人を敬い、
 楽しんで、生老の苦を滅(めっ)しましょう。
 牢獄に、閉ざし繋がれ、
 拷問に、苦悩する人、
 願わくは、王の大慈は、
 罪過をも、恩赦したまえ。
 わたくしは、今は世俗の、
 音楽を、聞こうとは思いません。
 安らけき、山林に趣きましょう、
 清浄と、寂黙の中に。」と。
  
於是粟散諸小國王。聞大王夫人有娠。皆來朝賀。各以金銀珍寶衣被花香。敬心奉貢稱吉。無量夫人。舉手攘之。不欲勞煩。自夫人懷妊。天獻眾味。補益精氣。自然飽滿。不復饗王廚。
  
是に於いて粟散の諸の小国の王、大王の夫人に娠有るを聞き、皆来たりて朝賀するに、各金銀、珍宝、衣被、花香を以ってし、敬心に貢(みつぎ)を奉り、吉を称(たた)うること無量なり。夫人は、手を挙げて之を攘(はら)い、労煩するを欲せず。夫人懐妊せしより、天、衆味を献じて、精気を補益すれば、自然に飽満して、復た王廚を饗(うけ)ず。
  
:粟散(ぞくさん):粟をまいたように小さくて多いこと。群小。
:朝賀(ちょうが):宮中に参内して祝賀を奉ること。
:衣被(えひ):衣服。
:花香(けこう):花と香。
:敬心(きょうしん):うやまう心。
:攘(にょう):はらう。しりぞける。
:労煩(ろうぼん):身心をわずらわせること。煩労。
:天(てん):空中に住する神々。
:衆味(しゅみ):多くの美味なる食物。
:補益(ほやく):益しておぎなう。
:精気(しょうけ):天地万物の根元となる気。元気。
:飽満(ほうまん):食って腹一杯になる。充満する。
:王廚(おうちゅう):王の廚房。
:饗(きょう):うける。受。食物をうけること。
  
  そこで、
  粟散する小国の王は、大王の夫人が妊娠したと聞いて、皆宮中に参内して祝賀を述べようとし、各々、金銀、珍宝、衣服、花香の貢を捧げて、この吉事を誉め称えたが、
  夫人は、手を挙げて、これを止めると、もうこれ以上煩わされようとは、思わなかった。
  夫人は、懐妊してより、天が常に美味な食事を献じて、精氣を補うので、自然に飽満して、もう王の廚房より、食事を受けることさえなかったのである。
  
十月已滿。太子身成。到四月七日。夫人出遊。過流民樹下。眾花開化。明星出時。夫人攀樹枝。便從右脅生墮地。行七步。舉手而言。天上天下。唯我為尊。三界皆苦。吾當安之。應時天地大動。三千大千剎土。莫不大明。
  
十月已に満ち、太子が身成ず。四月七日に到りて、夫人出遊す。流民の樹下を過ぐるに、衆花開化す。明星の出づる時、夫人樹枝に攀(すが)れば、便ち右脇より生じて地に堕つ。行くこと七歩、手を挙げて言わく、天上天下に、唯だ我れのみ尊しと為す。三界は皆苦なり。吾れ当に之を安んずべしと。時に応じて、天地大いに動き、三千大千刹土、大明ならざるは莫(な)し。
  
:出遊(しゅつゆう):城外に出て遊ぶ。
:過(か):たちよる。
:流民(るみん):ルンビニー。園林の名。
:衆花(しゅけ):多くの花。
:開化(かいけ):開いて形がかわること。
:攀(はん):すがる。よづ。下より上を引くこと。
:行(ぎょう):ゆく。あるく。
:三界(さんがい):欲界、色界、無色界の総称。衆生世間。
:三千大千(さんぜんだいせん):千の三乗。十億。
:刹土(せつど):仏国土。仏果を受けた国土をいう。
  
  十月が満ちると、太子の身ができあがった。
  四月七日のこと、夫人は城を出て山林に遊ぼうと思い、ルンビニー園の樹下に立ち寄った。
  多くの花々が開いて、明星が出る頃、
  夫人が、樹の枝を引き寄せて、右手を挙げると、
  太子は、右脇より生まれて地に堕ち、七歩歩いて、手を挙げ、こう言った、―― 
  「天上と天下と、ただわたしのみが尊い。
   三界は、皆苦であるが、
   わたしは、これを安んじるだろう。」と。
  その時、
  天地は大きく震動し、
  三千大千世界は大いに明るくなった。
  
釋梵四王。與其官屬諸龍鬼神閱叉揵陀羅阿須倫。皆來侍衛。有龍王兄弟。一名迦羅。二名鬱迦羅。左雨溫水。右雨冷泉。釋梵摩持天衣裹之。天雨花香。彈琴鼓樂。熏香燒香。擣香澤香。虛空側塞。夫人抱太子。乘交龍車。幢幡伎樂。導從還宮。
  
釈梵四王と、其の官属、諸の龍、鬼神、閲叉、揵陀羅、阿須倫と与(とも)に、皆来たりて侍衛す。龍王兄弟有り、一を迦羅と名づけ、二を鬱迦羅と名づく。左より温水を雨ふらし、右より冷泉を雨ふらす。釈と梵摩、天衣を持して、之を裹(つつ)めば、天は花香を雨ふらし、琴を弾じ、楽を鼓ち、香を薫じ、香を焼き、香を擣(つ)き、香を沢(うるお)し、虚空に側塞す。夫人、太子を抱きて、交龍の車に乗れば、幢幡、伎楽導従して宮に還れり。
  
:釈梵(しゃくぼん):帝釈天の主と大梵天の主。
:四王(しおう):四天王天の主。
:官属(かんぞく):官吏のともがら。官徒。
:閲叉(えつしゃ):ヤクシャ。人を害する鬼神の類。夜叉。悪鬼。
:揵陀羅(けんだら):ガンダルヴァ。天の楽神の類。
:阿須倫(あしゅりん):アシュラ。戦闘神の類。阿修羅。
:侍衛(じえい):はべりまもる。守護。護衛。
:迦羅(から):龍王の名。
:鬱迦羅(うっから):龍王の名。
:梵摩(ぼんま):ブラフマー。梵天に同じ。
:擣(とう):つく。舂。搗。
:沢(たく):うるおす。
:側塞(しきそく):みたす。充満する。
:交龍(きょうりゅう):二龍の交わる形を画いたもの。天子に次ぐ紋章。周禮に依れば、尊卑貴賎を標識とした九種の旗を定めて、その中、日月を描いた常(王の建てるもの)、交龍を描いた旂(諸侯)、通帛を描いた旜(孤卿)、雑帛を描いた物(大夫、士)、熊虎を描いた旗(師、都)、鳥隼を描いた旟(州里)、亀蛇を描いた旐(県、鄙)、全羽を描いた旞(道車)、析羽を描いた旌(遊車)を挙げる。
:幢幡(どうばん):はた。幢竿から垂れた幡。幢、幡共に旌旗の属で、高く秀でた頭に宝珠を戴き、種種の綵帛を以って荘厳した竿柱を幢といい、長く下に垂れた帛を幡という。
:伎楽(ぎがく):俳優の奏する音楽。
:導従(どうじゅう):前に導き後に従う。
  
  帝釈天、梵天、四天王天や、及びその官属と、
  龍王、鬼神、悪鬼、楽神、アシュラたちも、皆来て侍り、護衛した。
  龍王兄弟の迦羅と鬱迦羅とは、左からは温水、右からは冷水の雨を降らして身を漱ぎ、
  帝釈と、梵天とは、天の衣を持って、この子を包んだ。
  その他の天たちも、花びらや香を雨のように降らす者、琴を弾き鼓を打って音楽を奏でる者、香を薫じ、香を焼き、香を搗き、香を湿す者たちで、虚空は充ち満ちていた。
  夫人は、太子を抱いて、交龍の紋を描いた車に乗り、幢幡や、伎楽の長い行列が、前に導き、後に従って宮に還った。
  
  
  感動的な場面ですねェ、平和なものです、‥‥
  しかし、この平和こそが、他の宗教には見られない、仏教の一大特徴だということは、ご存知ですか?
  人には、いろいろ信奉する所があり、それ故に、己の信奉する所を守るために、さまざまの諍いを引き起しますが、仏教とは本来、そういうものではないのです。
  
  では、少しばかり、その辺のことを、おさらいしてみましょう、――
  仏教徒とは、「三帰五戒(さんきごかい)」を受けた者ということですが、この中、三帰とは謂わゆる仏法僧に帰依すること、五戒とは不殺、不盗、不邪婬、不妄語、不飲酒を誓うことです。
  言ってみれば、ざっとこんなところですかな、――
    「お前は、仏に帰依するか?」、「はい、帰依します。」、
    「お前は、法に帰依するか?」、「はい、帰依します。」、
    「お前は、僧に帰依するか?」、「はい、帰依します。」、
    「お前は、殺さずにおれるか?」、「はい、殺しません。」、
    「お前は、盗まずにおれるか?」、「はい、盗みません。」、
    「お前は、邪淫せずにおれるか?」、「はい、邪淫しません。」、
    「お前は、妄語せずにおれるか?」、「はい、妄語しません。」、
    「お前は、酒を飲まずにおれるか?」、「はい、飲みません。」。
  たったこれだけ、そうたったこれだけのことです。それどころか、仏法そのものが、たったこれだけなんです。言ってみれば、「五戒」そのものが、「法」なのです。ただ何故そうなのかという説明が謂わゆる八万四千の法門、すなわち「法」を得る(つまり理解する)ための「門」で、そちらの方に重点を置くと、仏法はひどく分りづらいものになってしまうのですが、その本体だけを見れば、本当にたったこれだけなのです。
  
  この中で、妄語(もうご)は、あるいは説明した方がよいかと思いますが、「デタラメを言わないこと」だと思えば、当らずといえども遠からずで、ではなぜ、「デタラメを言う」ことが悪いのかというと、何月何日にどこそこで会いましょうという約束を真に受けて、そこに行ったところが、待てど暮らせど、一向に来ない、電話を掛けて、いったいどうしたんだと文句を言えば、相手は、いや、あれは単なる社交辞令だよ、冗談だよと言う、まあ、こんな立場に立つことを考えてみれば、いいかげん腹も立とうというもので、人を怒らせる結果になりますので、これは明らかに悪いことであります。
  では、「酒を飲まない」とは、どういうことか、これも同じような意味合いで、「いや、あれは酒の上の約束じゃないか、本気にする奴があるかい」とか言われた気になれば、これも明らかに悪いことであり、「邪婬」は、夫婦むつまじからずという状態になりますので、なに一つ取っても、良いはずがありません。「殺さない」、「盗まない」等も、皆、我が身の上に置き換えてみれば、明らかに悪いことで、皆同列であります。
  
  まあ、我が身を例にとれば、「五戒」というものの意味も理解できようかと思うのですが、この「五戒」を受けるためには、まずその前に三帰を受けなければなりません。これはどういう意味かというと、仏法僧とは、覆護(ふご、おおってまもるもの)である、帰依とは、覆護に帰趣することである、とされていますので、仏法僧という父母のふところへ帰りついて、身を委ねるということだと思っておれば、まず間違いのないところです。
  その父母の前で、「これからは、お父さんの言うことをよく聞きます。お母さんの言うことをよく聞きます。お兄さんの言うことをよく聞きます。」と、まず最初に誓い、その後で、「はい、おっしゃるとおりに、もう悪さはしません。」と誓うのが、「三帰五戒を受ける」ということの意味なんです。まあ自分で知っていても、人から言われた方が、より効き目が強いということなんですな、‥‥。
  
  そこで、問題となるのが、「殺生戒」、「もう殺しません」というこれですが、バラモン教などでも、昔はそうでしたが、神に生贄(イケニエ)を捧げるというようなことを盛んに行っておりましたが、これはキリスト教の前身たるユダヤ教なんかも同じことですが、そうすると、「殺生戒」にも、自らある種の制限を設けることになります。
  例えば人間のみを殺してはならない、白人のみ、何種のみ、何国人のみということです。これはもう「殺生戒」本来の意味を失っておりますので、もうこの世は安全な場所ではありません。仏教では、人は死ねば必ず五道を輪迴して、次は何に生まれてくるか分らないと考えるからです。
  
  そうすると、必ず、こんなことを言う人が出てきますな、謂わゆる「じゃあ、誰も殺す者がいないとなれば、肉も食えず、魚も食えず、それどころか、百姓すれば地中の虫を殺すことになるから、百姓もするなということかい?じゃあいったいなにを食えばいいんだ?」と。
  しかしねぇ、なにごともまずやってから言いましょう。本当にそれで困れば、また別の考えも出てこようというものです。仏法というものは、「必ずそうでなくてはならない。」とは考えないものなんです。「それでいけなければ、別の方法を考えよう。」、これが仏法なんです。
  
  「薔薇の名前」という映画で広く世に知られた所ですが、「イエスの着ていた服は私有財産かどうか?」というような事を諍って、諍いに負けた方は、火刑に処せられたりしましたが、仏教では「殺生戒」を守るために、裁判したり、刑罰を設けたりすることはありません。
  
  仏教というものは、自覚をたいへん重視しますので、強制しても意味がないと考えるものなんです。それに、「五戒」というものは、皆、自分自身を守るものであるというのが、仏教的考えですから、これに依れば、五戒を守らずに損をするのは、自分ということで、そんな中では、強制するということはあり得ないことなのですね、‥‥。
  
  それに、世間では余り言われないことですが、仏教の目的はと言えば、平和、まさに平和こそが、仏教の目指す窮極の目的なんです、誰も、「殺されるんじゃないか。」と恐れないこと、これが平和なんです。だからですね、‥‥平和を求めて戦争するなんて言う者がいれば、それは平和が目的ではないんですな、‥‥戦争が好きでやっているんだと思いますよ、‥‥。印度の仏教がイスラム教によって滅亡させられたのは、そういうことなんですが、しかし、真理が滅びたのではないのです。
  
  言うは易く、行うは難し、‥‥。まあ、そういうことですが、‥‥。
  しかし、仏教的理想を机上の空論にしているのは、そんな事を言うあなた自身なのですよ、‥‥。
  「無量寿経巻下」には、「またその国土の微妙、安楽、清浄なること、かくのごとし。何ぞ力(つと)めて、善を為し、道の自然を念じ、上下無きに著して、辺際無きに洞達せざる。宜しく各勤めて精進し、努力して自らこれを求むべし。必ず、超絶して去ることを得、安養国に往生せん。横ざまに五悪趣を截(き)らば、悪趣は自然に閉じ、道を昇るに窮極無し。往き易くして、而も人無き、その国は、逆違せずして、自然の牽く所なり。何ぞ世事を棄て、勤行して道を求めざる。」と言って、行者を励ましているんですがねぇ、‥‥。考えてみれば、人類の歴史は極めて短く、高々数万年にしてすでに終末に向っています。それに反して、恐竜の歴史は一億六千万年、巨大隕石の爆発によって絶滅したと考えられています。この地球という天体は、それほど豊かなのです。上下無き世界に執念を燃やし、自他の辺際(区別)無き世界を洞達(明察)するならば、一億六千万年の歴史も夢ではない、これが「無量寿経」の主張する、安楽国なのです。
  
  まあ、無理かな、‥‥。
  
  
************************


  「願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月のころ」
  西行の歌ですが、桜の花の優れたところは、この華やぎの中の静けさにあると思います。この季節、この花の下に毛氈を敷き、小さな手あぶりに火を熾し、錫のチロリを灰にいけ、ひとり静に花を眺めて、何も言わず、考えず、ただじーッと坐っている、‥‥。桜というのは、そういう気分の花ですから、騒々しい雰囲気の中でする花見というのは想像もつきませんが、‥‥。人、それぞれですから、‥‥。
  
  
  先月は、お稲荷さんに、三億円の宝くじをどうか当ててくださいと、半分本気でお願いしてきましたが、お賽銭がたったの百円では、かえってバチを当てられないだけでも、もっけの幸いということかも知れません。
  その神頼みに関して、少しおもしろい話がありますが、皆様の、お気に召すかどうか、‥‥。
  
  


  福の神の正体
宇野浩二

  摂津の国(今の大阪府)の西の宮に、恵比須(えびす)神社という、名高い社(やしろ)があります。『恵比須、大黒、福の神』といって、この神様は、人に福をさずけてくださるというので、いつも参詣人がたえません。いまでは、この神社のまえに、電車の停留所ができているくらいで、なかなか、はんじょうな神さまであります。
  ことに、毎年、一月の十日は、その神さまの祭日で、むかしは、あまり参詣人がこみあって、その日は、けが人ができたり、人死にがあったり、したくらいです。それは東京でいうと、ちょうど酉の市のような『さわぎ』なのです。
  さて、この神さまのほんとうの名は、恵比須三郎というのです。いつも、にこにこわらっていて、右手に釣竿をもち、左手にタイをだいている神さまの絵を、みなさんは見たことがあるでしょう。あの神さまです。両方のほっぺたに、『ふくろ』のような大きな耳が、ぶらぶらとたれているでしょう。――ところが、あの、いかにも、ふくぶくしそうな大きな耳が、人の『うわさ』では、『つんぼ』だという話なのです。
  それで、『よく』の深い人たちは、一月十日の朝、ほかの参詣人がでかけてこないうちに、恵比須さまのお社の裏手のへいのところに立って、
「とんとん、とんとん。」と、力まかせに、へいをたたくのです。
「とんとんとん。恵比須さま、恵比須大明神さま、私は桃井桃太郎という者でございます。いや、桃井桃太郎だけいっては、もしほかに私と同じ名まえの人とまちがわれてはこまります。私は何町何番地に住んでいる、桃井桃之助の子で、桃井桃子の兄で、何年何月何日うまれの桃井桃太郎というものです。私に、どうか、まちがいなく、ことしの福をおさずけください。おたのみ申します。恵比須さま、とんとん、とんとん。きっとですよ、桃井桃太郎です。おたのみ申しておきます。」と、こんなふうに、まるで『けんか』でもするように、大きな声をたてて、おねがいするのです。
  これはほんとうの話しです。『うそ』だとおもうなら、一月十日の朝早く起きて、西の宮の恵比須神社におまいりしてごらんなさい。そうして、社の裏がわへまわってみるとわかります。そこには、もう、夜のあけぬうちから、おおぜいの人がきて、まるで夜おそくかえってきて、ねている家の人をたたきおこすような『あんばい』で、
「私はどこそこの呉服屋です。とんとん。」
「私は何町の魚屋です。どうぞ、福をさずけてください。恵比須さま、きこえましたか。おねがいです。とんとん。」
  と、それは、それは、おおぜいの、おとなや子供や、年よりや若いものが、寒いので手をまっかにして、だが、いっしょけんめいですから、みな、ひたいから、あせをながして、そうして、いのっています。それが、いまもいったように、まだ、まっくらな、夜のあけないうちのことですから、おどろくではありませんか。
  ですから、これは、よほど御利益(ごりやく)のある福の神さまにちがいありません。ところが、御本尊(ごほんぞん)の恵比須三郎という人は、いきていられたじぶんは、たいへん、福には、縁の遠い人であったということがわかって、おどろきました。人の『うわさ』などというものは、まったく、あてにならないものです。ことに人の『うわさ』では、さきにもいったように、『つんぼ』だということですが、耳は、よくきこえたと、本には書いてあります。私は、これから、その本で読んだ、恵比須三郎という人のお話しを、しようとおもいます。
  むかし、むかし、ずっとの昔のことであります。あるところに、神さまのご夫婦がありました。この神さまは、ずいぶん広い領分(りょうぶん)を、もっておられたので、それをいくつかにしきって、うまれたお子さまたちに、わけることになさいました。ご夫婦のあいだには、もう二人(ふたり)のお子さまがありました。それで、おとうさまの神さまは、おかあさまの神さまと、そうだんして、もう、その二人のお子さまには、それぞれ大きくなられたら、わけてあたえる国をさだめておかれました。そうして、
「こんどうまれた子には、あすこの国をやろう。」と、楽しみにしておられたところへ、また、三番めのお子さまがうまれました。
  ところが、うまれてきた、三番めのお子さまを見て、親の神さまたちは、たいへん、力をおおとしになりました。というのは、そのお子さまは、さいわい、男だったのですが、どうしたのか、足が立たない、『かたわ』ものなのです。はじめのうちは、
「これは、きっと、だんだん、大きくなったら、足が立つようになるだろう。」と、心だのみにしておられましたが、どうしたのか、三才になりましても、やっぱり、足が立たないばかりか、兄さまたちとちがって、『かたわにうまれたためか、元気(げんき)がなくて、これでは、とても、国をやっても、まんぞくにおさめていけそうに思われませんでした。
そこで、おとうさまの神さまと、おかあさまの神さまとが、『そうだん』なさいまして、
「とても、あの子は、大きくなっても、ひとり前の者になりそうにないと、私は、おもうが、おまえのかんがえはどうじゃ。」と、おとうさまの神さまが、いわれました。
「私もそうおもいます。あれでは、国がおさめていけそうにありません。」と、おかあさまの神さまが、いわれました。
「それもいいが、あんなものは親の『かお』をよごすものだし、といって、人にやるわけにもいかないし、どうしたものだろう。」
  そこで、お二人で、いろいろ、『そうだん』されましたすえに、葦(あし)の舟にのせて、海にながしてしまおう、ということになりました。
「それで、もし、あの子の運がよければ、どこかの島にでもついて、命がたすかれば、一生、なんとかして、くらしてゆくだろうし、どうせ、あんな『かたわもの』だから、いまのうちに、海のそこにしずんでしまったら、そのほうが、しあわせかもしれない‥‥。」
「それがいいだろう。」
「それがいいでしょう。」
と、いうことで、とうとう、その、かわいそうな、『かたわ』の子供は、葦の舟にのせられて、ある晩、そっと、海に、ながされたのでした。その子が、恵比須三郎なのです。ですから、恵比須三郎は、『つんぼ』ではありませんが、足の立たない、『かたわ』ものだったのです。が、葦の舟にのせられて、海にながされた恵比須三郎は、運が、よかったのか、わるかったのか、波のそこにもしずまずに、ながれながれて、摂津(せっつ)の国の、西の宮の海岸に、ただよいつきました。それが一月十日の朝のことでした。
  その一月十日の夜あけごろのことでした。西の宮の海岸で、漁師の広太(ひろた)は、いつものとおり、釣針(つりばり)にエビの『えさ』をつけては、タイを釣っていました。広太は、親もなければ子もない、ひとりものの貧乏(びんぼう)な漁師(りょうし)でしたが、たいへん、正直な男でした。広太は、毎日、そんなに早くから、釣竿を持って海岸にでかけて、それから、ひるごろまで、タイを釣るのを、『しごと』にしていました。そうして、ひるごろまでに、タイ三びき釣れても、五ひき釣れても、きっと自分はそのなかの一ぴきだけをとっておいて、あとは、近所の村で、親がなくてこまっている子や、子がなくてさびしがっている親に、一ぴきずつ、わけてやりました。それから、町にでて、自分の分の一ぴきの魚を、ほかの『たべもの』にかえて、それで、『まんぞく』して、毎日毎日を、おくっていました。
  その朝も、そうして、広太は、夜あけから、いっしょけんめいに、釣竿をにぎっていましたが、どうしたのか、ちっとも釣れません。が、べつに腹も立てず、かんしゃくもおこさずに、ぼんやりと、釣竿を、にぎっていますと、そろそろと、海のうえの空がしらんできました。すると、そのとき、なにげなく、海のうえを見ていた広太の目に、へんなものが、うつりました。
「おや、なんだろう。」とおもって、目の上に『しわ』をよせて、『ひたい』に手をかざして見ますと、なんだか、小さな舟のようなものが、しだいしだいに、こちらにむかって、流れてくる『ようす』なのです。よく見ると、その舟の上に、五才ぐらいの男の子が、にこにこ笑いながら、しかし、ぼんやりした顔(かお)をして、のせられているのです。
「かわいそうに、かわいそうに。」と、それを見ると、広太は、いいました。「あんな小さな子供が、どういうわけがあるのかしらないが、たったひとりで、見れば、葦の舟にのせられて、ながされてきた‥‥。」
  広太は、その舟が、だんだん近づいてきましたので、もう、『釣り』をすることも、なにもわすれて、釣竿で、その舟を、ひっかけて、ちかよせました。そうして、舟のなかから、小さな恵比須三郎を、ひろいあげました。
「おや、おや。」と、なさけぶかい広太は、そのとき、気がついて、いいました。
「この子は、『かたわ』だな、だから、かわいそうに、親たちにも、すてられたものと見える。よしよし、私が、ひろって、この子を、そだてましょう。なあに、毎日、一ぴきずつ、のこしておくタイを、二ひき、とっておけばいいんだ。」
  そう、『ひとりごと』をいって、広太は、だまって、にこにこと笑っている恵比須三郎を、舟のなかからだきあげて、かた手にタイをさげて、いつものように、町にでかけました。その日から、広太は、夜ねるときも、『ごはん』をたべるときも、釣にいくのにも、町にでるのにも、いつでも、小さな恵比須三郎を、かた手から、はなしませんでした。そうして、恵比須三郎は、だんだん、大きくなりました。
  恵比須三郎は、へんな子でした。漁師の広太も、ずいぶんだまっている方でしたが、三郎は、もっと、だまっていました。一日のうちで、朝、「おはよう。」というのと、夜「おやすみ。」というほかには、ほとんど、ものをいわなかったくらいです。そうして、どういうわけか、子供のじぶんから、にこにこわらってばかりいて、一ども、泣いたことがありません。ところが、三郎は、しじゅう、そうして、わらっているくせに、ちっともうれしそうに見えません。広太は、おかしな子だ、と、『こころ』のなかでは思いましたが、やっぱり、だまって、しんせつに、そだてました。
  が、やがて、だんだん、おとなになった恵比須三郎は、ある日、広太に、
「いろいろおせわになりました。これから、私が、あなたのかわりに、タイを釣りましょう。あなたは、もう、年(とし)をとったのですから、これから楽(らく)をしてください。」と、いいました。そうして、広太が、なんといっても、三郎は、そう、いいはりました。ところが、三郎は、うまれつきのかたわで、足が立たないものですから、広太は、三郎と『そうだん』して、海岸に一けんの家をたてました。家といっても、そこらから、よせ集めてきた、板や材木でたてるのですから、『ろく』なものではありませんでしたが、ただ、三郎の注文(ちゅうもん)で、三方を、すっかり、板でかこんで、海にむいたほうだけ、あけた家を、こしらえました。そうして、その家にすわって、そこで、三郎は、広太のかわりに、それから、毎日、タイを釣ることになったのです。
  恵比須三郎は、自分の『かたわ』のすがたを、人に、見せたくないと、思ったのでしょう。あるとき、三郎は、広太に、べつに自分をすてた親を、うらめしいともおもわない、が、また、こいしいともおもわない。べつに、親をさがしだして、あいたいともおもわない。けっきょく、いろいろな人にあるのは、うるさい、といいました。しかし、この世がつまらないとは思いませんか、もっと、りっぱな家へ住みたいとか、もっとおいしいものをたべたいとか、そんなことは、思いませんか、と、広太が聞きますと、三郎は、あいかわらず、にこにこ、わらいながら、いちいち、頭をよこにふりました。そうして、私は、これでまんぞくです、といって、けろりとして、海をながめていました。だから、広太は、もう、そのうえ、なんにも、ききませんでした。
  ところが、三郎は、たいへん、釣がじょうずでした。漁師の広太の、三倍も五倍もじょうずでした。それに、三郎は、広太とちがって、朝から晩まで、その三方板壁にかこまれた、家に、すわって、釣ばかりしているわけですから、広太がつった五倍も十倍も、タイがとれるわけでした。広太は、朝からひるまでは、自分の家で、いろいろ用事をして、ひるごろになると、海岸の三郎の家に、でかけていきました。すると、三郎は、広太のるすちゅうに釣りあげたタイを、すっかり、広太に、やりました。広太は、いままでどおり、そのなかから、二ひきだけとっておいて、あとののこりを、こまっている人に、一ぴきずつ、持っていってやりました。それから、広太は、自分たちの分を二ひきだけさげて、あいかわらず、町にいって、それを自分たちの毎日の『たべもの』と、かえてきました。
  ところが、人間(にんげん)というものは、『よく』のふかいもので、広太が、このごろ、タイをたくさんもっているのをききつけて、こまっている者も、こまっていない者も、毎日毎日、広太のところへ、もらいにきました。
  そればかりならいいのですが、なかには、おなじ人が、一日に、二度も三度も、はじめてのような顔をして、もらいにくるのです。しかし、広太は、一度やった者の顔は、よくおぼえておいて、けっして、二どおなじ人にやるようなことは、しませんでした。あるとき、広太は、そういう、『よく』のふかい、人間の話しを、三郎の家にいったとき、しますと、三郎は、あいかわらずにこにこわらった顔を、海の方にむけたまま、いっしんに、釣りをしていましたが、なんとも、こたえませんでした。
  すると、『よく』ふかの村の人たちは、いろいろかんがえました。これは、広太のところへ、もらいにいかずに、じかに、浜(はま)の恵比須(えびす)さんのところへ、もらいにいったら、きっと、たくさん、くれるにちがいない、と、こう、気がつきましたので、人びとは、思い思いに、そっと、浜にでかけていきました。それには、広太が、いっていない『すき』を、ねらっていかなければなりませんでした。それから、もう、ひとつ、こまったことがありました。それは、浜の恵比須三郎の家は、さきにもいったように、ただ、海の方にむかって、ひとところ開いているだけで、あとの三方は、すっかり板かべで、窓(まど)もなにも、ついていないことです。しょうがないので、そこで、人びとは、その板かべのところに立って、
「恵比須さま、恵比須さま、とんとん。」と、たたきました。
  ところが、恵比須三郎は、それをきいても、だまって、『へんじ』をしませんでした。へいのそとでは、いくらたたいても、『へんじ』がないものですから、あるものが、
「なるほど、恵比須さまは、なんでも、『かたわ』ものだという話だが、これはきっと、つんぼにちがいない。」と、いいました。
  そこで、みんなは、できるだけ、いっしょけんめいに、できるだけ大きな声で、
「恵比須さま、とんとん、タイを一ぴきください。私は、かわいそうなものです。びんぼうで、こまっているものです、とんとん。」
「とんとん、恵比須さま。」と、また、べつのものは、たたきながら、さけびました。
「私は、平吉(へいきち)というものです。けっして、二ひきもらいにきたのでは、ありません。きょうは、まだ、一ぴきも、もらわないのです。‥‥どうぞ、おねがいです。」
「私は、半作という者です、とんとん。」
  しかし、恵比須さまは、たれが、なんといっても、いくら、へいをたたいても、やっぱり、きこえないふりをして、にこにこわらいながら、海の方をむいてタイを釣っていました。そこで、また、『よく』のふかい人たちは、これは、あまり、おおぜいくるので、きっと、タイのかずがたりないのにちがいない、これは、朝はやく、だれもこないうちにきて、たのもう。こうおもいまして、それが、ひとり、ひとり、みな、自分だけがおもいついたような気で、それからは、朝はやくから、まだ夜のあけないうちから、きて、
「恵比須さま、とんとん。」と、はじめました。けれども、恵比須三郎は、けっして、それには、『へんじ』をしませんでした。
  それをきいて、広太は、みんなに、いいました。
「このタイは、はたらきのできない人に、一ぴきずつやるんじゃ。『はたらき』のできるくせに、もらいにくるようなものには、やらない、おまえたちのなかで、わざわざ朝はやくから浜にでかけていって、人の家のへいをたたくような、『りょうけん』の、ものには、私も、このタイをやるわけにはいかない‥‥。」
  それでも、やっぱり、『よく』のふかい人たちは、恵比須さまは、『つんぼ』だから、きこえないのだ、といって、毎朝、三郎の家の裏手のへいを、たたきにゆくことを、やめなかった、ということであります。
  ――これが、ちかごろ、私が、本で読んだ、恵比須さまの物語(ものがたり)であります。やがて、恵比須三郎も死に、広太も死にました。そうして、二人は、そんなつもりでなかったのに、いつとなく、『よく』ふかな人たちに、神さまに、まつられたのだ、と、書いてありました。なるほと、西の宮の、恵比寿神社にかぎらず、大阪の今宮の恵比寿神社にも、どこのにも、恵比寿神社のあるところには、きっと、そのちかくに、広田神社というのがあります。これは、あの、漁師の広太を祭ったものにちがいありません。いまも、恵比寿神社にまいる者は、きっと、広田神社にも、まいらなければならない、ということになっています。ですから、一月十日の祭日には、恵比寿神社と広田神社とのあいだに、けが人ができるくらい、おおぜいの人ですから、一月十日がくると、ちかごろは、おおぜい巡査がでて、『けいかい』しています。が、私が読んだ本の話しが、ほんとうでしたなら、きっと、恵比寿神社の神さまも、広田神社の神さまも、『めいわく』しておられるにちがいありません。
  






************************
≪きしめんの卵とじ、春の三種添え≫
  材料、二人前
  きしめん:150グラム。
  だし汁:かつお、こんぶ、味醂、白醤油。
  春の野菜:筍、菜の花、土筆。
  卵:1個。
  
  
  
  では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (花祭 おわり)