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伊 勢 神 宮


  「菜根譚」を読めば、「功名富貴の心を下に放ち得れば、便(すなわ)ち凡を脱す。」とか、「奢(おご)る者は富みて足らず。何ぞ倹(つづまやか)なる者の貧にして余り有るに如(し)かんや。」とか、まことにもっともな事が書かれていますが、生憎この老人は、未だに俗気が抜けず、「功名富貴の心を放ち得ずして凡を脱せず」とか、「倹にして貧なるも、余り有らず」といった状態のまま、日日うつうつとして暮らしておりますと、いかなる天啓あってか、カメラを新しくすれば、さぞ気も晴れようと、まことに小人の小人たるゆえん、物質をもって事を一気に解決しようという大それた考えを懐くに至り、物欲の権化となりはててしまったのであります。それより後、日日、今のカメラの至らざる所、及ばざる所をぐちぐちとつぶやいておりましたところ、ねばりづよい作戦が功を奏することになり、レンズは今のまま、ボディーだけをsony α200から、同じくsonyのα77にするという条件で、ようやくうつうつの日日を抜け出すことができました。まことにご同慶の至りであります。
  
  待つこと数日、満足のさまを記念すべく、家人に撮らせたのがこの一枚ですが、驚いたことに1/4秒という極めて遅いシャッター速度で撮られていたにもかかわらず、あまり顕著な手ぶれが見られません。手ぶれに悩む老人にとっては以って非常なる朗報となすべきでしょう。
    
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  カメラが新しくなったはよいが、はたして今月は何を撮ればよいのか?俗にいうニッパチガレの言葉どおり、今時分はどこへ行っても写真の対象にはなりそうにありません。まあ伊勢にでも行ってみるか、あそこなら年中同じで、かえって今頃の方が人出も少く、写真も撮りやすかろう、ということで、例によって例のごとく、朝三時半に起き、結び飯を食い、準備万端整ったのが四時半、それから三時間、ひたすら闇夜をライトで切り開きながら、途中立ち止まることもなく、外宮の駐車場に着きますと、夜もようやく明け初め、空も白んでまいりました。早いタクシーがすでに早朝の客を送り届け、お参りのすむのを待っております。
  
  α77はファインダーが高精細の電子式で、露出のアンダー、オーバーの状態がファインダーに反映されます。オート露出の補正をファインダーを見ながらできるということは、ほぼ露出の失敗から解放されということですが、その見え具合に関しては、ラチチュード(許容範囲)が狭く、コントラストが高すぎて暗部がつぶれやすいので、未だしの感があり、決して十分とはいえないα200の安物ファインダーにも劣ります。あるいはあと二回ほどモデルチェンジをへて完璧となるのではないでしょうか。
  


  高い玉垣を張り巡らした鳥居が本殿の入口です。鳥居脇には、制服のフロックコートを着用した衛士が立っています。
  
  α77は色の出方がやや不自然で、α200の方が自然であったような気がします。今はスタンダードというモードですが、赤と青とが強く、緑がやや弱いような感を受けます。他のモードを試した方がいいでしょう。
  


  玉垣の内は撮影禁止になっていますので、これ以上踏み込んでは撮れません。各家には各家の事情があり、止むをえないことではあります。直立不動で祈りを捧げている人から、その雰囲気が伝わればよろしいのですが、‥‥。
  
  前の写真から、ここまでいくらも時間はかかっていませんが、もう光線の状態が変わってきたようで、不自然さもやや薄らぎました。


  玉垣の外からは、写真を撮ってもよいようですので、遠慮なく撮らせていただきました。
  
  扉の金具と、屋根の上の鰹木とは金色に輝いていたものですが、写真には捉えられておりません。新しいカメラには、いろいろな心配事がつきものです。


  玉砂利の歩道から、暗い林を透かして、金色の棟、鰹木、千木が垣間見えます。広い外宮の境内の、あちこちに大体これと同じぐらいの小さな社が散らばっているのです。
  
  このようなオート露出ではむづかしいところも、ファインダーで確認しながら補正できます。カメラから、あらゆる失敗の種が取り除かれるのも、そう遠いことではないでしょう。


  失敗写真!人物の目線が画面外に飛んでしまいました、‥‥。
  
  モニターで拡大して見ると、カメラの焦点は社の棟木に合っており、手ぶれがないのも分かります。ピントが甘く見えるのはダウンサイズの影響です。


  どれもこれも同じような造りで、ほとんど見分けがつきませんが、これは域内別宮の恐らく風の宮という社だと思います。
  
  α200の場合は能力的には1000万画素で、実際には250万画素のスモールサイズで使用していましたが、今度のα77は2400万画素を、600万画素で使用しています。しかしそれでもモニターで拡大して見ると、驚くほど細かい部分まで、それこそ砂利の一粒一粒から、葉っぱの一枚一枚、木目の一筋一筋まで、精細に写っていますので、2400万画素は、ほとんど何の為に必要なのか、さっぱり分かりません。


  さて、外宮の方は、ここまでにしておきましょう。まだこの他にもいっぱいありますが、もうここまでで、雰囲気は十分伝えられたことと思います。
  
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  伊勢神宮は外宮と呼ばれる豊受大神宮と、内宮と呼ばれる皇大神宮との併称で、その参拝の順序は外宮を先にして内宮を後にするものとされています。
  写真のプロパティを見てみると、外宮に到着したちょうど一時間後、八時三十分にこの写真を撮ったことが分かります。観光バスで来られたのでしょう、四十人足らずの団体が早くも到着して、宇治橋の鳥居前で、仲間の集まるのを待っています。キャメルのコートに黒のブーツの女性が立ち止まってパンフレットか何かを読んでいます。若い方のように見受けられますが、早朝から神宮参拝とは崇敬心が高くて結構なことです。
  
  日がさしてきたと見え、うっすら影が写っています。今日は暖かくてよい日になりそうです。
  


  玉砂利の中には、杉の大木が何本も聳えており、人がぶつかっても傷つかないよう、竹で保護されています。
  
  内宮も境内には別宮、摂社、末社が無数に散らばっていますが、もう疲れてきたので、皆割愛しましょう。
  


  内宮本宮です。ここは外宮より撮影条件がやや厳しく、石段下からのみ許されています。
  
  以上のようなことで、カメラテストも無事終了しました。おつかれさま、‥‥
  
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  さて、陰暦二月十五日、満月の夜、お釈迦さまがお亡くなりになられました。今年は三月二十六日か、二十七日に当ります。しかし多くの寺院では、あるいは月齢に関係なく、二月十五日か、三月十五日に「涅槃会」を開催されるのではないでしょうか。
  
  涅槃とは、梵語ニルヴァーナの音写で、原義は「(火が)吹き消された」という意味です。恐らく、釈尊を失った悲しさを、「風に火が吹き消されて、明りがなくなってしまったようだ。」と喩えたのが初まりだろうと思いますが、後には涅槃の義を「煩悩の火が消えた」という意味に取り、いろいろやかましく議論の対象にしております。まあ、それはそれで非常に面白いのですが、この「涅槃会」は、あくまでも釈尊の威徳を偲ぶものでなくてはなりません。
  
  しかし老人は、欲しい物を手に入れて、それこそ「煩悩の火が消え失せた」かのように、物欲が消えてしまいましたので、それとともに、今まで盛んに出ていた「アドレナリン」も一時にさっと引いてしまい、敢て困難に立ち向かって、何か説教じみた事を言うだけの元気が出てまいりません。幸い、平成二十三年二月に「雪の日」と題して、「遺教経(ゆいきょうぎょう)、又は仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいぎょう)」というお経を現代語に訳しております。これを見れば、釈尊の仰りたかったことは何なのか、手に取るように分かりますので、どうかもう一度、お読み下さるようお願いします。
  
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ということで、今月は伊勢土産「ういろう(虎屋ういろ)」です。
  
  
  
  
  
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (伊勢神宮 おわり)