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梨(なし)
  
  今月のテーマは梨にしようと、はやくから決めていましたので、梨狩りでもすれば、写真もとれ、梨の木の根方にはピクニックマットを敷き、その上で高原の空気をすったり、弁当をたべたり、寝そべって本でも読んだりすれば、さぞ心地よかろうと思い、近くの果樹園にきてみたのですが、案内されたのはとてもそんな雰囲気の所ではありません。何もしないで帰るよりはと、しかたなくやっと家内と一個の梨を半分づつ分けて食い、十分も腰を落ち着けないまま、ほうほうのていで車にのりこみ、近くの臨済の修行道場として有名な伊深の正眼寺まで逃げてきました。
  
  駐車場に車をおき、暗い森の中の石段をしばらくのぼると、やがて山門があり、山門を過ぎると、石段の上の明るく開けた空間に本堂が見えてきます。何か寺の行事でもあったのでしょうか、角塔婆が建てられていました。
  
  
  禅宗寺院らしく、カラッと乾いた空間には情緒をしめすものは何もなく、すがすがしくも、ただ修行の場所としての機能だけが見てとれます。
  
  
  三四人の修行僧が、竹箒をつかって落ち葉を集めていました。心を清めるには、まず身の回りからということですが、よく掃除のゆきとどいた空間は、参詣者の心をもまた洗い清めるような気がします。
  
  角塔婆には、「平等性智(びょうどうしょうち)」とあり、その下に平成十七年に授戒会が執行され、二千人が戒を受けたというようなことが書かれています。そういえば、前の写真には、「大円鏡智(だいえんきょうち)」と書かれていました。あとの二面には、「妙観察智(みょうかんさつち)」、「成所作智(じょうしょさち)」とあるはずです。これ等は、「四智(しち)」といって、唯識の方のことばですが、禅宗では寺の行事の時に建てる角塔婆に、皆この四句を書くような習慣があるそうです。せっかくですから、ざっと説明しておきましょう。まあこれを知ったからといって、どうなるものでもありませんが、漢字があって読めそうで読めないというのは、なにか気になりましょう?そんな皆様の好奇心を満足させる、一種の老婆心ですな、‥‥
  
  その前に、もう一度、前の写真にもどっていただきますと、「大円鏡智」の下に、四句の詩文のごときものがありますが、もとの写真を等倍で見ると、推測しながらですが、なんとか読み取ることができ、意味が通じます、
――「法山高聳宝楼閣 甘露門開在眼前 戒定慧香道四智 怨親平等界三千」
  
  意味は、
    「法の山には高く宝の楼閣が聳え、
     甘露の門が眼前に開いており、
     戒定慧の香りが四智に道びいている。
     怨親平等の界(世界)が三千(無数)であるように。」ということです。
  
と、ここで四智ということばがでてきますが、ひらたくいえば、仏の智慧には四種の性格があるということで、「大円鏡智」、「平等性智」、「大円鏡智」、「成所作智」とは、その四種の性格をあらわすことばなのです。
  
  この中、「大円鏡智」というのは、仏の智慧は、大きく円(まる)い鏡の性質があり、、心中に映し出された像は、まるで鏡に映じたかのようにゆがんでいない。凡人は、先入観や煩悩によって、ゆがんでいるということです。
  次の、「平等性智」というのは、仏の智慧には、大慈悲がともなうので、平等という性質があり、他人と自分、あれとこれ、善いと悪い、好もしいと醜い等によって判断をゆがめられない。凡人は、大慈悲がないので、先入観や煩悩のせいで、他人と自分、あれとこれ、善いと悪い、好もしいと醜い等に従い、判断がゆがんでいるということです。
  次の、「妙観察智」というのは、仏の智慧は、大慈悲がともない、先入観も煩悩もないので、観察するのに、事物が有ると見ても、空だと見ても、その加減は絶妙であるが、凡人は大慈悲がなく、先入観や煩悩のせいで、ゆがんで観察するので事物が有ると見ても、空だと見ても結果は道理にそむいたものになるということです。
  最後の、「成所作智」とは、上の三智があるが故に、その行いは完成しており、人々に利益をあたえる。凡人は三智がかけているので、その行いは完成しておらず、人々に利益をあたえられないということです。
  
  少しむづかしくいうと、「大円鏡智」とは、有漏の第八阿頼耶識(あらやしき)を転じて得る所の無漏の智ということですが、有漏(うろ)とは煩悩が有ること、無漏は煩悩の無いこと、第八阿頼耶識とは能蔵、所蔵、執蔵の三義ありといいますので、要するに「記憶(蔵納)するはたらき」、「記憶されたもの」、「自我に執するためのよりどころ」の三を転じて、「煩悩のない記憶の精神作用」と、それによって「記憶された知識」、および「煩悩のない精神作用のよりどころで、記憶以外のもの」となれば、これが謂わゆる「大円鏡智」です。
  「平等性智」とは大慈悲にともない、第七末那識(まなしき)を転じて得る所の智ということですが、第七末那識とはつねに煩悩に汚染された阿頼耶識によって自己を意識することですので、「平等性智」とは大慈悲のはたらきによって、自己を意識せず、自他を差別しないということをいうのです。
  「妙観察智」とは、同じく第六意識を転じて得る所の智といいますが、第六意識というのは、自己の心中に映じた種種の境(像)を観察することをいいますので、自我意識である第七末那識の影響を離れて、自在に内外を観察すること、これが「妙観察智」です。
  「成所作智」とは、同じく眼等の五識を転じて得る所の智といいますので、凡人には慈悲がなく、煩悩があることにより、眼に関する精神作用、及び耳鼻舌身に関する精神作用が自在でないが、仏の場合は、大慈悲がともない、煩悩がないので自在であることをいいます。
  
  あとは皆様自身のことばで、これをさらにやさしくいってみてください。人にも、このように説明してください。きっとなにかいいことがありますよ、‥‥
  
  
  この寺の梵鐘には、極楽世界のようすが精緻な浮彫りであらわされていました。四智のめざす世界とは、要するにこれをいうのですが、その実現はわれわれの意志しだいだというのが、例の「戒定慧の香は四智に導き、怨親平等なること界三千ならん。」ということです。
  
  しかし、どだい競争社会とか、弱肉強食とかいうておるようでは無理なことではないでしょうか、‥‥
  せっかく人間に生まれるというチャンスにあずかりながら、自分のことばっかり考えて、人のためになろうとも、世の中をよくしようとも、これっぽっちも考えていないのですから、‥‥オリンパスの社長が正義を追求しようとして、かえって追い出されましたが、この国ではそんな正義にもとる行為がまかりとおっているのです。こんなに根性がまがっていては‥‥戦争をふくめた、あらゆる事業に於いて勝ち目をどこにみいだせるというのでしょう、‥‥
  
  残念ですが、それがこの国の現状なんですな、‥‥むべなるかな、‥‥
  
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  ということで、今月も、聊斎志異でいきますよ、提名は「梨をうえる」です、‥‥
聊齋志異  種梨
有鄉人貨梨於市,頗甘芳,價騰貴。有道士破巾絮衣,丐於車前,鄉人咄之,亦不去,鄉人怒,加以叱罵。道士曰:「一車數百顆,老衲止丐其一,於居士亦無大損,何怒為?」
聊斎志異  梨を種(う)う
郷人有り、梨を市に貨(う)る。頗る甘く芳し。価騰貴す。有る道士の破巾、絮衣なる、車の前に於いて丐(こ)う。郷人、之を咄するも、亦た去らず。郷人怒りて、加うるに叱罵を以ってす。道士の曰わく、「一車に数百顆あり、老衲は止(わずか)に其の一を丐うのみ。居士に於いても亦た大損無けん。何すれぞ怒る。」と。
  
  聊斎志異 梨を種(う)える
  
  ひとりの農夫が、梨を市場で売っていた。非常に甘く芳しいので、高値でも飛ぶように売れた。ひとりの道士が、破れ頭巾に綿入れの衣で、荷車の前に立つと、一つおくれと乞うた。百姓はしっしっとおい払うのだが、いっこう去ろうとしないので、とうとう怒りだし、はげしく罵りだした。
  道士は言った、
――荷車の中には何百とあるんじゃ、老人にひとつぐらい恵んだとて、あんたがどれだけ損するというんかね?なぜそう怒りなさる?と。
 
  :種(しゅ):たね。うえる。
  :郷人(きょうじん):さとびと。
  :貨(か):うる。
  :頗(は):すこぶる。はなはだ。
  :価(か):あたい。ねだん。
  :騰貴(とうき):物価が高くなる。
  :道士(どうし):道教を奉じて長生不死の術を研究するもの。
  :破巾(はきん):やぶれづきん。
  :絮衣(じょい):わたいれ。わたを入れた冬用の着物。
  :丐(かい):こう。乞に同じ。
  :於(よ):に。場所、時、方向等を示す助辞。
  :咄(とつ):しかる。しかるこえ。したうち。
  :之(し):これ。代名詞。
  :亦(えき):もまた。上を受けて他に及ぶ語。又。
  :加(か):くわう。くわえる。
  :以(い):もって。用いる。
  :叱罵(しつば):しかってののしる。
  :曰(えつ):いう。
  :顆(か):つぶ。丸いものを数える語。
  :老衲(ろうのう):老いた出家。
  :止(し):わずかに。ただ。
  :其(き):その。
  :居士(きょし):俗人。出家に対す。
  :為(い):疑問の助辞。何~為。なんすれぞ。なぜ。
  
觀者勸置劣者一枚令去,鄉人執不肯。肆中傭保者,見喋聒不堪,遂出錢市一枚,付道士,道士拜謝,謂衆曰:「出家人不解吝惜,我有佳梨,請出供客。」或曰:「既有之,何不自食?」曰:「吾特需此核作種。」
観者の勧むらく、「劣なる者を一枚置きて、去らしめよ。」と。郷人執して肯んぜず。肆中の傭保の者、喋聒するを見るに堪えずして、遂に銭を出して、一枚を市(か)い、道士に付す。道士は拝謝し、衆に謂いて曰わく、「出家人は吝惜を解(ゆる)さず。我れに佳(よ)き梨有り。請出して、客に供せん。」と。或(あ)るが曰わく、「既に之有り、何ぞ自ら食わざる?」と。曰わく、「吾れ、特に此の核(たね)を需(ま)ちて、作種す。」と。
  見物人もこれに加勢して、こう言った、
――悪いのを一個やって、おっ払っちゃどうだい?と。百姓はにぎりこんで耳をかそうとしない。店の中から番頭がでてきて、うるさくってたまらないと言いながら、銭を出して一個買い、道士にやった。
  道士は礼をのべると、皆にこう言った、
――出家人には、けちるなんていうことは理解できませんな。わたしにもよい梨がありますので、祈り出して、皆さんにさしあげましょう、と。
  あるひとが言った、
――あるんなら、なぜ自分で食いなさらん?と。
  道人は言った、
――わたしには、この核(たね)が必要なんじゃ、これを育てようと思いますんでな、と。
 
  :観者(かんしゃ):見物人。
  :勧(かん):すすめる。
  :置(ち):おく。すてる。
  :者(しゃ):もの。人あるいは物を指していう。
  :枚(まい):まい。物を数える語。箇に同じ。
  :令(れい):しむ。させる。使役の語。
  :執(しつ):もつ。つかむ。にぎりこむ。固執する。
  :不肯(ふこう):がえんぜず。承知しない。
  :肆(し):みせ。市。
  :傭保(ようほ):やとわれびと。保証人をたてて雇われたもの。
  :喋聒(ようかつ):やかましいおしゃべり。
  :不堪(ふかん):たえられない。我慢できない。
  :遂(すい):ついに。とうとう。
  :市(し):あきなう。かう。もとめる。
  :付(ふ):さずける。あたえる。
  :拝謝(はいしゃ):恭しく礼をのべる。
  :謂(い):いう。
  :衆(しゅう):ひとびと。
  :解(かい):ゆるす。とく。まぬかれる。
  :吝惜(りんせき):おしむ。物惜しみする。
  :佳(か):よい。うつくしい。
  :請出(せいしゅつ):祈ってだす。
  :供(きょう):供給する。提供する。
  :客(かく):一座のひとを敬っていう。
  :或(わく):あるひと。
  :既(き):すでに。もうすでに。以前より。
  :何(か):なんぞ。どうして。
  :自(じ):みずから。自分のために。
  :吾(ご):われ。わたし。我れの自称。
  :特(とく):ただ。とくに。これだけ。
  :需(じゅ):まつ。もとめる。
  :此(し):この。
  :核(かく):たね。
  :作種(さくしゅ):種子をそだてる。
   
於是掬梨大啗,且盡,把核於手,解肩上鑱,坎地深數寸,納之而覆以土,向市人索湯沃灌。好事者於臨路店索得沸瀋,道士接浸坎處。萬目攢視,見有勾萌出,漸大,俄成樹,枝葉扶疏,倏而花,倏而實,碩大芳馥,纍纍滿樹。
是に於いて梨を掬して、大いに啗(くら)い、且(か)つ尽くす。核を手に把(と)り、肩の上の鑱(すき)を解き、地を坎(うが)つこと深さ数寸、之を納めて、覆うには土を以ってす。市の人に向かい、湯もて沃潅せんことを索(もと)む。好事の者、臨路の店に於いて索め、沸瀋を得るに、道士接(つ)いで、坎処を浸(ひた)す。万目攢視して見るに、勾萌の出づる有り、漸く大となり、俄(にわか)に樹と成る。枝葉扶疏たり、倏として花さき、倏として実なる。碩大の芳馥たるもの、纍纍として樹を満たす。
  そこで両手に梨をもつと、大口でもぐもぐやり、見る間に食ってしまった。核を手にすると、肩の上の鍬をはずして、地に深さ四五寸の穴をほり、核を納めて土をかぶせ、市場の人に向って、これにそそぐんで湯をおくれとたのんだ。物好きな人がいて、みちばたの店に飛び込むと、沸いた湯をもらってきた。
  道士はそれを受けとり、湯で穴の中を浸した。万目注視の中、かぎのような芽が出て、少しづつ大きくなると、突然一本の樹に成長した。枝葉が四方にひろがり、やがて花が咲き、実がなった。大きな芳しい果実が、すずなりに樹木を満たした。
 
  :是(ぜ):ここ。
  :掬(きく):すくう。両手にもる。
  :啗(たん):くらう。ふくむ。
  :且(しょ):かつ。しばらく。ちょっとのあいだ。
  :尽(じん):つきる。なくなる。つくす。なくす。
  :把(は):とつ。にぎる。つかむ。器物の柄。
  :鑱(さん):すき。穴をうがつ道具。
  :坎(かん):あな。あなをほる。
  :而(じ):て。して。順接、或いは逆接の接続辞。
  :覆(ふく):おおう。
  :索(さく):もとめる。ねがいもとめる。
  :沃潅(よくかん):そそぐ。
  :好事者(こうずしゃ):ものずきなひと。
  :臨路(りんろ):みちにのぞむ。
  :店(てん):みせ。物品をならべてあきなうところ。はたご。
  :沸瀋(ふっしん):にえゆ。
  :接(せつ):うけとる。承受。
  :浸(しん):ひたす。
  :万目(ばんもく):たくさんのめ。衆目。
  :攢視(さんし):集まってみつめる。
  :勾萌(こうぼう):芽が出る。
  :漸(ぜん):ようやく。だんだん。
  :俄(が):にわかに。ほどなく。たちまち。
  :扶疏(ふそ):木の枝の四方にひろがるさま。
  :倏(しゅく):すみやか。たちまち。犬の疾走するさま。
  :碩大(せきだい):おおきい。碩、頭が大きいこと。
  :芳馥(ほうふく):かんばしくにおう。よい香りのすること。
  :纍纍(るいるい):相つらなるさま。重なり積もるさま。
  
道人乃即樹頭,摘賜觀者,頃刻而盡。已,乃以鑱伐樹,丁丁良久,乃斷,帶葉荷肩頭,從容徐步而去。
道人は乃ち樹頭に即(つ)き、摘んで観者に賜(あた)う。頃刻にして尽く。已にして、乃ち鑱を以って、樹を伐(き)る。丁丁たること良(やや)久しくして、乃ち断ず。葉を帯びたるを、肩頭に荷(にな)い、従容として徐(おもむろ)に歩みて、去る。
  道人は、やおら樹の上にのぼると、摘んでは摘んでは、見物人に与えていたが、やがて実がなくなると、鍬で樹を切り倒しはじめた。コンコンコンコン打つうちに、やがて幹が倒れた。道人は、葉のついたままのを肩にのせ、くつろいだようすで、どこかへ歩み去っていった。
 
  :乃(だい):すなわち。上を承けて下を起す辞。そこで。
  :即(そく):つく。就く。
  :樹頭(じゅとう):樹のさき。
  :賜(し):あたえる。恵む。
  :頃刻(けいこく):短い時間。しばらく。暫時。
  :已(い):すでに。やがて。
  :伐(ばつ):木をきる。
  :丁丁(とうとう):木をきる音。
  :良久(りょうきゅう):やや久しい。大分しばらくたって。
  :帯(たい):おびる。まとう。
  :荷(か):になう。
  :肩頭(けんとう):かたさき。
  :従容(しょうよう):ゆったりとくつろいださま。
  :徐步(じょほ):ゆったりとあゆむ。
  
初,道士作法時,鄉人亦雜衆中,引領注目,竟忘其業。道士既去,始顧車中,則梨已空矣,方悟適所俵散,皆己物也。又細視車上一靶亡,是新鑿斷者,心大憤恨,急跡之,轉過牆隅,則斷靶棄垣下,始知所代梨本,即是物也。道士不知所在,一市粲然。
初め、道士の法を作(な)す時、郷人も、亦た衆中に雑(まじ)り、領(くび)を引いて注目し、竟(つい)に其の業を忘る。道士、既に去りて、始めて車中を顧(かえり)みれば、則ち梨は已に空なり。方(まさ)に悟る、適(まさ)に俵散する所は、皆、己の物なりと。又、車上を細視するに、一の靶(ながえ)を亡(うしな)う。是れ新に鑿斷せし者なれば、心に大いに憤恨し、急ぎて之を跡(お)うに、転じて牆(かき)の隅を過ぐれば、則ち断靶は、垣の下に棄ててあり、始めて梨の本(みき)に代わる所は、即ち是の物なりと知る。道士は、所在を知らず。一市粲然たり。
  初めから、道士が術をつかうのを、あの百姓もまた衆にまじり、首をのばして注視していたが、そのせいですっかり家業の事を忘れていた。道士が、どこかへ行ってしまってから、始めて荷車に気が付いたような次第である。荷車を見てみると、はたして中は空っぽで、梨は一個も残っていなかった。そこで、あの大勢に配られた梨は、皆、自分の物であったのかと、いやでも悟ることとなった。また荷車をしさいに見てゆくと、長柄がかたほうなくなっていた。是れが新しくたたき折られたものであるとわかると、心に憤りや、恨みがおこり、急いで跡を追い、垣根のすみをくるっとまわってみると、垣根の下に、折れた長柄が棄ててあった。百姓は始めて、梨の幹の代りをつとめた物が、是れだったのかと知ったのである。
  道士は、行方知れずとなり、市場には、どっと笑い声が満ちていた。
 
  :作法(さくほう):術をつかう。
  :亦(えき):もまた。
  :雑(ざつ):まじわる。
  :引領(いんりょう):くびをのばす。引は長くするの意。
  :注目(ちゅうもく):見つめる。
  :竟(きょう):ついに。おわる。
  :其(き):それ。その。
  :業(ぎょう):わざ。なりわい。
  :顧(こ):かえりみる。
  :則(そく):すなわち。順接の助辞。
  :空(くう):むなし。なにもないさま。
  :矣(い):断定の辞。
  :方(ほう):まさに~せんとす。ちょうど~しつつある。
  :適(てき):まさに。まさしく。ちょうど。正。
  :所(しょ):ところ。動作の対象を示す辞。
  :俵散(ひょうさん):衆人に分ちあたえる。
  :己(き):おのれ。おのれの。
  :細視(さいし):こまかにみる。つぶさにみる。
  :靶(は):たづな。とって。恐らくは長柄(轅、輈)の訛。
  :亡(ぼう):なし。うしなう。なくなる。
  :鑿斷(さくだん):穴をあけて断ち切る。
  :憤恨(ふんこん):いきどおりうらむ。
  :跡(せき):あとをたずねる。追跡。
  :轉過(てんか):まわりすぎる。
  :牆遇(しょうぐう):塀のすみ。
  :断靶(だんは):断たれた長柄。
  :棄(き):すてる。みすてる。捨てて忘れる。すててある。
  :垣(えん):かき。かきね。へい。
  :本(ほん):みき。
  :一市(いっし):全市。市場じゅう。
  :粲然(さんぜん):笑うさま。
  
  
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  とうぜん今月の料理は梨のグラッセ、鶏のもも肉につけあわせます、――
  
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   グラッセとは野菜を砂糖とバターで煮たもので、肉料理の付け合わせによくあいますが、上の例でいいますと、梨は皮をむき種をとって八等分し、人参、シメジと共に鍋にいれ、ちょうど漬かるぐらいの水にバター小さじ1杯、砂糖大さじ1杯、塩少々を加えて、落としぶたがわりにクッキングシートをかぶせ、およそ15分間、弱火で煮ます。
  鶏のもも肉は柔らかいブロイラーをつかいましょう、そのためには一工夫して、臭みをけす必要があります。鍋にオリーブオイル大さじ1杯(二人前)、ニンニク1片をいれて弱火にかけ、ニンニクがきつね色になったら取り出し、そこにオリーブ5個、ピクルス1㎝角、鷹の爪1本をみじん切りにしたものをいれて、かるくいためます。それに塩少々で味をととのえ、バジルソース小さじ1杯を加えます。これが鶏肉にかけるソースです。
  1枚のもも肉は二枚に切り分け、皮目に1平方㎝あたり各1個の穴を金串であけ、鍋にオリーブオイルを薄くひいて皮目を下にし、約10~15分間、菜箸がささるぐらいまで、始終弱火でやきます。鶏のもも肉は皮の下に厚い脂肪の層がありますが、この皮目の穴から外に出てしまいますので、脂肪はなくなります。裏返して身の方も念のため約1~2分間やきますが、焼け上がりに、また皮目を下にして、強火で2分間ぐらいやくと、皮がパリッとなります。
  皿に鶏肉をおき、梨と野菜のグラッセをそえ、ソースをかけてできあがりです。
  
  
  
では今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (梨(なし) おわり)