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黒 谷
  黒谷は比叡山西塔北谷にありますが、黒谷の別所ともいわれるように、谷深くして、隠者の居に適しておりますので、名利をいとうて、この地に籠居する遁世の僧が少なからずいたということで、浄土宗の宗祖、法然上人も、また十八歳から四十三歳までの二十五年間を、ここで過ごされたということです。
  
  汗をたらし息をきらしながら長い山道をたどり、急な階段をおりますと、その狭い空間は霊気に満ちあふれており、身心の疲労はたちどころに解消して、快い気力が内身に充実するのを感じます。一山きっての霊場であるといつても過言ではありません。
  写真の小堂は、その昔、一切経が収められていて、法然上人が、この中で5度にわたって、八万四千の法門を閲読したということすが、今は報恩蔵と呼ばれて、それに向かい合うように、法然上人の像が坐しています。
  
  今年は、建暦2年(1212)1月15日、80歳で往生された法然上人の800年大遠忌に当りますので、その法要が浄土宗の各寺院で営まれているようでもあります。
  
  法然上人は、この国にとって画期的な方ですので、その事蹟を少しく記しておきましょう、――
源空(げんくう):美作国久米南條稲岡の人。姓は漆間氏、法然坊と号す。父は久米の押領使漆間時国、母は秦氏。長承2年4月7日を以って生まる。幼名を勢至丸と云い、天資聡明にして成人の風あり。保延7年春、父時国は源定明の夜襲に遭うて重傷を被り、師に遺言して復讐を企つることなく、出家して菩提の道を修せんことを以ってす。師時に年9歳なり。因りて同年7月、叔父なる同国菩提寺観覚に投じて薙染し、久安3年2月15歳にして比叡山に登り、西塔北谷持宝坊源光の室に入り、4月東塔西谷功徳院皇円阿闍梨に師事す。11月戒壇院に円頓戒を受け、明年春皇円に従って天台三大部を学び、3年にして60巻を習得す。久安6年9月18歳にして隠遁の志を発し、西塔黒谷慈眼坊叡空の廬に投じ、法然坊源空を号し、円戒及び密教を学び、往生要集等を受く。保元元年24歳にして、嵯峨清涼寺に参籠し、是れより興福寺に蔵俊を訪うて法相を受け、醍醐寺に寛雅に見えて三論を伝え、仁和寺に慶雅に謁して華厳を問い、又中川実範の資に就き密潅並びに四分律宗の大事を受け、其の他、仏心等の諸宗亦た皆渉猟せざることなし。尋いで黒谷に帰り、報恩蔵に入りて大藏經を閲し、専ら出離の要道を求めて曽て懈らず。承安5年春43歳にして善導の観経疏を読み、「一心専念弥陀名号、行住座臥不問時節久近、念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故」の文に至りて、豁然として弥陀本願の素意を覚り、忽ち余行を捨てて一向に念仏に帰す。之を浄土宗開立の紀元と為す。同年春勅請によりて高倉天皇に一乗円戒を授け奉り、尋いで叡岳を出でて西山の広谷に住し、幾ばくもなく東山吉水に移る。是れより専ら浄土の法を演べ、化導日に盛んにして、念仏に帰する者頗る多し。治承4年12月東大寺兵燹に罹りて焼亡するや、明年6月造営の詔を下し、師を以って大勧進職に補せんとす。師之を辞し、俊乗房重源を挙げて代らしむ。寿永3年2月、平重衡捕えられて京都八條堀川の院に在るや、特に師に請うて念仏の法及び戒を受く。文治2年秋、法印顕真の請に応じて大原勝林院丈六堂に赴き、浄土の法義を談論す。時に重源は弟子三十余人を具して師に随い、顕真の門徒已下碩学、並びに大原の僧衆等来集し、見聞の人亦た甚だ多し。論談往復一日一夜に亘り、師理を極め詞を尽くして念仏の法を演説す。是に於いて満座の衆悉く信伏し、顕真は香炉を執りて高声念仏を始め、自ら行道するに、大衆皆同音に念仏を修すること三日三夜、其の響林野を揺るがせりと云う。世に之を大原談義と称す。当時重源は自ら号して南無阿弥陀仏と称し、顕真亦た明年5月15日より十二人の衆を定めて、大原勝林院に不断念仏を修し、又五坊を建てて蓮社の所となす。4年5月清水瀧山寺に於いて不断念仏を始む、阿弥陀堂の常行念仏と称するもの是れなり。同年8月後白河法皇、河東押小路の仙洞に於いて如法経を修し給うや、師請ぜられて先達となり、法皇の西の一座に対して東の一座に坐す。世其の異数を称す。建久元年7月藤原兼実の請に応じ、九條堂に於いて戒を授け、2年7月及び8月、亦た其の請を受けて戒を授く。同年又重源の請に依り、東大寺大仏殿の軒下に於いて彼れが宋より請来せる観経曼荼羅並びに浄土五祖の影を供養し、又浄土三部経を講ず。同年9月中宮任子御悩あり、師請を受けて戒を授く。3年2月亦た後白河法皇の御悩に際し、参殿して戒を授け奉り、且つ臨終行儀を定む。3月法皇崩じ、秋大和前司親盛入道見仏、法皇御菩提の為に師を請じ、八坂引導寺に於いて心阿弥陀仏調声し、住蓮、遵西、見仏等助音して、六時礼讃七日念仏を修す。是れ六時礼讃修行の始なり。8月藤原兼実師を請して戒を受け、同年霊山寺に於いて三七日不断念仏を修し、8年3月亦た兼実の為に授戒す。9月正月疾あり、吉水の草庵に閑居して別請に赴かず、遂に念仏三昧を発得す。尋いで兼実の請に依りて選択本願念仏集を撰し、以って浄土の宗義を述ぶ。4月没後遺誡文を作り後事を遺命せしが、幾ばくもなく病癒ゆることを得たり。正治2年9月、兼実の室の為に戒を授け、建仁2年正月兼実薙髪し、師に就いて重ねて円戒を受く。聖覚、隆寛を初め、信空、湛空、辨長、証空、源智、綽空、幸西、長西等来たりて其の門に投じ、平基親、熊谷直実、宇都宮頼綱等亦た皆教を受けて篤く念仏を修し、朝野靡然として其の化を仰がざるものなし。時に南都北嶺の僧衆は、念仏の興行日を追うて益盛なるを見て、心平なる能わず。適ま師の門弟中、名を専修に仮りて戒を破り、又諸宗を誹謗する者ありしを以って、元久元年冬、山門の衆徒蜂起し、座主真性に訴えて専修念仏を停止せんことを請う。師之を聞き、同年11月七箇条起請文を製して弟子189人を連署せしめ、別に又誓文を裁して之を天台座主に呈し、兼実も亦た書を叡山に贈りて為に辯ずる所あり。是に於いて山徒の訴訟遂に止むことを得たりと雖も、南都の鬱陶猶お結んで未だ解けず。明年10月興福寺僧綱等は訴状を捧げ、師の新宗唱道に関し九ヶ條の失を数え、以って専修念仏を停止し、師を重科に処せんことを請う。因りて12月院宣を下し、破戒等は門弟の浅智より起り、却って源空の本懐に背くを以って、制罸を加うべきに非ざる旨を諭す。衆徒之に服せざるを以って、元久3年2月詔して門弟行空、遵西二人の罪名を勘えしむ。然れども猶お訴訟して止まず。適ま建永元年12月後鳥羽上皇熊野臨幸の事あり、時に住蓮、遵西等は東山鹿谷に於いて六時礼讃を修し、女官等之に詣して出家せし者あり。上皇還御の後、之を讒奏せしものありしを以って、翌承元元年2月、遵西を六條河原に、住蓮を近江馬淵に刑し、尋いで師の度牒を奪い、俗名を下して藤井元彦と改め、土佐国に遠流せしむ。師時に門弟に謂って曰わく、流刑更に恨とすべからず。念仏の興行は洛陽にして年久し。辺鄙に赴きて田夫野人を勧めんこと年来の本意なり。今縁によりて年来の本意を遂げんこと頗る朝恩とも云うべしと。嘗て怨嗟の色なし。兼実深く其の冤罪を哀れみ、請うて配所を讃岐国に代えしめ、又別を惜みて和歌一首を贈る。「ふりすててゆくはわかれのはしなれと、ふみわたすへきことをしそおもふ」。師の返歌に曰わく、「露の身はここかしこにてきえぬとも、こころはおなし花のうてなそ」と。時に年七十五なり。3月遂に花洛を出で、鳥羽より川船に乗じて下り、途中摂津経ノ島、播磨高砂、室の泊等を経て讃岐国に著し、子松庄生福寺に居る。遠近伝えて化に随う者甚だ多し。同年12月敕免を蒙ると雖も、猶お畿内に居住せしめて洛中の往還を許さず。因りて配所を出で摂津勝尾寺に草庵を結びて仮居すること4年。建暦元年11月、京都召還の恩命に接し、同月東山大谷の禅房に帰還するや、道俗男女争うて供養を展べ、郡参絡繹たり。2年正月2日より病に臥し、自ら終焉の期近きを知り、源智の請に依りて一枚起請文を製し、越えて25日、光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨の文を唱えて寂す、年八十。住房の東に葬る。後嘉禄3年6月山門の衆徒蜂起し、所司專当等を遣して師の墳墓を破却し、遺骸を鴨河に流さんとす。内藤盛政法師西仏等之を撃退し、其の夜竊かに遺骸を嵯峨に移し、翌安貞2年正月西山粟生野に荼毘し、尋いで貞永2年正月正信房湛空は、嵯峨小倉山に雁塔を立て、遺骨を迎えて之を収む。元禄元年正月敕して円光大師と諡し、正徳元年正月東漸大師、宝暦11年正月慧成大師、文化8年正月弘覚大師、万延2年正月慈教大師、明治44年2月明照大師と加諡せらる。実に日本浄土教の太祖にして、又元祖大師、元祖上人、吉水大師、黒谷上人等の称あり。著す所、選択本願念仏集1巻、無量寿経釈1巻、観無量寿経釈1巻、阿弥陀経釈1巻、往生要集大綱、同略料簡、同詮要各1巻、浄土宗略抄1巻、浄土初学抄1巻等あり。文永11年了慧道光、其の遺文を纂集し、題して黒谷上人語灯録と云う。云々 以上(望月仏教大辞典)
  黒谷青龍寺は、本尊の阿弥陀仏の坐像も立派なものですが、その背景の極彩色がまた奇麗で眺めていると、つい時のたつのを忘れてしまいます。
  
  
  
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  新聞なんかに、何も面白い記事がないとき、皆様は、どうなさいますか?
  
  そんな場合、わたくしは「聊斎志異(りょうさいしい)」を読むことにしています。
  清代の漢文(文語体)で書かれた小説で案外読みやすいものですが、その題の意味は、聊斎という人が、異(怪異)を誌(しる)したということで、主に奇怪な話を載せたもので、ごく気軽な読み物です。
  
  恐らく、すでに読まれた方もいるとは思いますが、落語と同じで、何度聞いても面白いものは面白いのであり、たまには、こんな話もいいのではないでしょうか?
  
  第一回は題を、「桃をぬすむ」といいます、――
聊齋志異  偷桃
童時赴郡試,值春節。舊例,先一日,各行商賈,彩樓鼓吹赴藩司,名曰「演春」。
聊斉志異 桃を偸む
  童の時、郡試(入学試験)に赴き、春節(年始の行事)に値う。旧例、一日に先んじて、各行(道路)の商賈(商店)は、彩楼(二階の窓を飾り)、鼓吹(鼓を打ち笛を吹く、楽器を鳴らす)して藩司(知事の役所)に赴く。名づけて「演春(新年を祝う)」と曰う。
聊斎志異 桃をぬすむ
  子供の時、郡の入学試験に行き、春節の祭りに出会った。
  旧例で、春節になると朝早くから、各道路の商店は、皆二階の窓をきれいに飾り付け、笛や太鼓を打ち鳴らして、知事の役所まで練り歩いたものであり、それを「演春(春をまねく)」と呼んでいた。
  
  :郡試(ぐんし):科挙の一部?首府で行われる入学試験。
  :春節(しゅんせつ):正月の節句。
  :旧例(きゅうれい):昔からのしきたり。
  :行(こう):道路。
  :商賈(しょうこ):商店。
  :彩楼(さいろう):二階の窓を美しくかざる。
  :鼓吹(こすい):太鼓をたたき、笛をふく。
  :藩司(はんし):知事の役所。
  :演春(えんしゅん):春をおしひらく。
  

余從友人戲矚。是日遊人如堵。堂上四官皆赤衣,東西相向坐。時方稚,亦不解其何官。但聞人語嚌嘈,鼓吹聒耳。
余は友人に従いて、戯瞩(冗談をいい目をみはる)す。是の日、遊人(暇人)は堵(垣)の如し。堂上、四官(四役人)は、皆、赤衣にして、東西、相向かいて坐す。時は方(折しも)に稚くして、亦た其の何の官なるやを解せず、但だ人語の嚌嘈(多くの声がかまびすしい)たると、鼓吹の聒耳(耳にやかましい)たるを聞くのみ。
  わたしは、友人に連れられて冗談をいったり、目をみはったりしていた。
  この日、見物人たちが、人垣を作って囲むなか、堂上には、四人の役人が、皆、赤い衣を着て、東西に向いあって坐っていた。
  わたしは、その時、まだ稚かったので、どのような官の人か理解しておらず、ただ多くの人声が入り乱れ、笛太鼓の音が耳を打つのみであった。
  
  :余(よ):われ、わたし。
  :戯瞩(ぎしょく):冗談をいったり、目をみはったりすること。
  :遊人(ゆうじん):暇人。
  :堂(どう):表座敷。外から丸見えの執務所。
  :赤衣(せきい):赤いころも。上級官吏の衣服?
  :嚌嘈(せいそう):多くのこえがかまびすしいさま。
  :聒耳(かつじ):耳にやかましい。
  

忽有一人率披髮童,荷擔而上,似有所白;萬聲洶動,亦不聞為何語。但視堂上作笑聲。即有青衣人大聲命作劇。其人應命方興,問:「作何劇?」堂上相顧數語。吏下宣問所長。答言:「能顛倒生物。」
忽ちにして、一人有り、披髮(髻を結わない、切り下げ髪)の童を率い、荷擔(肩にのせる)して上り、白う所有るに似たるも、万声洶動(騒いで静まらない)して、亦た何の語を為すやを聞かず、但だ堂上に笑声を作すを視るのみ。即ち青衣の人有り、大声に劇(しばい)を作さんを命ず。其の人は、命に応じて、方に興さんとして、問う、「何の劇を作さん?」と。堂上を相顧みて数語り、吏は宣(みことのり)を下して、長ずる所を問う。答えて言わく、「能く顛倒(道理に反す)して、物を生ず。」と。
  とつぜん、ひとりの人が、おかっぱ頭の子をひきつれて現れた。荷を肩にのせたまま、堂に上ると、何ごとか申しあげているように見えた。
  ワァワァ、多くの人声が騒がしくて、何を言っているのか、さっぱり聞き取れず、ただ、堂上の人が、笑い声を上げるのを見つめていた。
  その時、青い衣の役人が出てきて、大声で「劇をやれ!」と命じた。
  その人は命に応じて奮い立ち、こう問うた、――「何の劇をやりましょう?」と。
  堂上では、互いに見交わして、数語あったが、役人はその言葉を伝えて、何が得意なのか?と問うた。
  答えて、こう言った、――「ありそうにない物を取り出すことができます。」と。
  
  :披髮(ひはつ):切り下げ髪。おかっぱ。
  :荷擔(かたん):荷を肩にのせる。
  :白(はく):もうしあげる。
  :洶動(きょうどう):騒いで静まらない。
  :青衣(せいい):青い衣。下級官吏の衣服?
  :劇(げき):しばい。出し物。
  :興(こう):ふるいたつ。
  :吏(り):下級の役人。
  :宣(せん):命令のことば。みことのり。
  :顛倒(てんどう):正邪、是非の逆転したさま。
  

吏以白官。少頃復下,命取桃子。術人聲諾。解衣覆笥上,故作怨狀,曰:「官長殊不了了!堅冰未解,安所得桃?不取,又恐為南面者所怒。奈何!」
吏は、以って官に白す。少しの頃にして、復た命を下す、「桃子(桃の実)を取れ!」と。術人は、声諾(わかったと承諾する)して、衣を解いて笥(竹かご)の上を覆い、故に怨状(怨むふぜい)を作して曰わく、「官長(長官)は殊に了了(かしこい、物わかりのよい)たらず!堅氷すら未だ解けず。安にか桃を得る所あらん?取らずんば、又恐らくは、南面(君主の位)する者の為に怒られん。奈何!」と。
  役人は、それを上役に伝え、しばらくすると、また命を下した、――「桃の実を取ってこい!」と。
  術人は、「わかりました!」と承諾したが、衣を解いて、竹籠の上を覆いながら、わざと聞こえるように、恨みごとをこう言った、――「長官さまは、特別物わかりの悪いかただ!堅い氷がまだ溶けないというのに、どこで桃を得よというのか?取らなければ取らないで、恐らくは、お上に怒られることになろう、ああどうしよう!」と。
  
  :桃子(とうし):桃の実。
  :術人(じゅつじん):方術(神仙の術)に長けた人。
  :声諾(せいだく):わかったと声にだしていう。
  :笥(す):竹製の衣装箱。
  :怨状(えんじょう):恨んだようす。
  :官長(かんちょう):官吏の長。長官。
  :安(あん):どこで。
  :南面(なんめん):君主の位。君主は北方に坐して南面する。
  :奈何(なか):いかんせん。ああ、どうしよう!
  

其子曰:「父已諾之,又焉辭?」術人惆悵良久,乃云:「我籌之爛熟。春初雪積,人間何處可覓?唯王母園中,四時常不凋謝,或有之。必竊之天上,乃可。」子曰:「嘻!天可階而升乎?」曰:「有術在。」乃啟笥,出繩一團,約數十丈,理其端,望空中擲去;
其の子の曰わく、「父は、已に之を諾せり。又焉くんぞ辞めんや?」と。術人は、惆悵(なげき悲しむ)すること良(やや)久しくして、乃ち云わく、「我れ之の爛熟を籌(計)す。春初、雪積もるに、人間、何処にか覓(求)むるべき?唯だ王母の園中にのみ、四時常に、凋謝(しぼみおちる)せず。或いは之有らん。必ずや、之を天上に竊(盗)むこと、乃ち可ならん。」と。子の曰わく、「嘻(ああ、怨むこえ)!天に階(はしご)して、升(昇)るべけんや?」。曰わく、「有る術在り。」と、乃ち笥を啓きて、縄の一団を出す。約数十丈なり。其の端を理(分)し、空中を望んで、擲げ去る。
  その子供が、こう言った、「お父さんは、もうできるって言っちまったんだ。いったいどうやって止めるのさ?」と。
  術人は、少しの間なげき悲しんでいたが、やがてこう言った、――「わたしは、これがいつ、どこで熟すのか、かぞえてみよう。春の初めだろう!雪が積もっているだろう!人間界では、どこに求めても無駄だろうなあ。そうすると、残るのは王母様の桃園の中だけだ!四季の間、常に凋(しぼ)み落ちることがないとか、恐らくは、桃も有ることだろうよ、‥‥必ず、これを天上から盗み出してみせよう、ああ、それがよい!」と。
  子供が、こう言った、――「ああ、そんな!天にはしごでもかければ、昇れるっていうのかい?」と。
  術人は、こう言った、――「術があるのだ!」と。やがて、竹籠から縄の束を取り出し、その数十丈の縄の端をえり分けていたが、それを見付けると空中に向って投げあげた。
  
  :諾(だく):うけがう。承知する。
  :焉(えん):いづくんぞ。疑問の言葉。
  :辞(じ):ことわる。
  :惆悵(しゅうちょう):なげいて悲しむ。
  :良(りょう):少しばかり。やや。
  :爛熟(らんじゅく):果物が熟すこと。
  :籌(ちゅう):計る。かぞえる。
  :王母(おうぼ):西王母。西王母の園中の桃は三千年に一度、実を結ぶという。西王母は古の仙人の名。
  :必(ひつ):なしとげる。
  :竊(せつ):こっそり盗み出す。窃盗。
  :階(かい):階段。はしご。
  :術(じゅつ):方術。仙人の術。
  :理(り):分ける。
  

繩即懸立空際,若有物以挂之。未幾,愈擲愈高,渺入雲中;手中繩亦盡。乃呼子曰:「兒來!余老憊,體重拙,不能行,得汝一往。」遂以繩授子,曰:「持此可登。」
縄は即ち空際に懸かり立つ。若しは、物有りて、以って之に掛らん。未だ幾ばくならざるに、愈擲げ愈高し。渺(はてしない)として雲中に入るに、手中の縄も亦た尽く。乃ち子を呼んで曰わく、「児よ来たれ!余は老憊(おいぼれる)し、体は重く拙くして、行く能わず。汝を得て一たび往かん。」と。遂に縄を以って、子に授けて曰わく、「此れを持ちて登るべし。」と。
  縄は、すっくと空の際(はて)に向って立った。何か物があって、それにひっ掛っているように見える。
  縄は、投げ上げあげるたびに、だんだん高く上り、遙かかなたの雲の中に入ってゆくと、そこで縄も尽きてしまった。
  そこで子供を呼んで、――「坊や、来なさい!お父さんはな、もう老いぼれだよ!体は重いし、動きは鈍い、もう行くことはできないのだが、お前が、ちょっと往ってくれれば済むことだ!」と言いながら、とうとう縄を子供にわたして、こう言った、「これを持って登るがよい!」と。
  
  :空際(くうさい):空のはて。
  :渺(びょう):はてしないさま。
  :児(じ):男の子。父に対する男子の自称。
  :老憊(ろうはい):おいぼれる。
  :拙(せつ):動きがにぶい。
  :得(とく):かなう。満足する。
  

子受繩有難色,怨曰:「阿翁亦大憒憒!如此一線之繩,欲我附之,以登萬仞之高天。倘中道斷絕,骸骨何存矣!」父又強喝迫之,曰:「我已失口,悔無及。煩兒一行。兒勿苦,倘竊得來,必有百金賞,當為兒娶一美婦。」
子は、縄を受くるも難色有り。怨みて曰わく、「阿翁(お父さん)も亦た大いに憒憒(おろか、むちゃくちゃ)たり!此の如き一線の縄、我れを之に附(託す)し、以って万仞(尋)の高天に登らしめんと欲す。倘(もし、たまたま)し中道にして、断絶せば、骸骨は何に存せんや!」と。父は、又強いて、之に喝迫(どなって迫る)して曰わく、「我れは已に失口(口をすべらす、失言)せり。悔やんでも及ぶ無し。児を煩わして、一たび行かしめんとするに、児は苦とする勿かれ。倘し、竊み得て来たらば、必ず、百金の賞有らん。当に児の為に一美婦を娶らしむべし。」と。
  子供は、縄を受取ったが、いやそうなそぶりを見せ、恨んでこう言った、――「お父さん、そりゃむちゃくちゃだよ!この一本の縄に、おいらをくっつけて、万丈の高空に登れっていうのかい!もし途中で切れちゃったら、お骨はどこにあるっていうのさ!」と。
  父は、これに答えて、こうどなり返した、――「お父さんがな、つい口をすべらせたからなんだが、悔やんだって、どうなるってもんでもないんだ!子供を煩わして、ちょっと行ってこようっていうんじゃないか!子供が、いやがるもんじゃない!もし、盗み出して来れたなら、きっと百万もの賞金が出るだろうさ。それで、お前に、美しい嫁さんをもらってやろう!」と。
  
  :阿翁(あおう):お父さん。
  :憒憒(かいかい):おろか。むちゃくちゃ。
  :万仞(ばんじん):万丈。
  :矣(い):反語、又は疑問を示す。
  :苦(く):いとう。
  :金(きん):貨幣の単位。
  

子乃持索,盤旋而上,手移足隨,如蛛趁絲,漸入雲霄,不可復見。久之,墜一桃,如碗大。術人喜,持獻公堂。堂上傳視良久,亦不知其真偽。忽而繩落地上,術人驚曰:「殆矣!上有人斷吾繩,兒將焉託!」
子は乃ち索(縄)を持ちて、盤旋(ぐるぐる旋る)して上る。手を移して足随うこと、蛛(くも)の糸を趁(走)るが如し。漸く雲霄(雲居のそら)に入りて、復た見るべからず。之を久しうして、一桃を堕とす。碗の如く大なり。術人は喜んで、持して公堂に献ず。堂上に、伝え視ること、良久しくして、亦た其の真偽を知らず。忽ちにして、縄、地上に堕つ。術人の驚いて曰わく、「殆(危)いかな!上に人有り、吾が縄を断つ。児は将に焉くんぞ託すべき!」と。
  子供は、ようやく索(つな)を手に持つと、くるくる廻りながら上っていった。手を移すごとに、足を移し、まるで蜘蛛が糸をたぐるようにして、やがて雲の中に入り、もう見えなくなってしまった。
  しばらくして、桃が一個落ちてきた、茶碗ぐらいの大きさである。術人は喜んで手に持ってささげ、それを堂上に献じた。
  堂上では、手から手に伝えながら、しばらくじっと見ていたが、それが本物なのか、偽物なのか、確信をもったものはなかった。
  そうこうしているうちに、縄が地上に落ちてきた。
  術人は驚いて、こう言った、――「もう駄目だ!上に人がいて、縄を切っちまった。あの子は、何を頼りに下りてこれよう!」と。
  
  :盤旋(ばんせん):くるくる旋回する。
  :雲霄(うんしょう):雲居の天。雲。
  :公堂(こうどう):役所の執務所。
  :殆(たい):危うい。
  :焉(えん):いづくにか。何に。
  :託(たく):頼る。
  

移時,一物墮。視之,其子首也。捧而泣曰:「是必偷桃,為監者所覺。吾兒休矣!」又移時,一足落;無何,肢體紛墮,無復存者。
時を移して、一物堕す。之を視るに、其の子の首なり。捧げて泣いて曰わく、「是れは必ず、桃を偸むに、監者の覚る所と為さん。吾が児は、休(止)みたり!」と。又時を移して、一足落ち、何(いくばく)も無く、枝体、紛(乱)れ堕ちて、復た存する者無し。
  時が過ぎると、何物かが落ちてきた。見てみれば、あの子供の首ではないか!それを捧げて、泣きながら、こう言った、――「これはきっと桃を盗むのを、監視の者に覚られたにちがいない。わが子は終ってしまった!」と。また時が過ぎると、片足が落ちてきた。間もなく、他の肢体も、ばらばら落ちてきてが、生きている者は何もなかった。
  
  :無何(むか):いくばくもなく。間もなく。
  :存者(そんしゃ):生きている者。
  

術人大悲。一一拾置笥中而闔之,曰:「老夫止此兒,日從我南北游。今承嚴命,不意罹此奇慘!當負去瘞之。」乃升堂而跪,曰:「為桃故,殺吾子矣!如憐小人而助之葬,當結草以圖報耳。」坐官駭詫,各有賜金。
術人は、大いに悲しんで、一一拾いて笥の中に置き、之を闔(閉)じて曰わく、「老夫は、此の児を止む。日ごろ我れに随いて南北に游(遊)びしも、今は、厳命を承けて、意ならずして此の奇惨に罹る!当に負うて去り、之を瘞(埋)めん。」と。乃ち堂に升り、跪いて曰わく、「桃の為の故に、吾が子を殺せるなり!如し小人を憐れんで、之を葬るを助けたまわば、当に草を結び(死して後、草を結んで敵をつまづかせ、恩に報ゆるの譬え)て、以って報を図らんとするのみ。」と。坐官は、駭(驚)き詫(怪)みて、各、金を賜わること有り。
  術人は、たいへん悲しんで、一つ一つ拾いながら、竹籠の中に置き、蓋を閉じると、こう言った、――「この年寄りは、この子を失ってしまいました。日ごろ、わたしと一緒に南北に旅しておりましたものが、今は、厳命を受けて、このとおり心ならずも、この奇怪な惨事に出遭いました。背負って帰り、これを埋めることにいたしましょう。」と。そして堂に昇ると、跪いてこう言った、――「たかが桃の為に、わが子を殺してしまいました!この憐れな小者の為に、これを葬るのを助けてやってくださいまし。きっと草を結んで、報いることでございましょう。」と。一座の官吏たちは、驚き怪しんで、各、金を賜った。
  
  :闔(こう):閉じる。
  :老夫(ろうふ):としとった男。自称。
  :止(し):やむ。失う。
  :游(ゆう):ながれる。旅をする。
  :不意(ふい):思いがけなく。
  :奇惨(きさん):奇怪な惨事。
  :罹(り):遭う。
  :草を結ぶ:恩に報ゆるため、死後、草を結んで敵をつまづかせ、恩人を助けたとの故事による。
  

術人受而纏諸腰,乃扣笥而呼曰:「八八兒,不出謝賞,將何待?」忽一蓬頭僮首抵笥蓋而出,望北稽首,則其子也。以其術奇,故至今猶記之。後聞白蓮教,能為此術,意此其苗裔耶?
術人は、受けて諸(之)を腰に纏い、乃ち笥を扣(叩)いて呼んで曰わく、「八八児(九官鳥)、出でて賞を謝せざるや!将に何をか待つべき?」と。忽ち一蓬頭(もじゃもじゃあたま)の僮(子供)の首、笥の蓋を抵(押しのける)して出で、北を望んで稽首す。則ち其の子なり。其の術の奇なるを以っての故に、今に至るまで、猶お之を記せり。後に、白蓮教は、能く此の術を為すと聞けり。此れを意うに、其の苗裔なりや?
  術人は、金を受けると、それを腰に縛り付け、竹籠を叩いて、――「これ九官鳥や!出て来て賞金にお礼を申しあげないか、何をぐずぐずしている?」と、こう呼びかけると、とつぜん、もじゃもじゃ頭の子供が、竹籠の蓋を押し開けて首を出し、北の方を向いて、ぺこぺこお辞儀した。それがその子だったのである。
  その術が余りに奇怪だったので、今こうして記しているが、後に聞くところでは、白蓮教が、この術を用いるそうであり、或いはその苗裔ではないかと思う。
  
  :諸(しょ):これ。
  :八八児(はちはちじ):九官鳥。人語をはなす鳥。
  :稽首(けいしゅ):地に頭をつけてお辞儀する。
  :白蓮教(びゃくれんきょう):元に起り、明清時代に流行した仏教系の秘密結社。祈祷、符咒、治病等を以って愚民を惑わせたという。
  :苗裔(みょうえい):末裔。生き残り。


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  もし、桃が渋かったら、どうしますか?ということで、今月は桃のコンポートを作ってみました。
桃のコンポートの作り方。
1.桃のへこみに沿って包丁を入れ、ひとまわりさせた後、両手でねじって二つに割る。
2.種を、回りにスプーンをさしこんで取りだす。
3.鍋に桃をいれたならば、ひたひたの水と、桃一個につき砂糖大さじ3坏、レモン汁小さじ1杯を入れ、弱火で約10分間煮る。
4.火を止めたならば、冷めるまでそのまま置き、箸などで皮をすっと剥いて出来上がり。
  
  
  
  では、今月はここまで、また来月お会いしましょう、それまでご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
  (黒谷 おわり)